季刊『道』 162号(2009年秋)
● 道162号近藤先生の偉業を読んで
不毛の時に農作物を育てることだけでも難しいことですが、先生のすごいところはそれをやってしまうところです。今回『道』でその内容を知り、そのやり方もなんと奥深い知識(もう叡智といっていいと思います)に驚きました。
不毛の地でも収穫できることに(表面的な現象)にまず驚いてしまいますが、本当に驚嘆したのはそこではなく、普通は科学肥料を使ったり、土地の肥えている、やせているの農耕には向き不向きがあったりとしますが、それをものともせずにいい土地でないところにりんご林をつくり、鶏糞や家畜の糞を利用して、土地を育てて行き、収穫できる土地にしてしまう!そのすごさ偉大さに感嘆しました。
(東京 会社員 48歳 男性)
● 私は、ネパールの子供たちの教育支援に15年余り、自分の行き方に迷いを感じておりました。
近藤亨先生に出会い、またさまざまな人生の達人と出会い感動いたしました。素晴らしい本です。
(静岡 女性)
● 行動する人の気迫が、紙面からひしひしと感じられました。野口氏の「エベレストを登るには相当無理をしなければ登れない。しかし、本当に無理をしすぎると今度は帰ってこれない」という言葉から、まさに自分の生命をかけて大きな仕事をするには、このような気迫が必要なのだと思いました。同様に、宇城先生の衛星携帯電話の開発時のエピソードも凄まじいです。要求される開発のスピードが半端ではなく、睡眠時間が一週間に何時間というレベル。それほどのスピードで結果を求められ、見事に結果を出してこられたという話を私は他に聞いたことがありません。これまでの自分の仕事ぶりがいかに甘いかを痛感するとともに、逆にまだまだ徹底できる、もっともっと高いレベルを追求できるはずだと勇気をいただけました。観念論・精神論ではなく、実際に「やり きってこられた」方のお話はとても心に響きます。
また、宇城先生の仰られた「リーダー的立場では30代から40代の係長クラスが一番やる気がある。しかし、中途半端にやっていると、やる気がなくなって、普通のサラリーマン技術者になってしまう」は、現在30代前半の私にとって、とても示唆に富んだ言葉であり、重く受けとめました。中途半端はいけない。毎日を真剣勝負の修行の場と思って、仕事に打ち込んでいきたいと思います。道は読んで感動する雑誌です。しかも、人を感動させるだけにとどまらず、次の行動へ背中を後押してくれる雑誌だと思っています。今後とも読み続け、人にも勧めていきたいと思います。
(神奈川 会社員 32歳 男性)
● 今号の野口健さんとの対談はとても素晴らしく、ぐいぐい引き込まれてしまいました。特に野口さんの子供たちとの関わり方が素晴らしいと思いました。屋久島のガキ大将とハーフのいじめられっこのエピソードは、本当にいい話で心が温かくなりました。
宇城先生と野口さんの言葉には、やりきった人間だけが持つ説得力と迫力がある。ただ単なる対談とは全く違います。異次元の達人同士の対談です。だから理屈ぬきで引き込まれていくのだと思います。何度も繰り返し読んでは自分もこうしてはいられないとエネルギーをいただいています。
(青森 38歳 男性)
● 「動くことの大切さ」これが私の心に刻まれたことです。近藤亨先生と、野口健さんの特集が組まれている号を読み、今の自分に一番足りないことだと思ったからです。自分が悩んでいるのは、動いていないことが原因なのだと気づかされました。動くこともしないうちに諦めたり、不満だけを感じていては、何も変えることはできない、ということです。2009年の「道」の中で一番好きな特集です。
(東京 主婦 29歳 女性)
● 162号の近藤享先生の生き様にとても感銘を受けました。88歳の現在もムスタンでの農業に携わっているお姿にとても感銘を受けました。自分もいつかネパールのムスタンに行ってみたいと考えております。
(埼玉 会社員 42歳 男性)
● 毎号楽しみにしています。最新号では登山家野口さんのゴミ拾いの話に衝撃を受けました。自分の私利私欲で動いている著名人が多い中、道に登場する方々は皆「公」の精神で活動され「覚悟」のある方々ばかりです。そこに感銘を受けています。
(大阪 会社員 38歳 男性)
● 今週号の特集は「動く人間をつくる」。近藤 亨先生、野口 健氏、岩井 喜代仁氏の各記事は、まさに動いてきた、動いている人の息使いが感じられる内容でした。紙面だけでは伝えきれないところがもちろんあると思いますが、読者としては、感じた息使いの部分を、如何に消化し吸収して自分自身の行動の種に凝縮させることができるか、が大切だと思いました。近藤先生の偉業は、人間の持つ気の力が年齢を超越していることの証明そのもののようです。この後すぐに先生の著書を拝読してその感を強くしました。
野口氏の対談記事は、対談の持つ力も加わってでしょうが、これまで私が持っていた氏のイメージと全く違って、その考え方のスケールや行動力の大きさが肌に感じられ改めて見直した感があります。岩井氏の、薬物という人間にとって陥りやすい罠のよう落とし穴から如何に這い上がれるかに対する、這い上がった人としての言葉は、薬物以外の他の様々な人生の罠に落ちこんでしまって苦しんだり悩んだりしている多くの人にとっても人生の指針として大きく役立つ内容ではないかと思いました。
「これからはやって来た人の講演の時代」という宇城先生の言葉に表れるように、説得力のある、気付きを与えられる力を持つ、今回の特集となった3人の師のような生き様を共有していくことは、ますますこれからの社会にとって「動く人間をつくる」ために重要さを増してくると思いました。本誌の存在がその具現化に役立つ「動く季刊誌」として今後も期待していきたいと思います。
(宮城 会社員 53歳 男性)
● 季刊誌『道』162号の野口健氏と宇城憲治先生の対談を読み、野口氏の行動力、実践力に驚かされました。野口氏はテレビなどで知ってはおりましたが、単にアルピニスト登山家の野口健氏を知っていただけで、野口氏が富士山の清掃、ヒマラヤの清掃、又、登山とあまり関係のないフィリピンの遺骨収集や子供の環境学校など、いろんな方面で社会に貢献している野口氏を初めて知りました。それに、野口氏は36歳とまだ若いのに自分なんかの何十倍も生きているなと思いました。そして行動し実践している。野口氏流の子供に対する教育力指導力も現代の教育に絶対必要であるとも思います。
また、対談文以外にも掲載の写真に感動を覚えました。まず、エベレスト山頂直下写真です。雲海を下に見る山々、人間が自力で到達できる陸地の限界であり、そこを登る人間の凄まじい精神力はまさに、宇城先生の如き気の力であると思いました。次に、フィリピンの遺骨収集にて御遺骨に手を合わせる野口氏です。表情に野口氏の遠くフィリピンの山中にて、日本国の為に戦われ亡くなられた人々に対する哀悼があり、その気持ちが伝わってきます。エベレスト登頂は誰にでも出来ませんが、富士山樹海の清掃やフィリピンの遺骨収集は、やる気にさえなれば誰にでも出来ます。やる事、行動する事の大切さを痛感しました。
対談の最後に宇城先生が言われた、「世の中で何かをやった人、やり遂げた人が講演をするのが一番説得力があるんですよ」この言葉が心に残りました。10月に近藤先生の講演を拝聴させていただき、まさに実践している人だけが持つ迫力に感動しました。同じく、野口氏にもその迫力が対談文より感じました。もし、機会があれば野口氏の講演にも参加し、生の迫力に接したいと思いました。
(福島 会社員 48歳 男性)
● 今回秋号(162号)に掲載された辰巳先生の連載記事は、深く私に染み入りました。 先生曰く、「気なしに作ったものは食べられない」。でも、「気を入れて作ったもの」――心添えをして作ったものは食べられる。この言葉を聴き、家族というもののつながりを感じ、涙が出る想いを覚えました。
離れて住む私の父は、現在癌と闘っております。母の話では、普段はなかなか食が進まないそうです。しかし、家族が揃うと、母が驚くほど食べることができる。血色がよくなる。先日は私の地元の筑波山へ紅葉を観に出かけましたが、たとえ外食であっても、家族が揃えば、いえ、家族がお互いを見守っていれば、どんな状況であってもお互いが活き活きとすることができる。至極当然のことですが、辰巳先生の食に対する考え、次世代を生きる子供達にたいするお考えを読み、迂遠な感想ですがそう感じました。そして、見守ることの意味を、その力を、目が覚める思いで知らされました。
また、宇城先生のおっしゃるご飯を食べるときの挨拶「(命)いただきます」の意味が、今、この状況になって、体の中に入ってくることを感じます。自分は、他の命をいただいて、完全な命として今ここにいる。命の環のなかにいる。だから、その命は次の世代の命のために使わなくてはいけない。『道』で様々な「動く」、「やる」方々をご紹介いただき、そう考えるようになりました。そのために、学び続けなくてはいけない、精進し続けなくてはいけない。そう、決心いたしました。
(茨城 教員 29歳 男性)
● 宇城先生、近藤先生、岩井先生、野口さん・・・まさに実践者であり、実践されてきた方々の言葉は心への響き方がまったく違います。行動するとは道場の中で稽古するだけ試合で勝つだけでなく、若者の中に飛び込む、現場に飛び込むことであると教えられました。理屈よりも行動が先にくる先生方から学び、自分も実践者の道を歩んでいければ、と思います。
(東京 運送業 37歳 男性)
● 宇城先生と岩井先生の薬物依存についての話、興味深く読みました。とくに岩井先生の、「薬物は気持ちのいいものだ」という発言は教育者ならヒヤヒヤすると思いますが、たしかになぜやめられないのかという一般の人の疑問を納得させてくれる一言だと思います。体を張った人の言葉でなければ説得力が無いとは言いません。たしかに宇城先生のおっしゃるように、教師は「視野が狭い」と私自身が教育実習に行って感じました。たとえば、「何十億人といる中で、あなたはこの世に一つしかないオンリーワンな存在なんだよ」といった説教を、20歳すぎた教育実習生に真顔で言うのです。こういう言葉に感動するのは小学生までだということを知らないのです。中学生になれば「生まれた時点からもうそれぞれのオンリーワン同士で競争が始まるのだ」くらいのことは悟ります。体でも理屈でも、必死にあがかなくては何も勝ち取れないのだという現実に目をそらせる教育を最近は「個性」という言葉でごまかしているように感じます。
体で痛みを教えなければわからないこと、経験をつまなければわからないことはそのたびに教えなければなりません。その中で体罰が必要なこともあるでしょう。詰め込み教育だけではダメですが、詰め込まなければいけない知識もあるでしょう。昔からのやり方をなんでも否定し、個性個性で「やわな子供」を育てるべきではないなと思いました。
(愛知 男性)
● 『道』162号では先生と野口さんの記事が特に印象に残りました。「気づく、気づかせる」、「子供の場合は体で教え、言葉で褒める」。この言葉は、今まさに私の中での最大のテーマでこの活字を見ただけで感動しました。漠然としていたものが具現化された感じです。やっとスタートラインに立ちました。
(熊本 自営業 44歳 男性)
● 人との出会いは、人生の転機となることが多いと思いますが、縁がない人には絶対会えません。その点、『道』では素晴らしい実績を残してきた先生方との出会いを提供していただいていると思います。
ダルクの岩井施設長の講演に誘った職場の同僚達は、その後、実際にダルクの家族会を見学に行き、それを仕事に生かす実践をしています。岩井氏の迫力や真心がそうさせるのですが、そのおかげで私も同僚らから感謝され、逆に自分も彼らの行動力を尊敬しています。『道』は循環無端の種を蒔いている感じがしております。
(千葉 公務員 40歳 男性)
● NO.162 P18の写真 野口さんの眼。ヒトをヒトたらしめる一つの境界を突き抜けたまなざしです。登山によって変わった(理屈ではなく)子供達やハイゼンベルクが登山家であったエピソード等、登山への興味がかき立てられる対談でした。
澤田花江氏の文章には背筋を正さずにはいられませんでした。
(神奈川 教員 51歳 男性)
● 『道』の、近藤亨さんや野口健さんのお話は、まず実践ありきという生き様を示しておられて、世界をも変えていく力があって、読んで良かったと思いました。
(千葉 会社員 40歳 男性)
● いつも傍らに置いて、ページをめくるたびにパワーを頂いています。
いわゆる商業的な雑誌とは一線を画す内容・構成に、まさにマスコミ・メディアという大河の中の一滴だと感じております。
とくに最近、宇城先生が対談されるゲストの方々は大変な刺激を頂き非常に勉強になっています。われわれ腑抜けになった現代日本人に対する熱いエールだと受け止め噛みしめております。なんといっても特筆は近藤亨先生の何が何でもやりぬく越後魂だと思います。また登山家野口健氏のバイタリティー・行動力にも元気を与えられます。本当に素晴らしい方々の行き方に学ぶことで、往々にして「おふざけ」ばかりに走りがちな自分の仕事を修正する「基準」とさせてもらっています。
(東京 ナレーター 44歳 男性)
● ムスタンでの近藤先生の成し遂げられた数々の事業には驚きを隠せませんでした。富士山山頂と同じ高所で、誰も出来ると思っていない荒れた土地を耕し、リンゴ園を造るという事だけでも不可能と思ってしまうのに、それと同時に病院を作り、学校を立て家畜を飼ってその糞を肥料として土地を肥やし、循環型の生活基盤を構築された。それも70才からという年齢をもろともせず、不屈の精神力と行動力でやりきってしまった。私自身も、もっと大きな心を持って強い精神力と行動力で、今からの人生を切り開いて行きたいと感じました。
(兵庫 団体職員 51歳 男性)
● 『道』の特集や対談をとても楽しみにしています。特に、最近の対談相手の方は自然と対峙する方々が多く、私の関心と重なっているため、興味深く読ませていただいています。対峙する対象は一見違っても、武術家である宇城先生も、自然と対峙する方々(龍村仁さん、近藤享さん、野口健さんなど)も、生死の境で頭でっかちな理屈抜きに実践を重んじる姿勢が共通していることを、あらためて感じさせていただきました。組織の一員としてさまざまなしがらみの中で、頭でかわそうとする姿勢を気付かないうちに身につけてしまった私にとって、これらの対談を読むことは宇城先生からの直接のご指導と共に、自分の生きざまを見直すいい機会になっています。
(奈良 裁判所職員 46歳 男性)
● 近藤亨先生のネパールでの偉業のお話は大変興味深く、本当に素晴らしいことだなと心から思いました。
ちょうどモロッコへ旅行に行っていまして昨日帰国したのですが、そのモロッコの山の中の風景とネパールの写真の風景がまったく同じ場所のようで、さらにその山の中の村出身の青年とお話しできたのですが、彼は都会に出稼ぎに来ていて、「いつかは村に帰りたいが、帰ったところで家族を養って生活することはできない。その方法が見つかるまでは村には帰れない」と話していました。モロッコでもネパールでも、地方に若者がいないとう点では日本も、同じ問題が起こっているのだなと深く考えざるを得ませんでした。しかし近藤先生は、絶対に無理だという場所で農場を作り、それを成功させ、しかもネパールの村人に農業を教え、生活できるところまでもっていくというのは、本当にすごいとしか言いようがありませんでした。宇城先生がおっしゃるとおり、いわゆる経済的な先進国でない国の人々のほうが、人間としての「先進国」だというのは、モロッコに行って自分の目で見ても感じたので、すごく理解できました。
今は情報社会で、自分が欲しい情報以外も勝手に入ってきてしまうという状況なので、いろんな事が頭では理解しているのですが、実際に目で見るのと、パソコンやテレビを通して見るのとでは、まったくインパクトが違うということをモロッコに行って感じました。それは道塾で体験させていただく宇城先生の「気」もやはり実際に体験させてもらったインパクトはとてつもないもので、これからも宇城先生からいろいろなことを学ばせていただきたいと思っております。
そして季刊『道』は、宇城先生といろいろな方の対談もとても興味深く、毎回学ぶ点だらけです。これからも素晴らしい記事の数々をよろしくお願いいたします。
(東京 税理士 34歳 男性)
● 今回は野口さんと宇城先生の対談ですが、野口さんは山のゴミ拾い、そういった行動により人を動かし、『道』に出ていらっしゃる先生方をみて、話をお聞きしていると、私利私欲がなく、先生方の行動やお言葉は人の心に響くものを感じました。
(東京 造園業 48歳 男性)
● アルピニスト野口健さんのお言葉「先に『やる』と決める情熱、そして、そこからどうすればできるかと考える」に大変感動しました。そういう情熱が今の日本人には大切になると思いました。
(茨城 食品製造業 28歳 男性)
● 今まで自分は、「良いこと」や「善」ばかりを主張する人を無意識に警戒するところがありました。その理由はいろいろあるのですが、一つには、「善」とかには、結構な毒が含まれているんでは?・・・ということでした。その毒は結構気持ちがいいものかもしれませんが、解毒作用を本来的に持っているか、「毒は毒をもって征せよ」??・・・
とにかく古代ギリシアや万葉の時代から「善」と「悪」の問題に人間は相当なエネルギー費やしてきたようです。ですが、今回の「道」に掲載されています野口健氏、岩井喜代仁氏は自分などの「小さな雑念」を遥かに高く飛び抜けて行動しておられます。尊敬いたします。
料理家の辰巳芳子氏は以前からファンでして、この方の「いのちのスープ」の本もDVDも持っているのですが、まだ実際にスープを作って実践しておりません。作ることを楽しみにはしているんですが・・・。
そして、心を配る人、心配な人にスープを真心で丁寧に作るときに、そのスープに想いをかけた人のよい「気」が込められているのでは・・・と思ったりもします。ありがとうございました。
(大阪 会社経営 58歳 男性)
● 野口健さんと宇城先生の対談で理屈ではなくて理不尽さが時には必要だと言われてますが、まさに自分もサッカーの子供達を指導していてその大切さを感じています。
いい環境でいい指導を受けてと、もちろんそれは大前提ですが自分が納得出来なければ投げだしてしまう、悪い環境だとそのせいにしてしまう、まずはやってやるという根性が足りない事をすごく感じます。幸い自分はそういう経験をしてきてその大切さを今ものすごくわかりますがトレーニングメニューがどうとか、褒めて伸ばすとかそういう環境ではグラウンドに来る選手の目が輝いておらず気迫を感じません。
近藤先生の特集でもやはりやってみせる根性・情熱がすごいし誌面を通してもすごい伝わってきます。
今号はより道塾を終えた時の感覚になりました。
そして毎号楽しみにしているのがなぎばた範士の澤田先生のページです。やってみせるというのも自分もここまでいきたいと思わせてくれます。気迫はもちろん、言葉に同感する事も多いです。
(茨城県 サッカーコーチ 28歳 男性)
● 野口さんのところでは、まず写真の素晴らしさ、壮大さ、また厳しさに大変感動いたしました。エベレスト山頂直下の、これほどまでに美しい風景。ご遺骨に手を合わされる野口さんの表情の重さ。そして、エベレスト、樹海の清掃。写真が並んでいると、とても1人の人の活動とは思えない、そのバイタリティと視野の広さ、また全てに注がれる野口さんの情熱が伝わってきました。
辰巳先生の文章では「縁もゆかりもない方の快適を願って、ご自分の人生を添えてあげるということは、それは素晴らしいことだと思うのです。」という御言葉、「人生の最後でつらい思いをされるとね、『ああ、自分の人生って何だろうか』と思ってしまいます」、という御言葉に涙が出てきました。特に後半の言葉を見たときに、老人ホームや、病院のベッドで、無機質な料理や言葉に疲れて、白い天井を見上げながら、嘲るような、情けないような気持ちが浮かんでくるのが想像され、とても心が痛み、また高齢になる自分の祖母を思いました。
近藤先生の文章を読んで、『道』がなぜこんなに素晴らしいのかということに思いを馳せました。それはきっと、私達が理想とか「そうだったら人間は本当に幸せなのに」と思ってあきらめてしまうようなことに、本当に自らの志と身を捧げ、それを実現しようと行動してきた人たちが本当に、現実にいるんだということを知るからだと思います。
野口さんの文章を読んで、近藤先生の文章を読んで、辰巳先生の文章を読んで、本当にこうやって行動した人がいたんだと、理想を現実に、人が誰しも純粋に願い、一般社会では時に笑われるような夢や志に向かって本当に生きている、生きた人がいたんだということに胸を打たれるんだと思いました。
(東京 20代 男性)
● 『道』を読ませてもらい何度もそうだと同感し、頷きながら次へ次へと引き込まれるようにページをめくっていた。
先進国、その裏にはいろんな問題を抱えている世の中。頭の中ではわかっていても、「あのニュース怖いね。自分じゃなくて、自分の家族じゃなくて良かった。」そう思ってしまう人が多いと思う。そんな世の中を作っているのは自分たちなのに人のせいにし、結局見て見ぬふりをし、自分は、自分の子は違うからと他人事のように終わってしまう。私たち一人一人、当たり前のように“あぁー”とため息を吐く日常を見直し、小さなことにも感謝の気持ちを忘れず持ち、そして今ある今日を作ってくれた人たちの教えや形あるもの、文化、伝統、かげで支えてくれている人たちの事を忘れてはいけない、壊してはいけない、そう思った。そして小さなことかも知れないが、これからもっと人の話や言葉に耳を傾けてみようと思う。
衣食住、生死、自然界、人間の身体、戦争、教育、薬物の恐ろしさ、その他たくさん事をバックナンバーや今号『道』に教わり、自分の知らない世界を知れた。そしてそれをまた子供たちにも伝え、教えていきたいと思う。
謙虚に、また『気付く→気付かせる→教える→学ぶ→真似る』 私自身も子供たちと一緒に感じ、今を生きていきたい。『道』は自分の人生や生き方を改めて考えさせられる重みのある一冊だと思う。
(東京 主婦 30歳 女性)
● 実践、実践、また実践。理屈ではない実践に彩られた一冊でした。近藤先生をはじめ諸先生方は、皆理屈ではなく現に実践してきて、そして今もまだ実践している方々ばかりです。こうした方の言葉を知り、想いを知ることは本当に励みになります。
『道』は以前から愛読していますが、読み始めたころは単に何気なく読んでいただけでした。ところが、気がつけば『道』を読むたびに実践する勇気を与えてもらっている、そう感じるようになっていました。
自分が成長したからそう感じるのか、それとも『道』が進化して読み応えがさらに増したのか。『道』とともに成長していきたいと思いました。
(東京 会社員 30代 男性)
● 今回のムスタン見学の特集を読みました。思った以上に過酷な様子が伺えます。
また、宇城先生や同行された方々のお話からは本当に「想像を絶する」場所であることをお聞きしました。その状況のなかりんごの木々が茂り、野菜畑が広がる、さらにニジマスがすむ池まである風景の写真がとても信じられません。何より驚いたのが、日本のように果物、野菜、米と特化した農業ではなく総合的でかつ循環型の農業がなされているということです。 効率や営利のみを追求していこうとするとどうしても分野ごとに専門化していくほうがいいような気がします。
実際、今の日本では農業に限らずすべてが専門、細分化の方向にあります。これは宇城先生が常々言われている部分体になっているのではないでしょうか。部分をいくら強くしてつなげても、それは統一体にはかないません。
「農業というのはそんなもんじゃ絶対ない。私のところは、養殖、養鶏、林業から総合有機農業です。……こういう思想がなければ日本はだめになる。」 この近藤先生のお言葉は農業だけの話ではないと思います。「効率化」ということを考えるあまりに、日本は今、本来の人間のあるべき姿を忘れかけているぞという近藤先生の強いメッセージが伝わってくるようです。
人間のあるべき姿とは「心」ではないでしょうか。一見、経済的には豊かに見えますが、日本人の「心」がずいぶん痩せてきていることは宇城先生の言われるようにうつ病患者や自殺者の増加からもわかります。私たちは日本人の「心」を豊かにしていくためにも、近藤先生の「やってみせる」という行動力に学び、総合的な循環社会の方向を目指していくことが大事だと感じました。
何もなかったムスタンにこれだけのものを作り上げることができるということは、日本でできないはずはないと思うのです。近藤先生の示していただいた事実を謙虚に受け止め、日本でもできるという事実を作っていこうと思います。ありがとうございました。
(長野 40代 男性)