季刊『道』 170号(2011年秋)
『道』170号 [詳細・購入ページ]
大変ショックでした。肥田先生と宇城先生の会話から、原発の本当の恐ろしさを教えていただきました。そして野口健さんの記事の写真を見て、その恐ろしさが形となって現れた感じがしました。「現実だよ」「よく見て」と、その生き残った1匹の牛の目がストレートに飛び込んできました。よく見ると、後ろには体を横たえた牛たちが見えました。私はこの事実を確かニュースで知っていたと思い出しました。しかし、その事実を自分のこととして、日本のこととして、今起きていることとして、全く受け止めることをしていませんでした。そのことにハッと気づかされました。「心」が弱いから、その事実から無意識に逃げたのだと理解しました。
先日、「あすなろ支援の会」の方々が福島へ季刊誌『道』を届けに行かれました。そこに人が住んでいる。1年間、その仮設住宅で生活をされてきていた。その「事実」を教えてもらいました。そこの空気を教えてもらいました。「東北の復興なくして日本の復興はない」。同じ日本に住む者として、「見捨てられた」「忘れられた」と感じさせてはならないんだと知りました。私にできること、まずは「事実」にしっかり目を向けること。その中から私にできることをしていかなければならないと思いました。その時、目の前に起きた「事実」からこんなにも遅れて動き出す自分にショックを感じつつ、仲間を増やして、日本が前進するためのエネルギーとなれるよう動いていこうと思いました。
肥田舜太郎先生と宇城先生の対談で、肥田先生の内部被爆に対するアプローチが通常の「内部被爆に害は無い」といったものではなく、目の前に苦しんでいる人がいる、その人を助けたいという、心を起点にした行動をされているのだと思いました。
肥田先生が活動されている医療や訴訟において、科学的な理論は重要なものだと思いますが、権益を守るために作られた科学的根拠を前提にするのと、「命を守る」という心を起点とした行動では、結果が全く違うのだと思いました。
目に見える・見えないものが複合された真実には、分る・分らないをエネルギーを持って飛び越えて行動し、その行動の中で知ったことが、目に見えない部分を推定させる力を生み出すように思いました。
170号では、医師の肥田先生と宇城先生の対談が掲載されていました。
私はこれまで学校教育で広島の原爆について学んだ程度で、内部被爆の恐ろしさなど、ほとんど放射能の恐ろしさについて知らなかったことを思い知らされました。一人の日本人として、とても恥ずかしく思いました。
なかでも「ぶらぶら病」についての記述は心に重いものが残りました。戦後、「かったるい、かったるい」と言って、動けなくなってその後20年間、仕事もできず、結婚もできず何もできずに、いくら入院して調べても何の病気だかわからずに死んでいく人がいた。しかし、アメリカと日本政府はその事実を見て見ぬふりをしていた。そして、その後も原発が日本に多く立てられ、今回の福島の事故が起きました。対談の中にもあったように、福島や関東の人々もこの「ぶらぶら病」の症状が出てくる可能性がある。それらは本当に許せないことで、私も怒りを覚えました。そして、そのようなとても人の手には負えない原子力を用いた原発が、未だに世界各地で建てられ、稼働しているという現実があります。そのような現実を知って、日本をはじめ、世界は危機的な状況にあるのではないかと感じました。
しかし、肥田先生や宇城先生がそうされてきたように、大きな時代の流れに負けず戦ってこられた方々がおられます。そして、そのことによって希望を見出し、生きておられる方も大勢おられるのだと思います。福島の現実は、私にとってショックの大きいものではありましたが、知った上でどのような行動をしていくのかが問われているのだと思います。私も肥田先生や宇城先生に習い、時代に負けない強い心と身体を作るべく、日常から行動を変えていきたいと思います。
『道』に登場される方々は自分の信念に忠実であり、生き方にぶれがなく腹がすわっているということを感じさせてくれます。そのような方々が発言されると伝わってくるものが全く違うということが感じられます。
原発の事故以来、内部被爆のことがだいぶ前から気にかかり、本を読んだりネットを調べたりしていたのですが、最新号の肥田先生の信念と体験を通したお話を伺うと、実感として内部被爆の危険性を感じることができました。宇城先生との対談ということもあると思いますが、頭で考えた理解ではなく体の中へ響いてくる感じで、本当に福島方面に住んでいる知人のことや影響を受けやすい若い人達のことが心配になってきました。今まではどちらかというと、どうしたら自分の身を守れるかということを中心にしか考えていなかったということを感じてしまいました。目に見えないものなのでどこか逃げて通りたいという感覚も大きかったと思います。しかし肥田先生の話されていることは、現実として大変なことなのだということが容赦なく伝わってきます。宇城先生のお話も知識の披露ではなく、ご自身の体験を通して語っておられるから心に響いてくるのだと思いました。他の人に何かを訴えかけ納得させるには、やはり身体から発するものが大きいのだということを感じました。
これまでのメディアが流す情報につくづくいやけがさし、日本国民であることもやめたいような気になっていたのですが、今回感想文を書くにあたり、読んでいなかったものを読んだり改めて読んだりしたのですが、まだまだすばらしい人々が日本にもいるのだということを感じ元気づけられました。
ニュースなどでわからない福島の現状をあらためて認識させられました。
肥田医師の活動には頭が下がる思いです。人間としての心をもって行動しなければいけないと日頃、宇城先生から教えていただいていますが、あらためて感じました。
「心」が大事であり、そして、行動だと再び気付かされました。
『この命と生きる、この命を守りぬく』肥田先生と宇城先生の対談はあまりにも強烈でした。肥田先生が66年間戦い抜いた強い『意志』と『覚悟』を強く感じました。福島の現実を知りながら。まだ平和ボケしている自分、逃げている自分を恥ずかしく思いました。
また、報道を鵜呑みにしてしまい真実を知ろうとしないこと、真実を見抜く目を持っていないことなど、多くの事に気づきました。
肥田さんとの対談はとても読み応えがありました。
自分にも小さな子供が二人いますので、内部被曝に対してとても心配しています。
また、アメリカにいいように利用される日本がとても悔しく情けないと思います。
戦争で死んでいった人たちに申し訳ない・・・ どうしたらいいか、現時点では宇城先生のおっしゃる一人革命をしていくしかないという思いです。
宇城先生が常々言っておられた、知識でものを言っているのではなく、実体験で伝えた言葉は非常に重たく私の心に突き刺さるように入ってきました。具体的には、肥田先生の三度も憲兵に捕まりながらも本当に患者さんを助けたいという気持ちから憲兵に突っ掛かる腹の据わりかた、本当に勇気をいただきました。今、このような医師が何人いるのかと思ってしまいます。
薬物依存症復活者の手記では、具体的に自分自身の過去を伝えて下さり、本当に大変な状態から回復しなければいけないのだと気付かさせていただきました。
貴重な体験談を読ませていただき有難う御座いました。
一番衝撃を受けたのは、宇城塾長と肥田さんとの対談です。現実的に「内部被曝」の問題は、これから健康への被害が大きくなるなど発展するという恐ろしい事態に発展していく事になるのに、他の書や新聞には全く報じられていません。科学的実証がないというレベルだからでしょう。ここまで、踏み込んだ話が書かれている書があるでしょうか? それに、肥田さんの生き様も感動を覚えます。見捨てられた被曝者だけを診る医者、憲兵につかまってまでも意志を貫く行動など、宇城塾長との会話の中に、私の中にある考えを遥かに超越した思想があちこちにあります。これからも愛読させていただきたいと思います。
今回の震災で、私達宮城県民は津波、地震の被害にあった。私の実家もそうだが、壊れてしまったものは仕方ないし、命があるので希望も見える。しかし、同じ震災でも福島は明らかに人災であり、かつ自宅も土地もあるのに戻れない等という方々のお気持ちを考えたら胸が張り裂けそうです。何故今になってもしっかりとした方針もなく、一番大変な思いをされている方々に辛い思いをさせなくてはならないのだろう・・・ 肥田先生のお話を伺い、改めて核という負の遺産、内部被爆の恐ろしさに気づきました。これから、気づいた人間が勇気を持って一人でも多くの人々にぶれずに伝えていかなければならないと感じました。
肥田先生の話を知って、目が覚めたような気がしました。どれだけ、今日本で起きていることについて日本人が何も知らずにいるか、真実はやはりこうなんだとの思いでした。師が言われるように、今の視点にとらわれずに謙虚に、今の視点ではない95%の未知の視点を持つことが原発の問題でも大事なのだと思いました。
また、被爆者差別の実態でも、肥田先生にしか語りえない事実でしたが、これからまた私達が経験してゆくかもしれないと考えれば、やはりこれからどんな人間として生きてゆくか考えざるをえない内容でした。日本の核の歴史を知れば、日本人の戦後の心の歴史そのものの様でした。
また、肥田先生のどこまでもこの人と付き合ってゆくぞという心に覚悟を決めて生きてきた人間の姿を見せていただいたようでした。
日本人の人格の問題が解決しなければ、核の問題はいつまでも繰り返されてゆくでしょう。次代へ何をつないでいくか、その責任の重さを改めて感じました。
P64 ムスタン便り(有沢章太さんのレポート)を読み、近藤先生の“なめるな!”という一言が最も私のもとにも響きました。
有沢さんの謙虚に振り返られる様子に、私自身が思い違いをしたことにも気づかされました。
私には作家になる夢もありますが、現実そのものが本物でなければいいものはできないと。
日常生活やセカンドライフへの取り組みを、真剣に継続できるかどうかがハードルです。
私は今年30歳ですが、自分より年下の方がその厳しさに直面されることに頭が下がります。(人間に年齢は関係ないとは存じますが)宇城先生の推薦を受け、そして黒帯の称号を受け、近藤先生の元で師事されている有沢さんの胸中。その一部分でも、何かの折に体で思い出せるようにしていきたいです。
“傲慢になっていた”の記述にも大変共感しました。
特に、“自分ではそのつもりがなかった”という状態にです。
日常生活が無事にできる、健康、仕事や趣味を持てること、豊かな自然などへの感謝が足りなかったことから。そして、これまで学んだ大切な教えに対し、自分の心はほこりをかぶっていました。
生ぬるい感傷もあったので、この機に踏み台にしたいものです。
肥田舜太郎先生のお話に感銘を受けました。医者としてみんなが見放す人が目の前にいるならば、僕だけはこの人たちとつきあっていくという姿勢は、かつて『道』誌上で知った、困っている人がいれば助けるという近藤亨先生の姿勢にも通じる、仏教でいう菩薩の姿勢だと思いました。
特に感銘を受けた所は、宇城先生が世界規模の被曝のうち三つが日本で起きていて、地球上における生命体を破壊する最大のエネルギーである核とその放射線に対して、国はそれ以上のエネルギーを使って対応すべきで、医学、物理学、生物化学、原子力研究所など関係部門を一つにしてごまかしのない真の研究をする方向にならないものか問うたときに肥田先生が答えた所です。
先生はそれができる可能性があるのは、政府がアメリカと軍事的に縁を切る時で、そのかわり商売で仲良くやる関係へ踏み込めるかだと発言されました。沖縄の基地問題の根本に関わることで、ここまで明確に納得できる発言を聞いたのは初めてです。しかし、それを実現するには大衆の大部分がそうならなければ政府だって頑張れない。確かにそうだと思います。我々一人一人が真に理解し、動くことが必要だと思いました。
「絶望から立ち直る」今回の『道』からはそんなメッセージを受けとったように思います。
私たちはどんな状況であっても、確実に生と死の境界線に対し生の側に立っています。その境界線からどれだけ離れたところにいるかは人それぞれ違うと思います。被爆された肥田先生、現在の福島の方々など、本当にその瀬戸際を体験されたのだなということが臨場感を持って伝わってきました。
一方、誌面に出てきた方々が見せる、その境界線から離れようとする跳躍力。宇城師範が「希望を持って堪え忍ぶことが忍耐」と説かれますが、その希望をこの跳躍力から見いだすことができました。
絶望にほど遠い位置にいる自分ですが、そんな自分が弱音を吐くことの愚かさをまざまざと見せつけられたような気がしました。読み終えて、思わず姿勢を正したくなりました。
170号では、医師の肥田先生と宇城先生の対談が掲載されていました。私はこれまで学校教育で広島の原爆について学んだ程度で、内部被爆の恐ろしさなど、ほとんど放射能の恐ろしさについて知らなかったことを思い知らされました。一人の日本人としてとても恥ずかしく思いました。なかでも、「ぶらぶら病」についての記述は心に重いものが残りました。戦後、「かったるい、かったるい」と言って、動けなくなって、その後20年間、仕事もできず、結婚もできず何もできずに、いくら入院して調べても何の病気だかわからずに死んでいく人がいた。しかし、アメリカと日本政府はその事実を見て見ぬふりをしていた。そして、その後も原発が日本に多く立てられ、今回の福島の事故が起きました。
対談の中にもあったように、福島や関東の人々もこの「ぶらぶら病」の症状が出てくる可能性がある。それらは本当に許せないことで、私も怒りを覚えました。そして、そのようなとても人の手には負えない原子力を用いた原発が、未だに世界各地で建てられ、稼働しているという現実があります。そのような現実を知って、日本をはじめ、世界は危機的な状況にあるのではないかと感じました。しかし、肥田先生や宇城先生がそうされてきたように、大きな時代の流れに負けず戦ってこられた方々がおられます。そして、そのことによって希望を見出し、生きておられる方も大勢おられるのだと思います。福島の現実は、私にとってショックの大きいものではありましたが、知った上でどのような行動をしていくのかが問われているのだと思います。私も肥田先生や宇城先生に習い、時代に負けない強い心と身体を作るべく、日常から行動を変えていきたいと思います。
肥田先生のお話を読んでいる内に怖くなって震えてきました。どれだけ大変な地震災害だったのか、初めてわかりました。放射線の怖さが本当にわかってしまったからです。政府、マスコミの平和ボケにも腹が立ちますが、「何とかなるだろう」と考えていた自分に一番腹が立っています。
自分が生きていくために、また未来にわたって日本人が元気に生きて日本を守るために、周りの仲間、家族に肥田先生の話を伝え、身体に悪いことはやめること、1人革命をしていかねばならないことを強く感じました。
なぜ生きていかなくてはならないか?それは大切な家族を守るためだからです。
道塾の日の朝に届いた『道』。肥田先生との対談はどんな内容なのか気合いを入れて読ませていただきました。
凄い、そして深い。
内容が重厚・深遠であり、一読しただけでは消化しきれていないのが分りましたが、とにかく肥田舜太郎先生との対談だけは目を通し、道塾に臨みました。
「この対談を載せきれるかな?」
「100%です!」
と宇城先生がお答えになった通り、とても一読では頭に入りきれない濃さ!これまで、日本にこういった活動をされてこられた医師がいらっしゃったことを全く知りませんでした。
まさに患者と向き合う、ともに生きるという言葉の体現者だと感じました。
私にとっては、この一連の『道』→「道塾」の連鎖がモノ凄くためになりました。
『道』を読んで頭に残った「点」が宇城先生の話を通して線につながっていく・・・
まさに最高のタイミングで『道』が届き、講義によって補強され、立体化されていった感じです。ぼんやりと抱いていた幻想が図面となり、立体化されたモックアップになり、そしてそれが血肉化されていく、実際に動いていく・・・
医者の前では患者は本音を言わない・・・
どうしたら患者の友となれるのか?
あった、肥田先生の言葉にそれがあった!
自然にある放射線には人間は堪える。
そういうふうに進化・発展してきたのだ。
でも、原発から出ている放射線は人工物だ
地球の歴史になかった「異物」なのだ
それを体内に取り入れたらどうなるか?
あった、この話も確かにあった。
宇城先生の言葉で『道』の記事がビビッドに蘇ってくるのです。
毎回、様々なジャンルで活躍されていらっしゃる方々が特集されており、刺激をいただいております。『道』に登場される方々は、「自分に正直に半端ではない努力と経験をされている方々」なのだと、いつも、感銘させていただいております。そのような方々の文章を読ませていただき、「自分も頑張らねば!」と、いつも勇気とパワーをいただいております。
また、「正直に生きる」という事は、現代社会では時として、難しい局面もあるかと思います。私自身仕事でも、「正直に生きているか? 正直に仕事をしているか?」と迷う事がありますが、その迷った時の『ものさし』の基準を、道塾や『道』より学ばせていただいていると思います。
今後も、継続して購読させていただきたいと思います。
世の中に流通している価値観は時間とともに揺れ動き、変わっていくものですが、先生の本に書かれていることは時間の影響を受けない真理が書かれている、とどの本を読んでも思います。
『道』で取り上げている人物はどの人も、自分の中の真実に忠実に生きている人達ばかりで、読む度に自分の中に希望、活力、勇気が生まれるのを感じます。心の中に拠り所を見出させてくれる、エネルギーが満ち満ちた稀有なものだといつも思います。
以前より広島・長崎の原爆被害については関心を抱いておりました。小学生時代に読んだ『はだしのゲン』に衝撃を受けたのも一因でありましょう。その著者、中沢啓治氏のインタビューが季刊『道』のバックナンバーの顔ぶれ(161号)にありましたので買い求めました。限られた紙面の中、『はだしのゲン』を読んだ時とは違う衝撃を得ました。著者自身がゲンのモデルだと聞いたことがありましたが、文字を通して伝わる1945年8月6日の出来事やご母堂のお話は、より生々しく、恐ろしく、辛いものでした。『はだしのゲン』は賛否両論ございますが、やはり“人間”が描いた人間らしい作品だからこそ大きな問題を提起してくれるのだと感じました。
また最新号の170号では、被爆医師肥田舜太郎氏と宇城憲治氏との対談が掲載されていますが、放射能の恐ろしさが老いた語り部の語る昔話ではなく、現在でも貴重な活きた情報であることや、福島原発事故という人災を招き、そういう情報として受け取らざる得なくなった我々社会の問題点についても話が及んでいる。この両者の対談を読んでいると、「先ず正しい数値ありき」では無く、「先ず真っ直ぐな心ありき」の大切さを感じさせられる。本来は2011年3月11日以前より問われ続けてきた日本人の“覚悟”が、嫌でも問われる日が来たのだと教えられるのが辛く悲しく、そして励まされる内容でありました。
毎回『道』が届く事、非常に楽しみにしています。
今回の『道』は、今まで以上に、深く濃い何かを感じました。
読み始めは、その圧倒される何かで、なかなか内容に入れませんでした。
ですが、一度入ってしまうと、とても深くてあつい世界を感じました。
肥田先生のお話は、何度も読ませていただきました。
そこから、肥田先生の妥協しない探究心、自分の信じたことを貫き、大きなものと闘う姿勢、真実を見抜く感性、数々の学びがありました。
病院の先生の言うことは、正しい・・・とか、勉強した人が言うのだから正しい・・・と思う人は、本当に多いです。実際はそうでもない事があるのに、何故、自分の感性を信じないのか疑問を感じる時あります。肥田先生のような方の少ないことが、(生意気言いますが)悲しい現実と思います。
修道士 マヌエル・エルナンデスさんのお話に、やりたいことは「人を幸せにすること」とありました。この言葉に、とても共感しました。自分より人の幸せを見ている方が、何倍も幸せな気持ちになれます。人を幸せにするには、自分が何倍も強くないと出来ないことだとも思います。そして、お話にもありましたが、たぶん、昔やんちゃをやった位の人間でなければ、人はなかなかついてこないと思いました。
ダルクのお話を読み、女性の方が大変な現実を知りました。
精神安定剤に依存してしまう女性も多いと聞きます。ただ、読んでいて、彼女達がもの凄いエネルギッシュなことを感じました。そのエネルギーの矛先が違う方向へいけば・・・と、思いました。
地獄のような経験は、後に武器にもなるし、宝にもなります。
一日も早い回復を祈っています。
私の友人で高校の先生をしている人間に、今回の『道』を勧めたら、大変感動し「肥田先生の記事を授業で使います。他の記事もピックアップして、生徒に読ませてみます」と言って、高校の図書室に今回の『道』を入れました・・・とお話がありました。今回も、色々勉強になりました。
また、次回の『道』楽しみにしています。
肥田舜太郎先生との対談記事を読ませていただきました。
お話の内容がかなり濃い内容で、知れば知るほど恐ろしくなりますが、普段マスコミが言わないこと、書かないことが、この対談記事(『道』)には書かれています。
ですが、この原発や放射線の今後の影響などを知ると、逆に今まで自分があまりにも無知で何も考えないで生きてきたことを反省させられるとともに、知らなかったことのほうがむしろ怖いことで、今更後悔してももうどうにもならないではないかと絶望感さえおぼえました。
これから、自分のことは自分で守り、一人一人がまず変わり、人の言葉に振り回されずに、自分自身に本気で「これからも生きる気あるのか?」と問いただして真剣に生活していかなければならないと感じました。