季刊『道』 169号(2011年夏)
『道』169号 [詳細・購入ページ]
毎号『道』を手にするたびに、その多彩なインタビューや連載の内容に驚き、触発され、時には感動で涙が溢れ、心が深呼吸したような爽快感を覚えます。169号もそうした記事が満載で、とても楽しく、また有難い思いで読ませていただきました。
特に今回は巻頭の宇城先生と古賀選手の対談、近藤先生と有沢さん、山元さん、藤野先生のインタビューを始めとして、金澤さんや野口さんの連載まで、それぞれに道を究める覚悟の方々の言葉がひしひしと胸を打ち、何度も涙がこぼれました。「日本には、まだこれほどの想いで道を拓き、人を育て、師に学び、これまで日本を作ってきた人々への恩返しに身を投じている方々が存在するのか」という驚きで一杯になりました。読後は、大げさではなく、自分の目に映る世界の空気が雨上がりの後のように澄み渡ったような気分を味わいました。
特に近藤先生と有沢さんのお話と姿勢は、いつも宇城先生に教えていただいている内容がそのまま実践され、それぞれの言葉で語られているような内容で、非常に感慨深かったです。「至誠通天」の想い、「師にくらいついて学ぶ」という姿勢、そのほんのカケラでも自分も実践できるようになりたい、と大いに反省し、決意しました。
毎号毎号、これほど内容が濃く、水準の高い雑誌を発行するのは並大抵のことではないと思います。その作り手の皆様の熱意、覚悟、まさに「道」の精神で取り組まれているからこその質の高さにほかならないと思います。これからも、毎号の『道』を糧に、小さな自分を叱咤激励して歩みを進めてまいります。いつも素晴らしい内容を届けて下さり、本当にありがとうございます!
山本加津子さんの記事を読ませていただき、深く感銘しました。
「宇宙と繋がっている」という考え方、「そういう風に作られている」とういう感覚に共感すると同時に、今自分がしていること、しようとしていることも全て必要なことなんだと感じました。いろいろな人達(子供たちも含め)との出会いや別れの中で、感じたり気づいたりすることをもっともっと大切にしていきたいと思います。一つの事象でも捉え方や角度によって良くも悪くも感じるということ、その見方や考え方を少し広げていただけるような記事でした。
このような素晴らしい人々を紹介し続けることに並々ならぬ努力をされていると思いますが、誌面を通して新しい出会いをいただけることに感謝し、また非常に楽しみにさせていただいております。
期待を膨らませながら次の『道』を心待ちにしております。
古賀選手との対談では、宇城先生は金メダルを取るためのご指導ではなく、スポーツを通して「人間として何が大事か、生き方とは何かを探る」ことの大切さをご指導されていることがわかりました。「常に真剣勝負で精一杯やるということが大事であり、そうすることによってその先が見えてくるということがやった人にはわかるがやらない人にはわからない」と言うお言葉に、真剣に生きることへの覚悟が必要だということが感じられました。スポーツに限らず、仕事も日常生活にも真剣に取り組むことで先が見え成長できるのだと思いました。
また「最初に走る人は非常に勇気がいるけれども、やはり謙虚になって、未来を作っていくということが大事だと思う」と言うお言葉に、自分の姿勢の甘さを捨てほんの少しでも勇気を出していきたいと思いました。
山元加津子さんの「ありのままの私たち」を読んで、「特別支援学校に通う子供たちを、こんなに身近に感じたことはなかった」ということが、このインタビューを読み終えて最初に浮かんだ感想でした。
レット症候群の子供たちの「ずっと両手を握り合わせている行為」は無意味なものではなく、「手を合わすこと」によってドーパミンが脳内に増えて心地よくなったり、主に生命維持を司る「原始脳」が活発になることが実証されたという話は、“障害児”と言われる子供の一見病的として見なされる行為が、実は生命を維持するための正常な動きであり、先生が提唱されている「身体脳」の働きも関係しているのではないかと思いました。
また、宇城先生がいつも仰る「人間ってすごい」という実例として、ひろし君のまるで空から見たように地図を描ける能力が、ナスカの地上絵につながることや、あっちゃんの真っ白な色だけで他に形以外のヒントがないミルク・ジグソーパズルを迷うことなく正しい位置にはめ込める能力が、ペルーのクスコに残る様々な形状の石をカミソリの刃が入る隙間もないほどぴったりと積みあげられた石垣につながる、との気づきは、インカ帝国の遺跡が陥りがちな宇宙人説ではなく、答えは子供たちという“足下にある”とのことで、「そうかもしれない!」と目から鱗が落ちる話でした。
心の琴線に直に響いてくる素晴らしい詩(後に映画と詩集で知りました)を書く大ちゃんとの問題集でのやりとりには、目が覚めました。雨は(ザーザー)降る、風は(そよそよ)吹くが正解と決めつけて、それ以外の答えは全て不正解と排除してしまう大人たちの身勝手さが、子供たちの素晴らしい発想をついばんでしまっていることが端的に表現されていたからです。
更に、職場の同僚である宮ぷーさんが、重篤な脳幹出血により回復が絶望的と言われてしまったにも関わらず、無意識状態と思える宮プーさんとのコミュニケーションをなんとかして回復させたいとの決して諦めない働きかけにより、奇跡的に回復しつつあるという衝撃的な出来事などが紹介されていましたので、山元さんの活動をもっと知りたいと、早速、最終頁に紹介されていた公式ホームページから、山元さんの講演も行なわれるドキュメンタリー映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」の上映会を見つけて、参加しました。
山元さんのように子供たちから「全て」を学ぶ謙虚さと、障害や病を持つ人々のみならず大好きな子どもたちの死をも、体全体で暖かく受け入れる器の大きい人は初めてで、このような一般情報では絶対に出会う事ができない、本物中の本物との出会いの機会を毎回与えてくれる季刊『道』は、私にとっては、無くてはならないものとなっています。
毎号、世の中には、こんなにも沢山の人が真摯に生きているのだ、そしてその生き様は人それぞれであり、またその発信方法も様々であることを教えていただきます。感謝で一杯です。今号に掲載された山元加津子さんのインタビュー記事にも、大きな感銘を受けました。
『道』の凄いところは登場する人が全て実践者だということです。ですから、実践の塾である道塾での先生のご指導を別の視点から考えさせていただけますし、先生の仰ることの理解を深めることもできます。また、実践者達ですから、機会があってお目に掛かることも、著書を読むこともできます。そうすると『道』に書かれたことをより良く理解することもできますし、翻って『道』の記事の洗練された内容の深さに、改めて感服することにもなります。大切な、そしてとても楽しみにしている本です。
『道』は職場にも置いてあり、多くの方に読んでいただいています。他にもたくさんの宇城先生の著書を読み、読見返すたびに新しい気づきをいただけます。噛めば噛むほど味が出るというのはこんな感じかというくらいです。毎回楽しみで届く度に一気に読んでしまいます。特に最近の『道』は何か鬼気迫るような、すぐにでも変えていかなければならないような思いが伝わってきて、自分の原動力になっています。
空手の基本及び型の練習方法とその認識というページ(連載「気づく、気づかせる」)では、自分がスポーツ的にしか空手を見たことがなかったことを知りました。26歳という年齢でこの本に出会えたことに喜びと期待が芽生えたことが正直な感想です。もし出会うことがなければ、自分はずっと疑問に答えを出せずに人生を終えたのではないかと思います。
僕が今回、この本を読んで印象に残っているのは、宇城先生と古賀選手の対談の中にあった「武術にはないスランプの世界」という話と、『うつくし、日本』の「スーパークールビズに物申す」の二つです。一つ目の話を読んで、僕自身野球をやっていて、スランプになったりすることがあるのですが、それは練習に向かう姿勢やスポーツに対する姿勢に「気」がなく、甘さがあるだけでそれをスランプという言葉でごまかしているように感じました。
二つ目の話を読んで、地震や多くの災害の中で「日本力」が考えられていますが、政治家たちには、本当に日本を変える気あるのか?政権だけを考えていることを感じると共に、そういった政治家の服装やマナーの変化から、日本人として誇りを見直させてくれるこの話はすごいと思いました。
古賀選手の「とにかく自分の力を出し切るからこそ、またその次の実力が見えてくるということがわかりました」という言葉と、宇城先生の「常に真剣勝負、精一杯やるから、もうひとつその先が見えてくる。やった人にはわかる。やらない人にはわからない」という言葉の中に、実際に今まで真剣且つ全力でやって来られた人の言葉の重さを感じました。限られた時間や機会の中で、絶対に「勝つ」という結果を残さなければならない厳しさは、本来自分も仕事において持たなければならないのに、様々な言い訳や他人のせいにして、出来ていませんでした。宇城先生の「戦う相手は己のなかにある」と言われている様に、先ず言い訳や他人のせいにしてやらない己に克つ事だと思いました。そしてプロフェッションを支えるプロフェッショナルな世界を持ち、「絶対的稽古、すなわち生命体である心と身体は一つであるという人間としての、すなわち統一体としての技術を習得すること」に対して、結果が出せるようになりたいと思いました。
「子供たちとともに人生真剣勝負」の藤野先生の子供達に対する姿勢は、子を持つ両親や子を指導する立場の先生が皆見習って欲しいと思いました。子供達に厳しく指導しながらも、慈しむように子供達を愛し、そして子供達がいるから自分がいるという事を謙虚にとらえ感謝する。子供達とともに悩み、ともに泣いてくれる師の存在は、子供達の人生にとってかけがえのない存在として、一生心に残ると思います。何よりも、「あなたたちに何かあったら、私はいつでも命をかけて向かって行く」という言葉と思いは、その子供達の心の支えとなり、励みとなって、その人生を大きく、無限の可能性に導いてくれると思いました。
●「私の武道論」を読んで
私が32歳のころといえば、まだフルコン空手にどっぷりとつかっていたころでした。私が30代前半のころ、他流派での昇段レポートを読むと「選手として引退したが一生稽古していきたい」とか「次の世代を育てたい」ということが書いてあります。そこには何の根拠もなく、年齢に対する矛盾を感じつつ、何とかなると思っていました。40代になって先生のご著書を知り、自分のこの先を考えた時に「未来はあるか」と考えるようになりました。稽古に参加させていただくようになり、自分が何も知らずに「空手をやっている」と言っていたことに気づきました。
自分自身と先生を比べることすら失礼だと思いますが、やはり比べてしまいます。そして、自分の無知や傲慢さがわかると恥ずかしくなります。例えば空手の基本練習(天・地の型)にしても未だに先生の言われる段階その〈1〉のあたりをうろうろしています。段階に応じて変えていく基本など考えもつきませんでした。
現時点で先生の書かれた論文を読ませていただいても、「なるほど」と思う程度の理解しかできていません。わかる部分が非常に浅いと感じています。この論文は読む人を選ぶと思います。ぜひ先生の論文を少しでも読んで理解できるようになりたく、もっと真剣な稽古を積んでいきたいです。
「空手をする資格」という話を先生がされますが、自分はまだまだその資格があるとは言えません。日常の生きる姿勢を整え、日常を変えることで自分にしみ込んだスポーツ空手を変えていきたいと思います。自分の稽古する空手の方向性と自分自身の進歩のバロメーターとして大切に読ませていただきます。ありがとうございました。
●「ありのままの私たち」を読んで
何でも自分で考え、意志決定し、行動しています。私たちは、「偶然」という都合のよい言葉を使って、人だけではなく自然や物や地球上、おそらく宇宙ともつながっている人間を狭くて偏った浅はかな知識で理解しようとしてしまいます。山元先生の子供たちとの事例は、それが違うということを教えているのだろうと思いました。地球上にあるすべてのものは、もっと本質的な部分でつながり合っているということです。それは大脳というレベルでなく、原始脳や細胞、遺伝子のレベルなのではないかと思います。
私自身を振り返ってみると、自分中心に物事をとらえようしていることに気づきます。極めてミクロ的な見方、生き方のようです。特別支援校の子供たちからもっと学ばなくてはいけません。それが謙虚になるということだと思います。視野を広げ、マクロ的な見方をしていけば「みんながつながっていて、みんな大事」という発想につながっていきます。
「みんな大事で、大事な出会いでそこにあると思うと、ここに自分がいることも必要であるんだと思えてくる」最終的には『感謝』という生き方にたどりつくような気がします。
また、大人の思い込みを子供に押しつけていることがあるということも書かれていました。自分は教師として子供たちの前でどうだったかと考えた時、押しつけていると思われる場面がよくあるような気がします。子供の前に立って教えるという立場はあるけれども、お互いに教え合って学び合って変わっていける状況がすてきだなと思います。どうしても忙しさを言いわけにしてルーチンにはまりがちです。しかし、お互いに気づいたり変わったりして慣れのない関係でいられると、もっと教育現場も変わるのではないかと思います。今日から実践してみたいと思います。
勤務先のHPにOB・OGのブログがありまして、そのOB・OGに以前、『道』を紹介したことがあります。そのOGより、ミネハハさんのポスターがあったことやコンサートの場所や日時を教えてもらったことがありました。今回は最新刊の『道』の中にある山元加津子さんのことを発刊の前に教えてもらいました。実家で山元さんを呼び、講演会をひらいてもらったようです。ですから『道』を見たときはビックリでした。頭や心臓で生きているのではない、それよりもかけがえのないのないものがある。まさにそのことを実証していることを確認できました。
古賀選手の指導について読ませていただきました。常に全力を出すという姿勢、水と一体感になるという根本からの指導、そして、勝敗を越えてところに志を持つなど、あまりにも正攻法であり理想的なのに驚きました。自分だと、勝てない相手に策をこうじて一発勝負で勝ちにいこうと若いときに考えましたが、全然次元が違うので、考えさせられました。今になってみると共鳴できます。自分も『道』ということを語れるようになりたいと思いました。
今回の『道』はなんと言っても宇城先生の修行時代の論文です。先生が当時からいかにブレていないかということに驚かされます。
30年前といえば空手ブーム、カンフーブームの真っ只中にあり、世間では空手とはこういうものだ!というイメージが固定していたと思いますが、そういったものには目もくれずむしろ時流の流れに危機感を感じておられた先生の視点の高さはまさに『孤高』という言葉を感じさせられます。
若い頃からの宇城先生の妥協なき取り組みは我々にまた修行の意味を考えさせていただく良い材料になりました。
山本加津子さんのお話は子供たちがいかにすごいか、障害があるなしでなくいかに人間が素晴らしい存在であるのか宇宙的な視点で語られていることに感動しました。倒れた親友の介護も「大丈夫!」という確信があるからこそ悲壮感などまったくなくただ当たり前のことをしているのよ、という気持ちが伝わってきます。「できる」という気持ちがあるから技が出る武術とまるっきり同じではないかと思いました。命というものはまだまだわからないこと説明のつかないことが多すぎる。だからこそ自然に対し謙虚にならなくてはいけないと教えていただきました。
昨今の原発関連の報道はテレビや新聞とネットなどで得る情報に格差を感じておりました。マスコミの論調はスポンサーの立場でどうにでも変わるのだとやっと気がつきました。
言いたいことをはっきり言える『道』を支えるのはやはり一人一人の読者しかないと思いました。今まで以上に『道』のような発信の場はますます人々に必要となるでしょう。これからも期待しております。
今回の「道」の古賀選手の記事、有沢さんの記事を読ませて頂き、同じ年代なのに生きている世界が全く違うこと、本当に厳しい世界に生きる決断をしている人がいて、自分は何をしているのだろうかという思いに駆られました。過ごした時間ではなく、如何に密度の濃い時間を過ごしてきたか、そういったことの重要性を感じさせて頂きました。また今からでは間に合わないかもしれない、ただそれでも諦め切れない気持ちが自分の中にあることにも気付かされました。そして今からでも変わりたい、そんな気持ちを湧き上がらせて頂きました。
いつも勇気付けてくれる記事をありがとうございます。
山元加津子先生のお話、大変共感して拝読させていただきました。私も医療に携わる人間として、脳幹出血「宮プー」さんと同じ症状の患者さんの回復を体験したことがあるからです。医療の基本は心と心を繋ぎ合わせることです。昔の医療は「手当て」を大切にしてきたと聞いております。手でさすってあげることが医療の原点です。それは、医療者が患者さんの想いを共有する手段だったのではないでしょうか。しかし、今はパソコンに向かって患者さんの顔さえ見ず、触れもしない医師が多くなっていることに失望を感じています。
私は何かしらの縁で治療させていただく患者さんに、しっかりと挨拶をして、手でさすり、握手をすることを心掛けています。すると、どの方も必ず変化してくることを感じており、これが私の毎日の生きがいとなっています。
山元先生、ありがとうございました。
20代の若さで宇城先生と出会い金メダルを獲得した古賀選手、一方、宇城先生、近藤先生に出会い単身ムスタンへ乗り込んだ有沢章太さん。
共に私と年齢が変わらない同世代の方が真剣に行動してる中、いかに自分の時間が止まっているかを痛感しました。
茨城ダルクの方の手記では、自分は今まで甘ったるい世界で生きていたと思いました。
宇城先生が32歳で書かれた論文。
どこにも手を抜かず徹底して書き上げられている。
延長線上に現在の先生があるのだと思いました。
今回の『道』で一番感じたのは、20代の時点で変わらなければ30代、40代、50代で魅力ある自分にはなれないとはっきりわかりました。
すべては「今」変われなければ、何も変わらないということ。
今回の『道』で、冷静に今の自分の立ち位置と、大きなエネルギーをいただきました。
ありがとうございます。
山元加津子先生、藤野圭江先生、金澤泰子先生のお話を拝読させていただき、我々大人が失い、理解不能となってしまった子どもの原初的な力と、その力を失わせてしまう現代教育と大人たちの罪を改めて深く認識いたしました。
今号のテーマ「さらに前へ!」の訴えるメッセージの中には、受信者である我々が、この未曾有の大災害に見舞われている日本を復興させていく、前へ進めるということの他に、今こそ我々大人が気付き、変わり、言葉ではなく行動で示し、子どもたちの素晴らしい力を失わせることなく「心」の持てる大人に育てる教育を行う事が、日本という国をさらに前に進めるステップとなるという思いが含まれているように感じました。この災害のさなか、被災地の子ども達は大人たちが想像できないような力強いパワーで元気に行動しています。私は、この子ども達の力を信じ、この国の将来をより良いものとするため、「道」で紹介される実践者の先生方の教えを学び、己の成し得る範囲で地道に行動をして参りたいと思います。
毎号、勉強になる記事が多く良い本に出会えたものだと思っています。宇城先生と様々な方々との対談は、毎回新鮮な驚きで読んでおります。
また、宇城先生の実践の連載で、先生の教えが少しずつ身体にしみこむような感じが致します。今後とも是非、すばらしい企画の『道』で勉強させていただければと思います。近藤亨さんのお仕事に大変感動しました。今後のお手本にしていきたいものだと思っております。
世界水泳金メダリストの古賀選手と宇城先生との対談記事が掲載されておりました。この記事は届いた時に真っ先に読ませていただきましたが、世界水泳の競泳がテレビで放映されいるときに、再度この記事を読み直しました。いつもなら、のめり込んで競泳の様子を見ているのですが、『道』を読みながらテレビを見ると、とても冷静に世界水泳を見ることができました。こういったスポーツの世界大会は、水泳に限らずマスコミがほぼ作り上げていること、そして、選手の練習は部分部分を細分化している分析型であることがよく理解できました。
古賀選手が、金メダルを取った世界大会においては、相対とならず、自分の中にある絶対の世界で挑んだことが、試合も水泳も生き方も統一されていたことは、凄いと思いました。まさに水泳道を実践した結果が出たのだと思います。また、宇城先生は、世界でも例のない本当の強さを指導できると再確認を持ちました。今回の記事の内容をしっかり理解した上で、書かれていた内容に関して自分の生活にも反映させていきたいと思います。
作家であり、特別支援学校教諭の山元加津子さんの特集が掲載されることを知った時から楽しみにしておりました。また、同時に今回も金澤泰子さんの連載も楽しみにしておりました。私は知的障害の方と関わる仕事に就いておりますが、こうして『道』という雑誌で自分の仕事に関連する記事を読めることは、すごく参考になります。その一つに、私が彼らに魅かれる理由が少しずつ解って来たような気がしています。幼稚園の頃からダウン症と呼ばれる方々と縁があり、よく遊んでいました。その世界はとても面白く明るかった記憶に溢れています。何より関わりが純粋であったこと、それが当時の私には救いだったのだと気付かされます。私の中の大切な感覚を大事に保ってくれたような感じがします。なんとなくですが、その時の純粋な経験が、宇城先生の下で学ぼうとする自分に導いてくれているようにも思えるくらいです。
そして読んでいて気付いたことがありました。今こうしてお二人の記事をワクワクとした気持ちで読めるのは、宇城先生のもとで変化させてもらえたからだということです。私は仕事をしていくうちにどんどん“純粋な関わり”を失って、相手の行動にイライラしたり抑圧するようになっていました。そうなると、自分の実際の行動があまりにひどいため、お二人の文章を読んでも、こんなに“ワクワク”しながら読めなかったと、本当に思います。これからは、知的障害のある方々に相変わらず救われつつも、生活支援員として必要なところをしっかり支援できるような人間になっていきたいと改めて感じました。
どの記事も大変感動し、涙が流れてしまう所もありました。いつも素晴らしい記事を本当に有難うございます。特に宇城先生の、32歳の時の論文を読ませていただき感じた事ですが、社会的な風潮に惑わされる事なく、物事の本質を見極め、そしてそれを実践していきながら証明している所が本当に凄いと思いました。
「大切な事に気付き」、それを頭の理解だけでなく身体で実践できる、そういった実行力を32歳というお若い時から持っていらっしゃった事が良く分かりました。
私も、何事にも表面だけで判断せずに、そのものの内面が見抜けるようになろうと思いました。
今回の道は、またさらに濃い内容に感激し、大変考えさせられる内容満載でした。
近藤先生と有沢さんのお話の中で、「至誠通天」のお話があり、日々の小さな積み重ねの大切さを改めて感じました。前に進む為には、何かしら捨てなければならない事があり、命をかければ、天に通ずる・・・ とありましたが、大事なものを捨てなければ、得られない・・・ 情に流されない強さも必要・・・ とても大切な事だと思いました。
山元加津子さんのお話、とても勇気付けられました。障害ある子や変わった子は、ある意味特別な目で見られ、寂しい思いをしているもの。
世の中の誰が決めたかわからない、杓子定規で見えない枠が作られ、そこから出ている人間は、おかしい・・・ とされている。おかしいのは、この世の中なのに、そして、子供達も大人達の勝手な価値観にはめられ苦しんでいる。この話を読んで人間の能力の幅広さを、改めて感じました。
ダルクの岩井さんのお話は何時も考えさせられます。ダルクだけではなく、現在、様々な形で子供達が無言の悲鳴をあげています。また、大人達も・・・。
何がいけないのか、何が足りないのか、考えさせられます。施設や病院に行ける人は、まだ幸せな方だと思います。ダルクスタッフの手記に「心理の勉強をしているが、偉くなりたい訳でも、肩書きが欲しい訳でもない、・・・自分を変えたい、経験を仲間に伝えたい・・・ 今までの最低な人生が必要だった」と、私はこの文章に共感しました。私も違う分野でそうでありたい・・・ と思っています。いくらどんなに勉強したって、経験した人間の説得力にはかなわない。薬物依存症だからって、特別な人間ではない。彼らは、人より繊細で、純粋ではないか・・・ だからこそ、と思いました。回復の直接の手助けを出来る程の力はないですが、回復への心からの応援を紙面を通じてしていきたいです。
今号の山元加津子さんの記事も宇城先生のお話と通じているなと思って拝読しました。人間の無限の可能性を信じ、宇宙との一体感を感じ取り、人間全体でひとつの生命体という見方をすること。私の母親に言わせると「昔の日本人はみんなこうだった」そうですが、私も少しでも自然にこのように思えるようになりたいと思います。皆がこのように感じられたら、自分も生きやすく争いも起こらないだろうとも思いました。号を重ねるごとに深くなっていくご登場の先生方に繋がっていけるような者を目指していきたいです。
毎回、各種分野の一流の方々の記事を熟読することから道塾での講義を復習し、役立たせるように努めています。
また、知人友人に道塾で学んだことを伝えるのに自分の言葉で足りず伝えきれない部分を拡販を通じて利用しています。今回の先生の空手論文はとても興味深く読ませていただきました。
宇城先生と古賀選手の対談で、宇城先生のおっしゃられた、スポーツ選手で見られる、予選で流して、決勝の為に力を取っておく人がいる。しかし、ライオンはウサギをとる取るにも必死になる。まさに、これは日常の私にも当てはまると思いました。日常、仕事をしていても、これはあまり重要な内容ではないから、このくらいでやっておけば良いなどと、勝手に自分の中で流す癖をつけ、真剣さを失っていました。だから、そうではなく一つ一つを真剣でやらなければ、次はないということを強く感じました。このことを肝に銘じて、只今から真剣に取り組むよう実践していきます。