2024年度 第2回 宇城教師塾(2024.4.24)

●奈良 中学校 30代 男性

本日はお忙しい中であるにも関わらず、第2回教師塾にてご指導いただきありがとうございました。塾開始前、武道場周辺で作業をしていたバスケットボール部マネージャーの生徒さんに手洗いの場所を訪ねたところ、「ご案内いたします」と丁寧に寄り添っていただきました。とても清々しく温かい気持ちになりました。

私は今年度中学校1年生の担任を任せていただいております。昨年に引き続き、「学級開き」の学級活動の時間に『菌糸のネットワーク』を生徒たちに視聴してもらい、森の木々達は互いに菌糸でつながり支え合っていること、私たち人間は何をもって互いをつなげていけばよいか?を生徒たちと共に考えました。以下に生徒の感想を掲載させていただきます。

~生徒の感想~
〇友達との間にプラスチックの壁を作らないようにしようと思いました

〇植物が支え合って生きているということを知って、人間は植物のように支え合っているかと言われたら完璧には支えあえていないと思います。そのことからまずは今だけにしかない学級を植物のようにみんなで支え合って生きていきたいです。これからの学校生活楽しんでいきたいです。

〇人間もこんな風にともに生きていたらいいなと思った。(共生)人間は「心」でつながる

〇木は菌糸というものでつながっていて、それは人間でいうコミュニケーションと同じだと思う。人間もコミュニケーションを大切にして、助け合えばいいと思う

〇誰とでも仲良くコミュニケーションをとることが大切。社会で生きていくためにどうすればいいのかを深く考えることができた。自分一人ではなく全員と生きていくことが大切

〇植物が助け合って暮らしているように私も周りの人に目を向けて助けてもらったり助けたりして生きていきたい。私も生まれたときから1人じゃないしお母さんとか育ててくれないと生きていけないからそういうことが当たりまえと思わず植物のように助け合っていけたらいいなと思いました

〇人間はコミュニケーションや絆でつながっていると思う

〇木と木が菌糸でつながっているように人と人をつなぐ菌糸のような人間になりたいと思いました。菌糸みたいな人はどんなことができる人なのかなと思いました

「教育」とは「育み、教えられるもの」と教えていただきました。生徒一人一人の感想を読ませていただき、一人一人の感性の豊かさや温かさ、素直さから教師として何を大切にしなければならないのかを教えていただきました。

森の木々達は互いに菌糸のネットワークでつながれている。どんなに立派な木でも1本では枯れる。互いにつながり、支え合う。絆。学級・学年・部活動・学校を1本1本の寄せ集めではなく、「森」にしていく。そして、生徒の前に立つ自分自身は「太陽」となれるよう深化していきます。

私たち大人からの電波を生徒は敏感に察知します。私は学級担任としてできることを続けます。1日の終わりに黒板をキレイに清掃する。生徒の机をキレイに並べる。整頓が終わった誰もいない教室で生徒一人一人の姿を写しながら点呼をする。生徒の靴箱に入った上靴を並べる。学年やグラウンドのトイレを磨く。日々生徒や保護者、同僚の先生方と共有したい内容を学級通信にまとめるなど。教師塾で自分の身体に注いでいただいたエネルギーを電波として生徒達に届けられるよう、精進します。

教師塾でご指導いただく以前の自分では考えられない変化が起きています。この場につないでいただいた方々へのご恩を忘れることなく、これからも宇城先生に学び続けさせていただきたいと考えます。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

●京都 中学校・高等学校 40代 女性

宇城先生、昨日は教師塾でのご指導、ありがとうございました。最大の幸福は絆、寄り添うことである。頭では分かっているつもりになっているだけで、人類は最大の不幸である戦争への道を進んでいる。この事実を理解し、受け止められる教員が果たしてどれだけいるのだろうか。そう考えさせられる時間でした。自分たちの教え子が戦争に巻き込まれる事態は何があっても避けなければならない。日本という国を守るために「私」を捨て、「公」の精神を大切にしてきた日本人の魂。国を守るために、国と国の外交で対等な交渉をしてきたことがいかに素晴らしかったのか。今の政治や学校現場のリーダーを見ていると感じますし、自分自身がその立場であれば何ができるのかと考えさせられました。

腕相撲をしている2人の方と4人の男性がそれぞれつながり、一番端の人同士が腕を引き合うという実践は圧巻でした。宇城先生が意識を抜くと、腕相撲に勝てるだけではなく、そのエネルギーはつながっている人たちに伝わっていき、端の人も相手を簡単に引くことができました。頭の中にできない、無理だといったこれまでの経験で植え付けられた意識がとどまっていることで、本来持つべき力を発揮できない身体に変化をしてしまっているということがよくわかりました。

指導をする大人の思考が止まっている状態で、生徒たちに自分が望むような指導を行ってしまうと、生徒たちの思考も同じように停止させてしまうのだとすると、私たちが行なっている教育は一体何のための教育なのかと疑問を抱きます。人間は生まれながらに完成形。宇城先生がおっしゃる通り、子ども達の身体は素直であるはずなのに、最近の中学生は身体が止まってしまっている生徒が本当に増えてきました。まさに大人の学ばなさによる結果です。保護者も学校も、それぞれの役割を果たせずにいることが子ども達の未来を奪ってしまっているということに気づき、変化しなければ、日本の未来に希望はありません。私立は変わらなければならない。先生のお言葉に背中を押していただいていることで、希望を捨てずにいられます。そんな私が今できることは、学校の体制に文句を言うことではなく、意識を捨て、最大幸福に近づくための教育が何かを考え、行動し続けることです。

現在、中学生に幕末の授業をしていますが、学べば学ぶほど、江戸時代を生きた日本人が国をも守るために世界を知り、その時々で正しい判断をしてきたことがわかります。鎖国をやめ、国を開くときでも、国を守ることを最優先に考え行動した日本人。鎖国と言いながらも世界情勢を把握し、不安、怯えから列強の言いなりになっていたわけではなく、国民の安全を守るために欧米列強と交渉してきた経緯は驚くものばかりです。それと同時に、史実は都合の良いように変えられているということも最新の研究結果からわかり出しています。それに対し、今の日本は不安・怯えであふれています。学校現場も同様です。教師が不安だから、生徒も不安になり、前に進めなくなっているのだと感じます。

机の前に男性が立ち、1・2・3の合図で机を動かすという実践からも、不安・怯えでは人は固まってしまい、後ろに下がることしかできないことがよくわかりました。机を持っている私自身も力を緩めると机が下がり始めました。それは依存しているからだという先生のお言葉を聞き、攻める側も、責められる側も、怯えに支配されている現状に非常に危機感を感じました。私たち教員が1番生徒と共に時間を過ごせる授業の場で、不安・怯えを与える授業をしていては絶対にダメですし、希望を与えられるような授業をしていくこと、依存しない強い心を育てられる実践をしていかなければなりません。目に見える部分だけの薄っぺらい学びではなく、無意識、深層意識の部分に気づきを得られるような学びに変えていくためには、自分が進化、成長する以外方法がありません。偏差値教育の弊害をいち早く排除し、生きる力を育むための教育を取り戻していきたいです。先を取るためには個人レベルでの交流が大切だと先生がおっしゃるように、まずは自分自身が周囲の人々と調和し、巻き込める渦の中心のような存在にならなければなりません。立場も人種も価値観も大きく違う人たちとどのようにわかりあうのか。難しいことですが、私には宇城先生という全ての違いを一瞬で無くしてしまう師の存在があります。子ども達の1番そばにいる私たち教員が、姿勢で魅せられる大人になることが何よりも大切であるということを先生はいつも教えてくださいます。人は魅力で人を惹きつける。そのお言葉通り、誰が言うかによって子ども達の行動は大きく変わります。忖度ではなく、真剣に相手と向き合えているのか、横着をしていないかを自分に問い続けながら、本を読み、稽古をし、自分の学びを深められるように、これまで以上に行動していきたいと思います。

人は全てエネルギーで動いている。そのエネルギーをご自身でコントロールされるだけでなく、人にも与えることができる宇城先生の存在は、まさに太陽です。太陽がなければ地球は存在できないのと同じで、宇城先生という太陽が照らしてくださることで、私はエネルギーを得ることができ、逃げない自分でありたいと行動できるようになってきました。まだまだ未熟で弱い自分が出てきます。正しい決断が難しいことも多いです。その度に、先生なら・・・と問うことができる私は幸せです。どのような仕事も、経験も自分にとっての成長の場でしかありません。逃げずに、今、目の前のことと向き合いながらも、先を見て戦争になる前に外交をして戦争にならないようにできる力、それどころか相手と仲良くなりみんなが幸せになれるような力を身につけられるよう、努力していきます。引き続きご指導、よろしくお願い致します。 

●京都 中学校・高等学校 40代 男性

昨日は、教師塾でのご指導ありがとうございました。この激動の時代。世界中のどこかで戦争が起きており、日本国民がこれほど腑抜け、ボーっとしていることにどれだけの人が気づき、その備えをしているのかと危機感しかありません。その中で学校教育が果たす意味は何なのか。受験戦争の中にこどもたちが巻き込まれ、本当に学ばなくてはいけないこと。経験すべきことが出来ていないことに誰も声をあげない。気づいていたとしても変えることが出来ない。要するに、そこに関わる人たちに力がないということをもっと謙虚に受け止め、もっともっと学ばなくてはいけないという想いが、宇城先生にご指導いた だく度に内面から湧き上がってきます。 そして、その先を常に示してくれる「師」という存在がどれだけ大切なのか。誰しも気づかないうちに ぶれてしまう時があり、エネルギーが不足して悩む時がある。宇城先生の存在がどれだけありがたいのかを感じ、もし先生と出会っていなかったら今頃自分はどのような人生を歩んでいたのかと怖くなります。私は、先生と出会いをいただけたからなんとか軌道修正していただきながら、また目指すべき方向を示し、気づかせていただけることができています。他の人はどうなのかとふと思う瞬間があります。そう思うと宇城先生と道塾や講演会などでつなぐ役割が私たちにあり、そのためにも私たち自身が自力をつけることが必要となってきます。まわりまわって結局は自分自身に戻り、自分がどうあるのかということに尽きるのでしょう。 昨日正座をして、上から押さえる検証で、自分は上から押さえられているから起き上がれないとそう思い込んで身体を起すことができませんでした。まだまだ頭で動いていることに気づかせていただき、 自分の身体のアンテナの感度が鈍さに反省しきりでした。教育とは、意識のレベルでの活動ではいけないことが本当の意味で気づき始めたらからこそ、自分の出来ることを知識はもちろんのこと、それ以外で生徒に示すことが出来るよう努力していきます。今から 100 年後日本の人口は、5000 万人を下回り、近々でいうと各自治体も 2050年までに 80 近くが 消滅していくと言われています。社会環境がなくなっていけば当然人との関わりが希薄となり、信頼関係はおろか、人と人と手を取り合うことが減っていき日本という国のレベルは奈落の底に落ちていくことでしょう。これは、自分の子ども孫の時代にその現実が起きてしまいます。このことを国民一人ひとりが認識をもち、食い止めなければなりません。 宇城先生が進むべき道を示してくださることが世界の平和の道です。どこまでもスケールの大きな愛に甘えることなく、日々鍛錬していきます。「自分を信じる→自信」自分を信じられるように、行動し続けていきます。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。

●奈良 高等学校 20代 男性

先日は、第2 回教師塾を開催し、ご指導下さりありがとうございました。冒頭の戦争になったとき、どう対応するか。台湾有事が現実味を帯びてきているなかで、いかに平和ボケして低いレベルで日常を過ごしているか気づかせていただきました。また、教育で、勉強を教え、スポーツを教え、それがまったく人間としてのレベルアップにつながっていないということを気づかせていただきました。実践では、突進してくる机の前に立たせていただき、不安が出ている。と自分でも感じました。宇城先生が横に立ってくださったときは、机がまったく怖くなくなり、逆に自分から机の方にむかっていける!という自信が身体から沸いてきました。不安を感じている人が先生だから生徒に不安が映る。とはまさに、自分のことだなと思いました。前回の教師塾から学んだことを日々学校で実践しているつもりでした。今回の教師塾で時間が経過するたびに、自分が生徒にしていたことは、意識の5%の世界で、無意識の95%、本来の人間の力が出る部分で生徒に接していないのだと気づかせていただきました。宇城先生が横に立って下さったときの安心、できると身体が感じること。これを自分の生徒たちに感じさせれると子どもたちはどんどん伸びていくのだと感じました。宇城先生が「こどもは宝の宝庫」とおっしゃっていて、教師塾の終盤、周りの先生方、全員がキラキラしていて、誰ができているとか、誰が優秀かとかではなく、全員が可能性を秘めているというのを感じました。私が普段、子どもに感じていたのは、私の不安を通して子どもを見ているのだなと思いました。宇城先生が教師なら子どもたち全員の可能性を引き出し、全員が希望に満ちて毎日を過ごせると心から感じました。宇城先生から教えていただいた、「一歩前に出る」「肩をたたきながら声をかける」「同じ方向を向く」「寄り添う」ことを実践していきたいと思います。 また、教師塾が終わった後も時間が許すかぎり、ご指導してくださり、ありがとうございました。左腕をかたくしてもらうと、左腕の中で細かいものが一斉にワーっと震えだ し、ものすごく力が入りました。腕をつかんでいる先生もびっくりして喜んでいて、私も笑顔になり、そのときの衝撃がまだ残っています。今回の教師塾では、数多く実践させて いただき、エネルギーをいただきました。子どもたちに広がっていくよう、毎日を過ごしていきたいです。今回参加させていただいて、次元が違うんだ。と今まで以上に強く感じ ました。覚悟をもって、先生という仕事を続けていきたいと思います。 これからも、ご指導よろしくお願いいたします。

 

●京都 中学校 40代 男性

教師塾が開催される度に、「寄り添うこと」そこからの「絆」を日々作れているか示せているか、考え答え合わせをさせて頂く時間です。先生が何時もおっしゃる『師』を持つことの大切さ、自分だけでは気付けない、無意識の部分さらに深層意識の部分は決して自分では変えられない。 95%は無意識化にあるという先生の言葉を自分なりに日々『師』という指標を頂けるこの場の大切さ、次元の違う話だからこそ無意識化され、知らず知らずのうちに学べていると感じます。教師塾という場で先生から気付かされていることを子どもたちのように感じればいいが、大人に感じ取る力がないこと。 子どもたちはその感じ取る力があるということを知り。 今日の先生の話、実践で普段感じれない自分達大人も感じ気付かせていただいた。 先生がおっしゃる通り、子どもたちの成長の邪魔を教育はしているその意味を知れました。 目に見えないものを見る力が何倍もある子どもたち、目に見えないものを信じず追求せず諦める大人。0を1にする教育。できないことで済ます。大人にそのエネルギーがないのに 何を子どもたちに与えられるのか。小さい世界しか見えないようにして、子どもたちをコントロールするその程度でしか今の教育はないこと今の教育の意味は・・ 子どもたちに良かれと思ってしていることに真の幸せはあるのか?受験勉強のその先に、スポーツの優勝の先に何があるのか?そんな考え自体自分たちはしたことがなかった。 自分は凄いと思われたい。不安をかき消す、間違った気合で頭をだまして戦うスポーツ。その先に何があるのか。今日の講習の中で先生は最大の不幸は、最大の幸福はということを投げかけてくださいました。最大の不幸は何なのか、学校レベルでいうと、『いじめ』などが挙がるが、先生がおっしゃったように戦争がいざ始まったら、いじめなどでは片づけられない信じられないことが起こる。実際に今もロシア VS ウクライナ、イラン VS イスラエル 日本に近いところで台湾有事、先が見えない目先のことしか見えない我々にはそれが起こったときになすすべはないし、考えない自分たちは、そうなっても仕方ないぐらいで済ませてしまうんではないかと感じました。それとは逆に最大の幸福は『絆』を作ること。戦争に例えたら始まれば終わりです。平和を260年も続けた江戸時代。徳川幕府、その根底にあった『無刀取り』の考え、『戦わずして勝つ』の境地。先をとる。リーダーの考え振る舞いがすべてに広がる。そういう意味で言えば、今の日本人のレベルが低いということも頷ける。個のベルの交流。国レベルの外交。人間にとって大切なのは先生が今日示されたような、頭ではなく理屈ではないモノなんだということを学ばせていただきました。 『絆』を作るための寄り添いとはの前に今日の学びを実践してこそその先にできるが生まれてくると信じて生徒に寄り添える本物の教師を目指します。 4月の始まりにこのような学びの機会をいただいたことに感謝し実践に励みます。 ご指導ありがとうございました。

●兵庫 高等学校 50代 男性

宇城先生、ご指導ありがとうございました。

遅れての参加で申し訳ありませんでした。短い時間の参加でしたが、宇城先生はもちろん、教師塾の仲間のエネルギーを受け取ることができました。

今年度は新しい職場に移り、休憩をする間もなく働く毎日です。新しい職場は発展的統合という名の合併を次年度に控えた学校のため、通常よりも業務が多くなっています。目の回りそうな毎日でも自然とやる気が湧いてくるのは、宇城先生の元で学ばせていただいているからだと思います。教頭としては事務的な仕事がほとんどですが、生徒と直接関わらない分、教職員が生き生きと元気に働けるような職場にすることが一番の仕事だと思っています。また、次年度から新しい高校が始まり、違う制服の生徒が同時に同じ校舎で学びます。その2つの学校・生徒たちを一つにつなぐことが自分の最大のミッションです。宇城先生に学ばせていただいている自分がこの学校に転勤してきたことに運命を感じています。

今年度は、まず自分ということですべてのことをやっていこうと思います。特に仕事では、他の教員を変えたいという欲望を捨て、自然と活気のある職場になっていることを理想としていこうと思います。

今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

●大阪 中学校 60代 男性

宇城先生。先日も、いろいろとお忙しい中、宇城教師塾を開催、そして御指導を賜り、誠に有り難うございました。冒頭の御講義では,“感知”に大きく2つあることを教えて頂きました。1つは、いわゆる「五感」。入ってくる情報を「眼耳鼻舌身」を通して脳やヒフで受信するルート。そして、今一つは、無意識・潜在意識。「目に見えないメッセージ」をその領域で受信するルート(この「潜在意識」の中に“不安“、“怯え”、”依存心”があるというのが、気になりますが…)。この2つの“感知”ですが、日々の生活の中では、日頃からついつい目に見えるものだけに目を奪われがち になります。

もう20年程前になりますが、宇城先生も対談された芸能人の美輪明宏さんがテレビの番組で、「見えるものを見るのではなく、見えないものを見よ」と、仰っておられたのが、非常に印象に残っています。「はて?」…目には見えないものとは?…と、ずっと疑問に思っていたのですが、6年前に美輪さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談本を読んだところ、その中に、その見えないもののことが記されていました。それは「心」だと。

宇城先生に学ばせて頂く機会を得て、「“心あり”と“心なし”の違い」や「“心”は目には見えないが、“行動”を通して見えるし、“行動”が“心”をつくる」や「寄り添う“心”が、相手にも自分にもエネルギーを与える」ということを気づかせて頂きました(最近、諺の「情けは人の為ならず」の本当の意味は、このこと~“寄り添う行動”は、相手にも自分にもエネルギーを与える~も含まれているのではないか…と、思ったりもします(笑))。

そして、「見えないもの」とは、美輪さんが仰る「心」だけではなく、「人が発する“電波”」や「音楽の波動」、そして「(気)エネルギー」などが確実に存在し、それらが瞬時に周りに影響を与えることが出来ることを示して頂けた2時間だったと思います。

私は、「宇城道塾」でも学ばせて頂いていますが、ついつい頭が働いてしまい、せっかくの“気”を遮断してしまうことが多々あります。そして、そのときの私は「出来る」「出来ない」にフォーカスしてしまいます。

しかし、今回の御講義の最後に宇城先生は、「“出来る” “出来ない”ではない」と仰いました。そう言って頂けるだけで、今はダメな自分だけど、先行きの“希望”を感じることが出来ます。そして、そんな自分でも、実際に「心あり」でゴミを手につけて取ろうとすると、床に手がつき、他人に背中を押さえられても、起き上がれるエネルギーが出てきました。また、生徒を励ますのに、一歩前に出て肩をポンポンポンと叩く…という行動も相手にエネルギーを送ることが出来るということを教えて頂けました。毎日の学校での生活の中で、今回学ばせて頂けたこれらのことを行動に移していきたいと思います。以上で受講感想文を終わります。これからも御指導の程、何卒宜しく御願い申し上げます。有り難うございました。

●奈良 中学校 30代 男性

宇城先生、昨日はお忙しい中、教師塾でのご指導ありがとうございました。また、教師塾の開催や運営をしてくださった教師塾、宇城塾の先生方にもこの場を借りて御礼申し上げます。

新年度が始まり、三年生の担任として4月がスタートしました。教師塾を終えて感じたのは、最高学年の担当ということもあり、学年生徒の生活態度や修学旅行に向かう活動の中で、生徒の姿にいつも以上に目を光らせ、気が張っている状態で生活していた自分がいたということです。実は教師塾を迎えるまでの2日間ほどで、自分のクラスの生徒がこれまでの緊張が切れたかのように180度行動を変える出来事が起きていました。なんでなのだろう。何が原因なのだろうと教師塾に向かう道中で考えながら車を走らせていました。宇城先生のお話では、ただでさえ日本の学校現場は、受験競争と勝利至上主義の部活動で生徒たちに「不安と怯え」を植え付けているとのお話をいただきました。そうか、昨日までの私は、自分の心の不安や怯えを生徒に写すような心構えで生活していた。この2日ほどの生徒の糸が切れたような姿にも納得しました。誰のせいでもなく自分の姿が生徒に写っていたのです。

世界ではなく日本のために。塾の中での宇城先生のこの言葉に痺れました。日本を変える。教育で。未来を担う子どもたちを。私自身も目の前で起きる事象に改めて感動し、体が、心が、熱くなりました。時間にして2時間半ほどで教師塾に到着するまでの気の重さや張り詰めた感じは吹き飛びました。やはりまだまだ部分体で教師という仕事に向き合っている。だから疲れ、いつのまにか日本の教育の悪弊に呑まれる。その事実を学ばせていただきました。幸い私には宇城先生という師があり、共に学ばせていただいている教師塾の先生方という師がいます。本当に感謝です。木は一本では育たない。周りの木が根っこのレベルで土を通して菌糸レベルでつながり、支え合い、助け合い、やがて森になる。教師塾という森で、私は昨日、周りの木に助けていただきました。いつかは自分もそんな森の一部として生徒という木を、同僚の先生方という木を菌糸レベルで支えてあげられるようになりたい。一歩前に出て。

宇城先生、ありがとうございました。まだ弱々しい木ですが、少しでも幹を大きくできるよう、まずは根っこを大切に生活していきます。

教師塾の先生方にも改めて御礼申し上げます。私を支え、助けていただき、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

●三重 高等学校 40代 男性

宇城先生、昨日はお忙しい中、教師塾でのご指導ありがとうございました。また、教師塾の開催や運営をしてくださった教師塾、宇城塾の先生方にもこの場を借りて御礼申し上げます。

宇城先生をはじめ、共に学ばせていただいた先生方ありがとうございました。

第1回に引き続き参加させていただきましたが、今回の内容も目の前で起きることが驚きと興奮の連続で、貴重な経験を積ませていただきました。また、頭(脳)以上に体(細胞)で体感して学ぶことの重要性を知ることができました。

様々な体験とお話を通して、今回は「恐怖」や「怯え」に対してどう向き合うかということを深く考えさせていただけました。日本教育の特性上、どうしても人は「評価」を気にしてしまい、「失敗」することを恐れ、「挑戦」することをやめて「現状維持」に落ち着く傾向があります。そのため、進化することができず、エネルギーが年を重ねるごとに失われてしまい、本来持っているエネルギーを発揮することができないのだと気づくことができました。また、それと同時に、この現状課題を解決していくために必要なのが「調和」であり「絆(寄り添い)」であることを学ばせていただきました。

今回も講義後のワクワク感と興奮を抑えることができず、早速、授業内のアイスブレイクで「調和」と「無意識」がどのようなエネルギーを生み出すのかということを体験の内容を真似して生徒に体感してもらいました。前回の授業で目に見えないエネルギーの凄さを体感した生徒も数名いたため、体験前から目をキラキラと輝かせて興味津々の様子でした。特に前屈(ゴミ拾いのイメージ)の実証では、柔軟性が極端に変化した生徒がおり、周りもそうですが、本人も「なぜそこまで変化するのか」ということに対して不思議そうにしておりました。この体験を通して自分の秘めた力(エネルギー)を生徒に認識させることができたので、彼らの今後の成長がより楽しみになりました。

皆さまと共に学ばせていただけることに感謝いたします。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

●三重 高等学校 30代 男性

この度も貴重なご指導をいただき誠にありがとうございました。この教師塾で学ばせていただけることが私にとってとてつもない希望です。宇城先生に目の前で示していただく一つひとつの事がいつも自分の胸に刺さります。自分の力ではどうにもならない事。悩んでも解決しない事。自分が変わらなければいけない事を示していただけます。衝突を繰り返す懲りない自分の横着な身体は病気である事に気づかせていただけます。第一回が終わってから四月の今日までの間、たくさんのものと衝突を繰り返してきました。そんな自分を認めれば認めるほど嫌になります。そしてこの思考自体がズレている事もです。何も身体で分かっていないのに分かったふりをする自分の姿勢が情けない。変わりたい。変えないといけません。

宇城先生は私達に「怯え」と「不安」についてお話くださいました。人は不安や怯えがあると逃げ、守られると強くなる。逃げずに守ること、「真剣」であることが大切であるとおっしゃいました。染みついた不安や怯えは教師塾という場で宇城先生という、とてつもなく大きな存在によって心の安らぎに変えていただけます。ですが、いざ学校にいくと何もできない自分と相対します。よい自信と悪い自信。自信のなさからくる怯え、言い訳や誤魔化しが自信のない身体を作っています。だからこそ、ゴミを拾う、弱っている人、困っている人、すべての人に寄り添うことで相手はもちろん自分のエネルギーも高まること。これらを意識で行う上っ面だけの薄いものではなく、無意識からくる本物の行動にしていく。それが小さな進歩成長に繋がっていくのだと思います。行動して実践していくことで先を取ることができるようになる。教師塾で学ばせていただく瞬間、瞬間に希望が生じます。生き方を教えていただいています。これが本物の「教育」「指導」なのだと思います。エネルギーは、毎日の実践、積み重ねの結果大きくなっていく。これが先生のおっしゃっている「心あり」なのだと思います。相手の肩を叩くこと、調和すること、相手を思いやること、寄り添うこと。

宇城先生がおっしゃる「自分の中でわくわくする。希望がある。この連続が死ぬ時が最高につながっていく。」一人革命の意味、深さ。この幸せな教員人生。日々精進してまいります。いつもご指導いただき誠にありがとうございます。

●奈良 県教育委員会教育研究所 30代 男性

先日は教師塾においてご指導いただき、誠にありがとうございました。

私事ですが、4月から事務局へ異動となり、職種や環境が大きく変わる中での参加でした。職場で生徒と接することがなくなって、改めて今まで生徒や周りの先生からエネルギーをもらって支えられていたことに気づかされている次第です。現在の仕事は自分たちの守備範囲が明確で、同じ係や部であっても隣の人が何をしているかよく分からないぐらい、繋がりがなかなか感じられない環境です。4週間経ちましたが、分からないことばかりで、不安で怯えているのが今の私です。迫り来る机に怯えると、早くから逃げようとする。私と重なりました。今は全てが後手に回っています。私の身にもこれから大きな何かが迫り来ることはあるはずで、それに対処しなければならない立場であるのに、今のままでは壊れてしまうという切迫感を覚えました。

力のない者が力を合わせてぶつけにいっても、エネルギーをもった者に先を取られると止められる。そればかりでなく、力を抜くとじわじわと後退する。先を取る者が身にまとうエネルギーの凄まじさに驚かされました。自信がないと先は取れないのだと思います。自信をつけるためには、分からないことは素直に分からないと認めながら、ただひたすらに力をつける必要があるのだと思います。先入観や意識が自分の潜在能力を弱めていることにも気づかせていただきました。できないことを悲観せず、できないことを一つずつできるようにしていこうと思いました。

今の仕事になかなか前向きになれていませんでしたが、宇城先生にご指導いただいて、頑張ろうと思えました。最後に、笑うとエネルギーが湧いてくるというお話を伺って、最近笑えていないことに気づきました。時には笑えるところで笑いながら、前進して参りたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

●奈良 中学校 30代 女性

先日は教師塾においてご指導いただき、誠にありがとうございました。

私事ですが、4月から事務局へ異動となり、職種や環境が大きく変わる中での参加でした。職場で生徒と接することがなくなって、改めて今まで生徒や周りの先生からエネルギーをもらって支えられていたことに気づかされている次第です。現在の仕事は自分たちの守備範囲が明確で、同じ係や部であっても隣の人が何をしているかよく分からないぐらい、繋がりがなかなか感じられない環境です。4週間経ちましたが、分からないことばかりで、不安で怯えているのが今の私です。迫り来る机に怯えると、早くから逃げようとする。私と重なりました。今は全てが後手に回っています。私の身にもこれから大きな何かが迫り来ることはあるはずで、それに対処しなければならない立場であるのに、今のままでは壊れてしまうという切迫感を覚えました。

力のない者が力を合わせてぶつけにいっても、エネルギーをもった者に先を取られると止められる。そればかりでなく、力を抜くとじわじわと後退する。先を取る者が身にまとうエネルギーの凄まじさに驚かされました。自信がないと先は取れないのだと思います。自信をつけるためには、分からないことは素直に分からないと認めながら、ただひたすらに力をつける必要があるのだと思います。先入観や意識が自分の潜在能力を弱めていることにも気づかせていただきました。できないことを悲観せず、できないことを一つずつできるようにしていこうと思いました。

今の仕事になかなか前向きになれていませんでしたが、宇城先生にご指導いただいて、頑張ろうと思えました。最後に、笑うとエネルギーが湧いてくるというお話を伺って、最近笑えていないことに気づきました。時には笑えるところで笑いながら、前進して参りたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

●大阪 大学 60代 男性

この度の教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。

深層意識に「不安」「怯え」があり、それが「依存」に繋がっているというお話があり、すべては身体に出るということを検証でお示しいただきました。改めて身体が依存症になっていると感じました。

今の世の中が不安定になると、人間は逆に安定を求め、求めれば求めるほど、不安、怯え、何かに依存していかないと生きていない状態になっています。それが未来ある子どもたちにも大きく影響している。

教育現場でもそういったところに気づかず、寄り添う指導がなされていない。まさに教育のあり方・仕組みが問われていると感じます。

何か問題が起こって慌てて動く。説明、弁解に右往左往する。いじめ、登校拒否、精神障がいなど、まさに不安、怯え、依存がこういった形で今後もどんどん増えていく時代になっていくように感じます。

学校に行けない子ども、行かない子ども、引きこもりの子ども、自分を出せない子どもたちが増え続ける危機感を覚えます。事実そうなってきており、年々自殺する若者の数も増加傾向にあるという事実。

今回の検証の中では「意識を抜く」という実証があり、机の前に立ち、数名で机を押す前に立つと既に身体が怯えている現状。宇城先生が「意識を抜く」と目が変わり、身体がビクリともしない状態になる。またその人に触れると身体の変化が伝わる、まさにその人だけではなくその場に居る全員がそのように変化を感じる。まさに波動が身体を通して伝播する。まさに場の空気から変わっていくのを実感できる。不安、怯えは周りにも瞬時に伝わる。それは実は自身がつくり出しているものであり、そこに気づかずに日常を過ごしている自分がいる。楽に、自分のペースで・・・。まさに日常の自分のあり方が、それだけ身体を鈍くしており、自分勝手な横着な身体になっていることにすら気づかない。実証では善し悪しではなくその変化に気づかせていただき、まさに平和ボケしている自分と向き合うことができた。

子どもたちがそういう影響を受けるのは、身近にいる親、大人、教育現場からそういった波動が広がっており、それが原因で、エネルギーがどんどん下がっている。今の教育は、分かりやすいところに目を向ける傾向にあり、親も含め、それを受験やスポーツに向ける傾向にある。今回の実証を通して、すべては身体に表れる。意識は何の役にも立たない。むしろ意識が邪魔をしている。頑張れば頑張るほど、頑張らせれば頑張らせるほど身体は浮く。目先の結果に捉われ、エネルギーが下がり身体はどんどん弱くなる。意識とは捉われであり、我・欲であり、無意識の中でそれが身体を縛っている。実証の中でそれを取り除いていただくと、不安・怯えが消えた。如何に身体が意識に捉われ、支配されているか。その捉われ・支配・依存によって不安になり、身体が怯え、いつき、動かなくなっているかに気づかせていただいた。教師自身がそういったところに気づくことで、教育のあり方、全体を通して子どもたちとの向き合う中で寄り添うことができることを身体を通して気づかせていただいた。

また捉われが精神的な不安定さを生み、そこに気づかずに、理屈、理論で片づけようとしている横着さがどんどん自分の幅を狭くし、身体を別の違う依存・支配で動かなくしている、それは心(未来)を閉じているということにもなり兼ねない。人間は、不安や怯えがあると、何かに頼ったり、何かにしがみつこうとします。そういった事が癖になり、無意識の中で依存していくことになる。

また自信のない人間ほど、地位や肩書で生きているという指摘がありました。まさに不安や怯えているからこそ自分を必要以上によく見せたり、強がったり、権力を振りかざしたり。それは、自分の怯えを隠そうとしているだけである。相撲の世界でも、横綱クラスになると「胸を貸す」という稽古があります。まさにすべてを受け止め、受け容れる中でお互いを伸ばしていく。まさに寄り添う中の厳しさこそが身体を通して教え、刻み込む、そしてそこには不変の深い愛情がある。

世界では戦争が起こっている中(最大の不幸)、日本人はどこか無関心で、「日本は大丈夫」「自分は大丈夫」という他人ごとのような自分の都合で片づけているところがある。まさに寄り添うこと(最大の幸福)もなく、只々他人ごとのようになっている日本の未来はないように思えてなりません。そういったところを、宇城教師塾の中で、宇城先生は現場に立つ私たちに警笛を鳴らしていただいている。そして「先を取る」ということは、自身がもっと勉強をしないと日本(教育)もどんどん遅れていくだけではなく、そこに気づかないまま流されていく危険性がある(そうなっている現実、事実・・・)。それが子どもたちに映っていく。「何を教えるか」ではなく「何を映していくか」。だからこそ「教師塾」であり、宇城先生の哲学、実践を通して世の中、教育界に広げていく。そのためには我々塾生一人ひとりが止まっている時間はない。先を取り、日常、実践を通して勉強を重ねていく中で、更に深めていく必要があり、教育に対する危機感を感じる中、自分を信じる「自信」にしていく必要があると思います。

まさに「他尊自信」が根源にある。「心あり」は、まさに自分自身の生き方にあり、未来に光を当てる意味でも、子どもたちのエネルギーを下げることなく共に進んでいく必要がある。大人、親、教師の生き方がそのまま子どもたちに映っていく、その責任を感じ取る自覚こそが、まさに「先を取る」ということであると感じます。

不安、怯え、依存に捉われている現代人。手法ではなく、心からの生き方こそが自分に気づき、更に日常を通して自身を磨き、高めていくことに繋がる。そういった意味でも、今のスポーツは、どんどん中心から離れていく人間をつくっているように感じてなりません。お話があったように、競争、評価、勝ち負け、そういったことが、どんどん寄り添う、お互いを支え合うというエネルギーを下げているように感じます。まさに自分さえ、勝ちさえすればという自己中心的な心の弱さが、どんどん身勝手な身体にしていき、不安や怯えを生み出し、本来あるべきエネルギーを下げていくだけではなく、自立する心(中心)を無くしているように感じます。

昔テレビで、『わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい』というCMが流れていたのを思い出します。「わんぱく」というエネルギーが「たくましさ」という人を包み込み、寄り添う優しさとして、恵まれない時代の中で、子どもたちの心身を育てていたように思います。宇城道塾、宇城親子塾、教師塾は、師を通して共に学ぶ場であり、子どもに親が教えるのではなく、親が子どもから気づき、学ぶ空気感を生み出します。まさに、捉われのない無限のエネルギーが子どもたちの未来への一歩に繋がっていくように感じます。『共に生きる』という金沢翔子さんの「書」が思い出されます。まさに「心あり」です。

「できる」か「できない」かではなく、宇城先生から「できる」しかないという身体を本来持っていることを実証を通して気づかせていただいております。今回も実践を通して武道場全体の空気が変わっていくのを感じました。そして、その波動が全体を包み込んでいるのを身体を通して実感いたしました。

「教育現場が大変」と言われますが、大変とは大きく変わると書きますが、まさに我々塾生は、1㎜の変化に気づき、全体を通して根っこ(土壌)を大切にしていく必要があると改めて感じます。

「進化・成長とは変化すること、変化するとは自分を知ること、自分を知るとは謙虚になること」。どこまでも止まることなく、止めることなく、呼吸の如く「深化」していくべく、日々精進して参ります。

引き続き、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

●奈良 中学校 30代 男性

2回目の体験をさせていただきありがとうございました。

前回、宇城先生に触れていただいてから自分は相手の気持ちを感じることが少しできるようになったと思います。部活動でも、担任をしている時でも、子どもたちに手を添えて話を聞かせてもらっているうちにエネルギーを感じ取れるようになり、相手の気持ちが伝わってくる感覚を気づかせていただきました。その結果、部活動ではチーム一丸となって応援できたり、担任している生徒もこちらの反応に対して前向きに捉えてくれることが増えてきてきました。

宇城先生に教えていただいた「気」は、相手を思いやること、相手の立場になって言動に移すことだと気づかせていただきました。しかし、自分自身ができると勘違いをして、有頂天になってしまっていることも最近になって気づかれた部分もあります。

子どもたちの生まれ持って完成形を私たちが崩してしまわないようにしなければいけないなと考え直す機会をいただきました。

無意識のうちにできないと判断することによってパワーがなくなることや力任せでなく潜在意識を解放できるように日々努力していきます。

次回もよろしくお願いします!

●奈良 中学校 20代 男性

教師塾でのご指導、誠にありがとうございました。 もっと実力をつけていかないと、生きるスピードを上げていかないといけないと改めて感じさせていただきました。

学校の中での「事の始まりを抑える」ということはまずは場を整えることだと感じたときがありました。私自身、この4月から初めて学級担任を持たせていただいています。引継ぎでは「全員がそろうことはほぼない」と言われ、保護者の方から「昨年度末では友だち関係が良くなく、それを見ている周りの同級生も学校に行きづらさを感じていた。気を付けてみてやってほしい。」と言われるような状況からのスタートでした。

毎日放課後に教室の掃除をし、黒板を綺麗に消して机を揃える。そして教室に入る前に一礼することを続けました。するとすごく教室全体の空気が落ち着くように感じられました。

そんな中、先日まで家庭訪問があり、たくさんの保護者の方から「3月まではギスギスした雰囲気があった。原因はわからないが、今はみんな仲良くすごせるようになったと家で言っている。」という話をいただきました。宇城先生、教師塾で一緒に学ばせていただいている先生方のおかげで今の学級の状況があると感じております。

ただ、担任として慣れないことが多く、まだまだ不安を持ったまま生徒と接していることがあります。やはり、それでは生徒を不安にさせてしまいます。実力が無いとはこういうことなのだと痛感しました。生徒が本来発揮もっている力引き出せるように、まずは自分が変わっていきます。頭や意識で本来の力の発揮を邪魔しているという現状から抜け出し、頭を真っ白にし、愛情とスピード感をもって物事に取り組んでいきたいと思います。自分に、目の前のことに向き合って頑張ります。ありがとうございました。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。

●京都 中学校・高等学校 40代 男性

今回の内容は、教師塾の最初ということでこれまで体験したことのある検証を数多く見ることができ、自分なりに客観的に振り返ることができました。そして、自分自身が気づく、気づかしてもらえるというよりも、その気づきを思い出すことができました。そして、それらの感覚を同僚などと共有したいなという気持ちが大きくなりました。

ここ数年で、昔から宇城先生がおっしゃっていた通り、日本が様々な面で低下、悪化していくのを感じます。日本の〇〇はどうなっていくのだろうかと、毎日のように思い、考えるようになっています。自分の身近なところで言えば、日本の教育、将来について非常に危機感や不安をもっています。中でも顕著に感じていることとして、教育の成り手が減っている(教員がまわっていない学校が多くある、私立もそうなりつつある)、精神的な理由での退職、休職が増えている、教員のレベルも下がっている、若返りも進んでいる、働き方が進む中で、教員間のコミュニケーションが減っている、志しや使命感が下がっているなど、国の未来をつくる教育に対して、非常に強い不安も感じます。そんな日本の教育の未来が分かった上で、宇城先生や森島先生が教師塾を立ち上げ、続けてくださっていること、私たちに投資をし続けてくださっているということを再確認することでき、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。クラブ活動も地域移行の流れが本格的に進み始めています。私は野球を入り口に、宇城先生に学ぶことができましたが、これからは私と同じような流れでご縁がつながる若手の教員も確実に少なくなっていきます。そんな中で、若手に対してこれは大事だと言える、またそれを大事だと感じさせる魅力をつけていかなければならないと思いました。そしてその魅力に大切なものが、今回先生がおっしゃっていた、まずは自分が笑顔で楽しみながら、子どもたちとはもちろん、同僚の先生たちともイキイキと過ごしていきたいと思いました。出会いやご縁は必然的に繋がっていきますが、自分自身が閉ざすことのないよう、自分のできることもしていきたいと思いました。

本校には、宇城先生に学ぶことができている、同じ思いをもった教員がたくさんいます。何年も学んできている仲間も数名います。だからこそ、使命感をもって行動していかなければならない、結果を出していかなければならないと思っています。自分だけでなく自分たちの学校が輝くことで、日本の教育界を引っ張っていきたいです。今年度も、ご指導、ご鞭撻をよろしくお願いします。

 

●奈良 高等学校 20代 男性

今回もお忙しい中貴重なご指導を頂きまして誠にありがとうございました。今回も沢山の事に気づかせて頂いたと思っています。

まず、日本の教育の仕方についてです。色々な学校で多数の人間がしないことをすると「そのようなことをしていたら成績に響く、受験が・・・」などといった声が上がることへのアプローチをしないといけないと感じました。受験に合格したからといって先の人生が豊かになるか、日本が豊かになるかと考えると当たり前ですが豊かにはならないと思います。そうなると宇城先生がおっしゃっていた将来どのように生活していくかを生徒自身にしっかりと考えさせる教育、周りとの調和、自己改革、気づきを大切にした教育などが必要になってくるのではないかと感じました。

次に、知識が物事の解決を邪魔しているという事です。野球の指導の中にはよく「考えてプレーをしなさい」といった指導があると思います。私自身も現役時代に「考えてプレーをしないから良いプレーができない、良い結果が出ない、考えて野球をしなさい」と顧問の先生から教えていただいていたと思います。しかし、それは反対で考えるからこそ知識が邪魔をして身体が動かなくなり身体が弱くなり良いプレーができないということを今回身体で体験させていただいたことがすごく衝撃的でした。日本の教育現場では当たり前のように良い結果がでない反対のことばかりを教えているということに早く気づいていかないといけないと思いました。そうすると今まで正解(当たり前と考えていた事)の反対を考えてアプローチしていくことも大切なのではないかと思いました。そこには、色々な意見を自分に取り入れていく素直さ、謙虚さが必要だということも改めて感じました。

今の時代では、これの答えはこれですと1つの物事に対して当たり前の答えを返すということをAI(チャットGPT)などが担ってくれると思います。そうすると、人間がAIと共存していくためには、当たり前ではないことを考えていくことが重要であると思いました。

 最後に、今回私自身は、宇城先生に直接先頭列でエネルギーを頂き、後ろに繋がっている列を動かすことができました。あの時、私は驚くほど先生とはこういう人の事をいうのだと感じた自分が居ました。こういう思いを感じさせることができる教員になるため日々努力していきたいと感じています。本当に貴重なご指導いただきありがとうございました。

●兵庫 高等学校 40代 男性

第2回教師塾でのご指導、ありがとうございました。

今回は意識できる領域の狭さ、そして頭がいかに邪魔をするかということを改めて教えていただきました。今の常識は狭い領域からつくられたものですが、それを疑いもせずに正しいことと思い込んでしまっています。実証から「全部逆をやっている」ということを見させていただき、私たち教師が「本質を知る」、「深さを知る」ということを真剣に求めていかないといけないと感じました。良かれと思ってやっていることが、子どもたちに不安や怯えを与えてしまっている。知らない間に子どもたちの可能性を潰してしまっているかも知れない。そのことに気づくことができるのは、先生に教えていただいている私たちだけであり、圧倒的な実力をつけ、ぶれずに進んで行きたいと思います。

アインシュタインが残した「我々は神に感謝する。天が我々人類に日本という国をつくってくれたことを。」という言葉を紹介していただきました。自信、実力を失い、舐められ、奪い取られ、媚びなければ生き残れなくなっている現状ですが、本来あった力に気づき、発揮していくだけです。「本来ある」ということを教えていただけるからこそ、前に進んでいけます。破綻寸前の学校現場ですが、唯一の希望も学校にあります。師に学び、歴史に学び、教師としての責任を果たしていきます。この度もさまざまな気づき、エネルギーをいただき、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

●奈良 高等学校 30代 女性

私たちはたった5%の意識の中で「自分」を生きている。潜在力の存在にも気付かず、残りの95%の無意識の部分などは知ることなく人生を終える可能性がある。ということは、忘れてはいけないと思います。宇城先生に出会わなければ、受けた「生」の表面を流れるように過ごしていたと思います。人としての営みを絶やすことなく繋いできた中で、今が最大の危機であることが宇城先生に学び始めて明確になるばかり。受験、スポーツ、競争社会を助長する教育現場。全く逆ばかりを猛スピードで進めていく。宇城先生の実証においても、気合を入れ意気込んでやると弱い。トレーニングをすると弱い。ラジオ体操をすると弱い。なぜ、弱く脆い身体ができあがる文化や習慣ばかりがあっという間に普及し、浸透していくのか。その答えは、たった5%の意識下(目に見える)部分にしがみついているからだと感じます。95%の潜在能力の存在にすら気づかず、むしろその無意識下の(目に見えない)部分に対しては怯え、不安、依存する思考に囚われているのです。この答えがすべてです。他にはありません。

進学校である現職場で問題となっていることは運動部の部活動です。生徒同士の衝突、教員と生徒の衝突、教員と保護者の衝突。私が感じることは、身体接触が多い種目に問題が起きやすいということと、大人(教員)の愛情不足です。先生と生徒の間に絆が生まれないのです。その機会やチャンスはいくらでも作れます。実に教員が怠慢で、傲慢です。教員同士に絆がつくれないのですから、生徒と信頼関係は築けません。教員の資質が問われます。これらの問題の解決策をどこに見出すか。「謙虚になる」以外に解決のスタートラインに立つことはできません。「先をとる」「事の起こりを抑える」ことなど、毛頭できません。その「戦わずして勝つ」術を宇城先生は、身体で実証されます。宇城先生に学ぶたびに、私たちではできないことを痛感しますが、ここに答えがあると感じます。私たちでも、宇城先生に気を通してもらうと一時的にできます。細胞が変化する(温かくなる、膨らむ、縮むなど)感覚です。でも、ついさっきまで出来たことも一瞬で元に戻ってしまうのが、私たち現代の「病気」の身体です。だからこそ、学び続けなければなりません。5%の部分でしか、生きていないこと。その事実に気づくと同時に、自分には深層意識の部分まで深化させる術を今は持ち合わせいない事実があります。虚偽、誤魔化し、隠蔽、日本のいたるところに蔓延している事柄に耐えうる身体は、どこで養えばよいのか。その場があまりにも少ないです。

 さまざまの問題が起こります。特に大人の問題です。不安・怯え・依存。進学校のマンモス校だから、まさにこれらは浮彫になり目立ちます。その不安の中でも、子どもたちは希望です。護ってやりたいと思います。いつものことですが、宇城先生と同じ空間にいる時には、次に子どもたちに会ったら、これをやりたい。こう言ってやりたい。これを見せてやりたい。と、どんどん浮かんできます。一人でいるときよりもずっと浮かんできます。そのような状態であることも、恐らく宇城先生にはお見通しだと思います。気づきを重ねてまいります。

今回もご指導いただき、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。

●奈良 高等学校 30代 男性

本会もご指導賜りありがとうございました。本会で今自分が最も肝に銘じなければならないと思った内容は、「ゼロから新しいものを生み出すことに意識を変えること」です。現状の不平、不満を言い、忙しいこと、業務が多いことを言い訳にしてそこで止まっているのではなく、その現状を改善するために頭を使わなければならないと強く感じました。教員一人一人がこのような意識を持つことで教育現場は改善され、生徒の成長に寄与すると考えています。現任校では優れた教員が多数おり、生徒のために動き、常に現状における最善策を模索しています。一方で、この布陣ならもっと出来るのに、と何か不完全燃焼に終わっていると感じることが多くあります。様々な要因が重なった結果のことだと考えますが、これではいけないと皆んなが思っているはずです。教科指導においても個人としても全体としてもまだまだ改善の余地があります。生徒の未来のことを考え、先を取った指導を行うことが喫緊の課題です。その手立てとして、仲間を集い、改革を行うための準備をしようとしています。今年度は自分を含め他の教員が良い指導を行うための土台づくりに注力して、来年度以降により良い指導が行えるようにしたいと考えています。この決心がついたのは本会に参加させて頂けたことがきっかけです。ありがとうございました。

●奈良 高等学校 30代 男性

第2回教師塾でのご講演ありがとうございました。

先生が以前から仰っていた、社会情勢の悪化だけでなく、日本社会の停滞や衰退について、いよいよ見過ごすことができなくなってきたように、最近はニュースを見るたびに辟易しそうな自分がおり、やはり、教師塾に通わせていただいている自分自身がもっとエネルギーをもって生徒と日々向き合っていくことが学校教員であることの使命であると感じます。

毎回、教師塾において宇城先生に気を通して頂き、次の日以降はエネルギーをもって出勤できている感覚を実感しますが、日を追うごとにエネルギー切れしてしまう自分がいます。まだまだ自分自身の勉強不足であり、どこか恐れをもって日々を過ごしてしまっているのだと思います。

先生の実践では、気を通してもらった際に感じる、自信が満ちて、自然と笑顔になり、体温が上がり、さらに持ち上げることもできないくらい重くなり、統一体になる感覚が、自分自身では再現性がありません。自分だけではできないものだと心の中であきらめてしまっているのかもしれません。

教員が変われば生徒が変わる。逆に、教員が早く変わっていかないと、目の前にいる生徒たちは、どんどん社会の衰退に引きずられてしまいます。

何としてでも、強い覚悟をもって、まず自分自身が変わり、周りの教員集団を変えていき、生徒たちに明るい光を見せられる学校に変えていきたいと思います。

自分が顧問になってから、野球部員の人数がどんどん減少していっています。これは、社会の野球人口の減少も一因にはあるかもしれませんが、自分自身が魅力を見い出すことができていない証拠だと日々感じています。次回の第3回教師塾までには、少しでも成長した自分になれるよう、忙しさを言い訳にせず、多く勉強し、エネルギーをもって生徒に向き合える、生徒を安心させられる大人の一人となれるように励みたいと思います。

元気のない生徒の間合いに入り、肩に触れてエネルギーを分けられるよう、アンテナを張って日々を過ごしたいと思います。会社において、現状維持は衰退である。という事実を忘れることなく、スピードを上げて取り組んでいきたいと思います。

次回からもどうぞよろしくお願いいたします。

 

●奈良 高等学校 20代 男性

先日は、教師塾においてご指導いただき、ありがとうございました。

  「怯え・不安を教えているようなもの」だと言われ、ハッとしました。机を持って前に押し出し、それを止めるという実践において、背中を触っていましたが、机を動き出す前に逃げようとしているのがすぐに分かりました。教壇に立っている教師が前で不安をもっていると、それがすぐに生徒たちにも伝わるのだと、身に染みて感じました。

 最近、目の前にいる生徒たちは、先が見えない、先を見ようとしないと感じることが多くあります。その場の気持ちを優先して行動を起こし、誰かを傷つけたり、目の前の問題から逃げたり。それは、今のことしか考えていない、短絡的なことだと思っていたのですが、そうではなかったのかもしれません。今の環境、生活に手一杯なのだと思います。その状況が続けば将来どうなるか、分かっているから考えたくないのかもしれません。それこそ、不安や怯えがあるのだと思います。教師の不安が伝わっているのだと思います。

私も、不安をもちながら教室に入ろうとすることがありますが、教室の前で礼をしてから入ると、心が落ち着いた状態で始めることができます。あれは、心の不安が無くなっているのだと思います。宇城先生から教えていただいて始めたことですが、効果は絶大でした。生徒たちは教師の姿をよく見ていて、私が教室に入るときに礼するのを忘れているときは、「今日は礼しないんやな。」と言われます。生徒たちから気付かされる毎日です。

「なんで礼して入ってくるん。」そう聞かれることもあります。それに対してどう説明しようか、頭で考えて説明しようとしますが、上手く説明できません。「礼は大切やからな。」と濁すように答えることしかできませんでした。無意識・深層意識の世界のことを、頭で考えて説明してもできないのに、教師の病気です。頭で考える癖が抜けません。「ゴミを拾うと強くなる」というのは、掃除をしない人は本来の力が出せないということです。掃除するのは当たり前の感覚ですが、理由を聞かれると難しいことばかりです。また頭で考えてしまいます。

でも、「掃除なんてしなくても自分は困らんし。」そう言う生徒たちは、どんどんエネルギーが無くなってきているということです。その現状を放っておくわけにはいきません。どこかで変わらなければ。生徒を変えるなんて横着なことはできません。まずは私自身が変わり、元気を出し、そのエネルギーを広げていきたいと思います。「頑張れよ。」と声をかけ、エネルギーを伝えていこうと思います。

まだまだ自分には足りないことばかりです。いや、余計な癖ばかりが身についてしまっています。しかし、その事実から逃げず、立ち向かう勇気を宇城先生から頂きました。宇城先生から頂いたエネルギーを、生徒、仲間、家族に伝えていこうと思います。ありがとうございました。

 

●奈良 高等学校 50代 男性

先生に実証いただくこと、お示しいただく実例は全て身体を通して感じさせていただくことに終始しています。怯え、不安、争い、依存。愛情、寄り添い、見守り。希望、勇気、先読み。先生に気を通していただいた時に感じる身体、細胞からの「出来る、成る、ある」という先に読める身体の感覚だけが希望、道標です。

身体先にありき。身体、細胞からでないと、無意識領域、深層無意識は変化しない。先生の気はそこに繋がっていく。繋げていただける。

全て進化・深化ではなく後退・浮いていくばかりです。それでもまだ、現状にしがみ付く大人、この自分。自分と自然。全く逆、真逆。分けるのではなく然るべく一つに。小学生が書いた感想文の絵と文字が浮かんできます。実に素直で素晴らしいです。「相手はもう自分の中、そして相手の中に自分がいる。」入っていくということ・・・。入れるか、入れないか。いつでもどこでも誰にでも先に挨拶・はっきりとした返事、履物をそろえる。深さとスピードがある宇城空手。

 

「実にうまく出来ている。本当に巧妙に出来ている。ちりばめられた仕掛けと仕組み。気づけるはず。身体ならば。身体で念ずれば。信念。」頭を経由した身体からの行動・実践は先読みが出来ません。出来ている、出来ると信じ込んでいる愚かな大人、教員、社会全体。愚かであることを隠す誤魔化すために、ますます身体で気付いている(深層意識)のに頭で消し去ろうとすることを繰り返す無意識下の癖。

改善策は、展望は、無から有を生み出すことは、頭からの計算や過去の体験・経験からはじき出す頭で行うその先読みでは全て遅い、遅すぎるので当然後手後手になり、時間にも空間にも人間にも間に合わず、心を失いやればやるほど疲れていきます。無理です。理に適ってない。なのにそれを繰り返す。知らないから。気付いていないから。気付いているふり、気付けているのだと思い込んでいる。勘違いしやすい学校教育現場。

先生が仰る「先をとらんとな」。身体を練って、身体からくる先読みを身につけること。そのための勉強。宇城空手。

頭からでは逃げるか誤魔化すか諦めるか開き直るかしかない選択肢。何が正解かではなく、何が間違ってかでもなく、後退、崩壊し続ける現実と現状に立ち向かうには、先をとること。身体で先をとること。これに尽きる。やってみて出来るか出来ないか。

今を変える。今から変える。今しかない。今、今、今。考える前に身体が反応していないと。襖が開くのが先か、光が差すのが先か・・・。 開ける前に開けると光が入ると思っているのは頭。風は、匂いは、煙は、虫は、夜では。一瞬にして身体で見極める。研ぎ澄まされた身体に練っていかないともう間に合わない。開けるか開けないかではない。

「自分だけ、我欲という意味も頭での解釈。身体で感じ続けなければもう終わる」。本当にそう感じます。優先順位が狂うのも頭だから。先がとれていないから。先は身体でないととれない。本来先がとれる身体を信用、用いてやらないと。信頼してやらないと。頼らないと。本来、生来でなくなっていることにまさに身体で気づき続けないと。

先生曰く、「正義感だけで生きていこうと思ったらひとの5倍は勉強せんとな。」

引き続きご指導、何卒よろしくお願い申し上げます。