宇城憲治師範のDVD『サンチン 上巻』発売記念 講演・講習会レポート
2012年1月29日(日) 大阪市 主催 どう出版
なぜ、武の道を歩むのか
季刊『道』で連載執筆をいただいている書家の金澤泰子氏のご息女で同じく書家の翔子さんが題字を揮毫(きごう)されたNHK大河ドラマ「平清盛」。
清盛の少年時代、武士はまだ、王家に仕えるだけの存在でした。
清盛が誕生する以前にすでに、シナより日本に伝わっていた兵書『孫子』は、「兵は詭道なり」と説いています。この教えは日本の国柄に合致せず、やがては国を破滅させることを危惧して、大江匡房が記したとされるものが『闘戦経(とうせんきょう)』です。匡房は『孫子』を学ぶものは同時に必ず『闘戦経』を学ばなければならないとしました。『闘戦経』を貫く指導原理は「誠」であり「真鋭」です。そしてそれが日本の国風だと説いています。
(参考文献:並木書房『闘戦経 ―武士道精神の原点を読み解く―』)
2012年1月29日に大阪で行なわれた宇城憲治師範の講演・講習会では、
日本の伝統「もののふの道」として「誠」を示す武道の真髄、教えと技が、惜しみなく披露されました。
そのほんの一部をご紹介いたします。
「本日は皆さんに、日本の文化の良さを
知って頂ければと思います。
“人を斬るための刀”。
刀は斬れるから、止めます。
すると刃(やいば)となる。
そしてその下に心をおくと“忍”となる。
刀で人を叩き斬っているだけだったら、
それは人間ではなくなってしまいます。
この斬れる刀を元の鞘に納めて、
修行によって“忍”というものをつくる。
だから『ギリギリまで抜かない』。
そういう覚悟ができる。
それが大事だと思います。」
茶道から「一期一会」「無茶」「お茶を濁す」などの慣用句が生まれ、弓道からも「手筈を整える」「図星」「矢継ぎ早」などの言葉が生まれました。そして日本刀からも多くの言葉が生まれ現代に残っているのだと、真剣での演武を披露され宇城師範は言いました。
「刀も、元の鞘に納まる、鎬(しのぎ)を削る、刃がたたない、焼きを入れる、太刀打ちできない、
こじりつける、元の 鞘におさまる、切羽詰まる・・・ といった言葉が現代に生きています。
それは、殺傷道具としての刀を『抜かない』ひいては『戦わずして勝つ』という武術の究極『気』の
境地まで高めた文化だからこそです。しかし今、そういう日本の伝統文化が失われつつあります。
たとえば皆さんのなかにも『切羽詰る』という言葉は知っているけれど、ただ言葉を“知識”で
知っているだけ、という人は多いのではないでしょうか。
教育もしかり、です。たとえば戦争の歴史についても、暗記科目としての歴史の中で知識として
知っているだけです。
『二度と繰り返してはならない』と、身体で受け止めて身体で考えるからこそ、
二度と起こしたくない、という身体の行動になるのです。
暗記科目で知識として知って頭で考えているから、大変だ、かわいそうにと言うだけで行動が
起こらないのです。」
「身体の行動」と、「頭の知識」。これを宇城師範は、「統一体」と「部分体」と呼びます。
「サンチンの型に入る前に、今日は今の自分を構成しているものには
『先天的なもの』と『後天的なもの』があるということを実習したいと思います。
先天的なもののなかに潜在能力があります。皆さんのなかに眠る潜在能力を知るために、
『不可能が可能になる』という体験をしていただきます。
これは書籍やDVDなどでも実例を紹介していますが、皆さんのように初めて私のセミナーに
来る方々はだいたい半信半疑です。
しかし、実際に体験すると『できる自分』と『できない自分』を実感します。
そうすると自己矛盾が起きてくるわけですね。
じゃあ、できない自分というのは、なにがそうさせているのか。
もともと人間はそういうことができるのに、なぜできないのか。
それは基本的には『部分体』になっているからですね。
スポーツはほとんどこの部分体です。
もちろん現代のスポーツ化された武道も部分体です。
『できる自分』というのは『統一体』です。
統一体とは『身体で考える』ということ。
部分体つまり『できない自分』は『頭で考えている』状態です。」
身体で考える、とはいったいどういうことなのでしょうか――。
「たとえば、ここに自転車に全く乗れない3人がいるとします。
1人は大学教授。俗に言う“頭が良い”人の代表です。
2人目はボディビルダー。俗に言う“筋力がある人”、“鍛えている人”の代表です。
3人目は小学校2年生。知識もなければ筋力もない子供です。
大学教授は一生懸命、本で読んで自転車の乗り方を勉強した。
ボディビルダーは体を鍛えました。
小学生は実際に自転車に乗って、何度もこけながら練習しました。
誰が一番はやく自転車に乗れるようになったか? 小学生です。
自転車に乗るためには、知識も筋力も必要ありません。そして一度乗れたら一生乗れる。
こうして身体で考え身体で覚えることは、身体を通して脳に刻まれ、『身体脳』になります。
これは身についたら一生消えません。
少し練習しなかったからといってできなくなる、という類のものではないということです。
武術もこれと同じです。
『身体で考える』とはこのように自転車に乗れるようになることと似ています。
そして、自転車に乗れる人は『ちょっと2キロ先の商店に買い物に行ってきて』と頼まれ、
もしそこに自転車があったら『この自転車借りても良いですか?』と、自転車に乗る、
という発想が生まれ、行動が変わってくるわけです。
一方、乗れない人には、自転車を使おうという発想は浮かびません。
日本の現代の教育が間違っていると思うことは、たとえば受験勉強でも一生懸命にやる英語。
東大・京大に受かったからといって実践で使える英語を皆が話せるわけではありません。
一方で子供は、文法など習わなくても自然と母国語を喋るようになります。
ということは、この“受験勉強のために”やった英語は使えない、ということです。
英語だけでなく他の科目についてもそうだと思います。
2011年12月24日の浅田次郎氏による新聞記事から引用します。
“(江戸時代)寺小屋が全国くまなくあったことによって、明治維新を迎える頃には、
世界に類を見ない90%以上の識字率を保っていたといわれている。(中略)
国民が書き物を読めて、国が何をしようとしているか理解できて、
そして行動できたというのが、おそらく最大の原動力になったはずである。
自国の価値観を180度入れ替えるほどの革命についていける教養が
国民すべてにあったことに、敬意を持たなければならない。”
寺小屋では単に知識として文字を教えるのではなく、文字を教える指導を通して
人間教育すなわち師の「心」を無意識に子どもたちに映していたのだと思います。
空手も同じなのです。試合や審査を目標にやったものは使えません。
ですからサンチンも、見せるためにやるのではなくて、自分自身のために、
気を通すためにやるのです。気が通ると統一体になりますからね。」
こうして講演会は、実技・検証へと移り、宇城師範が来場者に気を通し、「できる自分」の体験が始まりました。
通常では仰向けの状態から相手を投げることはできないが、宇城師範に気を通されると・・・
相手を投げることができます。投げられた人は「やられた」と思うかもしれませんが実は・・・
気で投げられた人には気が通り、さらに投げることができるのです。
(気で投げられても、手でバチンと床を叩いて、いわゆる「受身」をとると気が消え、次の人を投げることができなくなります。)
「これが投げなんです。
そして投げられたら気が通っているから、重くて持ち上げることができません。
また、乗られても痛くありません。つまり身体が強くなっています。」
会場からは驚いて、どよめく声が漏れていました。この、「気が通ると重くなる」「強くなる」ということを宇城師範は、“密度が濃くなる”という言葉で表現されています。小社発刊の師範の著書『子どもにできて大人にできないこと』でも、文章と映像で解説されていますが、子どもは生まれながらに統一体であり、その子どもが触れると、部分体になってしまった大人にも気が通り、持ち上げられないほど重くなる、という実例が紹介されています。
「これは、一休禅師の和歌
『おさなごの しだいしだいに 知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき』
の歌が諭していることと同じことだと思います。」
師範の著書『謙虚に生きる』でも述べられているように、世界中の最先端の科学をもってしても95%のことはわかっておらず未知であるとされていますが、この「気」による事象は、科学雑誌Newton(2012年3月号)でも取り上げられた“ヒッグス粒子”と関係があるのかもしれません。ヒッグス粒子とは、その存在を(現代の科学において)確定されたわけではありませんが、重要な素粒子のひとつとして考えられ、ほぼすべての物理学者がその存在を信じている、というもののようです。すべての素粒子は、本来質量がゼロで、高速で進むことができるはずとされています。しかし、空間に満ちたヒッグス粒子から抵抗をうけ質量が生じ、高速では進めなくなっている、というのです。ひょっとすると「気」とは空間に満ちているヒッグス粒子に何かしらの影響を与え、それによって物や人の質量(=重さ)に変化が生じるのかもしれません。
その因果関係の解明には及びませんが、講演会に参加した人々はみな、その瞬時に変化する様を目の当たりにし、驚くとともに、目の前で起きているだけに信じざるを得ないという表情でした。
「気が通ったらみんな、強くなります。
ですから皆さんに伺いたいのですが、みなさんが『強くなるために鍛える』というのは
どういうことなんですか?
ライオンは筋トレして鍛えますか? イルカは準備体操をしますか?
象は草だけ食べているのに力持ちですね。人間には人間の叡智があるわけです。
ライオンだってすべての獲物を食い尽くすようなことはしない。
人間は地球を破壊する技術を持ちました。
だからこそ、それを『使わない』という叡智を人間は出さなければいけない。
これは私は、日本の役目だと思います。」
“高い技術をもった文明国が、自発的に高度な武器を捨てて、古くさい武器に逆戻りする道を選んだ。そしてその国日本はこの逆戻りの道を選びとって成功した。この物語は、核兵器についての今日のディレンマ ―― 核が人類の輝かしい科学技術の進歩の象徴であると同時に、人類の絶滅の象徴でもあるというディレンマ―― にそのまま通用するわけではないにしても、類推をたくましくすれば、核兵器の廃棄という類似の事態を考える余地は十分にある。”
(中公文庫『鉄砲を捨てた日本人』ノエル・ペリン著(川勝平太 訳)より)
“世界にとって愚かなことは、人人を殺し合うという戦争です。武術は人を殺せる技でもありますが、その本質は、「自分を守る」ことにあります。自分を守るという心は、家族を守り、国を守り、世界を守る、ひいては、戦争をしないという心につながります。すなわち循環無端の輪を作ることです。武道にはそのような心と身体をつくるエネルギーがあり、だからこそ、我々は武道を通して世界に貢献ができ、発信ができると思っています。”
(小社『武術を活かす』宇城憲治著 より)
4月から、文部科学省によって中学校での武道必修化が実施されるそうですが、指導するのは武道未経験の教員の方々も多いようで、現場の教員からもまた親たちからも不安の声が上がり、必修化実施の延期を求める声も多く上がっていると聞きます。しかし、国は準備は十分だとして必修化の延期をする予定はまったくないとのこと。
なんのために武の道を歩むのでしょうか――。
「サンチンの型にしても、形だけ覚えてもなんの意味もありません。
家を建てる際には素人では家は建てられないわけです。
大工さんにもレベルが様々あると思います。
レベルが高い大工さんは素晴らしい家を建てる。
ですからサンチンも、順序は習っても、自分でそれをちゃんと検証していくということが大切です。
この家は果たしてちゃんと住める家なのだろうか、と。
そういうことが非常に大事になってくると思います。
そのために師匠が必要になります。
そういうことをきっちりと教えてくれる人が非常に大事になってくると思います。
例えば、凧というのは人が糸を引っ張っていなければ上がらないですよね。
大きい凧ほど力量がいる。高く上がるほど引く力も強くなければならない。
引いてくれるのが師であり、あるいは自分の中心であるということです。
武術空手というのは、その中心を作るためにやるのです。
凧が『自由になりたい』と言ったとしますね。
では糸を切って自由にしてやったらどうなるか。
自由に羽ばたくどころか下に落ちます。
自由ということは、ちゃんと糸をしっかり持ってくれる師、
あるいはリーダーがいるから、自由に勢いよく凧は大空に上がるのです。
私はそういう弟子をひとりでも作りたい。
それから、そういう絆を広めていきたい。日本の文化を取り戻したい。
日本の文化を取り戻すということは、日本の心を取り戻すということです。
そうして日本は、世界のリーダーになっていかなければならないのではないかと思います。
日本というのはそういう歴史をもっているわけですから、今日お集まりいただいた
皆さんにはそのことをよく知ってほしいと思っています。」
宇城師範に学ぶ 宇城道塾特別企画・親子塾については、こちらをご覧下さい。
当日いただいた感想の一部を紹介いたします。
● 素直に驚きました。長年空手をやってきましたが、宇城先生に実際に気を通して頂いたときの感覚は、生まれて初めてのものでした。
(岐阜 47歳 男性 自営業)
● サンチンの意味、すごくわかりました。
(大阪 61歳 女性 介助)
● できる自分を初めて体験しました。
(千葉 20歳 男性 フリーター)
● 大変楽しく勉強できました。明日からの活力になります。
(大阪 53歳 男性 会社員)
● 親子塾以来、宇城先生にご指導いただき、再びパワーを頂きました!
(福岡 45歳 男性 自営業)
● 先生のお話を聞く機会を頂いて「教師」という自分の使命がはっきりしました。
(大阪 55歳 女性 中学教員)
● 目からウロコばかりでした。その技もさることながら先生の哲学・思想も素晴らしいと思います。
統一体に近づきたいと思います。
(兵庫 48歳 男性 会社員)
● 古武術・居合等をいろいろと研究していまして、身体の使い方、つまり意識の改革が主に不思議ともいえる結果を生み出すものだと思っていましたが、先生ははっきり「気」と言われて、それを体感したことにより、それをも認めざるを得ないということを思い知らされました。大変勉強になりました。
(島根 38歳 男性 公務員)
● 素晴らしかったです。自分の身体で実際に体験することができたので大変納得いたしました。
(大阪 35歳 女性 会社員)
● やってみせることの大切さ、あいまいにしないこと、など宇城先生にお会いして伝えられると、本では感じなかったことも身体でわかるようになりました。
(福岡 33歳 男性 自営業)
● 体感させて頂いてとても良かったです。先生が司る「心」の一端に触れることができたのは重要です。
(福岡 44歳 男性 自営業)
● 子供にもぜひ体験させたいと思いました。
(兵庫 36歳 男性 公務員)
● 本と映像を見て想像していたことを体験でき幸せでした。
(三重 44歳 男性 会社員)
● 小学生時代以来の参加をさせて頂きました。日本・世界のために心を尽くせるよう、何が大切なのかしっかり身体で考えて生活していきたいと思いました。
(京都 17歳 男性 高校生)