読者の声| 季刊『道』 223号(2025年春)
実践術を極める方たちは“無”に向かうのかもしれないですね。
鹿児島 40代 男性
潜在意識にはたらきかける力(宇城憲治先生 VS 小説家 吉本ばななさん)
吉本ばななさんと宇城先生の対談では、お二人が下北沢の一室に居ながらも、目には見えない別次元の時空で対談をされているような感覚で読ませていただきました。
吉本ばななさんの「究極は何も書いていなくても人を救っている状態が一番いいわけで。」という言葉がとても印象深かったです。柳生石舟斎の無刀取り、山岡鉄舟の無刀流、そして宇城先生が学生時代に新聞のインタビューで語られていた“無”についてのお話を思い出しました。
実践術を極める方たちは“無”に向かうのかもしれないですね。“無”だから自由自在なのでしょうか。頭で考えてもわからない世界です。お二人の対談を読ませていただき、心で感じたことを大切に留めておきたいと思いました。
■ロングインタビュー のびのびと おおらかに
歩き続ける ケニア・ナッツ・カンパニー創業者 佐藤芳之さん
過去のインタビューや宇城先生との対談のときも、そして今回も、なぜか読むと元気になります。また、道塾生が視聴できるコンテンツの佐藤芳之さんの対談音声を聞くと、さらに元気になります。
佐藤さんが「ちっぽけな日本人」という枠ではなく、「地球人」として境なく活動する姿は、日本人だけではなく世界中の人たちが目標とする生き方だと思います。境がなくなれば、争いも起こりにくい。
世の中にはイイ奴も悪い奴もいる。自分と気が合う奴も合わない奴もいる。それでいいじゃないか!楽しく頑張って生きようぜ!仲間は世界中にいる!
私は佐藤さんのお話を聞いたり、読んだりすると、このようなメッセージを受け取っているような気がして、元気になっているのだと思います。少しでも佐藤さんのような生き方、哲学を吸収させてもらって行動に移したいです。
■戦争は終わっていない
傷ついた人に寄り添い、事実を伝え続ける 大石芳野さん
人が起こす戦争や大量虐殺は無意味だ。人は興味が湧き、気が付いた時に学ぶ。しかし、学びたいと思ったときに記録がなければ、深く学ぶことは難しい。
平和への願いが込められた悲しい記録は、未来への平和をつなぐ大切な記録であり、財産だと思います。「いいくに作ろう鎌倉幕府」みたいに“年”と“出来事の名前”だけが書かれた教科書の記録ではなく、想いが入った記録だからこそ後世に伝わっていく。
現在に生きる私たちだけではなく、後世にも想いを残してくれている。とても偉大な仕事だと思います。
■愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち… ゆめの森こども園代表 前島由美さん
ルイ君は生きる本質を求めていたのかな。求めているから話が入ってくるんだよなと思いながら読みました。
求めていたとしても、信頼できる人からのメッセージでないと入ってこない。近い将来、知識の詰め込みだけの学校教師はすべてAIに取って代わられるのは、ほぼ間違いないでしょう。そうなった社会で必要なのは、子どもたちに信頼されて、人間らしさや生きる本質を教え導く力のある人材です。それが前島さんのような方たちなのだと思います。
知識は何の権威もない。人間力だけが物を言う社会になるように世界が進めば良いと願います。
■気づく、気づかせる… UK実践武道代表 宇城憲治先生
宇城先生が教えてくださる、マクロの太陽系の「実在先にありき」で理屈や科学が後追いであることは納得しながら私に入ってきます。
そして、ミクロの人間界にあっての「実証先にありき」についても、今まで先生に教えていただいた通りに、人間は生まれながらに完成形ということを念頭に理解してきたつもりでした。
太陽や月はそこに存在しています。これは「実在先にありき」。人間は生まれながらに完成形ですが、それでも宇城先生と同じことはできない。
宇城先生に師事し、学ばせていただく過程で、変に“当たり前”に思ってしまっていた「実証先にありき」。これは宇城先生がいないと実証できないということが、いかにとんでもないことなのかに気が付きました。
生かされている命をありのままの姿で大切に過ごしていきたいと思いました。
奈良 40代 女性
同じ「場」でも中身が全然違う。「居心地が良い」と感じるのはなぜか。それはそこに「エネルギー」が入っているからです。つまりそのことで人間の個を成す細胞が活性化され、それで「心地良い」と感じる。
裏を返すと「癒やし」になるわけです。その「癒やし」にはエネルギーがあるから単なる癒やしではなしに、エネルギーが入っていて活力となる。
こういうことを宇城空手の稽古でご指導いただいているのだと、私たちにその経験を幾度となくさせてくださっているのだと思いました。宇城先生はその世界があることを見せて感じさせてくださっています。
宇城先生とばななさんの対談から、自分の閉じた頭だけのあり方が全く話にならないレベルであることを深く受け止めつつ、現状から変わっていきたいという気持ちが溢れてきました。
「究極は何も書いていなくても人を救っている状態が一番いいわけで。それに比べて何かを作っちゃっているというのは人としてすでにアウトだなと思っているんです。」
日常のあり方にも通ずるものがあるのではないかと思いました。対談を通し、自分のあり方は今のままではいけないし、今のままでいたくないと思わされました。
自分で自分をつくらずに、頭で考えずに身体が自然に動くように、何にも囚われず、素直に、心から感謝し、今を生きていたいという気持ちになりました。
ばななさんご自身の今までされてきたこと、お話くださるすべてが、常に私たちが宇城先生にご指導いただくことに繋がっていて、
生かされている人間のあり方を見せていただいているように感じ、エネルギーのある方でいらっしゃるのだということをとても感じました。
ばななさんのお話を聞いて自分のあり方を見直し、変わっていきたいと思いました。
日常でもいつのまにか自分の捉え方で過ごしていたり、自分が勝って力ずくであったりする自分が出ています。
そういうところを取っ払って生かされている命をありのままの姿で大切に過ごしていきたいと思いました。
ケニア・ナッツ・カンパニー創業者 佐藤さんのお話を読んでいると勢い、元気、エネルギー、どこまでもやり抜かれる溢れてくるエネルギーがないと何事も動いていかないことを感じました。
宇城先生からご指導の中で教えていただき考えさせられる日本の状況、あり方を同時に思い出されました。
子どもたちの自殺者増加、日本の政治家の目、姿勢、日本のニュースで取り上げられている内容への疑問、国民を守っていないシステム。日本が酷く停滞している状態を感じました。
エネルギー、元気がないと動かない。日本の今の現状を考えさせられるとともに、自分のあり方も見つめ直していかなければならないことを深く感じます。
実際に現地に行って直接お話をきかれている写真家の大石さんがお話してくださることからは、自分が知ること考えること、それをずっと続けていくことの大切さを感じました。
「終わったはずの戦争が、実はその人の中では、ずっと続いているのだということに衝撃を受けて、それまで自分が考えてもみなかったことに目覚めたというか、気づいたのです。」
「人々はもうみな暗い顔をしていました。やったポルポト側もやられた人々側も、両方ともとても暗いのです。」
「戦争で傷ついた心というのは、なかなか癒えないのです。」
日本も同じように戦争を体験している方々が大勢いらっしゃいます。人間はどうしてこうして殺し合い苦しめ合うのか。対立では何も解決できないことを宇城先生がいつも教えてくださっています。
こうして伝えてくださっているから知ることができる。知って考え、寄り添うことの大切さ、自分のあり方を見直し、そしてそのような事実がある中で自分は日常でどうあっていくべきかを考えて過ごしていく必要があることを教えてもらったように感じています。
大石さんがお話してくださることを何度も読みながら知らないことを調べながら知って考えていきたいです。
「 飢餓によって人間らしさを失う」
人間らしさを失うという面では、戦争からの飢餓だけでなく国民に寄り添わない政治や権力者のあり方から起こっている国民の貧困、それらによって人間らしさを失うことにも繋がっているように感じます。
佐々木先生の「人類を救う赦しの心」から想像することすらできないですが、こうして「赦し難きを赦す」ことを行動で見せてくださっている事実がある。
それを忘れてはならないですし、こうして知ることをさせてもらえたことに感謝し、心の中に大切にしていきたいと思いました。
「地球創生より生命の歴史が教えているのは つながりや共存である」
「宇宙にあるものは皆同じものから成りたち 元は一つなのである」
常に心に置きながら自分に向き合っていきたいと感じます。
「すべてのものに境界は無い。」
「「そんな馬鹿な・・・・・・」と思われたら、きっとあなた自身が、境があると決めている。」
お写真と共に野村さんの一つ一つのお言葉が響きます。自分の日常のあり方を考えさせられます。
「道」を読み進めるときも、常に宇城先生にご指導いただいていることが共に思い出されながらの時間です。
「道」で伝えてくださる全ての方々のお話は、
日常どこにいても、何においても人生の土台となる教えをいただいているといつも強く思います。
岩井さんの連載はいつも人に寄り添う姿を見せてくださっているように感じています。
生きる中でそこには生と死が隣り合わせ、覚悟、真剣、が常にあることを「今日一日を生きる」の岩井さんのお話、紹介してくださる手記から教えていただいています。
毎回の手記で伝えてくださる中で、お一人お一人がすべてをオープンに語ってくださるお姿から、自分のあり方を見つめ直し、真剣にあり心を開くことを学ばせてもらいながら自分に問う時間になっています。
翔子さんの生かされているありのままの姿、お母様泰子さんのお話をいつも拝読しながら親として考えさせられるものがあります。
子どもたちはずっとそばで親にエネルギーを与え続け、守ってきてくれていたのだろうと。子どもたちが与えてくれる気づきを素通りしないように、今を大切にしたいと強く思いました。
「それは人間の心身を守っているのが37兆個の細胞だからです。」
「心は見えないが行動や実践で見える」
多くの自分の課題、自分のあり方に目を背けず自分の心に向き合っていきます。今回の「道」では エネルギーがないと進んでいけないし生き残っていけないことを強く感じました。
そのエネルギーが人間にあることを宇城先生は常々ご指導くださっています。
閉じずに開くのは自分であること。身体から心の底から元気になり生き生き堂々とありたいと、一歩踏み出す勇気、力をいただいたように感じます。
「道」に登場される皆さんのご著書を拝読し、また「道」でのお話を読み返し、そしてまたどう感じていけるのか何が気づけるか自分に向き合いながら勉強させていただき拝読し続けます。
この度も『道』での学びをありがとうございます。
日常の一瞬一瞬に、より一層幸福感を感じるようになった実感があります。
東京 60代 男性
吉本ばななさんについては、名前は存じ上げておりましたが、作品については全く読んだことがありませんでした。私は時代小説は好きですが、いわゆる現代の流行作家と言われる方の小説はむしろ敬遠していて、正直「吉本ばなな」といういかにも流行作家でございというペンネームからしてむしろ避けていました。しかし記事をきっかけに「キッチン」をはじめ4冊ほど拝読しました。いずれもぐいぐいと引き込まれ、宇城先生も「吸い込まれるよう」と仰っていましたが、まるでレールの上を滑るかのように一気に読了してしまいました。読後感はなんとも言えないものがあり、記事にもありましたように「読んだらサラッとしてるんだけど、もっと深層、潜在意識の(中略)幸せなほう、楽なほう(中略)を選べるような誘導を心がけています。」とあり、まさにその通りだと感じました。「下町サイキック」という作品では、読みながらクスッと笑ったり、涙腺が緩んだりと感情移入してしまいました。目に見えない世界が見えるという少女が主人公ですが、その感受性の高さ故日々の生活の中で悪い気や悪いエネルギーを受けても、日常での家族のやりとりとか近所のおばあさんと餃子を包むうちにそれが癒されていくという場面になんだか感動してしまい、その影響なのか、私も家族の団欒など何気ない日常の一瞬一瞬に、より一層幸福感を感じるようになった実感があります。もっと早く吉本さんの作品を読んでおけばよかったと、単に食わず嫌いで避けていた自分自身の狭い了見を恥ずかしく思いました。他の作品ももっと読んでみたいです。また今回の記事で、恥ずかしながらあの吉本隆明氏のお子さんであると初めて知りました。お父様との対談本は是非是非文庫にして頂きたいと思います。
佐藤芳之さんの85歳でありながらさらに自分自身の「伸びしろ」を信じて新たに事業を展開しようとするエネルギーに驚きを感じました。私も還暦を過ぎ年齢を意識せずにいられないことも多々ありますが、私よりずっと年上の佐藤さんの「80になろうが90になろうが、いつまでも持ち続けたいのは、何かに憧れる、それが自分のものになかなかならないから、『そうなりたいな、まだまだ伸びるぞ』という思い」という言葉に元気を頂いた気がします。また奥様との御関係で、「家内に言い返したりせず、全部イエスと言おうと決めた」「負けるが勝ち」のお言葉には、実は私も妻にはなんでもハイハイときいて逆らわないことを心がけるようにしていて、我が意を得たりと共感しました。
大石芳野さんの記事はとても重いものでした。直近の『道』では庭田さん、三上さん、広田さんなど戦争の悲惨さについて伝える活動の記事が続いていて今号の大野さん(全員女性)も大きな関心をもって読み進めました。カンボジアポルポト政権下での虐殺について「人々はみな暗い顔をしていました。やったポルポト側もやられた人々側も両方とも暗い」「戦争で傷ついた心というのは、なかなか癒えないのです」との言葉は、現場を経験し現場の人々と接した方ならではの重い言葉だと思いました。丁度、NHKの番組で戦争体験者のPTSDについて取り上げていました。ベトナムやアフガンに派兵された兵士は戦争で亡くなった方より帰還後自殺された方が多いとのこと。戦地で敵を殺してそれが呵責となって自殺に追い込まれてしまうと。やはり戦争は起こしてはいけないものだとつくづく感じました。
前島さんの記事、ルイくんのお話では、やはり人間には周囲からの愛情が不可欠であること、例え歪んでしまっても愛情があれば人は蘇生していくものだと。これはダルクの記事でも同じことを感じさせられました。
工藤さんのこの世界はマッチポンプは、そうだよなと納得させられました。加工食品に食品添加物をてんこ盛りにし人間を病気にさせ、さらにその病気を治すという名目で医療や薬品を人間に施す。食品会社が添加物や医薬品を作り、製薬会社が食品添加物を作っている。アメリカはトランプ大統領になって、コロナウイルスは人工だと発表したり、WHOから脱退するしないの動きになっていたり、少しはマッチポンプシステムが是正されそうな雰囲気となっていますが、果たしてどうなるか? 今のところは、とにかく私たち一人一人がこのマッチポンプシステムに気づいて周囲に啓蒙し輪を広げて、自衛するしかないなと思いました。
「きょうも、いい日」の「翔子の書」の魅力のひみつでは、「競争心のない、人を羨んだり争ったり妬んだりするする想いが全くなく、ただ『みんなに喜んでもらいたい』という思いしかない」ということに自分自身が洗われるような気がしました。「また未来のためにエネルギーを使わない過去を振り返り悔やんだりもしない。全てのエネルギーをその時間に百%注ぎ込む。今だけに集中する力は大きい」にハッとさせられるものがあり、また「全てこの社会の枠を取り外し社会の埒外で生きれば大成功の存在であることがわかる」のお言葉には、様々に考えさせられるものがありました。
「アトリエ翔子・喫茶部」は是非行きます!
佐々木さん野村さん安藤さんの写真は相変わらず美しく、添えられた文章も響きます。
今号では野村さんの「すべてのものに境界はない」「すべては分離していると思って生きるのか? それとも溶け合って生きるのか」の文字が浮き上がって見えたような気がしてとても印象に残りました。
そんな現状でもできるだけ、気高い生き方をしようと努めたいと再確認する事ができました。
福島 会社員 40代 男性
吉本隆明氏の書かれた『試行』をぜひとも読んでみたいと思います。吉本隆明氏のお話から始まり、人間、エネルギー、作品の作り方などとても興味深いお話ばかりでした。自分が宇城先生の道塾に入る前に感じていた、自分自身が死んだ様な人生だなという気持ちを思いだす内容でした。吉本さんの飼っていた犬が『もう、死んでいいよ』と言われるまで死なないというお話に命の凄さを考えさせられました。お二方の話の中に出ていた様に、今の人達には元気がない。自分を振り返っても、子供の頃から学校や家庭で危ない事はやってはいけない。と言われながら育ってきているので無難な事を選んでしまっていると思います。そして、学校もつまらない。といつも感じてました。
吉本さんがお話されていた様にAIに色々な事を決めてもらった方が幸せに向かうな。と心より思います。そんな現状でもできるだけ、気高い生き方をしようと努めたいと再確認する事ができました。素晴らしい対談をありがとうございます。
岡山 高校教員 40代 男性
社会の変革が大きく、またAIの進歩も早い。その中で人がどのように生きていくべきなのか、『道』を読みながら自問自答しています。明確な答えがない中で、自分がどうすべきか考えていっています。
神奈川 パイロット 50代 男性
先生と吉本ばななさんの対談は、何かとても展開が早い感じがしました。
それは、そこに含まれる意味が多いということでもあると思います。
先生の「場を描いている」という問いかけに対し、ばななさんの「場のことをテーマと呼んでいます」という会話などは、一瞬、自分がついていけていないと感じました。
より深いところでの会話、あるいは意味のやり取りなので、そこについていくにはそれなりの準備が出来ていなければいけないのだと思いました。
その根本にはエネルギーがあり、そこから出ている言葉なので、意味の深さ、大きさが違うような気がしました。
高い視座で行われる対談からエネルギーをいただき、また、学ばせて頂いたことに感謝しております。
岐阜 理学療法士 30代 男性
宇城先生と吉本ばななさんの対談を拝読いたしました。
自然体な文章、桶職人のように自分の作品に芸術というより「実用性」を求めておられるという、ばななさんのお話から、その心が作品に出ているのだと感じました。実際に作品を手に取って自分の目と身体で感じたいと思います。
また、コーラのお話にあるように、心の余裕や受け入れる力・エネルギーがないとのお話も印象的でした。頭・理論理屈で考える良し悪しを基準にしたものの見方(コーラが体に良いか悪いか)では、視野が狭くなり、自分で気づかないうちに内側に籠るようになっているのだ気づきました。先生方の対談は、より大きな視点、高い視座から見たものの捉え方であり、エネルギーが高まる捉え方をされていると感じました。
自分のものの見方を反省すると同時に、高い視座で行われる対談からエネルギーをいただき、また、学ばせて頂いたことに感謝しております。
ありがとうございました。
潜在意識に働きかける力・エネルギーを共有されている二人の対談は素晴らしく圧巻でした。
宮城 医師 70代 男性
武術と小説というアプローチの違いはあるけれど、潜在意識に働きかける力・エネルギーを共有されている二人の対談は素晴らしく圧巻でした。吉本ばななさんのお父様の吉本隆明氏は学生時代にのめり込んだ思想家・詩人でした。深い洞察と鋭い分析力を持ち、学生運動華やかなりし時代に積極的に関わろうとされたお父様の著作をたくさん読ませていただきました。そのお嬢様がばななさんだとは存じ上げておりましたが、その作品を読んだことはありませんでした。私は小説はあまり読まないのですが、宇城先生との対談でお話されている内容から、是非とも彼女の作品を味わってみたくなりました。素晴らしい対談ありがとうございました。
85歳の現役の実業家、今もなお夢を追い続けている生き様にとても感動しています。このような生き方ができるというお手本、私も頑張ってみようという勇気を与えていただきました。
大石芳野さん、戦争そのものだけでなく戦後の中にも残る悲惨さを丁寧に取材され私達に伝えていただきました。戦争だけでなく、災害や犯罪も同じ。悲惨さを被害者・加害者ともに事後に抱えて生きるのは本当に痛ましい。この悲惨さを味わうことのない世界をつくりたいものです。
私の大好きな安藤誠さんの闇に浮かぶタンチョウは本当に美しく感動的です。神々しい! 宇宙のメッセージを届け続けてくださる佐々木さんの銀河の写真、癒やされ心が和みオープンになります。野村哲也さんの宮古島での絶景の数々、自然がこんなにも美しいのかと心揺さぶられる写真でした。三人の方々の切り口の違う写真を楽しくまた感動させていただいてありがとうございました。
毎号たくさんの気付きと学びを提供してくださる季刊道。
スタッフの方々の並々ならぬご尽力に感謝いたします。
ありがとうございます。
この世界の理と繋がった実践者に学び、真理真実を知る必要があるのだと思います。
福島 公務員 50代 男性
今号も多くの実践者の皆様のエネルギーに満ち溢れた一冊でした。素晴らしいエネルギーを受け取り本当に元気になりました。
読み終えて強く印象に残ったのは「人の思い」です。
バーチャルな社会構造の中で意識から生み出される表層的な欲にまみれた悪しき人の思いではなく、人の深層意識から生み出された正しき人の思い。それは、この世界の理と繋がった人が受け取った、この世界をあるべき姿に導くためのメッセージなのかもしれません。しかし、社会では場を支配する常識や科学でジャッジされ、悪しき人の思いが現実となり、正しき人の思いは非科学的やスピリチュアルとして切り捨てられてしまいます。今、我々が目の当たりにしている、分断と対立、戦争、誰でもよかったというおぞましい犯罪、青少年の自殺など希望を持てない閉塞的な社会は、悪しき雰囲気に支配されてきた我々の過去の時間の結果なのだと思います。そのカルマを断ち切るパラダイムシフトが今こそ求められていると感じます。
小説で人の潜在意識の奥に語りかけて人を幸せな方向に導こうとしている吉本ばななさん。小説をバーチャルなものではなく実用性を求めていると明言されていることに、この方も世界の理に繋がっている実践者なのだと、正しき思いを持った方なのだと感じました。季刊「道」で連載していただけたら、他の実践者の方々の記事と化学反応を起こして、きっと凄いことになりそうだなと思いました。
85歳を過ぎても、この世界や人間、地球の可能性に希望を持ち、自分にもっと何かできるのではないかという強い思いを失わない佐藤芳之さん。その根源がご両親にあり親の生き様が子に写るというお話しに、やはりまずは親が、大人が変わらなければならないのだと痛感いたしました。
大石芳野さんの「写真は自分にとって芸術ではなく、自分が知りたいと思ったことがあって、その先に伝えたいという思いがあって、そのためのカメラがある」という言葉に真実を伝えることによって戦争をなくさなければならないという強い思いと、吉本ばななさんと同じく本質を伝えるための手段としてカメラを手にされていることを感じ、では自分にとっての思いとは、手段とは何かを考えました。卓越したスキルがなくとも、自身の生活や仕事、地域で関わる人々と正しき思いをもって接し、実践者の方々と同じく、言葉や知識ではなく、行動の生み出すエネルギーによって相手の潜在意識に働きかけ、場を誰にとっても心地よいものにしていくことが自分自身にもできる日常での実践ではないかと思いました。
前島由美さんのルイくんとのドライブ中に話したエピソード。人の生きる本質という根源的な話に耳を傾け受け取れる力をルイくんは持っている。今、学校において、人の生きる本質を教えることはできるのか。大学で教えることを知識として学んできた先生たちにその力はあるのかと考えさせられました。
工藤清敏さんのマッチポンプのお話し。社会の構造はまさにこの通りなのだと思います。情報が氾濫する現代社会、常識や科学で説明できない情報はカルトやスピリチュアルと分類され、本当に不都合な情報は抹殺されるという、複雑で危険な世界になっていると感じます。その中で、行動している自分を尊重し己の信じる道を進む工藤さんを応援しております。
佐々木隆さんの宇宙にあるものの元は一つ、赦し、つながり、共存することが生命の本質というお話は、大石芳野さんの「殺す、殺されるだけではない、戦争のおぞましさ」とリンクして深く考えさせられました。
野村哲也さんの「自分と友達、自分と自然、そして自分と地球、自分と宇宙。すべては分離していると思って生きるのか?それとも溶け合って生きるのか?それはあなた自身が決めること。僕は写真家なので、それを写真でお見せしますね。」という言葉。すべてのものに境界はないと言われても、誰もが???となると思います。しかし、季刊「道」に登場する実践者の皆様の記事や実践を拝見すると、そうであるとしか考えられない、これ以上は自分自身の狭い頭の理解だけに留まらないよう、自ら体験するしかないのだと思いました。
金澤翔子ちゃんのお母さんの心を救いたいという強い思いが、難しい楷書の基本を身につけさせたというエピソードに心打たれました。勉強や仕事を押し付けられ、なんの思いもなく嫌々処理している低次元の世界とはかけ離れた高次元の世界です。しかし、それが本当の世界なのだと、金澤泰子さんがおっしゃっているように「この世は全て肯定されている」のだと思います。しかし、競争や欲望、利己心が人を世界の理から乖離させ、自ら不幸に陥っているのだと感じました。
山元加津子さん姉妹とご両親とのエピソードには、家族という最も身近な人間関係への温かく慈しみのある思いを感じました。家族という関係性が壊れ、悲惨な事件が多発しているこの社会において、他者になにができるのか考えさせられました。戦争や国家の分断も同じですが、直接かかわれなくとも、ひとりひとりが強い思いを持って場に存在すること、できることをしっかり行うことしかないのだと思いました。
岩井喜代仁さんの「親が変われば子どもが変わる」という話は、今号の季刊「道」で各所に出てきた重大なテーマでした。自分ではなにもできないことを知ること、手放すことから始まる実践があること。ひとりではなく、繋がり広がることで気付き、成長できることがあること。全て、岩井喜代仁さんの強い思いが、薬物依存者と家族たちに伝わって実現されている、素晴らしい再生の取り組みだと感じました。
安藤誠さんの湿原に眠るタンチョウの写真。文章と相まってその場の空気が伝わってきました。いつかヒッコリーウィンドを訪ねて実際にその場に身を置いてみたいと、写真ではなくこの目で見てみたいと思いました。
宇城憲治先生の「心は見えないが行動や実践で見える」という言葉にハッとさせられました。行動や実践が、表層的な欲にまみれた悪しき思いから来ているものなのか、世界の理と繋がった深層意識から生み出された正しき思いから来ているものなのか、まっとうな人間としてのセンサーを持っていれば雰囲気や肌感として感じとれるはずです。しかし、現代に生きる我々は、情報の濁流に呑み込まれ、流され、なにが正しく、なにが誤っているのかを判断する力を失っています。だからこそ、正しき方向性を示してくれる、この世界の理と繋がった実践者に学び、真理真実を知る必要があるのだと思います。そして、濁流に流されない推進力を、そのエネルギーを持たなければならないと思います。それを我々に与えてくれるのが季刊「道」だと思います。
本当に素晴らしい一冊をありがとうございました。次号も楽しみにしております。
福島 会社員 50代 男性
アフリカでの会社経営のお話でお金は自分で管理しないと盗まれてしまう。というお話にやはり、日本はキレイ事の世界だというのを思わされました。日本という国は動物園になってしまった。という厳しいお言葉、一日本人として不甲斐ないという思いがあります。動物園というよりは家畜かなとも思います。
マサイ族のお嫁さんになった日本人がいるというお話をされていましたが、当たりさわりない人間になる教育を受けてる中で、自分の感性に従って相手を選ぶ。素晴らしいと思います。
ご家族、事業、動物などエネルギーのあるお話を読ませて頂きました。厳しいお言葉もありましたが、叱咤激励を受けていると思います。
「何故?何故そのような事が起こるのか?」という探究心、真実に迫る心が必要なのだと思います。
静岡 農業 40代 男性
吉本ばななさんは読んでいても、その自然体が伝わってくる感じがして、文章なども、校正が入ると本来の会話のものではなくなってしまう、その位、自然な文章を心掛けておられたのだと思います。
また「実用性」を求めていると言われており、その実用性が無いのにお金を出してもらったり、人に悪影響を与えるものを書く事が出来てもそれをしたくない、という所も『夜と霧』にあるアウシュヴィッツでパンを与える人、殺した人という人間の品格なのだと思います。文章を書く仕事で、お金の為に平気で人を傷付けるような文章を書く人間、周りの迷惑を考えずに書く人間、他人の知識の切り貼りだけのような文章を書く人間などが溢れかえっており、吉本ばななさんのように人にエネルギーのある文章を書く事の出来る人間はほとんどいないのではないかと思います。
「究極は何も書いていなくても人を救っている状態が一番良い」と言われていますが、それこそ場の空気を変えるエネルギーを持った人間なのではないかと思います。そのようなエネルギーを書を通して発揮しているのが金澤翔子さんではないかと思います。
金澤泰子さんの記事では、翔子さんには「丁寧に教えてはいない」とあり「書の基本を理論的に教えることで習得させる事はできなかったでしょう」とあります。しかし千五百回以上の揮毫で一度も失敗がありません。それはやはり般若心経の六千字以上の楷書で身体に基本が出来上がっていた事、理論的な頭からではなく、身体で書を覚えていったからだと思います。それは生き死にのかかる、失敗は即死に繋がる武士、武術の世界の修業、まさにそれだと思います。だからこそお二人の人生に希望が生まれたのだと思います。「上手く出来なくて不安などと思うのは健常者や親が見る幻想です。」との言葉がありますが、そのように他と比べる、競争意識や、理論的思考が、そのような「この世はすべて肯定されている」という世界の真の姿に気づく事が出来なくなっている要因だと思います。その事を我々は金澤さんから学ばなければならないと思います。
岩井さんの記事では親である自分自身が変わらなければならない事、それが薬物に染まってしまった我が子を救う唯一の手段なのだと。その中でも今回の小村さんのように、自分自身と向き合い、人の話も聞き、全国のフォーラムにも参加してと、行動して真摯に向き合う事が出来なければ、ならないのだと。宇城先生の「気づく気づかせる」の最後の一言、「心は見えないが、行動や実践で見える」との言葉がありますが、まさにそれであると思います。また「私の手ではどうにもできないんだ」と勉強しないかぎり、自分も子供も変われないんだよ」とあり、これも自分を知るという事であり、またその事実を認める、素直さ、謙虚さ、人間的としての勉強をしなければ、乗り越える事など出来ないという事を理解しなければ、薬物依存というものから抜け出す事は出来ないのだと思いました。「親が変わること」と「寂しい、辛い思いをさせなければいけないんだ」という言葉で以前、登山家の野口健さんの記事で「最後には家族の愛情を切らなければならない」と語っておられた、その言葉を思い出し、その位、切羽詰まった状態なのが、もっと言えばまさに「生き死に」のかかる状況なのが薬物依存なのだと。このような事、真理まで辿り着く事が出来るのは、今の世の中では本当に難しく、だからこそ、その解決方法のあるダルクという存在は貴重なものなんだと思いました。
「気づく、気づかせる」では『思考の整理学』という本の中で「全く新しい世界に挑戦する」という事のような読者が自分の想像力、直観力、知識などを限界まで総動員するような本はなくなった、とありますが、まさにそうだと思います。結局は頭に入る「情報」でしかなく、それを得たところで読者はまだ何も生み出してもおらず、行動もしていません。しかし、それで何か自分が変わったかのような錯覚を起こさせるような本がほとんどだと思います。
そこから更に宇城先生は、常識、世界には無い、全く新しい事をすでに実践、実証をされています。全く新しい事だからこそ、地動説のように、それが世間に理解されるには時間が掛かるのだと思います。地動説も科学技術の発展により今は常識でしかありませんが、先生も書かれているように、量子学やAI等の科学技術の発展が宇城先生の教えを後追いで証明していく事になるのではないかと思います。それにもまず「何故?何故そのような事が起こるのか?」という探究心、真実に迫る心が必要なのだと思います。それが科学は無論、人類を発展させてきたのだと思います。