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 わ行


【わ】
和久田三郎 わくた さぶろう
[参照:天竜]

ワァシリエヴ,ウラジミール Vasiliev, Vladimir
ミカエル・リャブコ(ロシア武術「システマ」をつくる)のトップ弟子の一人であり、1993年にカナダに移住。10年あまりをロシア陸軍の特殊部隊で務めた後、トロントで学校を開き、主としてカナダとアメリカで指導を行なっている。AIKI EXPO 2003参加師範の一人。
『合気ニュース』136号 編集長レポート「ロシア武術・システマと合気道」
『合気ニュース』137号 写真レポート「ロシアの合気・システマ」
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』(参加師範の一人)

若杉友子 わかすぎ ともこ
食養家 1937年大分県生まれ。結婚後、静岡市で暮らしていた時に、川の水の汚れを減らす石けん運動などのさまざま なボランティア活動を行なう。そのなかで、自然の野草のチカラに着目。食養を世に広めた桜沢如一の教えを学び、198 9年、静岡市内に「命と暮らしを考える店・若杉」をオープン。そこで開いた料理教室は、またたく間に大人気となった。 1995年、自給自足の生活を実践すべく、京都府綾部市の上林地区に移住。全国を駆けめぐり陰陽の考え方にもとづいた 野草料理と、日本の気候風土に根ざした知恵を伝え続けている。 2015年、綾部を離れ、生まれ故郷の大分へ移住。
著書に「若杉友子の野草料理教室」(ふーよよ企画)、「野草の力をいただいて〜若杉ばあちゃん食養のおしえ」(五月書 房)、「体温を上げる料理教室」(致知出版社)、「これを食べれば医者はいらない」(祥伝社)、「子宮を温める健康法 」(WAVE出版)、「長生きしたけりゃ肉は食べるな」(幻冬舎)など多数。
『道』198号 会見「自然の力を命の力に 生き抜く知恵食養を伝え続ける」

ワグナー・ナンドール 和久奈 南都留
1922年ハンガリー生まれ。幼少の頃、祖父から『武士道』、父からは『老子』を手渡され、東洋の思想に深い影響を受ける。1940年ブダペスト国立美術大学入学、彫刻を専攻。41年に第二次大戦に志願し数々の戦功をたてる。戦後はハンガリーの博物館の設計、改築、新築や、彫刻の制作活動に打ち込む。1956年のハンガリー動乱の際に反政府運動のリーダーの一人として活躍し、以後、ソ連共産党に追われスウェーデンに亡命。スウェーデンで秋山ちよ氏と出会い、1966年再婚。1969年に日本に移り住み、栃木県益子町にアトリエを構えた。1945年日本国へ帰化し、以後数々の多彩な創作活動を行なった。1977年に制作を開始した「哲学の庭」は1994年に完成。1997年に75歳で永眠。
夫人 和久奈ちよがワグナー・ナンドール記念財団 理事を務めている。
『道』178号 和久奈ちよ 会見「人類の進歩と平和への道を示す彫刻家 ワグナー・ナンドール」
公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団(ワグナー・ナンドール・アートギャラリー) http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html

渡辺正 わたなべ しょう
1922(大正11)年7月山梨県生まれ。1945年北海道大学医学部を卒業。医学博士。1957年、東京・東中野に渡辺医院を開業。西医学を取り入れた治療を続け、現在に至る。現在、渡辺医院院長、西医学研究所所長、西医学司教会会長。著書に『西医学による現代病への挑戦』『顔、体、手相による自己診断』『医薬のいらない治療法』『自分でわかる病気の原因・症状・手当法』『難病治療の実際』(いずれも光和堂)、『医薬にたよらない健康法』(農山漁村文化協会)がある。合気道は1959年頃に合気会本部道場に入会。現在、財団法人合気会監事、合気道7段。開祖・植芝盛平翁も渡辺医院に来院し、診察を受けたことがある。
『合気ニュース』117号 特集「合気道と西式健康法」合気道と西式健康法を聞く   西式健康法――誰でもできる6大法則」

渡辺弘 わたなべ ひろし
1931年、東京都出身。中央大学法学部卒業
1954年、防衛庁入庁。1957年、合気会入会。1961年、発起人の一人として防衛庁合気道連合会創設、現在同会相談役。
1991年、防衛庁退官
1996年、防衛を支える会入会、同会常任理事。
『合気ニュース』127号 会見「植芝大先生の「かえりみる」を心に刻んで」
オンライン記事 会見「植芝大先生の「かえりみる」を心に刻んで」

渡邊曙光 わたなべ しょこう (画家 鱸 光雅)
1948年、東京築地に生まれる。アメリカ、キューバに渡った渡辺映三を祖父に、西洋の摩訶不思議なオブジェを見ながら少年期に至る。
1968年、中川三郎ダンス・スタジオ企画ゴーゴーダンスコンテスト優勝後、同ダンス教室専属ゴーゴー講師として次々にオリジナルステップを開発、香港に招聘さる。1969年、創作舞踏家「サタン」としてデビュー。
1971年、日本大学芸術学部美術学科卒業後、渡仏。ヨーローッパ各地を放浪。スペイン・カダケスにサルヴァドール・ダリを訪問。以後、パリに定着。 画家「MITSU-MASSA」としてのデビュー。 1978年、合気道を始める(元パリ合気会)。 自己の絵の行方をアイキアートと確信。1980年帰国後、イベント「絵画と音楽による心象世界の旅」広尾・クリーズ・クリークにて視覚、聴覚の融合を試みる。1986年、合気道研究会「月照院」を代々木八幡に開設。以降、アイキアート作品の発表の場は多角的環境へと発展する。
1998年、フランス全国講習会:(財)合気会・西尾昭二師範のアシスタントとしてF・F・A・A・Aより招聘さる。
1999年、アトリエ道場「猿田彦」にて闇稽古を開始。2002年、総合藝術としての道場「猿田彦」をインドネシアに建設。
(財)合気会6段。(財)養神会3段。天道流合気道3段。(財)全日本剣道連盟杖道3段。
『合気ニュース』120号  会見「キャンバスに合気道を描く アイキアートの世界」
『合気ニュース』136号 会見「渡邊曙光の合気行脚 抽象から具象の世界へ」


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