季刊『道』 171号(2012年冬)
『道』171号 [詳細・購入ページ]
連載「気づく、気づかせる」を読みました。
自分に真の情熱や気迫があるかと問われれば、ないことに愕然とする。大学院の教員として、そして企業の経営幹部の一人として偉そうにしている自分。だが、本当の情熱や気迫をもって物事に当たっているかといえば否である。
これから日本は大変な時期に差し掛かっている。今こそ、情熱や気迫をもって世の中を変える人材の到来が求められる。自分もその一人となるため、今日から自分を変えたいと思った。
もう誰かを犠牲にしての便利な生活はいらないし、また将来事故が起こりうる可能性のある原発をもち続けてはいけないと思った。私たちが生きていくうえで原発問題は重すぎる。しかしながら、災害ボランティア活動をしている人の中にさえ、原発問題の深さに気づかない人も私の周囲には多い。対談を読んで、一人一人の意識が変わっていくことの大切さと、困難さを改めて思いました。そして、 「・・・原子力技術を環境技術として生き延びていく道をさぐりましょう・・・」 と鎌仲さんのおっしゃるように、苦労を肥やしにしていく方向性を見つけて行動していく知恵と工夫の希望の道があるんだなぁと嬉しく思いました。
エリ・コーヘン氏のインタビューでイスラエルの人々の生き方に愕然といたしました。日本との環境、生きる真剣さがあまりにも違っていると感じ、日本は本当に平和ボケしていると感じました。本来、氏が開戦の状況であるという震災後の日本においてはそのような緊張感で事にあたらねばならない。しかし現状は平時どころか平時以下の対応の遅さで日本は混乱に陥っているのが現状です。
また、宇城先生と鎌仲さんの対談の中で、そもそも想定外に備えるならば経済性が破綻してしまう、なので被爆は受忍してもらうしかないという事実にも愕然としました。そもそも安全な原発などありえないというところから出発しているにも関わらず推進されてきたという事実に怒りを覚えました。でもそれは対談の中でもあったように、特定の人でなく日本人一人一人が駄目だったのだと思います。自分たちはその生き方を変えるように今回の地震で学び、行動しなければ地球により抹殺されてしまうのではないかと思います。
エリ・コーヘンさんのインタビュー記事に強い関心を持ちました。イスラエルでは、「毎月、学校で核戦争を想定した避難訓練があり、5歳の子が3歳の子の手を引き、シェルターへ避難する」といった話を聞いたことがありましたが、まさに今回のインタビューでは、常日頃から危機意識を持ち、実践されている方の力強い言葉に感銘を覚えました。『道』は普段、他メディアではあまり見ることが出来ない方々の貴重なインタビューやエピソードを知ることが出来、気づかされたり、考えさせられるキッカケをいただいています。
早いもので、昨年の震災から一年が経ちますが、準被災地認定された地元浦安はまだ至る所で地面が大きくゆがんでいます。今回の震災で報道のあり方・メディアの存在意義を強く感じさせられました。普段、公共性を訴えながら、大スポンサーや外部の意向で世論の空気を誘導し、本当に大事なことは隠し、一切見せない・追求しない姿勢を改めて痛感しました。「本当にメスをいれなければならないところはどこなのか?」「大元の根源はどこなのか?」といったことを、世間の風評に惑わされず直視できる力が必要になると感じさせられます。
原発問題は、人間がいかに自分のことしか考えず、身勝手なことをしてきたのかということを思い知らされました。一度犯してしまった原発事故は無かったことには出来ません。過去を変えることはできません。単に原発に反対するだけではなく、いかにして次の世代に美しい自然やより良い世の中を残していくべきかを、一人ひとりが真剣に向かい合わなければならないのだと感じました。
季刊誌『道』は、原発に限らず薬物問題なども含め、いろいろな問題についての正しい認識と怒りのエネルギーを与えてくれると感じています。少しでも力を身に付け、自分に出来ることを一つひとつ変えていかなければならない!と気持ちが熱くなるのを感じました。
対談での鎌仲ひとみさんのはっきりとした言葉、態度に感嘆しました。日々戦ってこられた方の迫力を感じました。エリ・コーヘンさんのお話にも感動しました。目の前でテロが起こったとき、「自分が止めなければならない」また「自分にはそれができる」と瞬間的に行動して、ケガを負いながら住民を救ったこと。エリさんの覚悟が伝わってきました。そのような本当の強さを持つ人に想われている日本。日本人であることに誇りと責任を持って今を生きていこう、と勇気をいただきました。
『道』最新号の特集を読み、原発問題についてさらに深く知ることができました。問題に身体で向き合っている方からしか生まれることのない言葉は本当に腑に落ちます。理屈がいりません。自然に身体に響きます。震災後、多くの情報に振り回されていたことが、一気に整理され、気持ちが定まります。これが本物なのだと知ると共に、自分もこうありたいと願います。これからもずっと、この生きる指針に満ちた『道』を届けて下さい。
特集では、秋号に引き続き福島の特集で、大変興味深いお話がたくさんありました。私達のような平和ボケした日本人に必要なことは、真実を見つめる目を持ち、今何をしなければいけないのかを的確に判断し、行動に移すことだと思います。日本はここ数十年の間に、じわじわと自国の文化を崩壊させてしまい、すっかり弱い国になってしまいましたが、今こそ失われつつある日本のよき伝統を現代に活かすべく、自分自身が変わる時だと思いました
東日本大震災と福島の原発事故以降、「絆」ということの重要性を私自身特に感じさせられます。『道』に掲載されている記事は、現在も厳しい環境の中必死で生活されている東北の方々の様子がリアルに伝わって、また宇城先生と坂本スミ子さんの絆、何とかスケジュールを調整して被災者を勇気付けようとする温かい心を強く感じます。また、『道』を被災者の方々に見てもらうだけで「私たちは見捨てられていない」と感じさせるほど強いエネルギーを持った稀有な本物の書籍だと思います。
『道』は今までの私の常識を覆してくれる、このような物の見方や考え方、そして行動されている方がいるんだという事を知ることが出来る雑誌です。今号、そして前号の原発・放射能のお話も知らないことばかり、また、私は関西に住んでいるので原発問題について当事者意識が低いという事を改めて感じることが出来ました。
福島リポートにおいても、仮設住宅の問題点など、頭で考えては絶対わからない、現場を知らなければわからないことです。いかに行動することが大切か、真実を見ることが大切かという事を改めて学ばせていただきました。
福島の怒り、原発問題の現実がよくわかる内容で、日本の行く末が不安になりました。
コーヘンさんの日本人とユダヤ人は非常に似ているというお話に考えさせられ、自分が日本人であるのに海外の人から日本人の良さを教えていただき、何か燃えてくる感じがした。自分のことが一番よくわかっていない。気づいていない。身体に刻まれていた何かを呼び覚ませてくれた内容でした。イスラエルという国にも興味を持ちました。
田原先生の今に真剣に立ち向かう姿勢に日本の美しい伝統と文化があることを確信した。今こそ一人ひとりが行動を起こす時なのだと。女性を大事にしようと思いました。
季刊誌なので、じっくりと時間をかけて熟読しておりますが、毎号、内容の深さに素晴らしいものを感じております。宇城先生の対談記事も毎回楽しみに読ませていただいておりますが、連載に登場される方々からも多くの気づき・学びを毎回得ています。金澤泰子さんの書籍(天使がこの世に降り立てば)には大変な苦悩が綴られておりましたが、そこから逃げず、覚悟を決めて運命を受け入れた結果が現在の金澤翔子さんのご活躍なのだと思いました。野口健さんのグリーンベルト活動やエベレスト清掃登山の真摯な取り組みからは、自然に対する思いやりを感じました。黒木国昭さんの師弟関係のお話も印象に残りました。弟子との「心をつないで」の作品づくりに日本人の感性(和合性)を感じました。また、日常の生活がとても大切なのだなと感じました。
どの記事にも読み直したくなる重みを感じますが、ダルク岩井氏の記事、特に共依存から回復された母親の手記が一番心に残っています。一見親の愛情に見える行為も、その裏、或いは全体という視点を欠くと、家族全員が深みに嵌ってしまう共依存は、薬物依存者の家庭だけでなく、程度の差はあれ、どこの家庭にも見られるように思います。子どもの真の自立のためには、「決断する」、「責任感」といった父性的な要素にあたるものが、特に重要なのだと感じました。
田原弘徳先生の「『人間形成の道』 真の日本人を育てる、心の剣道」を読んで、武道を学び目指すことの意味をあらためて認識させられる思いです。
師を持ち、師に学び、将来は武道を子供たちに伝えられる人間になりたいと考えている自分にとって、大変示唆に富んだ内容でした。
「剣道の稽古はただ竹刀を持って打ち合いをするだけではない」
「今ここに立ち向かっている事柄に真剣に立ち向かう」
「現在・只今の事に集中することが一番大切だ!」
という田原先生の師・小川先生お言葉は、まさに武道が日常であることと説かれたお言葉として、肝に銘じなければなりません。
また御通杯というものを知り、女性が剣道を学ぶ意義を理解し、日本の心をもった女性剣士が育っていくこをとてもうれしく拝読いたしました。
連載(「気づく、気づかせる」(第17回)“情熱こそ、進歩成長の原動力!”が今回一番感動しました。宇城塾長の半生の中で、“バイク”、“空手”、“仕事”すべてにおいて情熱を持って取り組まれたこと、“どんなに厳しいと感じても、やめたいとは一度も思わなかった”というお話から、“情熱を持って”取り組む事の大切さを気づかせていただきました。一度やると決めた事は、どんな困難な局面になっても、最後まで情熱を持って取り組むということを教わりました。
鎌仲ひとみさんと宇城先生の対談では先号に引き続き衝撃を受けました。原発を取り巻く現状について何ひとつ判っていなかったのだと痛感しました。宇城先生のおっしゃる「知らないのは罪」を知らされました。判っていないのに賛成、反対を唱えることの愚かさ。軽率なことは言えないと感じました。そして賛成、反対で対立するのではなく、どう取り組んでいけば良いのか。どう進めていけば良いのかが必要なのだと感じました。そして、これも宇城先生の言葉通り、この震災に遭った子供達がこれからの日本を創っていくのだという事も感じます。子供達は何をしなければならないのかを、はっきりと判っているように感じるからです。その為にも我々が、その道標となれる様に「一人革命」を進めて、この子供達をバックアップ出来るという事が使命なのではないかと感じました。
エリ・コーヘンさんのお話にはドキリとしました。死と隣り合わせの生活だからこそ、判る事、感じる事、行動する事があるし出来るのだと感じました。平和ボケした私には、とても「あなたの言っている事は判ります」などとは口が裂けても言えません。いつも宇城先生がおっしゃる様に、生死の狭間にいることで精神力、行動力が生まれることを再確認した思いです。私の身体の中にある日本人のDNAを信じ「自分改革」をしていきます。
田原弘徳館長のお話は「師」の大切さ、「師」を持つことの喜びを感じました。「今の自分があるのは、師のおかげ」と言いきれる事に感動しました。そして、「次世代の人格形成を担うのだ」という使命感に感動しました。私も御縁で宇城先生と出会う事が出来ました。まだまだ上っ面しか私には見えていないし、感じていないはずです。しかし、これから引き続き宇城先生の下で学ばせて頂くことで、「師」とは何ぞや?の意味が判って来るのだと思います。宇城先生の塾生として恥ずかしくない様に取り組んでいきます。
『道』の170号、171号で原発事故についての対談がありました。大学で科学を学び、現在も高校で科学を教える立場として、「科学的」に考えるということはどういうことか考えてきたつもりでした。決して科学は万能だとか、科学が正しいと思っていたわけではありませんが、今回の原発事故を見るにつけ、科学としての部分的な積み重ねが全体としての正しさにつながらないことを思い知りました。いつも宇城先生がおっしゃっている「部分体」と「統一体」の話が科学でも成り立つことに気づき、長く「部分」の追究に血道をあげ、全体を見ることのできない科学の先のなさを痛感しました。科学に必要なことは、先生が話題にされているダークマターをはじめとして、分かっていないことや分からないことが数限りなくあること、今の科学で説明できない経験則のようなものを無視しない謙虚さなのではないかと思いました。科学の窓口を携わる身として、そのことを念頭に科学を教えていきたいと思います。
前駐日イスラエル大使 エリ・コーヘン氏のテロリストとの闘い、
「そこには、男への憎しみも何もありません」
「私はただ、人の命を救いたかった、それだけです」
という言葉に、「二つの矛を収める」という武の精神を見ました。また、イスラエルという国家の置かれた厳しさを知り、今までの一方的な見方を改めました。
昨年の3.11の大震災での未曽有の大災害から一年が経とうとしていますが、福島原発事故では日本の今ある姿をまざまざと見せつけられ失望し続けると共に、自分自身の今までの原発に対する無関心に深く反省させられた一年でした。
鎌仲さんと宇城先生の対談を読ませていただき、また改めて「知らない」ということの恐ろしさと責任の重さを感じました。原発のあまりにもいい加減な安全対策、政府や東電の隠ぺいや事故後の被災者の方々への心無い対応が次々と明らかにされ、原発というたいへんリスクの高いものに直接携わる人達がどうしてこういうことをするのか信じられない思いでいっぱいです。しかし、それは鎌仲さんがおっしゃるように、「自分だけがその構造の外に出ているわけではない」国民ひとりひとりの責任であり、まず「知る」ということから始まり、今回の事故での武藤類子さんの「福島の怒り」を共有し、ひとりひとりが意識を変えていくことから始まるのだと思いました。平和ボケから脱し、宇城先生がおっしゃる本来の肚の据わった先を見る力のある欲のない日本人になるよう、ひとりひとりが変わっていかない限り、これからの日本に救いはないように思います。
この原発事故により、これから長期に渡り生活面でも健康面でも苦しむ人が増えていくことは避けられない状況にあって、もうこれ以上大人の「欲」や「欺瞞」によって、かけがえのない子供達を苦しめるような日本であってほしくないと心から願います。そのために自分自身はどうあるべきか、原発事故と被災者の方々のことを常に心に置くようにして行動していかなければと思っています。
最新刊の『道』を拝読させていただいて、やはり一番印象に残ったのは、宇城先生と鎌仲さんの対談です。
フクシマ原発問題についても、政治的な判断を通した何が正しいか、正しくないかの是非による判断ではなく、強い立場か、弱い立場にあるかで決定されていること、「間違っているということを知りながらやってしまう」人間の自己矛盾が日本に満ち満ちていることが、はっきりと分りました。
全ての事に時系列的にも前後の関係性を通した全体像を捉えずに、目先の事を、知識(頭脳)だけで判断し、ひとたび想定に反することが起きると、隠ぺいしたり、力で押さえつけたりする現在の日本の状況がはっきりと認識できました。だからこそ、宇城先生から一貫してご教示いただく「一人革命」が必要だと確信できます。
一人一人が新たに未来を創り上げるための「パワー」を、自ら持つ細胞の記憶を謙虚に思い出し、自らのエネルギーゾーンを高めることこそ、またそれに気づくことこそ今、最も大切だと感じました。
『道』は私にとって毎回読了後、体に感動がずっと残る不思議な一冊です。元気が出るだけでなく、自分の知らなかった世界に目を開き、目を背けていた事実を眼前に突き付けられ、成長と行動を求められる、物凄く温かくもあり、非常に厳しい厳父のような季刊誌です。原発の問題を様々な角度から取り上げて、広い視野でこの問題の根深さを教え、私たちが何をするべきかを正面から問いかけでくれる姿勢は、まさに宇城先生が道塾で私たちに教えて下さる姿勢そのものだと感じています。道塾での学びをさらに深く咀嚼するために必須の一書です。これほどのエネルギーを発する季刊誌を読ませていただけること、またそれほどのエネルギーを発するほど心血を注いで発行して頂いていることに、毎回心から感謝しています。
原発問題は、人間がいかに自分のことしか考えず、身勝手なことをしてきたのかということを思い知らされました。一度犯してしまった原発事故は無かったことには出来ません。過去を変えることはできません。単に原発に反対するだけではなく、いかにして次の世代に美しい自然や、より良い世の中を残していくべきかを、一人ひとりが真剣に向かい合わなければならないのだと感じました。
季刊誌『道』は、原発に限らず薬物問題なども含め、いろんな問題についての正しい認識と怒りのエネルギーを与えてくれると感じています。少しでも力を身に付け、自分に出来ることを一つひとつ変えていかなければならない!と気持ちが熱くなるのを感じました。
季刊『道』を読むきっかけは宇城道塾でしたが、道塾で学んでいることと、『道』の記事の内容は重なる部分が多いように感じます。『道』で登場する方々の職業は様々ですが、皆、表面的な事象に惑わされることなく、本質を追求し、自分の道をしっかりと歩んでおり、エネルギーに満ち溢れていると思います。皆、自分の中心軸がぶれていないので、読者である私にもそのエネルギーが伝わってきます。
特に国家権力にも屈しない肥田先生のエネルギーには感銘を受けました。
今後の連載も楽しみにしております。
毎回楽しみにしている貴誌ですが、今回も期待を上回る内容でインタビューや対談を読ませていただきました。いつも一つの対談、連載が数ページしかないのに、お一人お一人の真摯な情熱を傾けた生き方に、内容の奥深さと誠実さを感じ、感激しています。
映画監督鎌仲ひとみさんとの対談では、これまでの肥田先生の既刊でのお話から、被爆情報の概要の知識を得ていましたが、さらに何年か後の原因不明の病気が発生してゆく危険性が大いにあること、原子力に関する自分自身の正確な知識の無さから、漠然と原子力発電を容認してしまっていたこと・・・ 当然これ以上原発を増やさない、稼動させない方向に持っていっても完全に放射能の発生源を消すことは出来ないし、たとえすぐ停止させたとしても、今度別の場所で大きな震災や津波があれば、どこかの原発が第二、第三の福島になる可能性もあるわけで、今何かの行動を起こさない限り、悪い方向へ日本が行ってしまいそうです。そうならないように、自分が何が出来るのか考え、行動していきたいと思います。 どうしても、現代の情報社会の中で、インターネットやTVに流れている情報が全て正しいと思いがちな社会になってしまいました。自分の身体や眼や空気で直接感じ、自分自身の身に付けてゆくのが時代遅れの方向になってしまっています。本当の姿や事実を、自分で見て判断できるようにしなければいけないと思います。
エリ・コーヘンさんの「日本人とユダヤ人は非常に似ている」という話も、とても興味深かったです。 武士道に対する考え方も、日本人として恥ずかしいぐらい良く身につけておられると感じました。今のスポーツをやっている日本人に「自分を浄化する道」と言い切れる人は、多くはいないと思います。
また、福島の政府の対応においても、冷静に「緊急事態に対応するシステムがない」と分析し、危機的事態に対応する「すぐやる」「平常時とは全く異なる行動指針や決断が必要」とおっしゃっています。まさにその通りで、大きく肥大した日本がお互いに責任をなすりつけ、通常の状況処理で今すぐ何が必要なのかがすっぽり抜け落ちてしまっていたことが、より状況を悪くしていったこと・・・
生死にかかわる戦争に、ずっとかかわり続けざるを得なかったユダヤの人々だからこそ、そうして言い切れるのです。やはり、現代の日本人はいわゆる「平和ボケ」状態になっているのだと思います。
野口健さんの、ヒマラヤの清掃活動の話も素敵でした。継続した活動のおかげで、エベレストがとてもきれいになったこと。また、利権が絡んで争いまで起き、土地も荒れてしまい、人間としての別の悪い面も出てきてしまったこと・・・
そして、マータイさんの「紛争の多くは資源を求めての戦いからおきており、資源を持続的に責任を持って使うことを学ばなければ紛争は無くなることはない」という言葉に、深く感銘を受けました。人間の限りない欲望は、自然に対する感謝と謙虚さを持たなければ、いずれ破綻すると強く感じました。
東日本大震災から10ヶ月以上が経過し、政府もマスコミも震災関係の話題を取り上げることが少なくなってきました。特に原発に関しては何事もなかったかのように、すでに終息したかのような発表や報道がされています。それは嘘です。ほとんどのマスコミは事実隠蔽、嘘ばかりの報道で私達をだまそうとしています。
しかし、『道』は全く違います。100%事実を伝えることに懸けていらっしゃいます。また、「マスコミが報じなくなってからが本当の復興支援」と宇城先生が仰るように、被災された方々の生の声を聴き、届けることを大切にされ、どんなことがあっても共に進んでいこうという姿勢に溢れています。今回の小澤是寛さんや武藤類子さんの記事も丁寧に読ませていただきましたが胸がいっぱいになりました。原発に関しても「事実」に基づいた本当の事が書かれており私達の行動の指針となってくれています。一行一行が「愛」に貫かれており、文章を一行一行噛み締めながら読ませていただきました。
鎌仲ひとみさんの記事を読んで「無知」であることの愚かさを痛感しました。私はこれまで「原発はいらない」周囲の人達に訴えてきました。しかし、原子力関係で働く人に「仕事がなくなったら俺たちはどうやって生きていけばいい?」と言われ何も反論できませんでした。そのことに関して鎌仲さんが具体的な提言をされていて深く感動しました。「この福島を土台にして、原発を安全にかつより被害を少なく、またより汚染を少なくしていく廃炉の技術を開発しましょう。そこで原子力技術というものが環境技術として生き延びていく道をさぐりましょう、というふうにすれば、原発周辺で仕事を得ている人たちも、仕事はなくならないと思えるし、廃炉にしてきれいにしていくということには抵抗がないのではと思うんですよ」目から鱗が落ちる思いでした。私はこれまでの状況を何も変えようとせず、これまでの枠の中でどうにかしようとしていました。枠自体を変えることなど考えもつきませんでした。「思考の浅さ」とはこういうことを言うのだと思います。未来は作り出していけることを先生や「道」にいつも教えられているのに、その教えが自分の思考や生き方に繋がっていませんでした。今回鎌仲さんと宇城先生の対談を読み事実を知りました。またこれから心を入れ替えて未来に向けて頑張っていこうと思います。
それから、「あらゆるものに対する謙虚さがなかったんですよね。ありとあらゆるものに対する謙虚さが、日本の文化の中にあった謙虚さというものが、どんどん失われていった結果こうなっちゃった。」という文章を読み、普段宇城先生が言われている「横着」な私たちの心が54基もの原発を作らせてしまったのだと痛感しました。物事には原因と結果があります。謙虚になり正しい道を歩んでいきたいと思いました。
エリ・コーヘンさんの記事を読んで、自分がいかに平和ボケしているのか痛感しました。「私たちユダヤ人は常に戦争で国を追われてきているので、いつでも戦士の精神を持っています。この国に生まれた私たちは、ひとつ負けたら命はないことを身をもって知っているのです」というようにコーヘンさんの人生は命がけて生きてこられた迫力が満ち溢れています。
コーヘンさんは日本について「世界のリーダーとなり得る潜在的な能力を持っている」と言います。その為には「日本道」としての根源に戻り、もう一度学び直して欲しいと提言されています。『道』に執筆されている方達は「日本道」を体現されている方達ばかりなので、『道』を道標として世界のリーダーとして相応しい人になれるよう頑張りたいと思いました。
宇城先生の連載「気づく・気づかせる」では、静かな文章の奥に込められたマグマのような熱いエネルギーを感じました。先生のバイク、仕事、武術に関する熱い思いに触れる事ができ感動しました。
アメリカの方達が宇城先生のセミナーに参加する姿勢を知り感銘を受けました。アメリカの方達には「思いやり、感謝、祈り、愛、信じる・・・ などの人間としての土台、すなわち宗教心がある」。それが日本人との武道に対する動機の違いに現れていると言います。私は「人間としての土台」をつくる為に「道」を拝読させていただいています。キリスト教の人達が聖書を読み宗教心を涵養しているのと同じ行為だと思います。先生が発信して下さるものを活かすも殺すも受け手の側の問題です。土台を固め少しでも先生の愛に応えられるようになりたいと思いました。
今月号の『道』には、読んだ人が変わらざるを得ないような、重い重いエネルギーがあると思います。巻頭の鎌仲女史と宇城師範の対談をはじめ、今の日本は一事が万事「そんなことやっている場合ではなく、こんなこと言っている場合ではない」という、抜き差しならぬ状況になっていると思います。しかし、それを傍観し、されるがままの私たち。なにより、私自身。
『道』を読めば、感じるものがあり、響いてくるものがあり、何かが自分の中に流れ込んでくる。色々な思いがわきあがってくる。それなのに、昨日までと同じに生きようとしている、私。平和ボケをしているのはまさに私であり、変わならなければならないのは、どこまでいっても、私、の一言だと思いました。
今の日本には幕末と同レベルの大変革が求められていると思いますが、宇城師範が仰るように、それを実現できるだけのエネルギーを持った人間が、いない。当時の状況とは比べ物にならないくらい「堕した」私たち。『道』に寄稿される方々は、この状況に風穴をあけるために、堕した人間を創り直すところから始めようとされていらっしゃる。なんという途方もない仕事だろうかと思います。それでも、死力を尽くしていらっしゃる。
20年後、東北・福島の子達がこの世の中を変え、導いてくれる人材に育ってくれることを祈りつつ、では今の自分には彼らのために何ができるのか。自分も20代。せめて、先駆けて彼らが将来活躍できるフィールドを広げてあげられる人材になりたいと思っています。地球のため、人のために尽力する人間が尊重され、堂々と発言、行動できる社会に。
今が未来と繋がっていることの意味を、今回の記事を読んでいて感じました。それは意味の有る必然として。特集は「先へ行く力」。福島で開催された坂本スミ子さんの復興支援コンサート、原発や核問題を作品で問い続ける映画監督鎌仲ひとみさんと宇城先生の対談、そして福島の怒りの報告としての仮設住宅の現実と武藤類子さんの「静かに怒りを燃やす東北の鬼」としての言葉、これらの記事がなぜ今『道』という雑誌に載っているのか、このことについてでした。
一つ一つの記事の内容にはもちろん引きこまれたのですが、読み進んで金澤泰子さんの連載「あふれる真心と愛」を読んでいて、書家金澤小蘭が紡ぎ出す“御伽噺”としか言いようのない事実が、実は真実なのではないかと。つまり今回の記事が炙り出す現実はまだこない今としての未来と繋がっているということ。400年の時を越えて小蘭の書が国宝俵屋宗達の書と繋がっているように、今の福島の現実、震災の現実は未来に繋がっていると。それは頭の知識だけで考えても出てこない感覚で、この号を読んでいて、前触れなく感じたことなのでした。これまで『道』だけでなく、いろいろな震災の記事や情報に触れていたこともその下地にあるのかもしれません。人類の未来は今の延長ではなく今そのものに有り、それはまさにこの日本で起きているこの現実のなかにこそ投影されているのだと思いました。おおげさかもしれませんが、被災した宮城、岩手と共に「フクシマ」の今を日本人、そして世界の人がどのように捉えていくかによって、これからの地球の行く末が決まるのではないでしょうか。記事を読んだことによる感じ方は読み手それぞれだと思いますが、今回はとにかくもこのような感じ方でしか表現できませんでした。そして「先へ行く力」は、感じて動くということ、そのことからエネルギーをもらえるのだとも思いました。
鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」を観たのは、3・11が起きるちょうど三ヶ月前のことであった。その作品の中で、大きな組織や目先の利益にも屈せず信念を持って本当に大事なものを守ろうと戦う祝島の人々がとても印象に残ったのを覚えている。その後にあの東北の大地震と福島第一原子力発電所の事故である・・・。私はその同時性と、監督の事実を恐れずに洞察して伝える力、先を読む力に驚かされた。もう人ごとでは無い、このままでは日本が危ない、子供たちの将来も危ないと危機感をもったのはその時以来である。
私が宇城先生と『道』に出会ったのも丁度その頃であった。3・11後の日本を引っ張るべきリーダー・エリートたちの愚かさを垣間見て悲観的になっていた時に、宇城先生をたまたま知り、とても共感を得たのだ。宇城先生をはじめ、『道』に出てくるあらゆる分野でご活躍する(大きな組織に寄らない)個々人のパワー、信念の強さ、また、彼らのやろうとしている事はとてつも無く大きく、目先の我欲なんかを全く超越してしまっている。歌手・女優・園長の坂本スミ子さん、料理家の辰巳先生、合気道家の早乙女先生、佐々木先生、空手家の金澤先生、剣道の田原範士、藤野教士、そして、肥田先生、鎌仲監督、ハイロアクションの武等さん・・・ 彼らの一言一言には重みがあり、偽りが無く、そして本当は何が大事なのかを教えてくれる。彼らは、偽りの平和で完全にボケてしまった私に「このままじゃいかんよ。変わって行動にうつしなさいよ!」と教えてくれる・・・宇城先生はまた、こうもおっしゃっている。
「私たち一人ひとりには潜在能力が備わっているんだよ」
悲観的になんかなっている場合じゃない。私も母親として、また、日本人というカテゴリーに属する一個人として、何が大事なのか、何をすべきなのか、少しでも安全で住みやすい世の中にするために出来ることは何なのかを再考して、行動に移すべき時なのだと自覚した。