2022年 熊本 第1回(2022.2.25)

ニュートラルには日常の稽古にかかってくる

福岡 主婦 女性 MY

中でも一番印象に残っていることは、自分がニュートラルになるという事です。机を持ち上げる検証においてパワハラのような態度、悪態をつく態度では机が重くなってしまうという事実は、今まで先生の講義を受けてきたので、そのこと自体は「そうだろうな」と予測と納得がありました。

しかし、驚いたのはパワハラを受けている側が「それ、パワハラですよ!」と言った途端に、自分の側の机が重くなるという事実でした。相手に抗議し、同じ土俵にたった途端、自分にも刃が降りかかってくるのだという気づきです。単純な私は初め、「え、抗議してはいけないの?」と感じました。

その後、検証で示されたのは対抗するのではなく、その事に動じない自分であることが大事なのだと気づきましたが、その初めの感じた言葉が正に私の悪い所です。すぐに感情が先走ってしまうのです。

自分が相手の態度や言葉に踊らされる事なく、心をニュートラルに保つ事を検証にて目の当たりにし、ここが修行のしどころなんだと思いました。心をニュートラルに保つことはけして容易い事ではありません。人間の大きさと自己の信頼性によるところ、他人と競わず謙虚でいること、他者を尊ぶこと等、そのニュートラルには日常の稽古にかかってくるのだと思います。

年齢ばかり重ねて、脇の甘い人生を送る私は目が覚めるような心地です。この課題での気づきはまだ表面的なことだと分かります。先生が伝えられたいことの数%でしかないこと、更にもっと奥深いものがあるのだと思います。その奥にあるものに少しでも近づくため、先生から頂いた気づきを胸に、日常を確かに歩み勉強して参ります。

自分の常識の枠に気付き、力ではなく気で相手を投げる先生の感覚を垣間見る事が出来た

福岡 製造業 27歳 男性 YM

投げられた人がまた投げ、人がつながり、気が連鎖していく検証では、初めに投げた私が未だ気でつながっていない先のスクラムを投げるという体験が出来ました。まるで繋がった人の先に腕がある様な、スクラム全体を包み込んでいる様な感覚がしました。遠隔でスクラムを投げる時も同じ様な感覚でしたが、腕を掴まれていなかった分、投げようと思って腕に力が入ってしまうと先程までの感覚が消えてしまいそうになる事も分かりました。自分の常識の枠に気付き、力ではなく気で相手を投げる先生の感覚を垣間見る事が出来、非常に有難い検証を体験させて頂いたと思っております。

若者の自殺は未来に希望が無いから、というお話と先を見通して子供を導く事が親の務め、というお話を聞いて、親の責任の重大さに改めて気付かされました。私も間もなく親となるため、子供の未来が希望で満ち溢れる様な子育てが出来る様、励みたいと思います。

【ニュートラルに】まさに、今の私に必要なお言葉でした。

福岡 アロマセラピスト 女性 MN

今回も道塾に参加させていただきありがとうございました。
世界情勢と日本の危機感のあるお話から身近なお話、実感のある検証と、毎回ですが本当に有難い内容でした。

宇城先生からの熱く心に沁みるお言葉と眼差し、空気感、全てに愛を感じました。
直接のお言葉には深く刺さるものがありました。

【ニュートラルに】
まさに、今の私に必要なお言葉でした。

宇城先生には全てお見通しで、「私の事をご存じなのかな?何故分かられたのだろう」と不思議に思うくらいでした。

最近、「私はすごく短気だなぁ。」「昔おばあちゃんに短気は損気って言われたなぁ。」と感じる出来事が多かったのですが、様々な状況で色々と思う事があっても、先ずはニュートラルな状態になる事が大事だと教えていただきました。ありがとうございます。

相手がどんなに納得のいかない態度だったとしても、こちらがニュートラルになる事で物事が上手くのだと感じられました。

道塾を紹介して頂いたこと、宇城先生にお会い出来たこと、感謝しかありません。
今回だけに留まらず、もっと進んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

少しでも自分の心を確かなものに作り上げていくために、御指導いただきましたことを日常での実践に少しでも繋げていきたい

山口 教員 36歳 男性 SA

ご講義の冒頭で、先生がご出演なさったテレビ番組を視聴させていただきました。先生がお示しになられていることは、いつもぶれることなく、その深さは計り知れません。本来であれば、その深さを少しでも視聴者に伝えることがメディアの使命のはずですが、その内容は本質や真実を都合よく、自分のいいように作り替えたり、切り貼りしたりするようなものとなっており、何度見ても残念な気持ちとなってしまいます。

しかし、これはそれを見る私たち民衆のレベルがそこまで低下している証であると先生は仰られました。自分のことを振り返りましても思い当たるふしが、たくさんあります。この例と同じように、私も自分の都合の良いように物事をきりとって、勝手な解釈で捉えていると日々感じるからです。先生から御指導をいただかなければ、自分では何が真実なのか考えることさえできません。また、今この瞬間、狭い知識や頭で考えて行動していること自体、一生気付けなかったことは、改めてはっきりとわかりました。

先日の教師塾では、検証で先生の両手首を掴まさせていただいたとき、勝手に動いている自分がいました。すぐさま先生は、ダメだと仰られました。その後、真剣さが足りないと気づき、反省し、その後の検証から自分なりにその点を少しでも改善しながら参加させていただきました。

この度の熊本道塾では、その点を自然と心掛けながら検証に臨まさせていただいている自分がいました。あの時、先生がご指摘してくださり、身体に刻んでくださったからこそ、このようにできたのだと、この度の道塾で先生が塾生の皆さまに御指導されている御姿を身近で拝見しながら、気付かせていただきました。
「一つの受精卵が細胞分裂し、心臓などのさまざまな臓器が生まれ、それらが調和、協力し、私たちの命は今生きている。つまり、生かされている。頭では、そんなことは絶対にできない。」

今自分の身体で起こっている当たり前のことなのに、自発的にそのようなことを考えたことすら、ありませんでした。むしろ全く気づきませんでした。このことはそれだけ、知らないうちに頭で考えて行動を起こすということが染み付いてしまっている証だと思いました。頭優先でいる結果、先生から送っていただいている気を感じるどころか、すぐに切ってしまう。結果、孤立する。身体で考えるとは。心からの行動。心で感じることができているのか。心ありの生き方になっているのか。そう思いを巡らせました。

この度、少しでも真剣に近づくようにと心掛けながら検証を体験させていただいたところ、以前よりはっきりと違いが感じられたり、自分から切らずにいられているのと合わせて、自分から切ってしまっていることに今まで気づいていなかったことを知ることができました。

この度の道塾で気づかせていただいたことは、先生のような方から御指導をいただく時、自分の知識や頭は全てとっぱらい、身体に刻むように学んでいく心掛けが絶対に必要なのだということです。そこには、謙虚さ、素直さ、心を開く、真剣さ、感謝という心も持ち合わせなければならないと思いますが、いつも先生のお話をお聞きしながら、自分の横着さやよこしまな考えが湧いて出てきて、学びの妨げをします。ここの克服をするのが一人稽古や一人革命をする意義の一つであると思いました。宮大工の小川棟梁のお弟子さん達が、毎日刃を研がれるように、私も先生の弟子であるという誇りを強くもち、少しでも自分の心を確かなものに作り上げていくために、御指導いただきましたことを日常での実践に少しでも繋げていきたく思います。

宇城先生、この度もたくさんの御指導、御鞭撻を賜り、誠にありがとうございました。また、途中失礼する際も温かい御心遣いをいただき、本当にありがとうございました。これからも何卒御指導、御鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

自分をニュートラルの状態にしておくと、物を持ち上げる時に軽く持ち上げる事が出来る

熊本 会社員 61歳 男性 HF

先生がいつもおっしゃっておられる、リーダーの重要性について、今世界が大きく揺れている事と、大いに関連していると思います。日本はいろいろな面から、危機的状況にある事。しかし、大半の日本人が平和ボケしているという事実。

ウクライナ首相のリーダーシップと、国民の戦う姿勢には心を動かされます。果たして日本が同じような状況に立たされたら、ここまで団結して抵抗出来るでしょうか。

細胞から個人、集団、ひいては地球生命全般に働きかける気の存在について、分かり易く説明して頂きました。

実践においても、数人ががっしりと組んだ列を、先生から気のエネルギーをかけていただくと、簡単に上から押さえるだけで崩すことが出来ました。
又、自分をニュートラルの状態にしておくと、物を持ち上げる時に軽く持ち上げる事が出来ることも学び、日常でも再現できました。

未来を変えるため、今どのように行動したら良いかを考え、実践出来るよう、日々真剣に向き合う生き方をしていきたいと思います。

一人革命が唱えるだけの嘘にならぬよう、欲張らず謙虚な人間でいたい

山口 会社員 48歳 男性 TI

ご教導頂きまして、誠にありがとうございました。
辻本先生と宇城先生とのご対談の中に、「礼とは天地自然の法則が目に見える形で現れたもの」「礼儀作法は心と身体を同時に創る」とありました。

通勤の途中、歩道で挨拶をしてくれる中学生がいます。後方から不意に声が掛かるので少々驚きますが、顔見知りではありません。ただ追い越していくだけで構わない。しかし、彼はこちらの存在に敬意を払ってくれます。この時かたじけない気持ちになるのは、彼の挨拶が先を取り、双方の不安を消しているからだと思います。敵意や反感など微塵も湧かず、こちらも敬意を払わずにはいられません。

身体を成す無数の細胞が「寄り添う」を望むから、我々の社会に礼法がある。常に不信や反感を和らげることで、大小の惨事を回避する。道塾で学ぶからこそ気づくことができます。

検証においても貴重な体験ができました。
手をアゴ突きの形に構えて中腰になる。相手には拳を上から押さえつけてもらい、体勢を崩されないように踏ん張る。相手の筋力や寄りかかる体重に対しては抵抗できました。しかし、先生に気で入られると崩れて尻もちをついてしまいます。立ち上がろうと思うほど足腰から力が抜けていく。誰にも邪魔されず緊張も遠慮もしてないのに、極めて日常的な動作が出来ませんでした。

頭であれこれ思案を巡らそうとも、身体はすでに最善の答えを知っている。何度体験しても不思議に思ってしまいますが、この度は十分に感触を味わうことができました。

社交辞令ではない本当の挨拶や気配りが、素直に出来なくなっています。しかし、照れや躊躇があるならば内面で礼をすれば良い。一人革命が唱えるだけの嘘にならぬよう、欲張らず謙虚な人間でいたいと思います。
ありがとうございました。

一番心に残ったのは「ニュートラルでいること」

長崎 会社員 女性 NS

今回の道塾では、自分は孤立している、自分で気を切っている、ということが分かりました。
一番心に残ったのは「ニュートラルでいること」です。何も考えず、やろうとも思わないことで力が出る。私はずっと昔から、頭で考える癖が強くて、失敗することを恐れて行動ができません。

毎回、道塾の終わりには一旦頭で考えることから解放されるのですが、次第に頭で考える癖が戻ってきて、考えにとらわれてしまって、次の道塾の前には頭がガチガチになっています。

昔からの癖をなくすことは簡単ではないけれど、先生に教えていただいたことを日常で意識して、また頭がガチガチになっても、何度でも道塾で原点に立ち返ろうと思います。

今の日本は平和ボケしているけど、そうなった原因のひとつに自分も含まれているので、申し訳ないし恥ずかしいです。自分のレベルの低さに打ちのめされそうにもなりますが、それでもやっぱり世界が平和であってほしいし、みんなで幸せになりたい気持ちがあるので、その気持ちは絶対大切にしようと思います。

まずは自分の考えや感情にとらわれず、構えず自然になることを目指そうと思います。きっと自分が思っている以上に、自分が意識できないような大事なことを、先生から教えてられているんじゃないかと思います。
それが分かるようになるためにも、我をなくすことが必要なんだろうな、と思います。

毎回先生に気づかせられ、助けられています。
ありがとうございました。