2021年 大阪・B 第5回(2021.10.6)

先生と同じ時代、同じ国で生活できていることに感謝

大阪 会社員 38歳 男性 TK

先生に気を通された時に、普段できないことができるようになる、また道塾が終わった後しばらくはエネルギーに満ち溢れている。しかし、日常の時間が長くなるとまた元に戻ってしまう。私たちは誰もが道塾でこのような経験をしていると思います。私は道塾に入塾して3年以上経ちますが、「出来るはずのことを出来なくしているのは、あなた自身の病的な考え方。だから、自分自身で変わっていくしかない。」道塾で先生は私たちにずっとこのことを言い続けられていたと、今改めて思いました。

「気を出せる、変化をさせてくれる先生がすごい」というところで終わると何もなりません。また、先生に与えられたエネルギーをある一定期間だけ頂いておくだけでは、確かにその間は色々とうまく行くことが多くても、本当に学んで成長いることにはなりません。そのことは日々感じてはいるものの、なぜ、その状態からなかなか脱却できないのか。その脱却ができないがために、自分自身、周囲、世の中、がたくさんの行き詰まりを見せているのだと思います。

自分自身を振り返ってみると、道塾に入ったちょうど3年半前に会社員として大きな壁にぶち当たっていました。原因は過去の陳腐化した考え方に囚われていたからだったと思います。私が社会人になったのはそれからさらに10年以上前ですが、その頃に覚えた仕事のやり方では、時代が流れてしまうともう全く太刀打ちができないのです。(また、そもそも10年前にあった仕事自体が機械に自動化されてなくなっていたということもありました。そしてその動きは今でも進行中です。)

若い時に、多くのビジネス書・スキル書を読み漁り、仕事が出来るようになっていたつもりが、その多くがインスタントな考え方であったので、行き詰まるのは必然だったと思います。当時読んでいたそれらの本は、もう今では誰も見向きもしないものであり、今更それらを読まずともインスタントなのがわかります。そして日々の仕事に追われて、気がつけば時間が経っているという状態を続けていたため、その陳腐化した考え方にますます囚われてしまっていたということも良くなかったです。私自身も大きくつまずきましたし、また日本のいたるところで同じようなことが起きているかと思います。

インスタントなビジネス書ではもうダメだという声も最近では多く聞くようになってきました。そこから脱却するには、時間や空間を超えた教えを物差しにすることだと思います。私は宇城先生の空手の本を読んだことが、先生を知ることが出来たきっかけでした。20年経った今でも読み続けている先生の本は、「理解が出来た」と言えるものではなく、読むたびに「この文は、こういうことをおっしゃっていたのか」と気づきをたくさん与えてくれます。文字としては過去にも必ず読んでいる文が、まるで初めて読んでいるかのような感覚にさせられます。そして、自分の仕事・生活が変化している時に新しい気づきを与えられるので、人生を大きく変えてくれます。

簡単に「理解できた」と言えないことが先生の教えの深さ、厳しさ、優しさです。先行きが見通すことが難しくなっている世の中で強く生きていくためには、間違いなく必要になるものだと思います。先生と同じ時代、同じ国で生活できていることに感謝をし、引き続きご指導のほどをお願い申し上げます。

教える。学ぶ。の頭から。気づく。気づかせるの身体の学びに切り替えて精進していきます

京都 教員 40歳 男性 HA

今回の冒頭の映像然り、講義然り、改めて頭、頭、頭で考えて、居ついて止まっている自分自身を痛感しました。

先生の実証の基でしか分からない事実。頭のスピードは一秒、身体(細胞)は百万分の1秒。自分に染みついたクセ。相手と比較したり、負けたくないと思ったり、拘ったり。先生がおっしゃる通りこれこそが病気です。すべては教育。学校教育。しかし、教えているのは、病気の教師。

人間は生まれながらに完成形を無視し、自分のねじ曲がった価値観を押し付ける。全国学力テストや部活全て狭い狭い世界に閉じ込めて、その世界で答えを押し付ける。

先生が仰っていたように自閉症の子供が駄目な子で排除するのでなく、本当はサバン症候群のような天才かもしれない。0点~100点でしか評価ができない。それも本当の意味での力か?人間としての素晴らしさかというと疑問です。それが人間の良し悪しではないのは、今の世の中、今の日本を見ていたら誰もが分かることです。

世界は昔の日本に憧れ、日本を真似して力を付けている中、逆に日本は肚がない教育をして骨抜きに年々なってきている。中学校の現場の厳しい状況です。本当に危機感を覚えました。

その中で先生は、今日の講義で真の信頼とは何なのかを身体の動き座るということで実践されました。

それを見て分かったことは、真に信頼していない。身体が出来上がってしまっているということです。それでは、せっかくの先生の話も頭でわかっているつもりでも、身体では分かっていないということにもなります。

そのためには、ハウトゥーではなく、真剣に騙される。真剣に失敗する覚悟をするということです。真にこのことが分かれば、怪しい、胡散臭い、本物じゃないは、分かる。そのことを頭でなく、身体で学んでいます。ミラーニューロンを言葉として知っているでなく、身体で知っています。

改めて、道塾の凄さを体感しました。この学びも先生云々ではなく、我々のすべてを見抜いての指導だということです。

自分たちの変化成長がなければ、先生もせっかくの技術、心を教えて頂けないということになります。教える。学ぶ。の頭から。気づく。気づかせるの身体の学びに切り替えて精進していきます。