山口 教員 36歳 男性 SA
ご講義の冒頭で、先生がご出演なさったテレビ番組を視聴させていただきました。先生がお示しになられていることは、いつもぶれることなく、その深さは計り知れません。本来であれば、その深さを少しでも視聴者に伝えることがメディアの使命のはずですが、その内容は本質や真実を都合よく、自分のいいように作り替えたり、切り貼りしたりするようなものとなっており、何度見ても残念な気持ちとなってしまいます。
しかし、これはそれを見る私たち民衆のレベルがそこまで低下している証であると先生は仰られました。自分のことを振り返りましても思い当たるふしが、たくさんあります。この例と同じように、私も自分の都合の良いように物事をきりとって、勝手な解釈で捉えていると日々感じるからです。先生から御指導をいただかなければ、自分では何が真実なのか考えることさえできません。また、今この瞬間、狭い知識や頭で考えて行動していること自体、一生気付けなかったことは、改めてはっきりとわかりました。
先日の教師塾では、検証で先生の両手首を掴まさせていただいたとき、勝手に動いている自分がいました。すぐさま先生は、ダメだと仰られました。その後、真剣さが足りないと気づき、反省し、その後の検証から自分なりにその点を少しでも改善しながら参加させていただきました。
この度の熊本道塾では、その点を自然と心掛けながら検証に臨まさせていただいている自分がいました。あの時、先生がご指摘してくださり、身体に刻んでくださったからこそ、このようにできたのだと、この度の道塾で先生が塾生の皆さまに御指導されている御姿を身近で拝見しながら、気付かせていただきました。
「一つの受精卵が細胞分裂し、心臓などのさまざまな臓器が生まれ、それらが調和、協力し、私たちの命は今生きている。つまり、生かされている。頭では、そんなことは絶対にできない。」
今自分の身体で起こっている当たり前のことなのに、自発的にそのようなことを考えたことすら、ありませんでした。むしろ全く気づきませんでした。このことはそれだけ、知らないうちに頭で考えて行動を起こすということが染み付いてしまっている証だと思いました。頭優先でいる結果、先生から送っていただいている気を感じるどころか、すぐに切ってしまう。結果、孤立する。身体で考えるとは。心からの行動。心で感じることができているのか。心ありの生き方になっているのか。そう思いを巡らせました。
この度、少しでも真剣に近づくようにと心掛けながら検証を体験させていただいたところ、以前よりはっきりと違いが感じられたり、自分から切らずにいられているのと合わせて、自分から切ってしまっていることに今まで気づいていなかったことを知ることができました。
この度の道塾で気づかせていただいたことは、先生のような方から御指導をいただく時、自分の知識や頭は全てとっぱらい、身体に刻むように学んでいく心掛けが絶対に必要なのだということです。そこには、謙虚さ、素直さ、心を開く、真剣さ、感謝という心も持ち合わせなければならないと思いますが、いつも先生のお話をお聞きしながら、自分の横着さやよこしまな考えが湧いて出てきて、学びの妨げをします。ここの克服をするのが一人稽古や一人革命をする意義の一つであると思いました。宮大工の小川棟梁のお弟子さん達が、毎日刃を研がれるように、私も先生の弟子であるという誇りを強くもち、少しでも自分の心を確かなものに作り上げていくために、御指導いただきましたことを日常での実践に少しでも繋げていきたく思います。
宇城先生、この度もたくさんの御指導、御鞭撻を賜り、誠にありがとうございました。また、途中失礼する際も温かい御心遣いをいただき、本当にありがとうございました。これからも何卒御指導、御鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。