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 や行


【や】
山里和枝 やまざと かずえ
昭和1年(1926)、沖縄県宜野湾市普天間に生まれる。戦前から沖縄県警察書記を務め、戦争が進むなかで沖縄県防空監視本部隊員を兼務。過酷な沖縄戦を生き抜き、戦後は沖縄民政府警察部に復職。現在は語り部として、戦争の実際を若者たちに伝えている。
『道』174号  会見「沖縄の祈り 語り伝えるために生かされて」

やなせ なな 
浄土真宗本願寺派僧侶(法名・釈妙華)1975年 奈良県内の寺院に生まれる。1999年、龍谷大学文学部真宗学科卒。2004年5月、シングル『帰ろう。』でデビュー。30歳で子宮体癌を克服した経験と、尼僧という視点で、生と死を見つめる癒しの歌を数多く制作。中高年を中心に、幅広い層から確かな支持を得ている。現在はライブハウスやホールでの演奏活動の他、エッセイの執筆や、宗派を越えた仏教系寺院でのコンサート&トーク“歌う尼さん”として活躍中。
『道』170号 会見「歌う。尼さん 命への思いとともに、誰かの心に寄り添う歌を」
http://www.yanasenana.net/

山元加津子 やまもと かつこ
1957年、石川県金沢市生まれ。作家・特別支援学校教諭。国立富山大学理学部卒業。特別支援学校の教員をしながら、「すべてのことは、いつか良い日のためにある」を信条に、文筆、講演、絵、写真と、幅広い表現活動を行なっている。通称かっこちゃん。
メルマガ「宮ぷー こころの架け橋ぷろじぇくと」では、親友宮ぷーの回復に向かう日々を発信している。
著書に『本当のことだから』『ゆうきくんの海』『宇宙の約束』『宇宙は、今日も私を愛してくれる』(すべて三五館)ほか多数。
『道』169号  会見「ありのままの私たち 障害も、病気も、いらないものはひとつもない すべてのことは、いつか良い日のためにある」
『道』180号〜 連載「ありのままの私たち」
『道』187 対談「真実を見る力・伝える力が 人を動かし世の中を変えていく」
ホームページ「たんぽぽの仲間たち」 http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/
  ブログ「いちじくりん」 http://itijikurin.blog65.fc2.com/


【ゆ】
湯川勉 ゆかわ つとむ
1911年〜1942年。1931年、和歌山県の中学校を卒業後、皇武館道場に入門。柔道の経験があり、強力な体力を誇った。1934年頃、植芝盛平の姪と結婚、大阪に住居を定める。大阪の曽根崎警察に合気武道を教え、のち大阪に自身の道場を開く。1941年の天覧試合では塩田と共に植芝の受けを務める。1942年、植芝につきそい満州にわたる。帰国後間もなく大阪で一兵卒と口論となり、その凶刃に倒れる。



【よ】
吉川浩一郎 よしかわ こういちろう
1918(大正7)年1月31日〜1993(平成5)年7月26日。五百年の歴史を持つ鹿島新当流宗家。この流派の剣は合気道剣の発展に大きな影響を与えた。1937年、皇武館道場に3人の高段位指導員を派遣した。氏の記憶によると週1回のこの講習において、「表太刀」と呼ばれる基本の12の太刀の教授が行なわれたらしい。合気道における鹿島新当流剣の影響は、この流派の「一の太刀」と斉藤守弘が教授する最初の組太刀が同一であることからも分かる。他にも似た動きが斉藤の剣稽古に断片的に見られる。
『開祖直弟子に見る合気道』

吉田幸太郎 よしだ こうたろう
明治年間の生れ。もと陸軍少尉。北見で私立図書館、新聞社などを経営した。1915年、武田惣角の下で大東流合気柔術を学ぶ。北海道遠軽にある久田旅館で植芝盛平を武田惣角に紹介した人物。後に武田惣角から代理教授を許される。戦後東京豊島区で大東流を教えた。門人にリチャ−ド・キム(空手師範)や極真会空手の大山倍達がいた。短期間だが近藤勝之にも指導した。後、中風で倒れ、半身付随となり、日立市に移住して他界した。

吉田信正 よしだ のぶまさ
昭和16年生まれ。昭和34年、養正館入門。国際武道正風会副会長・東日本総括師範 合気道8段、日本柔術8段、養正館奥伝免許允可、古武道6段。
『合気ニュース』139号 会見「望月稔師範の理念と技の継承へ」
オンライン記事 「望月稔師範の理念と技の継承へ」
正風会 http://seifukai.co.jp/

よしだ みどり 
東京生まれ。作家・画家。日本テレビの幼児教育番組『ロンパールーム』の司会を1969年から4年間担当した。著書に『知られざる「吉田松陰伝」?『宝島』のスティーヴンスンがなぜ?』(祥伝社)、スティーヴンスンの生涯を描いた『物語る人』(毎日新聞社 平成12年度「日本文芸大賞 伝記・翻訳新人賞」受賞)などがある。訳書(英和対訳)に、『金子みすゞ 心の詩集』(藤原書店)、『びんの悪魔』(福音館書店)など。
『道』176号  対談 「吉田松陰が獄中でつかんだ教育の極意――幕末の人間力を語る」

米川成美 よねかわ しげみ
1910(明治43)年〜2005年、茨城県出身。1932年、内弟子として皇武館道場に入門。植芝の助手として東京、大阪での指導助手を務める。1936年、野間道場連続写真の植芝の受けを務める。この野間道場写真は植芝の戦前の技を記録する最高の資料である。1936年、満州にわたり、富木の合気武道指導の助手を務める。1944年、徴兵され1946年復員まで沖縄に駐屯。戦後は合気道から離れた。
『合気ニュース』131号 会見記事(1979年、1992年会見)「大先生の受けを務めた皇武館道場時代」
会見集『植芝盛平と合気道 第1巻』(1979年の会見を収録)

芳根鋭蔵 よしね たいぞう
大正6年生まれ。剣道範士。早稲田大学政治経済科卒業。厚生技官兼厚生事務官として社会福祉政策、とくに人口政策を研究し後に大蔵省に出向し大蔵事務官に任ぜられる。長年、法務省委嘱保護司をつとめる。品川区議会議員待遇者会長 社団法人日本伝統俳句協会顧問。(財)全日本伝統俳句協会顧問。(財)東京都剣道道場連盟副会長。NPO欅センター理事長。誠芳館館長。
『道』149号 会見「剣は、実社会に通じて、はじめて「道」になるのです」
オンライン記事 「剣は、実社会に通じて、はじめて「道」になるのです」



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