統一体であることがいかに大切か。師の存在に心から感謝すると同時に、心を育む教育ができるような自分になるために、逃げない自分になるために、学びを止めることなく進んでいきます。
大阪 教員 女性 AT
道塾でのご指導ありがとうございました。
今回の道塾で1番心に刺さったことは、心の教育がいかに大切かということでした。
5人が肩を組み1列になり、その列を押しても本来であればびくともしないはずなのに、1人がよそ見をしていたり、1番後ろの人が手を離しているだけで列は一気に弱くなりました。それだけではなく、全員が肩を組み前を向いていても、頭の中で違うことを考えていればその列はとても弱く脆いものになりました。まさに今の日本を見える化してくださった瞬間でした。
家族、職場、国。規模は違えど人が集まる場所で必ず起きているのがこの向かうべき方向のずれです。このずれが気づかないうちに大きくなり、組織を壊していきます。
愛の反対は無関心である。無関心な大人が増えていることが今の日本の危機的状況を表しています。
自分のことばかりしか考えない政治家たちの聞きたくもないニュースを耳にすることが増えましたが、それは政治家に限らず私たち日本国民全体に広がっていることではないかと感じることが増えました。
昔の日本人は「公」の精神を持っていました。自分1人だけで幸せになれるわけがないことを知っていたからです。
それがいつの間にか、夢や目標という言葉が自分の欲を叶えるためのものへと変化してしまい、「私」の精神を大事にするべきだという教育に変わってしまいました。
教育の存在意義は何か。宇城先生にご指導いただくようになり、平和な世界をどうすれば実現できるのか、後の世代に少しでも今よりも良い時代を残すために自分はどう生きるべきなのかを真剣に考えるようになりました。
教育で大切にすべき点は自分の夢や目標を叶えることだけではなく、その結果、世の中にどのような変化をもたらせる自分でありたいかに気づかせ、実力をつけることだと思います。その姿を私たち大人が子どもたちに見せていないから、子ども達は損得で物事を考え、自分の夢や目標を叶えるためには何をしても良いと思うようになっていってしまっています。
たった5%の意識領域の中での優劣で評価をし、残された95%の可能性を閉ざしてしまっていることがいかに恐ろしいことか。
宇城先生は実践を通して実証くださっています。
腕相撲で意識を向ける場所を変えることで男性二人を倒すことができましたが、一瞬でも相手を倒そうと思う意識が出てくると倒すことができなくなりました。部分体、対立ではなく統一体、調和。言葉では簡単ですが、身体で意識すると自分に染み付いてしまった対立の部分が出てきてしまうことがよくわかります。
身体と向き合い、身体から変化しなければこの染み付いた部分を消すことはできません。そのことをさまざまな角度からの実践を通して気づかせ、教えてくださる場が道塾です。全体が見えるから部分がわかる。部分から全体を変えようとしてもそれは不可能です。統一体であることがいかに大切か。師の存在に心から感謝すると同時に、心を育む教育ができるような自分になるために、逃げない自分になるために、学びを止めることなく進んでいきます。
宇城先生、いつもご指導ありがとうございます。引き続きご指導よろしくお願い致します。