「相手を変えるのではない」「自分を変えること」
奈良 教員 37歳 男性 TN
現在のコロナの死亡者数を8月だけの自殺者数が上回っている現状にはびっくりしました。毎日、速報として新たな感染者数の報道があり、世間をあおるような報道をしているので、今日は東京〇〇人か、私も気をつけないといけないなと知らず知らずのうちにインプットされていましたが、自殺者数などの違う観点からも現状を捉えていかないと思いました。これも、自分が3次元のままでいるから、その情報も鵜呑みにして踊らされているからだと思いました。
日本や欧米などの感染者数の違いには、コロナ以前からもマスクを着用するしないの習慣(文化)の違いがあるとも思っていましたが、実証においてマスクの着用の有無で相手を投げることに変化が生まれることを見て、仮にマスクの有無で感染者数の増大の歯止めになったとしても人間的成長にはつながらずに、逆に下降していくことにつながると感じました。 保育士の映像でもありましたが、1、2歳児の成長にとっては「愛情」という表情が大事であり、そこを正しく育てていかなければ、発達障害にもつながっていっていしまう弊害も懸念されるということでした。これからは、マスクの時代が当たり前になってくる中で、表情が分かりにくい、他人から見られているという不安も減る。その経験が果たして、本当に内面から自分を磨いていけるようになっていいけるのかが疑問です。
学校現場においても複雑な指導環境になってきています。コロナ当初は「怖い」「この先どうなるのか」といった不安も、感染爆発が収まる情報が増えると、子ども達にとって、コロナは自分にとっては軽症か無症状というように感じているので、国が推奨するソーシャルディスタンスを保てずに、マスクの着用も緩んできています。それを何とか食い止めたい学校側と保護者の要望と期待、世間からの目。国に踊らされているとも思いながらも、3次元の知識しかなく、戸惑い、解決策が見いだせない自分の力不足を感じています。 その中でも、宇城先生がいつもおっしゃる「相手を変えるのではない」「自分を変えること」。
そのことをまず大事にして、今回、実証で示していただきました「つながり」を少しでも感じ取れるような行動をとっていきます。 宇城先生の本に触れるだけで変わる実証など、目の前で起きていることの事実から目をそらさずに、一歩ずつ進んでまいりたいと思います。 今回も本当に丁寧なご指導を受けさせていただき、誠にありがとうございました。今後もご指導よろしくお願いいたします。
毎回新たな体験、気づきが得られ、己の未熟さを痛感した
京都 医療機器研究開発 38歳 男性 RK
今月の道塾は4ヶ月ぶりに参加させて頂きました。先生や塾生の皆さまに久しぶりにお会いできて嬉しかったです。
日々の中で忘れていた部分に気づかされ、身の引き締まる思いがしたのと、周りの情報に洗脳されず、細胞が出す感覚を信じようという思いを持ちました。
昨今のコロナ禍で人々が不安な中でも、身体の内圧を高めることで、感染しないことを感覚的に理解できました。呼吸法を行うことで内圧を高められること、また息を吐く時に伸ばした手が温かくなるような感覚を得ることができました。引き続き毎日呼吸法を続けたいと思います。
講義中の先生の気の実践では、心のこもった本では気と同じような効果があることにとても驚きました。それも瞬時に空間に広がり他の人にも影響を及ぼすことも知りました。これは自分の行動が目に見えない部分で、周りの家族や同僚に伝わることも意味しており、自分を厳しく律する必要があると痛感しました。
久しぶりの道塾ではありましたが、毎回新たな体験、気づきが得られ、己の未熟さを痛感した次第でございます。
沈みかけた日本ではありますが、明るい未来を目指したいと思います。
次回の道塾も楽しみにしております。ありがとうございました。
改めて先生のご自身のご指導に対する自信と覚悟の大きさを実感
奈良 教員 56歳 男性 YO
今回の道塾は3次元・4次元・5次元それぞれから見えててくるものの違いについて、ご説明してくださいました。
3次元で流れている時間の流れは時計的時間の流れです。あくまでも常識というものの範疇から出ることができない、先生の表現では「常識の奴隷」の域を出ない世界であります。
4次元は「心」が加わり、「主観的時間軸」の流れで時を制しているのであります。さらに5次元ではそこに重力が加わり、宇城先生の「気」の世界はこの次元であります。3次元からは4次元・5次元の世界は理解もできないし、のぞくこともできません。しかし、5次元からは3・4次元の世界はよく見えて、その思考傾向や行動もすべてお見通しであります。
先生は道塾で「気」による指導を通して、3次元の住人である我々に5次元の世界を体験させてくださって、そのことによっていかに我々が「常識」にとらわれているかを根気よく、繰り返し教えてくださっています。
先生の「気」はご本人からだけではなく、ご著書でも発せられています。先生のご著書を手に持って壁に手を置くと、壁にぴったりと手がくっつき、上から手を押されてもずり下がることはありません。しかし、何もない状態ならば、壁には手はくっつかずに、簡単にずり下がります。先生はその時に「物でも気は有している」とおっしゃいました。さらに、「このことは実証性、再現性、客観性がある」とも教えてくださいました。
帰宅後、妻と試したところ、後ろから「論語」を渡したときは簡単に手がずり下がりました。その本が何かも知らせずに、妻もどんな本が渡されたか見えない状態でした。次に座波先生と宇城先生の座談録であります「型は美しく 技は心で」を手に持つと、妻の手は壁にしっかりとくっつき、手は上から押しても下がりませんでした。まさに、「実証性、再現性、客観性」でした。改めて先生のご自身のご指導に対する自信と覚悟の大きさを実感いたしました。そして、物にも気が宿っていることがわかりました。