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 は行


【は】
羽賀準一 はが じゅんいち
広島県出身。剣豪・中山博道の高弟の一人で有名な居合及び剣道家。有信館三羽鴉の一人として知られている。植芝盛平と親交があった。
実弟、羽賀忠利(はが ただとし)
『植芝盛平と合気道 第2巻』(居合演武を収録)

羽賀忠利  はが ただとし
大正6年、広島県生まれ。昭和7年、上京し(旧制)国士舘中学に入学。12年、国士舘専門学校に進み、斎村五郎をはじめ、小野十生、岡野亦一、小城満睦、小川忠太郎、大島治喜太などの指導を受ける。同校卒業後、国士舘中学、中野学園中学、芝商業などで指導。太平洋戦争が始まり、予科練の剣道教師として三重海軍航空隊に奉職。昭和28年、静岡県警察本部に入り、49年まで剣道師範を務める。全日本剣道連盟、全日本剣道道場連盟、静岡県剣道連盟などの役員を歴任。静岡県警剣道名誉師範。44年、剣道八段、50年、範士。52年、居合道八段、59年、範士
『道』151号 会見「子供の心に焼きつく手本となれ」
オンライン記事 「子供の心に焼きつく手本となれ

畠山重篤 はたけやま  しげあつ
1943年中国上海生まれ。NPO法人「森は海の恋人」代表。京都大学フィールド科学教育研究センター社会連携教授。日本ペンクラブ会員。平成元年より漁師による広葉樹の植林活動「森は海の恋人」運動を始め現在も活動を続けている。 著書に、『漁師さんの森作り』(文春新書)、『鉄は魔法使い』(小学館)、『鉄で海がよみがえる』(文芸春秋)、『森は海の恋人』(文春文庫)ほか、多数。龍村仁監督の最新作、映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー) 』第8番に出演。
『道』184号 対談「人の心に樹を植え、命を育む 海・山・川・里の循環が教えてくれること」
 http://www.mori-umi.org/

花輪英三 はなわ えいぞう
1961年生まれ。父・次郎が補導委託先として少年たちを家庭に迎え入れていたため、子供の頃から少年が回復する姿を見て育つ。1984年、立正大学哲学科卒、少年院に奉職。しかし少年の回復には家庭的な処遇が大切との考えから、1988年、少年院を退職して学園の後継者となることを決意。1998年、結婚、3人の子供に恵まれ、現在夫婦ともども後継者として少年たちと共に暮らす生活に専念。神奈川県社会福祉協議会会員。立教大学社会福祉研究所所員。日本犯罪心理学会会員。仏教慈徳学園 園長。
『道』173号 会見「非行少年を家庭の愛で育て直す」

浜園重義 はまぞの しげよし
大正12年(1923)11月25日生〜2012年2月5日。
昭和17年(1942)
 5月 佐世保相浦海兵団
 8月 丙種特11期飛行訓練生として岩国航空隊
 10月 28期飛行訓練生として高雄航空隊
昭和18年
 4月 台南航空隊
 9月 第28期飛行練習生艦上爆撃機操縦専修課程修了
 10月 伯航空隊
 11月 582航空隊(ラバウル基地)
昭和19年
 3月 301空(トラック島)
 5月 宇佐航空隊
 6月 653空(空母千歳)
 12月  K501空(比島)
昭和20年(1945)
 2月 百里ヶ原航空隊
 8月  終戦
終戦後は警察予備隊、海上警備隊、海上自衛隊を経て、 昭和48年(1973)海上自衛隊を定年退職。以後漁業にたずさわる。
『道』145号 対談「人間は努力です」
対談集『大河にコップ一杯の水 第1集』

原田要 はらだ かなめ
大正5年(1916)、長野生まれ。昭和8年、海軍に志願し、昭和12年操縦練習生を首席で卒業し海軍戦闘機パイロットとなる。支那事変からパールハーバー、ミッドウエー、ガダルカナル、そして終戦までの大半を零戦パイロットとして戦い抜いた。終戦後は職を転々としたあと幼稚園の経営を開始。平成22年に園長を退いたあとも、子供たちと触れ合うのを日課とし、また各地で戦争の悲惨さと、平和の大切さを語り継ぐ講演活動を続けている。2014年8月で98歳。最後の零戦パイロット。2016年5月3日逝去。
『道』180号 会見「最後の零戦パイロット ―― 命をかけた 平和を守り抜くために」


【ひ】
引土道雄 ひきつち みちお
1923(大正12)年7月14日〜2004年2月2日。和歌山県出身。和歌山県新宮にある熊野塾道場長。1950年代初期に合気道を始める。生前、開祖・植芝盛平より非公式に10段を授かったと言われている。アメリカ、フランスなどを中心に海外でも多く指導している。享年80歳。
『合気ニュース』135号 クリント・ジョージ合気会6段会見「鋭く、そして自然体で――引土道雄先生から学んだこと」

久琢磨 ひさ たくま
1895(明治28)年〜1980(昭和55)年。四国、高知県出身。1915年苦学して神戸高商(現神戸大学)に入学し相撲部主将として活躍した。1919年卒業後神戸で就職するが、1927年神戸高商の先輩石井光次郎の紹介で朝日新聞東京本社に入社した。1934年大阪朝日の庶務部長の重職に就く。
石井の紹介で東京の植芝盛平を招き師事。(当時は大日本旭流柔術と称す)1936年6月、武田惣角が来阪し夏頃から大阪朝日の別館道場で指導を受けることになり、1939年まで大東流合気柔術の指導を受ける。
1937年に教授代理を、1939年3月には大東流合気柔術免許皆伝を惣角より許され、大東流合気柔術の著名な指導者の一人となった。
1959年10月、大阪に関西合気道倶楽部を開設し、武田、植芝両師より伝えられた技法を合わせて普及。
1961年秋に脳卒中で倒れ回復不能とまで言われたが強靭な意志力で克服した。1975年4月、久の直結団体が連結して琢磨会を結成した。久は、当時教授されていた大東流の技を写真と共に、一連の練習用技術書として出版している(11巻)。1〜6巻までは植芝盛平から学んだ技、7〜9巻は武田惣角に学んだ技、10、11巻には警察護身術が記されている。(大東流合気柔術総伝11巻)その他多くの著書がある。
『合気ニュース』129号 特集「特集 久琢磨と総伝」
会見集『武田惣角と大東流合気柔術』(1979年の会見を掲載)
オンライン記事 特集「特集 久琢磨と総伝」

肥田舜太郎 ひだ しゅんたろう
1917年、広島市生まれ。医師。1943年、日本大学専門部医学科卒業。1945年8月6日、原爆被爆。直後から被爆者救援・治療にあたり、2009年の引退まで被爆者の診察を続ける。1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計30数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語りつつ、核兵器廃絶を訴える。アメリカの低線量放射線被曝に関する研究書等を翻訳、普及にも努め、内部被曝の脅威を訴え続ける。2017年3月20日逝去。
『道』170号 対談「この命を守り抜く 被爆医師 66年の戦い」

日野原重明 ひのはら しげあき
明治44年山口県生まれ。京都大学医学部卒。聖路加国際病院理事長、同名誉院長、聖路加看護大学理事長、同名誉学長。10歳の時に腎臓炎を患い、また大学生の頃には結核を患って長く病床についた経験が、患者の心に寄り添える医師としての基盤となる。終末医療の普及や医学、看護教育の刷新に力をそそぐ。平成12年には「75歳以上」の新しい生き方を提唱する「新老人の会」をたちあげる。平成17年文化勲章受章。著書に『死をどう生きたか』(中公新書)、『生きかた上手』(ユーリーグ)、『十歳のきみへ』(富士房インターナショナル)ほか、多数。2017年7月18日逝去。
『道』156号 会見「あなたが歩んでいる時間 それがあなたの"いのち"です」
オンライン記事 「あなたが歩んでいる時間 それがあなたの"いのち"です

平井稔 ひらい みのる
1903(明治36)年〜1998年10月16日岡山県に生まれ、1914年から養父より東軍流を学び、1918年には大日本武徳会本部教授の奥村二刀流、奥村左源太寅吉道場に入門、終生の師とした。その後も竹内流(柔術)、起倒流(柔術)、佐分利流(鎗術)など他流派との交流をもちながら修業した。
1938年、岡山市に創設した「恒河洞」を拠点として本格的に活動を開始。兵法と処世の道との関連性を説き、処世兵学の「柔」を提唱。1939年岡山市で植芝盛平と出会い、のちに誘われて皇武館道場の総務として盛平を助けた。戦時下の1942年、大日本武徳会に実戦総合武道としての合気道部門があらたに創設されることになり幹事に任命。氏は剣の基本は「柔」にあるとの考えに基づいた独自の「体捌き」の原形をまとめ、これが大日本武徳会合気道部門制定の大きな基礎となった。のちにこれは道場光輪洞に引き継がれた。
1945年、静岡県に「光輪洞」を創設。1947年には岡山市の「恒河洞」を排し「光輪洞」を創設。1953年、東京に「光輪洞」を創設。1954年にはこれら三道場を統合して日本光輪会を結成した。
武道以外の分野でも活躍しており、1945年8月の、いわゆる終戦処理内閣といわれる東久邇宮内閣では、内閣嘱託に任命されている。光輪洞合気道は平井氏が独自に到達した「体捌き」を母体とし、無手の場合は体術、剣を持てば剣術、杖を持てば杖術、槍を持てば槍術と、それぞれが自由に使いこなせる母体武道である。またその理想は、円転無窮、円和一元、春風の如く自然心としての柔の思いがそのまま顕現されることにあるという。
会見集『植芝盛平と合気道 第2巻』
『合気ニュース』100号 会見「自然心としての柔の体現『体捌き』を語る」

平川一臣 ひらかわ かずおみ
自然地理学者。理学博士。1947年、愛知県生まれ。北海道大学大学院地球環境科学研究院教授。2012年3月で退職。地形、地質、地殻変動、古津波などを研究。従来の大がかりな調査方法とは異なり、巨大津波をスコップ一本で読み取る独自の方法をあみ出した。第28次南極観測隊参加を機に始めたランニングは、各種大会に出場するほど本格的。
『道』172号 会見「3.11巨大津波 自然が教える事実に学ぶ」

平賀佐和子 ひらが さわこ
1936(昭和11)年、広島県生まれ。9歳の時、爆心地から 2キロで直射被爆。母の手当てと梅干で助かる。広島大学教育学部に進み、物理学を専攻。卒業後は高校で教鞭を取り、後に夫となる平賀一弘氏(理学博士)と出会い、玄米食を知る。マクロビオティック創始者・桜沢如一氏の講演を聴き、玄米菜食を実践。その後、結婚して7人の子供に恵まれ、夫とともに玄米菜食の普及運動を行なう。著書に『自然食あらかると』(新泉社)がある。 1968年 皆実(みなみ)CI協会を設立。
『道』191号 会見「3.11巨大津波 自然が教える事実に学ぶ」



【ふ】
藤田昌武 ふじた まさたけ
昭和12年4月21日、旧満州国新京市生まれ。昭和23年に北海道札幌市へ引き揚げる。昭和31年に拓殖大学に入学。同年11月に合気会本部道場に入門。大学卒業後は(財)新生活運動協会に7年間勤め、昭和42年4月より(財)合気会事務局にはいる。合気道8段。
『合気ニュース』124号 会見「合気道――「無刀の位」からの出発」
オンライン記事 会見「合気道――「無刀の位」からの出発」

藤野圭江 ふじの たまえ
1943年、東京杉並に、剣道専門道場 大義塾 初代塾長 中村藤吉の娘として生まれる。大義塾世田谷支部の指導者を務め、子供たちや、お母さんたちの稽古「母剣」などを指導している。全日本女子剣道選手権大会 準優勝。全国家庭婦人剣道大会 優秀。全日本剣道連盟 剣道教士七段。
『道』169号 会見「子供たちとともに 人生真剣勝負!」

二木謙三 ふたき けんぞう
1873年〜1966年。医学博士。戦前の植芝盛平の弟子。禊会を主宰。玄米博士としても知られた。

船橋薫 ふなはし かおる
1913年頃〜1940年頃。大本信者。1931年、皇武館道場に入門。植芝盛平の縁戚にあたる。小柄ながら内弟子のなかでは目立った存在であり、その受身技は有名だった。『武道練習』の挿絵のモデルの一人。
竹田道場をはじめ武道宣揚会支部での指導助手として活躍した。1935年前後大阪で指導を行なうが、それ以降の活動については知られていない。1940年頃、結核のため死去。

船橋康貴 ふなはし やすき
養蜂家、環境活動家。1960年名古屋市生まれ。中京大学文学部心理学科卒。経済産業省産業構造審議会専門委員。名古屋工業大学非常勤講師、日本福祉大学講師歴任。省エネルギー普及指導員。愛知県地球温暖化防止活動推進員。 世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。
『道』190号 会見「ミツバチが教えてくれた幸せの仕組み」
『道』193号〜 連載「ミツバチが教えてくれること」
一般社団法人ハニーファーム http://honeyfarm.jp/

プラニン、スタンレー Pranin,Stanley 
1945年 アメリカ・カリフォルニア州、サンペドロに生まれる。
1968年 カリフォルニア大学(UCLA)にて修士号取得。
1962年 高校の時に合気道を始め、1965年に初段取得。その後、十数年にわたり北カリフォルニア、南カリフォルニア、エチオピアの各地で合気道を指導。
現在5段。
1974年 カリフォルニアにて英語版『合気ニュース』を創刊。
1977年 日本に移住。『合気ニュース』を日英版とする。
1990年 『合気ニュース』を英語版、日本語版に分けて出版。
2001年 英語版『合気ニュース』(『Aikido Journal』)をメールマガジンとする。読者数は1万人を超すようになった。
武道交流の祭典「AIKI EXPO」を主催。2005年季刊誌『合気ニュース』編集長を退き、インターネットマガジン『Aikido Journal』編集長として現在に至る。アメリカ、ネバダ州ラスベガス在住。2017年3月7日逝去。
毎号、論説を『合気ニュース』に執筆
140号 特集「戦後の合気道復興の原動力」前編
141号 特集「戦後の合気道復興の原動力」後編
142号 特集『開祖の残した合気道』 「合気道の原点に学ぶ」
140号〜142号 「『合気ニュース』創刊30周年に思うこと」
Aikido Journal http://www.aikidojournal.com



【へ】
ヘンドリックス、パトリシア Hendricks,Patricia
1956年生まれ 合気会6段。故斉藤守弘師範の古参弟子のひとり。Expo2001参加師範。
『AIKI EXPO 2002 ハイライト版』
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 講習会編2』
『合気ニュース』 135号「国籍も男女の壁も越えた斉藤先生の合気道」
オンライン記事 「国籍も男女の壁も越えた斉藤先生の合気道


【ほ】
蓬莱キリスト教会 ほうらい キリストきょうかい
『道』176号 現地取材「つながりのなかでこそ、人は生きられる」
蓬莱キリスト教会 http://houraichurch.com/homu.html

堀川幸道 (幸太郎)ほりかわ こうどう
1894(明治27)年4月10日〜1980(昭和55)年10月30日。北海道北見枝幸に生まれる。堀川泰宗の長男。青年の頃から父より柔術を学び、1914年5月12日、20才で大東流に入門し武田惣角に師事、1931年1月に秘伝目録、同年6月には秘伝奥儀目録、同年10月、37才の時に師範を許された。1950年、北見市に大東流幸道会を設立した。他界するまで北見において長年大東流を指導する。
会見集『武田惣角と大東流合気柔術』 (堀川師の高弟の会見掲載)

堀川泰宗 ほりかわ たいそう
岩手県盛岡出身。堀川幸道の父。北見で砂金山、旅館などを経営し、旧湧別村の村会議員も務めた。柔術は渋川流を修めていた。大正元年に武田惣角に出会い入門、大東流合気柔術を修業した。

本間学 ほんま まなぶ
1976年、合気道の社会的役割を考え、その実践を行なう団体としてアメリカ、デンバーに発足した非営利団体「日本館」。4千坪を越える敷地は大道場、レストラン、日本庭園、民具展示室などを擁する。日本館が行なう活動は、流派や団体にこだわらない合気道の指導はもちろんのこと、ホームレスへの食事提供、モンゴルやブラジルでの孤児救済、レストラン経営等々と幅広い。まさに「行動する合気道」を地でいく活動ぶりである。本年2月、来日した日本館創始者・本間学師範にお話を伺った。
『合気ニュース』 137号「合気道の社会への実践を目指して」
『AIKI EXPO 2003 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2003 講習会編2』
『AIKI EXPO 2005 友好演武会編』
『AIKI EXPO 2005 講習会編2』
オンライン記事 「合気道の社会への実践を目指して


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