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 ま行


【ま】
増川いづみ ますかわ いづみ
栄養学及びバイオ電子工学博士 東京生まれ。ミシガン州立大学にて栄養学及び電子工学の博士号を、MITにて量子力学の修士号を取得。水の分子構造学と磁気共鳴学を中心に、水の流体力学も研究。「音」の可能性と奥深さ、そして神秘に着目し、音と宇宙と人間の繋がりを探求。 近年は音による振動治療を応用したサウンド療法に集中し、人と地球の健康と生命のバランスをテーマにしている。 コスミックチューンサウンドヒーリングセミナー&スクール及びアキュトニックス統合医療研究所日本代表、フローフォーム国際委員会日本代表、四篠司家食文化協会理事。
『道』192号 対談「波動 響きあう生命の神秘 水・音・心・気 ―― 理論と実践」
音(サウンドヒーリング) http://lifetune.jp/
水(フローフォーム) http://flowforms.co.jp/
電磁波 http://tecnoao-asia.com/
松井健二 まつい けんじ
昭和10年(1935)中国上海生まれ。
明治大学文学部文学科卒業。川崎重工業(株)に26年間勤め定年退職。昭和30年に神道夢想流、清水隆次師範に入門。神道夢想流杖術及び併伝武術を学ぶ。昭和53年に清水師範他界後、福岡の乙藤市蔵師範に師事し、神道夢想流杖術免許皆伝。昭和55年に神道夢想流杖心会設立。以降空手、拳法、合気道の師範にも指導。
神道夢想流杖心会 主宰、日本古武道振興会 会員、日本古武道協会 会員、全日本剣道連盟 杖道範士八段、東京都剣道連盟 杖道部会会長。
『道』176号 会見「師につくし 自己を磨き 人を育てる 武術で得た人間哲学」
『道』177号〜 連載「師につくし 自己を磨き 人を育てる」
『自己を磨き 人を育てる
杖心会 http://www.joshinkai.com
松尾綾子 まつお あやこ
大正15年、香川県生まれ。昭和18年、香川県立木田高等女学校卒業。19年、京都女子武道師範養成所天道義塾卒業。山口県立宇部高等女学校、宇部商業高等学校なぎなた講師となる。30年、香川県なぎなた連盟結成に参画。同理事長、全日本なぎなた連盟理事などを歴任。現在、全日本なぎなた連盟審議員、参与、香川県なぎなた連盟副会長。なぎなた範士。
『道』154号 会見「わが身を修める なぎなたへの道」
松田次泰 まつだ つぐやす
昭和23(1948)年北海道北見市生まれ。昭和47年、北海道教育大学特設美術科卒業。昭和48年刀匠高橋次平に入門し、昭和55年作刀承認許可。独立後は綿密なデータ計測や科学的考察から独自の作刀技術を模索。平成8年、日本美術刀剣保存協会会長賞受賞(以後、特賞8回)。平成11年にはロンドンでの個展を開催。平成18年には高松宮記念賞受賞、平成21年、無鑑査に認定。平成27年千葉県無形文化財の保持者に認定。 (無鑑査 = 日本美術刀剣保存協会が主催するコンクールにおいて、特賞を複数回以上受賞して認定される現代刀匠の最高位の一つ) 著書に、『名刀に挑む』(PHP研究所)、『日本刀・松田次泰の世界――和鉄が生んだ文化』(共著 雄山閣)。
『道』195号 対談 「日本刀の美と品格 鎌倉刀再現への挑戦」
松野三枝子 まつの みえこ
宮城県南三陸町在住。1960年のチリ地震では、妹と祖母を亡くす経験をもつ。10年前に末期のスキルス性胃がんで余命ゼロと宣告され、壮絶な闘病生活のなか、東日本大震災で九死に一生を得る。この時、身体に大きな変化が起こり、がんが消滅するという奇跡を体験。以後、津波で帰る場を失った人たちのために、安心して休める場を提供したいとレストラン「松野や」をオープン、現在に至る。
『道』191号 会見「頑張っていれば、もっともっといいことがある!」
真弓定夫 まゆみ さだお
1931年東京生まれ。東京医科歯科大学卒業後、東京と西東京市の佐々病院小児科医長を務めたのち、1974年武蔵野市吉祥寺に真弓小児科医院を開設。
薬を出さない・注射をしない℃ゥ然流の子育てを提唱。
2003年に社会文化功労賞受賞。
『小児科が説く医者いらずクスリいらずの健康法』(清流出版)『子どもは病気を食べている』(家の光協会)など著書多数。
『道』187号 会見「元気な体と心を子供たちへ ヒトとして当たり前に生きる」



【み】
三浦雄一郎 みうら ゆういちろう
1932年に青森に生まれた三浦雄一郎氏が、初めてスキーを始めたのは小学校2年生の時であったと言う。中学生になるとスキー大会で優勝するようになり、高校では全日本スキー選手権大会での滑降競技で入賞、青森県高等学校スキー大会で3年連続個人優勝するなど、スキーヤーとして才能を開花させる。  
北海道大学に進学し、オリンピックを目指すが、アマチュアスキー連盟とのトラブルからプロスキーヤーへと転身。それからはスピードスキーでの世界新記録樹立や、富士山での直滑降、さらにはエベレスト8000m地点からの滑降で世界最高地点からの滑降のギネス記録をつくり、この時の記録映画『THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST』はアカデミー賞を受賞した。  
1985年には世界七大陸最高峰からの滑降をすべて成功させ、プロスキーヤーとして数々のチャレンジを成し遂げた。  
2003年には次男の豪太氏とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヵ月)を樹立し、2008年には75歳で2度目の登頂、2013年には出発直前の心臓手術を乗り越え、80歳7ヵ月で3度目のエベレスト登頂を果たし、世界最高年齢登頂記録を更新した。現在はアドベンチャー・スキーヤーとしてだけでなく、クラーク記念国際高等学校の校長として、教育者としても国際的に活躍中。
  『やめる勇気、やり遂げる心』(PHP研究所)、『歩けば歩くほど人は若返る』(小学館)、『人生はいつも「今」から』(KKロングセラーズ)など著書多数。
『道』196号 対談「できる、やれる! あきらめない身体が示す人間の可能性」
ミウラ・ドルフィンズホームページ http://www.snowdolphins.coM/

ミネハハ 松木美音(まつき みね)
神奈川県出身。清泉小学校、清泉女学院中学・高等学校卒業、フェリス女子短期大学音楽科声楽卒業。 8歳で合唱団に入団。歌の基礎を大学で学ぶ。20余年スタジオミュージシャンとして3000曲以上のCMソングを歌い、「CMソングの女王」としての地位を築く。
1994年にソロヴォーカルMINEHAHAとしてデビュー。MINEHAHAの名は、ネイティヴアメリカンの愛と平和を運ぶ酋長の娘の名に由来し、MINEは水、HAHAは微笑みを意味する。
年間約90本のコンサートと、MINEHAHAワールドの音作りに全力を注いでいる。また2007年からインドでの教育ボランティア活動をスタートし、活動の場を海外にも広げる。2008年9月、アメリカの先住民の聖地デヴィルスタワーにてMINEHAHAの名を正式に授与される。太陽を父に、地球を母として、生きとし生けるすべての命をひとつにつなぐ水。その力と働きを“歌”にと願い名づけられた。
『道』164号 会見「みんな翼をもっている――愛の歌のメッセージ 心をひらき、羽ばたけ命!」

宮城まり子 みやぎ まりこ
1927年、東京生まれ。1955年、「ガード下の靴みがき」で歌手としてデビュー。以降、歌手・女優として活躍。1960年(30歳)、脳性麻痺のこどもの役をやったことで脳性麻痺の子を知る。この当時、身体障害児で家庭にめぐまれないこどもには学校教育と生活の場が与えられておらず、そうしたこどもたちの学ぶ権利のための法律も制度もないことも知り、自身で施設を作ることを決心し、女優業のかたわら、脳性麻痺、自閉症について学びはじめる。1968年、日本初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立。施設内に町の公立学校の分教場が設置され、それによって義務教育を行なっていたが、1979年、養護教育が義務化されたのを機に、私立ねむの木養護学校(小学部・中学部)を設立、3年後には高等部も開校した。
1999年、静岡県浜岡町(現・御前崎市)から掛川市上垂木の山あいに、健康な人と障害をもつ人が助け合いながら生活することのできる福祉・教育の場「ねむの木村」をつくり、ねむの木学園も同地に移転。村は、ねむの木学園を中心に、ガラス工房、生徒の実習室としての喫茶室、雑貨店、ねむの木こども美術館が豊かな緑の中に点在している。また宮城先生の生涯の伴侶であった作家・吉行淳之介氏の文学を後世に伝えるためにつくられた「吉行淳之介文学館」もあり、同館のお茶室では、こどもたちによるお手前がある。どんぐりのような屋根と、こどもたちによる麦の絵に彩られた白壁の「ねむの木こども美術館」には、こどもたちの絵と宮城先生のガラス作品が並ぶ。
自ら監督をつとめた映画『ねむの木の詩がきこえる』はブルーリボン賞ほかを受賞。ペスタロッチ教育賞、児童文化功労賞など受賞歴多数。2004年、東京都名誉都民の顕彰を受ける。『やさしくね ― やさしいことはつよいのよ』(海竜社)、『時々の初心 ねむの木学園の40年』(講談社)など、著書多数。現在、ねむの木学園理事長・園長・校長をつとめる。
『道』160号 会見「ありったけの愛と命をこどもたちへ」
オンライン記事 「ありったけの愛と命をこどもたちへ」

宮澤正義 みやざわ まさよし
1927年、長野市に生まれる。長野県立長野商業学校を卒業、産業能率短期大学修了。長野電鉄勤務、水稲・リンゴ栽培の農業のかたわら、野性生物(日本固有種)および生物環境学の研究に没頭。日本熊森協会顧問。大東流合気柔術師範。著書に『人類の存亡についての提言論文集』『ツキノワグマ日記』『クマと暮らして』『クマは警告する』。日本熊森協会は2006年、絶版となっていた『ツキノワグマ日記』の版権を買い取り、宮澤先生の加筆のうえ完結版として『思い出のツキノワグマ』を緊急出版している。
『道』161号 会見「人間は生態系の一員です 地球人として生きる」

美輪明宏 みわ あきひろ
1935年長崎市生まれ。 国立音大付属高校中退。16歳でプロ歌手としてデビュー。シャンソンを中心にタンゴ・ラテン・ジャズを歌い、銀巴里、日劇やTV、ラジオに出演。1957年「メケメケ」、1966年には自作の「ヨイトマケの唄」が大ヒット。1967年寺山修司主宰天井桟敷旗揚げ公演に参加、『青森県のせむし男』に主演。1968年『黒蜥蜴』主演。1977年『双頭の鷲』で読売演劇大賞優秀賞を受賞。
現在、演劇、コンサート、映画、TV、ラジオ、講演、執筆活動などさまざまな分野で幅広く活躍中。長崎での被爆体験や波乱万丈な体験からくる、人生を語る言葉は、多くの人を勇気づけている。
『道』177号 対談「『心』と『気』で悟る、人間の真実 見えない世界を観る」



【む】
無着成恭 むちゃく せいきょう
1927(昭和2)年、山形県沢泉寺の長男として生まれ、跡継ぎとして厳しく育てられる。師範学校に進み1948(昭和23)年、21歳で同県山元村中学校に赴任。戦後の民主主義教育の実践として展開した「生活綴り方」は後に『山びこ学校』として出版され、全国で大きな反響を呼んだ。
1954年に上京し、駒澤大学仏教学部に学び卒業後、私立明星学園教諭を経て、千葉県香取郡の福泉寺、大分県国東市の泉福寺住職を歴任。
1964年からはTBSラジオ「全国こども電話相談室」の名物回答者として33年間出演した。
第一回斎藤茂吉文化賞受賞(1955年)
第三回正力松太郎賞受賞(1979年)。
『道』189号 会見「人間をつくるとは、真の教育とは  子どもの「なぜ?」に向き合って70年、私の実践教育」
『おっぱい教育論』(2016年11月24日)>

村上和雄 むらかみ かずお
1936年生まれ。奈良県出身。筑波大学名誉教授。京都大学農学部、米国バンダービルト大学医学部等を経て、1978年より筑波大学応用生物化学系教授となり、遺伝子研究に取り組む。 1983年に世界に先がけ、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し、一躍世界的な業績として注目を集める。また、日本がリードしたイネゲノムの解読で、中心的な役割を果たし、成功に導いた。最先端の遺伝子工学の研究から、 「心と遺伝子は繋がっている」ことを究明、2002年に「心と遺伝子研究会」を創設し、人間の持つ可能性を開花させる「遺伝子の目覚めさせ方」を解き明かすくべく研究を進めている。 著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする「魂と遺伝子」の法則』 (致知出版社) 『遺伝子オンで生きる』(サンマーク出版) 『望みはかなうきっとよくなる』(海竜社)など多数。
『道』186号 対談「スーパーサイエンスで迫る 大自然の偉大な働き(サムシング・グレート)」
村上和雄 心と遺伝子研究会 http://mind-gene.com/


【め】


【も】
望月 稔 もちづき みのる
1907年、静岡市に生まれる。1918年、剣道を習う。1924年、徳三宝の研道館道場に入門、柔術玉心流を習う。1926年、講道館に入門。柔道の傍ら嘉納治五郎主宰の古武道研究会に参加、香取神道流など、数々の武道を修行する。1930年、嘉納治五郎の命により植芝盛平に入門。1931年11月、静岡市に養正館道場を開く。1938年、渡蒙。1951年、柔道指導のため渡仏。西側諸国における合気道指導の端緒を開く。1981年、国際武道院合気道十段位。1985年、文部大臣彰受賞。柔道、合気武道、空手、居合道などの要素を総合した武道(養正館武道)を創始。
『合気ニュース』54号、55、71、72号
会見集 『植芝盛平と合気道 第1巻』(1982年、1985年の会見を掲載)

桃井和馬 ももい かずま
1962年生まれ。写真家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、桜美林大学 客員教授。日本写真家協会会員。一般社団法人 多摩循環型エネルギー協会 代表理事。 これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」などを基軸に、独自の切り口で「文明論」を展開している。第32回太陽賞受賞。テレビ、ラジオ出演多数。講演も数多く行なっている。
『道』195号 会見「体験こそが生き抜く力 未来をあきらめない」

森恕 もり はかる
1931年香川県出身。弁護士。1962年7月、久琢磨のもとに入門。1965年6月教授代理。1973年11月8段を授与される。1978年12月、大東流合気柔術琢磨会総務長となり、現在に至る。8年前より総伝1巻から9巻の技の研究を自身が主催する総伝研究会で続けている。創刊30周年記念「友好演武会」(2004年11月)演武師範。
『合気ニュース』110号〜『道』158号 連載「琢磨会に伝わる技法(琢磨会と大東流)」
『合気ニュース』129号 特集「久琢磨と総伝――大阪に伝わる大東流技」                 会見「久琢磨から託された総伝技をまもって」
会見集 『武田惣角と大東流合気柔術』(1988年、1992年の会見を掲載)
琢磨会 http://www.asahi-net.or.jp/~de6s-umi/index.htm

森島健男 もりしま たてお
大正11(1922)年、熊本県生まれ。国士舘専門学校から警視庁に奉職。全日本剣道連盟創立20周年記念全国選抜八段戦優勝。全剣連前副会長。警視庁名誉師範。元警察大学校教授。明治大学剣道部師範。現在、全剣連相談役。剣道範士。
『道』163号 会見「技の剣道から、心・気の剣道へ  日本人を取り戻すために」

森島伸晃 もりしま のぶあき
奈良県立桜井高校教諭。1964年生まれ。天理大学卒。信貴ケ丘高校(現西和清陵高校)、斑鳩高校(現法隆寺国際高校)(2003年、2004年2年連続センバツ出場)を経て、2006年より桜井高校勤務。13年夏には同校を初の甲子園出場に導いた。保健体育科教諭。生徒指導部長。
2005年1月よりUK実践塾代表 宇城憲治氏に師事。
『道』182号 会見「行動が心をつくる 師を映し、自ら気づく学びを」

森山まり子 もりやま まりこ
1948 年兵庫県尼崎市生まれ。1992年、尼崎市立武庫東中学校で理科教師をしている時に、兵庫県のツキノワグマが絶滅の危機に瀕していることを知り、生徒たちとともに保護活動に立ち上がる。そして、戦後の誤った国策により、森が大荒廃し保水力が失われていることを知る。生息地を失った動物たちは、餌を求めて人里に出て来ては、農作物への鳥獣被害を増大させ、農家が悲鳴を上げている。国策の方向転換が必要だと、1997年、国を動かす100万人規模の大自然保護団体をめざして、日本熊森協会を結成。保水力抜群の豊かな森を、全生物と子供たちに残すため、全国を奔走している。
日本熊森協会会長。
『道』158号 対談「命の森の再生に生涯をかけて」前編
『道』159号 対談「命の森の再生に生涯をかけて」後編
対談集 『大河にコップ一杯の水 第2集』
日本熊森協会本部事務所 http://kumamori.org/


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