2022年 大阪・B 第5回(2022.10.5)

子どもを叱る時には先に愛情の電波が出なければならないという言葉は特に心に響きました

千葉 会社員 53歳 男性 YT

宇城先生いつもご指導いただきありがとうございます。
 
板書された生と死、0ー有ー0という言葉は、一周して最初の0に帰っていく輪廻のような繋がりや連続性を感じました。一周すると消えるこの輪の中で他者と関わっていくのが人間なのだと思います。
 
生きている、生きる、生かされているという言葉に、自分や他者とのわだかまり無く、地球の細胞として生かされたいと思いました。
 
電車で席を譲った際に「健康の為に立ってるんだ」と断る人は相手の好意を受けとめてあげられない人だと伺いました。たとえ次の駅で降りるとしても「ありがとう」といって座ってくれたら嬉しい気持ちになります。次の駅で降りても、気を遣って座ってくれたことに心が温かくなるでしょう。
自分が「健康の為に立っている」という人ではないか。
日々の生活で自分以外の人や出来事に丁寧に関わっていかなければ、知らないうちに周りや身内を傷付けてしまいます。
自らの行動を省み、相手を想う心を持ってまいります。
 
子どもを叱る時には先に愛情の電波が出なければならないという言葉は特に心に響きました。
怒りが先に出ていないか。相手の思いを理解しているのか。原因は何なのか。どう伝えたらわかりやすいのか。
大人が突き放してしまえば行き場を失ってしまいます。何が一番大切で何を守らなくてはならないのか。思いが伝わらないもどかしさは大人のエゴなのかもしれません。
希望を求め過ぎると絶望ばかり見えてきます。
心をニュートラルにし距離を持って見守ることが大事なのだと思いました。
 
宇宙に生かされていることを考えればどれも瑣末なことなのかもしれません。その瑣末なことに丁寧に向き合うことが大切なのだと思います。
 
いつも大きな気付きをいただきありがとうございます。

無意識のレベルで他と調和出来きるようになるのが修行だと思います

兵庫 会社員 63歳 男性 YK

二人で肩を組んで、いがみあった気持ちでいると弱くなり、互いに親しみを持つとエネルギーを得て強くなるという実践は、何度やっても再現します。相手と調和が成立したと感じた瞬間に二人の間に地面と繋がる安定感のようなものが発生します。

愛はエネルギーであるという言葉は、一般的には何か精神的な教訓を表すものと捉えられているのではないかと思いますが、これは精神論ではなく物理的なエネルギーだと体感出来る人が、現代の物質至上主義の世の中では極めて少ないのではないでしょうか。このエネルギーは顕在意識を通過すると発生しないことも体感を難しくしている理由だと思います。

辰巳先生が心を込めて豆を擦ると、一般にはあり得ない栄養分が突出して出るというお話も、精神論ではなく使える技術としての心構えですね。

以前から、夫婦や家族は誰か一人だけが幸せになることは出来ない、全員が幸せにならないと幸福感は得られない共同体だと思っています。人と心を合わせる、寄り添うとエネルギーが得られるという事は、家族と同様、自分と縁のある全ての人々が幸福にならないと自分も幸福になれないという大きな共同体の中で生きているのだと最近理解しました。無意識のレベルで他と調和出来きるようになるのが修行だと思います。