読者の声| 季刊『道』 211号(2022年冬)
このような時代だからこそ、子供を育てる「親性」という言葉が深く心に残りました
青森 林業 40代 男性
辻本雅史先生と宇城憲治先生の巻頭対談、興味深く拝読させて頂いたのが、学校教育の話の中に、「親性」という言葉がありました。子供を育てる「親性」。
昔は、地域ぐるみで見守り・育てていましたが、現在は人と人との関係が希薄になり、親であっても子に対し虐待しているという事件を多く聞くようになりました。
このような時代だからこそ、子供を育てる「親性」という言葉が深く心に残りました。
ありがとうございました。
気持ちの入った動作、礼儀をしっかり実践していきます
兵庫 会社員 40代 男性
自分には6歳の娘がいます。親としてどう接していくべきか考えさせられました。何が大事であるかを見失わないようにしたいです。学校の勉強の成績だけで判断しないようにしたいです。
身体化を通して日常の生活であいさつをまずしっかりできるようにすること。まずは自分がしっかりしたあいさつを家族や会社や周りの人達にしなければならない。気持ちの入った動作、礼儀をしっかり実践していきます。
勇気と先を読む重要性を痛感しました
静岡 理学療法士 男性
今回も大変勉強させていただき、また勇気と先を読む重要性を痛感しました。
毎回、私のいいかげんな生き様と考え方に喝をいただき、感謝します。
対談されている方々は、宇城先生のご著書の題目である「稽古照今」「一人革命」を実践されている方々なのだなと感じました。
辻本雅史氏からは、学校教育が始まってまだ100年しか経っておらず、その弊害が最近著明に現れていること。学校に行けない子供が世間では異常と見られていることへの警告のお話は、大変勉強になりました。
不登校は、異常ではないんだ。むしろ、不登校を引き起こしている学校教育が問題なんだということが、とても納得できました。思い起こせば、私も中学・高校時代、学校に行きたくないことが多々ありました。勉強よりも人間関係の煩わしさで嫌になった思い出が蘇りました。当時は、不登校なんてものは人間失格みたいな風潮でしたので行かざるを得ない状況でしたが、いじめを身近で感じ、その子を助けてあげられなかったこと、またいじめを受けていた子を庇うと自分がいじめや無視される怖さなど、当時の独特な雰囲気を思い出しました。
江戸時代の伊藤仁斎氏が述べているように、人間は自分の心の内側に本当の自分があるのではなく、人と人との間にある。つまり、人といかに協調して和を持って信頼を構築していくかが人間性を高める修行であります。人間関係をいかに良くしていくかが最も大切なことであり、人は人で鍛えられていくことだと思います。
一人で山に篭って修行することも大事ですが、人に揉まれていくことが人間にとって最も大切であると確信しました。そのように考えてみれば、今まで嫌だったことは全て人間関係であり、それを体験して乗り越えて来られたことは人間力を高めていた修行だったのだなと辻本先生と宇城先生の対談で理解できました。
江戸期の教育を知りたいと思っていたところだったので、とても興味深く読ませていただきました
神奈川 経営者 60代 女性
巻頭対談では、ちょうど今、江戸期の教育を知りたいと思っていたところだったので、とても興味深く読ませていただきました。特に、貝原益軒のテキストの読み込みから、礼儀は単なる表面上の形ではなく、その「身体化」を通して人を育てていく、という辻本先生のご指摘が深く印象に残り、自分でも実践して行きたいと思いました。辻本先生のご著書も拝読したいと思いました。
『道』はこのところ、さらにパワーアップしているように思います。いつも力をいただいており、感謝いたします。
共通していることは、人間は自然の一部で、身体を疎かにしない、大切に生かしているということ
秋田 教員 50代 男性
編集後記で食と衣について書かれていましたが、衣食住は人間の生活に不可欠な事柄です。道誌は、衣食住の分野、教育の分野、芸術の分野、農業、医療、環境とそれぞれが含まれ、融合していることなど、これまで様々なエネルギーある取り組み、先進的取り組み、希望の持てる取り組みを紹介していただいています。これらの方向に社会が動いていけば、真に持続可能で幸せな社会になるのではないかと思います。それらに共通していることは、人間は自然の一部で、身体を疎かにしない、大切に生かしているということです。
衣について、今号でさとううさぶろうさんは、「人間が自然の一部だということについては、もちろん食べ物もそうですが、着る物も重要な要素だと思うのです。自分にできることは何かを考えた時、自分は服を作ることしかできませんので、着る物でそのことを提案しようと考えました。」とおっしゃっています。また、手の力がよりこもった服、手間暇をかけた服作りをされていると仰っていましたが、そのような服は心地よいだろうなと思いました。
食と教育について、前島由美先生と国光美佳先生の東灘高校でのご講演では「東灘高校で自然栽培でお野菜を作って下さい!」との呼びかけに応えて、高校生が地域の力を借りてEM農法で畑作りに挑戦し、そこで育った野菜を近くの保育園の子どもたちに届けたというエピソードがあり、感動しました。
『道』210号で前島先生は比嘉照夫先生と沖縄ダルクの杜宙樹さんとのご縁、繋がりから夢の森フリースクールに通う女子中学生とその母親が救われる体験を書かれていました。その中で比嘉先生が「今の人間の心の苦しみは社会の歪みが原因。それは人々の意識が『愛と調和』から離れ、精神エネルギー(波長)を乱してしまっているから。目に見えない微生物たちが食べ物などで体に入ることで、その乱れたエネルギーを整流し、心を整え、穏やかで幸せにしてくれる。EMは不幸にも薬物等の依存や犯罪に繋がってしまった人たちを救うことが最大の目的と言っていい。社会の底辺で苦しむ人たちを救うことこそ『真の社会貢献』であり、世界も地球も救うことが出来る」と仰っています。これはとても大切な希望の持てるメッセージだと思います。前島先生は東灘高校でのご講演で化学物質を使わない自然農法が土壌に微生物やミネラルを増やし、それがひいては人もミツバチ(環境指標生物)=地球も救うことを伝えていらっしゃいました。ミツバチについては船橋康貴さんが発信されていますが、このように『道』で取り上げられる方々がつながり、手を取り合うことが出来て、実際に苦しんでいる人たちを救うことが出来ることは、その情報が本物であり、実際に幸せに導く力がある証拠ではないでしょうか。
209号でリュウセイくんのお母さんの手記に、お母さんのこと、子どもたちのこと、みんなのことを気にかけておられる前島先生を「神」と感じ、そんな先生の近くにいられて幸せですとありました。出雲の地は神話の地ですが、お互いに相手の中にある神様を感じ、尊敬し合える社会になれば「神世」が実現されるのではないかと思いました。前島先生が国費で運営しない監査に縛られない小規模の「楽校」をつくる覚悟をされたことに共感と尊敬とともに応援をしたいと存じます。
住について、209号で鮎川沙代さんは、不動産業という立場で、障害者、シングルマザー、外国籍の方、所得の少ない方、水商売の方、LGBTの方、学生、高齢者の部屋探しの問題について解決のために動き、知らないことは勉強し、その方のために何が出来るかを考えて、行動されておられました。高齢者と若者が同じ棟に入居して見守りや交流が仕組みとして出来るノビシロハウスは、いろいろな問題が解決できる優れたモデルケースだと思いました。鮎川さんの原点にあったのは、聖書から学んだ「自分にしてほしいことを人のためにする」という教えだそうです。これは宇城先生がいつも教えて下さる「寄り添う」ということで自分にも相手にもエネルギーを与えることができるということを社会の中で実践されている姿だと思いました。
髙坂勝さんは、衣食住すべてを含む生活、生き方を示しておられ、辛かった経験から抜け出した方法を、同じ思いをしている人たちに、「こういうやり方をすれば大丈夫だよ」と伝えていく活動をされています。これも寄り添う姿勢だと思います。心の病を持つ人が増えているのは人間が過ごしにくい社会になったからかという問に「いきすぎた経済システムは人を壊していきます。消費を煽るために劣等感を植え付ける広告宣伝、企業への就職を引導する詰め込み教育、過度な競争や効率化、意義を見出せない仕事、非道徳的な指示を押し付ける利益至上主義、お金がないと生きていけない恐怖、そういうなかで人間という自然が自然界と切り離されて土に触れることすらなくなる。」と仰っています。小学生に竹製の箕とプラスチック製の箕を実際に使わせて、米や豆を袋に入れるときにどちらが入れやすいか検証させる場面がありました。こういうことが身体で学ぶことになると思います。現在の学校教育では少なくなっているので、こういう経験を子供たちに多くさせていくことが身体での判断力を育んでいくと思いました。
工藤清敏さんの主張は、現代社会に対する重要なメッセージだと思います。「いい塩と自然な食材、発酵食品、生食こそが最高の薬」で、身体は治癒する力があり、熱や痛み、痺れ、痒み、咳などの症状は身体の治癒の始まりを示す徴なのだということです。「病名を信じ、受け入れた人がその病気になるのです。そして自分でもよくわからないクスリを飲むのです。」命を助け、治療する医療は尊いと思いますが、本当は健康に生きていける力が身体にあるはずなのに、医療を利権にし、病院治療システムに一生鎖でつながれて生きていくようにさせられている社会は真に皆が幸せに生きる社会ではないと思います。
改めて日常の習慣の大切さを教えていただきました
東京 ビル管理業 40代 男性
現代の教育制度について辻本さん、宇城先生お二人の考察を拝読させていただき、子供の頃より疑いもせずすり込まれてきたものの問題点を理解致しました。
『人間を形成するのは言葉による教えではなく、身体による浸み込み』『無自覚の習慣になるまで身につける』『身体がそうなっていけば、心は自然にそっちに向いていく』『礼儀作法は日々の身のこなし方、人としての日常の型を身につける』等、
貝原益軒や辻本さんのお言葉が宇城先生がいつもおっしゃられる内容と全く同じで、改めて日常の習慣の大切さを教えていただきました。
教育を受けたくても受けられない時代、今でもそのような国がある事を考えると義務教育が確立した現代の日本はとてもありがたい事だと思っております。しかし、心の在り方や礼儀作法の教育は全くないのが実情で、その言葉だけでは伝わらない部分に個々が気付き身体を通して学び、全てと繋がる事に意味があるのではないかと思いました。
親の空気、家庭の空気、職場の空気を少しでも良くしていけるように、姿勢、言葉、礼儀を日々正していきたい
福岡 総合ビルメンテナンス業 40代 男性
宇城先生と辻本教授の巻頭対談を拝読させていただきました。
今の学校教育の歴史的位置付け、近代化を前提とした教育の限界、今の時代、これからの時代を生きる子どもの育て方、親になるための資質を身につけるための教育について、歴史、学術的な視点から、武術、調和の観点からの明解なお二人のご対談に、子を持つ親として、現行の教育を受けてきた大人として学ばせていただくことが多くありました。
辻本教授が仰られている『「言葉の教育」が「心の教育」の方法である。自分のことをちゃんと表現できれば、人と繋がることができる。言語が豊かな子どもは、心も豊かである。』というお考えは、子の教育においても自分自身を振り返ってみても、言葉の乱れや日頃の態度、言動について大いに反省させらる点がありました。正しい言葉を豊かに身につけることができるように、親子ともども日々勉強してまいります。
礼儀作法は、狭義の道徳教育ではなく、日々の身のこなし方、人としての日常の「型」を身につけ、ひいては心をつくる教育、礼儀作法は心と身体を同時に作っていくというお話は、道塾の実証で体験した、正座と体育座りの違いや困っている人に寄り添った場合と無視した場合、自分だけで孤立したり相手と対立した場合と相手に感謝の念を持って調和できた場合の心の持ち様、身体の違いを思い起こしながら読ませていただきました。
また礼儀の「身体化」、貝原益軒のいう「天地自然の法則」が目に見える形で表現された、身体に現れる一番理想的な形が「礼」であるとのお話は、宇城先生が道塾で仰られている「席を譲らなければいけないではなく譲っている自分」というお言葉や、「相手を大切に思うと相手にも自分にもエネルギーを与えている」という実証体験と繋がり、腑に落ちました。
辻本教授の親になるための資質を身につけるための教育「親性教育」については大いに活動を進めていただきたいと思いますし、機会があれば是非学ばせていただきたいと思いました。子どもの邪魔をしないように先ずは大人から、また親から変わらなくてはいけない、親の空気、家庭の空気、職場の空気を少しでも良くしていけるように、姿勢、言葉、礼儀を日々正していきたいと思います。
「今の学校教育は時代遅れ」であると喝破しているところが凄い
新潟 自営業 60代 男性
辻本先生のお考えが宇城先生のお話されている事と似ていると感じたのが第一印象でした。そして「今の学校教育は時代遅れ」であると喝破しているところが凄いと思いました。今の学校での「落ちこぼれ」と言われる児童・生徒がむしろ正常なのではないか?と思われる事象も多々あります。
また、教師の中にも「明らかにおかしい」と感じている方もおられるし「自ら何かしらの動きをされている」方もおられます。
正常な状態の先生方がはじき者にされたり、蝕まれて「引きこもりやうつ」と言った状態に陥っているのはおかしくないかと思わされる事が多々あります。
今の学校教育は窮屈な感じがします。もっと自由に伸び伸びと明るく出来ないものかと思ってしまいます。
先生方の対談で感じ取らなければならない事が多々あるはずなのに、まだまだ未熟者の私にはその全てを受け止める事が出来ていないかもしれません。
しかし、少しずつでも感じ取れる力を養っていきたいと思いました。
気を感じながら過ごしていく事の大切さを感じました
群馬 自営業 50代 男性
辻本教授と先生の対談を読ませていただきました。空気、自然すべてのものが気で包まれている。日常の生活の中で今までよりも更に気を感じながら過ごしていく事の大切さを感じました。
子供の教育については一人ひとりが自分事として受けとめて考え、取り組んでいかないといけない
愛知 会社員 20代 男性
巻頭対談より、いじめや不登校等の問題が至る所で見られる現在の学校教育には、その根本的な所の「変化」が求められるということが伝わりました。そのため、先生が言われている進歩成長のための「変化」が、個人レベルではなく大きな枠組みに対しても必要になるということがわかりました。また、未来のためにも、子供の教育については一人ひとりが自分事として受けとめて考え、取り組んでいかないといけないと思います。
『道』は多くの人の希望が詰まった本
福岡 男性
■宇城憲治先生 辻本雅史氏対談
現行の義務教育である教育機関は日本の歴史からしても100年程の歴史しかないという事実。私自身、ようやくこの教育に対して妄信的になり、行くことが当たり前であると絶対的に信じてしまうことが、子ども達の未来を狭めてしまっているのではないかという事が少しずつ理解できるようになったと思います。自分が経験した教育しか、次の世代に受け継いでいくことができません。親や教師は子ども達の幸せを願って一生懸命できることをするのですが、何が正解であるのかがわからないというのが正直なところなのではないでしょうか。先が見えていてわかっているから導くことができるのに、先が見えないという不安を抱えており、導くための試行錯誤ではなく、行き当たりばったりの試行錯誤をするしかない為に昨今の教育は混迷を極めているのではないかと感じます。宇城先生や辻本氏のように、ここ100年間程の一時の時間に縛られることなく、その前後を見て、導く方向を示して下さる方たちに、私たちは謙虚に学ばなければ次の世代を不幸にしてしまうことになると思います。
■高坂勝さんロングインタビュー
近年ではSDGsという言葉をよく見かけますが、世間的にもどこか「できたらいいよね。私はよくわからないけど。」という感覚になっているような気がしています。企業がCMでキャッチフレーズとしてよく使ってるなぁ程度の感覚です。高坂さんからは言葉ではなく、行動して実現しているという説得力を感じます。高坂さんの活動は、資本主義で出来上がった現在の社会の形を壊すのではなく、その中でもっとこうした方が良いのではないかと思われることを少しずつ実践しながら馴染ませていっているような印象を受けました。無理なく馴染ませていっている感覚です。上手い例えが出てきませんが、固まってしまったカレーに少し水を加えて混ぜてやわらかーくしていく感覚です。無理に自分自身を壊すことなく、先を考え、できることをできる分だけやっていくことで継続することができる。仕事だけでなく、普段の生活の中でも「なぜ私はこんなことをしなければならないのか・・」「なぜ私は何もできないのか・・」と辛く悩むことが多い社会の中で、高坂さんのインタビューは“こうあらねばならない”という凝り固まった枠に自分を押し込んで苦しめている状態が実は間違っていて、他にも選択肢があるんだよという救いのように感じながら読ませて頂きました。「もっと欲しい!もっとお金が欲しい!もっと刺激的な楽しいことがしたい!」という際限の無い欲が自分自身を悪い方へと誘っているのだと思います。そして、資本主義的な“成長”路線から降りることで、人間としての“成長”路線に乗ることができるのではないかと思います。私も、近い自給できる分だけでも農業をしたいと考えていたので、年間で20日程作業すれば家族が食べる分くらいは作ることができるということを知り、希望が出てきました。高坂さんの足下にも及ばない行動だと思いますが、私も少しずつ行動を起こし、先を見据えた人間成長の路線に乗っていきたいと思います。
■さとううさぶろうさんインタビュー
自然に近いものを纏うことで得られるエネルギーについて、真剣に考えたことがありませんでした。布を切ることでエネルギーが減ってしまう感覚や、裾が床にくっ付いて立てなくなってしまう感覚は、宇城先生の気を体験させて頂いているので、「こういう感覚なのかな」と身体が教えてくれます。私自身、安くてすぐに手に入る石油由来の衣類を多く持っていることに気が付きました。少しずつではありますが、身にまとうものにも気を付けていきたいと思いました。
■塩から社会を見てみれば
長い年月をかけて作られてきた人間のデトックスの仕組みを抑えてしまうが、現在医療の薬であり、体にも悪いということは頭では理解していますが、痛みや痒みを感じると病院に行き薬を貰って楽になりたいと考える自分がいるのは正直なところです。食を気を付けてなるべく悪いものを入れずに、デトックスの際には我慢できるように心がけたいと思いました。
■愛の関りと連携で、輝きを取り戻す子どもたち
先生方の活動によって、高校生たちが農業に携わったりと確実に次世代に繋がっていることがわかります。想いを持って続けることの強さを見せて頂いています。
■ミツバチが教えてくれること
海に軽石が沢山発生したことがニュースになりました。今回ハニーさんの記事を読ませて頂き、地球が海をキレイにしようとして軽石を放出したのか!という事を知りました。人間の“経済”にとっては不都合なことであっても地球にとっては必要なことが沢山あるということを忘れないようにしたいと思います。
■私たちは銀河のなかに生きている
赤い月、こんな写真が撮れるのか・・・と息を飲むほど見入ってしまいました。最近ゆっくり月を見ることがなくなっています。心の余裕を持たねば・・・と思いながら見させていただきました。
■地球を歩く
角の絡み方、2頭の顔の境界線、毛並みなど、写真を食い入るように見てしまいました。野村さんが大怪我をした理由は、双頭のエゾシカを撮影した為だったのですね。写真を通してみた分には大丈夫だと思いますが、このような光景を肉眼で見てしまったら、何か神秘的なエネルギーがぶつかってくるような気がします。
■ありのままの私たち
職業柄、子ども達と関わることが多いのですが、山元加津子さんのお母さんのように楽しいことを一緒に考えて遊んであげることができる人になりたいと思いながらも、自分の仕事の事などに気が行ってしまい、本気で子ども達との“今”を共有していないなと反省しています。子ども達との関わり方をいつも勉強させて頂いています。
■きょうも、いい日
天空と繋がっている翔子さん。マイナス思考が無く、全てが肯定されている世界とはどのような世界なのでしょうか。今まで生きていた自分の人生は、自分を否定することでふさぎ込んできたように感じます。自身を肯定することができないと、他人を肯定することができません。翔子さんの書からエネルギーを分けて頂き、私も肯定のあふれる世界を感じさせていただきたいです。
■今日一日を生きる
薬局で普通に売られている咳止め薬が依存症になってしまうということがとても怖いです。平山さんの手記を読ませて頂き、身近にある薬の怖さ、そしてそこから抜け出して一歩踏み出すことの難しさを感じました。また、独りではなく仲間との繋がりの大切さを教えて頂きました。
■気づく、気づかせる
スポーツの最高峰として位置するオリンピックですが、ロシアによるウクライナ侵攻が開始され戦争が起こっている今、北京パラリンピックに対しての関心はほぼなくなっていると言ってもよいくらいであると感じています。スポーツは遊びであり、平和の上に成り立っているという事を痛感させられます。宇城先生が仰るように、国のトップが戦わずして勝つという境地に至らなければ、今回の戦争のように悪戯に人命を犠牲にし、人類が負の方向に動いてしまいます。この国のトップを選んでいるのもまた国民である為、私たち一人ひとりが戦わずして勝つという境地へ少しでも近付く修行をすることがこれからの日本、そして世界を良い方向へ向かわせていく動きに繋がって行くと思います。
■日常の奇跡
青空に颯爽と飛び立つタンチョウの写真を見ていると、希望が湧いてくる感じがします。ただ耐えるだけではなく、耐えている間に準備を怠らないこと。そしてその準備こそがその後の飛翔の力になるのだと自分に言い聞かせ、負のニュースが多い“今”を耐え忍びたいと思います。
いつも元気を与えてくれる『道』を出版して下さり、ありがとうございます。読ませて頂くたびに、「自分は動けていないな・・・」という気持ちになり、少し落ち込むこともあります。ただ、それも自分が他人から何か認められたいというような欲求から来ているものではないかと思うようになりました。本当に心からやりたいことを見つけることができれば、『道』で紹介されている方たちと同じように、他人の目は関係なく情熱を持って取り組むことができるのだろうと思います。
『道』を読ませて頂くことで、知らなかったことを知り、自分が何ができるのかを少しずつ考えていくきっかけを下さっていることがとてもありがたく感じます。経済的、そして時間的にも今すぐには動けないことでも、私の中に農業や養蜂など、「やってみたいな」という興味が出てきています。とてもありがたいことです。知らなかったことを知ることがとても大事なことだなと感じています。知ることで選択肢を増やし、豊かな未来を思い描くことができるため、希望になります。『道』は多くの人の希望が詰まった本だと思います。これからも素敵な『道』を作り続けて下さい。
今自分がすべきこと、自分を高める日々の修行に必要な『道』での学び
奈良 主婦 40代 女性
『道』でお話されている方全てが、自然と一致している生き方、考え方、実践をされている。
自然の一部というより、宇宙、地球が人間の身体とすれば、身体の細胞の1つのような生き方。
そして実践されている、実際行動し繋がっている。
これこそ、宇宙や地球の動いている時間、空間に入っているから、宇宙、地球のエネルギーと調和されているのではと感じる。
そう思うと本当に自分の時間は停止状態。
自分を高めこの時間に入っていける身体をつくっていかなければ何にも繋がらないと感じます。
宇城先生の下、学ばせて頂いていることで、「道」に出てくる方々お1人お1人のお話の中での言葉や考えが宇城先生にご指導頂く中でのお言葉や身体で感じさせてもらったことに一致したり、繋がったり、気づきがあったりします。
そして江戸時代の学び。
私たちが忘れてはならない本当に大切なことが日本の文化にはあるのだと常に感じます。
口で説明するのではなく、日本の文化や「江戸の人間教育」、躾から、身体で感じ身につければ説明はいらない。
そして「言葉の教育」。辻本先生の「言葉が豊かな子どもはそんな簡単にキレたりしません」このお言葉も心に残りました。
宇城先生のお言葉「99.9%の努力ではなく、0.1%のやる気と実践の大切さです。
だから子どもの好奇心を目覚めさせ、やる気を起こさせることが大事です。」
ここに向かって自分が変わる、学び勉強する、自分を高め続け、死ぬまで自分が心していくべきことであろうと強く思います。
最初から最後のページまで全てが大切で毎日心して現代を生きる私たちに必要なお話ばかりです。
今回の『道』も手放すことができません。
肌身離さずどこに居ても開いては、自問自答が始まります。
今自分がすべきこと、自分を高める日々の修行に必要な『道』での学びを誠に有難うございます。
『道』には真実があると改めて実感しました
東京 会社員 50代 男性
今回もずっしりと読み応えがあり、かつ深く考えさせられ、とても重い号でした。
巻頭の対談では、辻本先生宇城先生の崇高かつ深淵なお話に唸らされることしきりでした。両先生は完全にお考えが一致していて、調和され融合さえしているように感じました。対談の文章では、それぞれお名前が記載されておりますが、読み進めるうちに、どちらの先生がお話しされたことなのか分からなくなる程でした。
辻本先生が仰った「宇宙空間は気が充満する『気の海』に他ならない」や「一人の人間としての自分は、気の凝集した一人の個体ではあるが、同時に天地と繋がることで生かされている」などのお言葉は、表現に多少の違いはあるとは言え、宇城先生が常々仰っていることであり、しかも、辻本先生が貝原益軒を研究しそれを現代に生かそうとされていることは、正に「不易流行」「稽古照今」そのものだと思いました。辻本先生のご著書「江戸の学びと思想家たち」も拝読しました。
髙坂勝さんの記事は、ある意味今号で最も共感したものでした。私も会社員時代、髙坂さんと同様、毎年の様に前年比10%アップという不合理で理不尽な目標を課せられボロボロになった経験があるからです。しかも本文にもあったように所属する部署には複数の病んだ人が存在するという。なのでそこから脱却し、「人間再生」の実践をされているお姿に感銘を受けました。
髙坂さんは、「経済成長しなくても、こうやって生きればいい」というモデルを指し示し、小さい一人から変えていき、一人ひとりが変わっていけば結局世界を変えていくことになっていくと仰っていましたが、髙坂さんは「一人革命」を行っているのだと感じました。しかし、数多くのアイデアを持ち、それを実践しつつも「昼寝が大事」という、とてもしなやかでバランス感覚にも優れている方だなとも思いました。「人間は土から生まれてきたのに!」が心に刺さりました。ご著書の『次の時代を先に生きる』も拝読しました。
さとううさぶろうさんの記事にあった、「今、一番の問題は、人間が自然から離れてしまったこと」というお言葉に、現在の家庭や学校や社会や、ひいては日本や世界の平和や地球環境の問題などの大元がここに集約されていると感じました。衣食住で一番先に大切なものが「衣」にあり、ポリエステルやナイロンなどそういうものに慣れてしまうとだんだん自然から遠のくという。それで自然な衣服をつくり、自然をまとうのだと。そのお考えにハッとさせられました。
工藤清敏さんの「現代の日本の医療費は60年前に比べて180倍の45兆円、病名は50年前に比べて3000から33000へ10倍増加」「病名は実は人間があみ出し、その病名を受け入れた人がその病気になる。これは現代宗教のよう。」には現状を鑑みるにつけ十分納得させられるものがありました。
私たち国民は、宗教がやるように洗脳させられ、病気になったら病院にいくことが当たり前となり、医療はとてつもなく大きな利権構造となり、人間の命が喰い物にされている。それが常識とされ、国民が無感覚でいることは恐ろしいことだと思いました。
今号を通読するにあたり、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」にあった
「土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう」
というセリフを思い出しました。
私たちは自然の一部であることを忘れ、自然から遠ざかることで、人間としての本来のあるべき姿を失ってしまって病んでいく、衰退していく。ラピュタは土から離れたことで滅んでしまいましたが、今号に登場する方々は、現代の技術は活用しつつも自然へ回帰し、「不易流行」を実践している方々ばかりでした。ここに未来への希望が見えた気がしました。
ある本の中で、「嘘は、向こうから巧妙にやってくるが、真実は、自ら探し求めなければならない」という言葉がありましたが、この言葉を噛み締めました。
以前も書きましたが、『道』には真実があると改めて実感しました。
身体性の習得は、無自覚の習慣になるまで身につける必要性を感じました
東京 会社役員 50代 男性
辻本教授との対談を読み、身体性の習得は、無自覚の習慣になるまで身につける必要性を感じました。
自分自身の在り方を反省し、見直さなければいけないと気づかせていただきました
岐阜 理学療法士 30代 男性
宇城先生と辻本先生の対談を拝読しました。先生方のお話しの中にある、「人間」は人と人との間のことであり、その間に調和が生まれるとのお言葉や、己は要するに人と人との間にあるというお言葉がとても心に残りました。
自分の子供に対する教育や人との関わりの中に自分自身の本質が映っていると感じました。それは、自分の在り方や自分の心そのものなのだと思います。だからこそ、自分自身の在り方を反省し、見直さなければいけないと気づかせていただきました。
日常で遣う言葉や所作、自分の心の在り方を反省し、地球に対する畏敬の念、謙虚さと感謝を持って生活したいと思います。
『道』で紹介されている皆さんは自分自身の目的のために何をすべきかをしっかり決めて実践されている方ばかり
仙台 裁判所職員 50代 男性
髙坂さんは、自分自身で自答し、多くの人とは違う自身の発想で、多くの人を引き付ける事業を次々と展開され、更にそれを発展させていると感じました。
また、『道』で紹介されている皆さんは自分自身の目的のために何をすべきかをしっかり決めて実践されている方ばかりだと感じました。ぶれないとは、そういうことなのだと思います。
髙坂勝さんのインタビュー記事は感銘を受けました
仙台 会社員 60代 男性
NPO法人 SOSA Project代表 髙坂勝さんのインタビュー記事は感銘を受けました。
経済成長最優先原理主義のような今の世のおかしさに、自分の心の変調を通して気付き、そこから人生を減速して自由に生きるという路線に変えていく。その髙坂さん個人の変化が逆に今の世の中を少しずつでも変えうる力になっている。このことはとてもこれからの未来を考える上で示唆的です。
「1人ひとりが変わってゆけば結局世界を変えていくと理想でなく確信したのです」と語っておられましたが、髙坂さんが自由にそして嬉しそうに活動している姿が、多くの人を巻き込む魅力になり、その魅力が今度はそれぞれの人自身の魅力に映され、周りのコミュニティーや地域に還元されていく、そんな風に感じられました。
その道筋は行き過ぎた経済システムの弊害を未来にわたって取り除いていくための一つの処方箋のように見えます。髙坂さんのますますの魅力的な活動を期待したいと思います。
「自然に感謝して生きる」自分にもできることを始めてみようと思いました
神奈川 主婦 女性
髙坂勝さんの『sosa project』大変興味深く拝読しました。
ダウンシフト、半農半×、太陽光発電と農業の両立、耕作放棄地の活用。
自然に感謝して生きる、自分にもできることを始めてみようと思いました。
勇気と希望が出てくる二人の対談
教員 50代 男性
教員という職業、勇気と希望が出てくる二人の対談です。
学校の機能不全、歴史的に不適応、これからの時代を生きていく為に言葉の教育 心の教育が必要、言葉が豊かの子供はそんなに簡単にキレない、人としての日常の「型」を身につけ、引いては心を作る教育。
礼儀作法は心と身体を同時に作る、寄り添うことでエネルギーを得る事が出来る。
自分は専門学校の講師です。調和の心で自分を変え周りの変わる事で希望ある教育、授業に繋げていきます。
今回の対談はあるべき教育の姿を自分なりに考えるきっかけとなりました
北海道 市職員 40代 男性
辻本先生と宇城先生の対談では、今の学校制度の歴史がまだ100年程度であるという指摘に、改めて自分が現在の常識を無意識の内に無批判に絶対的な前提として固定化しているかに気付かされました。
一方儒教や江戸時代の剣豪の「間」や「気」の捉え方は一個の人間を超えたものであり、現在の個人重視とは次元の違うスケールの大きさと深みを感じました。
お二人に共通する自然のもとで伸び伸びとした子ども時代を過ごしたということが、知識優先の詰め込みではなく、身体を通じて心を育てることが大切という認識に至ったものと考えると、今の教育制度は重要なことがすっぽりと抜けていると気付かされます。
どうしても人は自分が経験してきた以上のことはよっぽど意識的に自分を変えようとしない限り気付けないので、今回の対談はあるべき教育の姿を自分なりに考えるきっかけとなりました。
知識よりも思いやりや人との調和など心の豊かさを向上させる気付きの実践が今後広まることを切に願います。
「常識」という壁に阻まれている
東京 会社員 50代 男性
巻頭対談、受験を目的とした、日本の学校教育の在り方に疑問を持っている人は、かなりの数におよぶのではないかと思います。
しかしながら、そのような人でも「子供が毎日学校に行くこと」は当たり前だと考えているような気がします。
辻本氏の「学校教育は時代遅れになった」「みんなが学校に行くようになって、100年しかたっていない」というご指摘に、その通りだと感じました。
では、なぜ自分自身で、そのように物事をとらえることができなかったのかと考えたときに、まさしく「常識」という壁に阻まれているのだと気づきました。
「子供たちは毎日学校に行くものだ」という常識、あるいは先入観はかなり強固なものであり、自分自身でそこから距離をとって物事を見ることが出来なくなっていたのだと思います。
先生がいつも言われている、まさに「常識という病」の典型のような気がしました。
「本当に大切なことは何なのか」を常識の枠にとらわれずに、きちんと学ぶことが如何に大切なことであるか、そして同時に難しいことであるかということを学びました。
辻本先生と宇城先生の対談は、凄く共鳴しました
愛知 ピアノ調律士 60代 男性
辻本先生と宇城先生の対談は、凄く共鳴しました。凄く勉強になりました。宇城先生が日ごろから、おっしゃられる教える、指導するのではなく、気づく気づかせる。その意味が改めて理解出来たような気がしました。
学ぶ、ということを教えて頂きました
兵庫 教員 50代 男性
学ぶ、ということを教えて頂きました。また、自分に学校の教育に骨の髄まで染まってしまっていることに気付かせて頂きました。
こんな教育をという理想の一つを見せていただきましたが、やはり、学校教育を変えることは難しい。だからこその「気づかせる・気づく」なのだということが分かりました。
辻本さんと宇城先生の対談、非常に興味深かった
千葉 会社員 50代 男性
辻本さんと宇城先生の対談、非常に興味深かったです。現代教育の問題、礼儀作法は天地自然の法則を身体に表した理想の形、親性。そして宇宙との繋がりと気。
もっと読みたいと思いました。宇城先生と辻本さんの第二弾もお待ちしております。
今回の季刊『道』は「知の身体化」に気づかせてくれた一冊
宮城 医師 70代 男性
宇城先生と辻本先生の対談は「目から鱗」になる対談でした。辻本先生の江戸時代の素読による「知の身体化」と宇城先生の「身体脳」は、本来あるべき「知」がどういうものかをはっきり示してくださいました。同時に学校教育が担ってきた「知」は身体化されていないバーチャルでしかないこと、「知の身体化」のベースになる「人間観・心」を失ってしまった現状をどうにかしたいという思いに溢れた対談でした。
高坂さんの減速する生き方の提案、素晴らしい。その提案が人間本来の生き方、自然の中で自然と調和しながら生きていくことを大事にされているのは凄いことです。それを個人的に実践するだけでなく、周囲に広げ、地域社会と繋がり一大コミュニティを作っていることに一驚します。本来あるべき人間社会の仕組みのモデルに相応しい活動だと思いました。全国に広がって欲しいものです。
今回の安藤さんのタンチョウの「飛翔」未来への希望の羽ばたきをしかと感受しました。佐々木さんの紅い満月、子供の頃みた赤みを帯びた満月を思い出し感動しました。野村さんの双頭のエゾシカ、安藤さんの強い生命力を感じさせるフォトと違って優しさを感じる映像でした。同じ被写体から異なるメッセージが受け取れる凄いことです。
今回の季刊『道』は「知の身体化」に気づかせてくれた一冊でした。大きな感動を与えてくれたことに感謝いたします。
教育に関わる全ての方に、このご対談の内容をぜひ読んで頂きたい
愛知 教員 40代 男性
「江戸に見る豊かな人間教育」のタイトルをみるやいなや、辻本先生と宇城先生は、絶対に出会うべくして出会われたお二人であると、その確信が頭をよぎりました。
そして、両先生のお話が進むにつれ、人間愛に満ちた高次元の内容に引き込まれ、「愛」そのものを文を通じて感じさせて頂き、感動のあまり目頭が熱くなりました。
私の知人のお子様で、2名の高校生が教師からの人格を否定するような言葉に傷つき、現在、不登校になっています。
教育に関わる全ての方に、このご対談の内容をぜひ読んで頂きたいと思っております。
文中の貝原益軒先生の『身体は単なる表面上の形ではなく、その身体化を通して人を育てていく。言葉で「親に孝行しなければいけない」とか「毎朝挨拶をしなければいけない」と言っても駄目で、しかし身体がそうなっていけば、人間はそっち向いていくように人間はできている』は、現在の日本での教育と真逆であると痛感しました。
「成績を向上させなければいけない」「みんな同調しなければいけない」などといったことで、教育に携わる教師は、自分を生徒との間に置くことができず、本当の自分(教師の役割)を見いだすことができないでいるのではと感じました。
「身体先にありき」……子供たちのために、教育界の変化、進化がとても重要だと強く思いました。
様々な方々のお話が頭の中で繋がり、それを言葉にするのは容易ではないくらいに沢山の気づきがありました
静岡 農業 40代 男性
今回の『道』も最初の対談から、様々な方々のお話が頭の中で繋がり、それを言葉にするのは容易ではないくらいに沢山の気づきがありました。
巻頭対談の辻本さんのお話で明治以降の100年余りは異常な時代、例外的な時代だという言葉にはハッとしました。そう思うという事は自分もそれが当たり前だと思っていたという事だと思います。
今の教育は近代以後の時代には合わなくなっている、というお話もまさにその通りであって、その弊害が様々な形で表れていると、感じます。
それに対して江戸時代の思想研究をされて、礼儀作法で天地自然の法則を身体化させる事や、今の学校教育に、生きている命そのものを伝えるという事が無い事、生命は食物と空気で宇宙と繋がっていることなど、これからの教育、今の日本の教育にまさに必要な事が次々と語られています。辻本さんのお話と宇城先生の調和、戦わずして勝つ、という高い次元がまさにピタリと合っているかのようなお話に、読みながらもどんどん文章に引き込まれてしまいました。
この対談にあるようなお話をもっと為政者、特に教育などの分野に関わる人間は勉強すべきではないかと思いました。
髙坂さんのお話では、まず、自分が実践して、一人でやって見せて、それから人に伝えて、一人一人を変えていく、というお言葉にとても共感致しました。また今の経済システムは人間を病にさせるような事ばかりであり、そのような人たちは土に触れて元気になってもらう、という所に、自分も土に触れているので、その感覚は非常に良く分かりました。活動の中で子供たちに選択肢を伝えていく、それを実践して見せていくというお姿に、髙坂さんのような大人達がもっと増えれば、子供たちの未来にも希望が広がるのではと思います。
工藤さんの連載では病気は人間が作り出している事、病気の際の病状は身体が治癒をしようとしているという事など、簡潔に語られていて、これもすんなりと頭に入ってくるお話ばかりです。身体は工藤さんのお話で感じる事を、すでに感じ取っているからだと思います。
お金の利権が医学を支配し、その病院治療システムに一生つながれて生きていくしかない今の社会。病気になって当然だと思います。それに対しての答えも、いい塩、と自然の食材、発酵食品、生食と、まさに昔の日本人の生活の中にあったものばかりであると思いました。
そして前島さんの活動では、まさに「選択肢」を見せてもらった高校生たちが、更に未来の希望である保育園の子供たちに自分達で育てた野菜を届けられたとの事。
本当に良い循環が生まれて、確実に形になってきている、と感じました。
前島さんの行動により、様々な取り組みが生まれていると思います。そして真に行動する人間には世の中の矛盾などが自然と見えてくるのではと思いました。
気づく、気づかせるでは、「地球に生かされている私たち人間には、この地球上で最も地球を大事にする役目がある」というお言葉に、その為に、高い次元へと自らを引き上げるために、修行していくのだと思いました。それは真剣のような、用と美。
人間力、行動と、人間性と心の発動。それが自らを進化させ、大自然と地球の平和を守る事に繋がるのだと思います。その為に、地球は人類に様々な英知を与えたのだと思います。決して、金儲けや、自らの欲の為ではないはずです。
その人間の英知を今回の『道』では本当に様々な形、角度で学ぶ事ができると感じました。
これから何回もじっくりと読み、今回の『道』に登場された方々のお言葉、心を自分の身体に落とし込み、日常で実践して参りたいと思います。
今号も桁違いのエネルギーに満ちた一冊でした
福島 公務員 50代 男性
読み進めていくうちに様々なことが頭をよぎっていきました。教師をしている友人から聞いた教育現場の崩壊のこと、連日ニュースとなる狂気とも言うべき誰でもよかったという殺人や関係のない人を巻き込む拡大自殺、世界的な疫病の流行と国家間の分断、頻発する自然災害。
これらの現象は、我々の暮らす日常世界に、誰が見ても明らかな破壊の兆候が表れているということだと思いました。そして、これは人が「宇宙の理(ことわり)」からの乖離してきていることが原因ではないかと感じました。
疫病や自然災害が人の行いが原因で発生するはずがないと言われそうですが、ここ十数年間、社会の変化による人間関係の荒廃に同期するかのように、疫病や自然災害が立て続けに発生しており、この世界は急速にエントロピーの増大が進んでいるように感じます。
辻本先生が紹介された「日常の型による心の教育」や髙坂先生の「ダウンシフト」、うさぶろう先生の「自然をまとう」など、今号で紹介された全ての実践者の方々が社会常識の逆を行っているということは、社会常識自体が宇宙の理の逆を行っているということではないかと思いました。
また、寄り添うことで人の心から生み出される目に見えないエネルギーは、エントロピー増大の法則が支配する宇宙の中で、唯一プラスの方向性を持つエネルギーではないかと感じました。
しかし、人の心がエントロピー増大の法則に従うようなマイナスの方向性、無関心や利己心になびいた時、その生み出された負のエネルギーは瞬く間にこの世界を覆いつくし、今我々が目の当たりにしている悲惨な事件や災害は止まらず、増え続けるのではないかと感じました。
佐々木さん、野村さん、安藤さんの写真が教えてくれるように、この世界はとても美しい。それは、ただあるがまま調和の上に存在しているからであり、人もその摂理、宇宙の理に従って生きることがあるべき姿だと思います。
しかし、教育も、農業も、生活に不可欠な衣食住も、我々を取り巻く日常の全てが、既成事実として存在している中で、変化を起こすことは本当に難しいことだと思います。正面から立ち向かえば、反体制の政党や市民団体、過激な環境保護団体のように正面から衝突するだけになると思います。そうではない、ひとつ上の次元の変化のあり方、他者との関係性の中に本質を置く変化の起こし方を、季刊『道』で紹介される実践者の方々は教えてくれます。そして、我々ひとりひとりに行動のエネルギーを与えてくれます。
実践者の方々の想いと、そのエネルギーを、この心に照らして、希望を見失うことなく、己の日常で自身の変化を起こし、それを周囲に伝播させていきたいと思いました。
素晴らしい一冊をありがとうございました。幾度も読み返します。
次号も楽しみにしております。
今までのやり方が無条件で正しいものと思っていると、時代に取り残される危機感を感じました
千葉 医療従事者 40代 男性
巻頭の対談は「今あることがずっと昔から続いてきたこと」という思い込みに警鐘を鳴らされました。自分が学校制度の中で生きてきたからといって、それが正しい生き方であり学び方であるというわけではないのに、無意識に「学校に行くのが当たり前」と思ってしまっていたように思います。目まぐるしく変わる世の中で、今までのやり方が無条件で正しいものと思っていると、時代に取り残される危機感を感じました。
そしてページをめくると今度は私の住む千葉県での活動についての話であり、これもまた感銘を受けました。子育て世帯の私としては、不夜城東京での夜景よりも、電灯の少ない夜の闇の中で虫の音に耳を傾ける生活に憧れます。でも、そこでネックになるのが経済面ですが、それに対して具体的な解決策まで用意されていて素晴らしいと思いました。
毎号『道』を読み終えると「人間とは何だろう?なんて素晴らしいものなのだろう!」と敬虔な気持ちになります。人間の可能性に感動です。