今の私にできることは、言い訳をせず、毎日を丁寧に生きることかと思いました
埼玉 教員 女性 YO
この度も道塾でのご指導、本当にありがとうございました。
6人が持つ机の前に立たせていただいたり、ナイフを持っての腕相撲を体験させていただいたり、貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございます。
ナイフを左手に持ち、右手で腕相撲をした時、ナイフを持つ前と後とでは右手の感覚や心持ちはあまり変わりませんでした。けれども、ナイフを左手に持ち、宇城先生が「ナイフを引く」とナイフを引く動作をされた後に腕相撲をすると、目の前の人たちが倒れていきました。自分では意識できていない部分で、体が危険を感じて、火事場の馬鹿力のような力を発揮することができたのだと思います。自分が意識できている部分なんて、本当に限られているし、体はしっかりわかっているのだということを改めて感じました。
そして、宇城先生がおっしゃっていた「真剣にやらないと」という言葉がとても頭に残っています。以前も、宇城先生は「大人は真面目ではいけない。真剣でないと。」とおっしゃっていました。今回の実践で、それは心のもちようではない。意識できる部分のことでもないかもしれない、と感じました。自分のできる「真剣」とは何なのか、と。これ、という答えはまだわかりません。でも、今の私にできることは、言い訳をせず、毎日を丁寧に生きることかと思いました。
そして、「特別支援学校は障がい者を生み出している。」という言葉は、とても考えさせられています。宇城先生が伝えてくださろうとしていたことを、きっと私はまだ理解しきれません。でも、できることをやりたい、やらないと、と気持ちばかりが焦ってしまいます。もっと学びを深めたいです。
それから、本がエネルギーをもっている、という実践を見て思い出したことがありました。以前、宇城先生の書かれた本、または本の帯を身につけると力を発揮できる、という実践を見てから通勤用の鞄には宇城先生の本、職場で身につけているポーチには本の帯を入れています。数週間前、通勤時に細い路地をすごいスピードで走って来た車にぶつかりそうになったことがありました。車は目の前を通過していきました。ふと、あれは宇城先生の本のおかげだったのだ、と思い当たりました。守っていただき、ありがとうございました。
宇城先生の気のエネルギーに溢れた空間で充実した時間を塾生の皆さんと一緒に過ごすことができました
宮城 医師 75歳 男性 TU
私達が生かされている自然は調和と共生が本質ですが、先生は、今の私達が置かれている現状はその対極にあり、二極分化した対立構造の中に生きているとお話されました。
それは「我欲に左右され自分さえよければ」という風潮になり、それが時とともに増幅して負のスパイラルに陥り人間としての本来のあり方からは遠く離れてしまっていることを強調されました。
この「人は人、自分は自分」というあり方は、見て見ぬふりをする人間を生み出し、お互いの信頼や絆を損ね、本来共生して生きている人間を孤立分断させてしまうとのこと。
その中にどっぷりつかって現状に甘んじている自分、自分がそうなっていることに気づかずにきたことにハッとし恥ずかしさで思わず顔が赤くなりました。
人間どうしが孤立し本来持っているはずの調和と共生が失われた現状から先に進むには、先生が体現されている気のパワー、エネルギーを自らの中に取りこんでいけるように自分を変容させ、部分体から統一体へ変えていく
しかないことを実践を通してご指導いただきました。
その時の心構えとして、自分の我を捨て心をオープンにして素直に受け入れていくこと、自分の中にある甘さをなくして今まで以上に真剣に取り組むことも学ばせていただきました。
我が強すぎ殻に閉じこもりがちな私は心を開きオープンで素直な自分になるように、気のエネルギーパワーを取り入れていけるように励んできましたが、そこに知らず知らずのうちに甘さがあったことを痛感しました。
今回の御指導では気のエネルギーパワーが伝わることだけでなく、私達のような気のエネルギーを使いこなせない者でも少しは気のエネルギーを伝えられることを学べて大変力づけられました。
1対3の腕相撲の実践。自分の力ではどうにもならないのに先生に気を通されると簡単に勝てる。
力を抜き肩からという先生の御指導で、気を通していただくなくても勝てるようになる。
この道塾生が、別の道塾生の1対3の腕相撲の背後で「力を抜き肩からの動作をする」と別の道塾生も簡単に勝てるようになる。
遠く離れて衝立を置いても同じ結果になる。気の持つ力強いエネルギーが瞬時に伝わること、そういうことが未熟な私達でも可能なのだと実感できて本当に素晴らしい道塾でした。
宇城先生の気のエネルギーに溢れた空間で充実した時間を塾生の皆さんと一緒に過ごすことができました。