大正、昭和の厳しい時代に武道修行を積まれてきた、剣道、弓道、なぎなた界の師範方に、自らの修行の様子、武道のあり方、指導者としての心得など、じっくりお話しいただきました。
今求められる社会のリーダーとは。人間をつくるとは。
そのあり方のヒントにつながるインタビュー集です。
(本書は、季刊『道』で行なってきた武道家へのインタビューをまとめたものです)
目 次
【剣道編】
中村鶴治 剣道範士
青少年育成を終生の仕事として
芳根鋭蔵 剣道範士
剣は、実社会に通じて、はじめて「道」になるのです
羽賀忠利 剣道範士/居合道範士
子供の心に焼きつく手本となれ
石原忠美 剣道範士
我が剣道を語る 剣による人間形成を目指して
井上義彦 剣道範士
「生きる」尊さへの気づきが、武道を命と結びつける
森島健男 剣道範士
技の剣道から、 心・気の剣道へ 日本人を取り戻すために
児嶋 克 剣道範士/居合道範士
相手を迎えて一つになる
藤野圭江 剣道教士
子供たちとともに人生真剣勝負!
【弓道編】
大沢万治 弓道範士
阿波研造範士の教え 正しきを求めて
池田正一郎 梅路見鸞門人
中てることにこだわらず、そこを抜け出す境地へ
浦上博子 弓道範士
型で自由になる弓と心
リアム・オブライエン 弓道教士
“とらわれない” 世界へ 自己と向き合う修行の日々
岡﨑廣志 弓道範士
的に向かい自分を磨く 弓道は時代を支える人間をつくる道
【なぎなた編】
澤田花江 なぎなた範士
七十余年の修行の賜物を次の時代に伝え残す
松尾綾子 なぎなた範士
わが身を修める なぎなたへの道
池嶋和子 なぎなた範士
深さに向かう稽古が人を育てる
プロフィール
中村鶴治 なかむら つるじ
大正7年(1918)生まれ。剣道範士。
昭和32年に父・彦太の跡を継ぎ、東京修道館で40年の長きにわたり少年指導を務める。昭和37年(財)全日本剣道道場連盟創立にかかわり、以来副会長として連盟の運営に携わる。昭和48年(財)鹿島神武殿を設立。
現在、修道館名誉館長、(財)鹿島神武殿理事長、(財)全日本剣道道場連盟副会長、東京都剣道道場連盟会長、東京都中野区剣道連盟会長を務める。平成15年、全剣連より剣道功労賞を受賞。
芳根鋭蔵 よしね たいぞう
大正6年(1917)生まれ。早稲田大学政治経済科卒業。厚生技官兼厚生事務官として社会福祉政策、とくに人口政策を研究し後に大蔵省に出向し大蔵事務官に任ぜられる。長年、法務省委嘱保護司をつとめる。
品川区議会議員待遇者会長 社団法人日本伝統俳句協会顧問 (財)全日本伝統俳句協会顧問 (財)東京都剣道道場連盟副会長 NPO欅センター理事長 誠芳館館長
羽賀忠利 はが ただとし
大正6年(1917)、広島県生まれ。昭和7年、上京し(旧制)国士舘中学に入学。12年、国士舘専門学校に進み、斎村五郎をはじめ、小野十生、岡野亦一、小城満睦、小川忠太郎、大島治喜太などの指導を受ける。同校卒業後、国士舘中学、中野学園中学、芝商業などで指導。太平洋戦争が始まり、予科練の剣道教師として三重海軍航空隊に奉職。昭和28年、静岡県警察本部に入り、49年まで剣道師範を務める。全日本剣道連盟、全日本剣道道場連盟、静岡県剣道連盟などの役員を歴任。静岡県警剣道名誉師範。44年、剣道八段、50年、範士。52年、居合道八段、59年、範士。
石原忠美 いしはら ただよし
大正5年(1916)岡山県生まれ。大日本武徳会武道専門学校本科卒業。旧制豊中中学校教諭を経て、岡山県警に奉職。第5回全日本都道府県対抗のほか全日本選手権、全日本東西対抗、八段選抜などに出場。全日本剣道連盟相談役。岡山県剣道連盟名誉会長。岡山県警察剣道名誉師範。剣道範士。著書に、『円相の風光』(共著)『活人剣・殺人剣と人間形成』(いずれも体育とスポーツ出版社刊)がある。
井上義彦 いのうえ よしひこ
昭和3年(1928)兵庫県生まれ。剣道範士八段。小学校の頃より剣道をはじめ、神戸市立第一神南商業学校時代に松本敏夫範士九段および喜多川義晃範士の指導を受ける。昭和19年には三重海軍飛行隊に入隊。20年に復員。30年より大阪拘置所法務事務官、看守を拝命。このときに西善延範士九段の門下生となる。その後京都拘置所の特別警備隊長を経て、静岡県警察術科指導監として58年まで勤める。現在、静岡県警察名誉師範、静岡県剣道連盟顧問相談役、知恩剣修館館長、焼津市剣道連盟最高顧問、全日本剣道連盟審議員、駿遠三菱自動車販売株式会社取締役。
著書に、『剣道清談』『剣道清談2』『剣道清談3』(体育とスポーツ出版社)、『にっぽん人の心を磨く本』(ベースボール・マガジン社)がある。
森島健男 もりしま たてお
大正11年(1922)熊本県生まれ。国士舘専門学校から警視庁に奉職。全日本剣道連盟創立20周年記念全国選抜八段戦優勝。全剣連前副会長。警視庁名誉師範。元警察大学校教授。明治大学剣道部師範。現在、全剣連相談役。剣道範士。
児嶋 克 こじま まさる
大正13年(1924)鹿児島県串木野市に生まれる。旧制伊集院中学にて遠矢良将に剣道を学び、日本体育専門学校(現日本体育大学)では森正純、中倉清らに指導を受ける。昭和19年9月に繰り上げ卒業し、四国・高松の幹部候補学校に入校、そこで終戦を迎える。戦後は船舶会社に勤務し、かたわら県警師範を拝命した中倉に就いて剣道修行に励む。また日体専時代に三菱の企業人である江頭一雄(中山博道門下・長谷川英信流)から手ほどきを受けた居合の稽古もつづけ、平成11年に居合道範士九段を授与される。全剣連居合道委員会委員長ほか鹿児島、全日本の剣連役員を歴任。全日本東西対抗、七段選抜(準優勝)、明治村、国体、全日本都道府県対抗(昭和43年優勝)など各種大会出場の戦歴を有し、明治村大会は第一回大会から連続11回出場(第5回大会準優勝、3位1回)を果たしている。昭和51年剣道八段、同年範士。誠道館館長。全日本剣道連盟相談役。
藤野圭江 ふじの たまえ
昭和18年(1943)東京杉並に、剣道専門道場 大義塾 初代塾長 中村藤吉の娘として生まれる。
大義塾世田谷支部の指導者を務め、子供たちや、お母さんたちの稽古「母剣」などを指導している。
全日本女子剣道選手権大会 準優勝
全国家庭婦人剣道大会 優秀
全日本剣道連盟 剣道教士七段
大沢万治 おおさわ まんじ
大正7年(1918)岩手県浄法寺町に生まれる(小田島富茂と命名される)。昭和11年、岩手県盛岡農林学校獣医学科に入学。14年、農林省馬政局に勤務。15年、陸軍に入隊。21年、獣医院を開業。25年、大沢家の婿養子、大沢富茂となる。26年、岩手県農業共済組合連合会技師として勤務。38年、家業である製材業に従事し、45年、家督を相続、「大沢万治」を襲名。51年、製材業を閉じ、株式会社大万を設立、取締役相談役に就任し現在に至る。現在、財団法人全日本弓道連盟審議会委員。弓道範士十段(十段位は、全国でも4名のみ)。60年、文部大臣表彰(体育功労)受章 63年、勲五等瑞宝章受章
池田正一郎 いけだ しょういちろう
大正2年(1913)兵庫県武庫郡御影町に生まれる。昭和7年、大阪箕面の梅路見鸞武禅道場に入門。二人のみだった内弟子の一人として師・梅路見鸞に仕える。京都大学文学部卒。中国文学語学専攻。東京大学大学院在籍。応召。太平洋戦争にプロパガンダに編入、ジャワに上陸、その後、東南亜各地転戦。22年夏帰国。新制中学、高等学校に勤める。退職後、自宅道場内で弓道指導に励む。かつて海老名市文化財保護委員、市史編纂審議会長、環境保全審議会長、相模国分寺跡保存整備委員などをつとめ、現在は海老名市弓道協会会長。
著書:『神奈川県文学資料漢文篇』(共著)『からこだ明神考』『幕末の国分村』『古文書用語事典』『江戸時代用語考証事典』『古文書用字用語大事典』『古文書のたのしみ』『日本災変通志』以上(新人物往来社)、他に『パゴダの丘に坐して』『射』『弓道四方山噺』などがある。
浦上博子 うらかみ ひろこ
大正11年(1922)生まれ。兵庫県出身。弓道範士九段。神戸女学院専門学校卒業。7歳より父・岡崎清二郎教士七段の手ほどきを受け、結婚後は夫の父・浦上栄範士十段に日置流印西派を学ぶ。全日本弓道連盟審議委員会委員、同指導普及対策委員会委員、女子部委員会委員長、東京都第二地区弓道連盟会長などを歴任。現在は審議委員会委員。著書に『初心者のための弓道』(成美堂出版)『型の完成にむかって』(言叢社)がある。
リアム・オブライエン Liam O'Brien
昭和21年(1946)イギリスに生まれる。
45年、オイゲン・へリゲル著の『弓と禅』を読んだことが日本との出合いとなる。
46年来日、47年1月 弓道入門(東京)、8月 鎌倉弓友会に入会 武田行雄範士の指導を受ける。49年6月弓道四段認許、9 月帰英、ロンドンで弓道グループを結成。59年9月再来日、兵庫県芦屋弓道協会に入門。竹内修範士に師事、修練を続ける。平成3年10月帰英、ロンドン弓道協会を結成。
弓道教士七段 国際弓道連盟副会長
英国弓道連盟会長
岡﨑廣志 おかざき ひろし
昭和15年(1940)山形県米沢生まれ。
全日本弓道選手権大会(天皇賜杯)優勝3回(昭和57年、60年、62年)
全日本弓道選手権大会 最高得点賞2回(昭和61年、平成2年)
全日本弓道連盟 範士八段(号 無争)
全日本弓道連盟 業務執行理事
東北弓道連盟連合会 会長
山形県弓道連盟 会長
手型別誂専門店 岡崎弓具店 店主
澤田花江 さわだ はなえ
大正5年(1916)生まれ。香川県出身。生家が剣道家の家柄であったため、幼少より剣道を学ぶ。昭和9年、大日本武徳会薙刀術教員養成所に入り、12年同研究科修了。京都や兵庫、大阪の高等女学校で嘱託としてなぎなたの指導にあたる。戦後は、なぎなたの復興に尽力し、昭和30年、全日本なぎなた連盟の結成にも大きな貢献を果たす。常任理事就任、連盟参与、審査員を務める。41年より7年間にわたり私立葛生高校(栃木 現・青藍泰斗高校)でなぎなた講師を務める。52年、範士称号を授与される。以降さまざまな団体より功労賞を受賞。
松尾綾子 まつお あやこ
大正15年(1926)香川県生まれ。昭和18年、香川県立木田高等女学校卒業。19年、京都女子武道師範養成所天道義塾卒業。山口県立宇部高等女学校、宇部商業高等学校なぎなた講師となる。30年、香川県なぎなた連盟結成に参画。同理事長、全日本なぎなた連盟理事などを歴任。現在、全日本なぎなた連盟審議員、参与、香川県なぎなた連盟副会長。なぎなた範士。
池嶋和子 いけしま かずこ
昭和2年(1927)大阪府生まれ。19年黒山高等女学校卒業。20年、大日本武徳会薙刀術教員養成所修了。以後、多くの高校でなぎなたを指導。
35年、36年全日本なぎなた選手権2連覇。
日本体育協会上級コーチ。全日本なぎなた連盟参与・審査員。なぎなた範士。