季刊『道』 176号(2013年春)
『道』176号 [詳細・購入ページ]
宇城先生、よしだみどりさんの対談で、利が先に立つ危険性、「仁義如何を顧みず」にあるように、心が道理に外れ、真心を失った時が危ない。また、秋吉忠さんは時計屋さんから木彫り細工を手がけられていて、「お金のことを言う奴は最低の人間だ」「世の中お金じゃない」といったお父様の言葉や、字の練習をするのに「この中から一字選べ」「毎日清書して書け」「それを千字続けたらこの辞書の字は全部覚える」という小さい頃の一言で一つの木彫りを続けて、リンゴもそれに例えて彫り続けていて年数がたち、気づいたお話は深いお話だと思いました。
杖道の松井健二範士のお話でも、師の大切さ「恩義」が希薄になっていること、人間が人間らしく生きることなど考えさせられました。
・宇城先生とよしだみどりさんの対談
とても興味深く読むことが出来ました。松陰の「共に学んでいく姿勢」にとても感動を覚えました。共に学び、共に成長していく。今の教育現場や、子育てに必要ではないかと思います。実際、私自身子育てをしていて子供の感性に驚かされることもあります。子供の感性を受け取り、私たち大人も成長していく。子供と共に学んでいく姿勢も、大人には必要なのでは?と感じました。
・「夢多工房」を主催している秋吉忠さんの対談
昔の古き良き時代のお話を読み、今の時代に足りない物が見えてきました。私も昔は小刀で鉛筆を削り、竹トンボなどを作った記憶があります。しかし、それもいつの間にか使わなくなり、今では小刀=人を殺傷するということで禁止されています。
松井健二さんもおっしゃっていましたが、小刀を使って器用さを養い、扱い方を間違って血を見て痛さを覚え、他人に対して痛いことをしないことを覚える。秋吉さんも幼い頃、喧嘩をよくしたとおっしゃっていますが、喧嘩をして痛さを覚え、しかし喧嘩した相手とは仲良くなる。昔の方々はいろいろ経験して痛さを覚え、実生活に役立てている。しかし今の世の中は、経験させない親ばかりです。何か、守りに入っているような感じがします。人生は経験しないと得られないことばかりだと思います。それを親が潰している現実。この対談を読んで、目が覚めた思いです。私も親として、子供にいろいろと経験させたいと思っています。
・神道夢想流杖心会 松井健二さんの対談
「師」の大切さについて、再認識することが出来ました。人生は、良き師匠に出会えることで変わってくると思います。私自身も宇城先生に出会って、人生が変わりました。これからも「師」についていき、心を開き、教えを守り、豊かな人生を歩んでいきたいと思います。
松井さんが「今、日本人が一番いけないのは、自然に接しなさ過ぎることです」とおっしゃっていますが、この考えはその通りだと思います。私も小さい頃は自然の中で育ち、自然に親しんできましたが、東京に出てきてから、全く触れあうことがなくなりました。忙しさを理由にして、自然を忘れてしまったような気がします。気がついたら病気になったり、身体の変調が出てきました。それではまずいと思い、宇城先生に師事するようになってから、いろいろな気づきを得て、去年より田植え・稲刈りを手伝うようになりました。どんなに作業で疲れても、自然からエネルギーがもらえるような気がして、疲れても元気でいられます。
人間は自然を忘れてはいけない。
人間は自然を大切にしなければならない。
改めてこの対談を読んで認識しました。
・JICA企画調査員 阪長さんの対談
阪長さんの「外から見た日本」を読み、とても危機感を覚えました。豊かさに溺れ、大切な伝統が消えていく。しかし、そのことに全く気が付かない日本人。まだ伝統が残っている今だからこそ、心ある行動をして、伝統を取り戻さなくてはいけないと思いました。
今号も非常に濃密な内容で、時間を忘れ、あっという間に読ませていただきました。
吉田松陰の生き様について、ここまでリアルな感覚と共に伝えていただいたのは初めてでした。その心のレベルの高さに感動したのと同時に、普段の自分の甘さを感じました。
宇城先生の連載記事「気付く、気付かせる」で読んだ子供たちの感想文の真っ直ぐさ、何の曇りのない透明な心にもとても感動しました。
何よりも大事なものは「心」であり、死ぬまで人間として成長する、心を磨き上げていく、これを決して忘れてはならない。これが当たり前ではありますが、やはりとても大事なことであると、今号でも多くの感動を通して気付かせていただきました。
学ぶための好奇心、学問は人間を磨くためにあるのは本当にその通りだなと思います。自分もそうでしたが、何のために学んでいるかという事があまりにも欠落しているように思います。学問での取り組み方が、良い学校に入るため!良い仕事につくため!そのようなことに向けられ、只々知識を詰め込んで点数が取れれば優秀な人、優秀な人材だという教育があったからかもしれません。よしだみどりさんとの対談を読んでいて、そういった教育ではなく人間としての魅力に引き付けられ、その魅力を学びにきていたこと。それが今、自分が宇城先生に学びに行っている事と重なりました。そして、自分が何を宇城先生から学んでいきたいかがハッキリ見えました。
『人としての魅力』。
宇城道塾などに通い、4年目にして人は魅力で引きつけるということが心の中にスッと入ってきた感じがありました。その魅力が出せることにより、人を愛し、体罰でない本当の愛の鞭に変わるのだと思いました。そのためには、教育を変えていく、自分の子の躾も、もっと変えていかないといけないと思いました。厳しさの中にある愛情、それは何も言わなくても子供が感じとってくれるので、それを感じてもらうよう日々日常をしっかりやっていきたいと思います。
しかし、幕末と現代でここまで教育や躾が違ったことには驚かされました。ここまで現代の教育、人間力が落ちているということに危機感を抱かない。本当にこのままでは日本はダメになる方向にしか進まないと思います。今はまだ微々たる影響も出せないかもしれませんが、一人革命に務めていきます。
「夢多工房」主催、秋吉忠さんが中学生の頃、字の練習をしようとした際に、脳梗塞で亡くなる一カ月前のお父様から「辞書から選んだ一字だけを千回清書したら、辞書の字は全部覚える」と教えられたというエピソードが大変印象に残りました。
自らが選び継続を決意し実践していくことは、やがて様々なことに応用が効くようになるため、一見「無駄」なようでも「夢多」に繋がるものということを教わりました。現在の私達の周囲には安易に答えが出せるような便利な時代であるため、答えを出すことに時間をかけるのは無駄なように感じがちですが、頭で理解する答えと身体で理解する答えのレベルの違い、人生で活かせない答え、活かせる答えの違いでもあるように思いました。様々な答えが安易に出しやすい現代の方が、自らの決意や実践の継続が伴わないため、答えを一つに定められず、かえって「無駄」が多くなる恐れもあるように感じます。「不易流行」の大切さをあらためて学べました。
巻頭対談「吉田松陰が獄中でつかんだ教育の極意 幕末の人間力を語る」は、我が国の先達にこれほどの偉人がいたことに驚かされ、先達を誇りに感じると同時に、現代の日本との大きすぎるギャップを、心から恥ずかしく思わされる内容でした。9歳、10歳という年齢で、現代の成人よりもはるかに高みにある人格と教養。また、そういう崇高なものを目指して共に切磋琢磨して学んでいた、当時の人々の次元の高さ。「金の役に立たないものは価値がない」と言わんばかりに、心を捨て、教養を軽んじる現代の日本の真逆にあり、わずか数世代前から比べて格段に品格を落としてしまった日本の現在が浮き彫りになるような対談だと感じました。25~26歳が、しかも獄中にあって、人の一生を左右するような教育を実践する。松陰に会った人は人が変わり、走り出す。もし松陰が現代の日本に蘇ったら、何を感じ、どのような行動を起こすのか。到底至らないとは分かりつつも、松陰のような人を手本に、目指して生きていきたいと思わされる内容でした。
宇城師範の連載「気づく、気づかせる」では、子供の優しさや純粋さ、思いやり、そして無限の可能性を、大人である我々は虚心坦懐に見習い、学び直さなければならないと感じました。カンボジアの遺産の壁画に示された、人間の内なる善性と悪性との戦いを表した壁画。悪性にとらわれれば衰退、破滅が待っていることを教えてくれる壁画の存在は、松陰の語る「憂慮とすべきは、人心の正しからざるなり。」とまさに一致しており、国の発展や衰退は、究極、人心の正しさ、善性、真心にゆだねられているということではないかと思いました。『道』に掲載されている方々のお言葉、お姿を胸に、自身も精進していかなければと思いました。
毎号納得して読み終わる前に次の号が来てしまうので、受け止めきれない感じです。
JICA企画調査員の阪長友仁さんの寄稿がとても心に触れました。最初のスリランカから世界を周り、2011年からはグアテマラでひとつの仕事に就かれていることに、ご本人の努力や人柄や様々な縁を感じます。歩いて5分のオフィスに行くことにまで気をつけなければいけない環境は、日本に住む自分には想像がつきません。
「日本の空気は浮つき音を立てて崩れそう」
「本当に大事なものがわからなくなっている」
自分を振り返り、恥じることのない日本人にならなければと思いました。
「ユーモアや深さが文化、習慣から生まれ出てくる」
躾とか知らないうちにないがしろにしてきた作法の中に大切な教えがあったのだと、改めて心を開いて挨拶をするとか、靴を揃えるとか、当たり前のことを大切にしたいと感じました。
人と接する時に「謙虚な気持ちを大切にしながらと日本人としての誇りは毅然として伝える」という生き方は『道』そのものだと思いました。
海外におられる方ほど「日本で日本人のために貢献したい」と思われるのかと、気持ちが伝わります。野球以外でも素晴らしい経験を伝えることは出来ると思いますので、体に気を付けていただき、今後も活動を教えていただきたいと思います。
共に歩んで進んでいきたいと感じる阪長さんの記事でした。
いつも盛り沢山で、しかも一つ一つの内容がとても濃く、考えさせられることが多々あってなかなか言葉がまとまりません。いつも素晴らしい内容を届けてくださり、どうもありがとうございます。
今号も沢山のことを学ばせていただきました。
吉田松陰がとても謙虚な方だったという話が、ちょっと意外で印象に残りました。いつの時代でも、深さを知る人は自ずと謙虚になっていくのだろうと思いました。
そして今号は、必死になって何かをする、ということについて考えさせられました。幕末の吉田松陰の時代はもとより、一昔前までは誰もが必死にならなければ一人前になること、生きていくことさえも難しかったのだろうと思います。平和で物のあふれる今の時代、必死にならずともぼちぼちなら暮らせる、それは恵まれているように見えて、実は火事場のばか力のような潜在能力を顕在化する機会を失っているようにも感じました。背水の陣で事に当たることの大切さを教えていただくと同時に、どうすれば今の自分にその教訓を活かすことが出来るのか、その難しさについても考えさせられました。
いつも自分にとって、そのときに必要なこと、真実が掲載されていていると思います。
今回の巻頭対談の吉田松陰の部分を読んで、松陰の教育の極意に触れ、改めて松陰の存在自体が人の心を揺り動かし、自ら学ぶ原動力になったのだとわかりました。子育ての真最中の私自身が、子どもとともに成長していけるように、絶えず心することが必要だと思いました。