「ほらね!」とやってみせる
面白い、楽しいで人を元気に
ほぼ日代表 糸井 重里
VS UK実践塾 宇城 憲治
社長業をやっていると、入りの数字と出の数字だけを
注目されるのですが、本体は「間のところ」なんだなと。
プロセス自体に「生き生きとしたものがあるかどうか」なんです。
正しい道がどうのこうのと言うつもりは全然なくて、
「人を生かしてくれる」とか「元気づけてくれる」とか、
そういうもののほうに寄っていきたいんですよね。
70年代にコピーライターとしてデビューして以来、誰もが知る数々のコピーを大ヒットさせ、作詞やゲーム制作など多岐にわたる分野でも活躍してきた糸井重里氏。
2017年にはウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営する株式会社ほぼ日の上場を果たし、「ほぼ日手帳」をはじめ、「人に会おう、話を聞こう。」をコンセプトにした動画配信サービス「ほぼ日の學校」やAR地球儀「ほぼ日のアースボール」、お買い物のフェス「生活のたのしみ展」など、ユニークなコンテンツを次々に展開してきた。
その原動力は、常に自分も人も「面白い、楽しい、元気になる」コンテンツを実践すること。
対談では、武道家としての道を歩みながら、同じく上場企業で活躍してきた宇城氏と、トップとしてのあり方、これからの思いなど、縦横に語り合っていただいた。
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夢中であれば苦労にならない
宇城 本日はお忙しい中ありがとうございます。先ほど、ほぼ日神田ビルに着いて玄関に入り外来者用インターフォンを見ていたら、社員と思われる方が通りすぎて、振り返って笑顔でドアを開けてくださり「受付は2階ですよ」と。まさに「職場は一将の影なり」で、現場を見ればそこのトップがよく分かる。雰囲気が違うなと思いました。
世界の情勢が飛び出る「地球儀」や「面白い、楽しい、元気になる」を会社にしたいという糸井社長の思いがすべてにつながっているんだろうなと思いました。
糸井 本当ですか。とても嬉しいです。自分のことではなく社内の誰かが褒められることほど嬉しいことはないですよ(笑)。
これまで宇城さんが対談された方が僕の好きな人ばかりだったので、取材をついつい引き受けてしまいました(笑)。実は以前、宇城さんの池袋での講演会に見学に行かせていただいたことがあるんですよ。
宇城 そうだったんですか。あの当時は上場グループ企業の社長をやっていました。
糸井 武道から一度も離れずに一貫して社長をやっていらしたのですよね。武道と同時に経営もされていると聞き、とんでもない人がいるのだなと(笑)。僕自身も20数年間会社をやってきて、何とかつぶれなかったから大丈夫だったかなという感じですが、社長業って大変ですよね。
宇城 そうですね。当時日本以外にもマレーシアや中国(深?・広州)、台湾にも工場があり、技術関係ではアメリカシリコンバレーでの共同開発など、ほとんどホテル暮らしでした。家では母子家庭と言われていました(笑)。
糸井 専門は理科系の技術だったのですか?
宇城 基本はそうですが、何でもやっていました。イリジウム衛星携帯電話の開発では電源部門の開発本部長をさせてもらいました。当時は「1日に何時間寝たか」ではなくて、「1週間に何時間寝たか」という時代でした。日本では技術力が先頭に立って世界に向けて右肩上がりになっている時だったのではないですかね。当時はとにかく「できるまでやる」という時代でした。
糸井 修業だと思ってやっていらしたんでしょう?
宇城 何でもそうですが達成感の魅力ですかね。だから山が高ければ高いほど苦労もあるけれど、夢中になるという面白さがあり、それで走っていける。
糸井 答えが見えた時の嬉しさというか、今まで閉じこもって考えていたものがパーンと開ける時の嬉しさですよね。たぶん宇城さんはそれをきっと何度も体験されて気持ちが良くなったんだなと(笑)。
宇城 まさに、そうですね。なんかアドレナリンが出るんでしょうね(笑)。
糸井 よく僕も「なんでそういうことをするんですか」と質問されるのですが、「やりたいからやってるんじゃないですか」と(笑)。それにかなう答えはないんじゃないかなと思います。いやあ、それにしても1週間に5、6時間の睡眠ですか、すごい話ですね(笑)。
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●プロフィール
◎ いとい しげさと
ほぼ日代表。
コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作など多岐に渡る分野で活躍。1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げ2017年には株式上場を果たす。
サイトでは、さまざまな方へのインタビューやコラムなどあらゆるコンテンツが無料で楽しめるほか、「ほぼ日手帳」「ほぼ日のアースボール」といった生活関連商品の開発・企画や、買い物を中心としたイベント「生活のたのしみ展」の開催など、活動は多岐にわたる。
◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在力を気づかせる活動を展開中。「気」による「不可能が可能となる体験」は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手実践塾、道塾、教師塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長
大丈夫! 湧き上がるものを信じて生きる
東ティモールの人たちが教えてくれたこと
映画監督 広田 奈津子
命がワクワクすることは、
私たちの人生に必要不可欠なことであり、
同時に世界に必要不可欠なこと。
何かを恐れて蓋をして、
自分の内側から湧き起こるものを
無視していくのではなく、
困難が見えても大丈夫だと行動できる勇気を
この映画から得てもらえたらいいなと思っています。
「ねぇ仲間たち、ねぇ大人たち、僕らの過ちを大地は知っているよ」
広田奈津子さんが23歳で初めて東ティモールに行った時、素敵なメロディーに乗って聞こえてきたのが、ある青年によるこの歌だった。
インドネシアから主権を取り戻すまでの24年間、あらゆる攻撃・拷問にさらされ国民の3人に1人は亡くなるという苦難を経た人々が言う「過ち」とは?
この歌が耳から離れなくなった広田さんは、その後何度も現地を訪れ、人々と共に暮らし、少しずつ言葉の本当の意味に触れていった。深い悲しみを抱きながらも、誰かを排除するのではなく「私とあなたは同じ」と伝えながら、明るくたくましく生きる東ティモールの人々の姿を描きたいと映画制作を決意する。
広田さんの東ティモールの人々との出会いや想い、現地の人や映画製作から得た様々な「生きる」エネルギーについて語っていただいた。
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大地を母と呼ぶ人たちを求めて
―― 広田監督の映画『カンタ!ティモール』を拝見し東ティモールの苦難の歴史を知り、また日本が大きくその占領に加担していたことも知りました。映画のどのシーンも見逃せず、引き込まれました。本日は広田監督がなぜこの映画を制作するに至ったかについて聞かせていただければと思ってまいりました。よろしくお願いいたします。
広田 こちらこそ、よろしくお願いします。
私が10歳の頃に宅地開発で家の周りの雑木林が更地になっていくのを見て、ものすごい衝撃を受けたのです。普段は優しい周りの大人たちが、その雑木林に棲むタヌキやイタチなどに一言の挨拶もなく、ブルドーザーで更地にして、道にしたり商業施設にしたりして「便利になって良かった」と言っている。私たち人間とタヌキの子どもたちとの境目って何なのだろうと思ったのです。
―― それが広田監督に原点としてずっとあったわけですね。
広田 はい。その違和感というか、もやもやが原点だと思います。そして高校を出てすぐの頃に、『父は空 母は大地』(寮美千子訳)という、北米先住民の首長がアメリカ政府に対して行なったスピーチが絵本になったものを本屋で見つけ、ちょっと読んだら、雷に撃たれたような衝撃を受けたのです。
大地を母と呼び、そこに生きる生き物たちを兄姉と呼んで、知恵を分かち合って生きてきた人たちがいることを初めて知り、涙が止まらなくなった。「これは行かなきゃ」と思い、大学在学中にその一冊を持ってカナダに行きました。
そこで出会った先住民のおじいさんに、「我々だけじゃなくて日本国内にも
環太平洋にも、大地を母と呼ぶ人たちが今も生きているから、会いに行きなさい」と言われ、その言葉を胸にお金が貯まればアジアやポリネシア、日本国内を回るうちに、東ティモール独立の噂を聞いたのが大学4年生の頃でした。
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●プロフィール
◎ ひろた なつこ
1979年愛知県生まれ。南山大学スペイン語科卒。10代の頃にアメリカ大陸先住民との縁から環太平洋の先住民に関心を寄せるうちに、東ティモールに出合う。2002年に同国を訪れ、アレックスの歌を耳にする。2003年、再びアレックスに会い、彼の歌を追いかけた旅が初作品の映画『カンタ!ティモール』となった。
子どもたちが楽しく健やかに生きるために
私たち大人ができること
東京大学名誉教授/日本保育学会理事 汐見 稔幸
さまざまな社会の中で生きて働く力は、
実は答えが決まっていない問題に
適切に対応していく力なんです。
偶然起こることに対して
「どうしようか」と常に考えること。
場合によってはこの偶然起こることが
面白いと考えて答えを作っていく。
そういうことが生きる能力だと思っているんです。
それが人の生き方を豊かにしていきますね。
長年、教育と保育の研究に携わり、保育の本質について様々なセミナーや講演会・講習会を行なってきた汐見稔幸先生。現在は、八世代先を見据えた子どもたちの魂が輝く学校づくりを目指し、前島由美氏とともに、一般社団法人グランド・マザーの共同代表としても活動している。
昨今子どもの自死が増えるなか、日本の教育の問題点や、変えていくべきことは何か、また生き生きとした子どもの学びを守り応援していくために、自然がどれだけ大切かなど、多岐にわたりお話を伺った。
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知識だけで行動につながらない
今の教育
―― 本日はよろしくお願いいたします。9月に発刊した前島由美さんの著書『輝きを取り戻す思春期の子どもたち』では、子どもたちの存在を丸ごと受け止め大人が変わることで互いに幸せに暮らしていける前島さんの取り組みについて、汐見先生にご寄稿いただきました。ありがとうございました。
子どもを取り巻く環境は年々厳しくなっているような気がします。今日は先生に現状を踏まえ、私たち大人が考えねばいけないことをいろいろお伺いしたいと思います。
汐見 今の日本の子どもたちが、昨年(2023年)では小・中・高校生だけで500人ぐらいが自死していて、コロナ前より確実に増えてしまいましたが、その背景に、小学生でも15%ぐらいが鬱の症状を示しているという研究があって、これはすごい数字だと思うんです。高校生ぐらいになると3割近くにもなるのですが、子どもの鬱の後ろには、シングルのお母さんが鬱になっているということがある。つまり家族の問題が大きいのですね。
これは日本の社会が抱えた一つの闇と言えますね。大事なのは日本社会全体が「生きるってやっぱりいいな」というように、小さな幸せを感じることだと思うのです。そういうところから外された人たちが少しずつ増えていき、そこに手が回らないのが今の社会だという感じがしてなりません。
日本の社会全体から、お互いに上手に支え合って楽しみ合って生きていくという小さな文化がだんだん無くなっている。そのことと子どもの幸せ度はつながっていると思うのです。
ユニセフによる子どもの幸せ度調査で、日本の子どもは38ヵ国中37位でした。これは子どもだけが不幸せなのではなくて、日本社会が「生きているといいね~」と思えるような文化なり環境なりを上手く作れていないために、それが子どもに出てきているということです。
それに加えて日本の教育がなかなか変わらないという問題があります。正しい知識をたくさん覚えて、それをあとで試験でどれくらい再現できるかを競ってきたのが20世紀型の教育ですよ。ところが社会が激しいペースで変化していくなかで、その社会に出た時に学校で学んだことがほとんど活きなくなっている。日本の教育では「知っている」というところまでやるのだけど、それに基づいて「行動しなさいよ」というところまでは教育しないのです。
つまり環境問題があることは知っていても、それを解決するためにどういう行動ができるかというところまでは教育しない。頭の中には知識が間借りしていても、それが行動につながり、自分の人生を豊かにするというふうにならないんですね。
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●プロフィール
◎ しおみ としゆき
1947年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒、同大学院博士課程修了。
一般社団法人家族・保育デザイン研究所 代表理事
東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長・全国保育士養成協議会会長・日本保育学会理事(前会長)専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。初代イクメン。父親の育児参加を呼びかけた「父子手帳」の著者。ユーモラスでわかりやすい語り口の講演は定評があり、保育者による本音の交流雑誌『エデュカーレ』編集長や持続可能性をキーワードとする保育者のための学びの場『ぐうたら村』の村長でもある。NHK E‐テレ『すくすく子育て』などメディアへの出演も多数。『エデュカーレ』責任編集者。著書は『学校ってなに?』(河出書房新社)、『新時代の保育のキーワード 乳幼児の学びを未来につなぐ 12 講』(小学館)『見直そう! 0・1・2歳児保育 教えて!汐見先生 マンガでわかる「保育の今、これから」』(Gakken)など、多数。
◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』
「生きるエネルギーを高める」
怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。
◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。
◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』
「つながりでつくる子どもたちの未来」
今秋の前島氏の著作第二弾『輝きを取り戻す思春期の子供たち』発刊を機に、今回は事例をお休みして、ゆめの森こども園の開園から10年にわたる実践と、全国オーガニック給食の活動から見えてきた展望を詳しく伝えていただいた。
◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。
◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』
「日本最北端へ還暦自転車旅」
ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。
◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。
◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』
「つながりの中の儚い地球」
生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。
◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。
◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』
「最強ペルー旅」
世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。
◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。
◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』
「これからの翔子の仕事 ―― 喫茶店を開きます」
ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。
◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。
◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』
「きっと全てが大丈夫」
人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。
◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。古民家を中心とした「モナの森」で、生きる力を強くするための活動を行なう。
◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』
「川崎ダルク家族会手記 依存症者本人に振り回されず、自分の人生を生きる」
薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設を回り責任者やスタッフを育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、入寮者が回復に向かっていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。
◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。
◆UK実践塾代表 宇城憲治
連載『気づく気づかせる』
「人間の可能性の不思議 ― 無から有を生む ―」
最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。
◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長
20年以上前、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のあるコーナーに宇城先生の『武道の原点』の紹介記事を送ったところ、糸井さんより即採用OKを頂き感動したのを覚えています。そして今回、当時糸井さんが宇城先生の講演会にいらしていたことを知り、またまた感動です。対談当日は、午前中に汐見先生の会見があったのですが、汐見先生がお話のなかで「不思議、大好き!」という言葉に触れていて、それがまさに午後取材する糸井さんのコピーだったので、またまた感動してしまいました。
糸井さんの常にニコニコと気さくに何に対しても面白がられるご様子に、お話を聞く私たちまでもが愉快で笑顔に。素敵な糸井さんワールドを体験させて頂きました。
汐見先生のお話には、子どもたちの臨場感たっぷりの会話がちりばめられています。先生はご自身でも育児を体験された「初代イクメン」だそうですが、ご家庭だけでなく、たくさんの保育現場で子供たちと触れ合ってこられたからこそと納得です。突然降って来る先生のジョークは最高でした。
広田監督が東ティモールに行くまでのドラマには、「やる!」が先にある底力を感じ、また一旦アレックスの思いや東ティモールでの体験の話になると、小さな身体から飛び出してくる情熱や想いに何度も涙しました。たくさんの方に監督の思いのつまった映画を見て頂きたいです。
(木村郁子)
インターネットにつなぐのに、「コロコロ~」というような音(若者には「なんのこっちゃ?」でしょうが説明しません)を聞いていた頃から、「ほぼ日」のサイトを覗きにいっていました。まさに「楽しそう、面白そう!」なことが次々に展開されていて、いつか忘れていてもふとまた訪問するサイトの一つでした。糸井重里さんはそこから伝わってくるままのお人で、とても自然体で好奇心いっぱい。生き方も実践も桁違いの宇城先生との対話は、2時間ではもの足りないと感じておられるのでは?と、思いめぐらせました。
『カンタ!ティモール』は山元加津子さんのメルマガで知って以来、ずっと観たいと思いつつ機会に恵まれませんでした。上映会の企画段階で上映DVDをお貸しくださると知り即、広田奈津子さんへの取材と上映会を同時に申し込んだのでした! この人のどこにそんなエネルギーが?と思ってしまうほど小柄で物腰やわらかい広田さん。湧き出る情熱に従えば、どんなことも大丈夫!を身をもって示してくださっています。
汐見稔幸先生の取材は本誌初のZoomとなりました。きっと子どもたちとたくさんお話してるんだろうな~とその様子を想像してしまう〝汐見節〟にほっこりしつつ、子どもの育つ環境が一歩ずつでも、その持って生まれた力を存分に発揮できるものになることを、改めて願ったのでした。
(千葉由利枝)