道塾は持続するエネルギーを持つ核となる人を創るための場として在るのだと思いました。
宮城県 男性 60代 HK
道塾での気づきは、さまざまです。どのような気づきが自分に訪れるのかわかりません。
それは己の心が様々に揺れていることから来るのかもしれません。言えることは、自分にとって必要なこと、足りないこと、忘れていたこと、そういう日々の成長のための何かが自ずと道塾の体験によって訪れてくる、ということです。
今回は、気が身体にとってとても身近な存在であるにもかかわらず、簡単に消えてしまうという何度も体験した事実そのものでした。
そのことがよく見えるのが、他の人がやっているのを体感するときです。今回は道塾にはじめての人が何人か参加されました。
身体の所作によってあっという間に身体が変わってしまうことへのその方たちの反応は、ある意味自然なありのままの姿でもあり、ほほえましくさえもあり、最初のころの自分にも似て懐かしいくらいです。
そういう姿は逆に自分の今を照らします。実は自分もまだ、同じようなものではないのかと。道塾の中でオンオフが何度も繰り返され、しかしそれは紛れもない自分の身体が体現している事実を目の当たりにする気の世界。
そのように本当は自分でオンできる仕組みを身体に持っているのに、そこから背を向けるように気との回路をオフにし断絶してしまいがちな日常生活の世界。
本来最も身近な存在であるにもかかわらず、その日常において気とのつながりを持てないでいる時が流れてしまいます。
このことに気づかなければ、まずいけない。しっかりと気を身につけ続けていないと、すぐに簡単につながりが切れてしまう。
そのことが改めて今回の気づきになりました。今更、そこか、とも言われそうですが。
自分の横着さ、人間の未熟さを、道塾では気づきと共に学びます。
先生は講義の中で「初心忘るべからず」について語っていました。世阿弥の書『花鏡』にあるこの言葉。
「初心」には一般的に語られている物事を始めたときの気持ち、という意味とは別にさらに深い意味がある、と。
今日感じた今更、そこか、の感覚はこのもう一つの「初心」として自分は位置づけたい、と思う自分がいます。
その「初心」は、自分の中で変化してきたうえでの初心、そうでなければならない。そう感じたのでした。
まだまだ今更の気づきの中でもがく身でありますが、そのことを恐れず、ごまかさないように、さらなる自分の未来に繋がっていくように「初心」をこれからも忘れないようにしたいと思いました。
実技で塾生の塊が先生の気でオンとなり、ぐるぐると全体が一つの生き物のように激しく動き出します。
それに参加している自分の身体はその激しさを、一体なんだろうこのエネルギーは、でもとにかくなんだかすごい、と感じます。
それは道塾の最初のころ持った気持ちでもあり、また違う感じの味わいも伴います。
この気のエネルギーは、一人ひとりを守るエネルギーでもありうるはずだ、と。
机の上に一人の人が置いた手のひらの甲を別の一人が思い切りげんこつで叩く実技。
エネルギーがないと不安と怯えで身体が反応してとっさに引いてしまいますが、エネルギーによって怯えが消え、思い切り叩いた側の人が痛さでもだえる姿の傍らに、痛みも感じず身体を守られた人が居ます。
このようなエネルギーは社会の中で起こっている様々な生命のリスクから身を守ってくれるエネルギーになりうるはずだ。そう思わせてくれます。
戦争、核、自然災害、そしてごく身近には交通事故など、人間社会には常に現在進行形で、さまざまなリスクが溢れています。
個人一人ひとりの気づきが、そのようなリスクへの社会全体としての「初心」の気づきに繋がれば、と思います。
道塾はそのエネルギーを持つ人間、それもすぐに消えない持続するエネルギーを持つ核となる人を創るための場として在るのだと改めて思いました。
ありがとうございました。
寄り添うことで相手も強くなり自分も強くなる。改めて寄り添うことの大切さを感じました
福島県 介護職 30代 男性 YM
今回も様々な検証に参加させていただきました。
まず鉄を持っていただきその上に手を置いて突きをするのですが、宇城先生に突きをしていただく時には不思議とやる前から怖さはなかったです。
そして全く痛くありませんでした。通常なら大怪我です。
そしてお腹が痛い人に寄り添うこと。寄り添った時には大勢の列を力もいらずに押せました。
しかし素通りした時には全く押せませんでした。
これも不思議とやる前からこれは押せる、これは押せないなとなんとなく分かりました。
寄り添うことで相手も強くなり自分も強くなる。改めて寄り添うことの大切さを感じました。
同じ塾生の気の使い方も大変勉強になりました。話しかけていただいたり、サッと物を持っていったり、先を読むことは気を使うことというのがよく分かります。
格闘技は古代ローマで見せ物だった、武術とは次元が違う。格闘技をやって喧嘩腰になり孤立したり、告げ口を言われたり、それよりも心を開いていきたいと思います。
現在私の地域では大雪による影響で街が大変なことになっています。
そこら中で車はスタックし、除雪、排雪が追いつかず、近所では90歳を超えた高齢者が雪かきをしています。
買い物に行くことすら憚られる状態です。
こういう時でこそ、道塾で教わったこと、寄り添うこと、自分だけが良ければいいのではなく、困っていたら助ける、すでに助けている、そこを意識して生活します。
身体を通して体験したからこそ、痛みを感じたからこそ残りました
千葉県 映画制作 50代 男性 HS
先生との腕相撲の検証をやらせていただきましたが、その時ふと、自分が道塾に初めて参加させていただいた初日のことを思い出しました。
ちょうど当時、秋葉原殺傷事件があり、友人がその現場のすぐ近くの建物から一部始終を見ていました。
それは悪い意味で現在の日本の縮図のようだったと当時聞きました。では、もし自分たちがその現場に遭遇していたらどうだったのか? そのことが引っ掛かっていました。
その後、先生のことを紹介していた本を偶然ですが何冊か見つけ読み、道塾を知り参加させていただきました。
その日も腕相撲の検証をやらせていただきました。初めてのその感覚に驚きと興奮で我を忘れてしまい、この日も雪が降っていましたが、上着を着ずにTシャツ一枚で駅まで小走りで帰っていました。
そして帰りの電車の中で「この先の半生は決まった」と感じていました。
その初日ではハッキリとはわかりませんでしたが、人間の身体が持つ可能性とエネルギーをたくさんいただいていたのだと今では感じることができます。
なぜ、道塾に惹かれたのか、なぜ、道塾に参加していきたいと感じたのか。
その時はハッキリと言葉では言えませんでしたが、未来、希望というものを大きく感じたからだと思っています。
それは年数が経てば経つほど大きくなっていきました。
今回も、何度も身体を通して実践検証をやらせていただきました。
それはどれもが「通常ではできないこと」ばかりです。
しかしその一つ一つが自分の身体を大きく開いていただきました。
人間が本来持つ力、しかし、自分たちでできなくさせていることを何度も感じさせていただきました。
私は先生の手を打つことができませんでした。当たる瞬間、躊躇してしまい打てませんでした。手の痛みは一日たった今でも残っています。
先生からいただいた厳しい指摘は遥か上であり、深いものでした。
本当の自信を、信じられる根拠があるから他者を尊敬できる。そこから生まれる信頼関係を築く、目指していく。
それがまだ自分にはありませんでした。
身体を通して体験したからこそ、痛みを感じたからこそ残りました。
先日いただいた高額医療制度のことも、実際にがんや重篤になったからこそ感じる思いがあるはずです。
制度を考え、決める施政者だけでなく、国民みんなが自分の痛みを感じているか否かだと改めて感じました。
後悔ではなく、反省として自分の胸に残し、先生が伝えていただいた人間の潜在能力、可能性をしっかり実感として、先生とみなさんの手を打った痛みと共に残します。
改めまして、ご指導いただきありがとうございました。