読者の声| 季刊『道』 221号(2024年夏)
まさしく、ゴリラに見習え!
静岡 理学療法士 60代 男性
今回も大変興味深く拝読させていただきました。
巻頭対談は「ゴリラに学ぶ喧嘩の極意」について宇城先生と山極氏とのお話は大変勉強になりました。
喧嘩というと勝つか負けるかの2極化する概念でしたが、ゴリラは「勝ちをつくらない社会」だということにびっくりしました。
両者のメンツを保って引き分けるのが極意だと。そして、喧嘩をする前よりもいい関係になることだそうです。
なんという平和の精神なのか。日本人の精神である「和を持って尊しとなす」と同じことがゴリラの世界でも当たり前のように起きている。
もう一つ驚いたことは、両者の尊厳を傷つけずに丸く収めるためには第三者の仲裁人が必要です。私の感覚では、力があって人徳があって両者よりも強いものが仲裁に入ることで丸く治めるかと思っていました。が、そうではなくて双方より弱い立場のものが仲裁に入ることで、喧嘩している双方が互いに自粛して引き分けにするのがゴリラの世界であるとのことでした。強いものが収めることよりより高尚な世界であることに感動しました。
人間の世界でも考えてみれば思い当たることがあります。例えば夫婦喧嘩をした時、子供が仲裁になると喧嘩が収まることが多々あるかと思います。
つまり、喧嘩の仲裁者は強いものが行うと力勝負になって後々遺恨を残す事になります。いわば対立の世界での仲裁です。
ところが、力の弱いものが仲裁者になると仲裁者の顔をたてることで調和の世界となり、喧嘩をする前よりもいい関係作りになることが出来るのかも知れません。
日本人、特に武術の極意は「戦わずして勝つ」「先をとる」等、喧嘩を起こす前に何とかして喧嘩にならない様に行動する精神があるはずです。
今の世界、力で解決する対立の仲裁なので戦争が起きてしまうし収まらない世界となっています。
今こそ、日本人の和の精神こそが世界を平和に導くことではないでしょうか?
日本は世界で唯一の被爆国です。
地獄を体験した民族なのですから、それを前面に出して日本のように世界がならない様に仲裁役を積極的に果たすべきだと感じました。
まさしく、ゴリラに見習え!
本当に貴重なお話をありがとうございました。
行動力の素晴らしさに感銘を受けました
大阪 教員 60代 男性
宇城先生の巻頭対談のお相手は、ゴリラの研究で有名な山極壽一先生。私は山極先生が京都大学の学長になられる頃にその存在を知り、新書版のご著書を1冊読んだことがあります。その内容は、もう覚えてはいません(笑)が、「ユニークな先生だなぁ~」と、いう印象がありました。そんな山極先生と宇城先生との対談。興味深く読ませて頂きました。その中で一番印象深かったのが、山極先生の仰った…『だから言葉ができたことで、人間が同じ仲間の人間を別のイメージとして見ることができるようになり、定住と所有で食糧を生産できたことが、人間の社会に暴力を蔓延させた大きな原因だと思います。でもそれは非常に近年の話であって、暴力あるいは戦争は人間の本性ではない。』(15ページ3段目)…です。
私は、一般的な言説である、『闘争、暴力が人間の本性である』と、思っていましたが、山極先生の長年のゴリラの研究からすると、そうではない。それは、人間社会に言葉が登場したことに拠るのだ…とのこと。そして、このことは、宇城先生が常日頃仰っておられる『言葉は嘘をつく』と符号してきます。片や、長年ゴリラに寄り添い、その道を極めてこられた山極先生。片や、長年の真なる修行により、今の常識では考えられないことを簡単に実証し見せて下さる宇城先生。奇しくも、同じことを述べられていることに合点がいきました。ふと、「日本では、“言霊(ことだま)”という言葉もあるのだが…それは、どう考えたら良いのだろう?」と、疑問に思ったのですが、その答えは、最後の編集後記の木村さんの記されたところに「その言葉も、『真心』と一致して発せられる時は、とてつもないエネルギーとなって人に伝わることを今回の取材であらためて感じました。」と、ありました。すっきりしました。
巻頭対談以外でも、人間と人間の争いである戦争について、過去の、戦争へと歩んだ道と同じ轍を踏まないように活動されている若い女性のお二人(庭田さんと三上さん)がいらっしゃり、まさしく「行動の人」。その行動力の素晴らしさに感銘を受けました。また、かっこちゃんは常に歩み続けられている人です。
ゴリラに対する認識が全く変わりました
山形 教員 60代 男性
季刊誌『道』最新号で、ゴリラに対する認識が全く変わりました。と同時に、人間はゴリラに劣っているとも感じました。政治、経済、軍事、社会、教育等、ほぼすべての領域で「対立」しかしない人間の愚かさ、醜さが目に付く中で、「対立」を回避すべく、お互いのメンツを守ったまま、自分より弱い立場へ配慮する術(すべ)を持ったゴリラ社会のあり様は、道塾で目の前で展開される「子どもが大人を圧倒する数々の場面」と重なります。ありがとうございました。
動物も人間も量子レベルでエネルギーを発したり、受け取ったりしているのだと思いました
秋田 教員 50代 男性
宇城憲治先生と山極壽一先生の対談を拝読いたしました。山極先生によると、ゴリラ同士で喧嘩をするときに、どういう風に解決するかというと「勝ちをつくらない」つまり両方がメンツを保って共存できるようにする。それは当事者同士ではできないので、間に入る第三者が必要で、その第三者は当事者双方より弱い子どもやメスであれば、当事者が互いに自粛して引き分けることができる。この「双方が威厳を持って、敬意を持って、メンツを保って引き分ける」という解決方法をゴリラはしているとおっしゃっています。宇城先生もご指摘なさっていましたが、その姿を想像すると、道塾で見せていただいているがっちり組んだ男性のスクラムの列を男性が力任せに倒そうとしても倒れないのに、子どもや女性が触れると簡単に倒れてしまう姿とつながるものを感じました。
対談の中で日本は被爆国で仲裁者としての資格を持っているから、世界の紛争の仲裁者として立ち回り、悲惨な出来事を起こさないよう呼びかける役をやるべきだということがありましたが、正にそうだと思いました。宇城先生は「戦わずして勝つ」というのは、「先を取る」ということ、つまり(戦争の)事の起こりを押さえるということは、国のレベルでいえば、「外交」であり、個人や団体だったら「交流」ということになりますとおっしゃっていました。宇城先生がヨーロッパやアメリカのお弟子さんと空手を通して交流されて、そこに人間としての尊敬や友好が生まれ、絆ができている姿はそれを実践されている、平和をもたらしていると思いました。
山極先生は、人間の本性は音楽的コミュニケーションによる共感によってつくられているとおっしゃっています。勧進帳の武蔵坊弁慶が義経を助けるために「見得」を切る、その気構え、覚悟が役人を動かす場面が紹介されていました。ゴリラと相対するときも、その気概を向こうが感じるからこそ、受け入れてこっちを尊重してくれる。つまりその気概はゴリラにも通じているということを述べられていました。身体から発しているものは気であって、言葉がないから明らかにそれは感じられるものとおっしゃっています。動物も人間(人間も動物の一種だと思いますが)も量子レベルでエネルギーを発したり、受け取ったりしているのだと思いました。
どのお話しも季刊『道』が無ければ知らない真実
奈良 教員 40代 男性
山極壽一氏と宇城先生との対談から、人間の本質が「対立」ではなく、「調和」が元にあった事。それが、いつの間にか人間の都合により「対立」が前提とされてしまった事を知りました。また、三上知恵さんのお話から「行動しない事は賛成しているのと同じこと」という言葉を聞き、自分に出来る事としてまずは興味、関心を持つ事から始めようと思いました。
どのお話しも季刊『道』が無ければ知らない真実で、季刊『道』があるからこそ知る事が出来る真実で、行動しよう、伝えたいという気持ちにさせてもらえます。
お話が進んでいく様子にどんどん惹きこまれていきました
鹿児島 会社員 40代 男性
■巻頭対談
宇城先生の高い次元にまで昇華された武術の戦わずに勝つという境地の視点から語られるお話と、山極さんのゴリラの勝を作らないというお話が、一見全く違うジャンルのお話をされているようで、完全にクロスしてお話が進んでいく様子にどんどん惹きこまれていきました。
文字で読んでいるだけなのに臨場感を覚え、スラスラと話が入ってきました。
ゴリラの喧嘩では仲裁者が入るのは、戦ったあとではなく戦う前であることや、力が強いものが仲裁に入る弱いものの顔を立ててお互いのメンツを保って引き分けるという人間よりも格段に高いレベルの次元で調和融合を体現していることに驚きました。
共感力の高い人間は、このゴリラの喧嘩に現れている次元よりもより高い行動をとることができると思います。
それが、宇城先生がお話されている座波仁吉先生のお兄さん、座波二郎さんのお話に集約されていると思いました。
喧嘩の仲裁者が、周りから信頼されていることで喧嘩が収まる。いざとなれば喧嘩している者たちを抑えることもできる実力者であるにも関わらず、力でねじ伏せることなく双方のメンツを保ったまま事を収めることができるほどの度量を持った仲裁者も存在し得るのが人間の可能性だと感じました。
喧嘩を収められた双方も、仲裁者の気迫、気構え、気概を受けて強くなり、調和融合に向かう。
お互いに次元を高めて調和融合が広がっていく世界が平和になるための唯一の方法であると更に強く思うようになりました。
人間はゴリラの喧嘩に学び、そして戦争の絶えない世界で第三者である仲裁者“座波二郎”さんになることが日本が世界の平和に向けてできる目指すべき姿なのではないかという想いが心から湧き出てきました。
■庭田杏珠さんインタビュー
庭田杏珠さんのインタビューでは、常に人に寄り添う心が行動に移っているということがとても伝わってきました。
心は目に見えないが、行動で表れると宇城先生から教えていただきました。
庭田さんの行動には、心が表れているのだなと思います。
これが、真心から来る行動なのだろう・・・私もこのように真心から行動ができる人間に近づきたいと思いました。
■三上智恵さんインタビュー
三上監督の記事を読み、確かにそうだと思ったのが、今わたしたちは情報過疎にあるというということです。
本やネット、テレビ等からいくらでも情報を得ることができ、何でも情報が入るようで実は自分が気に入った都合の良い情報しか入ってきていません。人は見たいものを見て、信じたいもののみ信じる。
私も沖縄戦については幼少の頃から何度も学校の授業やテレビ番組などで見て知っていたつもりになっているのだと思います。
また今、沖縄の軍事要塞化が進んでいる現実については、正に有事の際には大変になる地域だなという平和ボケをしている感覚があったことは否定できません。日常の生活で精一杯で、世の中で起きているもっと重要なことについて気が回らなくなり無関心になるという病気に犯されている状態の人たちが多すぎると感じます。自分もその中の一人になっているのだと、自覚しなければならない。
もっと知らなければならない。普段の仕事、睡眠時間、食事やトイレの時間すらも使って情報をしっかりと取り込まないと、真実を見定めるためには時間が足りないのかもしれません。
三上監督のお話を読み終え、「言い訳はできないな」と独り言でつぶやいた自分がいました。
三上監督のドキュメンタリー映画を何らかの形でぜひ視聴したいと思います。
■愛と関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち
気付くところを変えて行く。求められているところに届ける。前島さんたちの理念や活動は、アメリカだけでなく、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アジアなど世界中至る所で求められているのだと思います。
男女平等が声高に語られていますが、やはり実際にお腹を痛めて子どもを産んだお母さんとその子どもたちの繋がりは、男性よりも強く、また真に子どもたちを理解して優しく包み込んであげられるのは、お母さんなのだと思います。
世界中のお母さんたちのネットワークが実現すれば、争いの絶えない世の中が、平和で温かい世の中になってい行くのだろうという希望を感じます。
■塩から社会を見てみれば
私は猫を飼っていて、その猫たちの具合が悪くなると、すぐに動物病院へ連れていき、ステロイドなどの注射を打ってもらったりしています。
工藤さんの塩のことについて毎号読ませて頂いている私自身は、気を付けているのに猫については少々ひっかかりながらも、動物病院の薬で対処してしまっています。うちの猫たちにも神宝塩を摂らせてみます。人だけでなく、猫たちにも自然に負担なく回復してもらいたいです。
■私たちは銀河のなかに生きている
自然に対する畏怖の念の欠如によって、破滅の道に向かっていることは明らかなことなのに、人は変われない。舵を切ることができない。
自分ひとりだけでも舵を切って変わらなければならない。例え手遅れであっても、自分だけでも変わらないといけないと強く思います。
■地球を歩く
野村さんが遺跡の上に立っている写真を見ると、「ああ、なんか気持ちが良いな」と感じます。本や絵など、物にもその作者の気が入っていて、触れたり見ただけでエネルギーを受け取ることができると宇城先生から教えていただき、実際に宇城先生の本を持つと強くなります。
野村さんの写真を見るだけで『気持ちがいい』と感じるのは、野村さんのその時の心がこもっていてエネルギーを発せられているのだと思います。
これにプラスして、野村さんが体感された気の流れの描写が文章でさらに分かりやすく入ってきます。
実際にはその場で体験しなければ決してわからないことなのかもしれませんが、野村さんの写真、文章を通してユカタン半島の大地の気の流れの一端に触れさせてもらえた気がしました。ああ、実際にその場で体感してみたいです。
■ありのままの私たち
自分がこの世を去るときがきたら、いや、生きているうちに周りの人たちに対して「大丈夫だよ」という言葉を掛けてあげることができるのだろうかと考えさせられました。
ご本人は本当に人生に後悔無く、人生に感謝し、心からの言葉を発してらっしゃったと思います。死と向き合うことは、恐れがあってしかるべきだという感覚が一般的ですが、周りの方たちに対して愛に溢れた言葉を掛けることができる きみさん。
たぶん、強弱ではないかもしれませんが、本当に強い人とは彼女のような人なのだと思いました。
■きょうも、いい日
社会では知的障害者と呼ばれる方たちが助けなく生活するにはまだまだ課題が多く残されていると思います。
しかし、翔子さんのようにとてつもない感性の深さがある。
私はこのとてつもない感性の深さは、計り知れない絶対的な愛の境地であり、真心なのだと思っています。
本来、人は知能と完成はバランスを取って育んでいくものでなければならないが、知能だけが発達すると、
宇城先生の教えの通り、頭で考えてしまい身体に気が通らずに衝突してしまう。健常者と呼ばれる人たちは、
頭で考えるだけで感性が乏しくなってしまっている。
私たちは、翔子さんのように絶対的な愛の境地を見せてくれる方たちから、学ばなければならないと強く感じます。
■今日一日を生きる
山口ダルクを作るにあたり、近隣の方たちが反対運動をすることなく迎え入れてたように、道を誤ってしまった人たちが回復へ向かうのを妨げることなく支えあう社会にもっとなっていかなければいけないと心から思います。
まだまだ社会的には一度道を誤った人達に対して、風当りがとても強いと感じます。薬物依存者の回復の為の施設も受け入れる度量の深さが日本には必要だと思いますし、もし何か問題が起こった際には批難だけをするのではなく、厳しく対処するも改善に向かうように手を差し伸べる度量の深さも必要だと思います。薬物依存への理解を深めるとともに、日本は国として、そして一人ひとりが手を差し伸べる側の度量を育める土壌を作っていく為に、もっと勉強をしなければと思いました。
■気づく、気づかせる
圧倒的な勉強不足であると感じました。国民がバカ、庶民がバカだから政治がおかしくなり、破滅に向かって進んでしまう。
師のものの見方、考え方を学ばせて頂いているのなら、少しでも活かせるように、もっと勉強しなければならない。
遊んでいる暇はない。一に勉強、二に勉強、三に勉強、四に勉強、五に勉強。精進します。
■日常の奇跡
最近、自分の欠点を考えていました。私は雑なのだという一つの欠点を押さえました。雑で飽きやすく長続きもしない。
ちょうどその時、安藤さんのキビタキのエピソードを読みました。
字を書く時も、食事をするときも、仕事をするときも、服を畳むときも、辛抱強く丁寧にする。根気強く続ける。
今、私の心に「めんどうだな」「手抜きしようかな」という邪心が顔をもたげると、可愛い小鳥が打ち消して励ましてくれます。
いつか、直接キビタキにお礼が言いたいです。
今号は、偶然が必然となったまさにタイムリーな内容
東京 会社員 60代 男性
台湾有事が叫ばれて久しく、ウクライナ戦争は終わらず、また中東でもイスラエルを軸として中東戦争の危機が危ぶまれています。そんな中で今号は、偶然が必然となったまさにタイムリーな内容だったと思います。
巻頭対談ではゴリラの社会が紹介され、ゴリラの社会は争いや戦いのない世界だ、ということは新鮮な驚きでした。ゴリラは争いが起ころうとすると、比較的弱い個体が仲裁に入って事を収めるとのことで、そこはまさに調和と融合の世界でした。気づく気づかせるの冒頭で、「人類の退化とは一言で言えば人類を不幸に導くもの」とありましたが、人類は本当に退化してゴリラ以下サル以下になってしまっていると実感しました。
また山極先生の「人間は元々平和的であり、言葉ができたこと、定住と所有で(中略)暴力的になった。」「人間の本質は言葉の前にあり、言葉の前には戦争はなかった。」というお話は、目を開かれる想いでした。以前、宇城先生が「言葉は嘘をつくためにある」と仰って、最初全く意味が理解できなかったのですが、やっと腑に落ちた気がします。
庭田さんの記事では、「自分事として捉えて想像することができた」というお話にハッとさせられました。これは三上さんの「何もしない」=「加害者」に通じるもので、「他人事」と捉える無関心は加害行為と同じであり、いずれ有事なると、無関心な人たちも否応なく巻き込まれてしまうことは避けられないと。現に今、選挙の投票率を見てもわかるように、国民の約半数が政治に無関心であるため政治が腐り切っています。その延長上に戦争があると感じました。
三上さんの記事では、誌面から物凄い情熱とエネルギーが伝わってきました。それは三上さんが実際の現場で闘っている人たちと会っているからであり、その現場の人たちのエネルギーそのものなのだと感じました。庭田さんも三上さんも女性であり、三上さんは「本質的なところに到達する力が女の人ほうにある」「男性はある枠組みでものを考え、自分の山を築く傾向にある」とも仰っていましたが、全くその通りであり、その男性の築いたそれぞれの山がイデオロギーとなり、対立を生み、究極的に戦争に至るのではとも思いました。
三上さんは記事の最後で、「本当に武士道の人、哲学や美学のある男はどこに行っちゃったの」とありましたが、気づく気づかせるはそのアンサーでもあり、戦争が始まってしまってからはもう遅い、だから先を取って、始まる前に止めなければならない。そんなメッセージを4つの記事から強烈に感じ取りました。
読む度に気づきがあると思うので読み返します
奈良 主婦 女性
庭田杏珠さんのカラー化写真とお話を拝読して、今まで何度か広島に訪れたり、戦争の悲惨な光景を写真や映像で見ていましたが、カラー化写真の「産業奨励館と兄弟」のお写真を見た瞬間、今までとは何だか違う感覚になりました。
原爆ドームを想像できない広島県産業奨励館、焼野原を想像できない緑の木々、焦げて破れた衣服が想像できないきちんとしたご兄弟お一人お一人の身だしなみ。広島の平和学習や戦争のことについて学んできたことを思い返してみても、一言目にこのような言葉が感想がでてきたことはないように思います。
「小学校に上がってからも毎年8月が近づくと平和教育があったのですが、そういう中で被爆前の日常のことを知る機会はなく、被爆後の悲惨な光景が主で、広島だけではなくて戦争による悲惨さを学ぶことのほうが多かったのです。」
庭田さんがこうお話されているように、私もこのような学びを主にしてきたと思いました。しかしそこで庭田さんのお考えが素晴らしいと感じたのはその後に続く「ですから当時は悲惨な光景を目の当たりにするのが平和教育だと思っていたのですが、小学5年生の時にもらったこのパンフレットがきっかけで意識が変わりました。」とお話されていたことです。
「原爆が投下されるほんの1秒前までは今と変わらない日常があったこと。そしてそれがたった一発の原爆で失われたんだなということが想像できたのです。それで、このことを伝えていきたいなという思いに変わっていきました。」このようなことに気づいたり感じたりできる生き方を大切にしていかなければいけないと感じました。
戦争だけでなく、日常でも様々な問題が起こっています。他人事でなく真剣に一つ一つに向き合っていたら、大事なことを心にもっていたら、見えるものが違ったり、気づきや行動ができると思います。そしてそれらが希望や未来、幸せ、平和へ繋がるのではないかと感じます。宇城先生にご指導いただく中で、真剣さということの大切さをとても感じるようになってきました。
なのでここでお話くださっている庭田さんのお話が大変心に響きます。そして小学5年生の時に意識が変わり、今に繋がるまで行動されていることも感銘を受けました。このようにずっとやってこられたことを教えていただき改めて自分の生き方にしっかり向き合って真剣になっていかないといけないと思わさせていただきました。
カラー化の活動の始まりは、「濱井さんが映画館に何度も足を運ばなくても、いつでもどこでも大好きだった家族のことを近くに感じてもらえたらなという思いになったのです。それで濱井さんの写真をカラー化しアルバムにしてプレゼントしたら喜んでもらえるのではないかなと。」
『この世界の片隅に』を拝見しました。冒頭のあの数秒、濱井さんのご家族が理髪店の前いる様子が描かれているシーン。濱井さんはどのようなお気持ちでご家族に会いにいかれていたのだろう。答えを求めるのではなくその濱井さんのお姿をずっと心に置きながら次世代へ命を繋いでいくことが大切なことかと感じました。そしてこの活動の始まりは庭田さんの濱井さんへのこうした心からの気持ちであることが深く心に響きます。
そこから考えさせられるのは、一人で生きているのではない私たち、相手を敬い、相手を想い、人に喜んでもらえるという心をもつことは、人間として常に大事な気持ちではないかということです。しかし、世界中、日本中で現状はこの心が薄れてきているのか、心無いことも多く見られます。自分も「人に喜んでもらえるのではないか」を大切にしてきてたつもりでいましたが、庭田さんのお話を読んで、いつしかそこに自分の欲も入ってしまっているのではないか、純粋に心から本気で「人に喜んでもらえるのではないか」になっているだろうかということを考えさせられます。真心での「喜んでもらえるのでは」の気持ちであれる人間になっていこうと感じさせてもらいました。
戦争体験者の方との対話で、お写真の色をよみがえらせながらお話をしてくださったり、教えてくださったりされるというのも庭田さんの寄り添う姿勢や心が自然とそうなっていくのかと感じました。
「「一生懸命話を聞いてくれているから自分もしゃべろう」と言ってくださり、少しずつお話をしてくださったのです。」から、庭田さんの寄り添う姿勢や心からの聞く姿勢がそのようなお話をしてくださる気持ちに心になっていかれたのかなと感じました。普段日常生活でも人に寄り添うということは多くあると思います。そんな時に、こうしようああしようと頭で考えているときはやはりうまくいかないのではないかと感じます。
何も考えてないというとまた違うかもしれませんが、我欲はなくただ心からしてるときに自然とお互いが分かち合うようなことが起こってくるのかと感じました。
「教えられただけ」「伝えられただけ」という言葉が印象に強く残ります。
自分は広島のことも戦争のことも「教えられただけ」「伝えられただけ」という、この感覚の学びのまま、ここで終わってしまっていたと今頃になって深く感じます。「自分事として想像できる」なんて全くできていなかったと思います。今になるまで。だから次世代の子どもたちには同じようなことで終わってしまわないように大人も親も変わっていかなければならないし、こうして気づきをくださっているのだから自分事として捉える生き方に変わっていかなければいけないと強く感じます。気づき、それを行動に移し、やってこられた庭田さんの姿勢から、これまで素通りしてきてしまっていたことを考えさせてもらい学ばせていただき、感謝致します。
庭田さんが「伝わった先で何かその人が次に自分なりの形で平和のメッセージというものを考え続けてもらえたらいいなと強く思っているからです。」とのお話から、何かを学び教えてもらっても、そこで終わってしまっては何にもならない、次に繋がる生き方をしていくことが大人、親、日本人として大変重要な役割であると感じます。
「戦争が起こる前にどれだけストップをかけることができるのか、戦争が起こりそうだということに気づけるかが大事だと思っています。」「そこに知っている人がいるのだということが分かれば、「戦争をするのはおかしい」と言って、止められると思うのです。
それが海外の方と対話したり交流するなかで感じることです。」「ただ平和に関心がある人だけではなくて、関心がない人にも届けたいという思いがあるからなのです。」庭田さんのされてきたこと、されていることは、先を見て動かれ全てが見えているかのように動かれて考えられていることを強く感じます。
宇城先生が「先を取る」、「交流」の大切さも講義でいつもお話くださり、ずっと実践で見せていただき常にご指導いただいていることが同時に浮かんできます。
それをまさに見せていただいているかのように感じます。
庭田さんの取り組まれている姿勢をこうしてお話いただき、改めて次世代に繋がることを心しながら自分に向き合っていきたい思いになりました。
「知らないふりをしていたとか、自分には関係ないとやり過ごしていることで、直接的に宮古・石垣・与那国を要塞化し苦しめる側に立ってしまっている。でも人は自分の加害性に向き合いたくない。あるいは認めることになるかもしれないような情報やニュースをオミット(除外)することを無意識に選んでいるわけです。」
私は「何もしない」=「加害者」だと思っているのです。
中立は、権力者側についているのと同じ。こういう列強の国々の一角に位置していて、情報もあるし、何かできることがあるのに何もしないということは、あらゆる分野で加害者になってしまっている。歴史を知ろうとしないことも、その一つです。」
三上知恵監督が冒頭でお話されていること全てが、自分に当てはまります。
三上監督のお言葉全てから、日頃宇城先生にご指導いただき自分の在り方全てに向き合う真剣さを教えていただいていることがどれ程に大事なことであるかを同時に感じています。何も知らないまま、知ろうとしないまま、今まできてしまいましたので、こうして気づきや学びをいただいているのですから、このままではなく自分がどうしていくのかしっかりと向き合い行動に移して真剣になっていかなければならないことを強く感じています。
「戦争では敵に関係なく、自ら自分たちの仲間を殺していくというところまで行きついてしまうわけです。」このお言葉を読んだとき、あるドキュメンタリーで拝見したことも同時に思い出しました。
我が子を殺さなければならない、親を妹を銃で撃たなければならない、自分の子どもに頼んで弟を殺してもらう。想像さえもできないけれど、映像からその方々の目、手ぶり、話す声、口元、あらゆることから感じられるものがある。
やはりそれを真実を知らなければならないです。目を背けているわけにはいかない。なぜなら次世代の子どもたちを守っていかなければならないからです。
経験された方々がこうして教えてくださっている、全身全霊で経験され、全身全霊で私たちに戦争は絶対だめだと伝えてくださっている。それを素直に聞くことができない人間はなんて愚かなのかと感じます。同時に、その教えを守り抜くことができるのも私たちであると思います。それはこうしてありのままを伝えてくださっている方々がいるから、真実を知ることで一人一人真剣に考え捉え行動していくことをスタートさせてもらうことができると感じます。
「与那国が住めない島になったら遅すぎるから」映画で現状を知り、何も知らないことばかりで、どこか他人事であった自分であることをしっかりと思い知らされました。
こうして見せていただき話してくださり教えていただいたのだから、ここから自分が今までと同じままでいてはいけない、変わっていかなければならない。
三上監督が話せれていること全てが、何度読んでもなかなか自分の気持ちに整理がつかずずっといます。映画も拝見致しました。
知らないことばかりで全ての歴史を知っていくことに追いつけていないのかとも感じます。なので知ること、動くことをしていきながら三上監督が伝えてくださっていることへ近づいていけるようになりたいと感じます。うまく言葉では表現できないのですが、映画を拝見し、こうして『道』でお話をいただき心から感謝申し上げます。
三上監督の映画を見たから、お話を聞かせてくださったから、何も知らなかった自分から、知ることをさせてもらった今の自分がこうしています。映画やお話で伝えてくださっている現状を見せていただくと悠長なことは言ってられないけれど、一つ一つ丁寧に知っていくことも同時に必要だと感じます。
三上監督が伝えてくださっていることを何度も何度も考えながら思い出しながら心に置きながら過ごします。
前島先生のお話から
子どもたちを守る、子どもたちに元気でいてほしい、幸せに平和な世界で、地球上のお母さん皆が願っていることだと思います。そこにそれぞれの課題はあるとしても、地球共通の愛、心、自然のお話を聞くと、やっぱり地球は一つ、一つの地球上で私たちは生かされていることを強く感じました。
「その中で焦点となったのは、子どもたちの現状ではなく、そこに関わる大人(親や教師)の在り方の課題でした。」
宇城先生が常にご指導くださっていることを思い返しながら読み進めました。
私たち大人が変わっていくこと、そのことを気づかせていただき自分と向き合い、自分が変わるへ向かっていかなければと改めて感じさせてもらいました。
塩の大切さを伝えてくださる工藤さん。おかげさまで毎日塩を大切に身体に取り入れるようになりました。
「こころとからだは100%密接につながっている。これを分離したのが今の医学だ。だから治らない、治らないのに一番人気の医療になっている。これは人気取りが上手いのだ。広告宣伝、PRが上手いのである。」
「医師にしても塩に関して教えられたことを患者さんに伝えている。塩が身体に良くないことは教えられていても、塩の重要性は教えられていない。」
国民一人一人が真剣に自分の国、家族、仲間に敬いや愛、関心がないことが現れていると思います。
そしてそのPRを信じ込んでしまうというのも、国民の一人一人が勉強や学び、知ろうとする力、関心がないのと同じことであると思います。そしてそれは今まで自分がそうでした。
しかし宇城先生にご指導いただき、『道』で包み隠さず私たちに大切なことすべてを真実を教えてくださる皆さんがいてくださったから、気づけたり間違ってきたことに向き合い真の生き方、心をもつ人間、日本人になっていきたいと強く感じられるようになりました。
数えきれない星 人間が生活している地球を見せていただき言葉にならないですので佐々木先生のお言葉を胸に佐々木先生のお姿を感じながら佐々木先生のお写真と共に人間とは自然とは地球とは私たちとはを問いながら過ごします。
「地球を歩く」野村さんのお写真、地球の生きているそのままの生の色に言葉が出ません。旅に行った時に絶景に出会ったときに溢れ出てくる涙が出てきました。
翔子さんのありのままの心の姿を聞かせていただき、日常のバタバタな空間から時間の流れが変わっていくようにいつも感じます。泰子さんが語ってくださる翔子さんの言葉や姿勢からいつも心温めてもらいながら、自分を見直すことをさせてもらいます。着飾らずありのままの自然な姿と一点の曇りもない心であれる人間でありたいといつも感じさせてもらいます。
岩井さんがいつも語ってくださるお話、毎回手記でご自身のことを包み隠さず語ってくださること、自分には想像すらできないことであると感じています。
「恩赦はもちろん本人のものですが、茨城ダルク出身の子がもらったということは大きな意義があります。やはり今までダルクを運営し、各地に新しくつくったりという苦労に対して、報われるものがあるわけです。」
言葉にはできることなどできないですので心の奥深く、岩井さんのお言葉お話を何度も読みます。
ずっとやり続けられている方々がいる。生半可な気持ちではできない、命をかけて、され続けていることを思うと、こうしてたくさんの真剣さ、すべてをさらけ出して私たちにその姿を見せてくださっている。
何も変わらないわけにいかない、動かないわけにいかない、そのような気持ちになっていきます。
今回の『道』では何行か読み進める度に、考えさせられ、心を動かされ、考えさせられの繰り返しで、心に落としていくのに何度も読み返し、時間がかかりました。皆さんが語ってくださることにまだまだ気づけてないことがあると思います。読む度に気づきがあると思うので読み返します。
宇城先生の連載「気づく、気づかせる」での「真の解決」「それには問題・課題の本質が何であるかを我欲を取り去った思考のもとで考えることが重要です。
その「我欲を取り去る」のに相応しい方法が、歴史の変遷に学ぶという「実証先にありき」です。」これをずっと宇城先生は講義、実践でご指導くださり、宇城空手で身体を通してご指導してくださっています。
我欲がある状態での型、組み手では自分が丸裸にされたように我欲が見えてくるように思います。
自分の思っていること(頭)では何もできないこと、自分を守ることもできないこと。対立構図では何も機能することはない。
次元の違う宇城空手、そこに自分の心を置いて稽古していきたいです。
「命の保障」がされている現在の格闘技は何の魅力も感じない、どちらかが「死ぬ」まで戦うことはしたくない、「戦わずして勝つ」の生き様が人間、日本人としてやはり一番目指していきたいことです。
それを宇城先生がご指導、実践、日常すべてにおいて、姿勢や愛で教えてくださっています。
「人間の意識による行動はわずか1~5%であり、95%以上が無意識に行われているとされています。
すなわち意識の前に無意識が働いているということですが、無意識領域には自分の意識で働きかけることはできませんが、「気」はその無意識に働きかけることができるのです。」
宇城先生が実践で常に見せてくださり、自分の身体でさせていただいていることです。
働きかけられても感じられないときの自分をふと思いました。
そんな状態であるということはかなり我欲があり、自分で自分を閉じて感じないようになっているのではないだろうか。
自然の摂理に反することをやっているのと同じなのではないだろうか。
宇城空手の稽古を麻子師範にご指導いただいて自分が不自然だと思うことが多くなりました。自分の不自然な在り方の意味をほんの少しだけ感じ取れたように思います。
「「戦わずして勝つ」を平和の礎に」
「それが「先を取る」すなわち「事の起こりを押さえる」ということであり、国レベルであれば「外交」であり、個人や団体であれば「交流」ということになります。」
このお言葉から今回は『道』すべてから「先を取る」「交流」を実践、行動されているお姿を私たちに伝えて見せて力をくださっているのだと感じました。
「戦争という残虐は国のリーダー、つまり個人の決断によって始まります。そのような現実に対し、日本の江戸時代に270年近く続いた「戦わずして勝つ」を根源にした平和には学ぶべきところが多々あります。」
宇城先生が未来へ向けて私たちの進んでいくべき姿がここにあることを伝えてくださっていると強く感じます。
「宇城空手が原点としているのが統一体であり、身体と心のつながりです。脳による知識や思考では身体は部分体となり「先を取る」という技術は学べません。
当然気も生まれません。」すべて自分事であります。宇城先生を常に心して自分に向き合います。
本当にどこまでも深さのある「道」での学びをありがとうございます。
最後に「季刊『道』の連載者と読者の集い」という場をつくっていただき、参加させていただいたからこそ、より『道』を拝読するときに皆さんの心意気や生の声、お姿を心に置きながら感じています。
事実を知ること、知った事実を誰かと共有こと、自分ができる行動に繋げることが、とても大切
東京 裁判所職員 50代 男性
三上監督の記事が印象に残りました。私は、以前、仕事で沖縄に住んでおり、米軍基地を身近に感じ、戦跡を訪ねて沖縄戦の悲惨な歴史も知りました。当時、沖縄の戦跡を訪れると、そこで犠牲になられた方に花を手向けたくなり、誰かにそのことを語りたくなったことを思い出します。
最近、他の塾生から三上監督の映画「戦雲」のことを教えていただき、「戦雲」を観に行きました。自分が観光で訪れたことがある南西諸島の島々が要塞化され、有事の際には、そこに住む人達が犠牲になる前提となっていることに衝撃を受けました。また、台湾有事や尖閣問題の報道で日本の領土を守らなければという気持ちに自分がさせられていたこと、自分自身が三上監督の言う「いじめ」を見て見ぬふりをする一人になっていることにも気づかされました。
映画を観た後、他の塾生の方と感想を述べる機会があり、事実を知ること、知った事実を誰かと共有こと、自分ができる行動に繋げることが、とても大切だと感じました。「沖縄スパイ戦史」の上映会は参加できませんが、まずは当時何があったのかを知るために勉強をします。
三上智恵監督の記事は衝撃的でした
滋賀 教員 50代 男性
三上智恵監督の記事は衝撃的でした。「何もしない」=「加害者」中立は、権力者側についているのと同じ。あなたは加害者だ。と言われているようで思わずハッとしました。心に突き刺さる言葉でした。何かしなければ、という気持ちになっています。
人からサルに後退するのではなく心のあり方を大切にして学びを止めずに生きなくてはいけないと思いました
福岡 訪問介護ヘルパー 女性
巻頭対談の山際先生のお話で相手の立場を尊重するゴリラの遊び方で強い方が弱い方に合わせなくてはいけない、強い方が自分の力を抑制して相手の力を引き出そうとするから遊びが持続する。これは自分達が子供の頃と似ていると思いました。小さい従兄弟達や近所の子供を相手にする時もこんな風にいかに相手が楽しく遊べるかと工夫していたように思います。その経験の積み重ねが相手への思いやりとして心にしっかり残っていったと思いました。
また言葉がないゴリラの社会で常々目を使ってコミュニケーションを図り、喧嘩が起こるまえ、事の起こりを制するのが弱い立場のゴリラということに驚きました。それで一番強い者が言うことを聞き争いにならない、素晴らしい仕組みが羨ましくなりました。
人は言葉や思いを伝えるのに沢山の手段を持っているのに悪用することばかりで思いやりの無い社会になってしまっています。小さな事でマウントを取り合うサル並みの人間が沢山いて情けないことです。人からサルに後退するのではなく心のあり方を大切にして学びを止めずに生きなくてはいけないと思いました。
「勝つ」という欲望を抑える方法をゴリラに学ぶことは可能ではないかと思いました
兵庫 教員 50代 男性
ゴリラの「勝ちをつくらない」「戦う前に仲裁する」と、武術の「戦わずして勝つ」が今の世界に必要であると強く思いました。
ゴリラと人間が平和的な共通祖先から、社会や言葉、文明によって暴力的な人間になったとしても、「勝つ」という欲望を抑える方法をゴリラに学ぶことは可能ではないかと思いました。
ゴリラの世界がとても平和的なこと、人間の社会がひどく劣化していることなどを改めて知ることが出来た
鹿児島 図書館嘱託員 30代 女性
巻頭対談の宇城先生と山極先生のお話では、ゴリラの世界がとても平和的なこと、人間の社会がひどく劣化していることなどを改めて知ることが出来ました。特に人間は悪で、放っておくと争いあってしまう、という考えは、私自身もそう思っているところがあり、安易な考え方をしているなと反省しました。
庭田杏珠さんと三上智恵さんの戦争のお話は、私たちの暮らしている現代がいかに危うい状態になっているかを改めて突き付けられるものでした。庭田さんの「今が戦前」という言葉、三上さんの「何かあっても自分は当事者じゃない」という考えへの警告は、平和ボケした私たちがもっと真剣に向き合わなければいけないものです。三上さんのおっしゃっていた弾薬庫やレーダーは、私の住む地方にもあります。今は戦前。その言葉をしっかりと受け止め、学びや行動につなげなければならないと思いました。
『気』への意識が高まりました
静岡 理学療法士 40代 男性
勝つこと、ではなく、ゴリラの『守る』『負けない』という生態から、人間の『気』の力『戦わずして勝つ』という一見違うようにみえても、本質は同じ目線であること、それをどう塾での実践で見せられたことがつながり、自分の中でも『気』への意識が高まりました。無意識になるまで変化を続けること、『事の起こりを抑える』ことの大切さを学べました。
どの記事も素晴らしかった
宮城 会社員 60代 男性
どの記事も素晴らしかったです。その中で、庭田杏珠さん、三上智恵監督へのインタビュー記事は、戦争という現場の始まりの種が、実は、今、ここ、に居る自分も含む一人ひとりの心の中にあることの怖さ、危うさを感じさせるものでした。白黒写真をカラー化し、戦争体験者の記憶を生き生きとよみがえらせる「記憶の解凍」の庭田さんの言葉。「被爆前、戦前にこういう日常があったんだ、戦争が起こればそれが失われるるんだ、」「だから戦争が起こる前にどれだけストップをかけることができるのか、戦争が起こりそうだということに気づけるかが大事」。
被害側の歴史だけでなく、「沖縄スパイ戦史」で加害の記録も手掛ける三上監督の言葉。「何かできることがあるのに何もしないということは、あらゆる分野で加害者になってしまっている」。これらの言葉は、宇城憲治先生の記事にある「戦わずして勝つ」ための「先を取る」、すなわち「事の起こりを押さえる」ことと重なりました。人それぞれの景色から感じている「事」の起こりを押さえることを如何に実践するか。このことが、自分たちの未来を守るために今、問われているのだと強く思った夏号となりました。
ゴリラ社会をお話くださる内容は感動の連続
奈良 主婦 女性
宇城憲治先生と山極壽一先生の対談ではゴリラがどのように生きているのかを何も知らなかったのでゴリラ社会をお話くださる内容は感動の連続でした。
ゴリラの生き方があまりにも感動の連続過ぎて何度も読み返してしまいなかなか読み進めない時もありました。同時に現代の人間の在り方を非常に考えさせられました。
宇城先生がお話されている
「「勝つ」というのは、真剣勝負であれば相手を殺すということで、「負け」は自分の死を意味するわけで、一番いいのは「戦わないこと」で、「戦う前に勝負をつける」というあり方が江戸時代の剣の究極でもあったのです。」
「先生が講演でお話されていたゴリラの「負けない」お話とつながっていて、なるほどなと。つまり強かったら相手をぼこぼこやったらいいけれど、ゴリラの世界ではそれをやらずに「守る」というのがあると。」
宇城先生がいつも私たちにご指導してくださっていることと同じようなことがゴリラの世界にはあるのだととても感動します。
そして今までどこかゴリラに魅かれていたのはそういう包み込む温かさがあったからなのかなと思いました。
山極先生がお話されている「サルたちによる解決への方法」を拝読して現代の人間社会そのものだと感じました。
「勝者が相手に対し特別な態度を要求する」
「負けたほうは恐れや恨みをいだき、その後も双方が対等に付き合えない。つまり「格差」が継続してしまうわけです。」
これらの状態は現在の日本に蔓延していることではないかと感じました。
職場、家庭、親子、教育現場、交友関係、どこにでも見られる光景になってしまっているのではないかと強く感じます。このままでは良い方向に変わるわけがないです。
だからこうして今、山極先生がお話くださる「勝ちをつくらない」ゴリラの世界からの学びを知って、大変心動かされるものがあるのだと思います。
そして日々宇城先生からご指導頂いていることとゴリラの世界の共通していることの多さに大変心温まるものを感じます。
「力を按分して自分と相手の対等な立場というものを尊重するからこそ、そこで共存が生まれ、前よりもいい関係ができる。」
人間ができていないのはそこに我欲が勝ってしまうからなのかと感じます。
「でもゴリラ社会では身体の弱い者の言うことを聞く。それはそもそも「負ける」という姿勢がないからなんです。」これが真の強さ、愛、守りなのではと思います。
「ぶつかってエスカレートしてしまうのを防ぐ仕組みができている。」
宇城先生に実践、講義でご指導いただいている「調和」や「寄り添い」をしっかり一人一人が身に付けこの仕組みを世の中に創っていくことがれきれば世の中も変わっていくのだなと感じます。
山極先生の勧進帳の名場面をお話くださるところで、「実は、「私はここで一歩も引かないぞ」という自己主張、「負けまいとする構え」なんですね。関所の役人は、変装は見破っていたが、その態度に免じて通してやるわけです。
それが「心意気」なわけです。その「負けない」という態度が美しいというのが、実は人間の持っている社会性の「美徳」なのですね。」
「一旦身心を清めて自分の来し方を考える機会が与えられているわけです。」とのお話から、目に見えない心を動かす何かがその場に響き渡るような思いになりました。
そういうことを人間は大切にしてきたのだろうし、現代の様々な場面での「勝ち」や「強い」とされることというのは本物の勝ちや強さではないように感じます。
「同時にそれを裏付ける技術として「先を取る」という、すなわち「事の起こりを押さえる」という技術が生み出された。相手の何かしようとする事の起こりを制する。
それは目に見えない「内なる世界」の話ですから、それを可能にしたのが「気」なんですね。」
「ゴリラはまさに「戦わずして」ということなんです。仲裁者が入るのは、戦ったあとではなくて戦う前なのです。」
江戸時代に生き抜いてこられた方々の生き様とゴリラの世界がこれ程にぴったりとくるものかと心に響きました。
「まさに戦わずにして勝つという境地はまず敵をつくらない、そのためには人を愛する。人を愛するためには自分に自信がなければならない。その自信が他尊を生むということなんです。」
常に宇城先生が私たちに講義で実践でご指導してくださっていることがこのお話に凝縮されているような思いになり胸が熱くなります。
自分にしっかり向き合い、稽古で日常でその力をつくっていけるよう日々精進していく気持ちが強まります。そしてゴリラはこの全てができているということになるのではと思います。
ゴリラが暴力的な存在であると100年以上も誤解されていたことも知りませんでした。
「ゴリラが人間の祖先に近い姿をしているということは、人間の祖先は平和的だったということなんですよ。そして逆に、人間は暴力的から平和的に変わったのではなくて、平和的な祖先から暴力的な現代人になったわけですよ。」というお話を読んで一瞬ぞっとしました。
「「戦いは人間にとって昔から起こっていたことで、本性なんだ」と思い始めたわけです。」アメリカで広がった話や農耕の始まりから「人間の暴力的な行為が増える」事の経緯をお話してくださり、
人間のいいようにつくられた話や思い込みでゴリラが犠牲になり、人間自身も犠牲になり、本当に大切なことを見失い対立する生き方がどれ程に醜いものかを考えさせられます。
そして思い込んで自分で真実を突き止めようとしない、知ろうとしないこと、今の現代人にも課題があることを突きつけられます。
「道徳」と「美徳」のお話では、矛盾していく仕組みの渦中に私たち自身もいるのだと深く考えさせられました。
「そもそも戦いというのは人を殺すこと、甚大な損害を与えることが勝敗につながる。でもそれは一般的には道徳に反するわけですよね。それが国と国との争いになると、なぜか美徳として礼賛される。」
「でも本来ならば、国は人間の安全保障を考えなければいけないわけだ。でもその論理が国の安全保障にすり替わると、人間の安全保障はそっちのけで、国の安全ばかりを考える。」
全体のことを捉えずに部分だけ(自分だけ)を見て考えるとなったときに間違いや矛盾が起こってくるのかと感じます。
「卑怯なことをやればやるほど勝てる」このお言葉から改めて戦争の醜さを感じました。
宇城先生と山極先生のお二人の巻頭対談は、ゴリラの世界のお話に引き込まれながら人間が誕生してから人間がどういう変化の中で変わってきたのか、またこれまでと現代の人間社会の仕組みや在り方を考えさせられ、これまでの歴史、人間の在り方、人間社会で起こってきた様々な仕組みさえも知らずにきた自分の愚かさも反省しつつ、改めて知る大切さ、だからどうしていけばいいのかを深く考えさせられ続けます。
ゴリラの姿から人間の生きる術、世界平和への導き方、自分のこれからの生き方を考える新たなスタートになったように感じます。
ゴリラの世界を教えてくださり感謝致します。
ドキュメンタリーに平和への思いを託されている三上さんのお話はたいへん心に響きました
宮城 医師 70代 男性
山極寿一さんの「ゴリラにできてヒトにできないこと」勝ちを作らず両方がメンツを保って共存する社会を実現しているお話を興味深く拝読しました。
相手の立場を尊重して調和する社会こそが人間本来の在り方にもかかわらず、文明の発展に伴い勝つ事、優劣をつける事が当たり前の社会になってしまった。
ヒトは文明を発展させてきたかもしれないがヒト自身は退化してしまったらしい。
ヒトが本来の人間性を取り戻し、平和で幸福な社会の実現が急務だと改めて思いました。
ドキュメンタリーに平和への思いを託されている三上さんのお話はたいへん心に響きました。
現実を知ろうともせず、「何もしない」=「加害者」とのご指摘は私が常々思っていたことでグサリと心に刺さりました。
政治は自民党のやりたい放題、国是のないアメリカへの「へいこら」外交、原発、沖縄、自然災害対応どれをとっても国民が平和で幸せになることから程遠い状況です。この状況を何とかしようとする三上さんの活動には本当に勇気づけられました。三上さんのドキュメンタリー拝見したいものです。ドキュメンタリーのDVDがあればと思います。
安藤さんのキビタキのフォト、本当に素晴らしく、自分が一緒に森の中でキビタキの声を聞いているかのようでした。佐々木さんの能登の写真は私達への警鐘。野村さんのユカタン半島の写真は美しさだけでなく遺跡の持つ不思議なエネルギーを感じさせてくれました。
いつもたくさんの気付きと学びを提供してくださる『道』。スタッフの方々ありがとうございます。
庭田さんの、内側に届いたメッセージを自分事として伝えていく心意気に感銘を受けました。
東京 造園業 60代 男性
ゴリラに学ぶ喧嘩の極意の山極壽一さんと宇城先生の対談では山極さんのお話から100年もゴリラはか獰猛で暴力が大好きな動物と誤解され捕獲され檻に閉じ込められていたことを知りました。
アメリカの研究者の方から御指導をうけ実際にゴリラの群れの中にはいって研究されたことは勇気がいることかと思いました。
そのことによりゴリラに対する大変な誤解があったことがあきらかにされていてゴリラにとってはとんでもないとをされたと思いました。
ゴリラの争いごとを止めるのが強いものではなく弱いものが止めることでしかも戦う後ではなく、戦いそうになった時に止める、宇城先生の武術の術技の事の起こりを押さえるの量子力学のご説明からゴリラの守ることの原点のおはなしや人間の本質は言葉のまえにある歴史のことの意味にも考えさせられました。
庭田さんの、戦前の日常から戦争が起こるとどうなるのか、そこで生きていた人達の写真を通じて、白黒写真からカラー写真にすることでよりその生活間が鮮明に映出されていてリアルな感じを受けました。
また、庭田さんの、内側に届いたメッセージを自分事として伝えていく心意気に感銘を受けました。
戦争が起こりそうだということに気づけるだろかと自分も思いました。
三上智恵さんの沖縄をいじめられっ子のたとえてのおはなしは、「あっ」気づかされました自分はまさしく人ごとのように思っていました。
関心を持つことでもいいのかと感じました。
岩井さんの今日一日を生きるではダルクで生きる渡慶次さんが恩赦をおうけできたことは岩井さんの長年の活動が、そう導かれたのではと感じました。
次元の異なる高エネルギーに満ち溢れた、そして希望を感じさせる一冊
福島 公務員 50代 男性
世界中で分断が進み、最悪の対立である戦争が拡大し、第三次世界大戦前夜、後世の歴史では既に第三次世界大戦とされているかもしれない「今」に、衝撃的で、次元の異なる高エネルギーに満ち溢れた、そして希望を感じさせる一冊でした。
読み終えて、最も心に残ったのは、生命の本質と人の存在する意味です。
巻頭対談にあったように、人は高い知性を持ったことにより、言葉を操り、バーチャルな宗教や思想、哲学を生み出し、生命保持のため社会という集団を作ってきました。それは格差・分断・対立を生み、更にインターネット社会の到来により拍車がかかり、今さえ・自分さえ・金さえという我欲にまみれた無関心社会を構築してしまったのだと思います。人はこの世界の法則=理から乖離し、生命体としての本質を失い、今、絶滅に向かって一直線に加速度を増して突き進んでいるように思えます。
人間の一人一人は決して悪い人ではない、国家や思想、宗教という枠組みが、その対立が問題なのだと良く言われますが、その枠組みに依存している人間の心が全ての根源にあるように感じます。現在の日本の選挙投票率は、注目された都知事選挙も60%、沖縄県議会選挙に至っては45%であり、映画監督の三上さんがおっしゃっておられたように「何もしない=加害者」「中立は権力者側についているのと同じ」なのだと思います。
地方自治体の首長や議員のなり手が少なく、国会議員にいたっては二世三世の世襲議員と知名度のあるタレント議員ばかり、有権者は政治に無関心と、この日本の民主主義はすでに崩壊していると感じますが、そもそも戦後に占領軍から「与えられた」民主主義は日本人の精神性に合致していないのかもしれません。宇城先生の「気づく、気づかせる」にあったように、問題・課題の本質を見極めるためには、現代の低次元な常識や知識、そして個の我欲を取り去った上で、歴史に学び、人としての生命体の本質に目を向け、真実の幸せを追求しなければならないのだと思います。人が作り出した構造に依存し、真実から目を背け、未来を見ずに、自分ではない誰かが何かをしてくれるという虚構に囚われ、今という時間を無為に過ごし、何もしないことは、この世界から与えられたかけがえのない命を自ら抹殺しているのと同じだと思いました。
ジャンルは異なれども、世界の理と繋がり、高いエネルギーを持って、真実の人の幸せのために行動されている季刊『道』で紹介される実践者の方々のように、私は私の日常の中で可能な限り行動していきたいと思いました。そのためのエネルギーを季刊『道』からいただいております。心より感謝します。
本当に素晴らしい一冊をありがとうございました。
次号も楽しみにしております。
ゴリラ社会の中には、言葉の前にある自然の営みの「真実の世界」があると感じました
愛知 教員 50代 男性
ゴリラに学ぶ喧嘩の極意について
戦いが起こりそうになった時に、咄嗟にメスや子どもや若い個体が入ってきて「まあまあ」とやる。シルバーバックがちゃんと聞くわけです。
ゴリラはまさに「戦わすして」ということなんです。
このことからゴリラ社会の中には、言葉の前にある自然の営みの「真実の世界」があると感じました。
現在、戦争や紛争を起こしている人間の私利私欲、そして、そのような中おいての日本の国際的仲裁が全くなされていない現状、人間はゴリラより超劣化を感じざるを得ません。また、人間社会と重なってみえたことは、家庭内におけるあらゆることの母親による仲裁も含め、社会での女性の役割がこれから大変重要であるということです。
多くのことを勉強させて頂きました。
ありがとうございました。
巻頭対談にある山極さんのゴリラのお話では人間社会よりも成熟しているのではと思いました
静岡 農業 40代 男性
巻頭対談にある山極さんのゴリラのお話では、「喧嘩をする前よりもいい関係になること」や戦いになる前に第三者が入ってきて、戦いを収めたりと、人間社会よりも成熟しているのではと思いました。戦いになると双方に甚大な被害を出すような強い力を持つゴリラだからこそ、戦う前にそれを収める、という事はまさに宇城先生の言われる真剣という強い力を持った武士の「無刀取り」と通じるものがあると思いました。しかし、これも強い、実力があるからこそ、そのような社会、境地に辿り着くのだと思いました。また本当に強ければ、戦いを避ける、回避してゴリラのようにお互いを活かす方向へ行くのだと思いました。
第二次大戦後に原爆を落としたアメリカでその戦争の正当性を主張する為に「戦いは昔から人間の本性」という事をそう思い込みたかった為に、それを前提に化石を見ていた事、なども歴史の妙というか、人間の都合で自然を見て測る愚かさを見たような気がしました。
緒方貞子さんの言葉で「これからは国の安全保障ではなくて人間の安全保障を考えていかなければならない」という言葉は、相手が「人間」ならば、何をお互いに大切にすればいいのか分かると思います。これが「国家」となるとそうならないと思います。しかし、国家は国民という人間で成り立っています。だから相手側の人間を理解する、宇城先生の空手セミナーのような交流が大切なのだと思います。それは本来ならば、国が行わなければならない事ではないかと思います。
マスコミや政治家が国民の不安を煽り、それをビジネスにして儲ける。その利益を得るのは我々国民なのか。誰なのか。山極さんが「我々が一生懸命考えないといけない」と言われていますが、まさにそうだと思います。戦争や核武装に賛成する人間は、愚かでしかないと思います。一番得するのは誰か。一番被害を受けるのは誰か。考えればすぐに分かる事です。それが分からない位に愚かなのだと思いました。
三上監督の「国防の名の下に国民を新たな戦争へと引きずり込むようなリーダーたちがこの国を引っ張っているわけですが、彼らを選び続けてきた日本人の意識の低さ、民主主義への理解の無さ、その不断の努力のしなさ加減というものが全部戦争を呼んでいる」という言葉もまさにそうだと思います。オリンピックに浮かれて、戦争への動きを見ようとしない国民のいる国は戦争になって当たり前だと思います。
制度やシステムを強化して、人間同士の結び付きをバラバラにして、支配する。
人間としての信用を信じていなければ、そうなって当たり前だと思います。それは人間としての心が今の日本の政治や企業のリーダーに無いからだと思います。
それが経済や政治の停滞、退化に繋がっていると感じます。
「気づく、気づかせる」での冒頭の我々が退化の方向へと向かっているというお言葉は誰もがそのように感じる事だと思います。そのような現代において、賛成、反対の対立構図から調和、共生の高次元思考へ向かわなければ対立の中の対立、戦争により、真っ先に我々庶民が犠牲になると思います。それを決めた国のリーダーや、それに近しい人間はまず犠牲にはなりません。今現代の常識の延長線上には退化しかありません。しかし、歴史を見れば日本では江戸時代という平和が長く続いた時間があり、その礎となったものが、戦わずして勝つの境地まで辿り着いた無刀取りの概念であり、そこには今で言う量子物理学があったという事。
未来と過去、その両方が融合し、現代の我々が進むべき道、答えがあったのだと。
それを宇城先生は指し示して下さっているのだと思います。
宗教やスピリチュアルでは、心は救われたような気になっても、現実問題が解決しませんが、人間の本来持った潜在能力を引き出す「気」は仕事や人間関係、日常は勿論、最大の退化、不幸である戦争をも起こさない位のエネルギーがあると思います。そのエネルギーを学び、自らに映していくしかないと思います。またその中でもゴリラや自然、そしてすでに起こった歴史などから学び、勉強していく事も非常に重要だと思います。