日1日を丁寧に、謙虚に、「寄り添う心」「守る心」を大切に過ごしたい
岐阜 理学療法士 37歳 男性 SY
昨日は大変貴重なご指導をいただきありがとうございました。先生がお話されていたお言葉の全てが私に言っていただいているように心で感じながら参加させていただいておりました。本当に多くのお言葉が心に残っています。
私は今回の道塾の中で、縦に並んだ大勢の人の列を押す実証を身体で体験させていただきました。最初、自分自身で押しても全くびくともしなかった人の列が、お腹を痛めて苦しんでいる人に対して「大丈夫ですか?」と両手で触れながら声をかけた後に同じように列を押してみると、とても簡単に押して進むことができました。
一方で、苦しんでいる人を見ても何もせずただ横を通り過ぎた後に同じように列を押しても、人の列はびくともしませんでした。困っている、苦しんでいる人を見かけた時に「寄り添う心」で対応した場合と「無関心」「自分中心」で対応した場合の違いを教えていただきました。
今改めてその時のことを振り返ってみると、「無関心」な対応をしたときは人の列を押す前から「押せる気がしない」ように身体で感じていたように思います。またその時は「時間が止まっているからだ」と教えていただきました。そこには不安や心配事、自分中心の考え方が多々あったのだと思います。自分のない頭でいくら考えてもそのような状況に気づきもせず、まさに時間が止まった状態にしかならないのだと思いました。そして、その状態から脱却するためには自分自身の力では到底無理で、外からの力で殻を割って頂かないといけないのだと感じました。
また「非日常の中で土台を作り、それを日常で活かさないといけない」とお話されていたことも心に残っています。コロナ禍となってから、私は非日常がない中で日常を過ごし、自分では気づけない程に低い次元の中で生活し続けていたのだと思いました。
その他にも、「お天道様が見ている」というお言葉も心に残っております。そういう物の見方、捉え方が「生かされている」ことを感じるためのきっかけとなり、日常を謙虚に過ごすことに繋がるのだと思いました。そして、ただ謙虚に過ごすだけでなく、昨日の実証で体験させていただいたように、なぜ今の自分でも人の列を押すことができたのかをよく考えなければ、その日常には変化がないのだと思いました。そして今の自分はそのことが何も分かっていないと感じています。
緊張感を持って道塾に参加させていただきましたが、始まりから終わって家に帰るまで、ずっと身体の中心から熱くなっている感覚がありました。宇城先生と同じ空間に居らせていただき、先生からご指導をいただくことでエネルギーを頂いたのだと感じています。今日、いつもと同じ場所で同じ仕事をしているはずなのに風景が違って見えていました。
また、同じ実証を数回繰り返すと「すぐに頭で理解しようとする」ともお話されていました。これは自分では気づけない程に身体に染み込んでしまっている習慣なのだと教えていただいたように思いました。昨日体験させていただいた実証のことを振り返りながらこの文章を書いている今がまさにそう(頭での理解)なのではないかと感じるほどです。
先生から頂いたご指導とお言葉を胸に、日1日を丁寧に、謙虚に、「寄り添う心」「守る心」を大切に過ごしたいと思います。
本当にありがとうございました。