2019年 名古屋 第5回 (2019.10.9)

礼には、目先の「勝ち負けを超越した世界」があるのだと学ばせていただきました
                                           愛知 教員 46歳 男性 TK

 毎回、同塾に向かう道中の中では、私自身の心、思考をリセットして、ゼロ化して臨むようにしてます。それは、宇城先生の教えを、私の体にすんなりと入れるためなのです。

今回も、電車の中、歩いているとき、目を開けたままですが、黙想をしている状態とほぼ同じような呼吸、リラックスして向かいました。
 宇城先生の教えの次元が高いので、自分を捨てる、放り投げるような感覚にならないと、そこに溶け込むことができないと考えているからです。

 さて、今回も改めて学ばせていただいたことは、「礼」の重要性です。
 先生の指名によって、私が参加させていただいた「礼をしたグループとガッツポーズをしたグループで棒を3人ずつ双方で引っ張り合う」のでは、明らかに礼をしたグループの方が強いのです。

 私らが最初にガッツポーズをしましたが、その瞬間、負けが予測できました。
 なぜなら、ガッツポーズした腕と体と心がばらばらになっていることをすごく感じたからです。
 一方、礼をして臨んだときは、重心が下に落ち、礼の所作と体と心が一致していることを感じながら、棒を手にしたときも棒と一体になっているような感じがしました。明らかに大きな違いです。

 礼には、目先の「勝ち負けを超越した世界」があるのだと学ばせていただきました。(※江戸時代の武士は、それを既に体と心で知っていたんですね。)
 宇城先生がよくおっしゃってみえる、次元が違う(高い)ことがよく分かります。

 私事ですが、来たる11月29日には、剣道 最年少八段となる審査へ向かいます。
 宇城先生の書籍を読むことで(これも稽古だと思ってます)、さらに思考を深め、竹刀で打った、打たれたを超越した世界を見据えて取り組んできます。
 この度も大きな気づきをくださり、ありがとうございました。 

 

これからもつらくても、厳しくても「できない自分」と向き合う   岐阜 教員 39歳 男性 KK

 宇城先生からの学びは、学校や会社や家庭における学びとは全く異なるもので、私たちが「ごく一般的」に暮らしている限りにおいては、得ることのできない学びです。
 学びの先にある「変化した自分」の姿は、通常の一般的な学びではその場、その瞬間において感じることができません。頭で考えて、これこれこうだから、こうなる(はずだ)という想像、想定をすることが精一杯です。ですが、宇城先生からの学びは、その場で「できる自分」(=力を発揮できる自分=成長した自分)を感じることができます。
 一瞬のうちに、人を倒す力が出せるようになったり、人と一体になって何人もの列を押せるようになったりします。そこに「感動」があります。身体のなかに眠っている自分と出会う喜び、自分にもできるんだという希望。

 しかし、宇城先生が気を外すとたちまちできない自分に逆戻りです。私はこの「できない自分」と向き合うことこそが本当に大切なんだと思います。

 宇城先生のもとで「できる自分」を感じさせていただくと、あたかも何の苦労もなく「できる」かのような錯覚に陥ってしまいます。もちろんそういう「できる力」が自分の中に眠っていることは大きな希望です。ですが、それはあくまで宇城先生によってそのことに気づかせていただいているにすぎず、それを発揮するためには「なぜできないのか」に目を向けて、自分自身と向き合っていかなくてはいけないです。そのために日常において自分が何をするか、どうしていくか、そのことこそが学びの本質なのではないかと感じます。 

 日常に戻ると嫌でも「できない自分」「情けない自分」と向き合わされます。そんなとき、宇城先生に学んでいることに逃げ込みたくなってしまうことがあります。自分が現状ではなにもできない存在でも、宇城先生とわずかでも時間と空間を共有させていただいて、自分が「できる」ということを感じられることで、現状の自分との「ギャップ」がどんどん大きくなっていきます。そこにこそ目を向けていかなくてはいけないのに、宇城先生に依存した状態に陥る危険もあるのではないかと思うのです。

 「できない」ことに目を向けられない(現状の自分を受け入れられない)のならば、いつまでたっても変わらないですし、自分の心も体も外に向かって開いてはいかないです。現状の自分を受け入れることは、かつて自分が考えていたよりも厳しいものでした。本当の意味で謙虚に暮らしたり、学んだり、仕事をしていくことは、本当に厳しいことだと実感しています。

 横着で、自己中心的な自分と毎日向き合わなくてはいけません。いつまでたっても甘えている自分、言い訳をする自分。そのことで誰かを不幸にしたり、自分自身を不幸に追い込んだり…。そんなことも自分では気づかないうちに起こっているのかもしれません。 

 先生のおっしゃる「一人革命」の意味は私が考えるよりももっともっと深いところにあるのではないかと思います。これからもつらくても、厳しくても「できない自分」と向き合っていかなくては…と思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。 いつも本当にありがとうございます。 

 

気はそれほど大きな力を持っているということを
体験を通して気付かせていただきました
   岐阜 理学療法士 34歳 男性 SY

 ご指導いただきありがとうございました。
 今回のご指導の中のひとつで、スクラムを組んだ数人のうちの一人でも違う方を向いたり、違うことを考えるだけで集団が弱くなるということを体験させていただきました。このご指導の中で特に感動したことは、スクラムを組んだうちの一人が違う方を向いたり、違うことを考えているだけで集団として弱くなってしまうのに対して、気を通された状態では同じように違う方を向いたり考えたりしていても集団は強くなるということです。

 組織は人の集まりであり、一人一人にそれぞれの事情や悩み、考え事があるということはどのような組織でも常に起こっている事であると思います。
 今回の体験で学ばせていただいた重要なことは、それら全てを気によって包むことができ、集団を前進させる力を与えられるという事実ではないかと感じました。これが気による時空の広がりであり、気はそれほど大きな力を持っているということを体験を通して気付かせていただきました。同時に、そういったことができる人間になりたいという希望を与えていただきました。

 宇城先生の著書に座波先生のお言葉としてご紹介されている「一定期間内にあるところまで伸びない人は、時間を無駄に使っている。一生かかっても伸びないぞ」という一文は、自分のことを言われていると思っております。

 先生にお話しいただく、学びと気づきを普段の生活に落とし込まないといけないという言葉を胸に、常に人として成長したいと思っております。
 今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。ありがとうございました。