2020年 京都宇城教師塾(2020.1.26 ハートピア京都)

● 三重 松阪高等学校

「祈らなくとも 祈られている」 「守らなくとも 守られている」ことを痛感させていただきました一日となりました。

一年間の最終回の四回目の教師塾。今回、前で体験させていただく機会がたくさんありました。宇城先生から直接「気」を通していただきました。自分が変わりました。周りも変わりました。空気も変わりました。何もかもが変わりました。これが、「祈られている」ことであり、「守られている」ことだと体験を通して感じました。

自分が自分の力でできたわけではなく、宇城先生を通して、そして参加者の皆様を代表して、押させていただいただけであるということ。すなわち、自分自身が「押そう」としなくとも、「押させていただいている」のであり、自分自身と調和し、皆様と調和し、地球を調和することで自然と「統一体」になれる体験をさせていただきました。

今まで、「いきむ」「力む」「引っかかる」・・・のような言葉を何度も聞いてきました。これらは、すべて「自己中心的」に動いているから、すべて逆の現象が起こるのだということが肚に落ちた瞬間でした。

 正しいことをすれば力が出るのでは、力が出るように身体がなっているから。ではそれはなぜか。それは、人は「祈られ、守られている」存在だからです。見えないところでいろんな力が働くからなのだと思います。

礼をして教室に入ることは、形でやるものではなく、「想い」を込めてさせていただくことです。すなわち、生徒のことを「想い」「祈る」という行動だと思います。今、私自身に一番必要なことであり、教育において大切なことが「祈る」ということではないでしょうか。

できていない生徒のできていないことを指摘することは誰にでもできます。

「ここができていない」「まだできないのか」「やっぱりこの生徒は・・・」

そうさせていたのは教師自身でした。なぜ、「礼」が大切なのか。そこにどんな「想い」を乗せるのか。

誰もいない教室で生徒の名前を呼ぶとき、生徒の良い部分がでてきます。

「この子、今日こんな様子だったけど、何かあったのだろうか?」

そんなことを思うこともあります。それが「祈る」ということなのだと思います。

一年間、宇城先生を通して、いろんな気付きをいただきました。進歩することができた自分、変化することができた自分に出逢わせていただき、深さを知り、謙虚になることの大切さを教えていただきました。しかし、その裏には、見えないところには宇城先生に「守られ」、「祈られている」ことがあったことに今まで気付くことができておりませんでした。すなわち、おめでたい教員であることに本日気付かせていただきまました。

宇城先生に「場」を整えていただき、「気」を通していただき、何から何まで「やっていただいて」何かをすることができる自分。

教師もいい加減、やっていただいている側から生徒たちに、そして大切な人たちに「させていただく」立場に変わらないといけないと思います。

私たちは間違いなく、宇城先生をはじめ多くの方々に「祈られ」「守られて」います。しかし、本当に大切な人のことを「想い」「祈り」「守って」いるのだろうか。

そこを次の一年間の自分自身のテーマとしたいと思います。

奈良 白橿中学校

今回もまたハッとすることが多く、新年度に入る前に子どもたちに伝えるべきことをたくさん教えていただきました。

・【教えてやる】のではなく、【気づかせてあげる】こと。

・一番大切なのは勇気を持つこと。

・水面に写る月の話。

宇城先生の教師塾のたびに、「自分は本当にまだまだだなぁ」と思う一方で、「よし、明日から頑張ろう」と思うことができます。自分の未熟さを痛感しながらも前を向いて進んでいくことができる。考えてみれば、これこそが教育であり、自分の目指すことです。

先生に触れられるだけで、手足の指先まで感覚が冴え渡り熱くなる。自分ができるようになっているのではなく、できるように導いてくださる。なぜ?どうして?と理屈を考えても答えは出ない。型を持つことで誰にでもできることこそが気の存在を裏付ける最大の答えである。学生のころからその存在を感じてはきましたが、教師になってより一層、日本人として【気】を大切にしなければならないと強く感じています。

まだまだ影響力も心の光も、伝えることができる範囲は狭いですが、これからも型を大切に、真心と誠実さを忘れずに生きていきたいと思います。

一年間ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

これからの日本の教育に少しでも貢献できるよう、自分を磨いていきます。本当にありがとうございました。

以上になります。本当に充実した一年間でした。大切なのは勇気を持って実行していくことです。明日からまた精進します。今後ともよろしくお願い致します。

京都 立命館中学校・高等学校

私は8月の教師塾から参加させていただいておりますが、場を共有させていただく度に宇城先生の深さにただ驚くばかりです。ただ驚くばかりでいる自分が情けないです。しかし、なかなか飲み込み表現することのできない自分が猛烈に浅い人間であるといつも突きつけられ、次からの1歩を頑張ろうと勇気をもらえる時間でもあります。

いつもお話をしていただいてから何かしらのモヤモヤを抱えて生きていくことになるのですが、今回のお話を聞き、「人間とは?」、「地球とはなんだ?」という根本的な疑問がふつふつと湧いてきました。ただこれらの問は禅問答のようなもので、答えが出る、在るわけではなく、自分の心に常にこの問を立てて生きていくことに意味がある。その想いを胸に生きて、死ぬ間際に「あぁ、そういうことか」と自分の中での答えがでればと思います。

先生と場を共有し、頂いたエネルギーを源として、一日一日を全力で全うしていこうと思います。ありがとうございました。

京都 立命館宇治中学校・高等学校

いつも思うことですが、日本のみならず世界各国でのご指導をされている中、このようにご指導いただけることが当たり前ではないということ。参加した教師、生徒含め、会場にいた方々に対して愛情をもってご指導してくださること心より感謝致します。

昨日1日を通して感じたことは、「頭・知識ではなく、身体を通して」ということでした。自分の身体の感じるままに。身体は知っているということです。それにも関わらず、物事を頭で考えてしまう癖が抜けません。「挨拶をしましょう。」ではなく感謝の心を育てること。スローガンは、できていないことの裏返しで、内面から自然と出てくるような教育・指導を今の日本だからこそしていかなくてはいけないと強く思いました。そのためには、やはり謙虚に、素直に心を開くということです。

前で検証をしている時に、頭で考えたり、疑心暗鬼になっている人は、スクラムを押せなかったり、支えることができなかったりと「孤立」している状況がありました。多くの方々が「変わりたい」と思って講演会に来ているにも関わらず、頭が邪魔をしている状況に危機感を覚えたことは事実です。もちろん自分自身もできていないことばかりです。だからこそ、「仲間」の存在は大きなものとなります。

もう1つ感じたことは、「指導」ということの深さ、難しさ、厳しさです。宇城先生はいつも「やってみせる。やらせる。気づかせる。」これを全てされます。これこそが本当の指導であり、自分が現場でしていることは、レベルが低すぎて指導と言うにはほど遠いものです。指導ができないのであれば、教師という存在は必要ありません。それだけ教師のレベルが下がったということです。
しかし海外は、教師の給料が安くても競争倍率が高かく、その関門をクリアしてくる教師のレベルも高い。当然生徒の学びのレベルも高くなり、日本との差となる。この状況は今後益々広がっていく中において、どうしたらよいのか。

私たち日本の教師が本気で学ぶしかありません。そうでなければ、何も教えない。邪魔をしない。方がいいのではないか。極端な言い方をすると学校がいらないということになってしまう。しかし、そうなると国が滅びるということです。国を支える「教育」に関わる教師が宇城先生から「本当の指導」を学び、変化・進歩をしていく覚悟を強く持つことしかありません。

視野を広げて、先を見ること。感性を磨き、素直な身体になること。ワクワクしながら日々を過ごすこと。全ては「師」をもち、学び続けることでしかできません。何が何でもやる!という根性をもって取り組みます。引き続き、ご指導のほど何卒よろしくお願い致します。

石川 金沢北陵高等学校

今回、初めて参加させていただきました。宇城先生が教師塾、実践講演会を通してお話しされたこと、また実践されたことは驚きの連続で大変勉強になると同時に、自分の未熟さ甘さを痛感することとなりました。まずは宇城先生に感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。またお世話いただきました先生をはじめ、ご参加のみなさまにも感謝申し上げます。

私は今年度初めて生徒指導主事を拝命しました。私の勤務する学校はここ数年問題行動が目立つようになり、問題のある生徒も在籍しているのですが、そのような生徒をどう指導していくのか、学校全体の規律を保つにはどのようにすればよいのか、ということを考えていましたが、思いつくのはルールをつくったり、ルールを守れない者に対して罰則を与えたりすることばかりでした。

今思えばそのような指導が上手くいくはずがありません。今回、宇城先生のお話を拝聴し、「自分は何をやっていたのか」と恥ずかしい思いになりました。まず、私が考える「力」というものの見方が間違っておりました。「気合を入れろ」などという指導が実は全く意味をなさないこと、「よっしゃー!」などと声をかけてもあまり意味のないこと、本当の力とは調和であり、愛であることを学ばせていただきました。私は生徒にどのように接していたのか、何も与えることができていなかったのではないか、結局指導に行き詰っている原因は自分自身の未熟さや心の持ちようにあったのだと気づかせていただきました。もっと学び、自分自身を変えていかなければならない、そのような思いになりました。

宇城先生は、大人数の大人をいとも簡単に動かすなど、通常不可能と思える力があることをお示しくださいました。もちろん私にそのようなことができるはずもないのですが、しっかりと相手を見守ることで力を出すことができたり、正しい礼をすることで力を出すことができたり、うそをつかないことで力を出したりすることができると実感することができました。早速実践していきたいと思います。まずは信念を持って生徒に向き合っていきたいと思います。自分がまず正しい行いをし、生徒にそれを見せていきたいと思います。そのような中で「教える教育」ではなく、「気づかせ、生徒の力を引き出す」教育を目指していきたいと思います。

今回参加させていただいたことで自分の未熟さを痛感することとなりました。そしてもっと学ばなければ、もっと自分を変えていかなくては目の前の生徒に申し訳ないという思いに駆られました。

奈良 大淀高等学校

会を追うごとに宇城先生の愛情の深さ、知識・経験の深さ、情熱の深さに感激し、湧き出るものが抑えられなくなります。今回も、私なりに受け取らせて頂きました。

今の日本は政治・教育・文化が麻痺し崩壊しているのに、それにすら気づかないような無関心な国民を作り出している。と言う事を話してくださいました。私は何の疑いも持たずに日本の教育を受け、教員になりました。そんな無関心な国民の1人であった私(教師)が、子どもに当然のように授業をし、言い聞かせていました。教師の本当の役割、重要性、本質を知ることなく目先の生活に追われ、一生を終えるところでしたが、宇城先生と出会わせていただき、日本の現状や自分の周囲の出来事に疑問を抱き、気付くことが出来るきっかけを今回もたくさんいただきました。

他のことを考えていたり、違うほうを向いていたら物事は進まない。全員がこちらに向いていても、力ずくでは動かない。ただ、見守るだけで強くなったり、守りたいと思うだけで力がでたり…疑問を持ってしまう学校での人権教育も身体で証明されていると思います。身体は本当に分かりやすく、普段からいかにバーチャルで物事を決めつけているか、そういう感覚にさせられているか、嫌になるほど分かりました。

宇城先生はクラスでも部活動でも同じこと。と仰っていました。目先や小手先の対応ではなく、生徒の未来、背景、親までを捉えて身体を通して愛情を伝えることだと思います。宇城先生がこれ程分かりやすく噛み砕いて、言葉と身体で私たち教師に対してご講話くださったことを自分でエネルギー転換し、生徒・職場・家族・趣味で発信していきます。

三重  鳥羽高等学校

自分は進歩成長できているのか。できていないのではないか。答えはあるのか。ないのか。迷いながら決断し日々を過ごしてまいりました。

自分の目の前には学習障がいで苦しむ生徒、感覚が過敏で人の視線や発言が気になり不登校になる生徒、人の物を盗んでしまう生徒、多動性のある生徒がいます。そのような生徒をどのように導くことができるかと思いながら毎日、試行錯誤、反省することばかりです。

生身の人間で、日々変化している生徒に意識で接してしまいます。そのため、頭で行う指導が生徒達の成長を妨げている気がしてなりません。身体を信じ、身体で感じることができるように「教師自身が学ぶ必要があり学び続ける」という教えを心に持ち続けていきたいと思います。

教室に入る前に礼をする実証を拝見させていただき、即行動しなくては遅いことに気付かせていただきました。

教室とグラウンドを分けて考える自分の心の小ささを恥ずかしく思うと同時に、ある先生が仰ってみえた「出来ると判断するからやる。出来ないと感じるからやらない。分かってもらえそうだから伝える。分かってもらえそうにないと感じるからやめる。分別すると時間が止まる。」というお言葉が頭をよぎりました。時間をとめてしまっているのが自分であること。身体で分かっていないことに気付かせていただきました。

また、午後の講習会で宇城先生の子どもたちに対する厳しさと愛情が子ども達を変化させていく様子を拝見させていただき、教員として人間としての生き方や在り方を学ばせていただきました。言葉ではなく、目の前で自分達にご指導いただけたこと、「道」を示していただいたことに感謝いたします。

映していただいたものを少しでも周りの人に映すことができるように、精進していきたいと思います。今後ともご指導をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 

京都 田辺中学校

午前の教師のみの勉強会の中でなによりも心に残ったのが、『生き様』という言葉です。
全ては繋がっていて、その根元はやはりその人のどう生きたかというものが今に凝縮されている。宇城先生の凄さ、かっこ良さは当たり前ですが、妥協なき生き様の常に集大成であるということが改めて気付かされました。

今がいかに大切か、未来、明日と言いながら私は、肝心の今がないんだということが分かりました。今を疎かにした結果未来も疎かにする。その連続が今を結局ダメにしている。こんなことを教えて貰える師範は世界を探してもいません。

午後からは、生徒たちも参加しました。

先生の指導を間近で見せて頂き、教えるとは、気付かせることであること。どんどん変わっていく姿。変わろうとしている子どもたちから改めて子どもたちは素晴らしい。
それをぶっ壊し邪魔をし、間違った考え、間違った方向に知らず知らずのうちに導いているのは私であるということがよく分かりました。

綺麗事も大切です。でもそれがスポーツであれば勝たないといけない。勝ち続けた先生の言葉だからこそ心に響きました。その中で、気品気位を追求する先生の厳しさ、そしてそれをやり遂げる。それは、想像を絶するものであったんだと思います。

しかし、それも先生にとっては『好き』と言う気持ちが先で、『感謝』という気持ちが先で結果勝つ。全ては生き様理屈ではないということその心や愛が全てを繋げて結果、今なんだという話も子どもたちは身を乗り出して聴いていて。見えない力の凄さを嫌というほど感じさせて頂きました。

感想を聞いても最初は凄すぎてやらせかと思った。しかし、体験をして身をもって感じたことで本当だということが分かった。素直に受け止めて切り替える速さ。大人にはない素直さ。

希望を頂きました。目標を目指す。また、勝ち負けがあるスポーツをする以上先生が仰るとおり勝たないと意味がない。二回戦で負ける人が先生と同じことをして負けていたら駄目だ。仰るとおりです。だからこそ同時並行で、パラレルで野球そして好きな野球を通じて人の本当の凄さに近づけてこそ、意味があるのだと思います。

そのためには1にも2にも勉強そして根性その姿勢が生き様になった時全ては繋がるその生き様が、エネルギーとなり困難をきっかけに全てを調和できる。

そして、自分を、周りを幸せに導く本当の指導者に変わるのだと思います。その時のことを思うと自然とワクワクしてきました。自分を通してでしか、指導はできない。宇城先生から勉強し続けます。

生徒共々本当にお世話になりました。いい悪いで一喜一憂するのでなく。この現実を共に受け止めて前に前に共に生徒と成長し様々な立場の者が同じ方向に向かうそういうファミリーになろうと思います。ありがとうございました。

山口 常盤中学校

宇城先生、この度も宇城教師塾および実践講習会での御指導、誠にありがとうございました。

1年間にわたり、教師として、その在り方を先生から御指導いただくたび、自分の狭いものの見方や捉え方、考え方から脱していくきっかけやエネルギーをいただくことで、自分自身が自然と今の自分を受け入れ、そして変わっていくのだという思いを強くしていく1年間であったと思います。

自分自身が今という現状から、さらに前へ前へと乗り越えていく、変わっていくことが普段から接している子ども達の成長を邪魔しない、妨げないことに繋がるのだということを感じました。礼をして入ったときの柔らかな、そして温かく、人間としての強さと愛情や厳しさに溢れた姿。嘘をつかない、あの肚の据わった、真っ直ぐな眼差しの姿。各地から集まった先生方と行った検証時の雰囲気を全身で感じ、そして今、少しでもそのような本来あるべき人間の姿に近づきたい、そのための努力を日常から積み上げていきたいと思いました。

気というエネルギーを通して、先生が示してくださる目の見えない世界。宇城先生という師匠の御姿を自分の心の水面に映せる、有り難さ。その全てに感謝して、自分の人生を全うしていきたく思います。少しでも、今時間を共有させてくれる子ども達に恩返しができるよう、精進して参ります。本当にありがとうございました。

京都 立命館中学校・高等学校

宇城先生をはじめとして、参加された先生方、実践講演会に参加された子どもたちから、多くの学びをいただきました。

日々、子どもたちに向かい合いながら自分の力不足を感じています。その力不足から目を背け、上手く指導できないから口で言うばかり。虚勢を張って偉そうにして、自分を大きく見せようとしていました。そのような虚勢を張った教師に子どもたちは着いてきません。その力不足から目を背けたくて…。負の連鎖に嵌まっていることに気づきました。生徒に、「自分と向き合え」と言いながら、一番自分が向き合えていませんでした。自分の名にある「勇気」を無くし、自分から逃げていました。そのことに、宇城先生や子どもたちが気づかせてくれました。

主体的な学びとは、どのようにして作るものなのか。「主体的・対話的で深い学び」が大きく推進されていますが、生徒の主体性を引き出すことが一番の課題だと考えています。主体性さえあれば、子どもたちは学びに貪欲になり、学校を卒業してからも学び続けるような、エネルギーの溢れた人間になるはずです。

教師塾後の実践講演会で、だんだん子どもたちが前のめりで話を聞いていく姿を目にしました。子どもたちが、宇城先生の教えを(聞くだけでなく)体感した途端、目の色が変わり、話を聞く姿勢も変わっていきました。私は、子どもの主体性が大事だと分かってはいながらも、それを引き出すことは全く出来ていません。しかし宇城先生は、いとも簡単に引き出しており、分かることと出来ることの決定的な差を感じました。分かる、出来る、身につく、写す。より上の次元がある中で、ただ分かるだけで偉そうにしていた私は、「先に生まれただけの先生」であり、「師と仰ぐような先生」ではありません。謙虚に、勉強し続けなければなりません。

学ぶことに、生徒や先生も関係ありません。先生こそが学び続け、その姿を生徒に写していくことが教育なのではないかと思いました。私には、人に何かを教えられるようなできた人間ではありません。生徒と共に、学び続けていきたいと考えています。自分の名である「勇気」という言葉。弱い自分に向かい合う勇気が私には足りませんでした。学び続けるエネルギーが私には足りませんでした。

教師塾と実践講演会に参加させていただき、宇城先生をはじめとして、参加された先生方や子どもたちから自分と向き合う勇気を、前に進むエネルギーを分けて頂きました。その灯を絶やさぬよう、これから精進して参ります。

京都 男山第二中学校 

今回も様々なことに気づかせていただきました。宇城先生のご指導ではいつも自分自身を見つめ直させていただけます。

私自身、日常の生活の中では表面的な理論を知ればで理解したと思い込んでしまいがちです。自分自身のその理解の浅さに気づくことなく頭で考えてから行動するため、常に一歩遅れてしまっています。日常の生活だけでは一歩遅れていることにも気づけません。しかし、宇城先生の指導のもとで体験を通して学ばせていただくことで、確かに感じる事実現象を目の前にして、頭ではなく体で理解させていただいています。

第一回の教師塾に参加させていただいた時は「なぜそんなことができるのか?」と考えてばかりでしたが、何度も体験させていただくことで自分の体の中に確かにある力に気づくことができました。その気づきがあるからこそ「調和する」ことの大切さを実感することができています。

教師が子どもに知識を教え込むのではなく、様々な体験を通して自ら気づき、学びを深めて行くということが現在の学校教育で求められていることなのだと再認識しました。

教科の内容だけでなく子どもの持っている良さを引き出すことのできる教師となれるように、まずは自分自身が、変化成長していきたいと思います。

大阪 泉ヶ丘中学校

初めにヒトラーとエヴァブラウンの結婚についての題材に触れられた時に、その真意が全く掴めずにいたのですが、内容が進むにつれて腑に落ちることがたくさん出てきました。

ご自宅の蔵書数の一部と読書方法を拝見させていただいたときに、先生の仰る一言一言にとても重みが感じられ、受け身ではない勉強とはどういうものであるか再度自分に問いかけるきっかけをいただきました。

今回、先生の仰っていたことの中で特に心に残っているのが「覚悟」です。見せかけの形はすぐに崩れてしまう。本気で物事に取り組むこととは何か。覚悟している者こそが最も強いことを改めて学ばせていただきました。アメリカとスイスの銃所持の話はとても分かりやすい例で、何が強さなのかを端的に表していると感じました。

その一方で、今回の講習では自分自身が頭で考えようとしすぎてしまったところがあり、実践の場面においてその効果をいつものように感じることができなかったことが大いに反省しているところです。ですが、「見守る」ことがどれだけ大きな力を生み出すか実践させていただいたときにその威力を強烈に実感し、普段の教員生活でも自分が生徒にあれこれ言いすぎていると振り返ることができました。先生の講習では、毎回自分が授業で扱っている分野に直接リンクするような話も多く、さっそく今週の授業で実践させていただきました。

今年度に関して終わりましたが、来年度も引き続き講習に参加させていただき、今年度はできなかった少しでも周りに広げていくことを実行していきたいと思います。

奈良 大淀高等学校

先日は教師塾にて御指導いただき誠にありがとうございました。講義の中で、先生は何度も「希望」という言葉を口に出されていました。まさしく、先生の存在が今の教育界の希望です。生徒指導、部活指導、教科指導に行き詰った自分にとって、先生が示してくださる大きな柱が希望となっています。ただ、悔しいことに先生から壮大なパワーをもらいながら、それを自分の周りに活かすことが出来ていない自分がいます。もっともっと先生に食らいついていかないといけない、という気持ちになっています。

指導の全てが人間の本来持つ力は素晴らしい、その素晴らしい力をどう引き出すか?それが本当の教育「education」だということ教えていただきました。そのためには、しっかりと相手と中心をつくり、ひとつになることが大事だと感じました。それができる身体を作り上げることが教育の柱だと思います。それが、例えどんな同僚でも、どんな生徒でも、どんな仕事に対しても。そんな事につながっていくと自分の横着な姿勢が情けないです。正面に入っていけてない自分がいます。

また、「礼」をして教室に入ると空気が丸くなり、「礼」をせずに教室に入ると空気が尖る感覚を覚えました。凄かったです。全然違いました。自分一人の所作でこんなに変わるのかと思いました。早速次の日から実践しています。

「今に未来がある。」今の姿勢が未来につながる。体育座り、ガッツポーズはもちろんですが、「今の私たちの学ぶ姿勢に未来がある。」「君ら大丈夫?」「平和ボケしていたらあかんぞ」先生からのメッセージだと思いました。

今の日本に未来は無い、しかし、先生の指導には未来がある。先生からの指導を現場で活かすことに「出来た」も無いと思います。ただ、ひたすら「続ける」、「信じて続ける」ことが「未来に繋がる」のかと改めて気づきました。

お忙しい中、本当にありがとうございました。毎回の講義の中で、先生から教師としての責任の重さを教えていただきました。それが今年一年間の私のエネルギーの源となりました。

兵庫 甲南高等学校

宇城先生ご指導ありがとうございました。新年から先生のエネルギーに触れることができ、2020年も挑戦していける希望を頂きました。

「1+1=」の問いに正しい答えを言うと身体が強くなり、間違えた答えを言うと弱くなる。暗算できないくらいの難しい問題で適当に答えると身体は弱くなり、謙虚にわかりませんと言えば強くなりました。自分に置き換えて考えてみると、どれだけ信念を持って行動しているのか、正しいことをやり続けているのか、器を大きくする努力ができているのか、横着な自分に負けないように謙虚に過ごせているのか、自分の甘さに改めて気づかせていただきました。いつまで経っても殻が破れないのです。

「スポーツは勝たないと意味がない」自分の中でハッとしました。野球で人間性を磨いて欲しいという思いで指導していました。もちろん勝って甲子園にと目標を掲げて頑張ってきましたが、確か逃げている自分がいるなと…。負けてしまって悔しい思いはいつもあるのですが、まだまだそこに覚悟を持ってやり切れていない自分がいました。勝てないプロセスなんて間違っている。その通りです。居座っている自分がいます。変化しないといけません。勝たなければ言えることも言えません。

今が大事。明日死んでしまうかもしれない。1回きりの人生。自分の心にビシビシとお言葉は突き刺さります。先生が私にしてくださっているように「愛とやさしさ」で自分の家族、生徒も守っていけるように信念を持って勉強していきます。自分に自信が持てるように根性で行動実践していきます。そこの先にしか未来がないのはわかって2020年もご指導よろしくお願い致します。

京都 田辺中学校

今回、自分の中で一番印象に残ったのは、教育は子どもたちに教えるではなく、気付かせるということ。子どもたちが気付くことができる感性を養うことである。と学ばせていただきました。

私は、子どもたちに教え、失敗しないようにと沢山の準備をしてきていましたが、受け持つ子どもたちを見ていると、受動的になり、思考力においても、成長させることができていないように感じます。

学校生活においては、何気なく生活できている子どもたちも、今後、社会に出て、生活していくときには、能動的に行動できる。ハングリー精神を持っている。チャレンジすることができる。そのような思考が必要とされています。

学校生活は社会に出る前の練習の場なので、もっともっと子どもたちに、考えさせる仕掛けをしていかなければならないと改めて感じることができました。

部活動では、みんなが同じ目標に向かって頑張って欲しいと思い指導していますが、チームワークは優勝したからできるものである。というお言葉に浅はかながらなるほどと思いました。子どもたちが、したいと思うことや、挑戦したいと思う気持ちを大切にしていきたいと思いました。

奈良 桜井高等学校

宇城先生から多くのことを気づかせ、学ばせて頂きました。先生のお姿・お言葉から厳しさと優しさの両方を毎回感じております。教師という立場に甘えている、不祥事や隠蔽体質、全ては力のなさが小手先での対応になるのだと思います。

今回教師塾に参加させて頂いた理由は、それぞれ違うとは思いますが、少なからず今の状況に違和感、苦しみ、悲しみ、怒り、どこか心が落ち着かないからだと思います。私自身は前述させて頂いた感情全てです。なんとなく参加したわけではありません。義理で参加したわけでもありません。ただ無意識の中で、甘え・緩み、浮いているのだと思います。言葉では何とでも言えますが、その自分の中のずれに対して、体は正直でした。いかに頭だけのやる気だったのかも気づきました。

だからこそ教師が勉強し、人間のだれもが持っている力を発揮しないといけない。今の置かれている状況だからこそ、宇城先生から実践を通して感じさせてもらっていることが希望なのだと思います。

先生から生徒との信頼関係を築くことの話を頂きました。本当に信頼関係を築くためには、小手先のテクニックや機嫌取りではないということに気づかせて頂きました。教師の心構えがいかに大切か。頭で考える心構えではなく、真剣に。生徒が、子どもがではなく、自分(教師)がどうであるか。正しい礼をして教室に入る。その姿が生徒に「見えている」「見えていない」が大事なのではなく、自分(教師)がどういう姿勢で教室に入るのか。自分(教師)が強くなるということは、相手を押さえ込んだり黙らせたりするなど対立の中での関わりでなく、包み込んで守るということなのだと思います。そう思うのも、それは教師塾の中で感じる感覚と同じだからです。

今回、「先を取る」ということも実践の中で教えて頂きました。「いま」と思っていることは、すぐに過去になります。先の自分に対して体を動かすと桁違いに力が違います。この「先を取る」ということも、先に動いて相手を倒すのではなく、守ることなのだと思います。世の中は間違いなく、「先を取る」が前者の相手を倒すことに流れています。それは宇城先生から学ばせていただいている「先を取る」ではなく、「先にやったもん勝ち」です。先に攻撃し無力化する。そこに憎しみが生まれます。当たり前ですが、相手にも家族や子どもがいます。そんなことも背負う覚悟もなく、考えることもなく。自分を守るということはそんなことではないはずです。

子どもの将来を考えれば考えるほど、正直不安です。体がびびっているのだと思います。びびらない体・自信をつけないといけないと思っています。人のため、意気込めば意気込むほど逆方向に進むのかもしれません。実践でもありましたが、いかに頭だけのやる気や応援が意味をなさないかということ。目に見えない内なるものの大切さ。見守るということ。

今の自分にできることは、今の自分を隠さず、目を背けず謙虚に捉え、まずは自力をつけること。自分を守ることが相手を、周りを守ることに繋がるのだと思います。

宇城先生が最後に私たちに対して「ここにいる者を守る」という言葉を頂きました。これほど、心強いことはありません。厳しさと優しさ。優しさがあるからこそ厳しく。厳しさが優しさ。その二つは言葉では相反するものであるように感じますが、その二つの感覚はなく一体であるように感じます。

学ばせて頂いていることをすぐに自分が実践すること。自分で次に繋げることができて、ようやく一歩を踏み出したことになると思います。これからです。ありがとうございます。

奈良 田原小・中学校

今回の教師塾で印象に残っているのは、「剣禅一如」です。私は、小学生から今まで剣道をしてきましたが、私が取り組んできた剣道は、先生が仰っていたように、竹刀で相手を打ち合うだけの「竹刀道」だったと気づかされました。昔の侍、武士たちは戦うためだけに刀を腰にさしていたのではなく、刀を抜かずして戦いを治めるということを知り、本当の強さは、力ではなく、「心」だと改めて感じました。これは、宇城先生が実践を踏まえて私たちに、教えてくださる「気」と同じようなものを感じました。筋トレをしても人間本来の力を出せるのではなく、「心」や「気」がこもっているからこそ人間本来の力を出すことにつながるのかなと思います。

私たち教師は、教科指導や、生徒指導などすることも大切ですが、まず教師としての本質、人としての魅力を磨いていかないといけないと改めて感じさせられました。まだまだ、勉強不足で足りない部分が多くありますが、これからも先生にご指導いただいたことを吸収し、自分自身で学び教育現場で生かしていきたいと思います。

また、前回の教師塾で宇城先生が仰っていた、「進歩・成長とは変化することである。変化するとは深さを知る事である。深さを知るとは謙虚になる事である。」この言葉を強く胸に刻み、これからも精進していきたいと思います。

奈良 田原小・中学校

今回の教師塾で印象に残っているのは、「剣禅一如」です。私は、小学生から今まで剣道をしてきましたが、私が取り組んできた剣道は、先生が仰っていたように、竹刀で相手を打ち合うだけの「竹刀道」だったと気づかされました。昔の侍、武士たちは戦うためだけに刀を腰にさしていたのではなく、刀を抜かずして戦いを治めるということを知り、本当の強さは、力ではなく、「心」だと改めて感じました。これは、宇城先生が実践を踏まえて私たちに、教えてくださる「気」と同じようなものを感じました。筋トレをしても人間本来の力を出せるのではなく、「心」や「気」がこもっているからこそ人間本来の力を出すことにつながるのかなと思います。

私たち教師は、教科指導や、生徒指導などすることも大切ですが、まず教師としての本質、人としての魅力を磨いていかないといけないと改めて感じさせられました。まだまだ、勉強不足で足りない部分が多くありますが、これからも先生にご指導いただいたことを吸収し、自分自身で学び教育現場で生かしていきたいと思います。

また、前回の教師塾で宇城先生が仰っていた、「進歩・成長とは変化することである。変化するとは深さを知る事である。深さを知るとは謙虚になる事である。」この言葉を強く胸に刻み、これからも精進していきたいと思います。

京都 立命館宇治中学校・高等学校

教師塾でのご指導ありがとうございました。まず初めに宇城先生のご自宅の写真を拝見し、たくさんの本を読まれているだけでなく、1冊ずつ添削されているということに驚きました。月に3冊本を読むことでも大変なのに、宇城先生は本の内容を批判的に捉え、ご自身の実践とつなげて考えていらっしゃいました。スピードの速さだけでなく、物事の捉え方が全く違う次元にいらっしゃることに改めて気づき、深さのある学びとは何かということを考えるきっかけをいただきました。ただ学んだつもりになるのではなく、検証し、やって見せることができて初めて「できた」と言える。そう考えると、自分が「できる」と思っていることは勘違いで、「できたつもり」になっていたということを痛感します。言葉に重みがないのも、つもりのままでやってしまっているからです。実践がいかに大事かを改めて教えていただきました。

実践では、見守ると強くなるということを体験させていただきました。5人1組になり、1対3の状態で相手を倒そうとしても、3人は倒れないのに対し、倒そうとする人を1人が見守ると3人を倒すことができました。相手を思う心があれば、相手の身体を強くすることができる。まさに愛の本質です。見守るということがいかに大切か。それと同時に見守る側にその意識がなく、相手の潜在能力を引き出すどころか閉じ込めてしまっていることがいかに怖いかということにも気づきました。

宇城先生が気を通すと、その場の空気が変わるのがわかります。目に見えないものを宇城先生は気を通して見えるようにしてくださいます。本来、自分の中に流れている気であったり、自分の中に眠っている潜在能力があるのにも関わらず、そのことに気づけない身体になってしまっている私に、細胞レベルで能力を呼び起こし、身体に変化を与えてくださいます。10人程度で腕を組んで回った時も、自分たちで回ろうとすると足並みが揃わないのに、宇城先生に気を通していただくと回っている感覚がなくなっているにも関わらず、スピードが一気に上がっていきました。みんなで気持ちを揃えようと思っても揃わないのに、なぜ気を通すと足並みが揃うのか。全てはその場を見守ってくださる宇城先生の存在が私たちを統一体へ変えてくださっているからです。大人の人が縦1列に並び、バラバラの方向を向いて立っていたとしても、宇城先生が前に立つとその列は強くなります。これも同じで、宇城先生が見守ってくださるからです。前に立つ人間でその場の空気が変わるということを体験を通じて教えていただきました。

今回も力ではなく相手を思う心が何よりも大切であり、その上で厳しさも踏まえた指導をしていくことが教育の現場では必要であるということに改めて気づかせていただきました。言葉ではなくやって見せること。そのためには、学んだつもりになっているのではなく学びを深めることが急務です。宇城先生という師の存在が、いつも背中を押してくださいます。護るべきものを護れる自分になれるためにも、自分の中にある力を信じ、自分の身体を信じ、歩みを止めずに一歩ずつ前に進んでいきます。いつもご指導ありがとうございます。一人革命ができる自分になるために、日々漸進の精神で学び続けます。引きつづぎご指導よろしくお願いいたします。

奈良 斑鳩中学校

教師塾に参加させていただいたことで、今回もたくさんの気付きと、考える材料を頂きました。その中で今週1週間、私が考えたことは、愛を持って接することの重要さと、雰囲気を感じることが出来ない生徒が増えたのではないか…といった心配です。

宇城先生は、愛のパワーの大きさを、何度も繰り返し伝えていただきました。そこで私は、自分の子供に対する愛情と同じように、目の前の子供たち、周りの大人へも愛を持って接しようと考えました。

すると、至る場面で、自分の子供に対してはどう思うだろう、と考えることが出来ます。間を取ることが出来ました。そして、準備をいつもより大切にできる気がします。先を取れた気がします。周りの大人たちへの愛は自分の中ではまだまだ足りないことに気付きました。周りの大人に対しては、些細なことでイライラしたり、適当にあしらったりする自分がいます。子供たちへは愛情を持って接することで、今までと違う感覚を得ることが出来た気がします。これからも愛情を持って生活していきたいと思います。

雰囲気を感じたり、気づいたり、そういった感覚的な部分というのは、誰にでもあると思っています。しかし、その感じ方にも個人差があって、鈍感になっている人が多いのではないかと思いました。例えば、朝誰もいない神社へ参拝に行くと、何とも言えない空気感が漂っています。凛とした空気、少し張り詰めた緊張感、何とも言えない雰囲気を体で感じることが出来ます。しかし、たくさんの人が来られる時間帯になると、また雰囲気が変わります。朝一番がやはりパワーがあるなと感じます。

このような感覚の部分も、子供たちに伝えて行かなければならない。そう強く感じました。宇城先生が実証してくださる数々の体験も子供たちへ伝えていくことで、子供たちが気付きの力を取り戻すことに繋がると感じました。朝一番の神社への参拝や、掃除をすることによって変化する場の空気感など、積極的に子どもたちへ伝えて行くべきだと感じます。

宇城先生が発する雰囲気、その魅力、その場に集まる方々の雰囲気、その魅力、その心地よさに包まれながら、精進できればと思っています。ただ、決して周りの方々の心地よさに安心して、ぬるま湯に浸かったような状態になるのではなく、刺激を受け、そして、また自身も周りの方々へ刺激を与えることが出来る存在になることが出来るよう、互いに切磋琢磨し合えるように励みたいと思います。今後ともよろしくお願い致します。

奈良 田原小・中学校

今回の講義も、たくさん学びになることがありました。まず、思い起こされるのは、アメリカとスイスの銃の取り扱いの違いについての話です。アメリカでは、銃を用いた事件が起きるのに、更に所有率が高いスイスで、事件を耳にしないのか。それは、銃を取り扱う人の質が違うという話はしっくりときました。決して、市民に大きな違いがあるのではなく、取り扱う人の心が違うのだと学びになりました。人が大切にするものは様々ですが、物価が高くても、その物価で上手に経済、市民生活が回っているのだと感じました。

一方、日本ではどうでしょうか。銀行は、些細な利息を数多く取り、「些細なお金しか取っていませんよ。」ということを装い、結局は自分たちの資本しか回せない。つまりは、社会を回すほどの勇気は無いのです。日本で、銀行にお金を預けていても、何の問題も無いと思う平和ボケした感覚が、とても危ういと思います。

それから、剣禅一致の話。まさか、明治時代から今の時代に通じる考え方が、講義でお聞きできるとは、幸せです。私自身、高校生の時に1週間に1度だけ、約1時間の座禅を組んでいました。目を閉じて、静かに座っていても、やはり何か頭に浮かんできてしまいます。煩悩が邪魔するのです。何も思い浮かばない境地に至るまで、本気で取り組みをしなければ、もちろん無の境地には辿りつかないと思います。肉を断ち、酒を断ち、さまざまな私利私欲を断ち、修行に明け暮れる気持ちがないと、煩悩など、振り払えません。そんなことを考えながら、お話を伺っておりました。

実践講習では、掌を相手の人と合わせて、引っ張られると、手が離れないことが印象的でした。私の後ろの人が肩を掴み、6人ほどの人を、どうしてたった一つの手で動かす力が生まれるのか。そこには、やはり頭で考えても解法のない「気」の存在があるのだと実感しました。まさに「引き出される感覚」というのでしょうか。自然と足が前に出ていきました。宇城先生の手から放たれるものが、自らの手に触れ、自然と引っ張られるような感覚でした。1番前で体験させていただいたので、より強く感じることができることができ、ありがたく感じております。

また、午後の講習会については、様々な年齢層の方が、「気」を引き出されていくところを拝見させていただきました。不思議な体験に笑みがこぼれる人が多くいらっしゃり、その光景を見ている私も笑みがこぼれていました。決して、体験している者だけが嬉しい体験ができる者ではなく、見ていてもあの空間にいるからこそ、自分にも「気」のエネルギーが、溜まってくるのだと学ぶことができました。

3歳の娘は、本当に両手で私を押し倒します。それは、力の強弱によるのではなく、統一体としての力なのだと思います。

講習会に参加していた中高生も、いつものジャンプの仕方を変えると、守備が上手くなることなど、体験してびっくりしていたのが、とっても新鮮で初々しく感じました。気付くことができて良かったと思います。

奈良 斑鳩南中学校

宇城先生の話はいつも気付かない私に気付かせていただきます。今回印象に残ったのは、仲良くすることの大切さを教えていただきました。しかし、自分の勉強不足と自分の弱さを痛感しました。調和していてもしているふり、仲良くしていてもしているふりであることをすごく恥ずかしく思いました。教育に携わらせていただいている立場から自分自身が実力をつけないといけないなと思いました。
私たち教員に力が無ければ、子供たちに影響をあたえてしまい、結果、日本にも影響をあたえかねないなと感じました。学校でも同じで子供たちの持っている力を伸ばすことができていないも多く、子供たちの成長を引き出す教育をしていかないといけないと思いました。
そのためには仲良くすることはもちろん、自分に実力をつけて、ますます勉強していないといけないと痛感しました。昼からは、子供たちも一緒に参加をさせていただきました。

子供たちは呼吸法が印象に残ったようで、今学校でも進んでやっています。その姿を見て、体はその素晴らしさを分かっているんだなと、だから進んでやろうとしているんだなと思いました。
宇城先生に会うことができる子供たちは本当に幸せです。また、

今回は野球部ではない生徒も2名来てもくれました。2人ともすごく今日にを持って、先生の話を聞いており、すぐに自分の生活の中に取り入れようと話をしてくれました。本当に子供たちのスピードは早いなと感心してばかりでした。私が宇城先生になることはできませんが、先生から学ばせていただいたことは子供たちや教員などと実践していくことはできます。少しでも先生の教えを広め、実践していかないといけないと思いました。まだまだ実力不足で勉強不足ですが、先生の教えを心にとめ、丁寧に生きていきたいと思っています。引き続き、ご指導宜しくお願いいたします。

奈良 若草中学校

今回、宇城先生の講習会に参加させていただいて2つの視点で気づきと示唆をいただきました。管理・運営という職務の中で自分の役割がどうあるべきか何をすることが子どもたちの未来への教育につながるのか日々自問自答する毎日です。そんな中で今の職責として大事な役割に全体として同じ方向にむかって意識をまとめそれぞれの教員の力が発揮しやすい空気をつくっていくことがあります。

宇城先生の講習の中で見守る力の講習がありました。目線がばらばらだと集団として押されても弱く、目線をそろえると大きな力で強い。皆が同じ方向をみることの大切さを教えていただきました。さらに周りのものがみんなで一人を見守ることで見守られた人が大きな力を発揮することができる。見守る力の凄さを体験させていただきました。私自身、しっかりと子どもたちを見守り、教員集団を見守ることを実践していかなければならいと強く感じました。

先生のお話の中で現実の集団(学級やチーム、職場等)というのはそれぞれが違う思いや考えをしているのが普通である。その中で目線を揃え大きな力を発揮させることができるように指導者や上に立つものは自らの力を高めていかなければならないと仰いました。
日本の伝統的な考えとして「和」という考え方があり、「和とはそれぞれは違う個性をもっているが全体としてまとまっている、これを和という」というお話をうかがったことがあります。私の役割ミッションだと思います。本当に力不足を実感させていただきました。日々の実践を積み重ね自分自身が調和する力を高めていきたいと思います。

もう一つの気づきとして次代を担う若手の教員の育成にどう向き合うかのヒントも先生からいただきました。「やってみせる」ことで「うつす、気づかせる」。講習の中で教えていただいた「空気をかえる礼」や「姿勢」、「先を取る」など日々実践していくヒントをたくさんいただきました。

今の時間から行動すると衝突して遅くて弱い、時間軸を先に心を移して行動すると早くて強い大きな力が発揮できることを教えていただきました。時流を学び、読み、現実を受け入れ入っていく中で「先を取る」ことを心がけながら日々生活の中で実践を積み重ねていきます。そのことが時代を担う若者や子どもたちに伝える「うつす」ことにつながるのだと思いました。

奈良 斑鳩中学校

以前から、宇城先生の著書は読ませていただいておりましたが、自分自身が体感させていただくことは初めてでした。3人1組になっての綱引きの際、『力』で頑張るぞ!と大きな声をだしていた時と『気』で正座の姿勢からはじめさせていただいた時の違いに驚かされました。相手がどうであるかではなく、自分自身の中身に秘密が隠されていることに気づくことができました。ただ、『気』の力でパワーアップしたのではなく、元々の潜在能力が表れているのだということを、午後からの講演会の中でお子さんが検証している姿から教えてもらいました。子供は素直で『気』の持つ潜在能力を引き出しただけであり、大人も同様に潜在能力をもっているが、引き出すことが容易にできていないことを実感できました。自分自身、学校現場で子供たちと成長させていただいている中で、子供たちの本来の姿を導きだせずにいることが悩みとなっています。自分自身が出す『気』が子供たちの『気』のリズムを乱しているようでなりません。非常にくやしい思いですが、子供たちが出す『気』と自らの『気』の違いからそれを気づかせてくれているのだと思うようになりました。

武士道の中での、礼に対する視点にも興味を持ちました。礼をすることで、場の空気感が変わる。当日、その感覚を強く感じることができました。相手を尊敬し、礼をする。自分を整えるために礼をする。場の空気感をつくるために礼をする。礼にもさまざまあり、作法やしぐさのなかでそれを無意識レベルですることができたらなと思いました。自らの礼や『気』からその場全体にパワーをおくり、実践でもあったように誰かに力をおくれる人でありたいと思い、小さな実践を繰り返し続けていきたいと思います。

奈良 若草中学   

私自身、今年度実施頂いた4回の教師塾に毎回参加させて頂き、その会場では多くのエネルギーを分けて頂いておりますが、それを子ども達に繋げていくことが難しく、まだまだ頭で考えることが先行してしまっている現状です。

今回一番強く感じたことは、集団の中の全員が同じ方向を向かなければならないのではなく、1人でも変わることが出来たら、全体の空気・空間が変わり、そこから全体が良くなるということです。

最後に実践頂いた、8人程のグループのうちの一人にだけ宇城先生に気を通して頂くことで、全員の足が揃い、ものすごいスピードで回転することができました。

今までもグループでの回転を経験はさせて頂いていましたが、今回は実際に気を通して頂く側の立場になることが出来、気を通して頂く前と後の違いを肌で感じることが出来ました。

あの時は全く思考を使うことなく、細胞で動きを感じられていた感覚を覚えました。恥ずかしながら、細胞で動く感覚を覚えたのは今回が初めてで、ものすごい衝撃を受けました。

ただ、いざ子ども達にこの感覚を伝えようとすると、どうしても頭で考えてしまい、上手く伝えることができません。これは、自分自身まだまだ勉強が足りず、成長をし続けることが出来る証拠だと思います。

奈良 大淀高等学校    

この度の教師塾ならびに京都実践講演会でのご指導、そしてその後の懇親会でのひととき、誠にありがとうございました。全てが盛会となりました。一日中、先生の気に包まれ、充実した時空で過ごさせていただきました。ますます私のこの身体にはやる気と元気がみなぎり、本当に感謝しかございません。

私は、この宇城先生の気に包まれた教師塾における各先生方の学びと気付きが、それぞれの日常における実践・行動へとつながり、自他の希望と成ることを信じ切っております。我々は、「学びオタク」ではございません。さらに、実践・行動を通して「本来人間が持っている力を引き出す教育」を生徒に対して行う前に、先ずは自分自身に対して実践すること、先ずは自身が身につけることが肝要です。

出来ない、出来ていない、身についていないのに「言葉や文字」で教えている。出来ていないのに「知名度・肩書き」で教えてしまっている。このことに気が付けば、否応なしでも苦しさを味わい、危機感に襲われます。しかし、そこから逃げてはいけません。襲われることで心身が活きてきます。出来る、出来ないということよりも、真っ直ぐに向かうこと。真っ直ぐに心を込めて前へ向かうこと。このことは宇城先生が示してくださっています。出来る心身を取り戻すこと、形成し直すこと、先生を映すことが求められます。先生曰く、「哲学、宗教には限界がある」統一体の形成を。そして、先ずは自分を護ることです。

「死ぬこと以外はかすり傷」。これも宇城先生のお言葉です。傷とは、怪我や病気のことではなく、内面のそれを指すかと。すなわち、いちいち傷ついて悩み、落ち込む暇があれば、行動せよと。まさに、「下がる暇があれば前へ出ろ」です。

「その悩み、悩み続けたら解消するか?」 「いえ。」

「ということは、悩んでも仕方のないことで悩んでいるということだろ。」 「はい。」 

教師のおかれている状況は、拍車をかけ、大変厳しいものとなっております。逃げも隠れも、言い訳も無用です。全てオープンです。

もっともっと勉強をして、実践を通して実力をつけて先をとる。この自分自身、家族、同僚の先生、管理職の先生、教育委員会の方々、保護者、何より子ども達と一体となって共に前進あるのみです。全てとの調和融合です。

フィンランドの教育が昨今を問わず着目されています。関連する著書を何冊か読み、フィンランドの歴史、そして何故、現在のような教育哲学、組織、仕組みになっていったのかを知ることが出来ました。

我が国と比較し、フィンランド教育のいいとこ取りやうわべの手法(組織・仕組みは変わらないので)を真似るということで多少は何かが変わるでしょう。しかも一瞬。

「人間性の進化」、「今にあわせる変化は見切った」。203号季刊道の文中にあった、まさに宇城先生の生き様を象徴したこの言葉を、具体的に今回の講義におきましてもお示しいただきました。

「進歩・成長とは変化することなり。変化するとは深さを知ることなり。深さを知るとは謙虚になることなり。」

自分の信念(=柱)という狭い、つまらないものなど、どんどん捨て去り、過去にしがみつき、過去を引きずったような「今」も断ち切っていく。そんな自身だけの柱(=自己中心)など、どんどん捨て去って、拭い去って、どんどん回転を早め、真の中心を形成していきます。中心を濃くしていくということは、そういうことかと。

「日本としての誇りを持ち、自国の理念と信念を持つべき。」(宇城憲治)

精進いたします。今後ともご指導、何卒よろしくお願い申し上げます。