2023年 熊本 第3回(2023.7.21)

道塾の皆さんも明るく気さくで、私はたくさんの元気をもらっています

佐賀 学校職員 47歳 男性 DK

今回の道塾に参加させてもらい4日が経ちました。これまでの自分自身振り返ると・・・、反省だらけの自分が出てきました。

私が会場に着いたときには既に多くの方が来られ、お話が始まっておりました。宇城先生が一分一秒でも伝えたいという思いがあふれていると感じました。それと同時に、感度の鈍い自分を痛感・・・。会場にもっと早く来ようと思ったらこれたはず。つい「暑いから」と言い訳をしてゆっくりと会場に向かってしまった自分自身の弱さ。

宇城先生から多くのことを学び、多くの著書を読み、自分自身は何がしらの者になった気になっておりましたが、すでにそういうところから、全くの横着な人間であることを痛感しました。

「怯え⇒人を刺す、不安⇒自殺」日々教員という仕事をし、生徒を見ていく中で、もちろん上記のような出来事が周りで頻繁に行われているわけではありません。
しかし一歩間違えればこのようなことになりかねない状況も十分あり得るのでは、と感じます。実際に「学校で教育を受けた」方々が、人を刺したり、自殺をしたり・・・。
学校内では、生徒と教師、教師同士、生徒同士などの関係性がありますが、現在の社会と同じく、「怯え、不安」そしてそこからくる「不信(周りを信じられない。自分を信じられない。」そのような学校になっているのでは・・・。
また、宇城先生は、実践やお話の合間に「子どもたちにこのような経験をさせることの大切さ」「大人が病気」などの話をされました。
先生からすると、もうひっ迫している日本の状況に対して、未来のために時間を使われていることを感じます。それに対し、過去や今に留まっている自分自身・・・。

せっかく今回も家族の協力を得て熊本まで学びに来たにも関わらず、自分自身も変えることもできず、家族さえもいい影響を与えることができていない状況をどうしたらいいかわからなくなっております。
ただその中で宇城先生の教えを素直に受け止め、日々生活をしていくことのみ。現実は「(自分なりに)素直に実践している(つもり)」という状況になっていますが・・・。

「『公』がない」これも宇城先生が何度も仰っていました。教職員こそ、そのような気持ちを身に付けておかないといけない。
しかし、自分自身を振り返ると、まだまだ「暑いから」とだらだらと会場に向かう、自分自身の私欲の強さ。自分自身の都合のいいように動かすために、子どもや生徒を怒ったりして強引に動かしてしまおうとする部分・・・。
まさしく「私」で行動していました。まずはそういう部分の変革が必要だと感じています。

95%のダークマター、ダークエネルギーを目の前で見せていただいている。体感させていただいている。それで変わっていっている方を目の前で見ているのに、それを自信もって実践することができない。まさしく自分の弱さを感じた1日でした。

しかし、宇城先生は明るく、また、いろんな方に分け隔てなくお付き合いをされ、元気を与えてくれる。気づきをいただける。宇城先生に出会っていることは、とても貴重で、本当にありがたいことだと思っています。
また、道塾の皆さんも明るく気さくで、私はたくさんの元気をもらっています。先生の教えを素直に入れられているのを感じ、「私も皆さんのようになりたい」と思いながら帰宅しております。

今回の道塾の反省をもとに、言い訳はせず、素直に実践していく。自分自身の「私」としっかりと向き合って自己変革をしていく。
子どもたちの可能性を信じ、物事を強引に進めようとしないなどのことをしっかりと考えて日々を過ごしたいと思います。

宇城先生の教えを素直に受け入れ、それを素直に子どもたちなど周りに移していけるような人間になることが、私の大きなテーマであると思います。
これからも日々このことを忘れずに生活をしたいと思いました。宇城先生、そして熊本道塾の皆様、本当にありがとうございました。

先生に頂いたエネルギーを活かして困っている人に気付き寄り添える人になりたいと思っています

福岡 訪問介護ヘルパー 女性 YS

守る時の検証で男性数人が力強く押して来る机の少し先に私が立ちました。そこに立つだけでも怖かったのですが次に先生が私の肩に軽く手を触れられただけで不安が足元にすっと消えて大きな空気に包まれているような安心感に変わりました。男性達にに押された机は止められただけではなく、先生が指された方向へ移動していきました。押していたはずの男性達をまるで机が動かしているようでした。
スクラムを組んだ男性達を横から押しても誰も動かせませんでしたが具合の悪そうな人に優しく声をかけた女性と、声をかけられた人はスクラムを動かせました。以前先生からお聞きした生々しい戦争の残忍な行いのお話やニュース等で廃墟になる町を見ていると残った危険な不発弾等もあり、復興にどれだけの時間がかかるのだろうかと思います。

先生が仰るように「争う」ことを止めて「寄り添う」こと、支援だけでなく応援の眼差しで温かく寄り添える日がくるのを1日も早く望みます。
不安は自死を招き、怯えは人を殺めてしまうとのことでした。しかも子供達にまで広がっていて悲しい出来事が増えました、親には悩みを隠してしまうとのことで周りにいる大人が子供の変化に気づける環境が大切だと思います。

昔みたいに井戸端会議してる大人が減りました。あちこちにそんな光景があるときは不審な人は近寄りづらいそうです。
今大人は自身のことにいっぱいいっぱいで子供たちや近所の人にも気づかい出来なくなっているように思えます。
先生に頂いたエネルギーを活かして困っている人に気付き寄り添える人になりたいと思っています。
大切なお時間をありがとうございました。

先生の御指導は常に私達を変化、成長へと導いてくださっているのだと改めて感じました

山口 教員 37歳 男性 SA

宇城先生、この度は熊本道塾での大変貴重な御指導を賜り、誠にありがとうございました。
ご講義の前に体験で参加された方へのお話と実践がございました。そのお話をお伺いしながら、如何に私達がこれまでの常識に染まってしまっているのかを感じました。それは無意識に近いものであり、医者が「ステージ4です。打つ手なし」と言われれば、その言葉を頭では抗おうとしても必ず信じてしまう現実があるとのお話から、自分もそのようになると容易に想像がつきました。そのような状態になっている私達が、目に見えない「気」とその無限の可能性に気づけるのは、全て先生からの御指導があるからに他なりません。

この度もさまざまな実証を体験させていただきました。手に蓋の空いたペットボトルの水をかけられそうになった時、不安が湧き上がりました。不安があるとき、それは触れている全員に瞬時に伝わりました。そして、その触れている皆さんとは繋がっておらず、動かすことはできませんでした。一方気が通され、それと共に手にペットボトルを注ぐように近づけられたり、実際に水をかけられたりした際は、不安は沸き起こることはなく且つ安心感を感じました。そして、触れている皆さんとは一体となっており、ゆっくりと動いていくとそれに伴い、全体が動きました。これが実態のある調和だと思いました。普段の生活では、全体を動かせない状態が常ですが、この調和の状態を身体で知っているかいないかでは、人生の進むベクトルや生き方が全く異なってくるのは明らかであると思いました。

机を1.2.3の合図の下、5人で一気に押す検証では、通常であれば一気に押すことができました。しかし、先生が前に立たれると空気が一変し、前に行こうにも押せなかったり、方向が変わったり、全く動けなくなりました。その状態にあるとき、怖がっていた塾生の方々は全く動じる様子もありませんでした。そこには先生によって守っていただいている空気感、空間に包まれている感じがありました。

一列に連なり、先生が先頭の手に触れ、崩していく検証では列が一体となるのを感じました。またそこに方向を変えて別の列が連なり、方向的には絶対に力が伝わらないはずなのに、先生が思われたとおり、別の列が動きました。この時、別の列の動きを見ようとしていた際、先生から「自分でコントロールしようとしている」と仰っていただきました。我が出ていて、先生の調和から切れてしまっていたのではと反省しています。宇城空手を学ぶ自分の姿勢を見つめ直す貴重な御言葉をいただきました。目で見て頭にインプットするのではなく、身体で感じていくことに集中する、これが身体に刻み、身体で考えていくことに繋がるのではと思いました。

仰向けに寝ている状態を手を触れて起き上がらせない検証では、塾生の方が押さえた時、身体が起き上がりました。そこで先生が御指導されると、起き上がれなくなりました。どの方がされても最初はできなかったのに、どんどん変化し、私は全く起き上がられなくなりました。どんどん変わっていくその様子を拝見しながら、先生の御指導は常に私達を変化、成長へと導いてくださっているのだと改めて感じました。

繰り返し身体で感じさせていただき、それを身体が覚えていく。日常においても、先生が体験をとおしてその御教えを刻んでくださってくださったこの身体が、幸せの方向へ導いてくれている、そしてこの身体は私たちに常に語りかけてくれているのではと思いました。講義前のお話でもありました、「今に希望があることで、エネルギーが湧いてくる」まさに今、体験を積み重ねているこの身体が希望そのものです。しかし、この身体の声を聞けるか聞けないかは自分の心次第だと思いました。横着をしない、投げやりにならない、そして絶対に調子に乗らない。先生からいただいた御言葉、御教えを胸に日常を生きること。真剣さに近づけるよう、自分に負けないこと。先生から御指導をいただけていることの幸せにより気づける自分に変化すること。

宇城先生、いつも本当にありがとうございます。先生に御指導いただく度、進むべき方向が見え、生きるエネルギーが湧いてきます。先生にお会いできた時から、このような幸せの中で自分は生きてこられていたんだなと今改めて感じました。本当にありがとうございます。これからも御指導、御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。本当にありがとうございました。

今回は、本当に変わった!!ということがわかり感動しました

鹿児島 学校図書館嘱託員 女性 YK

今回の講義で一番強く印象に残ったのは、親子で参加されていたお二人の女性の検証です。
横になった人を抑える検証で、最初はできなかったことが宇城先生の言葉掛けで一瞬にして変化し、出来るようになっていました。

「変化は一瞬、パッと変わる」。これまで道塾で様々な検証を見てきましたが、今回は、本当に変わった!!ということがわかり感動しました。

また、水と机を使った検証では、不安な気持ちが伝わったときは、なんだかふわふわと浮いているような感じでした。この感覚は、普段から感じることが多いように思います。でも、宇城先生が気を通したり守ってくださっていると、とっさのことでも身体が逃げず、安心していました。普段の自分は、孤立して不安を感じているのだなと改めて思いました。

最後に行ったおんぶの検証では、今まで自分が「重い」ということを言葉としてしか受け止めていなかったと分かりました。言葉のイメージでは「ずっしりのしかかってくる」と思っていましたが、実際には「地面に引っ張られる」という感覚でした。本当に重かった、まったく動けなかったです。

道塾の検証では、不思議だと感じることがたくさんあります。そのたびに「ん?」と思っていたのですが、その考え方こそ理屈で納得しようとしていたのかもしれないと思いました。宇城先生が「身体にはすごい力がある。使えなくしているだけ」とおっしゃっていたように、出来ることが普通で、出来ない方が不思議。だから先生は、「難しくない」とおっしゃっているのかなと思いました。

「どういうこと?」と頭で理解しようとするのではなく、ただ、目の前で起こっていること、その場に素直に参加して、自分の身体で体験する。常にそう伝えられていたのに、まったくわかっていなかったと思いました。

私は、頭で理解しようとすること、また、信じたつもりになって妄想に走ってしまうことが多々あります。でも、道塾の検証で出会った「出来ている自分」も確かに存在しているということ。それを忘れずに、思い込みからの妄想にならないよう十分気を付けて「出来る自分」を目指していきたいです。

宇城先生、今回の講義での学び、そして、普段から私たち塾生を守ってくださり、本当にありがとうございます。