2022年 東京・A 第2回(2022.3.8)

「この地球に生かされている」という摂理を頭で理解するのではなく、身体で感じ続けること

埼玉 組合職員 66歳 男性 YS

人間の生き方の理念とは過去の歴史の教訓から築き上げてきた法的な規律を守ることだけで培われるものでなく、「自力で生きている」というところから、より根本的な「この地球に生かされている」という摂理を頭で理解するのではなく、身体で感じ続けることなのだと、意味の深い言葉だと感じました。

地球からすれば人間はウィルス以上に有害な存在なのに、自国の利益に名を借りた一部の人間の利益の為に、武器を使用して一方的に人を殺害していいという法律はどこの国でもないはずですですが、それでも国同士の争い事は絶えません。 

私個人にしても、もし地球の空気がなくなればすぐにでも生きていられなくなってしまう事を頭で理解しているつもりでも、それが一番有難いことだと全身に受け入れていないのではないかと思いました。

自分をひとつの小宇宙と置き換えたならば、その内面の細胞と外の世界との繋がり・会話が出来ていないのではないかと思いました。

膝に故障があるので、検証で呼吸を吐きながら膝を回すと回復していくことを教えていただいたことはありがたかったです。私事ですが、昨年末に埋没歯の手術をして顎の骨を削ってから、顎の右半分につっぱり感があって自分なりの手当はしているのですが、回復は思うようになりません。その頃から古傷の違和感が出てきたのですが、少しのことから不協和音は広がります。

しかし一方でそういう痛みを忘れる程の濃密な時間と場があることを実感させて頂いております。ですからこのような違和感もいずれは回復していくものと確信しております。そして元気で歳を重ねていくことが生き抜くことに繋がっていくのだと感じました。ご指導ありがとうございます。

先生の教えが暗い世の中を照らし、正しい道筋を示してくれる

埼玉 サービス業 48歳 男性 KK

先生、今回も我々の道を照らして頂き誠にありがとうございます。

今回の講義で痛感したのは我々は生かされているという謙虚さが足らないという事でした。先生が講義の中で質問された「健康と命、どっちが大切」という問いかけに自分は真っ先に命と答えました。しかし先生は健康が大切だと仰いました。「生きている」と「生かされてる」とは違う。前者は自己中心であり後者は生かされている環境に感謝し謙虚になるとの事でした。自分の答えはまさに前者の考えで自己中心的で病院でチューブに繋がれてでも、他人を蹴落としてでも、人としての尊厳を無くしてでも生きたい思う欲だと思いました。その延長が自分中心的に立場を守ろうとして日本の森友問題や世界的にはロシアウクライナ情勢など数人のせいで多くの方々が苦しんでる元凶だと思います。それはその立場や富や名声を無くしてしまう怯えからくるもの、肚が座ってないからだと先生は仰いました。

よく先生は自分を分母として考えるな! 他人を分母として想えと常々おっしゃいます。自分の色という毒を周りに撒き散らす事は相手を不快にし不幸にするのは愚の骨頂だと強く思いました。

コロナやロシアウクライナ問題など今、世界は混沌としています。そんな中で先生の教えが暗い世の中を照らし、正しい道筋を示してくれるものだと再確認した1日でした。

自分は飲食店を営んでいます。先生の教えを守りお客様の心地の良い空間、従業員達が働きがいがある空間を作るのが先生への恩返しだと強く思ってます。

自分の内側を見つめ直し行動する事の大切さを再認識

東京 管理業 43歳 男性 JS

講義の開催ありがとうございます。
今回も宇城先生に力をいただき帰宅致しました。

仕事でなかなかうまくいかない事があり考えていたのですが、宇城先生のお言葉で肚が座っていない事や我慢の足りなさ、我の強さに気付かされました。
外に目がいき、つい周囲のせいにしてしまいがちですが、自分の内側を見つめ直し行動する事の大切さを再認識致しました。

どんな状況でもぶれる事なく信念を貫き力強い宇城先生の生き方に憧れ、少しでもそれを写せる様に努力、勉強が必要な事を痛感致しました。
日常生活が修行の場と心得、向き合いたいと思います。

仕事や日常での行動の入りにおいては、意識を持たずスゥーと入っていくような呼吸を心がけていきたい

東京 経営者 56歳 男性 MW

今回の道塾では、宇城先生の直接のご指導のもと、男性に強く押さえつけられた長机を、女性の方と一緒に持ち上げる実習の機会に恵まれた。

ニュートラルな構えから「持ち上げる」意識を持たずに取り組むと、一緒に難なく長机を持ち上げてしまった。

この時の不思議な感覚が体に残っている。

省みると、日常では、まず義務感や欲や計算といった”頭”が先行したうえで、物事に取り組んでいることが大半である。

これは、今回の「長机持ち上げ」のような自然な身体性を殺してしまっている行為であり、本来の自分の力が十二分には発揮できてはいないと思われる。

なかなか難しいことではあるが、仕事や日常での行動の入りにおいては、意識を持たずスゥーと入っていくような呼吸を心がけていきたいと思う。また、そのための反復の修練も積んでいきたい。