季刊『道』 181号(2014年夏)
『道』181号 [詳細・購入ページ]
どの記事も読み応えたっぷりの素晴らしい内容でしたが、中でも柴田秋雄さんの記事は本当にこんなことがあったのかと衝撃を受けました。会社の危機の際は従業員が自分たちから給料カットを申し出たり、食中毒事件では仕入れ業者が助けてくれたり、まるでホテルを舞台にしたドラマの脚本を読んでいるかのようです。従業員みんなでどうしたらお客様に喜んでもらえるかを主体的に考え実行に移すという日々の積み重ねが数々の奇跡を生み出したのだと思います。従業員からの申し出で100人以上の帰宅難民を一晩受け入れ無事送り出したあとに「いい事ができた」と従業員が泣き出したという話にも胸が熱くなりました。人は誰でも、誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたいという気持ちがあると思いますが、それを見事に開花させることができたのは柴田さんのお人柄だと思います。
季刊『道』最新号の宇城先生と菅原文太さんとの対談を拝見しました。文太さんが話された、文太さんの子供の頃のお話などから、今の日本が本当に再生の難しい状況になっていることに改めて気づかして頂きました。日本は落ちるところまで落ちて、そこから立ち上がれというメッセージはとても厳しいお言葉ですが、あきらめずに再生していきたいと思います。
柴田秋雄氏のインタビュー記事、とにかく泣けました。電車内で「道」を読んでいたのですが、直ぐにドラマチックなホテル再生の物語に引き込まれ、災害や災難などの逆境を神様がくれたプレゼントとして受け止め、真摯に対応していく柴田氏や従業員の皆さんの思い、それに応じた人たちの行動に涙が止まりませんでした。今のご時勢、豊富な資金、ゆとりのある準備期間など恵まれた条件で仕事ができることは稀だと思いますが、従業員一人ひとりの心に火をつけ、また、その一人ひとりが具体的に実践していき、結果を出されている点に感銘を受けました。正に一人革命の好例であり、自分も何かできるかもという勇気、元気がいただける記事をありがとうございました。
アソシア志友館理事長 柴田秋雄氏のインタビューを読んで、心で動くことの大切さを知りました。心で動けば今ある前提条件が覆されて物事が転がり出すのだということに勇気をいただきました。心から動き、エネルギーが動き出せば人は引き寄せられてお客さんも来るようになるのだと思います。私もその様に働こうと心に誓いました。
道181号 菅原文太さん「日本は一度滅びた方がいいかもしれない、そしてそこから立ち上がれる人が立ち上がるべき」そう語る菅原文太さんからは「人間の力を忘れとらんかね」菅原さんの厳しくも暖かい男心が伝わってきました。「私も立ち上がれるひとりとなります」そう叫びたい気持ちになりました。
菅原文太さんは、「仁義なき戦い」や「トラック野郎」のイメージが強くありますが、最近は自然農法を実践されているというイメージも浸透しつつあるような気がします。今回の対談では、先生と同様、日本人が「自分たちが本来持っている良いところ(文化)」を捨て去り、いい加減な方向にしか向かっていかない横着さに対する怒りと叱咤激励のメッセージが込められているように感じました。「日本は落ちるところまで落ちた方がいいのではないか?」という言葉は、一つは本心から、そして、もう一つは「もういい加減に目を覚ましてくれないか?」というメッセージだと受け取りました。大切な何かに気付いた先達が、私たちにメッセージを送ってくださっていることに気づかなければいけないと感じました。そして、気づいたら行動に移す。つまり自分自身が変化成長していくことが大切であると感じました。
道最新号での塾長と菅原文太さんの対談を読んで、日本の戦後復興の歩みは近代化、合理化、学校教育の普及がなされて世界トップ水準の経済大国となりましたが、その弊害=心の貧しさ、弱さ、想像力の欠如ということも多く感じられるようになりました。菅原さんは一回日本を解体した方がいいのではと仰っておりますが、悲しい事ですが、その域まで来てしまっていると感じてなりません。平和ボケによる危機感の無さ、心なしの個人主義の立ち居振る舞いはひとを弱くし国家までもが破滅してしまう事になるのだろうなと感じました。
佐藤安大さんのお話を読んで、なんと立派なしっかりとした人生を送ってきた人なのだろうと思いました。私は今、23歳なのですが、自分の将来の生活や特に職業について悩むことが多いです。現在は医療系の専門学校に入り、1年生として勉強を始めましたが、実はいろいろ世の中のこと、世界のことや日本のことなど、少しずつ知識を増やしていくにつれて、理解できないことも増えていき、今の自分のやっていることは、意味のあることなのだろうかと、自分が仕事をするのは、もちろん、自分の生活を支えるためでもあるが、社会にとって必要なことであるだろうかと考えてしまい、自分の行動、自分の選択に対して、疑心暗鬼になっている期間を長いこと続けてきました。
そんな中、佐藤さんの人生についてのお話を読ませていただき、ブレることのない、しっかりとした芯をもつことの大切さを感じました。佐藤さんは、常に原理原則を捉えて、誠実、創造性、戦略の三つの柱で会社を経営してきたが故に、人に信頼され、かつお客様を満足させ続けることができたのだと思います。私は今自分の身近な人たちとあまり馴染めない現状があり、自分が今目指していることは、人の幸せに繋がることであるはずなのに、それは自分独自の課題ではありますが、一人で殻にこもりながらその目標を抱えてしまっているが故に、周りの人たちと素直に接することができず、逆に彼らを不幸にしてしまっている自分に気づきます。
私は今の自分の考え方や行動を変えなければいけないと思っています。どうすればいいのかわからないままでしたが、佐藤さんお話を読んで、大事なものに目が行くようになった気がします。まずは人に対して誠実な自分で接するということ、今はまだ将来目指しているものにこだわらず、今必要なこと、その時の自分の気持ちに正直に行動していきたいと思います。そして、私は職業としては作業療法士を目指しているのですが、初めから設定されているやらなければいけない課題がたくさんあります。それはレポートだったり、他のコメディカルとのコミュニケーションだったりします。
こういった作業は自分の職務上の義務であります。自分の義務をきちんと果たし、プロフェッショナルとしての信頼を人々から獲得できるようにしていきます。また、世の中には、様々な人がいて、様々なものの見方があります。自分はこれからも広い視野を保ちながら、自分の意見を確立させ、作業療法士という場に「自分」がいる意味を持たせたいと思います。そして、よりよい社会作りに貢献できるようにしていきたいと思います。
最近、自分一人の力と、周りの人たちと一緒に何かをする時のエネルギーの違いに気づいてきました。 何かを成し遂げるのには、自分一人が旗を上げればいい訳ではなく、周りの人たちの信頼を自分が獲得できるか、かつ、対象が周りの人たちを満足させられるものであるのかがとても大事な要素だと思います。そういう土台があった上で初めて、動きが生じるのだと思います。 これからは、もっと社会の中における自分の立場、またもっと短な視点から、身の回りの中における自分の立場を考えて行動を決定していきたいです。そして、一人ではなく、できるだけ周りの人と一緒に成長を目指していきたいです。 素晴らしい記事をありがとうございました。
菅原文太氏の「日本は一度滅びたほうがいいかもしれない。」という言葉が印象に残りました。自分が感じている以上に日本は末期状況だということに気付かせていただきました。本当にもう間に合わないんではないか、と危機感を抱きました。原発の問題、福島の問題、教育の問題等に関して、菅原文太さんと宇城先生は見解が一致しており、お二人の熱のこもった対談をじっくり読ませていただきました。
読後、日本は確かに危機的状況だが、少しでも良くなる為に何かしたいという気持ちが湧いてきました。自分にできることを必死でやっていきたいと思います。教育に関して、菅原文太さんは知識偏重ではなく「大豆をつくれる人、味噌をつくれる人、職業教育というのかな、そういうことをしっかりやったほうがいいのではないか、と。国家の従順な都合のいい、軍隊にも行きますよ、というような人間ばかりをつくったら駄目だと思う」と言われています。知識偏重ではなく、体験を重視した活動によって子供達が適切な判断力を持てるような教育をしていきたいです。
1人でもやる覚悟で本来の教育の実現に向けてがんばっていこうと思います。佐藤彌右衛門氏の郷土愛と使命感に感動しました。「エネルギーの自立は地方の自立である」と言われるように政治家や他の人に依存するのではなく、自分から動いていく姿勢に感銘を受けました。「自立心」に裏打ちされた「復興ではなく創造」という力強い言葉が印象に残りました。
宇城先生と菅原文太さんの対談を読んで、何故、こんなに身体が動くのだろうと思いました。原発や現代の農業のやり方に問題意識を持たれていて、そのことに身体が即応しておられるように思いました。私自身も対談の内容を読むと、そのとうりだと思うのですが、頭の中だけで終わってし まう。頭の回転の良さや、度胸や、人間性など、色々なものがあると思いますが、やはり、身体のスピードを持たれていると思います。こうすべき、という思いと身体が一つになっている。 一方自分は、物事を始める時に、色々と逡巡して、やっぱり怖いからやめとこう、となるのですが、それは、そこに至るまでの過程で本来気づくべきことや、考えるべきことを見落としている様に思いました。自分も、もっとスピードと真剣さを持たなければいけないと思いました。
今号のテーマが:自立ある未来を創る、でした。 現在、日本が抱えている最大の課題が、少子高齢人口減少時代をどのように乗り切っていけば良いのかという課題です。子供が少なくなっていくので、税収も右肩下がり、高齢者が多くなっていくので、医療費と介護費用が増大していくのに伴い、社会保障費がどんどん膨らんで行くという現実が最大の課題となっています。そこで、国が提案している方針が、国民一人一人の「自立・自助」を促すという方向性です。確かに、支え手の子供が少なく、介護が必要な高齢者が増えていく日本という国にとって、これから望まれる国民一人一人の姿勢としては、「自立」という心構えが少子高齢人口減少時代を乗り越えていくためには、必要不可欠な姿勢ではないかと思います。本当に、夏号のテーマ:自立ある未来を創るは、時節を得たテーマと思いました。
道を購読させていただいておりますが、今号の菅原文太さんと先生の対談 はもちろん、ホテルアソシア柴田支配人のインタビュー記事等々毎回心に響く 内容で、先生、そして道出版の根底に流れる哲学、「心あり」に人間の奥深い力を感じております。
菅原文太さんと宇城先生との対談を読ませていただきました。いつも対談されている方の想いを引き出し加速させていく先生の対談は本当に初対面なのかなと思うほどです。現在の教育というのは知識、情報をただ伝えるだけになっているのがよくわかります。この中で語られるような学校があれば自分の子供を通わせたいと思いますが、実際に聞こえてくる現状は全く違います。
自分の職場に来る教育実習生が話してくれたのですが、近所の中学校ではクラスに一人は不登校の子がいる状況で、授業を妨害したり歩きまわったりする生徒がいても、怒ったりすることが出来ないそうです。体育祭でも今は組み体操でピラミッドを作ろうとしても、土台になる 子達が潰れてしまったりと、身体面でも昔の当たり前のことができなくなっているそうです。
そんな中これから学校に通わせる子を持つ身としては、非常に不安を感じてしまいます。お二人のお話では農業、政治、教育、遊びなどいろんなお話がでてきますが、不思議と全部一つの話に繋がっていき、何か未来が見えるような感じを受けました。様々な体験を通して育っていくからこそ、自分の長所短所もわかり適正も解っていく、人それぞれ向っていく目標は様々で、受験勉強をするのが青春ではないと強く感じます。
宇城先生の連載「気づく、気づかせる」で、日本は今おかしな方向に向かいつつあり、その根源は、欲と弱さであり、とくに苦労や悲しみの経験が欠如した人間により無意識の不安、怯えがそうさせているという記述がありました。これを企業や家族で見たときも同じことだと思い、だからこそリーダーの地位にある人間は日常的に修行をしなければいけないと思いました。
宇城先生と菅原文太さんの対談記事を読ませていただいて、日本の古き良きものがだんだん消滅していっていることに危機感を覚えました。福島生きものの記録を是非観たいです。
:「道」181号の菅原文太氏と宇城先生の対談「ふるさと日本これでいいのか」を 読み、日本は落ちる所まで落ちろの言葉が強烈に心に残りました。また日本は臨終ですよ も同じ 位心に残りました。確かに今の日本、東日本大震災と福島原発事故後の日本はそのように なっていると思います。
またとっくにそうなっていたのに、今度の災害でそれが はっきり わかったような感じです。 しかし文太さんの言っていた、どうせ沈むなら理想の為に美しい目的の為に沈んだ ほうがいいんですよの言葉、また会津電力社長の佐藤彌右衛門氏の話のように、再生復興 と言い ますが、復興じゃないんです。常に創造なんですよ。逆境の中で創造しながら今までにないものを創っていく努力が大切。
そしてホテルアソシア柴田秋雄氏の言葉で一人で はなに もできないが、一人が始めないと何もできない。 全て福島原発被災地の為の言葉です。落ちる所まで落ちた福島は創造しながら、今 まで以 上に立ち上がって行く。その為には、一人一人が始めないと何も始まらない。今回の「道」も福島へのメッセージと受け取りました。ありがとうございました。
いつも「道」の出版を楽しみにしております。今回の「道」に掲載されていた山元加津子さんの「雪絵ちゃんが伝えてくれたこと」という記事は介護施設に勤める妹に、深く感じるところがあったようです。(妹が勤めているのは老人の介護施設で、「道」を置かせていただいたりしています)施設にいらっしゃる本好きのご老人も熱心に読んでくれていたようです。又、掲載されている黒木先生や会津電力の佐藤社長等、「道」がつなぐご縁も楽しみのひとつで、次はどんな方が取材をされるのだろうと、読み終わったばかりでも次号が待ち遠しくなってしまいます。今後も素晴らしい出会いと記事を期待しております。
菅原文太氏ならではの日本を切る痛烈な言葉に、日本が抱えている問題に向き合い本来日本人の持っている力を取り戻すべく発信されている事に勇気づけられます。又菅原氏をはじめ佐藤安太氏や柴田秋雄氏また佐藤彌右衛門氏など共通されている事は、何かを与えられるのを待つことなく、行動して実践しそこから独自の発想を持ち、自己の利を得るためでなく、他人のため惜しみなく利他の行動している事に感銘を受けます。そして弛まない努力と情熱が心に響き伝わります。社会に流されることなく本当の自立された方々であり、私も見習うべく大変勉強になりました。
宇城先生連載「気づく、気づかせる」を読んで、 「事実の中にある真実を知った時、自己は目覚め、内なる闘いが始まる。そして真実に目覚めた時、自己はブレることのない覚悟を手に入れることができる。」 ただただ私の中で起こっている事として、私は今、少しずつ真実に目覚め始め、そしてブレることのない覚悟を手にし始めています。
今までの私と全く違う時間を過ごしているのを感じています。そのような中でも「怯え」については、この身体に染み付いているかのようです。そしてこの「怯え」が何なのか、私には謎で、時には怖いものでした。しかし今回の“対立と調和に隠された真実”により、その「怯え」について客観的な理解を深めさせて頂く事ができました。直ぐには解決しないことも想像できましたが、冷静に私自身の中で時折顔を出してくる「怯え」、そしてその「怯え」から来るのであろうあらゆる感情や言動と向き合う事ができそうな気持ちになりました。また同時に、調和というもののイメージが拡がり、日常や人間関係の営みにおける方向性と私のすべき事が整理できた感じもしました。
周囲の人や物と調和を求める過程において、目の前に起こる全ての事実に対して、その中にある真実に眼を向け続けること。そしてその真実を歩み続ける過程においては、共存共栄を基本としながら、その中で起こる内なる闘いに一つ一つ調和して勝っていく事。そうして、手にし始めた覚悟をよりブレないものにしていくことが、今の私の歩む道であることを想いました。
私はまだ仕事においてもプライベートにおいても、なんら責任のない立場ですが、私が知った調和の世界は、とても明るくて楽しく気持ちの良い完璧で最高な美しい世界です。だから私は調和を目指したいです。 どのような状況がきても、時間がかかりそうな時があっても、貫きたいです。宇城先生が示して下さった人間としての美しさに私の心が貫かれたのと同じように、貫いていきたいです。いま、先生の言葉に凄いエネルギーを感じます。気になって気になって仕方がありません。 ありがとうございました。
アソシア志友館の柴田さんのお話は非常に印象に残りました。お客様の喜ばれること、力になれることをあれこれ考える前にとにかくやる、ということが、業績の回復にも従業員のやりがいや生き甲斐につながるのだとおっしゃっていて、本当にそのとおりだし、それをやり続けておられることがすごいと思いました。
台風でたくさんの帰宅難民が出たときにホテルを開放し、皆様を助けたこと、それがきっかけで帰宅難民に対しては公共施設を開放するよう条例が変わったことは、本当にすごいと思いました。 一人一人の思いやりの心が大きな仕組みに変革をもたらしたことに感銘を受けました。
また、従業員の方々が、業績を黒字にするために給料をカットしてくれ、とおっしゃったこと、食中毒が出たときに取引先の企業などが取引をやめるのでなく、むしろホテルを助けるために立ち上がったこと、ただの経済的なつながりではなく、人間と人間の温かいつながりを感じました。 私はこれから社会人となりますが、働くならば周りの人とこのような関係性を築けるよう、頑張っていきたいと思いました。
宇城先生と菅原文太さんとの対談を読んで、農薬を使っている子供達を危ないとのことで、畑や田んぼに入れない、だから今の子供たちは農業に親しんでないから後を継がない。昔は作物を刈り取った後の、田んぼや畑で遊んでいた。 またお百姓さんたちが農薬を使わないように変わるのは、難しい。 自然の中での遊びが生きる知恵になるとのことでした。このように、昔の日本の本当のに良い所を知っている人の言葉を読みながら、教師も親も本気になって子供に向き合えと言われていました。私たち一人一人が現在の日本の状況を考えて対応しなければならないと思いました。
宇城先生と菅原文太さんの対談の中で、日本の政治に対して、災害復興の対応の遅さ、原発処置のいいかげんさ、そしてそれらのことを真正面から向き合って解決しょうとするのではなく、何とかその場しのぎで、回避しようとする無責任な姿、又、個人の人間を見た時に電車の中で何をしていようが、知らんぷり、見てみぬふりをする。
そして、長崎に修学旅行に来た生徒が、語り部の原発被害の方に悪態をついたことなど、今の日本の姿、日本人の心の姿を厳しく 話しておられましたが、そのこととは対照的に、菅原さんの子供時代の学校での出来事や、連日友達と遊んでいた時の話をして、そして、現在の菅原さんが行っている農業のこと、その事業を通しての物事の考えなど、多岐に渡り対談しておられましたが、先生と、菅原さんの対談の根底に一貫して、道塾で学ばせて頂いている英知を感じながら、拝読しておりました。
それは、人として生まれたならば、心を育んで生き続けるべきである。というものでした。 これは、受験制度から生じる教育や、その延長にあるだけではなく、全人次元の違う教えであると思いました。 個に縛られた自分をなくして、人々を愛する学び、自然界を愛する学び、そしてこのような愛を行動で示していく学び、この英知が対談でお話されたことを通して、社会の心無し、人々の心無し、を変えていけるものと思いました。宇城氏のお言葉で、対談の中でも仰っておられましたが、「いつも心の上に全てを乗せる」ことが大事であり、心の上に全てを乗せる人間を育んでいくことが本当に大事であると、強く感じました。
宇城先生と菅原文太さんの巻頭対談の中の菅原文太さんの言葉、「日本は落ちるところまで落ちろ。そこから立ち上がれ。」この言葉に、どきっとしました。宇城先生のおっしゃる一人革命というものを進めていくのにギリギリのところまで来ている、ということを思い知らされたからです。今日本はいろんな問題に直面しています。東北の復興が停滞しているにも関わらず、オリンピック招致で人々の関心を塗り替えたり、サッカーのワールドカップに関心が集まっている裏で集団的自衛権について 強引に話を進めたりと、とても小手先での政治になっているように感じます。
そういった中で菅原文太さんの「日本は落ちるところまで落ちろ。そこから立ち上がれ。」という言葉は厳しい言葉ですがしっかりと日本の未来を考えた時に出てきた優しい言葉なのだと思いました。文太さんの子供の頃には、他学年の子供が一緒になって危ないところで遊んで、 その中で自分より下の子を助けたり守ったりしていたということですが、そのような人と人との思いやりやつながりというもので育ったからこそ、菅原文太さんの人柄に力をもらうことが出来るのだと思いました。
だからこそ今一人革命ということを我々が実践する時なのだと思います。先生や菅原文太さんのような方々からお力をいただき、それにより自分自身が成長すること、そしてそれにより自分が他の人に力を与える存在になることだと思います。 これからの日常生活を送る上での指針とさせていただきます。
毎回『道』楽しみに読んでいます。自分にとって『道』や宇城先生の本は、自分の人生の教科書でありバイブルであり、読んでいるだけで道塾に参加している感じになります。
菅原文太さんの対談を読ませていただき、日本人としての基礎を思い起こしました。自らも無農薬農業をやっておられ、子供の成長に必要とするお考えも、まさに無農薬教育といった感じで共感いたしました。現代の子供を取り巻く環境を考えると、本当に大切なのは数値の高さが全ての人間ではなく、人間らしい心を伴った人を 育て上げる事で、かつて、自然と共に成長、学んで行くといった事は、当たり前でしたが、その様な環境を捨てた現代社会に問題があると思いました。
日本は一度滅びた方がいいかもしれない。という言葉は、もう土台からダメにいるから、そこから作り直さなければいけない程になっている、という様に聞こえ、今の日本は根の無い巨木 を作っている様に感じられました。しかし、菅原文太さんの様な方がいらっしゃり、行動しているという事に、心強さと、希望を感じました。
季刊『道』はとても良い連載が盛りだくさんで、毎回楽しみにしています。宇城先生の対談や連載はもちろんですが、個人的には山本加津子さんの連載に興味があります。 普段、難病の方等と接する機会はほぼ皆無なので、勉強になります。
菅原文太さんが農薬を使わない農業をされていることに驚きました。 放射能で汚染された残土の処理とか東北復興への思いが歴史的視点、教育という視点、画一化された制度の問題点として語られていて多角的に読ませていただきました。突き詰めれば「心の伴った行動」、「行動から生まれる心」の大切さに気付かされます。 ただ、大切な心を育てたり、学ぶ場所が現代にはたりないように感じます。
成長の基本は家庭で小学生からは学校になっていくと思いますが、礼儀、躾、嗜みを学ぶには現在の教育制度では不十分だと感じます。 大人の自分も『道』に掲載されておられる先生方の生き様と自分を常に照らし合わせていないと楽な道へと流されがちです。 行動と心を循環として堂々と歩ける人生にしたいです。そのために常に『道』を持ち歩き読み返しています。
季刊『道』をいつも楽しみに拝見させて頂いております。分野や業界を問わず、常に第一線で行動している方の言葉に、自分の甘さ・横着さに気付かされたり、さらに頑張って高みを目指そうという気持ちが湧き上がり、大きな刺激・エネルギーを 受けております。
季刊『道』最新号の柴田秋雄氏「心に火がつけば人はみな、熱く燃える!」をおもしろく拝見しました。 「従業員を日本一幸せにする」という考えをもって経営する。このようなやり方もあるのかと新鮮な驚きでした。肩書も学歴もない優秀とは言えない従業員の方々との取り組みは実にすばらしいものでした。対立ではなく、共調という考え方も宇城先生のご指導と一致するものでした。とても優秀とは言えない部下ばかりいる今の私にとって大変参考になる考え方、取り組みでした。
今回の『道』の記事の中で印象に残った記事の1つにホテルアソシエ名古屋ターミナルの総支配人だった柴田秋雄さんの記事がありました。一緒にやる人とともに組織を築き上げるということ、人を思いやるからこそ相手もそれに応えようとする、そしてその人がまた誰かを思いやるという連鎖が起こる、そういった組織としての基本的なことを改めて教えて頂きました。
また食中毒事件の話に出てきた「今こそ、名古屋ターミナルを救え」という言葉は、見た瞬間に身体中が熱くなるのを感じました。これが本当にお客様やクライアントさんとの関わり合い方、そして人と人の関わり合い方 の真髄なのだと思います。今後、仕事をする上で心に留めていきたいと思います。 今回も貴重な気付きを頂き、ありがとうございました 。
今回の『道』では改めて自立することの大切さを感じました。
何気なく過ぎていく日常でも常に他者に依存している自分がいることに気づかされます。家庭であれば家内に、あるいは会社に依存したり、その会社がまた他の上部組織に依存する体質だったりします。人は一人では生きてはいけないので、支えられ助けられていることに感謝の心を持つことは大切なのですが、もし、その関係が切れた時に自分には何ひとつ自力で出来ることはないというのは避けたいものです。例えばそれが家事においても仕事においても、それが過度の依存ではないのかは注意深く吟味する必要があると感じました 。
アソシア志友館 理事長 柴田秋雄さんの「一人では何もできないが、一人が始めないと何もできない」という言葉が とても心に残りました。宇城先生が普段仰っている「一人革命」と同じですが、とにかく行動するのに勇気付けられる言葉でした。
今号の『道』は、いつもよりさらに一体感を感じました。どのインタビューも宇城先生から教えていただいている事をそれぞれの仕事・活動を通した別の言葉で語られているようでした。農業と教育を変えようと行動される菅原文太さん、教育勅語という道徳を身につけ、戦争で生き残った者の勤めとして誠実に「世界の平和と社会への貢献」を目標にされる佐藤安太さん、社員を愛し社会からも愛されるホテルに変えていった柴田秋雄さん。 全て愛するという事を行動で示し、「調和」していった方々ばかりで、読後ほっこりと暖かくなりました。
柴田秋雄氏のお話から、人間の生き方はどうあるべきかということを教わりました。 全従業員が相手の幸せを願い喜んでもらうために心を込めるという理念と実践を経て、ホテルの危機のときには逆にお客や仕入れ先が助けてくれるということが実際に起きたことに感動を覚えました。正直で心ある行動は周りにもどんどん連鎖していくのだと思いました。
『道』を読ませて頂いて。教師としてのあり方、やはり考えるより行動そこにこそ心があるということを再確認しました。その中で、自分中心ではなく、調和を基本として物事を捉えた時時間が動き出す。このことが一番心に突き刺さりました。
菅原文太さんと宇城先生との対談では、自分一人でも行動していく事、金澤泰子さんのあふれる真心と愛では、生きていく中で最も大切な事、佐藤安太さんや柴田秋雄さんのお話では、仕事に対する取り組み方と、従業員の心がかわると、とんでもない変化と可能性を生むという人間力、会津電力の佐藤社長や山元加津子さんからは、マイナスの部分をしっかりと認めつつ、新しいプラスの発想と、そこに向けて積極的に取り組んでいく姿勢・生き様について学ばせて頂きました。
今回の『道』での宇城先生の対談相手は絶対に菅原文太さんだと予想していたので、予想が的中いたしました。最近の『道』は私の予想が当たることが多く、そろそろ美輪明宏さんと対談されそうだな~、と想っていたら、本当に美輪さんと対談され、美輪さんと対談されたのなら、次は、映画も公開されるし、いよいよ木村秋則先生と対談されるんじゃないかな~、と想っていたら、木村先生と対談されました。
菅原文太さんが無農薬農業に取り組んでおられることは知っておりましたし、今年は、木村秋則先生とも一緒にシンポジウムに出演されていましたので、そんな繋がりから、私は、今回の対談相手は絶対に菅原文太さんだと確信しておりました。 きっとこの繋がりでいくと、いつか武田鉄矢さんやムラキテルミさんといった方々が対談されるのではないかと、勝手に期待しております。
菅原文太さんといえば、私にとっては、『トラック野郎』や『仁義なき戦い』は世代ではないので、タイトルぐらいしか知りません。 しかし、私が大学生の頃に公開された映画『バッテリー』で、主人公のお祖父さん役をやられていたことを、今でも鮮明に覚えております。 『バッテリー』は私の出身地、岡山県が舞台ということもあり、かつ、私と同じ野球少年が主人公の物語でしたので、興味を持って原作も読み、映画館で観た記憶が、私にとっては、俳優・菅原文太さんの強烈な印象として残っております。
脇役なのに圧倒的な存在感。慣れない筈の岡山弁が違和感なく妙にしっくりきて、何と言っても私が感動したのは、菅原さんの顔の皺でした。菅原さんクラスの役者さんになると、皺の一つ一つまで演技をするのか、と感動したことを覚えています。舞台の設定で、田舎のお祖父ちゃんとして、昔ながらに、お風呂に薪をくべて焚いている姿がぴったりとハマっていらっしゃったのは、今回の『道』を読んでみて、その姿が、菅原さんの少年時代の原風景にもきっとあったんだろうな、そして、それが、その時点から言えば、未来の(今の)菅原さん自身の姿を現していたからこそ、あんなに自然体で表現し、演じられてたんだろうな、と改めて想いました。
今回の菅原さんの対談記事を読んで、まず真っ先に頭に想い浮かんだのは、坂口安吾の『堕落論』と、映画『ノア~約束の舟~』です。 映画『ノア~約束の舟~』は非常に様々なことを考えさせられる映画でした。私はクリスチャンではないので、そこまで聖書について詳しいわけではなく、今まで数回読んでみたことがあるぐらいですが、それにしてもこの映画は聖書の記述とえらく違っている気がして、ハリウッドはついに聖書の内容まで勝手に脚色してしまったのかと感心してしまいました。
この映画は生まれながらに原罪を背負っている人間の罪深さを、家族の内部にまで及んで、これでもかと描いていました。あまり書くとネタバレにしかならないのですが(また、映画館で1度観ただけですので、細部は記憶があいまいで間違っている部分もあるかもしれないのですが)、
例えば、ノアが奥さんに「お前だって、自分の息子の為だったら、人だって殺すだろう?」と問いかけるシーンで、奥さんはためらうことなく「ええ」と答える場面や、神を信じない人間たちは、動物を殺して、肉ばかりを食い、最後には人間すらも食い、肉を食うのは強くなる為だと主張しているのに対し、ノアの息子が父のノアに「肉を食べると本当に強くなれるの?」と聴いたところ、ノアは「そんなことはない。強さとは神が与えてくださるものだ」と答えるシーンなどなど、宇城先生が普段から繰り返しおっしゃっていることと繋がるような場面が非常に多かった気がします。
私もこれから先、もしクリスチャンの子どもたちに「筋トレをすると強くなれると言うのは本当なの?」と聴かれることがあったら、ノアのように「強さとは神が与えてくださるものだ」と答えたいと想います。それにしても神の罰は容赦ないです。ノアはそれを知っています。ですが、ノア以外は誰も神の声が聴こえないので、神の怖さを信じません。私は、現在の日本で、このノアとは、きっと宇城先生や木村先生のことなんだろうと確信しました。
宇城先生や木村先生には、この先、日本が、世界が、地球が、どうなるのか、わかるし、観えるのだと想います。だからこそ、とてつもない危機感を持って、行動されている。しかし、残念ながら、私も含め、そういった一部の人以外のその他大勢の人間は、この先どうなるかなど、全くわかっていません。私なんかがこういったことを言えるような立場ではありませんし、また、東北大震災で被災された方々の前では不謹慎過ぎて、口が裂けても言えないことではありますが、正直に告白しますと、私はこの映画を観て、都議会の女性蔑視ヤジを放った鈴木章浩議員らや号泣県議など、私も含めて皆、流されてしまえば良いのに。
そして、この『道』に出てくるような人たちだけが箱舟に乗って生き延びて、そこからまた新しい世界を作り上げていってほしい、とすら想ってしまいました。 もちろん、そんなこと言って、そういうお前はそれで諦めて、何もしないのか?という批判を浴びても仕方ないのですが、本来であれば、あの映画を観て、恐怖を抱くぐらいじゃないといけないのかもしれないところを、あれに憧れてしまうという、それぐらい現状の日本があまりに堕ち過ぎて、酷過ぎるような気がします。
私は男ですが(しかもそこまで立派な男ではありませんが、それでも)、ヤジ議員や号泣県議を観ていて、男から観ても、同じ男として、私の拙い言葉では表現しきれないぐらい恥ずかしく、情けなく、また、とてつもなく腹が立ちました。あの罪深い男どもに対して、これで罰は終わりなのでしょうか? 最初は逃げようとしたり、逃げられないとわかったら言い訳して、他にもヤジを飛ばした議員もいるにも関わらず、それらは組織ぐるみで庇って隠蔽しようとし、 罪の上に、罪を重ね、まだ罪を償う気もありません。人間は本当に罪深いです。こんな連中が、ただ女性票を取りこむためだけに「子育て支援の充実」とか「女性が働きやすい社会の充実」とか政策に掲げているのですね。
神がいれば赦す筈のない人間たちだと私は想います。大洪水で人間を滅ぼすという計画は、すごく魅力的に観えてしまいました。また、坂口安吾は『堕落論』で、『日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。』と述べています。ですが、戦後日本人は、まだ堕ちなければならないのでしょうか?これ以上堕ちていくしかないのでしょうか?
『降りてゆく生き方』という映画に、「良くなるために、悪くなる」というセリフがありますが、今の日本を観ていると、「悪くなるために、悪くなって」いるようにしか観えない時があります(この映画の主演は武田鉄矢さんで、武田さんは以前、宇城先生が出演されていた何かのテレビ番組にも出演されていたように記憶しています)。同じ映画の中で、「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから起きる…。どんな文明も、革命も最初は一人から」とも言っています。まさに、菅原さんがおっしゃる、明治維新の時の薩長のように、辺境の地から、そして、柴田秋雄さんもおっしゃっている通り、「一人では何もできないが、まず一人が決意しなくてはならない。一人が始めないと何もできない」、そういう「一人革命」を起こしていかなければ、分水嶺を越えてしまって、もう間に合わないところ、それぐらい深刻な現状になっているのではないかとさらにさらに危機感を強めました。
今回の『道』を読んでみて、最初のページが菅原文太さんとの対談で、最後が宇城先生の記事で本当に良かったと想いました。最初、菅原さんの対談記事を読んだ時は、危機感も強くなりましたが、どんどん憂鬱になってきて、正直、もう私なんかが一人がんばったって、もはやどうにもならないところまで今の日本は来てしまったんじゃないか、と絶望で諦めてしまうような気持になってしまいました。それでも、順番に読み進めるうち、執筆者の方々のエネルギーが伝わってきたのか、段々と元気になり、ちょっとずつ希望が観えてきて、最後に宇城先生の記事を読んで、厳しいことも書かれていましたが、やっと元気になって、ああ、やっぱり、私一人にできることなんか取るに足らないことかもしれないけれど、それでもそれをやり続けることが大切なんだ、自分はまだまだできていないところも多々ありますが、これからも一人革命を起こしていかなければならないんだ、とまた強く想うことができました。
宇城先生には、今回の記事でもそうですし、道塾でも、最初にお逢いした時から、ずっと、どんなに厳しいことを言われても、それでもどこかでまたがんばろう、この先生について行こう、と想えました。それが、宇城先生の魅力であり、最近道塾で言われていた「厳しさの中に愛情がある」ということなのかな、と最近になってようやく気づきました。ただ優しいだけが愛情ではなく、愛情の中に厳しさもあるのが、真の愛なのだなと、ようやくわかりかけてきました。
最後に、山元加津子さんの記事では、雪絵ちゃんの言う通り、チャレンジド(障害者)と健常者と分けることなんてできないのではないかと想いました。私は計算が苦手でしたし、野球も超がつく下手くそでしたし、これは計算障害、野球障害なんだと想いました(言い訳かもしれませんが)。
人間、何もかも完璧な人間などいませんから、誰だって苦手なこと、できないことはある筈です。
だとしたら、人は皆、障害者なんだと想います。これからは、一般的に障害者と言われる人たちを観ても、自分と一緒だと想えるようになりました。農業をやっていても、同じ株、同じ穂、同じ枝からでも、大きくて観た目も美しい作物(お米でもブドウでもリンゴでも野菜でも)と、小さい作物が一緒に稔ります。それを今の農業と、消費者の価値観は、観た目だけで判断し、大きくて形の良いものは、高く売れ(お米なら一等米)、小さいものは売れません。大きくて観た目の良いものばかりが優遇され、大事にされ、小さいものには農家からも消費者からも農協や小売、卸、流通業者からも、誰からも観向きもされません。昔は、加工すれば同じですから、農作物は量り売りが基本でした。
今は違います。皆さんは、自分の子どもたちが、もし、兄弟で健常者と障害者とが生まれたとしたら、どうするのでしょうか?健常者の子どもだけを可愛がってお世話して、一生懸命育てて、障害者の子どもには観向きもしないのでしょうか?それと同じことをやているのが今の農業の価値観だと想います。 同じ田畑の、同じ木の、同じ枝からでも、大きいものと小さいものができてしまいます。どんなに小さくても、100%の力を出し切って、その実をつけたんだと想います。どの実にも、がんばりの差はないと想います。 女性の皆さんにはよくわかっていただけると想いますが、作物が実を結ぶということは、作物にとっては子孫を残すという行為ですから、人間でいうと、出産と同じです。女性は、出産するとき、命がけで、満身の力で生むと想います。きっと赤ちゃんだって、命がけで、満身の力で生まれてきます。健常者の赤ちゃんだから全力でがんばって、障害者だから、力を抜いて良いなんてことは絶対に在り得ないと想います。そこに健常者と障害者の差はない筈です。
雪絵ちゃんのエッセイにも感動いたしました。「届くよ」では、私は黒沢明監督の映画「生きる」を想い出しました。 あの映画は主人公が死を宣告されるところから始まり、最後まで徹底的に「死」について描かれています。 しかし、タイトルは「生きる」となっています。 この逆説的なタイトルをつけた黒沢明監督も、やはり、この雪絵ちゃんと同じく、「死」を強烈に意識した時から始めて今「生きている(生かされている)」ということへ気づき、目覚めるのだと想います。
今回の『道』は今まで以上に、とにかく色んなことを考えさせられる号でした。他にもまだまだ色々と考えさせられたことがたくさんあるのですが、それら全てを書き切れませんので、この辺で感想を終わらせていただきたいと想います。毎回、毎回、素晴らしい季刊誌を誠に在り難うございます。できれば毎号、感想を送って、これを編集し作り上げてくださっているどう出版の皆さんにも感謝を伝えたいのですが、できておらず申し訳ございません。毎号毎号、どう出版の皆さまと、執筆者、対談者の皆様には本当に感謝しております。誠に在り難うございます。
どうでも良い余談ですが、山元加津子さんの記事を読んでいる時、タイトルが「ありのままの私たち」で、しかも今回は「雪絵ちゃんが伝えてくれていたこと」だったので、私の頭の中では、この記事を読んでいる間中、ずっと、「アナと雪の女王」の「Let it go(ありのままで)」が流れ続けていました笑。 あの映画の中のエルサ(雪の女王)とは、雪絵ちゃんのことだったんですね。長々と駄文を失礼致しました。
柴田秋雄氏のお話から、人間の生き方はどうあるべきかということを教わりました。
全従業員が相手の幸せを願い喜んでもらうために心を込めるという理念と実践を経て、ホテルの危機のときには逆にお客や仕入れ先が助けてくれるということが実際に起きたことに感動を覚えました。正直で心ある行動は周りにもどんどん連鎖していくのだと思いました。
宇城先生と菅原文太さんの対談を読み、本当に日本は危ないのだと危機感を持ちました。「一度滅んだ方がいいのではないか」という言葉が、すべてを物語っています。日本は戦後復興には成功し、世界有数の経済大国になりましたが、その一方で豊かさに目を奪われて、無くしてはいけない文化・風習を置き去りにしてしまいました。都市化により自然が無くなり、核家族化による人間関係の希薄さ、偏差値偏重による教育の創造性の無さ、など、上げるとキリがありません。
そして、すべてにおいて被害を受けるのは子供達であり、時が経ち大人になると、その弊害が国家レベルで起こります。取り戻すためには、まだ文化・風習が残っている今が最後のチャンスなのかもしれません。子供達に、この誇りある日本を残さなくては、と思いました。
タカラ創業者の佐藤安太氏や元ホテルアソシアの柴田秋雄氏の、トップが従業員を大切にする気持ちについて、まさしく現在の社会に足りない部分ではないか、と感じました。利益だけ追い求めて、人を大切にしていない現在の風潮に危機感を抱きました。世の中を作るのは物ではなく「人」です。「人」を大切にしてこそ、真の社会貢献と言えるのではないかと思います。私も人としての情を持ち、社会貢献していこうと思います。ありがとうございました。
『道』最新号181号を読んで、一番印象に残った言葉は菅原文太さんの「日本は落ちるとこまで落ちろ。そこから立ちあがれ」です。 日本の現状を何年も前から危惧してられた宇城先生の言葉が本当になりつつある今の日本。それをこの宇城先生と菅原文太さんの対談でものすごく感じました。
来るところまで来たのだなと。いつも『道』を読む度に自問自答が始まり、日常の自身の行動を見直すきっかけにさせていただいています。 いつも素晴らしい本を出版していただきありがとうございます。 感謝感謝です。
菅原文太さん、佐藤安太さん、柴田秋雄さん、佐藤彌右衛門さん、ダルクに入寮されていらる方のお話。「自立」というテーマを明確に感じる「道」の最新号でした。特に柴田秋雄さんのお話は、今の私に対する反省と直面する課題に対する気付きを頂きました。ありがとうございます。もう、次号が楽しみです。
菅原文太さんとの対談を読ませて頂き生体反応がなくなっているということは強く感じました。
仕事柄痛みのある方と接していても確かに痛みに鈍感な方がたくさんいます。痛みは危険信号であり、体を守る機能なのにそれを無視して動き続けなんでここまでひどくなるまで放っておいたかわからないかぐらいの方がたくさんいます。本来ならば異常があれば体が逃避にはしり痛みの軽減をするようになるのですがそれが無くなって来ていると強く感じます。それが高齢の方よりも若い世代の方が多いです。
自分の身を守れない、痛みを感じないということは他人に対してもそれがわからなくなってしまっていると感じました。自分を守る反応がなければ人も守れない。本当に怖いなと感じました。 それが親が何でもかんでも口を出し、危険に会う前に先に除去してしまうのがいけないのだと感じました。親の責任。子離れをしないといかないといけないと、離れても愛情を残していくと強く思いました。
『道』181号を読んで、菅原文太さんとの対談は大変感銘を受けした。
「日本は落ちるところまで落ちてそこから立ち上がるしかない」という言葉が印象的です。
このままでいいと思っているわけではなく、正しい情報が入ってこず、つまらない番組や新聞雑誌で、情報をコントロールされている現状が恐ろしいと感じました。『道』をはじめとする今必要な情報を発信しているものを広めていくことが大切だといました。
今号の菅原氏との対談の写真を見て、理由は分かりませんが、鳥肌が立ちました。
内容では、家庭、学校や地域などの子どもを取り巻く環境について考えさせられた。現代という誰にでも物を容易に手に入る世の中、便利な世の中になることによって、子どもたちにとって不利益な事情が発生していると感じた。夜、子どもと居酒屋に行く親が多いと感じていたので、親側の考え方も考え直していかないと感じた。鋭い視点を発信していかなてくはならないと考えさせられました。ありがとうございます。