●奈良 中学校 30代 男性
第2回教師塾ならびに実践講演会でのご指導、誠にありがとうございました。午前中の教師塾では開始から終了までの2時間が一瞬のうちに過ぎ去ったような感覚でした。宇城先生が読まれた書籍を紹介していただいていたなかに「教師が進化・成長し続けること。それができない人に子どもたちを成長させることはできない」という一節がありました。宇城先生はそのお姿で私たちに師としての在り方を示してくださっています。自分の目の前の生徒にとっては私自身が師であるという自覚のもと、日々努力を続けている・・・そんなつもりになっていた自分自身に気づかせていただきました。自分は何もわかっていないし、実力が足りない。目の前の子供たちの姿は師である自分自身のいたらなさです。自分はその事実から逃げることだけはしたくありません。真正面から向き合い、謙虚に謙虚に日々学ばせていただきたいと強く思いました。今この瞬間から行動に移していきたいと思います。
脳のONとOFFのお話のなかでは、ONの状態では1パーセントの力、OFFの状態では99パーセントの力がある。そして、いかに普段の我々が1パーセント・・・もしかすると1パーセントにも満たない世界でしか物事を捉えられていないかということを身体を通して教えていただきました。学校現場では子供たちが疲弊しています。大学に行くためだけの受験のためだけの勉強。勝利至上主義・教員のやる気の低下による部活動の弊害、実力のない我々大人が、大人の都合のいいように目の前の子供たちを押さえつけてしまっている現状があるように思います。試合があるから・・・受験があるから・・・気合い入れろ・・・・気持ちが足らん・・・・だからお前らはあかんねん・・・・そんな大人の都合に振り回されている子供たち、そして全体のつながりを欠いたチームがうまくいかなくなったときに仲間同士が互いを責め合う様子・・・子供たちの不安そうな表情・・・大人、指導者である我々教員の責任はとても大きいです。子供たちの先を見通し、目の前の子供たちの人生に責任を持ち、誠の愛情で真剣に日々接する。これでしか生徒や保護者、地域とつながり良い学校教育を作り上げていくことはできないと思います。言葉にするほど簡単なことではありません。答えがあるものではないので、止まらずに進め続けながらも考えていかなければなりません。宇城先生に学ばせていただいているものとして、恥ずかしくない人間になりたい。ならなければいけないと思います。宇城先生に触れさせていただくといつも「自分自身はどんな人間か」「本当に真剣か」「愛情はあるか」こういったことが理屈抜きにダイレクトに伝わります。本日参加していた高校生の様子を見ていると、我々教育者の責任はとても大きいと思います。私自身が変化変容し、目の前の子供たちの先を見通した教育ができるようなそんな魅力的な大人になります。「大学に行くための教育」ではなく、「良い社会人を育むための教育」そこを肝に銘じ、取り組んでまいります。大変お忙しい中、ご指導いただきありがとうございました。
●奈良 教育研究所 40代 男性
本日は宇城教師塾、並びに京都実践講演会において御指導いただき誠にありがとうございました。
「頭はOFF、体はON」。進むべき道を示していただきありがとうございます。
全国の中学生は20人に1人が不登校、高校では40人に1人が不登校で年々増加しており、その理由の40%は「無気力」「不安」というデータが出ています。しかし今の教育はここまでです。課題の解決策が宇城教師塾にあるということを教えていただきました。我々は宇城教師塾で学ぶからこそ、子どもたちが「無気力」「不安」になっているのは我々大人の横着によるものだということに気づき、その大人が責任を持って子どもたちを救っていかなくてはならないという気持ちにさせていただけます。だからこそ、その気づきをいただけることに本当に感謝致します。
本日は、子どもたちを救う「方法」と「技術」を教えていただきました。子どもたちを救うためには、まずは私たちがエネルギーに満ちなければなりません。「方法」を教えていただき、喜ぶのではなくそれを職場、家庭に持ち帰り「技術」にする、「技術」にしたいという気持ちが湧いてきます。最後にエネルギーを自ら出す「サンチン」の型を「教える」と言っていただいた後、私たちが笑顔になったとご指摘いただきました。無意識に「答えを教わる」=「嬉しい」というインスタントな思考になっていると自覚するとともに、それは即ち、「答えを教える」という最もしてはいけないことを普段無意識に行っている証拠だと感じました。組織、仕組み、教育は何も変わらないが、自分は変わることができる。大河に流されることのない一杯の水となれるよう精進いたします。
午後の講演では高校生、大学生を中心に御指導いただきました。心と身体のつながりを実感したときの大学生の笑顔が印象的です。一方、宇城先生からの「気」をなかなか身体で受け止めることができない高校生の姿は、自分の姿と重なってしまいました。
人間は生まれながらに完成形であるはずなのに、何が高校生をあのような身体に仕上げるのか。その責任が我々大人にある、教員にあることを真摯に受け止めなくてはなりません。
本日の講義を聴きながら、小事に気をとられ、時間を止めている自分にも気付かせていただき、自ら行動するエネルギーをいただきました。いただいたエネルギーを自らで絶つことなく日常を送りたいと思います。本日の講義誠にありがとうございました。今後とも御指導のほどよろしくお願い致します。
●奈良 中学校 30代 男性
毎回の教師塾で宇城先生から教えていただける、世界から見た日本の現在位置、世界各国の速度。耳にするたびに教師の在り方、日本の教育の目指すべきところを考えます。日本の未来への不安と、教師の手にかかっているという使命感が混じります。そして、明るい未来をつくるために今自分が生徒のために何ができているのかの自問自答。未来を生きる生徒のため、宇城先生のようにできるようになりたいという思いと、宇城先生と自分とでは次元が違いすぎるから難しいとの思い。この二つの思いに今日も揺れ動いていました。その時点で弱気であり、何より頭で考えているということもわかっています。脳の思考をOFFにする。どうすれば。
寄り添うこと。宇宙のピースであることを知り、変化を恐れず素直に認めること。
そう考えながら午後の京都実践講演会の場で、腕相撲の実践をされる時に宇城先生に指名していただき、直接指導をいただく機会をいただきました。大の大人が7人ほどで私の手をロックしている。でも宇城先生の手と私の手が触れた瞬間に、「あ、もうあかん。」と感じました。決して対立や筋力の強さから感じる感覚ではありません。その瞬間に何かがストンと落ちた気がしました。「これか。」言葉では説明できません。ただ、一つわかったことは実践が「常に」か「部分的」の差のように感じます。そして宇城先生に気を込められた他の参加者の皆様方とも、手を合わせた瞬間にひっくり返されるのがわかりました。気を電波のように伝えるその電波の強さも実践が「常に」と「部分的」では大きく変わるのだと実感しました。
私の実践はもちろん「部分的」。腕相撲の実践が終わり、説明や宇城先生の想いを話されている時、宇城先生はずっと私の目を見て話されていました。目の奥の温かさ、清々しさ。実践の甘さを見透かされ、心が洗われたような気がしました。宇城先生は、まだまだ「勝つこと」に心を奪われている自分の小ささ弱さをずっと見つめられていたのだと思います。気づかせようとしてくださっていたのだと思います。ならば、変わるのは今。明日からは「常に」を目指します。
また、今回の教師塾の中で、立命館宇治高等学校や大阪産業大学の最近の活動や実績を教えていただきました。そのような素晴らしい取り組みをされている先生方と同じ空間で学ばせていただいている。何と幸せなことか。もちろん教師塾に参加されているすべての先生方の熱量も意識の高さも毎回感じます。これもまた何と幸せなことか。この熱量に触れながら、幸せな空間にいながら自分が変わらないのは自分のアンテナや心の感度が鈍い。実践に対する本気度が甘い。本当に今回の教師塾は反省の一言に尽きます。次に先生方とお会いする時はもう少し自分に自信が持てるよう、精進したいと思います。
宇城先生、お忙しい中ご指導いただき、本当にありがとうございました。今後もご指導よろしくお願いいたします。
●岐阜 高等学校 40代 男性
京都における教師塾および実践講習会でのご指導ありがとうございました。
今回は「真剣に生きているかどうか」、このことを突き付けられた時間となりました。コロナ禍を経て、以前にも増して未来への希望を語る(希望を抱く)生徒が減っているような実感があります。それは日常の学校生活における、ひとつひとつの些細な取組に対する真剣さの欠如や、行動や思考が刹那的なものとなっていることに表れています。他者(仲間)や大人、そして自分自身をも舐め切って、成長や変化を求めない怠惰な姿勢の生徒たち(謙虚さの欠如)。特に怖ろしいと感じるのは、そういった生徒が(少なくとも私の勤務校では)ごく標準的で一般的な生徒の姿になっているということです。頻繁に問題行動を起こすような生徒ではなく、ごく普通の多くの生徒がこのような状態に陥っているのです。これはほんの数年前と比較しても、相当なスピードでそのような状況が加速(劣化)していると感じています。
そんな現実に対して私たち教員は、「パワハラ」「ブラック校則」「生徒の個性尊重」の風潮のもとで何もできなくなっています(=時間が止まっている)。自分の話をまともに生徒に聞かせることすらできない教員が少なくないという危機的な現状です。それはなぜか。私たちに決定的に「真剣さ」が欠けているからだと感じました。仕事に対する真剣さ、子どもたちの未来に対する真剣さ、日本の未来に対する真剣さ、すべて欠けています。
①真剣である=希望がある=時間が止まっていない=エネルギーがある
②いい加減である=希望がない=時間が止まっている=エネルギーがない
エネルギーがなければ何をすればいいかわからない。先が読めない。動けない。何が正しいのか、何が間違っているのか、いくら考えてもわからない。むしろ考えれば考えるほど動けず、日常に流され思考停止していく。さらに悪いことに、真剣に仕事に取り組めないことに対して、それを「働き方改革」という名のもとに正当化し、劣化していく職場や自分や生徒、そして教育の質そのものの低下から目を背けているのが私たち教員です。自分自身を顧みればそのことがとてもよく分かります。そしてそれは、鏡となって目の前の生徒たちに映っていきます。
この「真剣さ」というものは、頭(思考)からくる真剣さではなく、心と身体を通したものからくる「真剣さ」でなければ意味がありません。だから経験してみないとわからない、心と身体で直に感じ取らなければわからない。勉強しなければならない、学ばなければならない。脳をOFFにして…。
私自身の「希望」というのは、キラキラした未来の想像ではなく、具体的なイメージでもなく、身体の内側から湧き上がってくるものです。「楽しい」とも違う、「わくわく」とも違う、言葉ではなんとも説明のしようのないものですが、宇城先生のご指導を受けているときにはいつもそれを感じています。一般的には「希望の光」という表現をされることが多いですが、それはまさに「光」のように感じています。手に取れるわけではないですが、確かにそこにあります。
問題はその「希望」が自分の身体のなかにあるにも関わらず、それを日常の中で私自身で引き出すことができなくなっていくことです。これこそが宇城先生のご指導を脳ONの状態で受け取っている証左ともなりましょうし、脳OFFにしていただいているにも関わらず、我や欲の強さが克服できないということでもあろうかと感じます。
「真剣な身体で日常を生きる」。それは生易しいことではありません。ですが、私たち教員に今まさに求められていることだと思います。私たちのためではなく、国の未来のため、子どもたちの未来のためです。まずは理屈を横に置き、前に進んで参りたいと思います。
今後ともご指導よろしくお願いいたします。
●奈良 中学校 30代 女性
指導ありがとうございました。
講演会の中で、腰でしゃくらず、回るというのを実践させてただいた時に、脳をオフにするということをやってみたのですが、そうやって考えていること自体が頭で考えていることで、染み付いてしまっているということ、横着にしていることがわかりました。私は、ちょうど一年前、乳がんが見つかりました。教師塾の最初に、時が止まるというお話を聞いた時、自分はそんなことなかっただろうと思っていました。けれど、一日、先生のご指導を受け、そう考えること自体が不遜で、謙虚でなかったと恥ずかしい限りです。何も先を見ず、現実を受け止めようとしていなかっただけでした。先がわかっていないのに、子どもたちに何を教えられるのか。頭で考えることしか教えられないなと、思いました。小さな子どもたちは、まだ洗脳されていなくて、触れるだけでエネルギーをもらえました。頭とかではなく、こっちがいいと体でわかっている感覚でした。私たち教育者がしなければいけないのは、知識を伝えることでも、受験への勉強でもなく、まっすぐな心が、まっすぐに育っていく邪魔をしないこと、周りを大切にできる心を育てていくこと、そういったことだと改めて思いました。
今回の教師塾では、自分の横着さや思い違い、ずるい部分を感じさせて頂きました。頭で考えようとするのは染み付いていますし、なかなか常識と思っていたものを変えることができていなかったです。けれど、変わりたいと思いました。今回の教師塾で感じたことを実践して、謙虚に生きたいと思います。ご指導ありがとうございました。
●奈良 高等学校 20代 男性
先日は、ご多忙の中、1日ご指導いただき、ありがとうございました。1日を通して、素直な心を持ち、謙虚さを忘れず困っている人がいれば寄り添う気持ちがあることの大切さを改めて身に染みて感じさせていただきました。人間の産みの親は宇宙で、地球と太陽、月は目に見えない引力で繋がっており、人と人が繋がるには、寄り添う気持ちや素直・謙虚な心で繋がるのだと感じさせていただきました。
また、必ず変化は起きるものだと思っていたのですが、素直な心や謙虚な気持ちがなかったり、頭が邪魔をするとまったく変化は起きませんでした。こどもの頃は誰でも素直で、即行動しますが、私や高校生以上になると、本当にぼーっとして平和ボケしていると感じました。侍は自分より弱い者やお年寄りを斬らないというお話をいただきましたが、私たちは逆に自分より弱いものを探し、傷つけているのだと思いました。では、なぜ横着でぼーっとしているのか。それは家庭や学校の責任でしかないです。学校でぼーっとしていても過ごしていける状況なので、まかり通っているのだと感じました。また大人の心を高校生が写しているとお話をいただきましたが、教員、指導者として成長し続け、こどもに、良い手本として写せるように謙虚に頑張っていこうと思いました。普段の生活を横着で自分勝手に過ごしていると、周りから信頼もされず、自分自身が末期がんステージ4になってからしか気付けない。そうなってしまえば、家族や周りの人には絶望しか生まれない。でも現状はそうならなければ気付けない。良いと思えば素直に即行動に移す。大事な事だと感じました。
1日を通して、一番心に響いたのが、私たちは疑問を持つことはあっても、そこから行動しない。というお話でした。どうすればそのような力が出せるのか。なぜそうなっているのか、理屈ではなく、素直に勉強しつづけなければ、答えに向かわない先にも進めないと思いました。常日頃の意識で疑問に思って終わりではなく、その先を探すことができるようになりたいと思います。
午後、最後の質問コーナーで、質問した小学6年生が宇城先生にご指導していただいた後、キラキラ、わくわくした顔がとても素敵でした。あのキラキラした顔やエネルギーを引き出し、与えるのが教員としてやるべきことだと肝に銘じて、日々の生活を謙虚に素直な心で生きていくことから始めようと思います。
本当にご多忙の中、ご指導いただきありがとうございました。引き続き、ご指導よろしくお願い致します。
●京都 私立中学校・高等学校 40代 男性
昨日は、教師塾及び京都実践講演会でのご指導ありがとうございました。「実践、実証」の先生のご指導はやはりみる人たちに多くのことを気づかせ、変化させていただけます。 先生の本に手を置かせていただき、手を引く検証では、座った私を通して、一番遠くの方が相手を投げること をしました。先生からのエネルギーが奥の方まで伝播した証です。その後、列の途中で分かれたあとでの遠隔もしっかり伝わり、相手を投げることができました。もちろん、先生以外の本になると気が通ることがなく、検証をされた方は相手を倒すことは出来ませんでした。 この検証を通して、私が椅子に座らせていただいていてもつながった列の他の人が先生の本を持っても同様の ことが起こりました。要するに一人でもそのエネルギーがあれば周囲を変化させることができるということです。 これが一人革命であり、宇城先生のもとで学ぶ塾生、弟子各自が実践、実証してその輪を広げていくことが使命です。 しかし、私はまだまだ頭で考えてしまう癖が抜けません。その中でタントラについてのお話をいただき、自分 自身で出来るようになる技法をご指導いただきました。「余命半年の命である」とがんの宣告を受けてしまうと人はそこで希望を失い、時間が止まる。当然身体はより一層悪化していく。先生がおっしゃっていたように急激にがんの転移のスピードが上がるケースを何回もみてきたと。しかし、先生は何度もがんや ALS の治療を行われ、その方々に希望を与えてこられました。希望が見えた人は生死を体験されたからこそその後の生き様も時間が止まることなく行動されているとのことでした。一方私は平和ボケしており、エネルギーがなく周囲の方にも影響を与えることができていません。偉人ガンディーが述べた「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」この言葉にあるような生き方をしなければなりません。しかし、脳が ON になっている状態では、気の通らない身体のままであり、脳をOFF にして行動していく。無意識に自然体で。どうしても行動を起こすことには「リスクや怖さ。不安」が伴います。しかしそこで一歩踏み込んでいく勇気が必要だということも再確認することができました。先生はわかりやすく、これまでもご指導いただいた相手に寄り添うということ。ゴミを拾うこと。を検証に入れていただき、その身体を感じることで「誰にでもできる。何度でもできる」ということ。そして目、姿勢、呼吸という視点でサンチンの型もご指導いただきました。型があることで自分の身体を確認することができること。これは師の存在があることで立ち返ることができることでもあると感じました。 そして何より日本と海外の違いについて、教えていただきました。学校教育では、日本は授業が長い。ドイツでは午前中で授業が終わりで、午後の時間を自由に使える。余白や時間にゆとりがあるからこそ自分で考え行動する。そしていい意味の差が出てくる。先ほど述べたように、1 人でもエネルギーを持った人がいれば、おのずとそのエネルギーは伝播し、自然と周囲もいい変化をしていく。これが好循環を読んでいる構造だと気づかせていただきました。一方日本は、平等という言葉を履き違い長い時間拘束して「これだけやりました」というある種の責任逃れ。詰め込み過ぎることで時間もなくなり、自分で思考することがなくなり、無気力・無意識になるのです。この教育環境を打開するか、中学、高校を卒業するタイミングで海外へ留学するシステムを創り上げていくしかないのかと感じました。もちろん自校で教育環境を整えるのが一番ですが、そこの変化を待っている時間はないのではないかと。 最後になりましたが、いつも先生のご指導をいただいた時に「できる自分」がいるという希望を与えていただいているのにも関わらず、思考の癖で「できない自分」ばかりがでてきます。原因は全て自分です。まだまだ 41 歳。まっすぐに突き進んでいきます。全ては自分の中に答えがある。 引き続き、ご指導よろしくお願い致します。
●三重 高等学校 30代 男性
宇城先生、この度も貴重なご指導をいただき誠にありがとうございました。
毎年、新しい生徒が入学してきますが、今年は特に今まで出会ったことがないような個性を持った生徒がたくさんいます。私は人間的にレベルが低いので自分の狭い価値観でその生徒達を見てしまいます。課題があると、生徒の弱さ、生徒の力を言い訳にしてしまいます。それは、私の心が生徒に映り、生徒を通じて私の心が表に現われていることを示しています。私はその生徒達を見ていて思います。子ども達の持っているエネルギーの凄まじさを。大人が無理だろうと思うことをよい意味で裏切り、自分達で切り開いていく力を持っています。教師塾で学ばせていただく度に、大人の私が全てを指示するよりも、心から寄り添うことが必要なのだということを身体で感じさせていただけます。横着に見える生徒ですが本当に素直な心の持ち主達です。だからこそ、宇城先生が言われるように指導者が一番、学び続けなければいけません。周囲に生徒達によい影響を与えることができる電波を出し、部分体である自らの身体を変えていきたいと思います。
私自身、初めて空手の型のご指導をいただきました。宇城先生に前で型を示していただきました。その凄まじい魅力に引きつけられました。見様見真似で、頭で、部分で型を行いました。私の型は明かに型ではなく、身体からきておりません。頭が邪魔をしています。そして何も分かっておりません。これが私の力量です。ですが、その後、私の身体は強くなりました。ご一緒させていただいた先生方と凄まじい身体の変化を感じさせていただきました。まさに、「百見は一触に如かず」でした。自分ではなく、宇城先生に強くしていただきました。内面の変化を感じることができました。型のご指導をしていただき、本当に幸せでした。凄く嬉しかったです。今までとは全く違う大きな世界を見せていただきました。それと同時に、身の引き締まる想いをさせていただきました。出来た、出来なかったより素直に受け入れる心をもつ事の大切さ、そして言葉以上にその場でやって見せることの大切さ、日常の質を深くし、怯えている自分を受け入れていきたいと思います。私の生き様で目の前の生徒の進歩を止めてしまうことがないように。そして立命館宇治の進路のお話にあったように偏差値のような狭い物差しで考えず、希望をもてる日本になるように。
欲や我を捨て学び続けたいと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
●山口 中学校 30代 男性
宇城先生、この度は第二回宇城教師塾及び京都実践講習会にて貴重な御指導を賜り、誠にありがとうございました。
冒頭海外で放送された映像を拝見させていただきました。これまでアーカイブでも何度か拝見させていただいておりましたが、以前はナレーターの方のお話もそのまま聞いているような感じでした。しかし、この度改めて聞いてみると、ナレーターの方が先生の術技に心から感動されているのがとても伝わってきました。人種や文化、宗教、様々なバックボーン等の垣根を越えて御指導されている先生の御姿とこのように幸運にも学ばさせていただいている幸せを感じました。それと同時に自分の学ぶ姿勢を変えていかなければならないとも思いました。
ご講義の中でもありました、大きな三角錐と小さな三角錐。師から学ぶ時、自分の捉え方や考え方、スケールで学ぼうとすることが如何に理にかなっていないかは一目瞭然でした。大きな三角錐の中に、小さな三角錐が包み込まれた時、小さな三角錐が自分の線を消さなければ学べるものは自分の枠の部分だけに限定されてしまう。あの線が我や欲だと思いました。あの線が消せればどれだけ良いだろうか、そのような考えも浮かびました。ホワイトボードに描かれたのは目に見える大きさのスケールでしたが、先生の御指導は捉えきれないくらいのスケールと次元であるのは、実証をとおして何度も感じております。一言に学ぶ姿勢を変えると言ってもそれがなかなか自分には本当に難しいことも感じております。そのような中、先生はジグソーパズルの例でわかりやすく御教示くださいました。これまでにない体験や学び(これまでなかった形のジグソーパズル)に対して、①形を変えて無理やりはめ込む(自分勝手に捉える、解釈する)、②破棄する(無かったものにして真実から逃げる)③その形に合わせて自分を変容させる、と3つの捉え方をお示しくださいました。出来ることなら③でありたい、しかし無意識下のどこかで①や②に自分はなっていると思いました。先生のような方に学ばさせていただいているのに、①や②のような自分が存在する。これはなぜなのか。私達は、教師という立場において、普段から子ども達と接しています。その中で子ども達を部分体の世界へ、仕事だからという理由で様々な関わりをとおして引っ張ったり、自分のこの悪癖を映してしまったりしていることを痛感しました。自分を変えていくことが、子ども達を守ることに繋がっている、この自覚を深めていくことが今後の稽古の課題の一つだと考えています。
身体をとおした経験は、無意識下において様々な学びを与えてくださっています。今回深く感じたのは、真剣に取り組めば取り組む程、体験させていただいたことを確信をもって認識できるということです。それが大きな希望になります。その感動が日常において、またさらにエネルギーになります。自分の常識からの脱却に繋がっています。稽古後の自分は、全く違った認識の中にいます。先生がいつも御指導をとおして、私達を導いてくださっているのを感じます。本来の学びがどういうものなのか、それを今自分自身が感じています。現在の教育が如何に本質からかけ離れているのか、それがはっきりとわかります。ただ仕事の範疇で子ども達に指導するのではなく、先生が仰っていた「世界や世の中に通用する人間となるように指導する」その姿勢とスケールで関わっていくことが、今すぐ行える大きな第一歩であり、子ども達と共に自分も成長していける在り方であると、実証と体験を何度もさせていただく中で学ばさせていただきました。今の自分ができるか、できないかだけにフォーカスを当てるのではなく、成長の方向性を間違わずに、正しい方向に定められているのかを、日常において常に客観的に自分でも確認していくことが大切なことであるとも感じております。
脳のスイッチが常にオンになっている私達は、素直に物事を捉えることができていない。実践講習会で「やってみたい!」と手を挙げて取り組む子ども達の姿や野球をとおして先生の御教えを貪欲に学ぶ学生の方々の姿、先生の厳しくも変化へ導かれていく愛情溢れる御言葉を全身全霊で受け止める中高生の生徒さん達の姿を間近で拝見させていただき、「月は映ろうとも思わず、池は映そうとも思わず、広沢の池」という心に師を映す在り方が、子ども達の学ぶ姿そのものだと思いました。しかし、その中でも現代教育の弊害が現れているのも肌をとおして感じました。このような弊害から子ども達を守っていくことが、教師塾の塾生の責務であるとも感じました。良いと思ったらすぐに変化する、そのスピードを自分自身の中でも育てていく同時に、子ども達から失わせないようにしていきたいと強く願います。
私達は先生に学ばせていただき、いつも先生に守っていただいております。現場はいつも疲弊しており、一緒に働く先生方はとてもきつそうです。自分よがり、自分中心、無関心、心なしであれば、人間の潜在力を発揮できない。今までの自分は自分を守ろう、守ろうとそればかりでした。先生からいつもいただくエネルギーを自分から切っていました。寄り添う、謙虚、心ありの人間としての行動を昨日より今日、今日より明日と実践することをまず念頭に置いて、先生から賜っているエネルギーを周囲に届けていきたいと思っております。それが自分だけでなく、関わる全ての人が幸せになってくれる確かな方法、技法(タントラ、ワンネス)だと今回の稽古で御教示いただき、確信させていただいたからです。
この度も大変貴重な御指導を本当にありがとうございました。宇城先生、そして共に学ぶ塾生の皆様に心より感謝申し上げます。まだまだ人間的にも未熟過ぎる私ではありますが、これからも何卒より一層の御指導、御鞭撻の程を賜りますよう、心より御願い申し上げます。本当にありがとうございました。
●奈良 高等学校 20代 男性
この度は、教師塾および実践講演会でご指導いただき、ありがとうございました。宇城先生から気を通してもらい、サンチンの型を一緒にし、自分の中でエネルギーが溢れ出てくることを感じました。教師塾に参加させていただくといつも元気になれます。まさに宇城先生は太陽です。このエネルギーを持ち帰り、私も学校で周りの人たちを優しく分け隔てなく光照らしていきます。
成長し続ける人でないと先生にはなれない。大村智氏のことばにもありましたが、私は教師になってからどれほど成長できたか、考えさせられました。忙しさを言い訳に学ぶことや成長することを放棄していないか。自分なりに勉強をしていましたが、勉強したつもりになっていただけでした。深さが足りていません。教師塾に参加させていただき、まだ先生になれていないことを実感しました。この一生を通して成長し続け、死ぬまで先生として生徒と向き合っていきたいと思います。
講演会の最後になにか質問はあるかと聞かれましたが、大人は誰も質問できませんでした。しかし小学生は質問しています。職員室で大人と話すより、まさに成長し続けている子どもたちの姿から学ぶことの方が多くありました。その未来ある子どもたちを現代の教育が壊してしまうのか。子どもたちの可能性を伸ばす、明るい未来へ導いていくはずの先生が、子どもの可能性を奪っているのが現代の教育です。私は今まで何人もの生徒と関わってきましたが、その可能性を奪ってしまっていたのか。今まで関わってきた子どもたちのためにも、今変わる必要があります。
家に帰ったあと、家族と一緒に実践の内容をしました。お腹が痛い人に寄り添うと強くなる、ゴミを拾うと強くなります。宇城式呼吸法をすると身体は重くなり、普通に深呼吸すると軽くなりました。確実にその力は感じられます。しかしどれだけ頭で考えようとしても到底理解はできません。過去の似たような経験から理解しようとしてしまいます。そうやって頭で考えて実践をしていると、ゴミを拾っても強くならなくなりました。脳のスイッチとはこのようなことなのだと実感しました。脳のスイッチをONにする癖がついている私たちは、人間本来の力も出せていないのだと気づきました。
教師塾では、今まで聞いたこともないような未知の体験や学びが山ほどあります。頭で考えて、過去の経験から当てはめるのではなく、受け止められるように自分が変わらなければなりません。それが成長なのだと思います。未来を明るくするために、子どもたちを明るい未来へ導くために、まずは自分が変わります。一人革命です。ありがとうございました。
●奈良 中学校 20代 男性
宇城先生のお話や実践のなかで頭で考え込んでしまう自分がいました。頭を通さず、素直に物事を受け止められる自分になれるよう精進します。自分とは全く次元の違う世界を見せていただき、感じさせていただきありがとうございました。
実践で、サンチンを行う前と行った後では体の強さが全く違いました。身体はやわらかくなっているのに強いといった感覚を感じました。一方で、気合を入れたりリラックスするような運動を運動をしたりすると硬くなり、身体も弱くなる感覚を感じました。自分でエネルギーを作り出すということを体験させていただきました。
自分自身が成長をし続けないと教員という仕事は務まらない、一生勉強なんだなと改めて感じることができました。学校では夏休みに入り、部活動で生徒と関わることが増えました。生徒は毎日成功や失敗をしながら変化、成長をみせてくれている中で自分もその成長スピードを上回るスピードで生きていけるよう努力します。
高校や大学に行くための勉強をすることと社会や世界に通用する人間になるための勉強をすることでは勉強に対するエネルギーが桁違いだなと感じます。教員が社会や世界に通用する人間、幸せな人生を送ることができる人間を育てられるよう精進していかないといけないなと感じました。
目まぐるしく変化する世の中で不安を感じている人々が大勢いますが中学校も全体的に顔に不安の色が見える生徒が多いように感じます。自分の不安に思っているものも伝わってしまっていると感じています。自分自身が学び続けて、未来に希望を持ち、それが生徒たちに伝わっていくようにエネルギーをもって取り組んでいきます。これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。本日は本当にありがとうございました。
●奈良 高等学校 20代 男性
今回貴重なご講義本当にありがとうございました。教育現場において子どもたちの可能性を奪っているものこそ日本の教育、教員だということを改めて感じました。しかし、その可能性を奪う教員にならないために日々努力をしていかなければならないと思いました。
講義、体験の中でいくつか気づいた点がありました。まず1つ目は、教育者の行い、考え方、雰囲気が全て生徒に鏡のように映っていくということです。教員がまず素直に学ぶ姿勢を持ちやってみせるということの大切さを改めて感じることができました。言葉で伝えるよりも実際に見せて教育していくことで生徒を説得させるということができ、またそれが信頼になりその教員について行こうという想いに変わり物事がうまく動くようになるのではないかと考えます。
2つ目は、寄り添うことの大切さです。教育現場で働いているとどうしても感情的に突き放したくなる気持ちになってしまったりする自分がいてそこで私と生徒との間が上手く取ることが出来なくなり生徒の気持ちを動かす事ができないのだと思いました。それは生徒に寄り添って声をかけていくことを頭で考えずにできるよう身に付けていき、より良い指導者になりたいと思います。
3つ目は、脳のオンとオフの状態があるということです。自分が学生の頃に常に考えて野球をしなさい、考えないのはダメな事だということをよく言われて育ってきたと思います。しかし、その考えているということが可能性を無くし、野球で言えば打てなくなったり、守れなくなるということを感じました。これから野球を指導していくにあたって考えてプレーをさせるのではなく身体で色々なことを感じさせて考えずして動けるようなチーム作り、指導をしていきたいと思います。
4つ目は、先を取るということです。宇城先生が休み時間に大学生に指導されている所を見て相手の懐に入っていかれているのを見てこれこそバッティングで打てるようになるための重要な部分だと感じました。先を取られることで相手指導の空間になってしまい相手に負かされてしまうということになると思うので先を取るためにどうしていけば良いか頭に入れ行動して行こうと思います。
5つ目は、踵をつけて姿勢を作ることで身体の重さが変わるということです。トレーニングをせずに身体の重さが変わるということが聞いただけでは何もわからないと思いますが今回の実践で明らかに身体の重さが変わっていることが実感できそれをまた野球に活かしていこうと考えるとワクワクしてまた更に野球を指導していきたいと考える事ができるようになりました。
6つ目は、変えていくことの大切さです。宇城先生から色々教えていただき高校生が座る姿勢を変えていっていた事が凄く印象的でした。中には、姿勢を変える事なく話を聞いている生徒がおり、その話を聞く姿勢だけで1流選手なのか2流選手なのか3流選手なのかが目に見えて分かる物だと改めて思いました。1流選手は良いと思えば変えるという勇気、素直さを持っておりその姿勢を作っていく生徒を育てる事こそ私たちの使命だと思いました。そうすることによってその子どもが幸せになり、周りが幸せになるというように変わっていくのだと思います。
最後に、今回色々な気づきをさせていただき本当にありがとうございました。今後とも宇城先生の掲載されている書籍、講義から沢山の事を学ばせてもらい世界を視野に入れた教育というものができるよう精進していこうと思います。
●兵庫 高等学校 40代 男性
お忙しい中、教師塾でのご指導ありがとうございました。
今回の教師塾では、「時間」「エネルギー」ということが強く残っています。希望が見えない現状では、時間が止まり、自らを前進させていくエネルギーが湧かないということ。逆に、未来が見えれば、また「できる」を実感できたら、勝手に進んでいくことを目の当たりにさせていただきました。子どもたちが自ら進んでいける環境をいかにつくっていくか。宇城先生と宮崎先生の対談でも語られていましたが、それが私たちの使命であることを再確認できました。そして、大事なことは実践していくことです。そのためには、自分自身がエネルギーを持っていないといけません。本のエネルギーの実験であったように、まず私たちが本物を見分ける、感じられる身体になること。本物には「勝った」「負けた」は無く、等しく伝播していく。つまらない情報や誤った考えに時間を止めるのではなく、本物を知る、触れることをもっと真剣にやっていきたいと思います。
午後からの講演会の中で、先生が厳しく高校生に指導される場面がありました。これは私たちに向けられた指導であり、激励であったと思います。「ダメなことは責任を持って正してやるのは誰なのか」「未来ある子どもたちの時間を止めてしまうような指導でいいのか」、そういったメッセージをいただいたと感じています。自らが進化・成長し、先生の教えを広げていける存在になれるように進んでいきます。今後ともご指導の程、よろしくお願いします。
●石川 高等学校 50代 男性
教師塾および実践講演会でのご指導ありがとうございました。遠方のため、京都開催時のみ参加させていただいております。前回1月の教師塾、実践講演会の後、自分自身の中で「姿勢」や「呼吸」を意識して実践しているつもりでありましたが、宇城先生や他の参加者の皆様の前では、自分自身の未熟さ、甘さを痛感いたします。そのような意味でも自分を戒める貴重な機会となっていることに感謝しております。
宇城先生は、日本の現状に対して大変危機感をお持ちになっており、それを立て直すには教育が重要、特にわれわれ教員が変わることが必要だとおっしゃいました。そのお言葉を肝に銘じ、今後の職務にあたってまいりたいと思います。
今回、宇城先生は「気」よりも「脳をオフにする」「エネルギー」「時間が止まる」という言葉を繰り返しお使いになっていたと思われます。その意味について十分に理解することはできませんが、先生が実証される中で、それを体験することができました。
まず、テーブル上の先生の御著書に手を置いた状態で、もう一方の手を引っ張ろうとしても引っ張ることができません。ところが別の書籍の上に手を置くと、もう一方の手は動いてしまいます。さらには、先生の御著書に手を乗せた状態だと、それにつながった人が容易に人を投げることも可能となりました。先生はエネルギーがあるかどうかだとおっしゃいましたが、先生が書かれた書籍と、ベストセラーとなっている書物であっても、エネルギーの違いがはっきりと出ていたことに大変驚きました。
また、5,6人でテーブルを動かそうとするとことを止めたり、方向を変えたりする実証や大人数と対する腕相撲などの実証では、「脳をオフにすること」や「時間が止まっているとできない」とお話しくださったのですが、頭で考えても理解はできません。ところがおなかが痛そうな人に「大丈夫ですか」と寄り添うとできるようになります。なぜそうなるのか考えることが重要なのではありません。対立は衝突を起こし、本来持っている力を消すことになり、調和は本来持っている力を引き出すということです。常識の中で考えることや、相手を倒すことに集中したりすることは対立であり、衝突を生み出します。
現在の教育は上級学校への進学実績、また有名企業への就職実績が成果指標となっているように思われますが、宇城先生がおっしゃるように日本有数の大学や企業であっても世界の中ではトップではありません。そのようなところを目指すことよりも、自分の中にある力に気づき、謙虚にそれを求める、そして調和のもと、よりよい社会をつくっていくような生徒を育てようとすることが大切なのではないかと感じました。
参加者には高校、大学の野球部員も多かったため、先生は、野球のピッチングやバッティングに対して、「中心をとる」ことや「脇を締める」ことで力が発揮されることや、相手との間について教えてくださいました。「人」に「間」と書いて「人間」、この間をいい状態にすることを「間締め」、間がおかしいと「間抜け」になるということでしたが、このあたりに関してはまだまだ自分の理解が追いつかないと思われました。次回参加時にもう一度お聞きしたいところであります。
最後に、5人組の先頭の方がメリケンサックを持ち、そこに突きをする実証を見せてくださいました。さらには別の方がメリケンサックの前に手を置き、そこに突きをするようなこともありました。いずれも参加者が突いた場合には痛みを感じ、受けた側はびくともしないのですが、先生が拳や肘を当てると、大きな衝撃が伝わり、かつ手を当てている方も痛くないとのことでした。これは私にはまったく理解のできないことでありました。
今回の教師塾、実践講演会からも多くの示唆をいただきました。これまで多くのことを頭で理解したうえで行動しようとしていましたが、これからは、人に寄り添うことや、正しいことを実践し、そこで気づいたことを、次の実践に生かしていきたいと考えています。また私が関わっている生徒に対しても、実践を通して「自ら気づく」ような指導を心がけてまいりたいと思います。
拙文失礼いたしました。
●奈良 高等学校 30代 男性
宇城先生、ご多忙の中での第2回教師塾でのご指導有難うございました。
冒頭での、パズルの1ピースのお話を聴き、経験した中での解釈に置き換える人がいるという点については、自分のイメージの中にもありましたが、ないものにして消してしまう人がいるという点については、お話を聴いた時に大変驚きましたが、よく思い返してみると、もしかしたらこちらのマインドセットになっている人の方が多いのではないかと感じました。自分自身も含め、見たことのない1ピースと出会った際には自身の考えを流動的に変えていけるような人間を育成していきたいと強く感じました。そのためにもやはり関わる人との間の取り方が大切であり、そのためには自分自身エネルギーのある人間にならなければいけないと改めて感じさせていただけました。
午後の実践講演会では、現在顧問をもっている野球部の生徒を初めて参加させていただきましたが、座り方も含めた聴く姿勢について全くできておらず、先生に指導していただく時間がありました。大切な時間であるにも関わらず、実践をご教授いただく以前の所ができておらず、申し訳ありませんでした。その後の実践の際にも、積極的に動き出すことができず、頭が先行し、初めて目の前にする現象について、頭の中でこれまでの経験の中での解釈に置き換えている様子を見て感じました。休憩時間に大学生へご指導されている際にも、吸収しようとする様子が見られず、自分たちの世界の中で談笑していました。普段の指導が全く足りていないのだと感じ、子どもに指導する立場の人間として、もっと覚悟をもって本気で指導していかなければならないと感じました。
これまでの教師塾では、自分自身が体験し、エネルギーをいただき、どこか満足した思いで過ごしていましたが、いざ教え子の様子を目の当たりにした時に、教師塾で伝えていただいたことを全くうつすことができていなかったのだということが分かりました。今回の経験を自身への戒めとし、これまで以上に勉強をし、エネルギーをもって子どもたちの前に立てるように励んでいきたいと思います。
第2回教師塾ならびに実践講演会でのご教授、本当にありがとうございました。
●奈良 高等学校 30代 男性
第2回教師塾、実践講演会につきまして、準備も含めて貴重なお時間をとっていただいたこと、本当に感謝しております。ありがとうございました。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村 智さんの話で、本当のことを表に出さない嘘で塗り固められた日本の政治家のたちの現状の話をしていただきましたが、こういった現状を変えられるエネルギーのある子どもたちを育てないといけない、そして、生徒たちに関わっている我々教員がしっかりとしないといけないと厳重注意、いや、危機的状況だから先生方頼みますよと言ってくださっているように感じ、お尻に火が付いたようなワクワクした気持ちになりました。また、大村さんのお母さまが教員をされている話では、「教員は自分自身が進歩しないといけない、自分自身が成長できなければ、ほかの誰かを成長させることはできない」、「今教員は全く進歩していない。それに気づかないといけない」という話がありました。数年前から教育界で行われている研修の中で、ほとんどの研修で「教員も学び続けなければならない」という文言が出てきます。時代は刻々と進み、1人1台端末、ChatGTPなど、今言っているこれらのことも来年には進化しているかもしれない。そんな時代なのに現場の教員は、過去にとらわれ、忙しいことを言い訳にして勉強をせずに、時代から遅れていっている人がほとんどです。自分も含めてですが、世間で通用しない人が生徒たちを指導しているという現実です。なんとかするんだという思いで毎回ヒントや活力になるエネルギー(言葉や実践)をいただくために教師塾に参加させていただいていますが、参加しているとき、感想文を書いているときは、教育のこと、学校のこと、生徒のこと、これからのことを考える時間が長くあります。いい機会ではありますが、そんなことではなく、この考えること(向き合うこと)もまた日常当たり前にならないといけないことなのではないかと感じました。そして、続きで「共生しない人間を大量に作っているのが今の教育」という話がありました。今の教育システムに問題があるのは理解していましたが、今回のこの表現で言葉として聞くと、恐ろしい弊害だと感じると同時に、自分の危機感のなさ、何回も先生の話を聞かせていただいているにも関わらずまさしく未だに平和ボケで日常を過ごしていたのだと只々反省しました。大産大の野球部の部員が福島県にボランティアに行っている話で、「控えのメンバーがボランティアなどの活動をしているとメンバーの20人はほっといてもいい、なぜなら、メンバー20人はボランティア以上の野球を実践する」というような話がありました。なるほどとすぐに納得しました。自分のクラス、部活動で近いことができると思うので考えて実践したいです。
実践では、エネルギーが伝播すること(遠隔含む)、信頼関係の大切さ、脳がONになっていると時間が止まることを確認しました。政治家は信用がないこと、今の日本に希望がないこと、だから子どもたちに目を向けている先生の思い、その子どもたちを指導するのは教員だからという先生の思いを感じました。前を向いてしっかり目の前の子どもたちのために向き合って期待に応えられるように日々成長したいと思います。「魅力は口ではなく(技法)やって見せる。」と先生のお言葉がありました。言葉ではなく自分のいい姿を子どもたちに見せることができるようにしたいと思います。自分で感想を書きながら浅いと感じています。自分はまだそのレベルであると示していただいたのでやはりまだまだ謙虚さが必要であると思います。先生がおっしゃった「自転車に乗ってこけないようにするから乗れる。ただの練習ではだめ」積み重ね方も大事なので一瞬一瞬を大切にしたいと思います。
午前の最後には、サンチンの型や箸の持ち方など昔からの所作をやったあとの統一体とラジオ体操や柔軟体操などをやったあとの部分体との力の違いを確認しました。先生の本を読んで知っていることもありましたが、自分自身体験したのは初めてなこともありました。子どもたちに体験させて感じさせることで気づいてほしいと思う内容でした。体感した力の差はすごくてびっくりしました。
午後からの講演では、午前の内容を含みながら、一般の方にも伝わるようにかみ砕いて話や実践をしていただきました。常識では考えられないことを体験した時の自分の考え方の大切さ、「新しいことを受け入れるために自分を変化させる」ここから自分が変化し、一人革命がスタートすることにつながること。頭よりも身体が先であることの重要性。いい社会人になることは今の教育では教えていない。不安は自殺、怯えは人を刺したり殺してしまうことにつながる。こうならないためにエネルギーを溜めないといけないこと。また、人や地球に寄り添ってエネルギー(力)を発揮する方法。信頼感の大切さ、頭ではなく心と心でつながらないとだめであるということ。中心を作ることで力が発揮されること。正しいとわかったことはすぐに変化することの大切さ などを実践を通して確認しました。複数人の腕相撲を返せたり、挙げた腕が弱かったのに強くなったり、体が重くなったり、動きが以心伝心して伝わったり、正座が強く、三角座りが弱かったり、掌を合わせて引っ張ったり、ほかにもありましたが、自分自身経験することがやはり一番だと実践を通して毎回感じています。生徒にもそういう経験をさせないといけませんが、現場に戻ると理屈や知識を並べてしまうことが多くなってしまいます。少しずつでもなんらかの形で現場でも変えていかなければと思います。できることを模索し、身体に正直に少しずつできることをやっていけたらと思います。
最後に、子どもたちに希望を与える。そのためには、自分が成長する。そのためには、謙虚に謙虚に生活をする。平和ボケなんてしている暇はありません。先生がよくおっしゃる「24時間修行」には自分はなっていません。自分に余裕がなくなるとすぐに謙虚さを忘れる自分がいます。そう感じるたびに反省します。レベルは低いところにありますが、先生にお会いするたびに反省する部分、成長できているのかなと思う部分、そしてこれからのワクワクをいただいています。このエネルギーを大事にし、子どもたちにしっかり向き合って、子どもたちが変化できるように力になりたいと思います。
本当にありがとうございました。
●奈良 高等学校 30代 男性
先日は教師塾、実践講演会においてご指導いただき誠にありがとうございました。
様々な実証を通して、いかに自分の頭が身体を邪魔しているか、いかに身体は素直かということに改めて気づかせていただきました。考えれば考えるほど、意識すればするほど、気合いを入れれば入れるほど身体は軽く、弱くなりました。身体を重く、強くするのはサンチンであり、寄り添い思いやることであり、中心を作ることでした。人は直近では母から生まれますが、人間は宇宙から生まれました。そのことを細胞レベルで身体は分かっていて、重くなったり、机や壁に手がひっついたりします。脳をオフにすると身体がオンになるという実証を通して、脳が身体を部分体にしてしまっていることを身に染みて感じました。疑わずに身体に素直になることが大切だということも改めて感じました。「自分さえよければ」ではなく、苦しむ人を気遣ったり、ゴミを拾ったりという他を敬う心ある行動が身体をより強くします。そんな行動が無意識にできる身体にしなければならないと強く思いました。
エネルギーが弱いところに車は突っ込み、怪我をしてしまったり、命を落としてしまったりする。それに対し、エネルギーに満ちていると車に突かれても自分を守ることができる。この事実は教師として、親として見過ごせないものです。生徒や子どものエネルギーを高めるためにまずは大人が邪魔しないことが大事だと思います。この度の講演会の中でも子どものもつエネルギーの凄まじさを目の当たりにしました。そのエネルギーを大人が頭で考えたことで弱めてはいけませんが、教育の現場で行われていることはどうか今一度見直す必要があると感じます。特にコロナ禍においては、子どもの活動に制限をかけてきましたが、感染症対策が緩和された今、大人と子どもとの向き合い方を見直すチャンスのようにも思います。身体を弱くする体育座りが日本の教育の中で文化のように伝わってしまっているように、例えば必要以上に着用するマスクも文化のようになりつつあります。「みんながしているから」と考え行動する傾向が強いと言われる日本人に今一番必要なことは、正しい行いだと思います。それは真実を探ろうとする姿勢であり、身体に素直になることであると思います。生徒や学生を見ればその先生の程度が分かるというお話が印象に残りました。大人が姿、行動で示すこと。それを連鎖させること。正しい行いができる集団を作ること。まずは自分がやってみます。
この度もやってみようという勇気をいただきました。希望をいただきました。私も自分に関わる生徒や子どもにも希望を与えられるように精進して参ります。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
●奈良 高等学校 30代 男性
本会もご多忙の中、ご指導頂きありがとうございました。1日を通じて参加させて頂き、先生が実践されることの意味、そして私達に直に体験させて頂くことの意味を強く感じました。言語での説明には限度があり、また説明している側とそれを聞いている側のレベルに大きな隔たりがあれば、その内容を伝えることは非常に困難です。だからこその実践であり、目に見えるようにしてくださっているのが、いつも先生が私たちにしてくださっていることなのだと分かりました。人に寄り添うこと、姿勢を正すこと、礼儀を重んじること、など自分の行動次第でエネルギーの程度が変わるのことを知り、それを無意識下で出来れば、他人にも良い影響を及ぼすことができると思います。
本会で一番印象に残っているのが、午後の会で、先生が体育座り、胡座、正座についてのお話をしてくださっている時に、体育座りをしている高校生が微動だにしなかったことです。自分の直接の教え子ではありませんが、果たして自分の教え子があの場にいたとして、即座に反応して座り方を直したかと考えると、おそらくそうではなかったと思います。1点目は悪いクセが染み付いていること、2点目は瞬発力の欠如が、指導者の1人として深く考えさせられました。生徒たちの行動は我々指導者に責任があります。受験に向けた指導に奔走して、生きていく力を教えていないことを痛感しました。同時に、その指導にあたるためにはまずは自分が勉強し、体現できるまで磨かなければならないと再認識させられました。
息子が生まれ6ヶ月が経ち、その成長の早さには目を見張るものがあります。良い未来を生きてほしいを願うばかりですが、日本の現状を見ると危機感を覚えます。どうすれば自分が貢献できるのか模索中ではありますが、自分がチャレンジをする姿勢、進歩しようとしている姿勢には軌跡が残り、それを理解できる年頃になって息子が見返した時に、少しでもそれが刺激となってより高い次元に行ってほしいと思います。そのような未来を迎えるためには、やはり今できることを精一杯やらなければなりません。今自分が置かれている状況に感謝しながら精進したいと思います。本会もありがとうございました。
●奈良 高等学校 30代 男性
目には見えない物事を宇城先生の実証によって体験し、身体で感じられるようになる。この事実は、毎回の教師塾で当然のように目の当たりにしていますが、本当に貴重な体験であることを見失いそうになっていたと思います。横着で謙虚さに欠け、変化がなくエネルギーがない状況になっていると痛感しました。県内指折りの進学校に赴任し、子どもたちが数字による競争に追われ、押しつぶされている状況や教員のエネルギーの無さと一体感の無さに、嫌気がさしていました。しかし、自分もその一人であることに気づきました。自分も同じで、何ら変化も深化もないことに無意識に目を背けていたことに、ここまで身体は「死に体」になっていたのかと恐ろしくなりました。
前任校では、塾生の先生方と共に過ごしていたので、その方々にも守られ、助けられていたと思います。現在は「一人」になり、不安によって行動が起こせない状態です。自分の不甲斐なさや人間としての深さのなさ、レベルの低さに直面しておりますが、そこで湧き出る感情もまた自己中心的で先がないものです。「現在に未来がある」「先(未来)を見せる指導こそが希望」。宇城先生のご指導こそが希望です。
「気」は目に見えないものですが、私たちは宇宙と繋がっていて、自然界の一部であることを考えるとごく自然に「気」の存在が見えてくると思います。自然界は調和で満たされているのに、人と人になると対立や衝突ばかり。全くその通りです。
先日、不登校生徒に悩む他学年の学年主任(女性)が体育研究室まで来られて、「宮崎先生はどうしてそんなに明るくいられるの?」と質問されました。少し驚きましたが、衝突と対立の連続に疲れ切った表情で、潰れてしまうのではないかと心配になり、気づけば2時間お話しました。私の明るさは、母から受け継いだものと宇城先生がおられる安心感で成り立っています。学年主任の先生がそう質問してくれたので、気づきました。こうして、他者がいて初めて自分のことが分かるのだなと感じました。人は心と心が繋がって、「間」が生まれ「人間」になります。とても単純で素敵な方法なのに、気づかず実践できていない人が本当に多いと思います。私も含め周囲の人々は、目先のものに左右され、怯えと不安の中で何とか自分を保とうと必死です。ですが、それでは子ども、孫、その先までどうにかはなりません。絶望的な教育現場ではありますが、その中で私に触れられる距離、関われる距離感の人たちには、「気」の存在と心のつながりをどうにか伝えていきたいです。姿勢、呼吸、型・・・。毎回、力の無さを痛感しますが毎回、実践したいことが明確になります。今回は「将来」を守りたい、「希望」を見せてやりたい生徒が頭から離れませんでしたので、実践を重ねていきます。この度も、ご多忙の中ご指導いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
●京都 私立中学校・高等学校 40代 男性
教師塾,実践講演会でのご指導,ありがとうございました。どちらにもお話しされていたこととして、人が未知の経験に対してどう受けとめるかということ、脳のスイッチをオフにすることが99%の能力を発揮することができること、人間が宇宙の一部であることがありました。そしてそれらを踏まえて、今回は「技法」を伝えるということ明確におっしゃっていたことが一番心に残りました。そして私はその言葉や検証に対して、宇城先生のこの講演会や教師塾に臨む危機感の高さを強く感じました。一度検証でやって見せて、その後,大学生たちに「やり方を教えたのでやってみなさい」と言ったこと、教師塾で最後にサンチンをやったことに加え、「子どもたちにアプローチしていかないといけない」、「その子どもたちの一番近くにいる大人、教師にアプローチしないといけない」ということも明確に言葉でおっしゃっていました。今回はこれまでになく、私たちのレベルまでおりてきてくださり、より明確に伝えてくださっていると思いました。教師塾用のテキストも作成してくださっていること、塾生に向けて本を書いてくださったことも含めて、先生が世界、日本の未来を考えた上で一人革命をしながら、私たちに諦めることなく絶えず気を配ってくださっていることに、先生の優しさ、厳しさを感じました。
年2回の京都実践講演会は、教師塾の後に行われるので、私にとっては学びを深めることができるいい機会となっています。教師塾で言ったこと、言わなかったこと、同じ検証、違う検証、同じ動画、違う動画、同じことにおいてもアプローチを変えたことなど、先生がなぜそうされたのかを考えることが、自分にとって貴重な時間となっています。また、実践講演会では、教師塾よりも客観的に見ることができるので、さまざまな気づきを得ることができます。今回は、多くのお子さん、高校生、大学生が参加されていました。特に、高校生の態度や、その変化に対して厳しく指摘されていたことが印象に残っています。私は道塾や教師塾、講演会において、先生のアプローチに対して波動のような感覚で受けとめることがよくあります。今回は、高校生にしている指摘が、自分に対して指摘をしてくださっているのではないのかという感覚になりました。高校生(子ども)へのアプローチの仕方(技法)だけでなく、私が学校で自分の生徒に対してどうアプローチしているのか、どう過ごしているのかを問われているような気持ちになりました。自分に照らし合わせて、改めて考えたとき、先生が最初に伝えてくださった「間抜け」「間締め」という言葉が出てきました。自分の人としての間、生徒や保護者、同僚との関係は、まだまだ間抜け、あるいは間違いだと気づきました。先生が、これが「間締め」だということを伝えてくださったのかもしれないと思いました。自分が真面目にやっている風なだけで、そこに本気、真剣さがまだまだ足りない、本当の間ではないということを痛感しました。自分のいい加減さ、本気、真剣さの弱さを変化させ、先生から授かった「技法」を大切に、これからはより一層、成長していかなければならないと思いました。また今後も、ご指導をよろしくお願いします。
●大阪 中学校 60代 男性
先日も教師塾のご指導を賜り、誠に有り難うございました。午後からの実践講演会のお話しの中で、諸外国に指導に行かれる日程の合間をぬって開催されているので、今回の実践講演会がこの日程になったとお聞きしました。新型コロナ感染症の流行が落ち着いてきて、ますます海外から宇城先生を求める声は大きく広がっていくこと思います。そして、宇城先生のご指導を求める真剣さに関しては、諸外国の塾生の方々がより濃いことが感想文からも判ります。それらに比して、私はまだまだ甘く、それでも道塾、教師塾に参加させて頂いていることが、本当に有り難いことだと思いました。
さて、講義の最初に2004年に放映されたBBCの番組動画を見せて頂きました。振り返ってみるに、宇城先生がこの動画を見せて下さった意味とは何なのか…という疑問が頭をもたげてきます。以前見せて頂いた『探検!ホムンクルス』は、宇城先生の武技に対して行う番組内解釈が、いかに的外れなものなのか、大学の先生を初めとして世間一般は同じものを目にしていても、全然判っていない(私自身も含めて)…ということを気づかせて頂けたと思っています。
今回の動画では、オープニングで今まで取材をし、放送されたであろうパフォーマンスが流れました。その中で中国の「気功」の遣い手らしき人が遠隔で他人の背中へ手をかざしたり、両手の間に相手の手を入れてもらい近づけたり離したりして“気”を感じてもらったりする場面がありました。中国にも“気(チー)”という言葉があり、その行法は日本にも入ってきていますが、そのような「気功」で扱う“気”と宇城先生の“気”は全然違う感じがします。
なぜ、そう思うのかというと、宇城先生の“気”は瞬時にその作用が働くのに対して、中国の気功士の場合は効果を表すのに時間がかかっている感じがするからです。また、あの動画の中では“気”について触れておられませんでしたが、あのレポーターの方が自由組手の折りに、一切手が出ない様子が映っていました。それは2000年初頭には、既に宇城先生から目に見えないエネルギー(“気”)が発せられていたからではないかと思った次第です。
そして、今回の講義の中で印象に残ったお話しが、午後の講演会でもお話しされた(1)「生みの親」と(2)「タントラ・ワンネス」で「脳をOFFにする」です。「脳をOFFにする」とは、以前に仰っておられた「ニュートラル」と同じことなのかな…と、思いましたが、これもジグソーパズルのピースを今までの自分の世界に無理に当てはめようとしているだけなのでしょう。「寄り添う(心をつかう)」と「脳がOFFになる」と仰られたことも有り難いお言葉でした。
そして、午後の実証で5人縦に並んだ列の先頭の人と手を合わせ、列を引っ張る…がありましたが、私には出来ませんでした。それに反して、素直に行動されている方はちゃんと引っ張ることが出来ていると思いました。そんな私ですが、午前の最後に宇城先生と一緒にに行った「サンチン」は、統一体になる第一歩だということが判り、一つの希望となりました。
これからもご指導を宜しくお願い申し上げます。
有り難うございました。
●島根 県庁教育指導課 40代 男性
お忙しい中、ご指導いただきありがとうございました。
「脳がONになる。身体が恐れる。」宇城先生が今回ご指導の中で、仰られたお言葉です。まさに自分のことです。昨年の4月、仕事が変わる時、不安・恐れ・緊張。身体がビビっているのを嫌なくらい感じていました。宇城先生から学ばせて頂いているからこそ、身体が恐れていることは、感じることはできています。ただ、それを自分の中で正すこと・変化させることは出来ませんでした。自分の未熟さを痛感しました。
高校の現場で野球の指導をしていましたが、現在高校の現場から離れています。現在わが子が少年野球を始め、小学校の野球を見ることが増えました。批判でも否定でもありません。小学校でのスポーツの指導の現実を知りました。真剣に考えなければなりません。子どもの成長を邪魔しないことを。スポーツを気晴らしのスポーツとして割り切っていればいいですが、少しでも関わる以上、“道”に変えたい。小学生の置かれている状況は想像以上であると感じました。高校野球の指導をさせていただいている時にこの事実を、身をもって感じておけばよかったと今更反省している自分がいます。今回宇城先生からも野球の話をしていただきましたが、本当に我々のレベルに合わせて、気づき・気づかせる指導をしていただいていると感じています。
今回のご指導で、新たなものを経験したとき、人はどうするかを我々が理解できるようパズルのピースに例えお話いただきました。新たなピース(真実)に出会ったとき、1、過去の同じようなピースを探し当てはめる。2、新たなピースを捨てる。3、新たなピースを自分で変化させる(一人革命)。自ら学ばないものは、一生選択肢は1か2。結局自分にとって都合の良い選択肢。逃げているといっても過言ではないと感じます。3の選択肢があるという幸せを学ばせていただいているからこそ感じられています。世の中は目まぐるしく変化をしています。もしかしたらすでに変化をしていたにも関わらず、気づくことができていなかったのかもしれません。近年、家族間での事件が急激に増えたように感じます。今までもあったが、報道で取り上げられていなかったのか、定かではないですが、とても嫌な予感がします。なぜそうなるのか、その代に問題があったのか、先代に原因があるのか、宇城先生のご指導から今を生きているとともに、先代の繋がりで生きているとも感じます。だからこそ、これからの今どう生きるかがこれからの子供たちを含む、次世代に影響を与えると思っています。そう考えると真剣にならざるを得ない。そんな感覚でいます。
気づくのは自分ですが、宇城先生に誘導していただいているのだと思います。先生のご指導を受けている安心感のままで終わっている自分がいないか。今まで見たことのないピースを珍しいものとしてお守りのように持っている自分がいないか。気づき自分の中で変化、増幅を繰り返す。一人革命。今、教師として指導者の関わりができていないが、違う立場からまた教師ではなくとも人と関わり生きていく以上、微力ながら自分にできることがあると確信しました。自分を護り、周りを護る。教師でなくともできることです。
引き続き、ご指導よろしくお願いいたします。
●奈良 中学校 20代 男性
先日の教師塾ではご指導いただきありがとうございました。参加させていただくたびに感じることは、子どもには目には見えないすごい力が潜んでいるということです。大人には動かすことができないものを、いとも簡単に動かすことができてしまう光景には常に驚かされています。中学校教師として、教科の内容や野球の技術を教えることだけに一杯いっぱいになっている自分を見つめ直し、子どもたちの潜在能力を引き出すことができる教師になりたいと考えるきっかけになっています。もちろん教師は「教える」ことが重要な仕事ですが、「教える」だけでなく「+α」の引き出しをたくさん持った教師を目指します。
今後ともご指導よろしくお願い致します。ありがとうございました。
●京都 中学校 40代 男性
今回の講習会を経て寄り添うことがいかに自分に、周りにエネルギーを与えるか、先生が仰る植物自然界、そして宇宙はその関係性で成り立っている。科学者や今までの我々からしたら?ですが、それ自体が本来の在り方で全てその関係性で成り立っている。それを教育の現在の在り方、受験勉強、ランク付け。スポーツによる勝ち負けそれによって本来人間が生まれながらに持っている力、エネルギーがぶっ壊されて行っている。しかし、そこの世界例えばスポーツでは勝たないと意味がない。宇城先生は、そのどちらでも結果を出している。
ただ勝つだけしか目指してやってこられていないからこそ今がある。仕事でも、スポーツでも全てにおいて本質を理解されてきた。
そして結果を出してこられた。学べば学ぶほど先生の言葉の重さや凄さを感じます。その中で常に謙虚で在られる。全てにおいて極めているのに、これまでも、今でも学びをやめない。そこが我々との何よりも違うことだと感じました。それに比べて私、我々教師はどうなのか。どのようにすべれば先生のように学び、進化、成長して行くことができるか。ここで学び『凄い』『凄い人から学んでいる』ではなにも変わりません。先生に出会いエネルギーをもらい、気付きをもらいそれをいかに実生活の中で落とし込み、挑戦や行動に変えていくか。その実践が無くては新たな自分に出会うことも、変化、成長もありません。もしかしたら、益々頭でっかちになり理屈に走る自分を加速する危険性もあります。そうならないためのヒントが今日の寄り添うというキーワードのように自分は感じました。
この頂いた希望、エネルギーを自分で自分のために消費するのでは無く、教師なら「教師こそ自他のために使えるだろう」ということで、教師塾があると思います。この会もあるものと思います。我々のエネルギーは目の前の生徒が幸せになるためにこそ使う。それでこそ、エネルギーが上がる。エントロピーが上がっていく。自分、自分ではエネルギーの創造はありません。本当の意味での寄り添うは何なのか、その答えも全て先生は出会う度に実践で、立ち居振る舞いで教えて下さっています。そして何より空気感で、それを理解するのは、頭では無理です。感性でしか掴めない。今日の午後の部でも明らかだったように、先生がどれだけ凄くても気持ちの無い人。真剣が分からない人には通じない。そのことがよくわかりました。そして何よりその真剣がない人に真剣を教える、気付かせる。先生の信の部分を学ばせて頂きました。勿論それは、先生にしかできません。しかし、先生はできます。芯が、真が、信があるから。究極の世界にこれで良いは無い。全てが繋がっていき何より、人が変わることを示して下さいました。しかも、ほんの数時間で、その事実を我々は何より大切にして挑戦というエネルギーにし、そこから多くのことを学び、また少しでも自分レベルを上げて先生に出会い、先生の心、技を学びます。今後とも御指導宜しくお願い致します。
●奈良 高等学校 50代 男性
ご指導、誠にありがとうございました。
午前中の教師塾では、全体の雰囲気、レベル、そして個別の習熟度、個性にも添った、いわゆる「全体にも個別にも適応した指導」をこの度もいただきました。しかも同時進行で。受講生は互いの差異から互いが学びあえ、共に伸びる方に向かえる。一つの空間・同じ時間で全体指導も習熟度別指導もこなし、共生に持って行く。あとは、全て学ぶ側・学び合う側、我々ひとり一人(=自他・全体)の姿勢が問われています。自分のこと、他人事、お互い様、全体として・・・。
先生は何故、そのような指導ができるのか。どうすればそのような指導ができるのか。「統一体的指導ができるのは、統一体という心身を形成し、今もなお深化させ続けているから」。ピンとくる者も遅い者も。先生は、レベルの低い者、勘違いしている者に対峙しても全てを自身のエネルギーに変換する・・・。指導者が先ず言い訳をしない。見せるけれども最後まで見せつけない。観念させるけれども切り捨てない。そこには愛。根底には愛があり、自他を信じ切る自信があるから。他尊自信・・・。
まてる、待ってやれる。侍・・・。侍が行く・・・。
先生のような生き様・人格、激しさと身体でないと不可能です。そこに向かって自分も走る。
我々教師が学べる場、機会はできました。次は、そこで何をどのように膨らませていくのか。深めていくのか。身につけていくのか。個人として、全体として。我々教師の教師である宇城先生の生き様にヒントがあります。
午後から参加した生徒には身体の感性が壊れている者がたくさんおりましたが、それを嘆き批判することは簡単です。そこにとどまっていては諦めです。そしてただの言い訳、言い逃れです。「この自分ができることをやる、後は本人が乗り越えていくこと。ただし、自分次第は生徒のことではなく、先ず教師であるこの自分だということ。」これが真実であり厳しい(=当たり前))現実です。昨今、厳しさ=優しさが当たり前から異質になりつつあります。この自分のことです。
本気かどうか。子ども達に「本気になれば、人や現象との出会い、運、そして巡り合わせ、一瞬の間(瞬間)、これら全てが変わる」と伝えています。自分がそうだったからです。過去形なのは、今はそれが薄まり弱まっているのが自身で分かるからです。一つは情けなさ、一つは自分で分かる有り難さを噛みしめています。できない、できていない、下がっているということが分かることも、ことこそが助けであるということに気付かせていただいております。気付いたのは自分、しかし気付かせていただいたのは師、そしてこの身体です。
落ち込んだり、悩んだり、感傷的になっている暇などもうありません。待ったなしです。間抜けとは、間延びとは何か。どのような状態のこと、時をさすのか。自分の身体で掴みとり拭い去る。人間性の向上のみに甘んじない、経済性に振り回されない、社会性で誤魔化さない。この三つを繋いで回転させること。この三つの「樽桶の法則」を身体で感じること。
タントラとワンネスは、先ずこの自分が、そして子ども達もこの言葉が心身共にピンとくるようなそんな日本に。
また一から出直しです。やり直しです。素に、元に、基に戻ります
「毎日棚を拭き続けること。心を込めて」先生はそのように仰いました。
本気になれば、その気になれば、続ければ。そして、やがて、気がつけば・・・。
子ども達と共に先生方と共に。先ずは自分が挫けずに枯れきります。
全ては自分が気付けるかどうか、気付いた者が実践できるかどうか、続けられるかどうか。深められるかどうか。たったそれだけ、これだけです。今からでも遅くはない。気がつけば始める。気がつけば変える。
謙虚になれる身体の形成が急務です。自分のものにするまで。そこまでやる。そこまでやらないと。そこまでやってこそ。
引き続き、ご指導何卒よろしくお願い申し上げます。