2019年 名古屋 第2回 (2019.3.13)

今の環境でもう一度初心に戻り、鍛えなおしたい   岐阜 教員 39歳 男性 KK

 これまで先生のご指導をいかに頭で(部分体で)受けていたのかを痛感した時間でした。頭で理解し、分かった気になって、心が閉じ、横着になっていました。先生は私に今の職場に移ってからだめになった、とおっしゃってくださいましたが、本当は今の職場に移るもっと前からだめになっていたのだと思います。
 先生が「自分が気付かないだけで、それを招いたのは自分だ。自分がそう望んでいたんだ」とおっしゃった言葉がようやく腑に落ちます。身体を通した実践を抜きにして、頭で考え、頭で理解し、頭で解決しようとし、そして分かった気になっていました。そんなことが何年も続いていました。まさに部分体、死に体。

 ですから、不本意だと思える現状も自分が招いたことということですし、こういった現状で戦うこともできず、覚悟も決まらず、無責任な仕事しかできないということがとてもよく分かります。そのことが先週まで分かりませんでした。

 立場や肩書なのではなく、身体を通した自分自身を作らなければいけないということでしょうか。私は今の立場ではなく、学校の現場に戻れば、もしくは仕事を辞めさえすれば自分を取り戻せると考えていました。しかしそうではないです。今の私は教育委員会にいようが、学校にいようが、仕事を辞めようが、何をしてもだめだったでしょう。自分がなく、他者依存、忖度でしか生きられない自分で一体何ができるでしょうか。

 「対立」という概念をひとつとっても私は頭を通した知識しかもっていないことに気付きました。いわゆる「衝突」だけが対立なのではなく、他に対して心を閉ざすこと、一線を引くこと、そのあげくのはてに孤立し、組織に隷属すること、これらはすべて「対立」「部分体」なのではないかと感じました。うまく言えませんが、名古屋の道塾の空間では先生の存在で空間の「対立」が消え、言葉や理屈を超えた一体感がありました。それを体の芯から感じることができました。

 私は今まで、こういう空間の中でさえ自身の頭の中で孤立していたのではないかと思います。自分ではあれやこれやと一生懸命考えているつもりでしたが、知らぬ間に対立し、悶々と楽しめず、きっと表情や体から「暗さ」がにじみ出ていたことだろうと思い返しぞっとしています。そんな私ですから、仕事で、家庭で、周囲にいい影響を与えることなどできるはずもありません。今こうして文章を書きながら、これまでの些細な出来事の数々がすべて自分が引き起こしてきたのだろうとつながっていきます。

 まずは身体を作ること。明るく過ごすこと。 仕事や人生に目的が生まれてこない、何のために?が見えてこない、これは私の身体を通したエネルギーがないからです。目的があるからエネルギーが湧くのではなく、エネルギーが目的を生むのではないでしょうか。

 もう一度一からやり直します。今の環境でもう一度初心に戻り、鍛えなおしたいと思います。いつも本当にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。

 

簡単な所作一つで健康になれることを実感   愛知 看護師 37歳 女性 MI

 今日も道塾参加させていただきありがとうございました!
 実践では、形という部分で手のひらを上に向ける形をとっただけで手から身体からじんわり暖かくなってくのをすごく感じました。

 礼をする意識をしただけでもぽかぽかしてきたのにも驚きましたが、簡単な所作一つで健康になれることを実感しました。
 お腹の子もぽかぽか血流が良くなったせいか終わる頃には、元気に動き回りだしました。

 道塾に通いだして家では夫と正座で過ごすようにしていたら、もうすぐ2歳になる長男も椅子の上でも保育園で遊ぶ時も正座でいつのまにか過ごすようになってました。これからも少しずつ家でできることを増やして気を高めて気を遣える人間になっていきたいです。
 次の呼吸法も待ち遠しいです。今日も本当にありがとうございました。