実証、実践で自然界の営みを体に取り込んでいただき、劣化した心身を 覚ましていただきました
愛知 教員 50歳 男性 TU
この度も、多くの「気づき」をいただきまして、ありがとうございました。
森林全体、または自然界全体が、ひとつになっていること、そして、木々(植物)が目に見えない地下の根を通じたり、植物全体から電波のようなものを発信して、それぞれが助け合い、寄り添っていることを勉強させていただきました。
自然への畏敬の念とともに、今ある自身の心のうちの我や欲が何とも情けなく、
昨年の11月の名古屋道塾から進歩のない部分体であったことを思い知らされました。
知らず知らずのうちに、勝ち負けにとらわれるという心の劣化が生じていたことを、深く反省しております。
また、宇城先生から目に見えない「気」というエネルギーを植物の根のように受けていたにも関わらず、自分という根っこの前にプラスチックの板を置き、名古屋の地で、自然界のように広げていないことに気づかされました。
そのことは、まさに我であり、部分体であります。
先生は、「みんな良くなる」といつも仰っています。
それは、私達が動くことでそのことを実現していくものだと痛感しました。
道塾での実証、実践で自然界の営みを体に取り込んでいただき、劣化した心身を
覚ましていただきました。
一歩、前に踏み出す勇気をもって、行動してまいりたいと思います。
ありがとうございました。
素晴らしい気づきを与えて下さり、本当にありがとうございました
静岡 農業 42歳 男性 YF
名古屋は織田信長を生んだ土地柄であり、そのようなエネルギーがある地にて、宇城先生の講義を受ける、という事に感慨深いものがありました。
御講義では最初に、如何に今の日本の力が落ちているのか、その事をデータとして見せて頂き、現在のこの国が置かれている危機的状況、その現状を把握させて頂きました。そして、次には、自然界のお話で、植物は様々な目に見えない物質を出し、虫に食べられたらその天敵を呼び寄せている、といった事が技術の発展でようやく分かりだした事実、木々は地下で根っこから様々な菌、微生物で繋がっていて、競い合っているのではなく、実は助け合い、補い合っているのだと。
またマイコプラズマ菌などが人間にもあり、それが交通事故の発生率にも影響している事など。それが最近になりようやく分かり、今の人間界、ウクライナ戦争を含めて、特に今の日本はその自然の摂理に反しているという事を、先生の目、感性で、今この国で起こっている事実と統合した観点からお話頂き、全て繋がっている、植物のお話も、人間が知らなかっただけで、もうずっと昔から行われてきた事であり、それに対する現代人、特に今の日本人の傲慢さ、謙虚さの欠如、を感じました。
また民間企業がこの国を引っ張っていかなければ経済成長はあり得ない事、それも考えてみれば当然のことですが、今の日本はその民間企業のエネルギーを削ぐような事ばかり国はしていると感じますし、その民間企業の世界ランクもまさに惨憺たる状況だと。トヨタのトップが交代になりましたが、そのような事を含みながら、まさに日本の現状、問題をハッキリと指し示して頂きました。
このような事実を結び付けて考える事ができない、その姿勢自体がまさに自分勝手、自分の事にしか興味がない、自分さえ良ければ良いという、堕落した今の日本人に対する本当に大きな警鐘であると。そのように思いました。
そしてその世の中の事実を正しく認識し、そして自分自身が変わる事が如何に大切な事であるのかが、冒頭のお話だけでも観えてきました。
この自然界のお話は以前に、空手実践塾でも先生からお話頂いていたのですが、そこから更に他の事との結びつき、共通項が導き出されて、深くなっていて、まさに常に深化されいる先生のお姿を学ばさせて頂きました。
身体を使った検証では四つん這いの相手の背中を手で押す、というもので、この状態の相手を両手または片手で押しても全くビクともしませんが、先生が空気を変えられると、片手で本当に全く力を入れない状態、むしろ、押さない、という感覚のほうが、相手が下がっていき、ポッと下に押すと一気に崩れてしまいました。これは下で押される側の方がその違いがよく分かり、逆に押す方はあまりに
力を入れ無さ過ぎて、本当に何が起こっているのかが、分からなくなるくらい自分に力を入れたという感覚がありませんでした。それにも関わらず相手は瞬時に崩れていきました。まず、このような感覚は普通に生きていれば、仮に会社経営のトップでもプロのトップアスリートでも、体験、経験する事は無いような事だと思います。それいくらい今の常識とはかけ離れている事だと思いましたが、冒頭の植物のお話も、目に見えていない、人間が認識できていないだけであり、植物達はそれこそ人間が生まれる前の太古の昔から行ってきた、言わば当然、当たり前の事であり、如何に人間の見ている世界が狭いのか、という事であり、このような道塾で行われる検証も、そのような事なのだと。ただ、今の人間がこの世界に対する謙虚さが無く、自分自身の事だけしか見えていない、考えていないと
いう事だから、このような人間自身に備わっている潜在能力も結果、自分自身が観えなくしているのだと。そのように思いました。
その後にも机を使った検証や、マイク台を押す検証など、本当にこれでもかというくらいの、常識では有り得ない、まさに異次元、高次元の世界を体験させて頂き、今の首相の異次元の少子化対策などという陳腐なまさに言葉だけで内容も中身も全くない言葉を聞いていると、「異次元というのは今日の先生の御講義のような事を言うのだ!」と怒鳴りつけてやりたくなります。まさに異次元とはこの
ような事を言うのだと。日本の今の首相、政治家を含め、未だ戦争が辞められない、我欲の為に地球環境をも犠牲にし続けている世界各国の指導者は、一度この道塾へ参加してみれば良いのだと思います。
体調の悪い人を気遣う事で、押せなかったものが押せたりと、今までにないエネルギーが自分の中に生まれる事。これは心は次元を超えられる、という事実を示していて、だから心。その鍵は心であり、心とは当然、自分自身の中にあり、だから自分次第なのだと。人や世の中のせいにしたり嘆いてばかりいるのではなく一番大事なのは自らの心に問い、深化し、進歩成長していく事なんだと。そして次元が上がれば勝ち負けは関係なく、その場に調和が生まれます。それは植物、自然界はそのようにできていると証明されています。逆に競い合い、衝突は結果、滅んでしまうのだと。自然界では生き残る事ができないのだと。それを今回の先生のお話、検証で、知識としても身体としても感じさせて頂く事ができました。
その後に行われた懇親会でも驚くような事がありました。耳の不自由な参加者の方がおられたのですが、その方への御指導がその場でも行われ、その方の腕を相手が掴み、それを投げようとしても、当然投げる事はできず、また周りの人間が耳元で「投げろ!投げろ!」と大声で言っても当然、その指示は伝わりません。
それに対し、先生が気を入れて、投げる、というジェスチャーをすると、その方は相手を投げる事ができ、また次はジェスチャーをせずに、投げろ、と言う、更には何も言わなくとも、最後には先生が発する、その場のエネルギーを感じ、相手を投げていました。更に、そうする事で、先生が空になったグラスを出すだけでその方はそのグラスにお酒を注ぐ、というコミュニケーションまでとれるようになっていました。これは今までは耳が聞こえない、という事で周りの情報が当然シャットダウンされてしまい、意思疎通が難しくなるのですが、それにより自らも耳が聞こえない、という事により、周りとの意思疎通を切ってしまい、だから周りとのコミュニケーションが更に取りづらくなる、という悪循環に陥っていた状況だったのだと思います。これはそのようになってしまうのは当然であり、また周りもそのように扱うので更に本人もそれを自覚してしまう、状況がその病
気をつくり、その人の固定概念にしてしまうという現代医療の盲点を、その場で本当に克服させた、そのような事だったのではと思いました。
ようは心を感じ取る事ができる、その方の、その感性、感覚に先生が火をつけたという事であり、これからどのように生きていけばいいのか、病気にどのように向き合っていけばいいのか、を明確に指し示したという事であり、まさに希望の光、道筋が観えたのではないかと思います。その方と周りとの「間」、「調和」を取り戻されたと。「人」と「間」で「人間」というまさにその実例を見させて頂いたと。またこれは健常者でもその「間」が無い人が沢山いるなと。
少なくとも、すぐそばでその一連の流れを見させて頂いた自分はこのような事を医学界が真剣に取り組めば、耳が聞こえなくとも、耳が聞こえる人以上に、まさに気の利いた行動や、心遣い、または普通の人では気づけないような事も気づく事が出来る人がでてくるのではないかと。またそれがそのような方達の希望となるのではないかと。そのように思ってしまいました。
しかし、これもそのような自らの感性の中に、先生に気を通して頂いた事によって頂いた種、希望の光を、自らがこれからどのように育てていくか、これからどのように大きくしていくのかが大事だと思います。これは自分達も当然、そうだと思います。先生はよく「健常者の方が重症」と言われますが、まさに健常者は健康だからこそ、そのように自分の中にある、潜在能力に気づく切っ掛けも機会もなく、ただ人生の時間を過ぎさせていくのだと思います。しかし、それでは今の日本の状況で自分の愛する人、ものを守る事はできないのだと。もうすでにそのような状況が起きつつあると感じます。
今回の懇親会での出来事は無論、道塾など、常識の世界では考えられないような事象を経験、体験させて頂いたり、目の当たりにさせて頂いても、自分自身がそこから何を学び、そして自分の人生にどのように活かしていくのか。またどれだけ実践していく事が出来るのか。それはまさに、当たり前ですが自分自身にしかできません。今回の道塾、懇親会でも耳の不自由な方に対する先生の御指導を通してでも、そのような事を学ぶ事ができました。本当に、こんな事を学べる場など他には無いと思います。
名古屋道塾、初回から本当に様々な事を学ばさせて頂き、そこから得た希望の光、人間の眠っている潜在能力の凄さ、そしてこれから自分が実践していかなければならない、という事に対する、覚悟、それに興奮冷めやらず、といった状態でこの文章を打ち込んでいます。
今年はこの名古屋道塾を通し、更に、更に、自らを深化、進歩成長をさせて、参りたいと。そのように思います。
宇城先生、素晴らしい気づきを与えて下さり、本当にありがとうございました。
今年一年、更に精進して参ります。また共に学ぶ名古屋道塾の塾生の方々もこれから一年、引き続き、宜しくお願い申し上げます。