2023年 仙台 第3回(2023.7.29)

改めて物凄い場で勉強をさせて頂いているのだなと感じます

仙台 介護職 36歳 男性 YM

検証で普通にやると持ち上げられないが、ナイフを握ってやると強くなり、
更に先生が「引き抜くぞ!」と言うと更に強くなったのを見て、いかに日常で真剣さ、危機感が足りないのかと感じました。
これほどまでに真剣にならなければならないと痛感しました。
また、せっかく先生が気を通してくださるのに力でやってしまってること、
まだまだ分かっていないなと思いました。

テーブルを相手にぶつける検証で普通ならば絶対に止められないですが、先生の場合は運転しているつもりで、パッと見ると止まり、更にはやる前から制しています。
「自信があるから止められる」と仰っており物凄い次元だなと感じました。

帯や棒での綱引きでも先生が言ったほうが強くなり伸縮したり、先生の合図で触れている手が離れなくなったりと信じられませんでした。他人に言っても絶対に信じてもらえないでしょう。
だからこそ触れる、体験することが大事だと思います。

最後にサンチンを全員で行い、前回も感じたのですが、やっぱり一人でやる時と感覚が全く違います。
ピタっと合うというか吐く息に引っ張られるというかそんな感じがします。サンチンの後は体が強くなっています。
とても不思議な感じです。

改めて物凄い場で勉強をさせて頂いているのだなと感じます。
自分自身本当にまだまだですが今後も勉強させて頂きたいです。
本当にありがとうございました。

今までの延長線上には未来がなくて新しいバラダイムが必要だとのご指摘が特に心に残りました

神奈川 映像制作 36歳 男性 YT

猛暑の中で開かれた仙台道塾の3回目、楽しみでワクワク感いっぱいで参加しました。

宇城先生の今日のご指導の中で、今までの延長線上には未来がなくて新しいバラダイムが必要だとのご指摘が特に心に残りました。

日本の政治、経済、社会生活、人間性のありようのどうしようもない現状を変えていく、そして夢と希望の持てるように変えていくのは協調、調和の世界の実現だと。

この未知の世界への飛翔に必要なのはエネルギー。
本物の中に秘められたエネルギーこそが未来への希望の光、対立構造を克服していく力だとご指導くださいました。

「進化成長とは変化する事、変化するとは深さを知る事、深さを知るとは謙虚になる事」常日頃から先生のご指導いただいていますが、この自己変容こそがポイントだと理解を深めることができました。

日常生活の中で、また呼吸法や型の稽古の中で日々精進し続け、周囲を明るく元気にしていけるような自分になるよう研鑽を積み続けたいと思います。
宇城先生、ご指導ありがとうございました。
スタッフの方々、道塾生の皆さんありがとうございました。

一人革命がこれからの時代にますます大切であることを学ばせていただきました

神奈川 映像制作 36歳 男性 YT

今回ご指導いただき、改めて一人革命の実践によって自らを変えていくこと大切であることを感じました。

これまでの常識や今までの理屈で物事を考える自分がいかに自らの心や可能性を閉ざし、本来備わっているエネルギーをなくしていくか、またそれが自分だけでなく周りにも伝播して負の連鎖を生み出していき、現状の不安や怯えに繋がり、様々な身の回りの問題になっていくこと、その負の連鎖をなくすには相手に寄り添い心ある行動を日々実践し、自らのエネルギーを高めていくこと、これまでもご指導いただいている一人革命がこれからの時代にますます大切であることを学ばせていただきました。

複数人が突進してくるのを簡単に止めたり、腕相撲で複数人が抑えつけた状態からひっくり返したりと、人が本来持つエネルギーの凄さに改めて衝撃を受けるとともに、常にやって見せ、会場にいる人たち全員もできるようにするなど、まさに身体で学ばせていただく先生のご指導は、昨日よりも今日、今日よりも明日へと前進できる大きな希望になっています。

今回ご指導いただいたエネルギーを絶やさないように、相手に寄り添う心を忘れずに日々の中で実践してまいります。

今回も多大なご指導をいただきありがとうございます。

今回、改めて感じたのは、宇城先生の「気」の絶対性です

山形 教員 61歳 男性 MI

宇城先生、この度の仙台道塾のご指導ありがとうございました。
今回、特に印象的だったのは、「6人で机を持ち上げた状態から、その机を前の方に押し出す」という動きの時に、机を押し出す先に何もなければ、簡単に机を前に押し出せたのですが、先生が机の先のすぐ前に立たれて、「1,2,3」と声をかけて押し出そうとしたその瞬間、とてつもなく大きな見えない空気の壁が立ちふさがって、瞬時に全く動きが取れなくなった、あの感触でした。

身動きが取れなくなったというのは、「持った机を前に押せない」だけではなく同時に、「机を持った自分たちが逆に押されている」という感触でもあったからです。
「見えない空気の壁」という表現も何かふさわしくない気がしますが、自分の体(細胞)が感じ取った「絶対的な不可」の感触です。様々なご指導の中で何度も体感した感触です。

「できるはず(押せるはず)のことができなくなる(押せなくなる)」それは「宇城先生以外の人間には不可能なことが宇城先生によって可能になる」ということですが、その時に自分の身体(細胞)が感じ取った感触は、本当に強烈でした。

これまで何度も先生にはこの感触を体感させていただいてきたのですが、今回改めて感じることができ、一週間たった今も、自分の身体がリアルに記憶しています。

また、宇城先生に気を通していただくと、「できないことができる気がする」「身体ができると言っている」その感触もリアルでした。ご指導の最後の方で、参加者全員で行った「サンチンの型」の後で、隣の人に腕をつかんでもらった瞬間、「倒せる気」がしました。逆に自分が隣の人をつかんだ時には「投げられる気」がしました。

道塾や合宿での先生のご指導の中ではいつもそうなのですが、ある動作が「あっ、もうできている」「あっ、これはもうダメだ」というのがあります。残念ながらこれは自分から生じさせることができる感覚ではありません。いつも先生からいただく「気」によるものです。「できる」「できない」がもはやあらかじめ決まってしまっている、しかし、とても楽しい感触でもあります。人間の身体、細胞というのは、本当に真実なものだと思いました。

今回、改めて感じたのは、宇城先生の「気」の絶対性です。「気」による「圧倒的な力」「絶対的な力」は本当に凄まじいエネルギーなのだと思いました。このエネルギーこそが宇城空手の神髄なのだと思いました。
しかし、自分自身がこれまでずっと先生からご指導を受けながら、その神髄にいったいどれほど近づくことができているかと言えば、全く心もとないのも事実です。
圧倒的に「桁」が違うことをいつも痛感させられます。それは身体のことだけではなく、生き方そのものにおいてもです。
特に、今回、懇親会や朝食会の席でも、宇城先生のこれまでの歩みをいろいろお聞きしましたが、「生命保険への加入申し込み実績」「電源の技術開発」等においても、あらためて先生のスピードの「桁違いの早さ」と先生の仕事量の「桁違いの多さ」を思い知りました。

最後に、さまざまな領域・分野において、日本も世界も、本当に絶望的な状況だと思います。教育の世界も同様で、教員のレベルの低さ、勉強不足の程度が、度を越しています。しかし、先生の「気」による指導が、「瞬時に人を変える」ところに希望があるのだと思います。「道」の最新号でも紹介されていた「発達障害の子どもたち」の姿には驚嘆しました。宇城先生と同じことが、瞬時にできてしまうなど、あり得ないことがおこっていると思いました。

また、『宇城空手の真髄と継承(一)』も読ませていただいて、「人はいつでも変われる。今からでも変われる。」「ずっとやってきたから変われるというものでもないし、今までやってきたのに変われなかったからこれからも変われないというものでもない」「今をどれだけ大事にするかが大事」「今の自分の取り組みが自分の未来を創り出す」宇城先生と榎本麻子師範の対談のお言葉から、そのような希望もいただきました。ありがとうございました。

感想文、大変遅くなってすみません。先生のご指導の広さ深さに、自分が対応できておらず、なかなか言葉にできませんでした。ご容赦ください。

今年の猛暑に負けないほどの熱いご指導ありがとうございました

宮城 会社員 66歳 男性 HK

今回の道塾は、気の実証「不安と怯え」のDVD映像から始まりました。今、人は部分化によって未来に希望が持てず、特に若い人は不安と怯えの空気の中に居る、不安が自殺へ怯えが他人を傷つける行為へと繋がってしまっている、そして気はその不安と怯えを強さに変えるエネルギーを持っている、と。実技ではその気の世界を実践で示して頂きました。講義で「守る」ということの中身として、生活、健康、事故、未来への希望がありましたが、その一つの例としてのテーブルを車に模した実技は迫力がありました。数人で横長のテーブルを持ち一人の人と対峙します。そのテーブルごと数人の力で対峙する人に突っ込んでいく。対峙する人は、何も守る術がないので不安の中に落とし込まれます。先生が気をかけることで不安がなくなり、テーブルを持った数人は突っ込んでいくことができなくなります。交通事故は日々の生活や健康、さらには生命そのものを脅かす、誰にでも起こりうる身近な社会リスクの一つです。それは衝突してくる車によって起きます。実技で先生が示された、テーブルを突っ込ませない気の力は、実際の場面において車を衝突させない、すなわち事故を未然に防止するエネルギーとして働くのだと。今回は実技の中で、テーブルを人が持ちながら突っ込むという動作をしましたが、車も人間が運転操作という動作をしています。気は車を操作している人に対して作用することで、先を取るようにして車の動きを安全側に向かわせている、ともいえるのかもしれません。こうして、言わば戦わずして勝つに結びつく気の境地は、事の起こりを抑える、すなわち交通事故を起こさない、起こさせないこととして現実化します。

書籍を使った実技では、先生のご著書と、気の世界の“パクリ”と言えるような内容の本との比較でした。一人の塾生がテーブルの前に座り片方の手のひらをテーブルの表面に置き、もう一方の手はそれぞれの本の上にかざします。このとき塾生には自分がかざしている本がどの本かわからないようにします。そして別の塾生がテーブルに置いた塾生の手を後ろに引き、その際の引く時の抵抗力をそれぞれの本ごとに感じ取るものです。それは身体のみに根差す客観的な実証性を示しており、まるで本の情報の持っている価値が身体と呼応することで、本に内在するエネルギーを炙り出すかのようです。結果としてのその差は明確で、先生の本が持つ気のエネルギーの大きさを見事に示していました。

この結果はテーブルを車に模した実技と合わせると、先生のご著書を運転する車の車内に置いておくことは、事故から身を守るための実効的な行動であることがとよくわかります。自動車メーカーによって装備される一連の安全性技術とは違う、ある意味そのような技術よりも強力な術としての真の「お守り」と言えます。そしてそれは、日々のクルマ社会の空気が交通事故を常態化させているのかもしれないという別の視点からみると、その空気を変えていくためにはハンドルを握る人、その人自身の気を遣う運転こそが、何よりも必要なのだろうと思いました。

先生は、スティーブ・ジョブスが、日本文化から着想をもらい、アップルのものづくり技術を人々のために具現化したことと同じように、道塾で実証されている気による術も、身を守るための技術として具現化できれば・・という様なことを言われました。それが可能となれば、まさにそれは未来へつなげる技術であり、気の世界をもって未来への希望を与えることになるのだと思います。

4人で行う実技。1対多の腕相撲のように一人の人の手を3人で押さえつけます。その手を自分で押し返すことは、通常の力対力で抗う姿勢において「これは絶対無理」という思いに支配されます。しかし先生によって気がかけられると、軽く何気ないほどの力でもない力の感覚で3人を逆に倒してしまうことができます。自分がやっているのにもかかわらず、自分の力ではない感覚があります。それはまさに気からエネルギーをもらっていることの証なのではないかと思えます。そしてそのようなエネルギーを持つ、気による守る術が広がることで、世の「不安と怯え」の空気を払拭することにつながっていくのだと思いました。

今世界には、国々の指導者の不安と怯えが交錯し未来への希望が核の脅威に覆い隠され、人類の不安と怯えに通じてしまっている、そのような歪んだ構図が横たわっているかのようです。気がそのような構図に潜む様々な課題を解決する舞台において、世界を守るための場のエネルギーと成りえること、これからを担う子供や若い人たちが道塾で学ぶことはその舞台を創る活動の一端を担っているのだということ、このことが今回の道塾で見えた気がしました。

今回も今年の猛暑に負けないほどの熱いご指導ありがとうございました。

私は先生と塾生皆さんと一緒にやるサンチンが大好きです

千葉 映画製作 60歳 男性 HS

先日は仙台道塾でのご指導いただきありがとうございました。
私は先生と塾生皆さんと一緒にやるサンチンが大好きです。理由は言葉ではうまく書けませんが、先生と皆さんとサンチンをしている最中、そして終えた後の安心感、心地よさ、穏やかさがなんとも言えないくらい気持ちになり、嬉しさを感じます。

この日はテーブルや帯を使って守る・本物の自信というものを見せたいただき、感じさせていただきました。
私はテーブルの後ろを持たせていただきましたが、先生の「はっ」という号令で前部分が真下に突っ込むと同時にテーブルの後ろ部分が真上に突き上がっていきました。持っていて怖いくらいの勢いで止めらませんでした。普通は前が下に崩れたら後ろも一緒に下にいきそうなものなのに、まるで大型船舶が前方でぶつかり屹立しながら沈んでいくような壮大なエネルギーを感じました。それほど先生の守る・自信の力が大きいのだと。

言葉で「力」と書いてしまえば普通、世間一般では「筋力の力」も「エネルギーの力」も同じ「力」として見られてしまいます。
しかし両者は決定的に違うと感じました。先生のエネルギーの力は壮大で、力強さと共に心地よさと安心感を感じます。それが幸せだと感じます。

一方で筋力の「力」は痛みや疲れ、その行為の内容によっては後悔や罪悪感すら伴います。筋肉そのものが悪いのではなく偏った自分の拘りのせいだと感じます。

権力や支配力、地位、肩書きの力といったものも言葉だけ見れば同じ「力」です。しかし中身が全然違います。そこには人を幸せにできる力はありません。

道塾で、手をつき前傾の姿勢で掴んできた相手を思うだけで投げる検証をやらせていただきましたが、手を使わずに人の頭上を飛び越えて投げ飛ばす力を今回初めて体感しました。今まで何度も先生の気をいただき検証をさせていただきましたが、それでも驚きの体験でした。普通ならこっちには投げないだろうという方向、高さに思うだけで自然に投げていました。道塾から帰った後もずっと、「あの時の力は一体?」と何度も考えさせられました。

他尊自信は道塾に参加し始めた最初の頃に先生からお聞きしました。
しかし、ここまで深く大きいものでないと本当の自信では無いのかと感じました。そしてそれほどの深く大きな自信があるからこその他者への気持ちなのかと。改めまして、道塾でのご指導ありがとうございました。

初回講座、大きな希望となりました

福島 現場技術職 61歳 男性 MO

今回の仙台道塾で強く思ったのは、本当の意味で本気で真剣に学ばなければならないと言う事です。それは検証にて4人がテーブル机を持って、その前に立った1人の塾生に突っ込むという検証の時、テーブル机を持った4人は前に立った塾生を気づかってか、ゆるい突っ込みになった時に宇城先生はもっと本気で思いっきり突っ込まないといかんと喝を入れました。検証にならんと言われました。

それで4人が本気で思いっきりテーブルで突っ込むと、前に立った塾生は突っ込まれる前に逃げてしまいます。危険に対し身体が先に動いてしまいます。また不安でその場に立っていられなくなります。しかし宇城先生が塾生の側に立つと不安が消える。また宇城先生が4人の前に立つとテーブル机を持った4人は動けない。それどころか宇城先生に下や左右に動く向きを変えられてしまいます。4人のテーブル机を持った塾生は、全て本気の全力で向かっています。それでこの検証の凄み、宇城先生の気のエネルギーの凄さ、そして守る事がわかります。

本気でやる真剣にやる事の大切さがほぼなくなっている現代社会で、真剣とはどういうことかの検証として、1人の女性対5人の男性の腕相撲で女性の男性5人に押さえられた右手の反対の左手に、宇城先生は鞘から抜いたナイフの刃を手を切らないように握らせて、宇城先生がナイフの柄を持って引き抜こうとすると 、女性の塾生は男性5人の組んで重ねた手を動かしてしまいました。宇城先生はこれが真剣と言う事と言われました。そしてナイフの刃をおもむろにつかんで空手の突きをしました。そのくらい空手の稽古も真剣にやらなくちゃいかんと。

本気でやる真剣にやる。本当の本気や真剣は今は無く、言葉だけになっているように思われます。自分も忖度したり、変な気づかいをしたりで、本当に心から本気になったり真剣になったりして行動しているか、生活しているかを問うとそうではありません。宇城先生はいつも本気で真剣にと言われてます。それを自分は遠いところで聞いていたように思います。しかし今回仙台道塾で宇城先生が本気で突っ込むんやと言われた時、ハッとしました。それは宇城先生は自分達のそばまで来て寄り添って下さる。宇城先生の一言一言が暖かい。その中で厳しく指導される時、とても心に響きます。自分はそう思っています。本気で真剣にが今回の仙台道塾での学びとなりました。そして守ると言う事。それを実生活でどれだけ実践できるかが修行と思います。ありがとうございました。