江戸に見る豊かな人間教育
今こそ身体の学びを子どもたちへ
中部大学フェロー
京都大学名誉教授/中部大学名誉教授 辻本 雅史
VS UK実践塾代表 宇城 憲治
長い日本の歴史のなかで、
100年余り前までは学校へ行かないのが普通だったと考えたなら、
今の学校教育が当たり前だと思う理由はひとつもないのです。
今の教育を当たり前だと思わずに、
これからの時代をどう生きていくのか、
これからの子どもたちをどう育てていくのかを、
今もう一度リセットして考える時代が来ているのではないか。
それが、私がこの本で言いたかったことなのです。
長年、日本近世思想、とりわけ江戸時代の教育や思想文化を歴史的な観点から研究し、今の教育や社会に対し新しい視点を投げかけている辻本雅史教授。
辻本教授は、今の学校教育の在り方はすでに時代遅れだと指摘する。
江戸時代側から眺めると、教育分野だけでなく、人間の捉え方のスケールの違いが、今の社会や学校教育の行き詰まりに繋がっていることが浮かび上がってくる。
辻本教授には江戸時代の思想や文化の視点から、宇城氏には時代が生んだ武術の極意「戦わずして勝つ」の在り方から、今何を失い、何を取り戻し、何を考え直していくべきなのか、忌憚なく語り合っていただいた。
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時代遅れとなった現代の学校教育
宇城 私は関西圏から集まった中学校、高校の教員の有志を対象に、人間の潜在能力を実践実証で“気づかせる、気づく”という「教師塾」を2年くらいやっているのですが、今、学校は荒れていますね。ある高校はクラスの半分が不登校だと言います。そういうことがなぜ起きるのか。先生の新刊『江戸の学びと思想家たち』(岩波新書)を読むと歴史的背景からも学校とは、指導とは、がよく分かります。
ちょうどこのタイミングで、先生の本から今の教育の課題や今後どうしていったらよいかについて、三つのテーマで考えてみました。
ご著書で「思想は虚空に突如として湧き上がるものではない、思想家たちの幼少期における『知のつくられかた』に着目して、子ども期に何をどのように学んだのか、その学びの在り方を重視する」とされていますね。まさにその通りだと思いました。
それと「明治時代の教養主義は身体性を伴った『型』が入る余地はなかった。その結果、江戸時代の知識人の『型』を今単純に復活することは現実的ではないだろう。しかし、その型に代わるよりどころは何か。価値の根拠をどこに求めればよいのか。それが問われている」とありました。まさに先生が述べられている「テキストの身体化」という型の存在について。
そして三つ目が「近代の終焉の知の行方。学校の機能不全。学校が培ってきた近代の知そのものがすでに歴史的に不適合を起こしていることを示唆しているのではないか」という点です。
辻本 そうですね。今の学校教育はもう時代に合わなくなってきていると私は考えています。私は歴史研究者ですから、歴史的にものを見る習慣があります。また江戸時代が専門ですから、江戸時代の側からものを考える癖があり、その時に新たに見えてくるものがあります。
私たちは、子どもの頃から学校へ行くのが当たり前だと思っていますし、行かないほうがむしろおかしいと思いがちですね。ですから「なぜ学校へ行かない子がいるのか」「なぜ学級崩壊になるの」という疑問を持ってしまいます。
しかし歴史的に言えば、この今の「学校教育」のシステムができてからまだ100年ちょっとしか経っていないのです。実際、近代の学制は1872(明治5)年に始まりましたから、150年ほど経っているのですが、すぐに学校教育が普及したわけではありません。誰もが当たり前に学校に行くようになったのは、義務教育が無償化された1900(明治33)年頃からなので、実際はまだ100年ちょっとしか経っていないのです。
長い日本の歴史のなかで、100年ちょっと前まで学校へ行かないのがむしろ普通だったと考えたら、今の学校教育が当たり前だと思う理由は、ひとつもないのです。むしろ人類の長い長い歴史から見た時に、私に言わせれば、明治以降の100年余りは、ちょっと異常な時代、むしろ例外的な時代だったように思われて仕方ありません。
ではどうすればよいのか。これだけ高度な社会になっている以上、子ども期に学ぶ学校をすべてなくすわけにはいきません。今私たちは、とても便利な社会に生きています。今の便利な世の中は、もともとヨーロッパが生み出した近代科学にもとづくテクノロジーの発展が大きく貢献しています。この豊かな物質文明の社会で生きていくためには、一定の知識や能力が必要で、誰もがそれを学ぶ必要があります。そのためには学校教育が欠かせないでしょう。今さら江戸時代の教育に戻せということはできません。それでは、歴史に逆行することになります。
要するに、今の学校が、人類の教育における理想的で普遍的な姿と考えるのはやめよう。逆に、近代学校によって見えなくなった子どもの成長に欠かせないものに目を向けて、これからの時代を生きていく子どもたちをどのように育てていくのか、それを学校の枠にとらわれず、新たに考える時代が来ているのではないか、それが私がこの本で言いたかったことなのです。
明治以後の学校教育に対する疑問は、前々から抱いていたのですが、最近はあえて「学校教育は時代遅れになった」と言うことにしています。学校教育は、近代化のためにはきわめて有効に働きました。それは世界史上の事実です。学校教育抜きに近代化は語れません。
しかし近代は、今や飽和状態。たとえば近代の象徴でもある産業化や都市化の進展が、地球の持続を困難にしています。今はモノを作る産業より、デジタルを中心とした情報中心の社会。つまり「近代」を越えて、近代以後の時代に入っていると言えます。近代化に欠かせなかった学校教育も、以前と同じままで通用するはずがないのです。時代に合わなくなったから、子どもたちが学校教育からこぼれ落ちている。文科省や教育委員会は、そのこぼれ落ちていく子どもたちを元に戻そうと四苦八苦していますが、それは歴史の大きな流れから見ると違うのではないか、そう私は思います。
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●プロフィール
◎ つじもと まさし
昭和24年(1949)愛媛県生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。文学博士。京都大学、国立台湾大学、中部大学などの各教授を経て、現在中部大学フェロー、京都大学名誉教授、中部大学名誉教授。専攻、日本思想史、教育史。
著書『近世教育思想史の研究――日本における「公教育」思想の源流』(思文閣出版)、『「学び」の復権――模倣と習熟』(角川書店、岩波現代文庫・改訂)、『教育を「江戸」から考える――学び・身体・メディア』(日本放送出版協会)、『江戸の学びと思想家たち』(岩波新書)など多数。
◎ うしろ けんじ
1949年、宮崎県生まれ。
エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍する一方で武道修行を積み、文武両道の生き様と、武術の究極「気」による指導で、人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。「気」によって体験する不可能が可能となる体験は、目に見えないものを信じられない人にも気づきを与えるとともに、人間本来の自信と謙虚さを取り戻すきっかけとなっている。
空手塾、道塾、教師塾、野球塾、企業・学校講演などで「気づく・気づかせる」指導を展開中。
㈱UK実践塾 代表取締役
創心館空手道 範士九段
全剣連居合道 教士七段
宇城塾総本部道場 創心館館長
成長路線を降り、人間本来の豊かな暮らしへ
減速する生き方の提案
NPO法人SOSA Project代表 髙坂 勝
それまで私たちは、
より大きく、より速く、より効率的に、もっと稼げ、
というように駆り立てられてきたけど、
もっと小さく、もっとゆっくり、
たいして稼がなくていいんだと気づいたのです。
「ダウンシフト」という言葉がある。それは、経済成長主義から降りて自分が望む幸せと安心の価値に戻り、自立して人と分かち合うことで充足を得るという生き方。髙坂勝さんはまさにその先駆け的存在だ。
ひたすら成長を目指した企業戦士時代の苦しい体験を経て、髙坂さんが辿りついたのが、必要以上に稼がず、食べ物を自給しながら自分の時間を生きるライフスタイル。
髙坂さんは現在、SOSA Projectを運営し、千葉県匝瑳市で米と大豆を自給しながら、半農半Xを求める人や匝瑳市に移住してくる人たちをサポート。多くの人に成長路線とは異なる、新しい生き方を提唱している。
髙坂さんの今に至る活動や今後の展望を伺った。
(※半農半Xとは、半分を食の自給、半分を天命なるナリワイ=Xを持つ生き方のこと)
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世の中の逆をやればいいんだ!
―― 髙坂さんのご著書を読ませていただきました。辛い体験を経て辿りついた生き方だからこそ、多くの人の心に響いたのだと思いました。
髙坂 私もいい大学に入り、就職もほどほどいい所(大手小売企業)を見つけ、がむしゃらに仕事をして、いいお給料をもらいたい、いい服着たい、モテたいというように月並みな欲望の下で頑張っていました。就職したのが1994年で、ちょうどバブルがはじけて1年目くらいでした。
小売業というのは消費の最前線ですから、物を売ってなんぼの世界なので、必ず前年対比110パーセントにせよとくる。昨年500万だったら今年は550万が目標だというように。でも今年のトレンドが終わっている売り場だと、その6掛けの300万くらいにしかならない。それなのに550万という目標がくる。
もちろん売り上げを達成すれば評価はしてくれます。しかし私は次第に「バブルがはじけて売れなくなっていく時代に110パーセントはおかしいよね」と思うようになったのです。ただ当時は疑問に思いながらも、努力、忍耐で乗り越え勝ち抜いていくのだと言い聞かせ、走り切れたのです。
ですから97年には同期ではトップクラスで異動し、初めて役職もつきました。すると今度は部下も見なければならない。部下を見ながら、売り場全体を考えながら、さらに年間売り上げを考えながら、直属の上司が休みの時は自分が会議に出たりしながらやらなければならなくなった。
それまでは自分の成績を上げることだけに集中すればよかったのが、それができなくなっていく。ただでさえ売り上げが落ちていくなか、売り場をどう見せていくかとか、部下をどう育てるかとか、そういうなかで、かつては売上がトップだったのに、平均すら取れなくなっていったのです。
周りから期待されているので、その期待に応えたい、他人に評価されたい自分がいる。でも自分がそれに追い付けなくて、そのジレンマで、気づくと電車が来ると「飛び込みたいな」という感じになるまで追い込まれていきました。
「このままいったら俺は壊れてしまう」と思い、辞めるならかっこよく辞めようと、「夢だったバーをやりたいから辞めます」と言ったのです。「あいつ出世コースにいるのにバーをやるんだ、カッコいいな」みたいに(笑)。でも実はもうボロボロでした。
それでバーをやるための修行に金沢に行きました。友達がいると遊んでしまうので、誰もいない金沢で、3、4店舗でフリーターをしながら料理を学びました。
―― 確か金沢に行く前に世界中を放浪されたのですね。
髙坂 そうです。会社を辞めてから一年間、野宿などをしながら日本中をめぐり、世界はピースボートで旅をして回りました。
ある時、鹿児島の開聞岳に登り、降りて来たらそこが桜並木で、桜がすごくきれいに舞っていたのです。その幻想的な光景に「なんだこの美しさは」と、後ろを振り向くと、桜並木の真ん中に開聞岳があった。
それまで私たちは「より大きく、より速く、より多く、より効率的に、もっと稼げ」というように駆り立てられてきたのですが、その時の自分にぱっと降りてきたんです。「そうか。世の中の逆をやればいいんだ! もっと大きくではなく、もっと小さく、もっと速くじゃなくもっとゆっくり、もっと多くじゃなく最小限で、より儲けろじゃなく、たいして稼がなくていい」と。
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●プロフィール
◎ こうさか まさる
1970年、横浜生まれ。大卒後に勤めた大手企業を30歳で退社。地球ひとまわりと日本各地の旅を経た後、金沢で料理を学ぶ傍ら、イラク戦争を機に様々な社会的アクションを始める。
2004年、池袋に、ひとりで営む6.6坪の小さな店、Organic Bar「たまにはTSUKIでも眺めましょ」をオープン。2009年より千葉にて米と大豆を自給。
その後、自給自立がテーマのNPO法人SOSA Project を創設運営し、今に至る。
2012年参議院選では、緑の党 Greens Japan が発足、その初代共同代表を務めた。経済成長主義からの脱却を促す《脱成長ミーティング》を主宰する。繁盛させない二つの宿「古民農泊Re」と「Lazy Farmer's Inn月」を営み、暮らせる分以上を稼がない生き方を実践。関東学院大学非常勤講師などでそうした経営や経済を伝える。
著書『減速して自由に生きる ダウンシフターズ』『次の時代を先に生きる』(筑摩書房)
SOSA Project
https://sosaproject.net/
地球の未来に思いを馳せる
自然をまとう いのちの服作り
「うさとの服」デザイナー さとう うさぶろう
自然そのものをまとうと自分が自然の一部だと
気づくのではないかと思っているのです。
その気づきが未来に続く地球への気づきに
つながってほしいと願っています。
ヨーロッパの華やかなファッション業界でデザイナーとして活躍していた、さとう うさぶろうさんは、約30年前、ある出来事をきっかけに、それまでの服作りのあり方を一変させ、自然を壊さず生態系をおびやかさない、シルクや綿、麻などの自然素材だけを草木で染めた「いのちの服」を作り始めるようになる。
手つむぎ手織りといった、人の手の力がこもったエネルギーある布は、それをまとった人に自然のエネルギーを感じさせる力があるという。
一人でも多くの人にそのエネルギーを感じてもらい、今悲鳴を上げている地球の課題に気づいてほしいと語るうさぶろうさんに、「いのちの服作り」にかける思いを伺った。
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水と土と山の力を保育の土台に
―― 子どもたちは山での保育の中でどんな変化があったでしょうか。
近藤 初年度から姿は変わるのですが、やはり積み重ねたものが見えてきています。歩き始めが1歳児で、2歳児だと歩いたり走ったりまあまあしますが、昨年2歳児は、3月に山の8合目まで行き、今年の2歳児は、この時期(9月)ですでに頂上まで行っている。半年くらい早い。みんなぜんぜん疲れていない。普通は降りる時に、遊び過ぎるとぐずぐずになるので遊びを手加減するのですが、そのぐずぐずがない。これはやはり、ゼロ歳児からの積み重ねなんですよ。
ゼロ歳の時にどう過ごしたかがずっと影響を与えるのです。自然の中に出ていく保育がちょうど4年目で、私もやりたいことができ始めて2年目くらい。今のゼロ歳児が育った時に、本当に理想の保育ができているのではないかと思います。
―― 泥の上でハイハイして遊んでいるゼロ歳児や、山を這って登る1歳児は、きっとぜんぜん違うように育つと思いました。
近藤 これは考え方的に言うといろんな説があるのですが、脳の体性感覚野が1歳半である程度完成するという話があって、私は1歳半はひとつの大きな節目、いろいろなことを乗り越えていくタイミングの年齢、つまり自我が芽生えるまでの積み重ねの時期だと思っています。肌感覚と体性感覚野は繋がっているんですね。体性感覚野で多くの場所をとっているのは手と口。それが完成する時期に最も豊かな経験をさせてあげられるとしたら、水と土だな、ということなのです。
土に対する考え方があって、私たちは土の栄養を野菜を介して摂っている。ヒマワリの種をその辺に置いても芽は出ませんが、土の中に入れて、そこに雨が降り太陽が照れば芽が出る。ここに何があるんだという。ここに生命エネルギーがあるはずで、それを触っていく、それを乳児の頃の感覚が育つ時に十分に経験することが最高の育て方になるだろうという考えです。
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●プロフィール
◎ さとう うさぶろう
1948年北海道生まれ。「うさとの服」デザイナー。東京で企業デザイナーを経験したのち、ベルギーの首都ブリュッセルでオートクチュールの創作に携わる。
42歳の時、ベルギーの自宅で不思議な声「このままでは地球がもたない。未来に続く地球にするために、あなたは何ができるのか」を聞き、自分という存在をいったん白紙にして、自分探しの旅に出る。
次第に物質主義、経済中心の世界に疑問を抱くようになり、共生する社会や持続する地球のための“いのちの服”作りを目指し、今度は布探しの旅に出る。
47歳の時に、タイのチェンマイでエネルギーの強いヘンプ(麻)と出合い、1996年、タイのチェンマイに移住し、“いのちの服”作りに着手する。
49歳の時に、NGOの活動家で染織の専門家でもあるソムヨットと出会い、2年後、ソムヨットがいるイサンの織の村を訪ね、共に仕事をするようになる。
手つむぎ、手織り、天然染の布に“宇宙の法則”をデザインし、自然をまとうような心地よい服を、「うさと」というブランド名とする。
現在は自然のエネルギーを感じることで、未来に続く地球への気づきを得てもらいたいと、展示販売会、オンラインショップでその思いを届けている。
京都・西陣にうさとの服の販売拠点となる「USAATO KYOTO」がある。
◆健康回復学研究所所長 工藤清敏
連載『塩から社会を見てみれば』
「痛み・痒み・痺れ ―― 症状は身体の知恵である」
怪我と病気をきっかけに、ミネラルバランスにすぐれた塩を摂る大切さを知り実践してきた工藤清敏さん。長年にわたる塩の研究と実績を土台に、自然治癒力の要が塩にあることを全国に伝え歩いている。
減塩が当たり前になっている今、人と塩の関係から見えてくる、さまざまな社会の矛盾や課題を見つめていきます。
◎ くどう きよとし
精神免疫学をページ・ベイリー博士に学び、心と体に最も優しい治療法を探求。生き方、考え方、言葉と塩と植物で生活習慣病が回復していくことを伝えている。
◆ゆめの森こども園代表 前島由美
連載『愛の関わりと連携で、輝きを取り戻す子どもたち』
「高校生の取り組みが社会と地球を救う」
療育支援施設「ゆめの森こども園」で、生き辛さを抱えている子どもたちに向き合う前島由美さん。愛情いっぱいの関わりと、親御さんや学校・地域と丁寧に連携によって本来の輝きを取り戻していく子どもたちの実例を紹介していきます。
今回は、現場での実践を積み重ねつつ、子どもたちの置かれている状況とその改善を全国講演で伝えている前島さんに、その広がりの実例と可能性を紹介していただく。
◎ まえじま ゆみ
療育支援施設ゆめの森こども園を開き「発達障害」とされる子どもたちをサポート。子どもの食環境改革を目指す。
◆写真家・ネイチャーガイド 安藤誠
連載『日常の奇跡』
「忍耐と飛翔」
ネイチャーガイドとして自然と向き合う安藤氏。
目に見えないものを見、声なき声を聞くプロフェッショナルとして、私たちが見過ごしている「日常の奇跡」を、一瞬を切り取った写真とともに届けます。
◎ あんどう まこと
写真家/ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドオーナー&ガイド
北海道アウトドアマスターガイド。
◆一般社団法人ハニーファーム代表 船橋康貴
連載『ミツバチが教えてくれること』
「『本当の自分』に寄り添って生きる」
ミツバチ絶滅の危機は人類滅亡の危機
私たちが生きていくための環境維持に欠かせないミツバチの存在を伝え、守ろうと東奔西走する船橋氏。
その活動の「今」を伝える。
◎ ふなはし やすき
養蜂家・環境活動家。
世界中で激減しているミツバチを守るために、環境のプロとして、ミツバチを使った「ハチ育」や町おこしなどを行なっている。
◆銀河浴写真家 佐々木隆
連載『私たちは銀河のなかに生きている』
「赤い月の奇跡」
生かされていることに気づけば、人生はもっと豊かになる。
銀河を舞台に生命の息吹を写しとる、佐々木隆氏の銀河浴写真。
◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。
◆写真家 野村哲也
連載『地球を歩く ~知られざる絶景を求めて~』
「究極の写真」
世界に飛び出し旅するからこそ見える、日本のこと、自分自身のこと。
秘境と絶景を求めて 150ヵ国以上を旅してきた写真家 野村哲也氏の連載。
◎ のむら てつや
写真家/高校時代から山岳地帯や野生動物を撮り始め、〝地球の息吹き〟をテーマに、アラスカ、アンデス、南極などの辺境地に被写体を求める。渡航先は150ヵ国以上で著書は14作。
◆作家 山元加津子
連載『ありのままの私たち』
「どんな時も、母はまるごと受け止めてくれた」
人と違っていても、障がいがあっても、人はみな素晴らしい力を持っている。
植物も動物も人間も、みんなでひとつの命を一緒に生きている――。
長く特別支援学校で子供たちと接してきた山元加津子さんが伝える、生きる上で大切なこと。
◎ やまもと かつこ
長年、特別支援学校の教員を務める。作家。植物状態と思われる人も回復する方法があり、思いを伝える方法があることを広める「白雪姫プロジェクト」を推進中。
◆書家 金澤泰子
連載『きょうも、いい日』
「命の平等と尊厳を信じさせてくれる翔子の存在」
ダウン症の書家として活躍し、また生活面でも独り立ちをはじめた娘、翔子さん。その成長の日々を、母金澤泰子氏が綴ります。
母娘の絆に、胸が熱くなります。
◎ かなざわ やすこ
書家。久が原書道教室主宰。
一人娘、翔子さんをダウン症児として授かり苦悩の日々を送るが、その苦しみを越えて、翔子さんを立派な書家として育て上げた。
◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁
連載『今日一日を生きる』
「外国人を受け入れる施設 群馬ダルク(その2)」
薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。
自ら薬物依存症の道を歩みながら、今は仲間の回復のために茨城ダルク代表を務め、各施設責任者を育てる岩井喜代仁さん。
仲間に励まされ、支えられ、許され、受け止められながら、施設長として独り立ちしていく姿は毎回感動です。
ともに苦しむ仲間の絆があるからこそ、人は前に進むことができるのだと教えてくれます。
◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。
◆UK実践塾代表 宇城憲治
連載『気づく気づかせる』
「人間を進化させる戦わずして勝つの境地」
最先端のエレクトロニクス技術者として、さらには企業のトップとして活躍してきた宇城憲治氏は、現在徹底した文武両道の生き様と、武術を通して得た「気」によって、人間の潜在能力の開発とその指導に専念。
現在、氏は目に見えないものを目に見える形にするために、「普遍性、再現性、客観性」の実践検証をもって「目に見えないもの」の存在を解き明かす研究を先行させている。
◎ うしろ けんじ
㈱UK実践塾 代表取締役 エレクトロニクス分野の技術者、経営者として活躍すう一方で、武術の究極「気」の指導で人々に潜在能力を気づかせる活動を展開中。
創心館空手道 範士九段。全剣連居合道教士七段。宇城塾総本部道場 創心館館長
◆編集部コラム 『心の奥の取材ノート』
「広島県原爆被害者団体協議会理事長 坪井直先生のこと」
交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い ――
今もありありと思い出す、取材で出会った人たちの思い出を綴ります。
本誌185号の宇城先生との対談で登場いただいた野中ともよさんが、「是非に!」とご紹介くださったのが辻本雅史先生でした。
辻本先生が語られる江戸時代の学びのお話や朱子学、こと貝原益軒の宇宙の気のお話や礼儀のお話は、宇城先生が実践される気の世界とつながっていて、お話の場の雰囲気が一段と濃くなっていく、そんな感覚を覚えました。
頭でなく身体に浸み込ませたもの、身体化させたものこそが大事であるという両先生のお話は、教育に携わる方々のおおいなるヒントにつながると思いました。
「昨日の残りものですけど」と髙坂さんが昼食に出してくださった手づくり無農薬野菜の卵綴じどんぶり。お醤油もお味噌も、添えられた梅干しも、すべて髙坂さんの手作りでした。「え!」と言うほど美味しくて、会見でもおっしゃっていたように、そうしたシンプルな驚きがいろいろな気づきにつながっていく。「なるほど!」といたく納得したのでした。
うさぶろうさんにお話を伺ったあと、お店の「うさとの服」をあれこれ試着させていただきました。
素材も染料もすべて自然のもので作られた服は、確かに自然をまとうようなやさしさがあり、なんとも言えないあたたかさがありました。手間暇かけ、人の思いが込められたものにはエネルギーがある。それは食も衣も同じだと感じたのでした。
木村郁子
起伏の少ないだだっ広い平地を電車で千葉県匝瑳市まで。「ふらり」という風情で駅に迎えにきてくださった髙坂勝さんの車で、髙坂さんの民泊へ。「駅前は美味しいお店はないですよ」とお食事まで用意してくださって、その間に家の中を散策。古い家具に手を入れたり、照明やタオル掛けなども天然素材の手づくりで、プラスチック製品は見当たりません。重厚な薪ストーブを置くための防火対策もDIY。電気は太陽光発電で大きなバッテリーに蓄電。案内していただいたマイ田んぼは稲刈りが終わっていましたが、その空気感はとても気持ちよく、ほとんどの参加者がリピートする気持ちがわかりました。環境を傷める経済活動を考えさせられました。
前号の吉田敏朗監督の映画『つ・む・ぐ』で知った、さとううさぶろうさん。知人にうさとの服を愛用する人が少しずつ増えてきて、ずっと気になっていました。これまで「食」についてはいろいろな人が大切な発信をしてくださいましたが、今回のうさぶろうさんへの取材が「衣」について考えるきっかけになれば嬉しいです。皮膚も臓器であるならば、それを包み守ってくれる服に何を求めるかは「ファッション」だけではないでしょう。それが作られる過程や量産による環境への負荷なども気になるところです。
ゆっくりと人の手をかけることの大切さがじわりと伝わってくる一冊になりました。
千葉由利枝