兵庫 会社員 63歳 男性 YK
他人を思いやる時、思いやった人も思いやられた人も共に統一体になり、エネルギーを得て強くなるという実践で、先生が「子供は一度やるとずっと変わるが、大人はそれがエクササイズになるので、2、3回で効果が無くなる」と仰った事の意味をずっと考えています。
それは、思いやる動作が最初は心を誘起するが、繰り返すうちに成功するためのノウハウと化し、心を伴わなくなるという事ではないでしょうか。
頭で理屈を付けて考えるという事は、心や感情や体感などの精細な情報を捨象してスカスカの虚像を作る事に等しいのではと考えるようになりました。
砂浜の白い砂を小石用の篩に掛けて、何も残らないような事を我々大人はやっているのでしょう。
このような分析も、理屈をこね回す愚行かもしれません。我々が持っている言葉やイメージは実態ではなく、些細な情報量のシンボルに過ぎないので、元の情報量に還元する事は出来ません。
数学や物理理論も同じように万物の一部を表現する道具でしかなく、気のエネルギーや心のエネルギーを説明する事は出来ないのだと思います。
深さを知るという事は、頭で理解しようとするのではなく、精細な情報を丁寧に感じ取る姿勢だと思います。調和するという言葉は簡単ですが、実際に周りと調和することは、子や孫に自然と接するように自分の命の延長線上に対象を置くという、とてつもなく深い愛情が必要なのだと思います。