トップページ

【あ行】
     

【か行】
     

【さ行】
     

【た行】
     

【な行】
      

【は行】
     

【ま行】
     

【や行】
   

【ら行】
     

【わ行】
 


書籍
季刊『道』
DVD
ビデオ
関連情報
ホームページ



 さ 行


【さ】
斉藤仁弘 さいとう ひとひろ
1957年2月12日、斉藤守弘師範の長男として茨城県に生まれる。7歳から合気道を始める。高校卒業後仙台に1年、大阪に2年、料理を修行。現在、茨城道場にて指導に専念。合気会6段。2004年(平成16)、「岩間神信合氣修練会」として合気会より独立。
『合気ニュース』114号 会見「岩間の伝統を守る」
『合気ニュース』130号 会見「一を知って十を知る― 自分で感じる稽古を」
『合気ニュース』134号 会見「さらに深く、さらに高く 岩間の合気道を継承して」
『合気ニュース』134号〜137号 連載「口伝シリーズ 岩間に伝わる開祖の合気道」
『合気ニュース』140号 レポート「『岩間神信合氣修練会』発足式開催」
【Kindle版】 新装版 武産合気道 第1巻
【Kindle版】 新装版 武産合気道 第2巻
岩間神信合氣修練会 http://www.iwamaaikido.com/
オンライン記事『合気ニュース』109号 特集「合気道人生半世紀

斉藤守弘 さいとう もりひろ
1928(昭和3)年3月31日〜2002年5月13日。茨城県出身。1946年7月、茨城県岩間にある合気修練道場にて植芝盛平に入門。1959年、合気会師範となる。1969年4月、開祖昇天後、茨城道場長となり長年国内、海外にて指導にあたる。1983年、日本武道協議会より武道功労者として表彰される。茨城県岩間にある合気神社をお護りしていた。合気道9段。
『合気ニュース』109号 会見「特集 祝合気道歴50年 合気会師範・茨城道場長 斉藤守弘氏会見」
『合気ニュース』130号 会見「岩間の開祖の技を守って」
『合気ニュース』133号 追悼記事「追悼 茨城道場長 斎藤守弘九段」
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1978年の会見を掲載)
【Kindle版】 新装版 武産合気道 第1巻
【Kindle版】 新装版 武産合気道 第2巻
『斉藤守弘師範 剣と杖の特別講座 全2巻』
『開祖直弟子に見る合気道』
『合気武道』

五月女貢 さおとめ みつぎ
1937(昭和12)年3月7日〜。東京都出身。1954年10月、鍬守道場に入門。植芝吉祥丸、山口清吾に師事。1961年4月、開祖の内弟子として正式に本部道場生となる。1975年5月、合気道指導普及のため渡米。一時は合気会からは独立してAikido Schools of Ueshibaの首席として活動したが、1988年1月、財団法人合気会本部の正式な承認があった。アメリカ、カナダ、フランスなどで活動。
『道』149号 対談「カテゴリーを越え、原点での修行と交流を」
『道』150号 会見「本物をつくり、本物になる」
『道』151号 〜159号 連載記事「伝承のともしび」
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』
『伝承のともしび』
『開祖直弟子に見る合気道』

阪長友仁 さかなが ともひと
昭和56年生まれ、大阪府出身。新潟明訓高校・立教大学卒。2年間にわたりスリランカ・タイ・ガーナで野球指導に携わり、ガーナ代表チームを率いて参加した北京オリンピック・アフリカ予選では同国初の銅メダルを獲得した。その後、青年海外協力隊員として2年間コロンビアの野球指導に携わり、またJICA企画調査員としてグアテマラで3年間国際協力分野に携わった。外から日本を見た視点や、ラテンアメリカでメジャーリーガー育成機関の方々との業務経験を活かし、日本の野球界に変化をもたらすべく活動中。江坂塾で宇城憲治氏に師事。
『道』176号 現地リポート「世界に飛び出て見えた日本 常に問う、日本人としての自分」
『道』184号 会見「子供たちの能力を最大限引き出すドミニカ共和国の野球指導 日本の野球を世界から見つめて」
『道』185号192号 連載「世界の野球から日本の未来を見つめて」
NPO法人 BBフューチャー http://bb-future.net/

坂根弘基 さかね ひろき
昭和9年、京都府に生まれる。昭和38年、田中万川師範の合気道京都道場(頂妙寺道場)に入門。田中万川師の推挙により52年合気道5段位、57年合気道6段允可。平成8年、京都府合気道連盟理事長就任。平成11年京都市体育協会理事就任。平成12年、(財)大阪合気会理事就任。登り助育センター道場長。京都市武道センター師範。合気道6段。居合道4段。柔道有段 。
『合気ニュース』129号  会見「故田中万川と京都の合気道」
オンライン記事「故田中万川と京都の合気道」

佐藤安太 さとう やすた
1924年福島県生まれ。米沢工業専門学校(現山形大学工学部)卒業。1955年 佐藤ビニール工業所(タカラ〈現タカラトミー〉の前身)設立。2001年タカラ会長退任。2007年83歳で山形大学大学院入学、2010年卒業。工学博士号取得。NPO法人ライフマネジメントセンター理事長 財団法人 日本玩具文化財団 名誉理事長/福島県しゃくなげ大使 山形大学工学部 客員教授 /福島県いわき応援大使 勲四等 旭日小綬章受賞(1995年)/黄綬褒章授賞(1986年)
『道』181号 会見「誠実をつらぬき勝っていく 与えられた人生をまっとうするために」
http://www.ikigai3v.org/

佐藤芳之 さとう よしゆき
1939年宮城県生まれ。南三陸町で幼少期を過ごし、1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。同年ガーナ大学に留学。1966年から5年間、ケニアで日系繊維企業に勤務。31歳で退職し、いったん妻子を連れて日本に帰国するが、32歳で単身ケニアに戻り、鉛筆工場、製材工場などビジネスを立ち上げ、1974年、ケニア・ナッツ・カンパニーを起業し世界五大のマカダミアナッツカンパニーに成長させる。2008年に同社をタダ同然に現地パートナーに譲渡し、微生物を活用した公衆衛生、肥料事業をケニア、ルワンダで展開、現在に至る。
『道』183号 対談「アフリカに渡って50年 個が光っていれば相手を変えることができる」
阪根博 さかね ひろし
1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒。卒業の数年後、ペルーリマ市へ移住し、スペイン語を学ぶかたわら、祖父の天野芳太郎氏がペルーに創設・経営していた天野博物館の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家及び土器・織物の収集・研究家として発掘作業に従事するかたわら天野博物館の事務局長として運営に携わる。また、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などに同行し、ペルーの民間外交官としての役割も務めている。年に数回は日本に帰国し、全国各地で講演やパネルディスカッションを行なうなど、広い分野で活動を行なっている。
『道』175号 会見 「日本人の資質を示したアンデス文化への夢と情熱」
天野博物館 http://www.museoamano.com/

坂本スミ子 さかもと すみこ
大阪府出身。1955年からNHK大阪合唱団員として活動後、58年、ラテン歌手として芸能界デビューを飾った。60年〜65年には、NHKの紅白歌合戦に連続出場、またNHK「夢で逢いましょう」に5年間レギュラー出演した。数々の映画やドラマ、ミュージカルにも出演。83年の主演映画『楢山節考』はカンヌ映画祭グランプリを受賞した。現在は、歌手として、女優としての活動のほかに、17年前からは、熊本市で聖母幼愛園園長、聖母幼稚園の副園長をつとめている。歌手・女優・聖母幼愛園園長。
『道』163号 対談「歌がくれた幸せ 子供は神様からの贈りもの」
『道』171号 カラーグラビア「福島・心の復興支援」

佐川廣 さがわ ひろし
1909(明治42)年〜2002年1月。下湧別生まれ。1933年3月、北海道大学工学部卒。1936年、早稲田大学法学部卒。佐川幸義師範の実弟。
『合気ニュース』117号 特集記事「大東流合気柔術 佐川幸義宗範追悼特集 兄・幸義の大東流修業時代を語る」

佐川幸義 さがわ ゆきよし
1902(明治35)年〜1998年3月24日。北海道湧別に佐川子之吉の長男として生まれる。佐川が10歳の頃、父・子之吉が佐川家に惣角を2年間滞在させ、惣角より柔術の指導を受ける。佐川も父親とともに惣角の指導を受けた。1932年4月24日、北海道札幌にて武田惣角より教授代理を許される。惣角の助手として各地の指導にまわった。惣角からは1939年まで教授を受けた。1940年、中野に居を構え、1955年から小平市の自宅に道場を開く。1998年3月24日永眠。享年95歳。前日まで弟子に稽古をつけていた、まさに修行に打ち込んだ生涯であった。
『合気ニュース』117号 「大東流合気武術 佐川幸義師範追悼特集」
『合気ニュース』118号 「佐川幸義先生に行き着いたことは幸せだった」佐門会門人 武術史研究家 高橋賢
『合気ニュース』127号「詳細! 佐川幸義師範による合気揚と合気投」高橋賢
『合気ニュース』140号「生かされる文と武のエネルギー」佐川幸義門人 木村達雄氏会見
『合気ニュース』141号「合気の先に広がる人間の可能性」佐川幸義門人 木村達雄氏会見
改訂版『武田惣角と大東流合気柔術』 (1987年の会見を掲載)
『合気道修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』 木村達雄著

佐々木隆 ささき たかし
1951年生まれ。宮城県仙台出身。高校時代に天文部に入部、天体写真を始める。東海大学海洋学部で海洋科学を専攻、その後大阪教育大学大学院理科教育学研究科で地学を専攻し、1981年より高校理科教諭となる。教材用の天体写真、地学関係写真を撮影する傍ら、アマチュア天体写真家として銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。ソフトテニス部監督としても活躍し、ユニークな指導で全国大会等入賞多数。
現在は大阪市立汎愛高校教諭。ソフトテニス部監督。著書に、『銀河浴 GALAXY』がある。 各地で写真展、講演活動を展開中。
『道』172号 対談「生かされている命 自らの命を「今」に燃やすからこそ」
『道』173号〜 連載「私たちは銀河のなかに生きている」
銀河浴の世界 http://gingayoku.jimdo.com/

佐々木将人 ささきの まさんど
1929(昭和4年)〜2013年2月15日。山形県生まれ。中央大学経済学部、同法学部専攻科卒業。合氣道開祖・植芝盛平翁と出会う。武道と人間の修行に打ち込み、合氣道師範となる。その間、人生の道を求め、滝行、坐禅、「一九会」等の修行に励み、人生の師、中村天風先生と巡り合い師事する。縁あって山蔭基央先生と結ばれ、山蔭神道の神官となり、上福岡斎宮宮司をつとめる。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
『合気ニュース』113号 会見「日本と合氣道を語る」
『道』147号 会見「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ」
『合気ニュース』116号〜『道』162号 連載 「なるほど」
『道』176号 追悼記事
『佐々木説法 なるほど』  Kindle版
『武 ― 融合への祭典』 (演武者の一人)
オンライン記事 会見「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ

佐藤啓輔 さとう けいすけ
1907年5月〜2001年10月17日。山形県瀬見に生まれる。中学(13歳)の時柔道を学ぶ。拓殖大学入学後、唐手の船越義珍の明正塾に入門。父・理吉が1907年、瀬見を訪れた惣角から大東流を習っていた関係から、1929〜30頃より惣角から指導を受け、1935年、惣角より教授代理を印可される。1936年頃、大阪の惣角のもとを訪れている。1932年、日中戦争勃発により1947年の復員まで武道から離れる。1943年の惣角の死を満州で知る。惣角の信頼の厚かった佐藤は、復員後は武田時宗前宗家の相談役的な存在だった。2001(平成13)年10月17日、逝去。享年94歳。
『合気ニュース』104号 エッセイと会見「我が武道遍歴」
改訂版『武田惣角と大東流合気柔術』 (会見エッセイ掲載)

座波仁吉 ざは にきち
1914(大正3)年3月5日、沖縄県那覇市に生まれる。沖縄古伝空手小林流の流れをくむ空手を、父、および流祖知花朝信の高弟であった兄の座波次郎に学ぶ。1951年宮崎大学空手部師範となる。1973年より心道流空手道心道会と名を改め、武道としての空手の存続に尽力している。心道流空手道宗家。
『武道の原点』 『武術空手の知と実践』 『武術空手への道』にロングインタビュー収録。

佐原文東 さはら ふみはる 
昭和22年(1947)、東京都世田谷区に生まれる。昭和38年(1963)、合気会本部道場入会。昭和39年、山口清吾師範に直接師事、以降山口師範の逝去(平成8年)まで師事する。昭和42年、早稲田大学入学。昭和52年、柳生新陰流宗家・柳生延春師に入門。昭和53年、名古屋大学合気道部の結成に参加。昭和60年(1985)、太極拳を始める。平成12年、野口弘行師範のもとで鹿嶋神流を再開。平成13年、東京近郊の山中に隠棲する禅僧のもとで禅の修行を開始。平成15年2月清心館道場を開設。
『合気ニュース』136号 会見「武術とは己自身を知るための道」
オンライン記事 「武術とは己自身を知るための道
澤田花江 さわだ はなえ
大正5年(1916)〜2010年。香川県出身。なぎなた範士。生家が剣道家の家柄であったため、幼少より剣道を学ぶ。昭和9年、大日本武徳会薙刀術教員養成所に入り、12年同研究科修了。京都や兵庫、大阪の高等女学校で嘱託としてなぎなたの指導にあたる。戦後は、なぎなたの復興に尽力し、昭和30年、全日本なぎなた連盟の結成にも大きな貢献を果たす。41年より7年間にわたり私立葛生高校(栃木 現・青藍泰斗高校)でなぎなた講師を務める。昭和52年、範士称号受賞。以降さまざまな団体より功労賞を受賞。
『道』148号 会見「七十余年の修行の賜物を次の時代に伝え残す」
『道』150号 講演録「なぎなた道と私の人生」
『道』152号162号 連載「あくなき向上心」
『あくなき向上心』

三遊亭歌之介 さんゆうてい うたのすけ
1959年鹿児島県生まれ。落語家。本名 野間賢(さとし)。幼少時代は両親の離婚で苦労するも高校時代はソフトテニス部のキャプテンとして活躍。1978年大阪市立汎愛(はんあい)高校卒業後、三代目・三遊亭圓歌に入門。1982年二つ目昇進し、三遊亭きん歌となる。1985年若手演芸大賞最優秀二つ目賞を受賞。NHK新人落語コンクール入賞。1987年5月、真打昇進試験に「壽の春」で合格。同年10月、先輩18人抜きで真打昇進。初代三遊亭歌之介となる。1990年、鹿児島県より「さつま大使」の任命を受ける。
『道』188号 対談「心が笑えば身体が笑う 目に見えない波動のエネルギー」
三遊亭歌之介公式ホームページ http://utanosuke.net/



【し】
シェルドリックダフニー Sheldrick,Daphne
1930年ケニア生まれ。象保護活動家 。ケニアの伝説的猟区監視官であったデビッド・シェルドリックと結婚。
60年代後半には、ツァボ国立公園で象と密猟者との戦いを描いた映画『bloody Ivory』に出演。夫とともに自宅に開設した動物孤児院で、公園内で保護された野生動物を救護する活動を始め、夫亡きあとも、ナイロビ国立公園に移り孤児院を運営し、象牙密猟者に親を殺された象をはじめとする様々な野生動物の赤ちゃんを育て、野生に返す活動を続けている。
ダフニーが最初に育てた象のエレナは、野生に戻ってからもダフニーと交流を続け、ダフニーが3歳まで育てた孤児たちを預かり、野生で生きる知恵を教えながら一人前に成長するまで養母の役割を果たすなど、ダフニーと共同してたくさんの孤児の象を野生に返した。
このダフニーとエレナとの交流の様子は、著書『エレナ――我が心のアフリカ象』に詳しい。また龍村仁監督の映画『地球交響曲 第一番』では、ダフニーとエレナの感動的な再会のシーンを中心に象の社会から人間社会へのメッセージをダフニーが伝えている。現在、ケニアの自然保護、野生動物保護のために活動している。ザ・デビッド・シェルドリック・ワイルドライフ・トラスト会長。
『道』167 会見「自然 のままに平和 に生きる 野生象がくれた人間へのメッセージ」
[The David Sheldrick Wildlife Trust] http://www.sheldrickwildlifetrust.org/

塩田剛三 しおだ ごうぞう
1915〜1994。高名な小児科医の家に生まれる。拓殖大学入学前の1932年5月、皇武館道場に入門。大学在学中に内弟子となり、東京、大阪における植芝の指導助手を務める。1941年、日本を離れるまで植芝のもとで指導を受ける。戦中は中国において文官として中国、台湾、ボルネオ、セレベス(インドネシア)で勤務。戦後、岩間で短期間ながら植芝から教授を受ける。1952年、日本鋼管や数ヵ所の警察で指導を行なう。1955年、財界人たちの支援により、養神館合気道道場を筑土八幡(東京)に創建。1990年、養神館スタイルを世界に広めるため、国際養神会合気道連盟を設立する。多数の合気道技術書を著す。ほかに自伝・『合気道人生』(1985年刊)がある。合気道9段。養神館合気道創始者。
会見集 『植芝盛平と合気道 第1巻 (1983年の会見を掲載)
『合気道クラシックス』
『開祖直弟子に見る合気道』
養神館本部道場 http://www.yoshinkan.net/

柴田秋雄 しばた あきお
▶詳細ページへ http://www.dou-shuppan.com/shibata_a.html
昭和17年岐阜県生まれ。昭和36年日本国有鉄道入社。
31歳から鉄道労働組合名古屋本部の専従役員となり、その後国鉄を退職し組合役員に専念。平成6年、52歳の時に、ホテルアソシア名古屋ターミナルの販売促進部次長に転身。平成12年に役員となってからは「働き方は生き方だ」という信念のもと、従業員のやりがい、幸せを最優先に改革をすすめ、バブル崩壊とともに4期連続の赤字にあえいでいたホテルを7期連続黒字のホテルに再生させた。建て替えのためにホテルが閉館した後は、一般社団法人アソシア志友館を設立、理事長として講演やイベント企画、執筆などを通して絆ややさしさ、ぬくもり溢れる社会をめざし活動を展開中。著書に『柴田秋雄のホテル再生物語』(中日新聞刊)
『道』181号 会見「心に火がつけば 人はみな、熱く燃える!」
アソシア志友館 http://shiyuukan.com/

柴田保之 しばた やすゆき 
1958年 大分県生まれ。國學院大學 人間開発学部初等教育学科教授
専門は、重度・重複障害児の教育に関する実践的研究。自作教材を介して障害の重い子供との関わり合いを続けるなかで、彼らの内的な言語の存在に気づかされ、障害児教育のあり方の根本的問い直しを続けている。 作家で特別支援学校教諭の山元加津子氏を中心とした、「誰にも思いがある。“植物状態”は回復できる」ことを世の中の常識にするための『白雪姫プロジェクト』に参加。
著書に『みんな言葉を持っていた ―障害の重い人たちの心の世界―』(オクムラ書店)がある。
『道』177号 会見「みんな言葉を持っている ― 重度障害者の思いを伝えるために ―」
柴田保之研究室― 障害と人間について考える
   http://www2.kokugakuin.ac.jp/~yshibata/

島袋勉 しまぶくろ つとむ 
1963年、沖縄県那覇市生まれ。株式会社ラシーマ代表取締役。2001年4月、アメリカのIT事業視察の帰り、千葉県にて踏切り事故により両下腿切断。頭部挫創による高次脳機能障害(記憶障害)、複視の障害を負う。2003年、社会復帰と同時に再び社長に就任。会社再建に立ち向かい、倒産の危機を脱する。2004年11月、両足義足でトリムマラソン3キロに初挑戦。同年12月ホノルルマラソン(2,195キロ)に挑戦完走。以来、マラソン、登山を続けている。株式会社ラシーマの会社経営の責任を果たしつつ社会貢献活動として、要請がある機関・学校に『講演講師』として出向いている。著書に「義足のランナー」(文芸社)がある。
『道』168号 会見「夢をあきらめない 義足のランナー」
島袋勉ブログ「夢をあきらめない」http://shimabukuro.blog123.jp/

島田五郎 しまだ ごろう 
昭和10年、埼玉県川越市に生まれる。33年、早稲田大学卒業。34年合気道入門。45年、勤務のかたわら合気道川越道場を設立。合気道7段。柳生新陰流免許。合気会川越道場長。
『合気ニュース』140号 会見「鉄舟を心の師として」
『合気ニュース』142号〜146号 連載「鉄舟に学ぶ」
オンライン記事 会見「鉄舟を心の師として」

清水健二 しみず けんじ
天道流合気道天道館管長。1940年、福岡県天道に生まれる。12歳より柔道を始め、講道館4段を允可される。明治大学卒業後、1963年、合気道創始者植芝盛平翁の内弟子として修業し、3年後4段、後に7段を許される。1970年、清水道場として独立、5年後天道館と改名。1978年より毎年ドイツで合気道指導を行なう。1982年、天道流合気道として独立。1987年には日本武道国際連盟と養正館から各8段を允可される。現在では、オランダ、ベルギー、スロベニア、オーストリア、フランス、メキシコ、シンガポール、アメリカにも指導普及を行なう。2002年には合気道を通じ諸外国との友好親善に寄与した功績により「平成14年度外務大臣表彰」を受賞。同年秋の園遊会に臨席。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
『合気ニュース』131号 会見記事「大先生の教えを天道流に開花させて」
『合気ニュース』134号 グラビア「清水健二天道流合気道管長 外務大臣表彰受賞」
『合気ニュース』142号 会見「広がりよりも、深さを求めた合気道を」
会見集 『植芝盛平と合気道 第2巻』 (1988年の会見を掲載)
『開祖直弟子に見る合気道』
天道館本部道場 http://www.aiki-tendo.jp/index.html

清水博 しみず ひろし
1932年、愛知県瀬戸市生まれ。東京大学名誉教授。
1956年、東京大学医学部薬学科卒業。九州大学理学部教授、東京大学薬学部教授を経て、現在、NPO法人・場の研究所理事長。1997年、場のアカデミーを立ち上げる。 著書に『生命を捉えなおす』(中公新書)、『生命と場所』(NTT出版)、『岩波講座 宗教と科学6 生命と科学』(岩波書店)、『場の思想』(東大出版会) など多数。
『道』150号 対談「科学と気」の可能性」 (前編)
『道』151号 対談「待つ思想と先」 (後編)
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』
場の研究所 http://www.banokenkyujo.org

シュシャン,ジェローム Jerome Chouchan
1961年フランス、パリ生まれ。
ゴディバジャパン株式会社 代表取締役社長。
HEC Paris経営大学院卒業。専攻はインターナショナルビジネス。1983年、大学在学中に旅行で初来日したのを機に日本文化に興味を持ち、29歳で弓道を始める。フランス国立造幣局、ラコステ北アジアディレクター、LVMHグループ・ヘネシーのディレクター、リヤドロジャパン代表取締役社長などを経て、2010年ゴディバジャパン代表取締役社長に就任。商品のパッケージデザインに世界の有名アーティストを起用、テレビCMなど、様々な施策により5年間で売り上げ2倍を達成。弓道錬士五段。国際弓道連盟理事。
『道』190号 会見「弓道と私  ビジネスに生かされる日本の伝統」


白田林二郎 しらた りんじろう
和歌山県出身。1933年、大本の関係から皇武館道場に入門、1937年、徴兵されるまで皇武館道場ほか東京、大阪の各道場で植芝の指導を助けた。戦時中は修行が中断されたが、1960年頃指導を再開。国際合気道連盟の役職を務めるなど、海外国際会議への出席や海外指導を行なう。晩年は山形で指導活動を行なった。
『合気ニュース』62、63号
会見集 『植芝盛平と合気道 第1巻』 (1983年の会見を掲載)

 


【す】
杉江弘 すぎえ ひろし
1946年愛知県生まれ。元JAL機長。1969年慶応義塾大学法学部卒。同年、日本航空に入社。DC8、ボーイング747、エンブラエルE107などに乗務。ボーイング747(ジャンボジェット)飛行時間では、2万1000時間という世界一の記録をもつ。首相フライトなど政府の要請による特別便の経験も多い。安全推進部在籍時には、「スタビライズド・アプローチ」など航空界の安全施策を行なうとともに、数々の著作で、航空機事故を徹底検証するなかで、ハイテク機への過信への警鐘を鳴らしている。『機長の告白』『機長の失敗学』(講談社)、『日本人はなぜ足元を見られるのか』(アスキー新書)『危ういハイテク機とLCCの真実』(扶桑社)など著書多数。SL鉄道写真家としても活躍。日本エッセイスト・クラブ会員。
『道』180号 対談「プロフェッショナル魂に宿る 目に見えないものを見る力」

菅沼守人 すがぬま もりと
1942(昭和17)年7月27日〜。福島県出身。順天堂大学体育学部入学と同時に上京し、陸上競技(棒高飛び)を志すが、体調をくずし、同大を中退。その後亜細亜大学に入学し、合気道部に入部。1967年、卒業と同時に合気会本部道場に内弟子に入る。現在、合気道祥平塾道場長。合気道8段。
『道』145号 会見「求め得た師の教えあってこそ」
合気道 祥平塾 福岡 http://homepage2.nifty.com/shoheijuku/
オンライン記事 「求め得た師の教えあってこそ」

菅原文太 すがわら ぶんた
▶詳細ページへ http://www.dou-shuppan.com/sugawara.html
1933年宮城県仙台生まれ。仙台第一高校卒。早稲田大学中退後、スカウトされ映画俳優に。 1973年に始まった主演映画『仁義なき戦い』シリーズや「トラック野郎」が大ヒッし、映画界を代表する大スターに。2009年 株式会社竜土自然農園を設立し、山梨県で無農薬・有機野菜の栽培に取り組むなど、積極的に社会問題に対し発言している。著書に、対談集『ほとんど人力』(小学館)。 2014年11月28日逝去。
『道』181号 対談 「ふるさと日本 これでいいのか―― 目を覚ませ! ――」

杉野嘉男 すぎの よしお
1904(明治37)年12月12日〜1998年6月13日。国際武道院10段範士。天真正伝香取神道流師範。10代の頃より数々の武道に専心し、22才の若さで柔道道場を開く。1932(昭和7)年頃、植芝盛平の演武に魅せられ皇武館に入門。1929(昭和4)年頃始めた香取神道流を長く修業し、その指導に日本のみならず世界各国で活発な活動をした。黒澤明監督『七人の侍』をはじめ『用心棒』『隠し砦の三悪人』さらに稲垣浩監督『宮本武蔵』などの映画など、数々の時代劇で武術指導を行なった。
会見集『植芝盛平と合気道 第1集』(1985年の会見を掲載)
『開祖直弟子に見る合気道』
菅谷 昭 すげのや あきら
1943(昭和18)年長野県生まれ。信州大学医学部卒。医学博士(甲状腺専門)。松本市長 1991(平成3)年、松本市NGOグループによるチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に参画。現地を7回訪問し、汚染地域における小児甲状腺検診をはじめ様々な支援活動を行なう。 1995年末に信州大学助教授を退官し、退職金を使って翌年1月からベラルーシに単身滞在し、5年半にわたって首都ミンスクにある国立甲状腺癌センターとゴメリ市の州立癌センターで甲状腺癌にかかった子供たちの治療にあたった。 帰国後、長野県衛生部長を経て2004年、松本市民に請われる形で松本市長に立候補。当選し現在に至る。現在4期目。
『道』194号 会見 「納得して生きているか ―― 自らに問い、行動する」

鈴木格禅 すずき かくぜん
1926(大正15年)〜1999年8月。愛知県に生まれる。沢木興道老師に師事。駒沢大学を卒業し、同大教授を経て、名誉教授。合気道7段。
『合気ニュース』118号 真事「まこと」の合気道とは―死の淵で出会った禅―

砂泊かん秀 すなどまり かんしゅう
1923(大正12)年〜。2010年11月13日。本名兼平。鹿児島県出身。敬虔な大本教信者の家庭に育つ。砂泊兼基及び砂泊扶妃子の弟。1942(昭和17)年頃、皇武館道場で内弟子として短期間修行。植芝盛平逝去を機に合気会本部から離れた。1954(昭和29)年に熊本県熊本市に合気道万生館道場を開設。現在は多くの支部道場を持つ。1961(昭和36)年に植芝盛平より9段位を允可される。ダイナミックな気の流れ技で知られ、また呼吸力の原理を強調。著書も多い。
『合気ニュース』137号 会見記事「求むるは開祖の心――呼吸力」
『合気ニュース』142号 「合気道――霊肉一体に至る行」後編/「師の心を人生に生かす」弟子が語る"師の心の実践"
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』(1983年の会見を掲載)
『開祖直弟子に見る合気道』
万生館 http://manseikanaikido.com/

砂泊扶妃子(光恵) すなどまり ふきこ(みつえ)
1918(大正7)年頃〜2006年5月。直心影流薙刀の名手。園部秀雄の高弟でもある砂泊女史は1950年代初期に合気道を始める。1950、60年代にかけて植芝盛平と深く親交を持つ。砂泊兼基の妹で、砂泊かん秀の姉。



【せ】
関 健作 せき けんさく
1983年、千葉県に生まれる。2006年、順天堂大学 スポーツ健康科学部を卒業。 2007年から3年間、JICAの海外ボランティア派遣制度、青年海外協力隊としてブータンに赴任。体育教師として小中学校で体育普及活動を行なう。2010年、帰国して小学校の教員をしながら写真展を開催。 現在は写真家の道を選び、写真展や講演会など多岐にわたり活躍している。 日本で唯一のブータン語(ゾンカ語)翻訳、コーディネーター。
『道』186号 会見「ゆるがない自信とやさしい笑顔をつくるもの」
http://www.kensakuseki-photoworks.com/

関野吉晴 せきの よしはる
1949年東京都出身。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後25年間に32回アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。 その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学し、医師(外科)となり、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。
1993年〜2002年 「グレートジャーニー」
2004年〜2011年 「新グレートジャーニー」
1999年 植村直己冒険賞受賞
2000年 旅の文化賞受賞
2013年3月16日 6月9日  国立科学博物館(特別展)  「グレートジャーニー・人類の旅 この星に、生き残るための物語」 著書に、「グレートジャーニー全記録」(毎日新聞社)、「グレートジャーニー探検記」(徳間書店)、「グレートジャーニー人類5万キロの旅 全5巻」(角川文庫)、「地球ものがたりインカの村に生きる」(ほるぶ出版)など、多数。
『道』196号 会見「自分の足で歩き、自分の目で確かめ、自分で考える。」
関野吉晴公式サイト http://www.sekino.info
地球永住計画公式サイト https://sites.google.com/site/chikyueiju/

千田隆三 せんだ りゅうぞう
大正14年2月、前橋市に生まれる。小学生の頃より天神真揚流を始める。中学入学後柔道を始める。旧制中学5年の時、皇武会前橋支部に入門。昭和27年大東流合気柔術・前田武師範の練心館道場に入門。前田師範没後は合気を愛する有志に指導を行なう。大東流合気柔術隆道会会長。
『合気ニュース』136号 会見「果てしなき合気の道」
オンライン記事 「果てしなき合気の道




【そ】
園田天光光 そのだ てんこうこう
大正8(1919)年1月23日東京生まれ。
青山学院高等女学部、東京女子大学、早稲田大学法学部卒(昭和17年)。戦時中に海軍嘱託勤務を経て、昭和21年4月、餓死防衛同盟から戦後初の総選挙に出馬し初当選。その後、日本社会党、労農党から出馬し連続3回当選する。昭和24年12月、衆議院議員園田直氏と結婚。園田氏の死後は、日本ラテンアメリカ婦人協会会長など多くの公職を務める。現在、同協会名誉会長、竹光会会長、NPO育桜会名誉会長、「世界平和大使人形の館」をつくる会代表。1989年勲三等宝冠章受賞。2015年1月29日逝去。
『道』157号 会見「やり抜く意志が肚をつくる」
オンライン記事 「やり抜く意志が肚をつくる



[ページのトップへ]