岐阜 教員 40歳 男性 KK
今回呼吸を宇城先生のご指導のもとで取り組んでみて、「調和」について実感することができました。机を持ち上げることができるという身体の変化はもちろんですが、呼吸を宇城先生を真似ながらやってみたところ、自分が自分の周りの空気と溶け込んでいくのを感じました。
これは横着な言葉に変えたり、横着な心持ちに変えたりしたときとは歴然の差でした。横着な言葉の時は、動作自体は同じであるにも関わらず、周囲の空気から断絶され、自分の「範囲」のようなものが内へ内へと向かうように感じられました。孤立、孤独でした。周囲から隔絶されていくのを感じました。
一方正しい呼吸や正しい言葉、心持で取り組むと、自分の「範囲」が周囲と融け合い、無限に広がっていく可能性を感じました。これまで自分で呼吸に取り組んでいる時には感じなかった感覚でした。呼吸の形にこだわったり、やっていること自体に満足して私自身が孤立していたのかもしれません。今回感じたことを大切に、日常の自身のあり方をもう一度変えていきたいと思います。
また、今回もう一つ印象的だったのが現在の日本の状況を人が組む形で示してくださったことです。誰も気づかないうちにすでに崩れている状態。たとえそれが分かったとしても、誰にも何もできない状態。すでに死に体。何か一つのきっかけで総崩れになる寸前で、もうそれは時間の問題だということ。恐ろしい話ですが、残念ながら現在の日本はまさに宇城先生のおっしゃっている状態そのままであると実感します。そのためには真のリーダーが必要ですが、いますぐに誰かを代わりにできるわけではありません。だからこその「一人革命」です。
今回のコロナ騒動の中で、社会的にも随分「教育」が話題になりました。メディアでは数多くの「有識者」が現状への批判や提言を様々な形で行なっていました。ですが(当然ではありますが)宇城先生のような大局的な視点で教育を語る論説は見たことがありません。こんな状況の中で、学校や教育のあり方を批判することはおそらく誰にもできることです。しかしそのどれもが、批判者の自己顕示欲がその言葉の奥底に流れているように聞こえる論ばかりです。学校の教員はもちろんですが、教育を語る国民も一体何のための教育なのか、忘れてしまっているようです。
人を育てる、人の力を引き出す
コロナ騒動の中で、横着な教員に変わって出現したのは身体を蔑ろにした頭でっかちの理想論ばかり語る「有識者」でした。今こそ心を取り戻す時代であるはずなのに、「教育の専門家」たちの中からそんな声が聞こえてこないのは残念です。このことも「すでに日本の教育が崩れている」ことの証左のように感じました。
しかしここで嘆いていても始まりません。私にできることは「一人革命」しかありません。これまでボケていて、今なおボケ続けている私に何ができようか分かりません。何かしたところで社会になんの影響があるのかも分かりません。ただ、自分が変わること、成長すること、調和すること。そこを目指して改めて進んでいこうと思いました。
今後ともどうぞご指導のほどよろしくお願いいたします。