2022年 大阪・B 第4回(2022.8.4)

深さを知るという事は、頭で理解しようとするのではなく、精細な情報を丁寧に感じ取る姿勢だと思います

兵庫 会社員 63歳 男性 YK

他人を思いやる時、思いやった人も思いやられた人も共に統一体になり、エネルギーを得て強くなるという実践で、先生が「子供は一度やるとずっと変わるが、大人はそれがエクササイズになるので、2、3回で効果が無くなる」と仰った事の意味をずっと考えています。 

それは、思いやる動作が最初は心を誘起するが、繰り返すうちに成功するためのノウハウと化し、心を伴わなくなるという事ではないでしょうか。

頭で理屈を付けて考えるという事は、心や感情や体感などの精細な情報を捨象してスカスカの虚像を作る事に等しいのではと考えるようになりました。 
砂浜の白い砂を小石用の篩に掛けて、何も残らないような事を我々大人はやっているのでしょう。 

このような分析も、理屈をこね回す愚行かもしれません。我々が持っている言葉やイメージは実態ではなく、些細な情報量のシンボルに過ぎないので、元の情報量に還元する事は出来ません。 
数学や物理理論も同じように万物の一部を表現する道具でしかなく、気のエネルギーや心のエネルギーを説明する事は出来ないのだと思います。 

深さを知るという事は、頭で理解しようとするのではなく、精細な情報を丁寧に感じ取る姿勢だと思います。調和するという言葉は簡単ですが、実際に周りと調和することは、子や孫に自然と接するように自分の命の延長線上に対象を置くという、とてつもなく深い愛情が必要なのだと思います。

何年も前に教えていただいていたことを今となってようやく繋がり、はっとしました

兵庫 理学療法士 44歳 男性 YF

今回印象に残ったのが「時間」、次につなげるということでした。
前回でも言われてましたし、今回もゴミを拾う実技でも、言われて拾うのと相手のために拾うのとで違い、相手のためだと身体が強くなるという検証をさせていただきましたが、その理論に先生が「次」があるからではないかと言われていました。

その時に何年も前に、座っていて立とうとする時、上から抑えられると立てないが、座る時に立つことを考えて座ると抑えられても立てると教えていただいたことを思い出しました。
何年も前に教えていただいていたことを今となってようやく繋がり、はっとしました。

前回も過去→現在→未来とつながっているから、座り方を正座やあぐらと体育座りとの違い、すぐに動く事ができるかどうかや、靴を並べることにより次履く時に履きやすいなど、「次」があるかないか、それが時間なんだと思いました。

それは、次動く時のために、次使う時の為に、次の人の為に、次の世代の為になど。

そして、次がなく今さえ良ければと言うのが自己中心的で、先生がよく言われている事なんだと。

また、今回は今の5歳の子の20年後は今の25歳ではなく、これからの20年後の25歳を考えないといけない、それを教えてくれるのが過去である、と先生はお話しされました。

ちょうど5歳の息子がいる私には考えていた時間軸が違う、と同時に、未来がどうなっているかわからないからこそ変わらない物、先人が残してくれている物を学びながら新しいことも学んでいく、「温故知新」なんだと思いました。

今回の講義でも先生がお話しくださった「思い」や「よりそう」なども私が先生から学んでいることは自分の為だけでなく、子供そして周りの人の為になるように、一つ一つ丁寧に学び行動していこうと改めて思いました。