●京都 中学高校教員 AT
なぜ目が見えないてんとう虫は、遠く離れた幼虫を見つけることができるのか。普段考えもしない視点から教師塾、実践講演会ともにスタートしました。これまでは自然界の植物は栄養やエネルギーを奪い合って生きていると思っていましたが、そうではないことが科学の発展により証明されてきました。光合成ができなくても、根っこでつながり、お互いを助け合える植物。困った時は SOSを発信し、天敵から身を守る術を持っている植物。同じように、そのSOSを察知し、植物と共生している動物。自然界には弱肉強食という仕組みがあるが、この仕組みもお互いを奪うためのものではなく自然界を守るためにあるものだと考えると、私たち人間は何とつながり何を守れているのだろうかと考えさせられました。 部分体の私達人間は競い合い、奪い合い、争い合うことをやめられず、お互いの可能性を潰しあっているように思えてなりません。そもそも、科学での証明自体が後追いで、科学が進歩していようがいまいが、何十億年も前から地球は自然のエネルギーでたくさんの生命を繋ぎ、育み、守ってきてくれています。自然体だから繋がれる。それは私たちが自然の中で生かされているからだということを痛感しています。相互に助け合い、生かし合いながら、自分だけという狭い視野ではなく、地球規模、宇宙規模で自分の生命の使い方をしている動植物のように、私たち人間も変化していかなければなりません。
宇城先生がおっしゃるように、分断でしか物事を捉えられていないから、謙虚になることができず、欲まみれの人生を歩んでしまいます。自分が良ければいい。自分の大切な人だけが幸せであればいい。そのためには平気で人を蹴落とし、困っている人がいても助けない社会になりつつあります。心の貧しさ。戦後、どれだけ苦しくても日本人としての誇りを大切に生きてくださった先人とは違い、経済力だけでなく心まで貧しくなりつつある現状は、この分断化を止めなければ益々進んでいくと感じています。自分も、大切な人も幸せにしたいのであれば、社会全体が、地球全体が幸せでなければなりません。そんな当たり前のことを忘れている人間の未来に希望はありません。教育とは、裏切らない人をつくるものだ。先生のお言葉が胸に刺さりました。植物のSOSに答えたてんとう虫のように、周りのSOSを感じとり、自然に動ける身体を取り戻せるような教育をつくり上げていくことが私たち教師塾生の使命です。
午後の実践講演会では、小さなお子さんや小学生にはできることが、中学生以上ではできなくなっていました。宇城先生に気を通していただくとできるのに、自分だけだとできない。まさに頭で考え、思考が停止し、身体が先になれていない証拠です。直感的におかしいと感じる。直感的に困っている人を助けられる。その直感すら失いつつある現代人。考えることをやめ、崩れ始めていく様子をただ見ているだけどころか、そのことに気づくこともできずに興味も持てない。まさに分断の真っ只中にいます。このままでいいわけがありません。子ども達は未来の希望です。にも関わらず、中学生から希望を奪っているのは悔しいかな私たち学校です。競争させ、不安を煽り、自信を奪う。未来に希望が持てない現状を与え、思考停止させているのは、私たち大人の責任なのです。
本来、人間が持つべき力を引き出すためには自分が変わる以外の方法はありません。宇城先生に気を通してもらった人が前に立つと、四つん這いになって大人数に両手両足を抑えられても前に進むことができました。できた人が前に立つと、次の人も、また次の人も前に進むことができました。前に立つリーダーにエネルギーがあるかどうかで、その集団のエネルギー量が大きく変わる。まさにその実践を目の当たりにし、結局は誰かのせいではなく自分次第なのだということがよくわかりました。教師塾の最後に、二人が肩を組み、いがみ合うと弱くなり、仲良くすると強くなるという実践の後、正しい姿勢で正座をしている人がいがみ合っている2人の下に座ると強くなるという実践を行いました。自分が正しく胸を張って今いる場所で実践できていれば、その場所全体を強くすることだってできる。組織の中でも自分次第で変えられることはあるのだと勇気をいただくことができました。ではどのようにして自分自身が強い身体となっていくのか。まさに稽古照今です。学ではなく術。そのためには、日々の鍛錬が欠かせないということを重く受け止め、行動に変えるしかありません。宇城先生がとてつもないスピードで学びを深め、日々検証され、実践に変えていかれています。それに比べて自分には覚悟が足りないのです。ゼロか1か、2進法で生きる。やるかやらないか。まずはこの実践から始めていきます。そして何よりも、心を抜きにした断片的な学びではなく、事理一致につながる学びを提供できるように、真剣に考え、行動に変えていきます。
実践講演会では、初めは控えめだった中高生が、時間が経つにつれ前のめりになり、最後は本当に生き生きとした笑顔で実践をおこなっていました。場の空気は調和し、そこにいる全ての人が笑顔に変わっていく。まさに教育のあるべき姿でした。宇城先生の実践講演会は、言葉だけではなく、そこに真実が存在しています。嘘のない世界。まさに自然界と同じで、調和した空間がそこに生まれ、その場にいる人みんなが元気になっていけるのだと感じました。すべての人が幸せに生きられる世界の実現に向けて、教師塾生として、宇城先生に恥じない生き方をしていきたい。私自身が変化することでしか変えられないものがある。私も自然界の一部であり、私には果たすべき役割があるということにも気づくことができました。宇城先生と出会い、私は自分の使命をいただくことができました。教育というかけがえのない場に関わらせていただけていることの幸せを、日々感じることができています。自分はまだまだだ。そう思うことばかりですが、そのような気づきを与えてくださるのも、宇城先生や宇城先生が繋いでくださる方の生き様を見させて頂いているからです。本当に感謝しかありません。今、この時代に生かされていることに感謝をし、全体性で今という時代を捉え、今自分にできることが何なのか、向き合い続けていきます。先生に気を通していただくとこれまで以上に身体の中心から全身に向かって熱くなっていくのがわかりました。身体がというよりは細胞が熱くなっている、そのような感覚でした。ここ数ヶ月、首の痛みに悩まされてきましたが、先生に気を通していただくと痛みが引いていきました。何かいらないエネルギーが自分の中に存在するのだと実感しました。細胞から変化する。うまく言葉にはできませんが、身体は答えを知っています。感覚、空気感、目に見えないものを大切にできる自分でいられるように、対立ではなく調和。分断ではなく全体性を大切に、日々精進してまいります。いつもご指導いただき、本当にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
●京都 中学高校教員 TN
昨日は、教師塾、京都実践講演会でのご指導、誠にありがとうございました。定員 80名のところに 120 名の 参加。初め木村様からお聞きしていた数字を大きく超える申し込みに会場も熱気に溢れていました。コロナウィ ルスの影響から日本の政治判断への不信。社会情勢の急激な変化。そして自分自身の生活へのダメージ。正直自 分に火の粉が降りかかることのイメージがこれまでなかった国民が、自分自身が自立・自立しなければと思うような風潮になってきているタイミングにおいて、どう動いたらいいのかわからい。見通しが立たない現状でもが いているというのが実情だと思います。その中で、希望ある未来を示してくれる宇城先生の講演会につながった 方がたくさんいたのではないかと推測します。『これしかない!』昨日の講演、身体を通した実践でそう感じたこ とでしょう。
最初に、ヤナギを食べる虫とテントウムシについての話。また同様にアカマツをマツハバチの幼虫に食べられるとシジュウカラを呼ぶ。目に見えない信号が出され、それをキャッチする。それも広い広い世界の中でそれが自然と行われている。更には、落葉樹と常緑樹の関係。菌糸を通じて、お互いに助け合う関係の映像と説明を聞 かせていただくことで自然界がいかにして命をつないできたのかを知り、衝撃を受けました。これは最新の研究 でわかったことかもしれませんが、ずーっと昔から当たり前にこのようなことがあったということ。ただただ私 たちが知らなかったということ。では、人間界に目を向けるとどうでしょう。戦争、受験勉強、競争社会など、 困っている相手がいれば助ける。仲良くなる。どころかむしろ見放す。蹴落とす。というような関係となっています。当然目に見えない SOS の信号はキャッチすることは出来ず、自殺者がどんどん増えていくことも改めて 納得させられました。年間 2 万人。出生率は年間 80 万人程度となっている今の日本。この数字から私たちはどう受け止めるべきなのか。
微々たるお金をばらまいたところで本質的な解決にはならない。そんなこともわからない政府。益々『希望が見えない日本』が加速していく今の現状を打破していくためには、教育に関わるものと して、学校教育を通じ、仲間を大切にすること。学ぶことを好きになることを徹底して取り組んでいかなくては いけないと感じました。
先生が昨日①言い訳をしないこと②二進法でやることと繰り返しお話して下さいました。2 人組で腕を掴みひっくり返す検証では、頭で考えると手がひっくり返すことができません。表と裏。0と1の間にある時間のスピ ードを上げることで簡単に腕をひっくり返すことができました。身体先にありきです。他には、両腕を押さえられてのスクワット。しゃがんだ時に相手に抑えられると上がることができませんが、下がった時は上がっている という内面のスピードが上がるとスッと上がり、何回も相手に抑えられることなくできることができました。抑 える側も上がるタイミングに入っていくと今度は逆に抑えることができる。お互いにそうしてやることが本当の 意味での稽古。鍛錬であるということに気づかせていただきました。前で実践している中学生は、一度できると 何回もできる。小さい子どもが腕相撲で大人を倒す。やはり子どもは「すごい!」と。せめて大人が邪魔をして はいけないと。身体を通して「できた」経験は、ずっと残り、自ら挑戦していく意欲に変化していきます。子どもたちの様子からそれを目の当たりにしました。 毎回感じることですが、人間には、本来素晴らしい力がある。それが退化していっている。本来の能力を発揮 するためにも身体も思考も素直になることで自分が変化する。それを楽しむことでエネルギーが周りにも伝わり、 希望が出てくる。こうした教えをいただけることに感謝し、引き続き学びを深め、行動していきます。
●奈良 高等教員 RM
「私たちが知らないだけの真実」は自然界には数多存在しています。私たちの想像をはるかに超えるほどです。教師塾終了後、人間は他の生物と比べて、何の力があるのだろうか。私は一体、何が出来る=実践し結果を残すことができるのだろうか。とシンプルな疑問が生まれました。その解答は・・・何もありません。何も見つけ出せない(気づけない)のです。欲を出し、我を通してきた人間とその社会の仕組みの中では、当然かもしれません。宇城先生がお話に挙げられた自然界では、異種・同種関わらず共生関係がありました。持ちつ持たれつ、お互い様。互いの特性・特徴を活かし、長くとも短くとも関係なく、日々生命をつなぎ、子孫を残す。そこには、自殺も他殺も不登校も精神疾患もありません。厳しい自然界ですから、厳しい生存競争があると思っていました。というよりも、それしかないと思っていました。真実は、植物は土の中で根と菌糸で繋がり、土の上で他種の生物と繋がっていました。その「術」をもっていたのです。当然、鍛え上げられたわけではなく、ただ自然体に仕組みが生まれ、共生を始める。その仕組みを人間が文明を築く前から、ずっと守り続けている。もちろん、急激な環境の変化で絶滅する危機はありますが、生き残るために「変化」し、次の環境(時代)を生きる。それは競争ではなく、淘汰です。植物に脳はありません。昆虫や鳥やその他哺乳動物などは植物を食べたり、住処にしたり、道具にしたりしますが、植物はじっと動きません。ただ太陽に向かい、悪いも空気を取り込み浄化して戻し、根を伸ばして周囲と調和しています。身体(幹・根・枝葉)でそうしているのか、と気づきました。統一体だから強いのか。私にとって、「自然体」「統一体」は、例えば樹木であること。が一番しっくりときました。言い訳をせず、愛情をもって寄り添い、スピードを止めないことが他者を護り、活かし、強くし、強くなれる。と前半での気づきを後半に様々な実証で体験しました。自分ではできないのですが・・・。自分が知らないだけの真実があることが分かれば、謙虚な姿勢になるのが自然です。それでも衝突を繰り返す人がいることもまた事実です。子どもができて大人ができないこと、目に見えないエネルギーで世界は溢れていること。それに触れられるだけで、人生のベクトルは変容していくと思います。
宇城教師塾に参加させていただき、4年が過ぎました。正直に申し上げて、宇城先生という方に学んでいる現状に満足していました。浅はかで単純だったこれまでとは異なり、少し年数を重ねてきた頃に傲慢さ、横着さ、自己中心的思考が浮き彫りになってきていました。「THE教師」です。先生のご自身の「気」の正体についての探求心や学びの深化の過程を目の当たりにし、次元が違うことを再確認いたしました。現状維持では困る。とのメッセージだと感じております。本当に幸せです。日本人であるだけで、先生が話される言語がタイムラグなく分かるだけで、全世界から羨望の眼差しで見られるでしょう。宇城先生は「あぁ、そうか。そうか。」と、ちょうど私たちの手の届くところに「種」を置いていかれます。拾って渡す、拾って取り込む。拾うだけではなく、次の動作が無ければ時間が止まってしまいます。つまり、成長がとまってしまう。怯え・恐怖心があると行動できなくなることも実証済みです。既に私たちは「病気」です。病気の反対は健康ではなく「救い」。戦後の様々な改革、教育の支配、政治家の腐敗によって、病気になる他ない時代の中で、先生は「救い」を体現されています。自分の中にある潜在的エネルギーの開花を目指し、変化・進化・深化=実践を重ねます。
宇城先生、この度もご多忙の中、ありがとうございました。今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
●岐阜 高校教員 KK
今年度最初の教師塾および実践講習会でのご指導ありがとうございました。
教師塾では、私たち教師に対する宇城先生の想いやご期待を、そして実践講習会では子どもたちが私たちの未来への希望であることを痛切に感じる機会となりました。
私たちが気というものを理屈で理解しようとするクセが抜けないのにもかかわらず、それでも宇城先生のおっしゃることがなんとか「わかる」ことができるのは、先生による身体の実証を通したご指導があるからです。常識では考えられない実証は、私たちがそれを身体で知る唯一の方法です。体験しなければ分からない。
一方で、体験させていただいただけで分かった気になり、すぐに現場で活かそうとする横着さもまた私たちにあります。実際私もそうでしたし、今もその誘惑にかられることがたくさんあります。ですが今はそれ以上に私自身が変わること、私自身が身体を練る修業を重ねること、そのために宇城先生の姿をなるべくそのまま私自身の身体に映すことが大切だと思っています。そのように考えてみると、自分自身の至らなさ、横着さがますます自覚できるようになるからです。
例えば心がまっすぐに整わないこと。宇城先生はじめ、あらゆる場面で人の話を一生懸命に聴いているつもりでも、気がつけば心と身体がその人から外れていることがよくあります。恥ずかしながら今回のご指導の最中でもそういう瞬間が度々ありました。
また例えば一歩踏み込めないこと。どれだけ心や頭で踏み込んでいこうとしても、身体の腰がひけてしまうことがよくあります。こればかりは、頭からの命令ではどうにもなりません。「月は映るともなく…」の例えで宇城先生は教えてくださいます。かつてはその意味がわ全く分かりませんでしたが、いまでは心がざわめき、月を映そうにも映せない自分である自覚がようやく持てます。一歩踏み込みさえすればいいのにそれができない。日常生活でもそんなことがたくさんあります。
そんななかで、言い訳をしたり理由をつけたりして誤魔化してきましたが、そうすることでさらに身体は弱くなります。だからこそ、宇城先生のおっしゃる二進法で行動していくことが大切だと思います。YESかNOか。それすらグズグズして決められない身体ではなく、良かれ悪しかれ瞬時に決断していく。そのスピードが私の大切な指針となりそうです。
近頃、私の子どもや生徒たちを観る感覚が変わってきました。子どもの行動や仕草から彼らを理解するのではなく、内面を観ようとしています。そうすることで私自身の言葉や行動が変わり、子どもたちも変わっていきます。先日も不登校の生徒の家に行き、なんのことはない取り留めもない会話をしただけなのに、なぜか翌日から生徒が学校へ来られるようになりました。理由はよくわかりませんが、彼のなかに何か変化ぎあったのだろうと思います。
こうしたことを重ねていくと、もしかすると私自身も子どもたちのために何かできる力があるのかもしれないという希望がわいてきます。どちらが先生でどちらが生徒か分からないです。しかし、逆にそのような見方をするからこそ、今回も宇城先生がされたようなき「甘えていてはいけない!」という厳しい指導ができるのではないかと感じています。
今年も1年弱くてダメな自分を認めつつ、それもひっくるめて前に進んでいこうと思います。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
●奈良 高校教員 TS
本日は、午前の宇城教師塾に引き続き午後の京都実践講演会においてもご指導いただき誠にありがとうございました。
開始予定時刻より早い講義のスタート、そして時間を超えてギリギリまでのご指導と宇城先生の湧き溢れるエネルギーと我々教員に対する期待を感じることができました。
今日一日を通じ、自分自身をよく知ることができました。自分自身とは、横着な自分、プライドの高い自分、我の強い自分です。今日、見せていただいた自然は助け合いながら共存しています。しかし、私は「自分は」「自分が」の気持ちがすごく強いことに気づかせていただきました。そんな自分に気づくことができるのも宇城先生という師の存在があるからです。そして、変化のない自分に気づかせていただけるのも師の存在があるからです。午後からの実践講演会でもあったように、子どもの身体は素直です。目の前にあるものをそのまま受け入れる素直さがあります。それに比べると私は、まだまだ宇城先生の気を細胞でキャッチできる身体になっていません。今まで経験したこと、学んだ知識を捨てる勇気がないからです。自分の尺度、自分の物差し捨て切れていない自分がいます。なぜ自分はそうなのか、そうなってしまったのか、自分には分かりません。ただ、分かろうとする気持ち、行動を続け、何のために宇城先生に学ぶのか、自分が教員として何をしたいのか、答えは分からなくとも深さを求めつづけます。
教師塾で宇城先生からご指導を受けていると、「明日は~がしたい」、「この生徒にはこう話そう」、「もっとこうしとけば良かった」など具体的な行動がどんどん湧いてきます。また本日は、生徒の前に立つ教師としての重責を改めて認識させていただくことができました。未来は今にあります。今、自分が変わらなければ自分にもそして目の前の生徒にも未来はありません。「いいわけをしない」まずは自分からより謙虚に生きていきます。本日のご指導誠にありがとうございました。
●奈良 中学校長 KY
宇城先生、大変ご多忙の中、第4回教師塾並びに京都実践講習会でのご指導、誠にありがとうございました。今回、午前午後と全日参加させていただきました。1日があっという間に過ぎるぐらい充実した時間をいただきました。午前中の教師塾の際に、冒頭、自然界の植物のお話をしていただきました。それぞれの植物や昆虫,微生物が情報を発信しあい、対話しながらネットワークを形成し、互いに寄り添い共生していると言うことでした。自然の中には、そのような電波やエネルギーがいっぱい存在している。人間も植物やあらゆる生物と同じ地球の一部、産物なので本来、それらをキャッチする能力があるはずだと思いました。それが、できなくなっているのが、現在の人間の生き方、考え方にあると。自然に学び自然の摂理にあった生き方をしていくとが、実践であり、成長へと向かう道しるべのひとつだと感じました。私は、管理職という、立場で自分のあるべき行動や姿、姿勢はどうあるべきかと日々自問自答しながら、学校の舵取りをしています。そんな中で、宇城先生からいただくご指導は、私にとって大いなる支えとなっております。今回、指導いただいて3つの学びと気づきとエネルギーをいただきました。①身体にエネルギーをいただき元気とやる気など内なるパワーです。指導が始まるまで私は、体の固さを感じておりました。特に首や腰回り背中などこりと張りがありましたが、ペアーや多人数で先生に気の実習をしていただいたところ、すぐに体の張りが取れ、柔らかくなったのを実感いたしました。実技の中で柔軟性を確かめるものがありますが、明らかに体が軽くなり楽になりました。気を通していただき細胞が活性化して細胞が生き生きしたような感覚でした。実技指導の中に気が通っていて強くなってお互いに投げ合う実技がありますが、身体が統一体になり細胞レベルで繋がり自然に近づいたのだと思います。②自分の方向性の確認ができたと言うことです。講習会の中で宇城先生よりたくさんのキーワードをいただきました。思いやり、寄り添い、助け合う、対立しない、調和するなど実証と共にご指導いただきました。これらは、これからの教育の重要な視点であると言われているものです。私自身も,以前から宇城先生にご指導いただいていた言葉であり、私自身の日常生活や自分の学校のあらゆる対応や運営方針に取り入れすべてをすすめているのですが、次元は違えども、今後も自分の心の中心軸として前進していきたいと強く感じました。そして、私自身が、エネルギー発信する思いで教員や生徒、保護者、地域など様々な方に接していきたいと思います。本当に先生に勇気をいただきました。③午後の部での子ども達と共に指導を体験し、強く感じたことは子どもはすごい、先生がおっしゃるように自然や地球と繋がっていて本来のエネルギー、気を発揮することができるのが子どもであるということをあらたらめて気づかせていただきました。子どもの無限の可能性を引き出し、発揮させることができる教育をしていかなければならないと強く思います。我々、教員は希望のある未来に向かって日本の社会を創造していくために最も重要な役割をになっているということ。日々の教育において、自分中心ではなく、思いやり、寄りそう、助け言う、対立しない,衝突しない,調和するなどの生き方を自分が実践を通して教員や生徒にうつしていくと共に、共に学ぶ仲間に広げていこうと思います。
今回の講演会に参加させていただき、本当に多くの学びをいただきました。すすむべき方向に光を当てていただいたそんな思いです。指導中に宇城先生が仰っていた今年のテーマ。「言い訳しない」「二進法で答える」この2つはとてつもなく深さを感じます。これからの行動指針として肝に銘じ全力を尽くして参りたいと思います。宇城先生、本当にお忙しい中、教師塾、実践講習会共にご指導いただき、誠にありがとうございました。ご指導いただきましたことを糧として今後も精進し日々の生き方に繋げて参ります。今後ともご指導の程、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
●奈良 高校教員 TN
第4回教師塾においてご教授いただき有難うございました。現在の社会情勢について、また、真実と偽物を見抜く力の重要性や本質がどこにあるのかを教えて頂きました。前半にお見せ頂いた自然界のネットワークについて、テントウムシの視力がおよそ0.01であることや、どのようにしてそのような視力の中で餌にありついているのかなど、当然教科書には掲載されていません。また、森林の木々について、生物基礎の中では種間競争と表現されており、生徒にもそのように教えてしまっていました。改めて、人間の見えていないところで既に存在している世界の多さ、技術の発展においてようやく見えてくることであっても、自然界では古くから既に存在していて、それを見ようともせずに生きている自分も含めたヒトの多さに反省させられました。そして、生徒には普段から、教科書に掲載されていることがすべてとは限らないため、常に批判的思考をもつよう指導していますが、自分自身がその域に達しておらず、自分自身の不勉強を体感させられました。
実践の方では、四つん這いになり背中を押される人の下に潜り込んだ状態で気を通して頂き、離れた場所で机をもち上げている人達を左右に動かしたり回したりすることを体験させて頂きました。その場面でも、左に動かすところは問題なくできましたが、そこから右に動かす段階で、頭の中で「まず左に動く動きを止めてから、次に右に動くように」考えているとうまくいかず、シンプルに右向きに矢印を描くイメージをするとうまくいきました。しかしながら、回すときにまた頭の中で「左側の人を向こうに動かして、右側の人を手前に動かす」ように考えるとうまく動かず、ここでもシンプルにコマが回る様子を思い浮かべるとうまくいきました。このように、気を通して頂いている最中でも、頭で先に考える病気にかかっていることを強く感じ、まだまだ細胞で感じとり、細胞のつながりで動き出す段階まで程遠いように思いました。
現在、高校3年生の担任をしています。昨年クラスの中で学校に来ることができなくなった生徒が3人いました。1人は父親の病が発覚して動くことができなくなり3ヶ月もの間家を出ることができず、学校へ来ることも怖くなり、1人はコロナワクチン接種後に1ヶ月程後遺症が続いたことで、学校に来ることが怖くなり、もう1人は学校に行こうとすると体調不良に襲われ、学校に来れなくなりました。3人に対して、自分なりに働きかけをしましたが、最終的に転学を決意し、学校を離れました。3人共精神的にかなり辛そうであったため、転学先しても、みなと同じタイミングでの高校卒業は厳しいと思っていましたが、今年になって皆、見事に卒業を決め、大学進学も決まったと、わざわざ学校まで伝えに来てくれました。自分自身は何もしてあげることができなかったと思っていた中で、感謝の気持ちを伝えて来てくれたことに、こちらの想いが少しでも伝わっていたのだと感じ、言葉では言い表すことができない感情が生まれてきました。
学校現場は毎年大きな変革が起こり、教員はその渦に飲み込まれようとしています。しかしながら、目の前の生徒をその実験台にしてはいけません。まず教員がしっかりと学び、大きなエネルギーをもつことで、生徒が安心できる、魅力のある環境をつくることが教員の使命だと考えます。
今回は普段以上に多くの実践について身をもって体験することができ、実践を行っている最中に身体の内側が一段と熱くなっていく様子を感じることができました。ここで頂いたエネルギーを少しでも多く、目の前にいる生徒へ映していけるよう、より一層学んでいきたいと思います。
本年度も多くの実践を体験させて頂き、有難うございました。次年度もどうかよろしくお願いいたします。
●奈良 中学校教員 UK
お忙しい中、ご指導ありがとうございました。
教育とは、裏切らない人を育てることという言葉が心に残っています。自然界では助け合いをして、お互いに協力しながら生きていて、それが自然として本来の姿だと思います。宇城先生の実践の中でも、助け合いや愛情や優しさによって身体が強くなること、愛情をもらった人も強くなるということを教えていただきました。今の教育でも、助け合いの大切さについては述べられています。ですが、教育現場でやっていることは競い合いで、言葉が上滑りになっているのだと思います。だから、子どもたちは競い合いの中で人を裏切ったり、見て見ぬふりをすることが優先されてしまったりしています。結果、エネルギーがなくなってきているのだと思います。今回、とても印象的だったのは、講演会に参加していた中学生たちです。最初こそ消極的で元気がなかったのが、どんどん元気で積極的になり、表情もどんどん明るくなっていました。太陽のような宇城先生のエネルギーをもらって、あんなにいきいきした表情をしている子どもたちの姿を見て、こんなにも変化があるのだということを思い、あたたかいエネルギーが子どもたちには必要なのだと改めて思いました。私が関わる子どもにも、いきいきした表情をしてほしいと思い、目が覚めました。というのも、今、教育現場から離れて四か月になります。正直、ここ最近、自分が現場に戻ったときに、やっていけるのか不安になっていました。宇城先生のお話をお聞きして、未来は子どもで、その子どもたちに深くかかわっていけるのは先生であり、その場所にいることができるという有難さを思い出しました。宇城先生に学んでいるからこそ、私が関わる子どもたちには、エネルギーをなくさない、希望や夢を持てる人になっていくよう、もっと学び深さを持ちたいと思います。復帰した際に、少しでも強くなれるよう、宇城先生がおっしゃっていた、言い訳をしないこと、二進法で考えることをしていきたいと思います。止まることなく、すすんでいけるようにします。今後もよろしくお願いします。
●奈良 中学校教員 MI
今回もお忙しい中、第4回教師塾を開催して頂き、誠にありがとうございます。いつもタブレットを使って、ご指導を頂くのですが、膨大な資料の数、読まれた本の冊数、メモまで見せて頂いて、自分の勉強量の少なさを感じました。植物が昆虫にメッセージを出している話や植物同士で助け合って生きているネットワークの話、台湾の現状、日本の対応についても話を頂きました。私たち教員は、子どもたちに沢山のことを教えていますが、先生の情報量の多さや深さは正しいことを伝えていくこと、未来に光を与えるためには、もっと深く勉強をしていかないといけないなと感じました。先生がおっしゃっていた「言い訳しない」「はいといいえとハッキリ、素早く言う」ことを教えていただきました。教えていく教員が嘘を教えていたら、未来に対して不安や不信感を与えてしまうように思いました。子どもたちにも「言い訳しない」「はいといいえ」は伝えていかないといけないと思いますが、私自身も気をつけておかないといけないと思いました。今の子どもたちに何を伝えるか、子どもたちをどうしていくのかは、常々考えながら、正しい知識と広い視野を持って、子どもたちに伝えていかないといけないなと思いました。正しい知識は自分の身を守ることになると思います。先生に教えていただくことが私たちの希望になるのと同じように、私自身が深さを求めていくことが子どもたちの力になり、希望を与えることができるだと思いました。
学と術の違いを教えていただきました。本当に今は学ばかりになっているなと思いました。学校でも学についての話ばかりで、その話の中に子どものことがなくなって、論理ばかりが進んでしまい、結局現状は変わらないように思いました。術であれば、対象となる子どもに対してどうするのかがはっきりしますし、解決がしやすいように思いました。術は技術です。私たちは教育の術を学び、考え、伝えていかないといけないのですが、頭中心である理論に目がいきがちです。私はなかなか思考の癖が取れないと感じました。先生が実証し、気による指導をして頂ければ、本当に先が見え、希望を見えます。
私の学校は、日々の業務に疲れ、本来の子どもに希望を与えることが本当に出てきているのかを悩みます。先生に気による指導をして頂くと、どうすればよくなるのかが本当に見えてきます。少しでも子どもたちのために、植物と同じように助け合って、協力をし合って、調和をしながら、日々精進をしていきたいと思います。
1年間、私たちのために教師塾のご指導有難うございます。来年度もご指導いただけることに本当に感謝をしております。今後とも何卒ご指導宜しくお願い致します。
●兵庫 高校教頭 MS
宇城先生、教師塾そして講演会でのご指導ありがとうございました。
冒頭でお話になったNHKスペシャルの「超・進化論」は私も見ておりました。植物と昆虫、植物と鳥とのコミュニケーションについて驚いたことを思い出しました。また、植物どうし、それも全く異なる種類の落葉樹と常緑樹の菌類を仲立ちにした助け合いに驚愕しました。長年、理科の生物を担当する教師として、科学では部分しか分からない、部分の集合では真実にはならないと、科学の限界を意識しながら教えているつもりでしたが、その認識の甘さを思い知らされました。「植物は光が当たらないと枯れる」というようなことすら真実ではありませんでした。今までの知識にとらわれ、「新しいことが判明した。このことをどう生かすか。どんなことが学べるか。」というような横着な思考から逃れられずにいました。宇城先生の教えが理解できていない原因の一端であると思います。
教育現場では、科学ですらない「教員個人の知識と経験」「他の教員のパクリ」で教育活動がされています。平気で根拠のない指導をし、できないと生徒を馬鹿にすることもしばしばです。自分自身はといえば、そんな教員たちを批判的に見ながら、何をしていいか分からない思考停止に陥り、宇城先生の教えを生かせず、何もできない活動停止のような状態になっていました。現在は立場が変わって自ら生徒と直接関われなくなり、より一層無力感を感じるようになりました。しかし、教師塾に来ると宇城先生や塾生の仲間たちにエネルギーを頂き、前を向いて頑張ることができています。また、幸いに、今の職場の教員たちは、若く、いい意味で「普通の教育」に染まっていません。そんな教員たちが生徒たちに寄り添うことを後押しすることからやっていきたいと思います。
●山口 中学校教員 SA
宇城先生、この度もたくさんのエネルギーと希望、勇気、そして前に進む力を与えてくださり、また成長、深化へと導いてくださり、本当にありがとうございました。
気による変化によって、理屈抜きにこの身体が何かに気づき、その身体をとおして、私の意識や見方、捉え方があるべき方向へと修正され、今の部分体の自分の中に光が灯されていくのを感じました。いつも経験させていただいている気による事象は、言葉での説明では、周囲に疑念を与えることがほとんどだと思います。しかし、この身体を通して体験したことは真実であり、何物にも代え難い貴重な学びであり、この波動が必ず周囲にもいろいろな形で伝わっていくものなんだと、この度家族や職場の同僚とも参加させていただき、強く感じました。先生の日本や世界に対する憂いや思い、それを少しでも私達自らが少しでも気づくと同時に、周りの方々が先生とつながり、その思いが伝わってくれることは何事にも代え難く、そしてとても幸せなことだと感じました。 講義の中で、木々それぞれが根っこの部分でつながり、互いを助け合い生存している自然界のお話をとおして、先生が常日頃仰っておられる調和や寄り添うことが改めて本来あるべき姿なのだと知ることができました。我や欲を増長し、統一体から部分体化への劣化やより激しい衝突と深い孤立へと推し進めていく現代のあり方では、全く明るい未来は作られず、不安ばかりが増してしまうばかりである。そのような中で教師塾で学ばさせていただいている私たちは、現場で少しでも子どもたちの本来の成長を支え、希望やエネルギーを与えていくことが先生に学ばさせていただいている者としての責務であると思いました。
先生が実際にやってみせられ、それを子ども達や私たちに体験させていただく度に、皆さんのお顔にはとびきりの笑顔がありました。本物に、そしてこの混沌とした世の中で、人間としての真実、在り方に気づけた、知れたという、心からの喜びに満ち溢れ、見ているこちらも本当に幸せでした。
「言い訳をしない」「YESかNOかの二進法でいく」日頃いろんなことにブレている自分はなかなか変われないと思います。しかし、先生がお示しくださった指針を胸に、少しでも進んでいくことが、私自身や周囲にエネルギーを与え、明るい未来を築いてくださることに繋がる。まだまだ全く世の中の仕組みや問題点に気づけていない私は、先生からの教えの素晴らしさとその深さを表面的にしか捉えられておらず、まずは私自身が日々の生活を過ごしながら、もっともっと先生からの教えの深さに気づいていくことが必要であると感じています。
自分に与えられた人生という時間を止めているのは自分自身。先生に気をとおしていただいて、動かしていただいた時間。自分の限りある人生を主体性をもって生きていくこと。そして、目の前にいる子どもたちや家族、仲間に少しでも行動をとおしてエネルギーを与えられるよう、一人革命を目指して努力を積み重ねたく思います。
宇城先生、この度も貴重な御指導、本当にありがとうございました。これからも何卒御指導、ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
●京都 中学校教員 HA
宇城先生京都教師塾を開催して頂きありがとうございます。私にとっては地元京都で開催して頂き、本校の生徒たちが宇城先生という本物の人と出会い、どんな変化や感動をするのかまたとない機会で何より楽しみにしていました。これまで3年間はコロナ禍ということもあり、生徒たちが参加するという機会が無かったですが、だからこそこの機会で先生に出会えたことは縁では片付けられないものだと私は感じます。先生の講習を受けて生徒たちは何が起こっているのか、本当なのか、その中でどんどん講習会に前のめりになる姿があり、後半には自分から参加している姿がありました。子どもたちのスピードの速さ、素直さに流石だと感心しました。先生に褒められ、周りに拍手され、数時間であり得ない変化、成長をしていました。何より嬉しそうな顔で参加する姿が私には勉強になりました。子どもたちは元気で明るく前向きで挑戦する気持ちを持っている。そのことが昨日の講習会で再確認できました。できたらやるし、できたら楽しい。そして好きになる。先生が仰る野球道を短い時間で学ばせて頂きました。そのためには何が大切か、やはり大人、指導者の在り方、力。そしてそこに辿り着くための常に学ぶ姿勢だということが分かりました。これこそが教師としてのやりがい、生きがいだと私は思います。その中で今日の講習会でもあったように、全ては映るということ、教師の姿勢あり方、リーダーの姿勢、映るからこそやらねばならないと、強く思いました。責任転換して逃げていては、私も生徒も成長はありません。その姿を宇城先生は見せて下さいます。これこそが希望です。生徒たちもきっとこういう大人の姿を知り、見ていけばもっと素直に前向きに明るく変わっていくと感じました。先生の講習会の中であったてんとう虫の話、木の話。自分たちの常識は全て非常識。ダメだと思っていたもの、そうだと思い込まされていたものはそうではない、何より助け合い、励ましあってお互いに共存共栄している。人間も先生が仰るように元々生まれ持っているもの、それを受験、スポーツなど間違った環境の中で違う方向に進んでいったんだと分かりました。どちらが幸せで尚且つ強いのか、それは言うまでもありません。今日の講習会を受けて私もそして何より子どもたちも1日にして、世の中がひっくり返ったような変化があったと思います。子どもたちは大人より優秀です。今日1日で私がこれまで学んだこととは違う視点で学んだと思います。今日共に共有したことを日々の中で確認し、学び合いながら、共に成長していきたいと思います。宇城先生本当に貴重な学びの機会、成長の機会を頂き感謝致します。ありがとうございました。
●米国 高校教員 YI
教師塾への参加を許していただきありがとうございました。参加されている方々のエネルギーに圧倒されるとともに、多くの教師が、今の日本の教育や現状に危機を感じて行動を起こさなければと思っていらっしゃる姿勢に感動し、私自身教育者として日米で40年近く教壇に立ちながら、全くわかっていなかったことに気付かされ身の引き締まる思いです。先生が常におっしゃる「今のままでは日本はダメだ、沈没する。」「一番ダメなのは教育、先生や」という意味が本当にわかりました。
午後の体験講習会でも実体験させていただきましたが、子供たちの統一体から生み出される、パワーは素晴らしいです。そしてそれを壊しているのが、競争主義、知識偏重主義の今の教育にあること、その片棒を担いでいるのが我々教師であること、我々が自ら変わっていき、教育現場を変えていかなければ、今のままでは本当にやばいことになってしまうことを教わりました。言い訳はもうできません。難しいとか、組織がとか、もしそうならば、自分から、自分の担任クラス、担当クラス、学年、教科から変えていけばいいわけです。「言い訳しない」やるかやらないか「2進法で行く」内面のスピードを上げていく。「あんたらは過去に生きとる。時間が止まっとる。」という先生のお言葉、子供らが成人していく20年後を睨んだ教育を行わなければ、未来が見えていない教師に子供らは育てられない、ということなんですね。
私の胸に深く刺さったのは、先生がおっしゃった、「子供らからのS O Sのシグナルを受け止められない、気付けていない」というお言葉。私たちの鈍感さです。知識や、自分のくだらないメンツやプライドが私たちを病気(部分体)にしているんだと思います。目に見えないものを感じられなくしているんだと思います。午後の講演会で子供らが、先生の実演をどんどんできていっている、全くできてない自分がいる。できない自分が偉そうに教師として生徒たちの前に立てるんだろうか?生徒たちに未来や希望を示せるんだろうか、知識や成績やくだらないルールでしか生徒を縛れない、惹きつけられない自分が情けなくなってきました。
輪になってみんなで協力して回ろうとする時、歩調が合わず回りにくいのに先生に気を通していただき5次元にしていただくと足並みが揃いすごいスピードで回ることができました。私は指導する人間、気のエネルギーがないと組織やグループというのはうまく回らないんだなというふうに理解しました。やはり教師や指導者が本当に真剣に何倍も勉強しなければダメだ、偉そうにふんぞりかえっていてはダメなんだと思いました。変化を感じ取れる人間になりたいです。
今年一年間休暇で宇城空手を精一杯学ぶ機会を与えられた幸せ。今秋から現場に戻ってまた生徒たちと学んでいきます。まだ未熟な私ですが、生徒たちに希望を示せて、魅力ある教育者として変化し成長いけるよう。真剣にとことん取り組んでいく覚悟です。今後ともよろしくお願いいたします。
●奈良 中学校教員 HY
今回の教師塾ではご指導いただき誠にありがとうございました。頭ではなく、「身体」に働きかけてくださる宇城先生のご指導を受けていると時間の感じ方が全く普段と異なってきます。時間という概念を忘れ、ただただ宇城先生に引き付けられ「もっと学びたい」「ワクワクする」・・・気が付けば時計が示す時間はもう12時・・・まさに童心に帰らせていただいた気がしております。地球は「重力」、磁石は「磁力」、人間は「魅力」で引き付ける。宇城先生自らそのお姿で我々に示してくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。自然界の木々が互いに支えあい「弱気を支えるネットワーク」が存在するというお話からはまさに人間の「本質」というものを見せていただいたと感じます。日ごろから宇城先生が伝えてくださっている「調和融合」「思いやり」「寄り添う」「愛情」。今我々がはっきりと認識しなければならない人と人の「間」にあるべき『心』を自然が教えてくれています。心の底から感動しました。同時に現在行っている教育がいかにズレていて子どもから力を奪ってしまっているかを痛感させられました。受験や勝利至上主義に偏った部活・・・子供同士の関りを分断してしまう大人の考え、全体ではなく部分にしか目がいかない断片的な物の見方、「型」「躾」がないはき違えた自主性、自分自身の力不足。教師塾で学ばせていただき1年が経とうとしている今、自分自身のなかにはっきりとあるものは「自分は変わるんだ」という気持ちです。自分が肚を決め、変わる。そうすれば、動き出す。そして広げる。1度きりしかない人生を「生かされている」ということに気付かせていただきました。「家族」「地域」「職場」「世の中」のために・・・周囲の「力」「エネルギー」「太陽」になれるようにこれからも日々修行し、学び続けます。これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
●奈良 高校教員 SY
本日も貴重な時間をありがとうございました。
予定時間より早くスタートし、我々に少しでも伝えようとして下さる姿に感謝の気持ちが絶えません。またいつものことながらとてつもない量の資料を拝見して、改めて普段の自分がいかに無駄な時間を過ごしているのかを思い知らせていただきました。知らぬ間に横着をして、時間がないと言い訳をしていました。情けないです。
本日は教師とはこうあるべきだと改めて教えていただいたように思います。スタートして冒頭のお話の中で、「裏切らない人を作るのが教育だ」と言う話をされました。今までそんなことを考えてもいなかったです。でも話を聞き、納得した自分がいました。
樹木の菌糸の話にもありましたが、寄り添いあい助け合うことを大切にし、裏切らない人を作れるように、話だけでなく姿でも先生からの教えを簡単ではないですが生徒たちに返していきたいと思います。
話が前後しますが、午後の講演会の最後のほうにおこなった、四つん這いの状態で手を掴まれ、複数人を束ねて前進する実証で、できた人が前に立つとできる。なんでも自分が先にやって姿で見せる。「こういう教師になるんだ」と身体から湧いてくるものがあり一段と身体が熱くなりました。また午前中の、思いが伝播し机を持ちあげた状態を動かす実証では、かなりの驚きがありました。勝手な解釈かもしれませんが、気が通った状態で思いを生徒に伝えるとより伝わるのかと、普段は生徒の心に響かすことができていないと、また教師として課題と現実を知ることができました。その他にも、「学」ではなく使える「術」じゃないといけないなど、普段の授業でおこなっていることもそうだなと思い聞いていました。
あの場ではできる自分がいるので、日々自問自答の繰り返しですが、できる自分がいる以上、せっかく教師になったので、自分と出会う子どもたちのために可能性を信じて前進したいと思います。そのためには対立ではなく調和。何回も聞いていますが、心掛けてはいるものの、忘れてしまう時もあります。自分の甘さ、レベルの低い決意をしている証拠です。そんなときにやっぱりトラブルが起こっています。そうなってから気づくことを繰り返しているので、日々謙虚に生活していきたいと思います。
先生がおっしゃったように、「道」とは「好きになる」「極める」こと、自分の仕事を「教師道」「教育道」にできるように、全体を知って、決断し、行動しないといけないのだと
身体で感じさせていただきました。毎回ですがいつも希望をいただき、凄く前向きになる自分がいます。本当にありがとうございます。
●京都 中学高校教員 YK
まず、本年、1年間を通じて、教師塾を開催いただきまして、誠にありがとうございました。宇城先生をはじめ、開催をしていただいた事務局の皆様に感謝申し上げます。
(また、第4回におきましては、公務の関係上、午前中のみにて失礼させていただき、実践講演会につきましては、欠席させていただきました。大変申し訳ございません。)。
今年度4回の教師塾を通じて、自分自身のエネルギーが不足している、淡々と時間だけが流れている。抗おうにもそのエネルギーがない。そのような状態の中で、宇城先生のお話を聞くたびに、自分自身は今、生徒を「育てる」教員として止まっている、現状維持で進んでいる現状に気づかされています。一方で、30代半ばを迎え、自分自身の教員としてのキャリアもそう長くはないという意識が生まれてきて、そのような「現状維持」「停止状態」の自分に対する嫌悪感や焦燥感のようなものも生まれてきています。宇城先生のお話を伺う度にそのような「現状維持」「停止状態」の「自分」に対して、そのような状態ではいけない。今なんのために自分は生かされているのか、なぜ、自分が教壇に立っているのか。目の前の生徒といかにして交わっていくのか。いかにしてその生徒を愛をもって育てるのか。それを考えるきっかけをいただいております。
この2022年度は、「結果」ばかりを追いかけることに終始し、自分の行動においても、それを軸において部分が見受けられました。しかし、欲ともいえる「結果」は当然のことながら得ることもできず、それを客観視する中で、自分自身の指導の軸、道筋がぶれていることや、「生徒」への変容を促しきれなかった部分を猛省しているところです。過日の、お話の中で、「道」のお話がありましたが、自分自身が、生徒たちが「楽しむ」「やりたい」と思う空間を作ることができていなかったと思います。今一度、「楽しむ」からはじめようと、そんな空間づくりからはじめようと思います。
最後に、2023年度も、ご指導よろしくお願いいたします。
●京都 中学校教員 KN
今回も、ご指導いただきありがとうございました。
世の中は共生社会で、植物も、動物も、人間も周りと調和し、生きていくことが必要だと改めて学ぶことができました。しかし、人の意識は植物や動物の本能的行動と比べると遅く、頭で考えてしまう自分はもっと遅く、感じることができていませんでした。それでは、生徒たちからのSOSは感じることができない。と言う言葉が心に来ました。
考えず、感じたことを優先して動けるよう、気づいた時には動いているこんな自分を作っていきたいと思いました。
今回もありがとうございました。
●三重 高校教員 HT
この度は貴重な学びの機会をいただき誠にありがとうございました。世の中に起こっている真実を教えていただき、私達に生き方を示していただきました。お時間をオーバーしてもなお、私達に温かい叱咤激励をいただきましたこと感謝申し上げます。また、関係の先生方におかれましても朝早くから細かなご準備をいただき、あのような空間で学ばせていただけたことに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
目に見えない世界にこそ本質があり真実があることを学ばせていただきました。虫が虫を捕まえるという一見当たり前の事象は広い自然界では簡単なことではありません。虫の幼虫が木の葉を食べようとするとき、木が「虫の幼虫に食べられている」という情報をテントウムシに伝える事でテントウムシは、その情報をもとに幼虫を見つけ食べます。同様に植物は光合成で得た養分を菌のネットワークを介して他の植物へ送っています。常緑樹と落葉樹は苦手な厳しい季節を乗り越えるために養分を送り合います。私は植物が他の植物と養分を取り合い争う中で生きているものだと思っていました。学校で習うような浅い知識だけで今まで生きてきました。自分が見えている世界だけがこの世界のすべてだと思っていました。やはり私は何も分かっていませんし何も知りません。目には見えない支え合いの世界が自然であること。生物は種や個を超えて周囲の生物と目には見えないネットワークでつながり生きていること、そして命は個で存在しているのではなく周囲の生物に支えられていること。今まで教師塾で宇城先生から教えていただいたことは、人間だけの世界だけではなく、本当に大きなスケールで教えていただけていたということでした。今の私は頭が優先で、凝り固まった理屈や知識ばかりで、目に見えない情報を受け入れることができる身体ではありません。言い訳ばかりです。だからこそ、2進法で回転を速くし謙虚な姿勢で真実を学び、細胞で情報を受け入れることできる謙虚な身体をつくる必要があります。子どもや自然から発信される目に見えない情報に気が付き、受信できる力を取り戻していくこと。「寄り添い」や「助け合い」は調和の力であり正のエネルギーです。そのエネルギーをつくる元は「気」であり人間力です。希望と光を与えていただき誠にありがとうございます。今後ともご指導よろしくお願い申し上げます。
●奈良 高校教員 YI
先日は、「教師塾」に参加させていただきき、本当にありがとうございました。日々の生活の中で、行き詰まりを感じていましたが、今回参加させていただき、やるべきことが明確になりました。
どきどきや不安が混じった中で、参加させていただいたのですが、宇城先生が到着されて、お話を始められたとき、自然と近くに行かせていただき夢中になってお話を聞かせていただきました。話を聞きなさい。前を向きなさい。ではなく、自然と話が入ってくる。興味が湧く。夢中になれる。前に立って話をする人の問題だと感じました。いがみ合う気持ちで肩を組む実践では、何か問題を起こす生徒が悪いのではなく、前に立つ、間に入る先生が宇城先生のように示せば、何も言わず良い方向に向かうのを感じさせていただいて、生徒ではなく、自分自身が実力をつけなければならないと感じました。
弱い人の寄り添う気持ちを持つ。森の木は支えながら助け合っているお話を聞かせていただいて、次の日から自然と実践できるように取り組んでいます。
普段より、生徒が本音で話しをしてくれ、良い方向へ向かう道が見えていると思いました。また、「言い訳をしない」「二進法で考える」というのは日々の生活の中で実践できるものだと感じ、意識しながら生活することで、いつもより仕事がスムーズに周りの協力も頂きながら進んでいると感じました。
先生という仕事は資格をとっただけではできない。というお話も強烈に心に響きました。私は普段の生活の中で、成長するような事は何もしていないんだなと感じました。生徒に寄り添う。言い訳をしない。二進法で考える。きっと私はものすごく低レベルの次元ですが、少しでも意識して日々を過ごすことで実力をつけれると思いました。
あっという間の時間で、終わるのがさみしく、もっと続いてほしい。と思いましたが、今回、感じさせていただいた事を、日々の日常の中で実践していこうと思いました。
今回、学ばせていただいた事は、不思議と全て思い出すことができます。きっと私の身体が喜んでいたのだと思います。私もそんな気持ちになってもらえる教師を目指し、日々の生活を過ごしていこうと思いました。
本当にありがとうございました。今後もご指導いただけるよう日々の生活を頑張ります。ありがとうございました。
●大阪 中学校教員 SH
宇城先生。
今回も、午前中の教師塾から午後の実践講演会と、1日中ご指導して頂き、誠に有り難うございました。
午前そして午後共に、冒頭で「植物と昆虫のコミュニケーション」についてお話しして頂きました。植物が目には見えない物質を放出して、己れの葉を食べる幼虫の天敵である昆虫に助けを求め、そして、それに応えて昆虫がやって来て幼虫を食べているとのこと。そのようなことが行われているということを、私は知りませんでした。そして、それと同じように、人間でも目には見えないものが放出され、他に影響をおよぼしているという実践を見せて頂きました。
仰向けになって寝転んでいる方が、宇城先生に気を入れて頂いて「思う」と、少し離れて長机を持ち上げて立っていた方々が、横方向に移動したり、回転したり…と、仰向けに寝転んでいる方の意のままに動き始めます。まさに、「自在」。そこには、目には見えない何かが作用しているのは明らかです。私も以前、道塾の合同合宿で同じような体験をさせて頂いたことがあります。井桁に組まれた棒から上に、両腕で支えて自らの上半身を出した状態で「思う」と、思った方向に周りの皆さんが動きました。ただ、そのときは、棒を通じて、私と周りの皆さんとがつながっていましたが、今回は接触はしていません。宇城先生が、常日頃実践されている遠隔治療と同じようなことが起こっているのだということを、改めて気付かせて頂きました。
また、今回は、心に残った宇城先生のお言葉があります。分かりやすく短い言葉で、そして、その本質を表現されていると感じました。
・勉強を「勉強道」に、スポーツを「スポーツ道」にしていく。では、「道」とは何か、それは、①好きになる。②極める、ということ。…日本には「道」がついた言葉がいろいろとあります。「柔道」、「剣道」、「空手道」、「合気道」、「茶道」、「香道」などなど。そのそれぞれが、宇城先生の仰る「道」の本質に立ち帰ることが必要ではないかと、思いました。
・「手を打てば 鯉はえさと聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池」…同じひとつの出来事・物事であってもそれを受け取るものの立場が違えば、とらえ方が異なることを示している。…奈良の地が大好きで、結婚を機に奈良の旧市街に住み始めてから27年。毎日、猿沢池のそばを通勤で通っているというのに、この道歌のことも知りませんでした。猿沢池に隣接する興福寺は唯識論を受け継ぐ法相宗なので、そのような歌が生まれたのかも知れません。・今年の初めに、実践塾生の方々にお話しされたこと。「いいわけをしない(自分にも,相手にも)」「2進法でいく(“0”か“1”か。悩んでいると、時間が止まる)」例えば、飲みに行こうと誘われた→「Yes」か「No.Thank you.」のどちらか。ただし、「No.」には「Thank you.」がつく。…ついつい、他に理由を求めて、「いいわけ」をしてしまいがちです。「いいわけをしない」ということの中に、「潔さ」という言葉が浮かんできました。
・「心技体」に言及されたときに仰られた「魂」。その「魂」こそが、「大和魂」であるとのこと。そして、「大和」とは、「奈良」であるとのこと。…まだ、私の中では、理解が追い付いていないですが、「大和」と聞いて思い出すのが、ヤマトタケルノミコトの歌「大和は国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和しうるわし」です。
そして、そのようなお話しをされた上での実践の数々。ついつい、「心」ではなく、「頭」になり、せっかく入れて頂いた気を活かしきれていない私ですが、2人一組になって手を繋ぎ回転し、宇城先生から「ゴーッ、ゴーッ」と言って気を入れて頂き、高速回転する実証は、いつもエネルギーを頂け、素直に「大丈夫」という思いが湧き上がってきます。午後からの実践講演会には、たくさんの若者が参加されていて、特に子ども達の、まだ蓋をされていない純粋な潜在力・調和力を、宇城先生の導きで見せて頂きました。見ているこちらも、ついつい笑顔になります。あの和気あいあいの「場」を創られる宇城先生の魅力。その場に立ち会わせて頂けている有り難さを感じています。実証内容についても、今まで体験したことですが、復習というか、もう一度整理させて頂ける体験となりました。
その中で、中高生らしい男子生徒と組になり、一緒に復習させて頂いていたときに、宇城式統一体操の腕立て伏せについて、「森島先生に教えてもらっているので」という言葉に、森島先生の、ご自分の持ち場で実践されていること姿を垣間見ることができ、また、宇城先生から森島先生、そして、その教え子の方へと「無形」の「心」が伝わっていく様を見せて頂いたように思います。
有り難うございました。
どうぞ、本年も宜しくお願い申し上げます。
●奈良 学院教員 MI
今回もお忙しい中、教師塾を開催していただきありがとうございました。今回の教師塾の中で改めて自分自身の未熟さを痛感しました。そして、午後の実践講演会の中で、子どもの強さであったり、それを引き付ける宇城先生の姿を見させていただいて、もっと謙虚になり学んでいかなければならないと感じました。ありがとうございます。
今回の教師塾の中で特に印象に残っているのは、今年塾生に話されていたことです。うまくいかないことに対して人は言い訳をしてしますことが多いと思います。しかし、そこからは成長がなく自分を守っているだけなのだと感じました。実際に現場で子どもたちには「言い訳するな」自分自身言うことともありますが、自分はどうかと振り返ると言い訳をしている自分がいたことに気づき、とても恥ずかしく情けなく感じました。その様子に子どもたちは気づいていると思いましたし、それでは子どももいうことは聞かないと改めて感じました。宇城先生が仰っていた、「進歩・成長とは変化することである。変化するとは深さを知る事である。深さを知るとは謙虚になる事である。」この言葉を胸に子ども達に愛情を持って寄り添いながら、励んでいきたいと思います。
今後ともご指導宜しくお願い致します。
●兵庫 高校教員 KI
宇城先生、この度も教師塾でのご指導ありがとうございました。
私たち教員は、「クラスづくり」ということを口にしますが、本来、正しいままで私たちが存在していれば、それはつくるものではなく、自然にできてくるものであること、そしてそのできるはずの仕組みを壊してしまっていることに気づかせていただきました。動物や植物はその仕組みに従って生きており、個で存在するのではなく、全体として存在している。人間は横着さが増してどんどんと孤立の方向へ進んでいる。これを食い止めることができるのは教員です。難しい課題ですが、そこに挑むことがやりがいであり、喜びであることを教えていただきました。
テストの点取りゲーム、勝敗だけを争うゲームはもうやらない。「道」にしていく。そのために、自分自身が「勝った、負けた」、「強い、弱い」で判断してしまう病気から抜け出さないといけません。言い訳せずに徹底して学ぶ。スピードをもって。まずは自分が変わる。今回も甘えていた自分に気づかせていただきました。
教師塾の後、いつもは私の姿を見ると逃げていく生徒が、進路のことを相談にきました。宇城先生の指導を受けさせていただき、自分の発信する信号が少し変化したのかなと思います。まだまだ一時的なものですが、宇城先生の教え、姿、ともに学ばれているみなさんのの姿をしっかりと自分の中に映し、前進していきます。今後ともよろしくお願いします。
●石川 高校教員 MK
このたびは京都実践講演会に参加させていただき、ありがとうございました。
8月の京都実践講演会にも参加させていただき、頭で考えるよりも実践することが大切なこと、人に寄り添う気持ちを持ったり丁寧な礼をしたりすることで気が通り、言葉では説明できない力を発揮することができることを学びました。それを意識、実践して生活していこうと過ごしてきたつもりでありましたが、それから数カ月もすると、やはり自分自身の甘さから、その意識が低くなっていたように思います。今回の実践講演会に参加させていただいたことで、まずは自分の意識の甘さを痛感し、「対立ではなく調和」そして「謙虚で人間として正しい行いを実践すること」の大切さについて、あらためて気づくことができたと思っております。
宇城先生は、横になっている参加者に気を通すことで、机を持った方々が回ることを見せてくださいました。はじめはその方の足を持って引っ張ると容易に動かすことができるのですが、先生が気を通されると、その方が動かなくなり、その方の思いで机を持った方々が右や左に回りました、このように宇城先生ご自身でなくても、気を通すことで、しかも誰にも触れることなく力を与えられたことに大変驚きました。これは頭で考えても理解できるものではありません。
また大人4人がしっかりと腕を組んだ状態からの腕相撲で、中学生以上の大人は勝てないが、子どもなら勝てることや、手に添えるだけでその人を前後に誘導できることや、正しく礼をすることで大きな力を発揮することができることなどを実際に見せてくださいました。これらはすべて「対立」ではなく「調和」ということだと思うのですが、その中で先生は「大人になるにつれて欲が出てしまうとこのようなことができない」とお話しくださいました。「子どもにできて大人にできない」、しかも子どもの方が大きな力を出しているということに毎回混乱し、そうありたいと思いながら、ただただ実践していくことしかないと思いました。
宇城先生は日本の現状そして将来についても心配されており、その中で教育の大切さを話してくださいました。「今の世の中は競争という欲によって対立しているため、沈みかかっている。それを変えられるのは教育、参加している教員が実践していかなければならない。言い訳をしないこと、0か1で決断すること」と力強くおっしゃいました。自分自身振り返れば、できなかったことに対して言い訳をしたことや、重要な課題に対して迷ってしまい、なかなか決断できなかったことがあったように思われます。愛情をもって目の前の子どもたちに接することはもちろん、「言い訳をしないこと」、「決断すること」を心がけて日々過ごしたいと思いました。
今回の実践講演会は自分の甘さや未熟さを痛感する機会となりました。しかし宇城先生から教ええていただいたことをもとに、自分を高め、より良い指導ができるよう日々努力してまいりたいと思います。
●大阪 大学教員 MM
「教育とは」「教師とは」、答えを求めようとしていること自体が遅れている、止まっている。宇城先生に気を通していただくと瞬時に変わる。変われないのは自分自身の問題。元々あるべき自分がある。誰のせいでもない、言い訳もない、自身が止まっているに過ぎない。子供はスピードが速い、それは単なる見た目のスピードではなく「素直」という中でのスピード。大人は?何かが邪魔をしている、理屈ではなく自身が止めている。こういった事は、頭でいくら考えても逆にどんどん遅くなる、素直になれというのも思考であり、頭である。素直になる生き方が重要。宇城先生は「教育」ということを常々おっしゃいます。その教育とは、真の勉強とは、学ぶとは、日常を通しての気づき、実践。それがすべて生き方に繋がる。それを実際に実証を通して示していただいている。理論立てる人はたくさんいるが、実践、実証を通して教育できる人はほとんどいない。教育とは勉強させることではなく、気づかせることにあり、見守り、寄り添うことである。そして自分の道を自身で拓いていくのが真の教育である。すべてを「道」にすること。誰かとではなく一人でも、というエネルギーが必要である(一人革命)。まさに未来に向けて希望の光を当てる。光になる。それを教師塾を通して、気を通して気づかせていただいている。しかし、それをどれだけ自身の現場で生かせているのか、学ぶだけになっていないか、全体から見ることができているのか、実践ありき。そこに愛情があるのか。方法論で片づけているうちは何も変わることがない、分かりやすい、見えやすい、やり易いところにいるうちは真の教育には繋がらない。そういった実証の場は他にはない。午後からの実践講演会では、宇城先生の周りには常に人が集まる。中心がない人間には人は付いてこない。中心があるから波動が出る、エネルギーが集まる、人が集まる。集めているわけではなく気づけば集まっている。集まってくる。人間は魅力で人を引き寄せるということ。魅力とは?すべてを曝け出すことができる自分。まさに中心から発せられるエネルギーは計り知れない。子供は中心を持とうとしているわけではない。捉われがない、素直、無邪気、こういった中に真のエネルギーが湧き出る。教育現場では果たしてどうか。エネルギーが下がっている、それすら感じていないように思う。できる・できないだけの評価主義ではなく、勝った負けただけの勝利至上主義ではなく、その中心に何があるのかが重要である。それを気を通して、実践を通して、自身がどのように変化していくのか、ほとんどが自分に立ち返る場が持てていないのが現状。元々もっている潜在力にどこか蓋をしているところがある。仕組みをつくる。身体を通して自身で気づくしかない。型が重要。繰り返し行うことで型が教えてくれる。部分体(断片的)ではなく、統一体(全体的)にすることで、エネルギーが分散されず大きな波動になる。人は人によって生かされる。できる人が前に立つと、他の人も同じようにできるようになる、子供、大人、年齢、性別は関係ない。それがどんどん繋がり(連鎖)、どこまでも続く。ただ我・欲が入ると一瞬で消える。気が付けばお互いが引き出し合っている、というよりも生かし合っている世界がある。「自分が」「自分さえ」という偏りがなくなっている。お互いに、一緒に・共にという空間ができ上っている。勝ち負けがなくなる、勝ち負けでなくなる。勝ち負けはその時で終わるが、その先に何があるか、その根底になにがあるかを追及していると、どんどん深さが分かってくる。そこには素直、謙虚さがある。場の空気はまさにつくるのではなく、波動が繋がってできていくものだと会場の空間を通して感じた。人が人を生かすには、まずは疑いなく実践してみる。子供はとにかく早い。その早さはエネルギーから出るものであり、その先にできるという自分がいる(本来のできる自分に気づく)。そしてできたという自信、それが連鎖となって、波動として伝わる。教育現場で果たしてこういったことがあるだろうか。それぞれが自分の仕事に精一杯になり、余裕が持てない。時間の余裕ではなく心の余裕・ゆとりもない。身体(中心)ができていない。頭ではなく身体には正直に出る。まずは教師が変わり、子供たちに映す。親の姿勢が子供に映るのと同じようにエネルギーは連鎖する。ただエネルギーが低いところにはそういった人が集まってくる。教師のエネルギーが低いと子供たちもそうなっていく。実践の中で、最初下を向いていた子供が、気づけばどんどん前に出てきていた。誰かが指示したわけでもなく促したわけでもない、動きがどんどん速くなる、表情もイキイキしていく。最初は不思議そうであった顔が笑顔に変わる。目の輝きが違う。波動が変わった。それは本来ある自分自身に立ち返ることができたからである。できたかどうかという捉われではなく、自分を知ることができたという自信。一歩踏み出すのは自分自身である。そういった責任感を持った生き方こそが自身の真のエネルギーであると感じる。繰り返す中で、場の空気がどんどん変化していく、それも温かい空気感に変わり、そこに捉われも対立はない。場の空気、時間が止まることがない。まさに力と力ではない。気を通していただくと、一方の人には力が入らなくなる。対立が消える。どちらが勝った・負けたがない、お互いが生かされる。そして笑顔になる。教育の場とは、こういった空間であるべきだと改めて感じる。その中心に教師がいる。その中心に生徒たちがいる。お互いがお互いを生かし合える世界、それが本来あるべき調和融合である。引っ張ると動かない、押しても動かない、寄り添うと一緒に前に進むことができる。その中でどんどん差をつけていく。その差とは勝ち負けや人の評価ではなく、人を生かす力を養う、人を生かす身体を見い出すことにある。今回も、講演会が終わり会場を出て行かれる子供たち、大人の表情がまったく違っていた。本来あるべき自身のエネルギーが漲っているのを感じることができました。参加しただけではなく、それを教育の場で生かしていくべく、日々精進して参ります。
●奈良 高校教員 YM
植物と虫や植物同士で、助けあうネットワークがあることにとても驚きました。植物が人間の目には見えないような助けを求める信号を送り、それが虫に伝わります。つまり、植物が助けを求める信号を出すことで、虫は食べ物を獲得でき、植物は自分の身を守ることができ、結果的に助けあっていることになります。植物同士は菌糸のネットワークを通して栄養を与えあいます。地中の栄養を奪いあっているものだと私も思っていましたが、実は助けあっていたのです。
私は学校で生徒を支えているつもりでした。しかし、生徒が欠席することや学校を去ることがあると、心に穴が空いたような感覚になります。この感覚の理由が今まで分からなかったのですが、宇城先生の話を通して、生徒に支えられていたのだと気づきました。植物と虫の世界だけではなく、私たち人間の世界も、助けあいで成り立っていることを改めて感じました。
「ゼロイチで判断すること」という話がありました。気の進まない仕事が少なからずあり、するかしないか迷っている時間がありました。教師塾が終わってから、仕事も「する」か「しない」か即決すると、格段に終わるスピードが上がりました。その結果、生徒のことを考える時間や生徒と向きあう時間が増えました。そうすると、自分自身見直さなければならないことが多く見つかり、まだまだ成長できる、成長したいと思っています。
前回の教師塾で、「希望をもてるような学校にしなければならない。」という話がありました。卒業時には、これからどんなことがあっても乗り越えられる自信とともに卒業してほしいと思います。その自信はどこからくるのか。一つ、助けあいができる関係が必要なのではないかと思いました。
教師塾の先生方もそうですが、同じ方向を向いて共にまなぶ仲間がいることはとても心強いことです。助けあいができる仲間を学校で作られたら、卒業後も自信や希望をもつことができるのではないかと思います。そう思えるようなクラスをつくりたいと思います。
今年度も、4回にわたり教師塾を開催してくださりありがとうございました。来年度も、宇城先生の姿から学ばせていただければと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
●奈良 高校教員 HI
先日はご指導いただき誠にありがとうございました。
ご紹介いただいた自然界の2つの事象は驚きとともに気づきをいただきました。ヤナギは虫に葉を食べられるとある物質を放出してテントウムシを呼び寄せている。森の木は菌糸でつながることで生きるのに欠かせない養分などを共有している。厳しい生存競争の中で競い合っていると思われていた自然界で、人間の目には見えないかたちで種を超えて寄り添い、助け合っていることは、人間にとっては新発見の驚きではありますが、生きるための術として自然界では太古から当然のように為されてきました。
動植物は競い合いだけでは生きていけないということを本能的にわかっている。自然界の一員である人間も本来そのはずなのに「自分さえ」という我が強くなり、世界規模から身近なところまで様々なところで歪みや軋轢が生じています。
対立よりも調和。調和は膨大なエネルギーを伴って連鎖する。私たちの身体はわかっていることを実証の中で身をもって改めて気づかせていただきました。力ではできないことも撫でると解けたりひっつく。できる人に触れられたりできる人が前に立ってその人を見るとできるようになる。
そして、親として、教師として忘れてはいけないのが、子どもにはできるということです。せっかくできることを邪魔してできないようにするのではなく、引き出し、伸ばすことが親、教師としての役割です。自分はその役割を果たしているとは言えません。しかし、今回の受講で役割を果たせるようになるためのヒントとエネルギーをいただきました。今回お話いただいた「言い訳しない、イエスかノーの2進法」です。まさに私に決定的に欠けていることでした。口に出さなくとも頭の中で言い訳し、そうしている間に行動が遅くなることがよくあります。力ではひっくり返せなかった手も、「1、2」と素早く口に出すとひっくり返せました。その際、不思議な自信が自分の中にありました。頭や口であれこれ考えたり言ったりするのではなく、スピード感をもって行動していく。その中で力をつけていく。
子どもたちに寄り添う中で子どもたちが発するサインを感じ取りながら、2進法で行動していくことで親、教師としてのパラダイムシフトができるのではないかと感じました。
いただいたエネルギーを前進する力として精進して参ります。今後ともご指導のほどよろしくお願いします。この度のご指導、誠にありがとうございました。
●奈良 中学校教員 KT
先日は、教師塾にて学ばせていただきありがとうございました。細胞を活性化させることが力を発揮出来るということを学び、改めて対立することがダメであったり思いやりや言い訳をしないことが大切ということを学ぶことができてすごく勉強になりました。日々の活動でも自然な形で細胞を活性化できるようにしていけたらと思います。本当にありがとうございました。
●奈良 高校教員 SI
お忙しい中貴重なご講話ありがとうございました。
宇城先生の常に学び続けている姿勢や世界を視野に入れた情報の収集に感銘を受けました。
私も教員として学び続ける姿勢を忘れず世界を視野に入れた教育をしていきたいと感じました。
今回の教師塾の様々な体験をさせてもらった中で1番印象的だったのは正座をし、上から抑えられた状態で前に手を出し回して立つという体験です。いかに力で解決しようとすることが弱いことなのかを知りました。普段私は少年野球を教えているのですがそこで打ちたいと思わないと打てないとずっと声を掛けていました。しかし、その言葉が子どもたちの可能性を奪っていたのではないかと考えると凄く教員としての未熟さを感じました。また、宇城先生の話の中に欲を捨てて衝突を避けるという言葉がありました。まだまだ欲を捨て衝突を避けるということの深い意味を理解できるところまでの力がないためより一層理解できるように精進していきたいと思います。
●京都 中学高校教員 KF
今回も教師塾、実践講演会と、1日ありがとうございました。
超進化論の中で、植物は菌糸で共生している、根っこで繋がっている、常陽樹、落葉樹は、冬は常陽樹が、夏は落葉樹が栄養を与えるということが取り上げられていました。それらを見ることで改めて、そもそも自然界が調和によって成り立っていること、このような調和の現象が宇城先生や宇城先生の周辺だけで起こる特別なことではないことを再確認できました。理科では、生物は生存競争し、その中で勝ち残ったものが今残っているということを習い、そこに批判的な余地はなく、これまで受け入れていました。また、宇城先生から学びながらも、これまで得た知識や考え方を改めて見つめ直すということをすることはありませんでした。今回,具体的に提示してもらうことで考える機会を与えていただきました。そしてよく考えると,生物の進化や生態系などの考え方のベースにあるものは競い合いでした。西洋文化のサイエンスの発想なのかもしれないとも思いました。競い合いや勝ち負けではないというベースに立つと,この超進化論の動画は、私のように驚きを感じることの方がむしろ不自然なのではないかと思いました。葉がてんとう虫を呼ぶために物質を出しているという話も,物質が実際に出ているかはわかりませんが、事実としててんとう虫は移動しており,宇城先生の検証やお話をベースに考えれば,疑う余地はないのかなと思いました。本来、地球という環境、生態系の中で、調和して共生、共存しているヒトが今は、自分たちのことだけを考え生きている、部分で考えることしかできず、部分で生きている。今回、そのことを改めて考えるきっかけをいただき、「生かされている」という意味の深さを知ることができたような気がしました。今後の生活の中で、もう一度自分の思考のベースから物事を見つめ直すことで、また新たな気づきを得ることができるのではないかと思いました。
先生が教師塾、実践講演会で「いいわけをしない」「0,1」ということをおっしゃっていました。いつも先生の言葉は、その時の自分の間に合うタイミングで、自分に向けて提示してくださっているように受けとめることができます。私は来年度の仕事において、また次のステージにいくことになります。生徒や保護者だけでなく、より一層、同僚や学校全体を牽引していくためにも、この2つのことを頭の片隅に常におきながら行動していきたいと思いました。ありがとうございました。
●奈良 中学校教員 UI
宇城先生、お忙しい中、先日の教師塾・京都実践講演会でのご指導本当にありがとうございました。また、企画をしてくださった教師塾の先生方、道塾の皆様、どう出版の皆様方にもこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
教師塾が始まる時間よりも前にも関わらず、会場入り早々に私達にお話を始めてくださり、宇城先生の熱意をビシビシと感じました。現在の日本が置かれている状況はとても悪く、何とかするために日々学ばれ調べられている。まさに世界最速の二進法。そんな先生が我々に抱いてくださる期待を感じずにはいられませんでした。
「今の自分は子どものSOSを感じ取ることができているのだろうか。」何度も自分に問いかける一日でした。思い返してみると自分から矢印を外側に向けることにとらわれ、矢印を受け取る、感じる事ができていないように思います。「自分はすでに自然体ではないな。」恥ずかしい限りです。いつの間にか独りよがりの思考に凝り固まった姿、自分の悪い癖が出ていました。本気でなんとかしたい。子どもたちのために。まだまだ未熟でした。頭でばかり考え、自分で自分の周囲にプラスチックの壁を作り上げていました。きっと自分が外側に向けていた矢印もその壁に阻まれています。周囲から見える枝葉ではなく根。その根も目に見えない菌糸が先に広がる。地球は知っている。動物も植物も子どもたちも知っている。横着せず、謙虚に今からまた生きていきます。パラダイムシフトを頭ではなく身体で。私のような頭が凝り固まった人間には本当に難しい。それでも宇城先生や、一緒に学ばせていただいている先生方の姿が私を奮い立たせてくれます。あの場におられたすべての人に言いたい。本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
●京都 中学高校教員 HI
今回の宇城教師塾で気付かせていただいた事は、非常に初歩的な事ではありますが、“忙しいからこそ、時間を作って自己研鑽する事が大切”という事です。役職上(管理職という立場)、なかなか自己研鑽のための時間が上手く作れず、また、家庭や職場における奉仕活動が、毎日のルーティーンとして“当たり前のように実践すること”ではなくなっていました。が、今回は、この事が、いかに自分の甘さから出た事であったのか、それを自覚・痛感できる機会となりました。
午前の教師塾では、昆虫と植物のコミュニケーションの実態から、私たち教職現場の人間のアンテナの鈍さを痛感させられました。また、日本を明るくするための実践が、まったく不足している実態にも気付かされました。しかし、その事にただ悲観するのではなく、私たち教員が進むべき道を示していただき、置かれた環境に言い訳をし続けてきた自分を“一掃”する事が出来ました。
宇城先生の教えは、私の中では常に“実践ありき”です。自分の至らなさに言い訳をしたり、正しい実践を行う事に躊躇したり、心の弱さ故にスピード感が落ちる私を、いつも叱咤激励してくださったのは宇城先生の姿でした。今年度の前半、仕事の調整がつかず、この教師塾を欠席してしまったことの“ツケ”が回ってきた事を、今回ほど痛感したことはありませんでした。後悔先に立たず・・・正にその通りではございますが、錆を落とすつもりで、今後は精進して参りたいと思います。
そのような事で、リセットした心境で、午後の京都実践講演会に臨みました。最も印象的だったのは、奈良高校の生徒さん、田辺中学校の生徒さん達でした。これまでの実践講演会でもそうでしたが、吸収力が高く、若い純真無垢な子たちは、宇城先生のご指導の中で劇的な変容を遂げます。それも短時間で。そんな生徒さん達から、検証を行うためのペアワークを行う際に強烈なエネルギーをいただく事ができました。“我以外、すべて師”という言葉がありますが、自分自身の1/3程しか人生経験のない生徒たちから、たくさんの気付きを得る事が出来ました。言葉にすると、あまり目立たないかもしれませんが、若者から身が引き締まるような気付きを与えてもらえる場というのは、宇城先生の教師塾や実践講演会をおいて他にありません。
個人的な事になりますが、自分自身、40代最後の年を迎えました。「40にして惑わず、50にして天命を知る」とは、論語における孔子のあまりにも有名すぎる言葉ですが、孔子も“苦労しながら人格を形成してきた”と聞いたことがあります。そうであるならば、自分自身の一時的な後退も、当然といえば当然の事のように思われます。心機一転、今度こそは人格形成を・・・と考えた際、現代の生ける孔子ともいえる宇城先生には、まだまだお縋りするより他に、学びの道はあり得ません。
数々の後悔をしながら、何とかようやく“学び直しのスタートライン”に立つことが出来ました。つきましては、最後のチャンスを与えるつもりで、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、今後ともよろしくお願い申し上げます。この度は本当にありがとうございました。
最後になりましたが、森島先生、西田先生のご尽力のお陰で、このような学びの機会をいただいております事、改めて感謝申し上げます。
●奈良 高校教員 NM
この度のご指導、誠にありがとうございました。
恐れながら先生のいかにして気付かせるかの手法は見事です。ただただ感動します。先生の全てが、魂がそうさせているのでしょう。先生ご自身が全てをさらけ出し、先ず、先生ご自身が気付いていかれる。日々、深化され続けておられる先生の謙虚な姿勢から溢れる気を浴びることによって、我々塾生の気付きのスピードがあがり、希望・勇気の根源となって細胞に刻まれていきます。まさに魂から魂へ。小手先ではなく根底、根幹から揺さぶられるものをひしひしと感じさせていただきました。子どものスピードが速いのは、この感覚、この何とも言い表しがたいものを身体で瞬時に感じているからだ。いろんなものを勝手に思い込み、背負い、気負い、力みすぎているが故に大人、この自分はこのことに気付けない。遅い。負ける努力・・・、笑ってしまいます。
「やってみたい。なりたい。」そのような思いが勝手に湧いてきて教員を目指し、今に至っているのではないか。それぞれにスイッチが入り、沸々と燃えたぎるものがあって、そんな魂を揺さぶられるような経験や感動が今のこの自分、それぞれの先生方の中に確かにある。潜んでいる。宇城先生に引き寄せられたのも偶然でもたまたまでもなく、まさに「原点回帰」、確かにある自身の中にあるものへの気付きの場、本来の自分(=ゼロ)であることの素晴らしさに気付かせていただける道。
今回の教師塾では、自然体の自分に還っていく、気づき帰って行くことにいざなわれているような感覚がありました。
「もういい。希望を持って死ねる。これ(=先生の気。宇城空手。調和融合。人間の素晴らしさ)がある。これに出会えば、このことに気付けば、子ども達、生徒、次世代は大丈夫。」そう感じた瞬間、幸せがこみ上げてきました。そして今、未だに生かされています。本当に有り難く、勝手に「よし、やるぞ」という活力が蘇ってきます。広げるという意味が少しだけ分かったような気がします。つまり、日々、ご指導いただいているこの自分が生き生きと身体で希望と勇気を感じ自身が前進すること。自然体の自分で。このことが絆、繋がりを勝手に形成していく。間違いありません。
自分が生きている間に何が出来るのか、世間や教育界で騒がれている問題となっている全ての解決への道があるということを実証で目の前で示していただき、ご指導いただいていること。このやり方、この生き方・在り方が有るという事実を体感し、真実を得て真理に至る道が確かにある。何処に向かって歩めば良いのかという指針もハッキリとしている今、本当に光が見えます。見えて走れば自らも勝手に輝ける、輝く。映す、映るということ。影・・・。
ゼロ。ゼロから1へ。発見、発明、偉業という事、皆の賞賛を得るようなものではなく、「自身の気付き、自らのことを0.0001でも分かってやれれば、人生が変わる。いや人生が、人が、人間が分かる。好きになる」そんな気がしました。真の自己評価だ。しかし、意識した、出来たと思った瞬間にもうそれは・・・。学び続ける、継続するということの深意もここにあるのか・・・。死ぬときが最高、生ききること。「楽しいな。」何となくわかります。いや、もう分かりません。
こんな世の中であっても、ただ嘆き苦しむだけではなく、明確な魂を揺さぶるものに触れさせていただいている今、まさに「希望を持って死ねる」、本当にそう感じています。
子ども達に、教育現場の先生方に、親御さんに、日本のみならず全ての人が身体で希望を感じることができ、誤魔化さず気負わずに自然体の自分、等身大の自分を愛し寄り添ってやることができ、そしてまさに先生のお言葉、「進歩・成長は変化すること 変化するとは深さを知ること 深さを知るとは謙虚になること」を日常で実践し続けていけば活き活きと、生き生きと生ききれる。枯れきれる。「死ぬときが自己最高」この人間の素晴らしさを感じさせていただけることこそが「幸せ」です。
一年を通してご指導、誠にありがとうございました。今の中に未来がある。魂を込めて、たくす・・・。この思いがあれば、少子化という不自然な現象もその言葉すらなくなるかもしれません。子どもや子育ての価値観を問うことそのものが頭(=死に体)。身体に問い、身体で問えれば答えは一つしか無い。また向かうところも一つ。時間は一方通行、時空には空間があり、そこは一体何で満たされているのか。人間は何に溶け込んで生かされているのか。全ては先生が先生の気で示して下さっています。
身体から湧き出る感謝を覚えるたびに、いちいちこの自分の至らなさとか、気に入らない部分とか、そんなものに反応し、引っかかっていられないなと思いました。自身の中にある全てと、生涯付き合って、向き合って、寄り添ってやろうと覚悟いたしました。笑い飛ばすことも食いしばることもなく、等身大で。素直に見直し、やり直し、直進です。
走ります。燃料満タンにしていただきましたから走れます。先生、また給油、充電お願いします。この自分も自家発電、自己発電につとめます。この自分を調和・融合させる。統一体に向けて練っていく。これが全て。
ありがとうございます。