千葉 会社員 53歳 男性 YT
宇城先生いつもご指導いただきありがとうございます。
板書された生と死、0ー有ー0という言葉は、一周して最初の0に帰っていく輪廻のような繋がりや連続性を感じました。一周すると消えるこの輪の中で他者と関わっていくのが人間なのだと思います。
生きている、生きる、生かされているという言葉に、自分や他者とのわだかまり無く、地球の細胞として生かされたいと思いました。
電車で席を譲った際に「健康の為に立ってるんだ」と断る人は相手の好意を受けとめてあげられない人だと伺いました。たとえ次の駅で降りるとしても「ありがとう」といって座ってくれたら嬉しい気持ちになります。次の駅で降りても、気を遣って座ってくれたことに心が温かくなるでしょう。
自分が「健康の為に立っている」という人ではないか。
日々の生活で自分以外の人や出来事に丁寧に関わっていかなければ、知らないうちに周りや身内を傷付けてしまいます。
自らの行動を省み、相手を想う心を持ってまいります。
子どもを叱る時には先に愛情の電波が出なければならないという言葉は特に心に響きました。
怒りが先に出ていないか。相手の思いを理解しているのか。原因は何なのか。どう伝えたらわかりやすいのか。
大人が突き放してしまえば行き場を失ってしまいます。何が一番大切で何を守らなくてはならないのか。思いが伝わらないもどかしさは大人のエゴなのかもしれません。
希望を求め過ぎると絶望ばかり見えてきます。
心をニュートラルにし距離を持って見守ることが大事なのだと思いました。
宇宙に生かされていることを考えればどれも瑣末なことなのかもしれません。その瑣末なことに丁寧に向き合うことが大切なのだと思います。
いつも大きな気付きをいただきありがとうございます。