季刊『道』 179号(2014年冬)
『道』179号 [詳細・購入ページ]
巻頭対談、金昴先住職の深く日本文化への愛情込められたお話をありがとうございます。
四国在住の者として、お接待の精神の素晴らしさ、そして、四国を世界の玄関口にという志に大変感動しました。感謝です。「ありがとう」という感謝の心を伝えていくことが、世界を平和に導く素晴らしい日本文化であると誇りに思います。
「徳が高い愛の香りがある」四国を世界に金昴先住職の熱い思いが対談の言葉の中に溢れていて勇気と元気、感動をいただきました。世界一美しいことば「ありがとう」に心より感謝です。
巻頭の対談である金さんの人生について考えさせられました。
人それぞれの人生があるとは言え、韓国の人間国宝である金さんが日本の僧侶となり、日本文化を通じて世界平和を目指しているということは、普通の想像をはるかに超えていることだと感じます。
故住職との運命的な出会いから、結婚。それだけでも保守的な社会のなかで苦労の連続だったと想像できます。
さらに、その住職の死を乗り越え、ご自身が住職となられる覚悟には並大抵でないものを感じます。
私たち日本人が折角持っているものに気づけず、表面的なものに流されているときに、とても大きな心で大切なことを教えてもらっているという気がしました。
自分の人生とは何なのか?改めて振り返ってみるきっかけをいただきました。
宇城先生の著書や講義でのお話と木村秋則さんや金昴先さん、野村哲也さんのお話しする内容が共通していて、これだけ違う分野の方々でも心の在り方というもので繋がっているという事に深く感動しました。閉鎖的な世界にいた事を実感します。
とても今の自分には世界に発信する力はありませんが繋がりをきっかけに肚が据わった耐えられる人間になりたいです。
「道」最新号の中で野村哲也さんの記事に惹かれました。
野村さんの人生を大きく展開させる人並みはずれた駆動力、そしてそれを育んだご両親の教育がすばらしい。 心の磁石というのか、自分が熱を感じる方向へ素直に進むことの良さ、大切さがひしひしと伝わってきます。 それから砂漠の土に宿る種、草花の生き様の話が印象的でした。自分もこのような生命の凄みを感じてみたいです。
料理家の辰巳芳子先生は「天のしずく」という映画のなかで、土の存在、地球とのつながりを感じることのない生き方は人を弱くするとおっしゃっています。
自分などはその典型であるわけですが、つい最近こと、「型」「肚」「宇城塾」の中に「土」の字を見つけて、面白いなと思いました。
『道』冬号の金昴先さんの息子である弘昴さんのスピーチを読んで、ここまで考えていることをすごいと思いました。今、自分が教えている中学校3年生も年は同じなので、少しででもこういったこと親のこと、将来のことを考えさせられるようにしていきたいです。
金さんと先生の対談。そして金さんの著書も読ませて頂きました。外国で暮らす事の大変さ、増して、人との出会いの大切さが、強く伝わって来ました。金さんの息子さんのスピーチ内容が素晴しくエネルギーを貰えました。これからも楽しみにしています。頑張って下さい。
179号で井口氏との宇城先生の対談で、「欲と知識が孤立を加速している」という言葉が特に心に残りました。現在の社会の傾向であり、かつ自分への警告であると感じました。長年続けてきたことを一朝一夕に破るのは難しいことかもしれませんが、幸せの追求という意味からも統一体の本質を徹底的に学ばなければいけないと思いました。
179号の『道』を拝見しました。八十八カ所霊所住職の金さんの対談の中で、八十八カ所を世界遺産にしようと、 精力傾けておられる方がいらっしゃることを初めて知りました。
毎年、父親と2人で四国に行き数日ずつですが、八十八カ所巡りを歩きでやっていましたが、父の癌の発病で中止になり、おそらく続けるのはもう無理かと思っています。
お遍路をやっている方を多く見ましたが、多くはバスで回り、それも主要の大きな寺だけを回っている雰囲気で、キッチリ徒歩で回る方は少数のようでした。それでも、四国はなぜか、独特の雰囲気があり、東京を離れ、山道を歩いていると頭が空っぽになり、穏やかな気持ちになっていた気がしました。金さんのお話を読み、昔をふと思い出し、父とは難しいかもしれませんが、また回ってみようかと、そんな気持ちになりました。地元の80、90歳くらいのおばあさんたちが数十人で、かなり急な坂道を歩いてお寺に参拝に向かうのを通りすがりで見た時はさすがに驚きましたが、もっと、日本の他の地域から、そして海外からも訪れてほしいと思いますし、「向かい入れる海外化」を進めるためには、をもっと考えていかなければ、と思いました。そういう意味では、東京オリンピックはいい機会だと思いますし、「迎える気持ち」をまず持たなければ、と考えさせられました。
ありがとうの言葉をとおして日本人の文化、気質、心の在り方をあらためて気付かされました。
金さんの定められたような使命感、心意気は信念があり、ぶれない心の行動力に魅力を感じます。
その方の言葉にこの日本もまだ希望が持てます。
いつも道に登場される方々は一人革命をされていると思います。本の中ではあるがこういった方々に出会い学べることに感謝します。
写真家野村哲也さんのお話の中で「シードバンク(種の銀行)」という言葉がありました。
砂漠の中でものすごい種類の種が10年15年と時期を待ち、自分に一番いい状態の時に花を咲かせる。そして次の世代へつないでいく種になる。
種は地球の営みの中で自分がするべきことを知っていてその時を待っているということでしょうか。
その種は数多くの種類があってそれぞれに必要とされる時期が違っている。砂漠全体で一つの完成形になっている、ひいては地球全体で一つの生命体になっているということなのかもしれません。
宇城先生は道塾の講義で「自分を生んだのは母親だけれど人間を生んだのは地球」だとおっしゃっていました。本当に必要な時にその花を咲かせるため、地球が生きていくために人間も次の世代に伝える種をきちんと継承していかなければならないと感じました。
焦らず時を待ち、かつ着実に変化、成長を積み重ねていきたいです。ありがとうございました。
宇城先生と住職の金昂先さんの巻頭対談では、出会いは本当に不思議なものだと思いました。
人との出会いを大切にすることは、そのまま人生を大事に生きることにつながるのだと思います。また、金さんの踊りへの情熱、ご主人への愛情、日本の良さを発信しておられるエネルギーの並々ならぬ大きさが伝わってきました。
私自身、もっと日本のことを勉強したいと思いました。「ありがとう」という言葉をひとつ取ってみても、その優しさ、美しさがこれほど素晴らしいものだとは考えていませんでした。
「ありがとう」だけではなく、日本語には他にもきっと素晴らしい言葉がたくさんあると確信しています。先人達が作り上げて来られた美しい言葉を無駄にせず、正しい言葉を使うことはとても大切なことだと考えるようになりました。
金さんの御子息の弘昂さんのスピーチ原稿からは、覚悟と力強さをひしひしと感じ、強烈なインパクトがありました。厳しさの中にある真の優しさ。これが現代社会ではだんだんと失われているのだと思います。心ありの厳しさには必ず愛がある。愛のある生き方には必ず厳しさがある。
甘やかさだけの優しい人間ではなく、厳しさを持った心ありの優しい人間に少しでも近付いていきたいと思います。
写真家・野村哲也さんの記事で紹介されている写真は、どれも見渡す限り一面に美しい花が咲いていて、もともと砂漠であるとは信じられない景色でした。砂漠の中に、その百倍、千倍、万倍の種があり、まだ見ぬ生命が最高の花を咲かせるために準備している。その生命のエネルギーに感動しました。待つこと、準備することの大切さを生命は知っていて、ここぞというときに本当に力強く美しい花を咲かせる。目に見えている部分だけを切り取れば、待つという行為は受け身、消極的だというふうに捉えてしまいがちですが、待って、待って、待つことで、内側にはものすごいエネルギーを溜めている。自分自身も含めて、生命が本来持っている力は計り知れないものがあり、見くびってはいけない。目に見えない世界の奥深さを改めて感じさせていただきました。
最大限に自分の力を発揮し、幸せを与えることのできる人間になれるよう、あせらず時を待ち、かつ着実に変化、成長を積み重ねていきたいです。ありがとうございました。
道179号、金昴先さんのお話で、日本の「ありがとう」は世界でも類を見ない言葉なのだと知りました。この言葉、文化をなくさぬよう、大事にしたいと感じました。
「日本が頑張れば、正解が平和になる。」外国籍だからこそ見えた日本の姿を踏まえて、このように言って頂けた事を嬉しく思うとともに、一層努力が必要であると感じました。
地球交響曲第3番の星野道夫さんの地球と繋がった生き方や、ヤーガン族のウルスラさんの「人を幸せにするために様々な欲を手放すことで循環するという教え」が、彼の根底にあって、「写真は撮らせて頂くもの」という感謝の気持ちで写真をとるからこそ、見る人を圧倒し、地球のエネルギーあふれる写真となるのだろうと思いました。
そして、まだ若い彼が、残りの人生を考え、「人がどういおうが全く関係なく、自分のやりたいドキドキする方法とか、あとは周りが幸せになっていく方法があるのであれば、それを全力で完全燃焼させてやっていきたいと思います」という生き方は、まさに宇城先生のおっしゃる統一体の生き方のように思いました。
恥ずかしながら、私も植物の写真を撮ることが好きで、素人写真ではありますが、 感動を伴ってシャッターを押すとき、植物のマクロ写真の神秘的な世界に魅了されることがあります。
野村さんの「土地の中に眠る生命」を読んで、私も統一体になるよう精進して、写真を撮りたいと思いました。
季刊『道』の最新号を拝読させていただきました。毎回素敵な巻頭対談をありがとうございます。今回のテーマは「ありがとう」の心を伝える。でしたが、金さんとの対談からは客観的に日本という国を見つめられた金さんのお話から、日本本来の良さと有り難さを改めて気づかせていただきました。日本で生まれ、育ってきて、今自分がいるこの環境や文化が当たり前のようにして過ごしてきた中で、いかに美しい心で日本独特の文化が存在しているか。それは、当たり前ではなく、有難いことで、そうした当たり前と思えるひとつひとつを大事にしていくことで日々が修行となり、謙虚な気持ち、感謝の心を育んでいくのだと思いました。いかに普段、当たり前のことを蔑ろにしてきたかも同時に反省しました。
つい、より効率的に、より効果的に、と欲が先に来て横着をしてしまいがちだけど、本当の道はそうした当たり前のことをひとつひとつを大切にしていくこと。それがより自然であり、無心の境地へと繋がり、自分自身を成長させてくれるのだと思いました。
今いる環境は当たり前ではなく与えられた有難い環境。出逢った方々も偶然ではなく、有難いご縁。いつか、ではなく今を大切にして感謝を伝えること。綺麗事ではなく、リアルな体験に基づいた皆様のお言葉が真っ直ぐに伝わり、そうした心を改めて学ばせていただき、日常がとても新鮮に有難く感じられました。
ありがとうございました!
最新号の『道』を今、読んでいる途中です。
もしかしたら、今まで高校時代から読んで来た『道』(高校時代は合気ニュース)の中で、一番涙が溢れている号かもしれません。 最初の金先生との対談から泣き、写真家の野村さんのお話で感動致しました。 木村秋則先生からも教わりましたが、種の生命力、そして、記憶力、センサーは信じられない程の能力を持っています。 はっきり言って、人間なんかより、よっぽど賢いんじゃないか、と想う程です。そして、石橋を叩いても渡らない、ようなとてつもない慎重さも兼ね備えています。
それを、農業をやられているわけではない、しかも、勉強して知識で学んだわけでもなく、写真家の野村さんが、若くして既に体験で感じ取っている、という、その五感の感性に脱帽します。
そして、子どもたちに、憧れ、感動を持ってもらう為に、地球を遊びきるという姿勢は、以前のNHK大河ドラマ『平清盛』のオープニングで、「遊びをせんとや生まれけむ」というフレーズが流れていましたが、それと同じように感じました(この『平清盛』の題字は金澤翔子さんでしたね)。 私も、自分の好きなように生きて、やりたいことをやって、色々と周りに迷惑ばかりかけてきましたが、 それでも、やるからには、命懸けでやりきろうと想いました(まだまだ木村先生や、野村さんのレベルには全く達しておりませんが)。
そして、今読んだ部分の中で、一番感動して、泣いたのは、佐藤美南さんの記事のところです。 私は、あの、佐藤さんの写真を観ただけで涙が溢れてきてしまいます。 何度観ても、涙が溢れてきてしまい、なかなか、読み進めることができません。 自分は、もうどっぷりと大人なのに、何をやっているのだろう?、自分には何ができるのだろう?と、痛いほど考えさせられました。
そして、私の夢に一つ、新たな夢が加わりました。いつか私が自然栽培の農業に成功し、それで食べていけるようになったら、 できた農作物は、まず、佐藤さんをはじめとする、福島の子どもたちに食べてもらおう、せめて、食べ物だけでも、とてつもなく恐ろしい内部被曝の恐れのないものを食べてもらいたい、 私はこの福島の子どもたちの為に、私の人生の凡てを賭けてこの自然栽培の農業に取り組もう、と想いました。
宇城先生が「大河にコップ一杯の水」、木村先生が「ハチドリの一滴」と常々おっしゃるように、私はそれをやっていきたいと想いました。私には、それしかできませんから。
季刊 『道』 は毎号実践者の方々のエネルギーあふれるお話が掲載
され、自分自身の人生(日常生活)の糧となっております。
5年前に読み始めた頃は、日本語で書いてあり、読めて、頭で理解できるのに、その本質を感じることができませんでした。
今は、実践者の方々の統一された崇高な精神性や哲学、行動規範を感じることができるようになりました。これからも「道」に学ばせていただきます。
「今回の道の野村さんのインタビューがとても印象的でした。砂漠に咲く花の素晴らしさはもちろんのこと、野村さんの生き様にもとても感銘を受けました。人を幸せにするために出すことを基準に全てを惜しみなく与える優しさ、誰に何を言われようが自分のやりたいドキドキすることに飛び込んでいく勇気、そうしたことを通して砂漠に眠る種のように人間には無限の可能性と価値があることを伝えてくれているのだと思います。これからは自分の中に眠る種を信じて、いつの日か花咲くその時まで精進していきたいと思います。
「道」№179 韓国伝統舞踊人間国宝後継者で四国八十八ヶ所霊場第十三番札所「大日寺」住職 金昴先先生と宇城先生との巻頭対談を拝読して、「人間の出会い・ご縁は、運命だなと思うんです。」この言葉は対談の中で、師匠の人間国宝である李梅芳先生との出会い。日本の僧侶大栗弘栄氏と出会い、結婚。息子の弘昴氏との再会。宇城先生との出会い。すべて必然の運命だなと感じました。 韓国舞踊家で日本の寺の住職をされている方がいることを知り、驚きました。ご苦労されたことも多くあったようですが、ご主人や父親、息子さんなどの家族の愛情に支えられて今があるのだと感じました。「道」を通して、感動を与えてくれる人を紹介していただけるので、毎回楽しみにしています。
金昴先さんと宇城先生の対談では、日本は素晴らしい文化と使命を持っていることを強く感じました。私達は日頃「昨日はありがとうございました」「このあいだは、ありがとうございまいした」等済んだことに対して何回も何回も会う度に感謝の心を表現しますが、それは日本にしかない珍しい文化なんだということを聞き驚きました。常に感謝の気持ちを持つこと、「ありがとう」と言葉で伝えることを今後は自覚的にしていこうと思いました。また、金さんは済んだことに対してもお礼を言う精神を世界に向かって伝えていけば「絶対に世界平和が実現する」と仰っています。世界平和の実現に向けて心を込めて「ありがとう」の気持ちを伝えていきたいです。宇城先生は「『気』の国、日本が世界を変える」と仰っていますが、私達の国日本は素晴らしい文化を持っています。もっともっと自分達が持つ文化に自覚を持つ必要があると思いました。息子さんの文章は大変心を打たれました。ご両親への愛、住職になることへの硬い決意。感動しました。野村哲也さんの砂漠に咲く花の写真からはたくさんのエネルギーをいただきました。誰に見てもらう訳でもなく、ただ一瞬を輝く為だけに咲く花の姿から、人の評価ばかりを気にする己の姿勢を反省しました。芽を出す番になるまで準備をしながらただひたすら待って、待って、待ち続ける強さを持ちたいと思いました。また、野村さんの「楽しいか、ワクワクするか」をいつも行動の指針とする姿勢から多くの刺激をいただきました。ありがとうございました。
季刊『道』最新刊では金昴先さんお話の中で、「ありがとう」の言葉を持つ日本人しか世界を変えられないのではないのかのお言葉に感動しました。「ありがとう」は感謝の気持ちを永続的に持つ言葉である。諸外国では、感謝はその場のみで終わってしまう。だが、日本人は「昨日はありがとう」「先日はありがとう」「先日はありがとう」等、感謝を忘れない民族であると、おっしゃられたときに本当に日本人でよかったと思いました。戦争を防ぎ、平和を持続させるには、感謝の気持ちを忘れないことであると信じています。「ありがとう」をより多く発することで、豊かな平和な人生を歩む努力をしていきます。
冬号にある、金 昴先さんの御子息14歳で本当にすごいメッセージ、胸がつまる想いと共に、将来を信じ一日も早い実現を希望してやみません。 毎朝、私も日韓中の三国が絆を深め、手を結び、アジアから世界平和が築けます様にと、声にして祈って居ります。金 昴先さんが言われる様に「有難うございます。」この様につかう言葉はないのでは、と思います。それを毎日言っている事に誇りをもつべきです。
『道』の本は、あらゆる角度から、生きる上での大切な中心点を教えていただける内容ばかりで、他の本とは違った、学びが出来ると感じて居ります。将来を担っていく世代の人達が一人でも多く『道』によって目覚め、日本を世界を素晴らしいところにかえていってほしいと祈る気持ちです。
80代の私でも『道』を読ませていただくと、胸の高鳴りを覚えるのですから、若い方なら即、実行に移し、日々が変わり、まわりが変わっていくと信じます。私もあと20歳若ければ必ず“気”を学ばせていただいたと思います。生きる上で“気”を学んだ人は、どんなに生甲斐を感じて居られるでしょう。日本から“気”を発していただいている事を有難く、感謝申し上げます。
松井健二先生の連載記事、 「五感を呼び醒ませ ― 鈍化した社会の中で―」を読ませていただき、何を努力しようと思ったのかを伝えさせて頂きたいと思います。今回もとても内容の濃い中、私に気付くことができました点は、
『感性を磨く努力をすること』
『人と向き合い人を知る努力をすること』
『正しくものを見ること』
『技術を磨くと共に自分の意識をコントロール出来る強さを身に付けること』
『心でもって身体の感覚をコントロール出来るように訓練すること』
とても上級のものもありますが、先ず私が取り組もうと思いましたのは『正しく見る』ということです。
私の今の『見る』は、メディアの録画という機能が感覚をダメにしたのか傍観者の『見る』そのものであり『この時に全神経を集中させて見る』ということが、自分にとってどれ程難しく、全く出来ていない事なのか、杖を始めてから少しずつ気づいて参りました。
『真剣に見る』という訓練を続けるこ とで、謙虚さを失った心から、見たいようにしか見ない、見たいものしか見ない、聴きたい事しか聴かない、都合の良いように理解する悪い癖をも、正していけるかもしれないと思うのです。
『観の目の体現』について、『光を感じて動作しました』とありますが、とても静かで研ぎ澄まされた心身でしか感じることが出来ないでありましょう光を、とても緊迫した状況下で捉えるのには余程の自己コントロール力が必要であると思うのですが…凄いです。
また、結界とは、神社の中でも白っぽく見える空間の事かな?と思いました。 神社の玉砂利の音は、とても身体に響くので静かに歩きたくなります。
もうすぐ、私は岐阜を去るのですが最近周りの山々を見てとても感じるのが、『受け入れてもらっていたのだ』ということです。この地に来て私は人々だけでなくこの自然にも受け入れてもらっていたから、このように生活してこれたのだと、そのように感じ感謝しています。
金昴先さんと宇城憲治先生の対談は何度も読み返しました。まず、18年前の四国で金昴先さんが体験された冷遇。日本国民として恥ずべき愚かな行為であり心からお詫び申し上げたいと思います。またそのような閉鎖的な我々の頭と心を切り拓いてくださった金昴先さん、故住職の御苦労には、心から謝意を表したいと思います。 お二方の努力もあり、身辺の範囲では閉鎖的冷遇状態も改善されたことを願いますが、記事からは、国家という大きな視点での日本の閉鎖性は、未だ解消されぬ大きな課題となっていることを学ばせて頂きました。現状の政治経済、防衛等を通じた国家間交渉でこの課題を乗り越えることには限界があり、統合プロデュースできる人材の発信による民間・文化交流が求められることに、心から納得できました。
金昴先さんの非常に大きなスケールの考え方は、韓国伝統舞踏の人間国宝であり、かつ四国八十八ヶ所霊場の住職であるという、大きな歴史を背負った文化が心身に刻み込まれているからだと感じました。まさにそのような大きなスケールで「人間愛をもってトータルプロデュースできる人材の創出」は、宇城憲治先生が「気づく、気づかせる」の連載を通じて発信されているメッセージの主眼の1つだと思います。
『道』で学ばせていただき、そのような人材に少しでも近づけるようになりたいです。また金昴先さんのご子息のスピーチには、大変感銘を受けました。とても15歳の青年の発信する内容とは思えません。後の世代には本当に魅力的な方々が沢山歩んできている。その世代から見て恥ずかしくない人間にならなければと、とても刺激を受けました。
『道』は人類愛を基底においた、スケールの大きな素晴らしい発信内容だと思います。これからも学ばせて頂きます。素晴らしい記事をありがとうございました。
金昴先さんの対談を読んで思ったことは、昴先さんはとても愛情深い方だと感じました。 ご家族に対する愛、踊りに対する愛、四国八十八ヶ所に対する愛、すべてにおいて逃げずに全力で取り組んでいらっしゃることが伝わりました。 読んで非常に元気になりました。
写真家の野村哲也さんの、砂漠の花園の写真は衝撃的でした。今までの砂漠のイメージは、ずっと「砂」だけでしたが、地面の中では花の種がじっと咲くのを待っており、機が熟すと花園になる。毎回同じ花ではなく、違う花が咲く。花の力強さ、自然の神秘に感動しました。また野村さんの、人生において「待つ時間」について、とても参考になりました。
現代は、とにかくすぐに成果を求める風潮があります。会社にしても即戦力を求めたりしています。世の中が「短気」なのでしょうか?人を育てていく方向に持っていかないと、社会がダメになるような気がしてなりません。人は急に成長しません。いろいろ経験したり、きっかけがあったりして、初めて成長すると思います。野村さんのお父様の「どこでも勉強、なんでも体験、駄目でもともと」の言葉通り、失敗を恐れず常に前向きに行動し、その行動を社会が暖かく見守るぐらいの器が必要なのだと思います。野村さんのお父様の子供に対する接し方は、現在子育てをしている私にとって、とても参考になりました。ありがとうございました。
いつも素晴らしい方々と出会わせていただき有難うございます。
今号は、美しい写真に目を奪われました。何年も待って一斉に同種の花で埋め尽くされた砂漠の花園、韓国の舞姫 金ミョウソンさんの跳躍。そして フィッツロイ山は、群青の空と錫色の雪がモノトーンの写真から透けて見える気がいたしました。
金ミョウソン氏の著書 『がまんの先には、いいことがまっている』を読んだ 時も、家族の愛の力に心を打たれました。また、さらに今回の対談を読んで、彼女の人生に大いなる自由を感じ、勇気と励ましを頂いたように思いました。なぜなら、彼女のお父様もご自身も共に日本人に差別され、また母国でも辛い思いをされてきたにも拘らず努力し、信念を貫き通されました。どんな辛い出来事があっても、人は愛に裏打ちされた信念があれば止まらず前に行ける。そして、感情が傷ついても、自分の感情をそのまま受け入れ飲み下して、自分を傷つけた土地でその文化と人たちに敬意を持ってつながっていける。なんという自由な生き方だろうと思いました。
日常の出来事やその都度湧いてくる感情に縛られている自分の不自由さを思いました。そして、ありがとうの文化がある日本に生まれた幸運と誇りを感じました。
今号はまた、親子のつながりを強く意識させられました。親が子に渡すべきものは、物や世間の常識でなく、親の信念とその行動で示される“信じられるもの”であると感じました。私は何を渡せるか、自分を見つめていきます。 また次号を楽しみに待っております。素晴らしい本をありがとうございました。
巻頭対談の金昴先さんのお話ではその波乱万丈な人生に圧倒されました。御主人の本当に大きな愛、また息子さんのスピーチには読んでいて胸がいっぱいになりました。
御主人の愛が金さんを支え、それに応えるように金さんが人の何倍もの苦難を乗り越え、そこに息子さんがまた金さん、日本、世界平和への希望となり進んでいく、本当に素晴らしいです。元気がでます。金さんと宇城先生が言われるよう、政府ではなく民間でのこういった交流が本当に両国の絆、発展に繋がるのだと思います。
写真家、野村さんの「突っ込む前にやめるな、地球を遊びきる、感動が人を変える」のお言葉に、前に進む勇気をもらえます。また体験が大事、というお父さんの教えがすごく今の野村さんに活きていて、身体の感動からくる行動だからあんなにもエネルギッシュなんだと納得してしまいます。
高校生の語り部、佐藤美南さんのお話は当時の気持ちが直に伝わってきました。南三陸町議員の三浦清人さんの言われるよう、その心を大事に見守り、育て、そして必要とあらば手助けができるようにならなければいけないと思いました。
松井健二さんの現代人の五感が鈍ってきているというお話で、自分自身も冬の霜柱の立つ音など、初めてその話を聞きました。考えた事もないものでした。また五感が鈍いから周りの人の気持が分からなかったり、自分のチャンスを逃したりしているんだと思いました。まさに読む前は鈍っている事にも気づかないくらい鈍っている自分がいました。
金澤泰子さんの、皇后様を大観衆の中から感じ取り、「きれいなおばあちゃま」と表現する翔子さんのこの美意識を何処で獲得したのだろう、という所がありましたが、自分も本当にそう思います。 多分、これは泰子さんが翔子さんを純然たる愛で育てたからだと思います。また翔子さんは人間は生まれながらに愛で完成されている、という事を体現されている唯一の存在なのではと思います。 現代教育に影響を受けず、お母さんの愛情を一身に受けたからこそ、周りの空気を調和の空間に変えてしまう程なのだと思います。
井口先生と宇城先生の特別対談もまさにお話にもあるよう、科学側から見るのではなく、自然側から物事を観察するという事への過渡期にもうすでに差し掛かってきているような対談でした。いかに科学という狭い価値観で物事を見る事が間違いだらけで危ういという事が分かってきていて、それを追及されている井口先生、宇城先生という二大賢人の語り合いから、我々は何が正しいのかを学びとらねばならないと思います。
最後にある、脊椎の手術をした方の治療の記事では驚愕と共に感動致しました。現代医学では絶対にあり得ない回復だと思います。そしていかに回復可能な患者を現代科学に基づいた医療が、回復不能という判断を下しているのかが分かります。人間の潜在能力を引き出せば、人類は存在自体が格段に進歩できるのではと一抹の希望を胸に抱かずにはいられない内容でした。
本当に毎回、どんどん内容に引き込まれ、同時に生きる希望へと繋がる力が増してきていると感じます。