2021年 仙台 第3回(2021.7.24)

スタートから目からウロコが落ちました

山形 教員 59歳 男性 MI

今回もスタートから目からウロコが落ちました。柔道の帯を二人で引き合う場面で、周囲の人たちからただ黙って見られるだけで強くなり、拍手されたりほめたたえられると弱くなる。「ただ見る」と「ほめたたえる」とでは、全く伝わるものが違うのですね。「応援」に対する通常の理解が完全に間違っているということですね。

また、帯を持っている私自身は見られているかどうかは分からなくても、見られていることで、見ている人から見られている人に、それと気づかなくても確かに伝わって力が出る。宇城先生に見えているもので、私たちに見えていないものが、いったいどれほどあるのだろうと思いました。

別な言い方をすれば、宇城先生にはよく指摘されているのですが、自分には「何も見えていない」のだと思います。私たちが自分の目で見ているもの、見えていると思い込んでいるものが、実はとても頼りないものだと思います。その一つがスポーツの世界における「勝った・負けた」だと思います。

今、日本で行われているオリンピックがまさにそうですし、各都道府県で行われている高校野球もまさにそうです。「勝った…、優勝した… それがどうした?」と言われてしまえばそれまでです。

今の私たちの社会におけるスポーツは、何か途方もない時間と空間の無駄使いをしているような気がします。結局、「相対」の世界でしかないスポーツの世界では、江戸時代の「無刀取り」の真剣さなど全く思いもよらないのだと思います。だから、政治やお金儲けに利用されるのだと思いました。

今回、宇城先生は古代ローマが滅んでしまった要因の一つとして、市民の堕落を取り上げられましたが、これも「ドキリ」とするものでした。今の地球世界がそのまま当てはまります。特に、先進国・発展途上国問わず、市民社会も中央政治もありえないほど残念な状況です。本当にこのまま地球社会が、自然災害などにもよって自壊していくのではないかと思います。

そして、そんな危機的状況でありながら、政治の世界では自らの主張を通すため、あるいはスタンドプレーのために「賛成・反対」が固定し、対立が激化しています。そのようなただ単に、自分の意見を言い張る対立には本当に意味がないと思いました。

それに対して、「清濁併せ呑む」生き方、つまり、単なる言葉ではなく実際に人のためにお金や人を動かすことのできる行動力(=人間力)をもった生き方は、人を自然と惹きつけるのだと思いました。世界中の多くの人が宇城先生に惹きつけられるのもまさにその生き方なのだと思いました。自分はその宇城先生の生き方に出会って早20年近くたとうとしていますが、なかなか変えられません。

「教員は本当にどうしようもない…」と宇城先生にはいつも指摘されますが、行動が伴っていない、実行力がない、動けていない、スピードが遅いというのがまさに現実です。教員が一番変わらなければなりません。にもかかわらず、そのことに気づけない。

教員は本当に罪深い存在だと思います。しかしながら、何とか宇城先生にしがみつきたいと願っています。先生から教わっていることをとにかく小さなことからでも実践することを続けていきたいです。
今回のご指導、どうもありがとうございました。

本当の意味で「見守る」ということは何か、と考えさせられました

埼玉 教員 38歳 女性 YO


今回の道塾で、一番強く感じたのは、宇城先生の大きな愛です。3対3で綱引きをしたとき、片方は正座、片方は体育座りをしてから取り組んだ時、私はすぐに「正座した方が強い」と思いました。先生が何もされなかった時は、正座をしてから取り組んだ方が強かったのですが、先生の気を受けると、体育座りをした方が勝ちました。その様子を見て、良いも悪いもない、全てを包み込む大きな愛を感じました。

それから、本当の意味で「見守る」ということは何か、と考えさせられました。同じく綱引きでの実践ですが、まわりの人たちが「頑張れ」でも「負けろ」でも、何かしら意識をして見つめた方のグループは弱くなってしまいました。逆に、何も意識せず、ただ見つめた時には、そちらのグループが強くなりました。頭がじゃまをしている、ということを強く感じました。

私は仕事で子ども達とかかわる時に、「見守る」ということをよくしますが、いつも「何をやるかな?」とか「きっとできる」とか、何かしら考えながら見つめているので、その行為は、子ども達を弱くしてしまっているのでは、と自身を振り返って感じました。本当は、何も意識せず、ただ見つめる、それが相手を強くするのだ、と感じました。仕事で子どもとかかわる時は、つい色々なことを考えてしまいます。私はまだ、考えないと動けない、というのが現状ですが、「こういうことがある」と今回の実践を頭におきたいと感じました。
この度も、たくさんの学びをありがとうございました。

頭で作り上げた意識ではなく、長い人類の歴史の中で脈々と受け継がれてきた嘘のない「身体」にもっと謙虚にならなくてはいけないと感じました

東京 不動産業 30歳 男性 SM

「気」は対立構造を超えた5次元の世界から働きかけ、すべてを包み込んで対立から調和に向かうことに気づかせてくれるということが心に残りました。帯を引き合う検証では、さまざまな条件下でどのように変化が起こるか(周りがただ見守ると強い、逆に応援するつもりで拍手すると弱い、チームで握手をすると強い、人差し指を立てて腕を高く掲げると弱い、「がんばるぞ」の掛け声では弱い、など)を示していただきました。

応援し拍手すること、「がんばるぞ」と掛け声をかけることなどは一見すると良い行為にも思えますが、それは意識が作り出したバーチャルであり、実態は対立構造を生んでしまっています。

このように今の社会、組織ではいたるところで常に対立構造があり、本来の身体の可能性に蓋をしてしまっている私たちは、そこを抜け出すどころか、常識に毒されて対立構造自体に気づくことすら容易ではないことを感じました。

全体をとらえることなく無批判に歯を食いしばって努力をするだけでは、目の前の小さな世界の中で優劣を競い、かえってさらなる対立構造に陥ってしまう恐ろしさがあることも、よくよく心にとめておかなくてはならないと思います。頭で作り上げた意識ではなく、長い人類の歴史の中で脈々と受け継がれてきた嘘のない「身体」にもっと謙虚にならなくてはいけないと感じました。

書いてある内容を聞くと一見もっともらしいスピリチュアルの本も、先生のご著書との比較で差は歴然でした。内包するエネルギーが全く異なるからだと思います。

どちらの本が選ばれているか見えない状態で本人は全く知らずとも、机に手がくっついたり離れたり身体は確実に変化していました。頭では全くキャッチできないものを身体は精緻に感じ取り変化しているというこの事実からも、身体の圧倒的なレベルの高さを感じました。

油断するとすぐに頭でっかちになってしまう自分自身がいますが、先生に気づかせていただいたことを手掛かりに、逃げずに向き合ってまいりたいと思います。