2022年 大阪・A 第1回(2022.1.11)

一歩でも深く、一歩でも高く、深さを求め、先を見据える全体を捉える身心を創っていきたい

奈良 主婦 女性 KM

自分に向き合う、深さを学ぶ、身体で学ぶ、先を見据え真剣に向き合う
そして子どもたちを守る、次世代の子どもたちに繋がる人間力のある人に近づけるよう死ぬまで学び続ける、実践し続ける
心に溢れています。

「お天道様が見ている」生き方
それは師をもつことに繋がるのではないかと思う。
お天道様、それは宇城先生であり常に心に在るものです。

時空 回転 気で感じさせて頂く実践。
それを身体で感じられない程、居付いている自分。しかし、目の前ではあり得ないことが起こっている。
気を流してもらい実践させてもらっている。
それがどれ程有難いことか、あり得ないことか、と改めて思う。
言葉ではいくら言っても分からない、こうして自分の身体で感じさせて頂くから気づかせて頂き自分が変わる。
気が流れる身体、そこに近づけるよう自分と向き合い深さのある学びに繋げたい。

机の端に水の入った紙コップを置いて4人が机を持ち上げる実践。
水の入った紙コップが端にあっては不安などを身体が感知して持ち上げられない
蓋の閉まったペットボトルであれば机は持ち上げられる
そして4人のうち一人が横で苦しんでいる人に寄り添い戻ってくると紙コップを置いた机の場合でも4人で持ち上げられる空間に変わっている
また寄り添ってもらった苦しんでいる人が持ち上げるメンバーに加わっても同じように持ち上げられる

これがまさに「一人革命」だと思いました。
自分が変わる 自分が行動する 実践する 真の寄り添いに近づけるように
間違った寄り添いにならないように心する だから常に自分と向き合う。

「蛍の光」のお話から
「蛍の光」が流れてきたら帰ろうとする、身体が覚えていて行動に移っているということは身体脳に繋がるのではと感じました。
「蛍の光」を聞いたことがない人は意味が分からないし、動かない。
そう思うと日常における何気ないことであっても、人の身体は覚えている、様々な影響を受けているのではないか。
それは家庭であり学校が人の育成に影響を与えてしまうことにも繋がる。
挨拶、躾、所作、全てにおいてこの先もずっと身体に残るものであり、日常の生活がその人の身体を潰すにも、生かすにも繋がるのだと。
自分の一つ一つの在り方にもっと真剣さを持って親、大人としてあるべきだと強く感じました。

こうして宇城先生の下、ご指導頂き学ばせて頂くこと講義開始前から懇親会まで、いいえ日常も全てなので24時間途切れることなく学ばせて頂く自分と向き合う、こんな学びはないです。
こうして学ばせて頂いているから今自分がこうして生かされていることを感謝致します。そして生かされているのだから、これ以上次世代の子どもたちを潰さない、邪魔をしないように自分と向き合い続けます。
不安で机を持ち上げられなかった仲間を、自分が変わればその空間も変えられるように「一人革命」を死ぬまで続ける。

一歩でも深く、一歩でも高く、深さを求め、先を見据える全体を捉える身心を創っていきたい。

先生のお話される全てが広く感じ、暖かさを感じました

京都 教員 32歳 男性 KY

昨年、あまり参加することができずにいたので、今回の学びは私にとって新鮮であり、無意識的に自分の中に入っていくような感覚でした。

まず、腹痛をしている人へ声をかけた後に机を持ち上げるという実践を通して、「見守る」「思いやる」ことを体感させていただきました。今回の実践のように身をもって見守ることが、こんなにも変化があり、人間が持つ潜在的な能力を引き出すことに繋がるのかと驚きました。

さらに、帯を引っ張り合う中で、塾生が一方を見守ると、そちらの方が力が強くなるという実践を行いました。これも目に見えて、圧倒的に力が変化をしました。これだけ、「見守る」ということへの大切さや重要さを体感させていただき、本当に驚きでした。「思いやる」「見守る」ことは、日常的にいろんな場面で遭遇することで、特別なことではありません。しかし、その部分について恥ずかしながら、私は無意識的に疎かにしているのだと気付かされました。こうした日常にこそ、私は向き合わなければいけないと改めて感じました。

また、先生の「太陽や月を自分たちが見ているのではなく、太陽や月が私たちを見てくれている」との言葉が、すごく重く感じました。よく先生がおっしゃる、自然に生かされているというように、人間の歴史よりも深い地球や自然への思いがなければ、そのような視点はなかなか持つことがありませんでした。

先生のお話される全てが広く感じ、暖かさを感じました。そんな人間にまずは自分がなるために、学び続けること、そして「人生にピークは作らない、死ぬ時が人生の最高潮」であるように、日常を変えていくことが必要だと気づくことができました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

「人間は不安を感じていると、本来の力が全く出ない」ことを、実践で教えて頂きました

大阪 会社員 39歳 男性 TK

本年初めての道塾の講義を受けて、昨年の振り返りをするとともに、本年度もまだまだ前に進んでいくのだと言う気持ちになっています。今回の講義では「人間は不安を感じていると、本来の力が全く出ない」ことを、実践で教えて頂きました。机の上にペットボトルを置いた時と、コップに入った水を置いた場合では、前者は持ち上げられると、後者は持ち上げることが出来ない。「不安だと人間は動けない」このことは言葉にすると、まあそうだなと誰もが思うことかもしれません。しかし、自分の日常を振り返ると不安に感じて闇雲に動き回っているということが多々あります。また、そのことが当たり前のようになっていますし、言葉と頭で考えただけでは不安は消えないことは誰もが感じていることだと思います。私も含め多くの人が10代の思春期の頃から大人になってからも、ずっとその状態なのではないでしょうか。そしてなかなか改善の方向には向かわない。

昨年の一年を振り返ってみても、見通しが立たず、予想外のことがたくさん起き、その都度なんとか頑張って乗り切ってきました。肩に力が入らざるを得なく、疲弊をしていていました。恐れていた大きな失敗はなんとか回避できたものの、ヒヤヒヤしている場面ばかりであったと思います。特に年の後半は、これまで仕事で調子に乗ってきた分のしっぺ返しを食らった格好となりました。まさに、その時の自分は不安だらけで、闇雲に動き回っていて、なんとか通常の状態に戻すのが精一杯で、成果と言えるものが何も出ていなかったです。実践で学んだように、本来出来ていることすらも出来なかったのだと思います。

講義を受けて思うことは「自分は一体これまで何をしていたのか」ということです。その過去への向き合い方も今回の講義を受けて変わったような気がしています。これまで自分がしていた過去の振り返りは、「見通しが甘かった」「頑張りが足りなかった」「やり方が間違っていた」「喉元過ぎれば。。」といったものでした。言葉と頭とで考えると、どうしてもこのようになります。しかし、道塾での学びを得た後の振り返りは、視点が異なるような気がしています。つまり、自分の過去の行動を別次元のもっと高い視点から見ると、とても低い次元の世界でしか行動をしていなかった。。そこに着眼する意味での「自分は一体何をしていたのか」ということだと考えています。とてもシンプルだと思います。そして不思議なのですが、過去への向き合い方が、これまでの自分の振り返りの仕方に比べて、自分自身が楽にもなっています。(本当に不思議ですが。)

低い次元でしか行動が出来ていなかったわけなので、過去の行動自体を否定することや、反省するだけでは何も変わらない。その時の自分のレベルでの判断だったので、否定するというよりは、低い次元の自分を謙虚に受け止めて、高い次元を目指して行くことをやめない姿勢が必要だと思います。それが本当の意味での過去への振り返りなのだと思いますし、そうでなければ何の希望は生まれてこないと感じました。

道塾での学びは、今の自分にとって非日常です。やはりまた日常での自分の行動や姿勢や考え方に徐々に戻っていっていってしまう。そのような自分も受け入れ、道塾での考えや視点で日常を見ること、行動を変えていくこと。一年後に今を振り返った時に、少しでも変わっていることを希望に今年も先生に学びたいと思います。本年もどうぞご指導をお願い致します。