季刊『道』 174号(2012年秋)
『道』174号 [詳細・購入ページ]
5才の男の子が日本兵に撃ち殺されたところは、さすがに悲しくなりました。殺された男の子がかわいそうと思う気持ちと、撃ち殺した日本兵に対する哀れみの気持ちを感じました。
戦争じゃなければ、皆、幸せに暮らせるはずなのに。
殺されることもないし、殺すこともない。
戦争は人の心を奪う、最悪の出来事だと思います。
日本はもうすぐ戦後から70年が経ちます。大半の日本人は戦後生まれとなり、どんどん戦争を知らない世代に置き換わっていきます。戦争を「他人事」のように聞いている方たちが増え、私はとても悲しいと思います。
20年ほど前、高校の修学旅行の時に広島に行ったのですが、その時、原爆被害を受けられた方からお話を伺いました。私は真剣に聞き入りましたが、同級生達は騒いだりしてまったく興味がない様子でした。時が経つにつれて記憶が薄れていくだけでは済まされません。過去の反省を踏まえた上で、平和な世の中を作り上げていく義務が人間には課されていると思います。未だに南京大虐殺はあった・なかったを議論しておりますが、私はこの議論自体、程度の低いことだと思います。人々が戦争によって犠牲になっていること自体が問題なのです。
もっと命の尊さ、人間とは何か?を考えていかなくてはならないと思います。その意味では、山里さんのような語り部の方々から、今を生きている方々が、もっと学ばなくてはならないと思いますし、戦争の悲惨さを受け継がなくてはいけないと思っています。
季刊『道』では、私が知らない世界で活躍する方々の想像を絶する生き様が、臨場感を持って伝わってきます。中でも、書家の金澤翔子さんに感銘を受けました。障害を障害としない強さに、恵まれて生まれてきたと思っていた私の観念が覆されたのです。
国語や数学の教科書なんかより、ずっと学ぶものが豊富に含まれていると感じました。これからも繰り返し読もうと思います。
『道』は読んで気持ちが明るくなり、やる気を出させてもらえる本で友人にも薦めています。出てくる方、一人一人が向上心とこだわりを持ってやられているので、話に深さがあり、他の本にないものを毎回得ています。 今回の秋号では、ロケット開発の植松努さんの「腹が立つなと思ったら、そいつのためになんでもしてやれ」という言葉が印象的でした。自分自身、うまくいかない相手がいると避けがちだったので、考えを改めさせられました。自分が変わらなければと思わせる言葉でした。
「沖縄の祈り」山里和枝さんの記事を拝見いたしました。とても壮絶で悲しさと怒りで胸が締め付けられる思いでした。生と死の中で生きる・生かされる事、友軍から殺される子供・戦死していく友達・先輩。当時どんなに苦しいことだった事か。本当に衝撃を受けました。語り手として伝えてくださるお話は、今の私たちにとってとても貴重であり、絶対に戦争は繰り返してはならないと思います。私たちが平和な時代に生まれ、生きること・生かされている事を真剣に向き合えているだろうか? 自己中心的であり、悩み・苦しみ・楽しさは自分だけにあるのだと勘違いをし、周囲に目を配る事すらできていない時代なんだとも思いました。覚悟を持って生きられている山里さんと覚悟を失くして生きている私達は、生かされていることを感じなければならないと思いました。
植松専務の「どうせ無理」をなくす活動、ロケット開発を自ら実践して「無理」はないのだ、人間にはすごい力があることを証明している姿に感動しました。私も、自分の力・人間の力を信じて絶対にあきらめない、「自分はこうする」という姿勢を常に持ち続けたいと思います。植松専務は、自分とほぼ同じ年齢ですが、同世代にこんなすごい考え方と実践をしている人がいることを知り、本当に驚き、刺激を受けました。
中嶌住職の「福井の祈り」の記事で、「消費地元」という考え方を知り、原発問題は、原発の電力を消費してきた人の問題であることに改めて気付かされました。私は、中部地方の大都市圏である愛知県で生活し、電力を大量に消費する製造業に従事しています。おそらく、これまで浜岡原発の電力を大量に消費してきたのではないかと思います。このような原発電力の消費者が、これまでの電力使いたい放題の生活・事業を見直し、電力消費をとことん削減し、もう「原発不要」と言える状況を作っていくことが大事ではないかと思いました。
仏教慈徳学園の花輪園長ご夫妻・ご両親の、24時間の全ての生活をかけて非行少年の更生に尽くす姿は、本当にすごいと思いました。私には、自分の全ての人生をかけて人に尽くす覚悟ができていません。自分の自己中心と未熟さを改めて思い知りました。
『道』で毎号、私たちの手本・模範となる素晴らしい人・実践をご紹介して下さり、本当にありがとうございます。世の中には、人の幸せのため、自分の人生をかけてここまですごい実践をしている人がいるということを知ると、自分の努力・修行不足を反省させられるとともに、自分ももっと頑張ろうという意欲が湧いてきます。
女流書家金澤翔子さんの母君、金沢泰子さんの連載をいつも興味深く拝見しております。特に、第7回目の「翔子の微笑み」に深く考えさせられました。この回が掲載される前、翔子さんの書展に何回か足を運んでおりました。私は書道にはあまり詳しくありませんが、たくさんの素晴らしい作品のその中でも翔子さんの「笑」という書を見て、翔子さんに溢れる無償の愛のようなものを感じ、胸がいっぱいになりました。
絶望の淵にいた泰子さんは、ある日翔子さんが子犬を見て微笑む姿を見て、人間の神秘の重大さを感じ、救われたと仰っています。きっとあの「笑」の書からも、翔子さんの微笑みが自然と伝わり、見る人の気持ちを震わせるのだと感じました。
殆ど無名なのにこんなにも素晴らしい人間性を持った方々が世の中には存在するのだといつも驚きと希望を持って読ませていただいています。植松氏の対談の中に「リーダーシップとは先にやるという意味で、おかしいと思うことを自分ならこうするという仲間を増やしたい」とありましたが、まさに宇城先生のおっしゃる一人革命のことと思いました。『道』に掲載されるのは、そんな生き生きと輝いている方ばかりで、自分も何かしら小さいことでも頑張ろうという前向きな気持ちになります。
宇城先生と植松努さんのお話を読んで、今の若い人達や子供の現状教育等のお話の中で、特に今の学校の受験を主体とした教育システムに問題があるという所に私も共感しました。中学校から英語の単語や文法を勉強しているのに高校を卒業しても英語が話せないという矛盾がある。いかに、日本の受験中心の勉強が間違っているかがよく理解することができ、考えさせられました。
北海道の赤平市という一角に、一際光輝く存在で日本の北の空を照らし始めている方がいることをとても嬉しく思いました。植松さんの透明感のある感性と実践哲学は、ネパール・ムスタンで大変な偉業を成し遂げた近藤亨先生に続く一人革命の達成者だと思います。これからの日本を考えた時、具体的に未来を形作る生き方はロケットの宇宙開発にとどまらず、教育、農業と希望を与える力強い行動力だと思いました。見習う点が沢山ありました。
宇城先生と、北海道の赤平市の町で社員が20名という小さな会社でロケット開発をされている植松さんの対談が掲載されていました。その中でも、お二人の教育についてのお話が印象に残っております。植松さんは「今、学校で教える人生の選択肢が『雇ってもらう』しかないんですね。完全におかしなことになっていて、支配されることしか教えないんですよ。本当は会社を興す人間が一人いたら、2、3人は雇う。雇用が絶対に生まれるんです。だから、学校は起業したい人を増やすべきなんですよ。そういう人を支える教育だったり社会システムが必要だと思いますね」とおっしゃっておられました。
現在、私の周りで就職活動を終えた、あるいはその最中の知人と話をしていても、就職活動がいかに相対的に大手や給料がいいなどの優秀な企業に入れるかの競争のゲームになっているように感じられます。残念ですが、DNAに刻まれている自分自身の使命を探り、それに基づいて今の日本のために自分が何ができるか考えて行動している学生というのは非常に少ないように思えます。 宇城先生が最近よくおっしゃっておられますが、これからは大企業といえども、立ちいかなくなるような時代です。そのような時代で生き延び、社会をより良くしていくには、閉塞した社会の中で何とか突破口を見出していかなくてはなりません。
そのためには、状況を正しく読み取る身体感度の高さと発想力が必要です。そしてそれを実行に移す行動力も必要となってきます。しかし、現行の教育システムはそれらの力を生み出すどころか、子どもの生まれ持った潜在能力を潰している状況です。これでは日本の社会がますます閉塞し、崩壊へと向かっていってしまいます。
私は子どもが好きで、教育というものにも興味があるので、将来はなんらかの形で教育に携わる仕事がしたいと考えております。少し自分の中に、教育の分野で何かしなければという使命感のようなものも生まれてきているようにも感じております。今はまだ、具体的にどうするかという段階にはなっておりませんが、宇城先生や植松さんの「何でもしてあげる作戦」に代表されるように、人の何倍ものスピードで動かれているお話を聞かせていただくと、そのことは全く不可能なことではないなと感じております。
また、植松さんの職場の高校中退の社員さんが航空機の設計書を読むというお話。宇城先生がいつもおっしゃっている日本の教育で教えられている英語、数学などの勉強は知識詰め込み方の勉強であり、実際に使えないものであるというお話。その両方を聞いていると、やはり人間は学びが起動すると本当に自ら進んで勉強するものでありますが、そのような学びを起動させるような仕組みが、日本の教育にはないことを痛感しております。そのような日本の教育を改善していくにはどのようにすればよいか。そしてどう動いていけばよいのか。真剣に考えて、これから具体的に行動を起こして参ります。
季刊『道』に登場される方々の生き様に毎回感動しております。
174号では、植松氏の行動力から、周囲に流されずに自分から行動することの大切さを学び、そのためにぶれない土台を確立できるよう努力しようと思いました。氏の「何かをしてもらおうと思ったら支配される側になってしまい、その支配から抜け出すためには自分でするしかない」という言葉が印象に残りました。
大事なことは自分自身の知恵と能力をいかに高めるかということで、まず自分の能力を向上させ「おかしい」と思ったことを「俺ならこうする」と言って行動を起こす。そして皆が勝手にやり始めた結果「それがいいよね!」という仕組みができるのが一番いい、と植松さんはおっしゃり、それを実践しておられます。日本はもう「何とかなるだろう」とは言っていられない時間に来ている。そういう覚悟の中でのまさに「一人革命」だと思いました。
しかし、そういうやる気、エネルギーをどんどんしぼませている仕組みが今の教育制度であると宇城先生はおっしゃいます。受験に重きをおいた教育ではなく、子供達の能力をあげるための教育にしなければならない。「勉強すればするほど能力が増えて人の役に立つ人間になるはずなのに、その得た能力をなるべく使わないために勉強している。学問は楽をするためにあると教えている人が未だにたくさんいる」という植松さんの言葉にうなづくばかりです。
子供達には「社会の役に立つ人になりなさい」といい続けるべきだということ。結果を褒めるのではなく過程でどれだけ頑張ったかを褒めさえすればそれで前に進めるということ。教育に携わっている私にとって胸に留めておきたい言葉です。
そして究極は宇城先生のおっしゃる「人間には無限の可能性があるということを論す教育」だと思います。そこから喜びと希望が湧き、感謝、祈り、奉仕する心が出てくるような本来の人間としてあるべき姿に到達できるような教育であるべきなのだと思います。
宇城先生の教えが広まり、我々が潜在能力に気付き、伝統文化を見直し日本人の遺伝子が目覚めれば、誇りある日本を取戻し世界を導く国になれるのだろうと思います。今のままの日本ではあまりにも情けないと思います。
「スピードを3倍に上げる。自主性を持ち修行と思ってトライする。するとそこに覚悟が生まれる」というお言葉を深く刻み、一人革命を実践していくことこそが宇城先生の教えを広めていくことにつながるのだと思います。そしてまさに植松さんの生き方はその『道』を極めようとしている生き方だと思いました。
足元にも及ばないわが身を振り返ると、自分の小ささを改めて実感しますが、それでも小さな小さな一歩を歩み続けるしかないのだということを確信させていただきました。
中嶌哲演さんのインタビューでは、日本は長崎の原爆があって初めて戦争をやめた、第二第三の「福島」がないと原発をやめないのではないか、と指摘されています。日本人の甘さ、ひいては自分の甘さまで、するどく指摘されていると思います。原発ができていく過程で、反対運動ができなくなる仕組みが巧妙に作られていく、ということの指摘もありました。多くの人の犠牲の上に、原発による電気利用が可能となってきたということは、改めて、しっかり理解しなければならないと思いました。
植松努さんと宇城先生の対談を楽しみにしておりました。私は今夏に植松さんの講演を拝聴する機会がありました。そこでも「どうせ無理」をこの世からなくしたいとおっしゃっておりました。今回の対談で電気を直流で供給し、家電のACアダプターをなくして変換ロスをおさえれば電力は10%減るというアイディアを示されていますが、それはシンプルで効率的だと思いました。世の中には、こうすれば良くなるということがあるけれど、誰も思いつかなかったり、既得権のために手をつけていなかったりすることがあるが、もしその方向に動くことができれば世の中が良くなるように思いました。また「勉強をすればするほど能力が増えて人の役に立つ人間になるはず」「学問は社会の問題を解決するためにある」という勉強や学問の本来の意味を明快に示していただきました。「腹が立つと思ったら、そいつのために何でもしてやれ」という言葉は、聖書の「右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という言葉を思い出させました。植松さんの言われる「何でもしてあげる作戦」は、逆境をチャンスに変え、苦を楽に変え、自分の能力を高める術だと思いました。そして知らない、わからないではなく、自分だったらこうやってやるという提案をする、自分なりのやり方を考える姿勢を育てることが大切なんだということ、それこそが困難を乗り越える力、生きる力になることを気づかせていただきました。
今回の『道』でとくに感銘を受けたのが、仏教慈徳学園の花輪英三さんの記事です。市井の中で非行少年を家庭の愛で育て直す実践が行なわれていることに尊敬と希望の念が湧きました。少年たちが自分たちのために朝から晩まで一日も休むことなく働く英三さんの母の姿を見て、本来の親の愛情を肌で感じ、人を信じることを覚え、やがて「奥さんを休ませてあげたい」と、相手を気遣う心を取り戻していく。それは正に真っ当な人としての心が育つ過程であると思いました。英三さんのお父上の次郎氏は、イグナチオ教会のエルナンデス師や料理研究家の辰巳芳子先生という『道』誌に取り上げられた方々と出会っておられることもご縁を感じます。「皆が同じ種をもらっているんです。あとはその種が播かれる場所、育ち方。その育ち方の栄養分が教育なんです」という言葉は、「人間は生まれながらに完成形」で、それを壊さず育てる教育を提唱されている宇城先生の教えにも通じると思いました。安積得也先生の「明日」という詩をこの記事で知りましたが、覚えておきたい言葉だと思いました。そして私も自分の場所でこのような心で仕事をしたいと思いました。
『道』は、一般のマスコミではほとんど取り上げられないが、市井の中で素晴らしい仕事をされている方々を私たちに紹介して下さる貴重な季刊誌です。このような方々を私たちに知らせていただくことに感謝申し上げます。
植松さんの言葉に「私は仲間を見つけようと思ってお話ししています」とありました。「仲間」というのは、自分で「おかしいよね」と思ったことを「じゃあ俺ならこうする」という人たちで、そういう人たちが同時多発的にいろんなところで増えたら、世の中が良くなるのではないかと思っています、とおっしゃっています。
この『道』に登場する方々、また微力ながら私たち読者一人ひとりがつながって「仲間」となり、それぞれの場所で働くことが、世の中が良くなる動きにつながるのではないかと思いました。それが宇城先生の言われる「一人革命」でもあるのではないかと感じました。
対談「ロケット開発に込める思い」を読み感銘を受けました。こういう方がいるのだということに正直驚かされました。難しいかじ取りを要求される今の市場経済の中で実際の企業経営に携わりながら、直接の利益につながるというわけではないロケット開発を、「宇宙開発は修練」として、この世にないものを創り出そうとすることは、実に言うに易しく、行うに難しのところがあると思います。しかしそれを実践する植松さんの一つ一つの言葉からは熱い思いが伝わってきました。
「『やったことがないから無理だ』と言ってはならない。『やったことがないから引っくり返せる』というのがあると思うんですよ。」
実際に動いている人の言葉は、心に響きます。北海道の小さな町のそして小さな企業の大きな夢は、これからの日本人一人一人が持つべき気概を象徴的にあらわしていると思いました。それは、植松さんが最初に語った「『誰かに何とかして欲しい』といっている間は何も起きないですから。今、日本は滅びる寸前ですよね。『何とかなるだろう、ということはないのだ』ということを覚悟しなくてはならない時期にきていると思います。」という一つの危機意識をひとりひとりが持って歩むことだと思います。例えそれが小さな一歩でも前に進むことこそが元気の出る未来につながることを示してくれている、そのことをこの対談から学びました。
「沖縄の祈り」「福井の祈り」の二つの記事はとても考えさせられました。沖縄戦語り部としての山里さん、原発設置反対小浜市民の会元事務局長の中嶌さん。お二人の語る内容は日本が、日本人が決して忘れてはならない重い事実、課題として、時空を越えてそれぞれ突きつけるものがあります。友軍からも見捨てられるばかりか、あろうことか逆に殺され、さらにわが子も自らの手で殺さなければならなくなるところまで追いつめられるという悲劇。このようなことが実際にあったという沖縄戦という戦争の事実の重さ。昨年の東日本大震災における福島の原発事故で事実として証明されてしまった、誰もがかかわりうる可能性を持つ「被害地元」。そして原発設置反対運動の小浜市民が地元になれない「立地地元」や地元としての自覚のない「消費地元」など。それぞれの場のなかで結果的に原発ムラという巨大なリスクの場に絡めとられていく人間社会の持つ矛盾と脆弱さ。これらの事実や課題が横たわる現実を前にして私たちに何ができるのでしょうか。戦争も原発の持つリスクも、多くの犠牲の上に立つ人間の虚構の進歩を象徴する負のエネルギーといえると思います。
今必要なこと、大事なことは、それが負のエネルギーであることを意識的に捉え続けていくことではないか。その意味で、中嶌さんの長年反対し続けてきた懸念の根拠そのものが、現実のものとなってしまった福島原発事故の事実をしっかりと見据え続けること、そしてその視点から、沖縄戦という悲劇も、今の沖縄の基地問題やオスプレイのような現実のリスクとしての姿もそれぞれを重ねて見続けていかなければならない、ということだと思います。それぞれは繋がっている。決して過去の出来事ではないし、”遠い”道奥の福島における、あるいは本土から離れた”遠い”沖縄の出来事ではない。自分たちの住んでいる街の傍で起きていることでもあるということを、日本人が一人一人の立場で危機意識を持って感じていかなければいけないのだと思いました。
今回の記事において語られたことは、やはり時を超えて多くの人に伝わって欲しいと思います。これからも『道』には元気の出る力を持つ人や、日本人が忘れてはならない心を伝える人の記事を期待したいと思います。
海外在住の『道』愛読者です。また、海外にいる日本人として、また、日本・アメリカ両国籍を持つ子供たちを育てる親として、私は今何をすべきか、何が出来るのかを『道』を片手に模索しつづける日々を過ごしています。
最近では、「親の愛情と安全な遊び場、そして、きれいな水・空気・食べ物さえあれば幸せな子供たちなのに、私たち大人はそれさえも保証できない世の中にしてしまった」と、とても悲観的になってしまう、自分の無力さ・不甲斐なさに打ちのめされる状態に陥ることも多々ありますが、宇城先生、そして『道』にちりばめられている貴重なお言葉を心に「親であるからこそ、希望を持たなくてはいけない、前向きに進まなければならない」とも思う日々でもあります。
そのような時に、今回の植松努さんのような方がいらっしゃるのを知るのは、とても希望を感じます。そして、「頼る人がいるから、政治家が力をもつんです。・・・ 自分でやればいいんです」という植松さんの率直なご意見に私も賛成します。ドイツ・フライブルク市がトップダウンではなく、むしろ自分たち市民の力で自然エネルギー自給を目指しているように、これからは人任せではなく、私たち一人ひとりが動かなければならない時なのだと思います。(そして、その過程で政治も変えていけたら・・・。)
私は日本高度成長期に生まれ、何不自由なく育ってきた現代っ子でもあります。そのような者が、今回山里和枝さんの大変貴重なお話に出会うことができたのはとても幸運なことで、これからも大事に読ませていただきたいと思っております。そして、もう少し大きくなれば、日本とアメリカを背負う私の子供たちにも伝えていけたら、とも思っております。私はこれからも希望を持ち続け、行動します。
宇城先生と植松努氏の巻頭対談を読み、なんとも言えず感動しました。
実はここ数ヶ月、毎日同じように仕事をしているうちにあっという間に時間が経ち、どうも今ひとつ充実感がないように感じていました。仕事が忙しいこと自体は良い事ですし、時の経つのが速いのも今に始まったことではないのですが、なんとなく弛れてやる気が出てこない感じだったのです。実践塾の稽古に行ったあとは、「やらなきゃいかん」と思うのですが、しばらくするといつもの日常に埋没しがちになってしまいます。しかし、先生と植松努氏の対談を読み、自分の甘さが恥ずかしくなりました。同時に前向きな気持ちも湧いてきました。
植松氏のことは今まで全く存じませんでした。そして、失礼ながらこのような地方の小規模な会社が、これほど壮大な夢を追い実現させていることに全く感心してしまいました。これまで、『道』の対談を読んでいて色々と勉強にはなるものの、心のどこかで「ここに登場する人達は我々のような凡人とは違う、特別な人々だから」という気持ちがあったのは否めません。しかし植松氏は、まさに普通の小企業の経営者です。違うのは心の在り方です。自分でも、気持ち次第でもっとやれそうな気がしてきました。とにかく出来るところからもっと必死に仕事をしよう、そういう考えになりました。
早速、植松氏のご著書を購入し、是非うちの子供達にも読ませたいと思っています。素晴らしい対談を有難うございました。
今回の『道』も濃密なインタビューばかりで大変感動いたしました。
巻頭、植松氏と宇城師範の対談では、人間の潜在能力や宇宙といった「壮大な未知」に挑戦する両氏の物の見方、考え方に多くの共通点があることを感じました。また、両氏に共通する「子供達の未来を少しでも希望のあるものにしよう」という姿勢が文章を通じて伝わってきました。植松氏のお話から、宇宙という壮大な領域でさえ、悲しいかな既得権争いが始まっていることに大変驚くと共に、そこに先手を打っている植松氏の先見性、実現力に感銘を受けました。
”沖縄戦語り部”の山里女史のインタビューは、一度で読みきることができず、内容の重さに耐えられないほどでした。「壕に行くときは黒糖と牛乳をいつも忘れずに持っていく」とおっしゃる山里女史は「どうしても笑顔になれない」ほどのものを抱えていらっしゃいます。壕の中に数百人で住むという現実は想像を絶します。さらに壕内の死体捨て場や、泣き声を止めるために我が子を窒息死させなければならなかった母親のことを想うと、戦争だけは、何が何でもあってはならないのだという気持ちが沸いて来ます。山里女史を訪れ、教科書からでは伝わらない、戦争の重みを知る子供達のように、実際に辛苦を経験した方々が御存命のうちに、その思いを受け継がなければと思います。
「福井の祈り」中蔦哲演住職のインタビューでは「消費地元」という考え方を知り、全国民が原発問題に密接に絡んでおり、無関心ではいられない理由があることに気付かされました。結局、原発からうまれる電気に大きく依存している地域があるから止められない。被害地元・立地地元に同情しているだけで、黙って電気を使い続けている我々も、原発の存続を許してしまっているのだと思います。まず早急に、消費地元に相当する我々こそが「いらない」という意思表明をすることが大事であると同時に、植松氏の言う「原発がなくてもいい状況」を構想していくことが大事だと思いました。
岩井氏のインタビューでは、「退院促進事業」「心神喪失者等医療観察法」と一部執行猶予制度が、どう考えてもつながっているとしか考えられず、心底驚愕しました。連載を拝読していましたが、それぞれの奇妙な関連性に気付くことはできませんでした。また、メディアであまり注目されていないため、そもそもこのトピックは関心すらもたれていません。全てを知りながら、それでもその状況に立ち向かっていらっしゃる岩井氏の姿に、心から敬意を抱きます。
全体を通じて「やったことがないからあきらめる」という発想を捨てる、頼らない、自分こそが当事者であるという意識を持って、一人ひとりが立ち向かっていくことが大切だということを感じました。
「ロケット開発に込める思い」を読んで、北海道の赤平市という一角に、一際光輝く存在で日本の北の空を照らし始めている方がいることをとても嬉しく思いました。植松さんの透明感のある感性と実践哲学は、ネパール・ムスタンで大変な偉業を成し遂げた近藤亨先生に続く1人革命の達成者だと思います。これからの日本を考えた時、具体的に未来を形作る生き方はロケットの宇宙開発にとどまらず、教育、農業と希望を与える力強い行動力だと思いました。見習う点が沢山ありました。その様な方を見つけだす宇城先生のセンサーも、本当にすごいと思いました。
沖縄で生まれ育った私が「沖縄の祈り」を読んで思ったことは、沖縄戦が本土決戦を避けるために長期戦を強いられ、兵隊でもないひめゆり部隊のような女学生までも駆り出されるという、ひどい戦い方をさせられたことです。広島、長崎だけでなく沖縄にも核兵器を投下する計画があったことを最近知りました。それを止めたのが、武器を持たず三味線を持って平和を唄い続けた「琉球の心」だったと聞きました。語り部の山里さんの眼差しを見たとき、沖縄の高齢者の方々が同じような眼差しだったことを思い出しました。心に消し去ることの出来ない傷を負うと、それを一生背負って生きてるため目の中がいつも遠くを見ているような感じです。戦争体験をした方々の話を聞いて思います。怯える心は人を異常状態にします。死の恐怖から考えられないような恐ろしい行動をとってしまうほど心が凶器と化します。
日本はアジアの国々を侵略したことに対し、どう責任を取ったのだろう。沖縄の子供たちへの安全・人権軽視は甚だしく、沖縄は今も植民地のようです。山里さんの思いを背負って今を生きる責任は、安保の傘の下にいる全国民一人一人だと思います。「どう出版」の歴史の事実に対する取り組み方に対し、感動と感謝の意を申し上げます。
巻頭対談で植松努氏が大会社に対する戦略として「何でもしてあげる作戦」を実行しているというくだりを読んで、これは組織にも個人にも適用できると思いました。成果が出るまで時間はかかっても勝率はかなり高く、お互いが幸せになれる道です。また、宇城先生の言われる「3本勝負の1本目をとる」という教えも日常に活かせる実践哲学だと思います。確実に最初の1本をとる実力があれば、残りの2本も確実にとれるのですが敢えて相手に譲る、これは相手のレベルが高ければ高いほどこちらを脅威に感じ、日常の中で「戦わずして勝つ」を示すことができます。
近藤亨先生についてのお話も出ていましたが、お三方に共通しておられることは、専門分野を超越して幅広く教育現場にまで携わっている懐の深さです。まさに統一体の思考がなせる業であり、今の私に最も足りない部分でもあります。ついつい自分に負けて「どうせ無理」と思いがちな自分に活を入れていただいた気分です。ありがとうございます。
沖縄戦の語り部・山里和枝さんの記事は心にぐっとくる内容でした。本当は思い出したくもない悲惨な戦争体験を語り継ぐことが自分の使命と受け止め、経験者ならではの生々しいお話に当時の状況を想像しました。しかし、想像はどんなにリアルに想像しても頭脳の産物です。実際に体験した方の思いには遠く及びません。何といっても一番むごいと思ったのは、味方のはずの日本軍が黒糖ほしさに子どもを撃ち殺したことです。米軍よりも日本軍にひどい仕打ちを受けていたのが沖縄戦であり、それは戦後67年が経った現在も何ら変わらず、沖縄県民は日本政府に差別され裏切られ翻弄され続けています。家内がたまたま沖縄の人だったり出会った空手が沖縄古伝空手だったりと私は沖縄に縁を持ちました。残りの人生を仕事もしながら沖縄の平和や沖縄の子どもたちのために少しでも役に立ちたいと山里さんの記事を読んで思いを強くしました。二度と戦争が繰り返されてはいけません。間違ったことには勇気をもって「NO!」と言える肚をつくっていきたいと思います。