2022年 東京・B 第4回(2022.8.9)

日常の行動においては、「心から入る」「心から入っていたか」が自然と心に沸き立つようになり、所作の指針として芽生えつつある

東京 保険代理店業 56歳 男性 MW

隊列を牽引する実習において、手をつなぐ行為に意識が先行していた塾生に対し、宇城先生が「心から先に入らなければだめだ」とご指導されていました。

この言葉を聞いた瞬間、なぜか心が震え危うく感涙しそうになりました。
「これは何だ」とずっと考えてきましたが、しっくりとした答えが浮かびません。

ただ、日常の行動においては、「心から入る」「心から入っていたか」が自然と心に沸き立つようになり、所作の指針として芽生えつつあるように思います。

自身の勉強の質量や、勉強の仕方を見直さなければいけないと強く思いました

東京 NPO理事長 60歳 男性 HT

感知の仕組みについて、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で感じることに関しては、違和感があると先生はおっしゃいました。
そして、哲学の感知の仕組みとして、カントの世界観を挙げられ、それは「気」に通じるものがあると述べられました。
カントは以前少し読んだことはありますが、難解でとても読み切れませんでした。先生が語られたような文脈は、正直思いもよらないもので、自身の勉強不足を痛感させられました。

次いで、対立ばかりの今の世界と調和の世界との違いに関して、「時間」という概念を軸に、速さが全く異なることを教えて頂きました。
「速さ」については、先生がいつもおっしゃる「老人がいた、席を譲ろうか。」ではなく、気が付いたら「老人に席を譲っていた」
その位の速さでなければいけないということを想起致しました。
実技の際にも、我々がモタモタしており、そんな速さでは駄目だということを、厳しく指摘頂きました。
速さというものを、日常生活の中に、しっかり組み込みたいと改めて思いました。

実技では、がっちり組んだスクラムを横から押したり、7人一組で最前列の人を引っ張る等の体験を学ばせて頂きました。いずれも、いかに「調和」が大事かということを体感致しました。

最後に、順番が前後しますが、冒頭にかつての朝鮮使節団が日本を訪問した際のビデオを視聴させて頂きました。当時の日本がいかに朝鮮より優れているかという内容でした。
正直、ある種の違和感、非常に恣意的に作られていることは何となく感じたのですが、では具体的に何がどう違うのか、何が真実なのかは、私の力では分かりませんでした。

勉強、勉強、勉強あるのみと、先生にはいつもご指導頂いていますが、やはり自身の勉強の質量や、勉強の仕方を見直さなければいけないと強く思いました。

日々毎日を筋肉主体の部分体ではなく細胞一つ一つまでを意識した統一体の状態で過ごすこと、それを改めて肝に銘じて参りたい

神奈川 会社員 54歳 男性 YO

ウェブ上にアップロードされた動画を見て、それがどういう意図で公開されたものなのか正しく判断するには知識だけではダメなのだというお話、大変興味深く拝聴させていただきました。正しく知ろうにもその手段がなく、それでも正しく判断しなければいけないという場面には、人間である以上はよく出会う事。そんな時どうするか。

その答えが「気」にあるというのは、まさにその通りだと思えるのです。気は心の動きから発し、それには調和する心をまず持つことが前提となる。それによって次元が変わり、新しい世界が見え、それによって正しい判断ができるようになる。言葉で言おうとするとうまく表現できないのですが、確かにそのような瞬間に、先生の教えに触れることで出会えるような、そんな感覚があるのです。

頭だけで考え込んで体を居付かせてしまうのではなく、0.5秒未満の無意識の時間に生きられるよう、日々毎日を筋肉主体の部分体ではなく細胞一つ一つまでを意識した統一体の状態で過ごすこと、それを改めて肝に銘じて参りたいと存じます。

世の中の細胞の一つとしてどう生きるべきかを問いながら日々を生きたい

千葉 会社員 53歳 男性 YT

講義の冒頭で朝鮮通信使の動画を見せていただきました。
若干の違和感を感じましたが、日本は韓国に比べて優れていたという内容の動画でした。
飛鳥時代には大陸や半島から工人を招いて素晴らしい建築物を作りました。
何が正しいのかは分かりません。
分かるのは常に勉強しなければならないということです。

余剰次元というお話を伺い、3次元が9次元である可能性があるということを知りました。 
腕が伸び縮みする実証で、脳の理解を超えた事実を知り、頭ではわからなくとも身体が感じることを知りました。

勉強しなければ、学ぶ気持ちを持たなければ今何が起こっているのか、このままではどうなってしまうのかも分かりません。
「国民はバカだから」と言われるように、奴隷化し搾取されるだけの存在になってしまいます。

トルーマンの3S政策(スポーツ・スクリーン・セックス)で日本人は骨抜きにされ、給食に小麦粉や牛乳を与えることで食生活は変えられました。
輸出食材には米国内で禁止されている添加物が加えられ、輸出食肉には多量の抗生剤が含まれています。
薬漬けになった日本人は2人に1人ががん患者となり、米国の保険会社が求める大きな顧客となっています。
日本人を家畜化するという意味ではほぼ成功したと言っても良いかも知れません。

陰謀論のようですが、安倍元首相の事件も不運な逆恨み事故ではなく、疎ましく思う国内外の意思によるものだと考える方がしっくりきてしまいます。

米国大統領がイランの司令官暗殺を指示しても罪に問われない、ロシアの大統領が他国を侵略しても国際社会は有効な対策ができない時代に何をどう考えたらよいのか。
明確に分かるのは皆自分のことしか考えていないということです。

1+1=2と答えて腕を前に出すと強い。
1個+1個=2個と答えて腕を前に出すと弱い。
何故か? 
1個はみかんかも知れないし、リンゴかも知れません。
1個は大きいかも知れないし、腐って食べられないかも知れません。
頭ではわからなくても身体は違和感を感じていました。

日本では鷹は卵を二つ産み1羽を育てると伺いました。
環境の良いところでは卵を3つ生み2羽を育てる。鳥も動物も環境に応じて育てられる適性を知っているということです。

人類も同様、今の日本では政治や世の中に怯えを感じています。
先が見えなくて不安な時代に子供を産んで育てようとはしません。
全てがつながり腑に落ちました。

他人に寄り添う。対立ではなく調和する。
スポーツで相対的な勝利を求めるのではなく武道の心で敵は弱い己自身だということを知る。
答えは全て道塾の中で学びました。

疑問に感じたことは考える癖をつける。身体で感じたことには真摯に向き合う。
世の中の細胞の一つとしてどう生きるべきかを問いながら日々を生きたいと思います。

先生の教えには実体があり、事実のなかの真実があります

神奈川 会社員 35歳 男性 NS

今回の道塾で、あらためて私達国民ひとり一人が勉強をし、自立した人間になっていかなくてはならないという思いを強くしました。

今の日本の政治がこれだけデタラメなのは私達国民が勉強をしていないから。はっきり言えば私達国民が馬鹿だからその嘘や矛盾に気づけません。すなわち私達自身が自分のことしか考えていないということだと思いました。

無関心だからこそ気づかない、気づけない。
先生がいつも仰られている「気づいた時は手遅れ」ということ。
他に依存して「なんとかなる」と思っている自分。まさにバーチャルであり、なんとかはならない。

自分の勉強の無さ、無責任さ、関心がなく、ボケている自分を痛感致しました。

元々決まった答えがある問題に対して暗記の勉強ではなく、ひとり一人に考える力を養う、本人に考えさせる勉強。私達が受けた教育は、ティーチング(教え込む、詰め込む)勉強。

学び方も教える→学ぶという受け身の姿勢です。その姿勢は、世の中の事象に対しても当然受け身となり、自分に火の粉がかからなければ関係ないとする無関心の姿勢です。

無意識に「自分さえ良ければ…」という心があるからこそ世の中の事象や政治に関しても我が事として捉えることが出来ず、関心を寄せることができません。プロパガンダにも気付かず世間の情報をそのまま鵜呑みにし流されている自分。

何が真実かも分からずその時は、すでに思考停止となっている自分であり、打つ手なしの「気づいた時は手遅れ」だということ。

先生のお話を聞き、今の延長線上の教育、仕組みでは日本沈没は本当のものとなってしまうと感じました。
だからこそ先生が常に実践で実証してくださる教えが自分が変わる、日本人が変わる、日本が変わる唯一の道であり希望です。

真実だと思い込み今まで受けてきた従来の教育は、知識というバーチャルに過ぎず、先生の教えには実体があり、事実のなかの真実があります。

塾生が3対3でがっちり組んだスクラムを横から力で押してもびくともしません。これはスクラムの人数が増えれば増えるほど私達には押して倒すのは不可能です。しかし先生はこれを人数がいくら増えても関係なく、いとも簡単に倒してしまいます。

先生の体験講習会などでは、この検証を大人がいくら頑張ってもできないのに対して子供は倒すことができます。

しかし「スクラムを倒せた子供」の事実に「スクラムを倒せない大人」がいくら理屈付けてもそこに真実はなく、できた人の事実のなかにしか真実がないことをあらためて教えていただきました。

多数決で何が正しいかが決まるのではなく、実際にできる事実が先。そのバーチャルでない事実をストレートに受け取ってくれてくれるのが身体。
スクラムを倒すとき、教科書を読んだり、筋トレをいくらしても倒すことは出来ません。今の常識には答えはなく、返ってますます出来なくなります。

先生からは、お腹が痛い人がいたら「大丈夫ですか?」と両手を添えて寄り添う教えを賜りました。そのことで寄り添った人はスクラムを倒すことができました。
また、寄り添われた人もスクラムを倒せました。

「寄り添う」ことによって宇宙からとんでもないエネルギーを受け取ることができる。今の常識では考えも及ばない劇的な変化を与えてくれるエネルギー。
それが先進国のなかの先進国になる日本の唯一の道なのだと思います。心を取り戻し、心ありの人間になること。

対立から調和へ向かうこと。だからこそまず自分が変わること。気づけば仕事の愚痴や言い訳、他人を非難する今の自分では話にならない。他人ではなく、すべては自分。

また、礼をして連なった列を引く実技が行われたなか宇城先生が敬礼をされた姿は全身が震えるほど感動致しました。

「昔の人は命をかけて敬礼をしていた」、「だから敬礼は見ている人が涙が溢れるようなものでなくてはならない」。

宇城先生のお言葉通りにその先生の姿に全身が震え、自然と涙が込み上げてきました。感動は理屈抜きです。

また別の実証で杖を使う際に、塾生が先生に渡そうと持った瞬間「その杖は曲がっている」と瞬時に指摘されました。
私達は先生が指摘され、始めてそのとき「曲がっている」と認識します。

私達は見ているのに気づけない、瞬時に認識できない。それだけ普段から身体の緊張感もなく、ボーっとしている自分がいる。

ボケている自分がいることを痛感致しました。この身体でいざと言う時に動けるのか。今の身体では間違いなく動けない。今の中に未来があること。

気づいた時は手遅れにならないよう普段から事理一致の稽古と実践ですべては自分の修行という心構えを持ち、先生の寄り添うという教えを土台に心ある人間になれるよう精進して参ります。

「今」の中に未来があるということが、実感として、少し理解できるようになってきた

神奈川 自営業 女性 KF

益々危機的な状況が募る昨今、この状況を何とか乗り越えるためには、
先生がおっしゃる通りに寄り添う心で生き、自らの調和のエネルギーを大きくすることを目指して、日々努力すること以外ない!と思えて参りました。
そして勉強すること。
巧妙に作られたプロパガンダを見抜くためには、こちらも勉強して賢くならなければならないのだ、と。

そして、本当に身体は先に分かっているのだ、ということ。
足し算の検証では、個数をつけると正しいと思われる数を答えても身体は弱かった…これは驚きでした!
具体性を欠いた曖昧なことでは、身体は納得しないのですね。
「正しい」ということについての 私たちの身体の反応は凄いです!
この細胞の凄さをもっと信じて、そのメッセージをしっかりキャッチできる身体に戻さなくては!と心底思いました。

そのことと関連して、「寄り添う」姿勢で気が通り、列を崩すことが出来るという検証で、私も実践させていただきました。
ただ、最初なかなか押せなかった。
最終的には何とか押せたのですが、先生からも「まだ少し呼吸が止まる」とご指摘を頂きました。
そのことについて、思い当たることがありました。
ご指名を受けて「ちゃんと押したい」「上手くやりたい」という「欲」が心中に湧いていたように思います。
「欲」が自分を小さくし、調和を阻害して孤立させ、呼吸を止める…全て正直に出てしまう、怖いな、と思いました。
心身一如…全ての根源は心…。

また、時間のスピードが遅いことも、直さなくては、と思いました。
検証でどなたかと組む時に、私は割とあぶれてしまうことが多いのです。
ぼーっとしている性格でもあるのですが、ぼーっとしていなくても、周りの様子を窺ってから行動を決める癖があるのだと思います。
電車でお年寄りが乗って来た時でも、パッと行く前に、ついお年寄りの様子を窺うことが先行してしまいます。
そしていろいろと状況を考えてしまう…。
これは「忖度」に通じる、悪い癖かも知れないな、と思いました。

深層心理の中で、身体・細胞では、既に未来は始まっているのですね。
だから、常に、いつでも、心を開いて正しい礼が出来るように自分を躾け、常に、いつも、ハグする気持ちで人に愛をもって接する自分にし、
常に、いつも、寄り添う心でいられる自分にする。
深層心理にまで浸透するように。
細胞で動けるように。
先生のおっしゃる通り、「今」の中に未来があるということが、実感として、少し理解できるようになって来たように思います。
24時間、常に修行なのですね。

ありがとうございました。