2025年 大阪・B 第1回(2025.2.4)

先生の気を通していただくと、真っ直ぐ前に進むことができ、正しい判断と方向性に導かれると感じました。

奈良 美容室経営 40代 男性 KO

今回、宇城先生のご指導を受ける中で、私は自分の中にあった不安や焦りに気づくことができました。
それらは無意識のうちに存在しており、これまで自覚すらしていませんでした。
このような自覚のない不安に気づくことができたのは、今回の道塾での学びのおかげです。

私は現在、仕事において非常に重要な時期に立たされていると感じています。
経営者として未来に対する不安や迷いは最も大きな障害となり、決断力の欠如は大きな問題であると痛感しています。

宇城先生のご講義で、相手の手を思いきり叩くという動作を行った際、細胞が強く反応し、その反応が周囲に伝わることを学びました。
不安や恐れといった目に見えないものが、どれほど周囲に影響を与えるかを実感しました。

迷いや不安を感じている中で、決断を避けることが最終的に自滅につながると感じました。
そのため、これを解決する方法は、宇城先生が教えてくださったエネルギーにあると確信しています。

これからの時代には、小手先の策や一時的なアイディアは通用しないと感じています。
列を作った人々に対して、宇城先生のエネルギーは押すことも引くこともでき、そのエネルギーは人々がついてくるというお話を伺い、自分が変わることが周囲に影響し、最終的には良い結果を生むことを理解しました。

先生の気を通していただくと、不安や痛みが消え、細胞が強くなります。
そうした力が与えられることで、真っ直ぐ前に進むことができ、正しい判断と方向性に導かれると感じました。

地球の重力や宇宙のエネルギーをもらえる環境にいても、自分の方で遮断している愚かさに気づく瞬間でした

滋賀県 高校教諭 60代 男性 TF

常識ではあり得ない事象を身をもって体験することで、普段の生活を送っている自分では全く考えもしなかったことに気づくことができるということを教えていただきました。
またそこから未来への希望が見えるということを体感しました。

この視点からもう一度普段の自分を見返した時、いかに不安や怯えの中にいるか、それから目を逸らそうとしているかがわかります。
いや目を逸らしていることさえ、自覚せず、ないものとして不安や怯えを意識の外に追いやっているのだということに気づいていない自分がいました。

それでも実は身体が一番知っていること、細胞が既に答えを出していることに驚きを感じています。
実は、道塾へ行く前になるとなんとも言えず不安になります。
自分の心に問い返してみると、不安や怯えをひたすら隠して平気に日常を送っているつもりの自分を、宇城先生に一発で看破されることに怯えているのだと思います。

真面目なフリや調子のよい感じで自分を誤魔化す癖が染みついています。
それが道塾に来ると、全部剥がれ落ちる。剥がれ落ちて何もなくなるのではなく、自分の身体の中に確かなもの、温かなものとして残る。そんな感じです。

両側から足をがっちり押さえられると、足を持ち上げようと必死になるほど動かすことができませんが、一旦大地に踏み込むようにするだけで、地球からエネルギーをもらって嘘のように軽く足が上がりました。
地球の重力や宇宙のエネルギーをもらえる環境にいても、自分の方で遮断している愚かさに気づく瞬間でした。

また、力いっぱい振り下ろした拳を打ちつけられても、先生に気をかけられている方の手は守られて痛くなく、下ろした方の手が痛いという事実。
これまでの実証の中で、そうなることが先にわかり、そのことが当たり前に思えている自分に、後で考えると不思議な感覚を覚えています。

まだまだ全然、頭で考えてしまう自分から抜け出せませんが、目指す方向だけは間違えず、横着せず、感謝と謙虚の心を求めていきたいと思います。

言葉でも根性論でもなく、細胞からくる「受けて立つ」

兵庫県 理学療法士 40代 男性 YF

今回、ゲンコツを手の甲で受けるという検証を体験させていただきました。

まず、他の塾生がゲンコツをテーブルに打ち付けるのを見てビビっていました。本当に大丈夫かと。
まして、先生から目を手で隠せと言われ、より恐怖しかありませんでした。いつ来るかわからない恐怖。全身で感じていました。

しかし、先生に気を入れてもらうと全く恐怖心もなく、心平穏でした。
実際、ゲンコツを受けても痛くなく、その後も翌日も全く痛くなく普通でした。

この時の感覚、「大丈夫」という感覚は、目を隠していたからよりわかりやすく、本当に不思議で言葉に表せない、体験しないとわからない感覚でした。

しかし、講義の一番最後に先生が「受けて立つ」と言われた時に、なるほど、と思いました。
まさにこれが本当に「受けて立つ」という感覚なんだと。

言葉でも根性論でもなく、細胞からくる「受けて立つ」。
受けるけど、いつでもなんでも受けながらもできる感覚。受けるだけではないんだと思いました。
目を隠していていつ来るかわからないので、逃げることも、打たれる瞬間に力を入れて防ぐこともできない。
でも気を入れられると、いつ来ても大丈夫。「受けて立つ」とはこんな状態なのだとわかりました。

先生は「これが自分でできないといけない」とおっしゃられました。
まだまだ遠い道のりですが、体験することによりその感覚は細胞に刻まれたので、それを元に修行していきたいと思います。