大阪 会社員 39歳 男性 TK
今回の実践で心に残っていることは、先生に守られている間には出来ることが、自分(の力)でやってみると何も出来ないということでした。木刀と杖で作られた四角形の中に人が入り、四方から首を締められる。中に居る人を外から先生が守ると、木刀と杖が全く動かなくなる。守られた人は簡単に人を投げれるようになるが、その人が外に出て自分の力で人を投げようとしても投げられない。
最近道塾で感じることは、「自分の力では何も出来てないこと自体を教えていただいている」ということです。入塾した頃は、先生に気を入れてもらって出来る自分を発見することに凄さや不思議さを感じていました。最近ではその逆のこと、つまり自分では出来ないということを教えていただいているような気がしています。
仕事、生活では、うまくいっている、いっていないことの両方が日々繰り返されています。私も約2年前に始めた事業が少しづつ軌道に乗り始め、他人からの評価もいただけるようになってきました。しかし、近頃は上手くいっているようで、自分で今新たに仕掛けていることが、空振りばかりを繰り返し、釈然としていない日々も過ごしています。他人からの評価と自分の効力感との間に大きなギャップが続いています。もしかしたら他人からの評価というのも、ただ持ち上げられているだけのもの(罠)や、勝手な自分の思い込みかもしれないと思うほどです。
道塾に来ると、明確に出来ていない自分がいます。結局はそれが答えなのではないかと思います。先生の前では、その自分がくっきりと浮かび上がってきます。全てが明るみに出る。そして、日常でも実はうまくいっていないことを知る。うまくいっていること、いっていないこと、その両方が自分で勝手に作った、あるいは他人の決めた物差しの中での判断だと思い知らされます。
そして、変わる、成長したいと思いながら、「学習すること=時間の経過と共に習熟度をあげていく」というような「これまでの」常識にやはりどこかでとらわれているのではないか。今をどう変えていくのか、まずはすっかり洗脳されてしまっている頭で凝り固まった考えに穴を開けていくこと。毎回、学び方から出直しを求められる場だと思います。答えを自分で考えてみつけようとするのではなく、先生が持つ答えを自分の中に入れていく。言葉では簡単かもしれませんが、まずはそこからやって行かないと、「練習しても出来るようにはならない」と先生がおっしゃっているように、ずっと停滞していくのではないかという怖さを感じます。