「自分にできる範囲から始める」「寄り添う」「守る」というお言葉を胸に日々生活したい
愛知 営業 52歳 男性 AY
昨日も道塾での貴重なご指導をありがとうございました。
ご講義や懇親会での先生のお話やお言葉がいくつも心に残りました。
人間は「今」という視点から見れば「進化」か「退化」かのどちらかしかない。そして「生」と「死」という視点から見れば、戦争で(人の手によって)死ぬ、(人の手によって)殺される=他害、(自ら)命を絶つ=自害、病気によって死ぬ、という人の意識や意図による「死」があっても「自分から生きる」ということはありえない。
心臓も人の意識で動いているものでもなく、食べ物を食べた後の消化も人の意識で動いているものでもない。
まさに人の意識(顕在意識)を超えた力によって「生かされている」という紛れもない事実がある。
この真理に改めて気づかせていただきました。そして自害や他害は人間の不安や怯えから来るのだとご指導いただきました。
普段私たちは全体から見て5%程度しかない顕在意識のうちのたかだか0.5%程度しか使っていない。
そして全体のうちの大部分を占める残り95%は潜在意識であり、そこにエネルギーがあること、心こそがエネルギーであることに気づかなければいけないと思いました。
「寄り添う」「守る」という心にエネルギーがあり、その心から起こる行動が調和を生むのだと思います。
この事実を、さまざまな検証を通じて身体で感じさせて頂きました。
辛そうにしている人に寄り添い大丈夫ですかと声をかけることで縦に並んだ複数の人を簡単に動かせるようになること、ハグをすることでも同じように動かせるようになること、心を開き天と地に感謝し呼吸することでも同じようになること、先生に気を通していただくことでも瞬時に変化することなど、全て実践事実として身体で感じさせていただきました。
また、先生は「特別なことを考えるのではなく、自分のできる範囲からまず始めることだ」と仰られ、私にはこの先生のお言葉が希望になりました。まさに1進法で「やる」と、迷いなく心から湧き上がるような希望でした。
AIが4年ごとに1000%ほどのスピード感で飛躍的に進化する中、スポーツは進化ではなく人間の退化に向かうものであること、真理とかけ離れた現状から見た数年後の未来の、その圧倒的な差についても気づかせていただきました。このような現状にあって、先生にご指導を頂くまでの私自身は戦後の教育・スポーツ振興の中で進んできており、間違いなく退化の方向に進んでいました。
その事実を受け入れない限り未来に向かう成長はないと、今回改めて気づかせて頂きました。その事実の上に立って、先生の「自分にできる範囲から始める」「寄り添う」「守る」というお言葉を胸に日々生活したいと思います。
また、今回の道塾全体を通じて、先生が仰られる「心を開く」というお言葉の意味を自分の身体で感じることが今の自分に必要な課題だと感じさせて頂きました。なぜそのように感じさせて頂いたのか、うまく言葉で表現することができませんが、先生の一挙手一投足そしてご講義や懇親会でのお話を通じて気づかせて頂いたものだと思っています。本当にありがとうございました。
繰り返しとなりますが、先生と貴重なお時間と空間をご一緒させて頂き、また貴重なご指導をいただきありがとうございました。
今後ともご指導のほどよろしくお願い致します。
道塾でははじめて野球のボールに気が入っていると何人で支えていても崩されてしまい驚きました
愛知 営業 52歳 男性 AY
今回の道塾でははじめて野球のボールに気が入っていると何人で支えていても崩されてしまい驚きました。
気を通されている人の手をかなり思いっきりたたきましたがかなり痛かったのと気が通されていなかったときと叩いた音が全く違っていました。
人の話を聞くときはふらふらせず真剣に聞くよう普段から心掛けます。
次回道塾名古屋も宜しくお願い致します。
今回の道塾でも様々な学びと、そして希望を頂きました。それはそのまま自分自身のエネルギーになりました。
静岡 農業 43歳 男性 YF
今回の道塾では講義前から検証を始めて頂き、従来の講義時間よりも30分ほども長く先生の御講義を受ける事が出来ました。
その中で先生の腕を触らせて頂き、その柔らかさを感じたのですが、自分の腕とは比べ物にならない位の柔らかさでした。自分の腕は筋肉がついて弾力があるのですが、先生の腕は、触らせて頂いた人差し指、中指、親指がどこまでも先生の腕に入り込んでいってしまうのではないかという位に柔らかかったです。これはもう身体が常に周りの空気、空間と調和されている状態なのだと。先生は自然体でそのような状態なのだと思いました。
逆に自分は何もしていなくとも、自分の身体を無意識に固めている。もっと言えば、周りの空間と隔離されている、拒絶している、閉じこもっている、受け入れるのをビビっている状態なのだと思いました。
子供や赤ちゃんはとても柔らかいと思いますが、年齢を重ねると身体は固くなると思います。しかし、先生の 腕は想像を絶する柔らかさだった。これは年齢を重ねても、人は赤子以上に柔らかい身体、心でいられるのだというその証拠ではないかと思いました。これもすでに常識では考えられない事ですが、自分はこの手で、それを実際に感じさせて頂きました。
そのような柔らかい身体は全てを受け入れ、調和、融合する事が出来るのだと。
今までの常識に無い身体は、今までに無いもの、事、世界を創造する事が出来ると思います。AIのお話があり、AIは2036年までに物凄いスピードで進化していく、それに比べて、スポーツなどのいわば、競争、対立、衝突、心身を固くする世界では、陸上競技の100m走でもせいぜい1秒タイムが縮まるかどうか。実際、人類は同じような対立、戦争(衝突)を繰り返し、未だに世界平和への道は遠いと言わざるを得ません。これまでの常識の範囲内ではこのような衝突、対立の連鎖から抜け出す事は出来ません。しかし、今回の御講義でもあった、無意識の95%の部分、潜在意識に気というエネルギーが入る事により、対立、衝突が無意識のうちに消えて、それは調和という先を取る事になるのだと。
机を持った検証で、大人数で机を持ち上げた途端に、何か強い重力の働きがあったかのように、机が一方向へと動き出しました。これもまさにその95%の無意識下に置いて先生がエネルギーを作用させているからだと思いました。まさに理論、そして実践です。95%の無意識の世界ですから人数は関係ありません。
また小柄な女性でも、その無意識下にエネルギーを入れて頂く事で大人数を引っ張ったりする事も出来ました。性別も関係無いのだと。その際に、先生から気を入れられた状態と、自らが先生の御身体、それこそ着ている服に、自ら触れる事により、そのエネルギーは遥かに強くなりました。この事から、これはやはり、先生に気を入れてもらう、という受け身、何々してもらう、という姿勢ではなくて、自らの意思で師に近づく自らが求めていくほうが、エネルギーが大きく入るのだと。そのように思いました。
これもまさに先生が常々仰られている、学ぶという受け身の姿勢と気づく、気づかせるという、自主的な学びとの違いだと思いました。今の日本の義務教育はまさに学ぶ、という受け身のものでしかなく、そこから100点の答え以上のものは生まれません。その答えも合っているのか、分かりませんし、そもそもその答えが、世の中に無数にある未知の問題に対しての答えを見出す力が培われるとはとても思えません。
動いていると、簡単な計算でも時間がかかり、宇城式呼吸法を行うと、パッと答えが出ます。スポーツはこの動いている状態であり、まさに考えるスピードを奪っている、その人の時間を遅らせるものであると思いました。
今の混迷した世界の動きを変える事が出来るのは、今回の御講義にある先生の教えを受けた、純粋なエネルギーを持った子供たちかもしれません。
そう考える事が出来る、本気で心底からそのように思える教え、そして師に学べる事、まさに希望しかありません。またその希望を大きくしていくのも、自分が如何に進化、深化出来るかにかかっていると思います。それは謙虚さ、真剣さを持って勉強し、日常でそれを実践していく事で大きくなっていくのだと思います。
今回の道塾でも様々な学びと、そして希望を頂きました。それはそのまま自分自身のエネルギーになりました。ありがとうございます。引き続き、御指導、御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。