季刊『道』 151号(2007年冬)
● 「がんばる」という言葉は、最後まであきらめないでやり通す、努力するといった意味で一般的に広く使われる言葉であると思います。しかし、その意味するところ、意図するところが人によってこれほどにも違うのか、ということを改めて知りました。
今号の特集である小池一夫先生と宇城憲治先生の対談の最後、小池先生が「その道でがんばってる、同じですよね」とおっしゃっています。その「がんばる」ということの裏には「自然と身について、自然に出るようにならないと小説を書いてはいけない」といった厳しさがありました。そして、その「がんばる」という言葉は、辰巳芳子先生のおっしゃる「頼れる感」のある「何かをやりこんだことのある人」が発する場合と、「やりこんだことのない人、知っているだけの人」の発する場合とでは、同じ言葉でありながら全くその意味する深さ、奥行きが異なるのだということに気付かされました。そのような背景を知らずに、「そうか、自分もがんばろう」と、自分のレベルに合わせて考えてしまうと、とても理解の浅い、上っ面だけの物まねに終わってしまう危険があるように思いました。一方で、先生方の言葉の一つ一つの裏にあるこめられた思いや、その裏の裏にある目に見えないご苦労を知ることは、宇城憲治先生の「進歩、成長することとは、変化することであり、変化することとは深さを知ること」であることに通じているのではないかと感じました。「あなたももっと頑張りなさい」そう励まされているようにも感じます。
読み進めるうちに気付かされ、繰り返し読む中で深みが増す。『道』はそのような本であると思います。少しでも取り上げられる先生方の言葉が身を持ってわかるよう、自分自身努力しながら読み続けて行きたいです。
(宮城 20代 男性)
● いつも良い勉強をさせていただき本当にありがとうございます。『道』により宇城先生にも出会わせていただき、また、この本に出合うことで、私は本当に人生を変えることができました。自分の愚かさ、エゴ、浅い知識、考えで生きてきましたが、何一つ上手くいった事がありませんでした。しかし、この本を拝読させていただき、宇城先生の教えを受けさせていただき、上手くいくはずがなかったのだと実感させられました。今はそれらを一から見直し、稽古も仕事も、生活すべてが確実に「未来のための今」を生きる事ができてきたように思います。今を真剣に生きる素晴らしさ、難しさを、絶対の目標を持ち生活できることを本当に有難く思っております。このように成長できたのも、すべて『道』に巡り合えたおかげだと感謝いたしております。
(群馬県 男性)
● 本号の各分野の先生方の記事を読んで、とても厳しい経験をしても活き活きしていると感じました。厳しさを通して出る活力や自信、まだ目標を失わず先を見ている姿に感動しました。このような先生方に少しでも触れさせて頂ける『道』の記事は、現代に生活する私にとって重要な事を気付かせて頂けるものです。
(茨城 30代 男性)
● 今までは、外国の文化をただ格好がいいからという安易な考えで、浅く広く情報を集めて知った気になっていましたが、自分が生まれ育った国の文化をもっと深く知った上で、他国の文化や言語を学習すると、単に知識の詰め込みだけでなく内面の成長に繋がり、お互いを理解し合えるのではないか痛感しました。
(茨城 30代 女性)
● 辰巳先生のお言葉には、毎回ずしりと心に響く力を感じます。「念を込めて仕事をする、心を込めることが減っていることが人間の底を浅くする。やり込んだことのない人、知っているだけの人は目標にならない。それは“人間の正直な”ところです。」
自らの人生を改めて省みると内心忸怩たるものがあります。
今揺れに揺れている教育について「今、教育で一番欠けているのは感動です。生徒に感動を与えるだけの先生がいない、ただ知識だけ」と奥村先生がおっしゃられることも、辰巳先生が「知っているだけの人は目標にならない」といわれているのは同じことだと感じました。 近代教育の発展に多大な影響を与えたものは江戸期の教育であったと言われています。武士の教育、庶民の教育と実に多様であり個性的であったこともそうですが、それ以上に教師の人格に学ぶ者が傾倒することで優れた教育効果をあげていたという事実は歴史をひもとけばわかります。師の生き方に感動することは、学ぶ者が道徳的人格の完成に至る具体的な方法でした。学ぶ者の人格形成に直結する教育が行なわれてきたという事実も忘れられていくのでしょうか。古の日本の文化を改めて振り返ることで今日の教育課題も、そして解決する糸口も見えてくるのではないでしょうか。宇城先生がおっしゃる「日本の文化を知らない、日本人自身が気づいていない」。確かに日本の文化、歴史を正しく理解する姿勢が崩れてきていることを痛感せざるを得ない状況が多くあります。気づかないことほど悲しいことはないと思います。
(神奈川 50代 男性)
● 一貫した考えと、一線で活躍する様々な方の話が、読者に実践哲学を学ばせてくれる唯一の雑誌です。号を重ねるごとに、益々深みを増してきているように思います。今後も『道』の深さを追求して欲しく、一読者として願っています。
(東京 25歳 男性)
● 毎号、とても高い次元の高い対談・記事を読ませていただき感謝しております。その次元の高い内容を、行間の意味するものを感じ取れる人間になりたいと思わせる、唯一の本です。
今回の小池一夫先生・宇城先生の対談を読んで、世の中には同じ花でもその中にある香りは一つではなく、両先生方が感じられる香りは高い次元に達した方だからこそ、感じ取れる香りが有る。同じ花を嗅いでみても、その香りを感じ取れるかどうか。かつての日本には「それ」を感じ取れる力を養う文化があったのではないかと。その文化を発信しているのが『道』誌ではないのでしょうか。私は、この本からその「香り」を感じ取りたい、感じ取れるような「人」になりたいと思っております。
(東京 38歳 男性)
● 毎回、楽しみに拝見しております。武道をはじめ、様々な分野で「道」を極められた方々のお話は、理屈を超えた説得力を感じます。どの記事、お話も大変素晴らしく勉強になります。
料理家 辰巳芳子先生の「生き抜くための稽古」を読ませていただきまして辰巳先生のお写真とお話からものすごいエネルギー、真剣さを感じました。お話の内容は料理ということだけに限らず、生き方全てに通じることだと思います。「念入りにする」「念を込めて仕事をしていく」その静かな言葉の中に隠れている情熱や厳しさが理屈ではなく伝わってきました。辰巳先生の生き方そのものが、お言葉になっているからなのかと思いました。武道、仕事、日常生活全てにおいてその行動の原点となるエネルギー、真剣さ、丁寧さなどはまさに現在の日本人に求められていることだと思いました。
『子連れ狼』原作者の小池一夫先生と宇城憲治先生の「自国の文化に誇りと希望を」を読み、学ぶことの素晴らしさを感じました。「自然と身について自然に出る ようになるまで小説は書くな」という厳しいお言葉の中に、自分が好きなことを徹底して学ぶ。そして自然とにじみ出てくるような本物でなければ人を感動させることはできないという原理が隠されているような気がいたしました。今はうすっぺらな知識をなんでも頭の中に入れて、それをすぐに、無理矢理に使おうとすることが多い社会になっているような気がします。自分の骨となり肉となるまで学ぶことの大切さ、そしてその行動を呼び起こさせる日本文化の素晴らしさを改めて教えていただきました。
『道』には毎回、道を極められた方々のお話を通じて、様々な事を学ばせていただいております。毎回、感動しております。できれば、もっと読みたい、もっと学びたいという思いが号を重ねるたびに湧き上がっております。質、量とも増大を希望しております。しかし、受け取る側、読み手側の感じ取る力や受け取る力も強くなければいけないと思います。私ももっと学び、行動し、『道』とともに成長していければ幸いです。
(福島 30歳 男性)
● 『道』は武道を指導する者にとってもためになり、子育ての教育にも使えます。これからもこのような素晴らしい内容を期待します。
(山口 56歳 男性)
● 小池一夫先生の日本文化に対する思い入れがよくわかりました。21世紀は、日本文化の良さを世界にもっと認めさせアピールする時代だと思います。
(千葉 45歳 男性)
● 私にとってはむずかしい言葉もありますが、頭をシンプルにして読めば、教育する側の人にとって、物事をがんばっている人にとって、とても参考になる本ではないかと思いました。何かひとつ物事をがんばっている人に読ませたい本です。また、自分が日本人でよかったと思える本でもありました。
(神奈川 36歳 男性)
● 季刊『道』で、生きる姿勢を学ばせて頂きました。
(長野 30代 男性)
● 毎日のように凶悪事件や不祥事などがニュースに流れ、その都度「もっと心を大事に」というコメントを聞くことが繰り返されています。でも、どのように心を日常の様々な問題の中で大事にしていくのかという具体的な話になると、あまり納得できるようなお話は聞けていないように思います。
『道』のなかで様々な分野の方々が語られること。特に先人達の生き方、経験から語られるお話は、我々が今本当に学ぶべきもの、大事にしていかなくてはならないものを指し示しているように感じました。
小池先生の時代劇を書くのに資料を読みながらでは書けない、何千という資料を血肉として自然に物語が出てこなければ本当の作品は書けないというお話。
辰巳先生の「念入りにする」「念を込めて仕事をしていく」という心の込め方が骨肉になっている人は――というお話。
宇城先生、清水先生の対談「気を待つ――希望を持って堪え忍ぶ”忍”」というお話。
今回の151号では特にこれらのお言葉になにか繋がりを感じ、心に残りました。
効率や性急な結果だけを問題として心を失いがちといわれる現在のなかで、とくに輝いて見えたのだと思います。
自分の生活や仕事の取り組みの中で心を大事にしていく、鍛えていく上での「生きたお手本」として読み返し、意味をよく味わって生きたいと思いました。
(神奈川 38歳 男性)
● 宇城師範による対談を読み、小池一夫氏の作品の深みや読み応えの確かさに納得しました。膨大な資料を読みこなし、さらに真言宗の僧名を持つほど禅の修行に打ち込まれたとは驚きです。しかし、『子連れ狼』の翻訳がアメリカでベストセラーになり、功労賞を受賞するほど小池氏に人気があることは知りませんでした。
この様に日本の文化を海外に広めた功労者に対し、日本における評価の低さやマスコミの無関心さは異常だと思いました。まさに今回の特集「これでいいのか日本の文化政策」そのままです。
これからも、もっともっと雑誌『道』で、小池氏や宇城師範など日本の文化を世界に発信できる方々の紹介を続けていただけたらと強く思います。
(神奈川 50歳 男性)
● 今号の各対談、会見はゆっくり味わいながら読んだ。いつも本誌は読んでいて自分の心に響くところや共感する言葉のところに毎回しるしをつけているのだが、今号は40ヶ所にも及んだ。ひとりひとりの先達から発せられる言葉は心に届く何かの力がある。何気ない言葉の中にも気づかされるところが多い。
○羽賀忠利範士 「『耕不尽』(耕せど尽きず)という言葉があるんです。これは何を耕すかというと、心です。心の田んぼをいくら耕したってなくならないんだから、やらなきゃいかんよと」心を耕すと言う言葉はいい言葉だ。人間はその耕す努力を惜しまない人がその心から豊かな作物を創り出すのだろう。
○白石宏セラピューテックトレーナー 「僕はあまり弟子に怒らないんですが、それが弟子を甘やかすことになってしまっている。それは本当の意味でやさしさではないと、最近感じるようになりました。『相手の中に入っていく』勇気が足りないんですね」これは本当のやさしさが厳しさの中にあることを示す。大きな実績を残している白石トレーナーの謙虚な姿勢から生まれる言葉だからこそ、自分にも欠けていることへの反省を促す。
○小池一夫先生 「テレビ局とかマスコミも悪いんですよ殺人事件だ子供の虐待だと言って、朝から晩まで。公共の放送を使って、そればかり。ニュースとしてみれば、大変悲しいことですが、あれだけ微に入り細に渡り、全部のメディアが朝から晩までやっているのはどうなんでしょうか。」これはまったく同感。同じ事を最近強く感じていて、報道の責任が今大きく問われるべきだと思う。報道する側の猛省を促したい。どのような言葉に感じるかは読み手の人それぞれだろうし、またその時の気持ちによってもその感じ方が違うかもしれない。それなりに時間を置いてからまた読みなおすことで別の新たな気づきがあると思う。こういう繰り返しの読み方も心を耕すことにつながるのではないか。これまでの各号もまたゆっくりと味わいながら、読み直していきたい。
「道」も一つの報道の役割を担っているが、小規模ながらも確実に社会に役立つ報道として、刹那的でセンセーショナルになりがちな今のマスコミに飲み込まれないよう、今後も“心を耕せる”雑誌としてさらに期待したい。
(宮城 49歳 男性)
● 特集『これでいいのか日本の文化政策』を読んで圧倒されました。小池一夫先生の歩んでこられた漫画の道と、それに裏打ちされた力のあるお言葉の数々は、まだまだ自分は勉強が足りない、たとえ何か知っていたとしても、それは所詮知識でしかない、という事に気づかせてくれました。「自然に身について自然に出るようになる」という事は何を学ぶにせよ常に目標として心がけるべき事だとおもいます。しかし、そうなるためには真剣に物事に取り組むという厳しさが必要であり、その厳しさが自分には全然足りないという事がよくわかりました。大変深い教えを頂きました。ありがとうございました。
(東京 25歳 男性)