立ちはだかる行政と矛盾の中で取り組む人間再生
―― 我が道を貫く ――
薬物依存回復施設 茨城ダルク代表 岩井 喜代仁 VS UK実践塾代表 宇城憲治
「 どう考えても病んでいる子たちを捨てる、手放すことができなくて。
これは一体自分の中の気持ちとして何がそうさせるのか。
たぶんこれが自分で分かった時に俺は初めて棺桶に入るんだろうなと思ったんです。」
薬物依存回復施設ダルクに出合って25年、岩井喜代仁氏は自らも回復の道を歩みながら、多くの依存者を救ってきた。
国の矛盾する体制と、世間の無理解、無関心という壁に阻まれる中、様々な課題に一つひとつ忍耐と情熱をもって取り組んできた岩井氏。氏が語る薬物問題は、これまでのマスコミの報道からは得ることのできない真実を明らかにしている。
世界は違っても、国を憂い、子供たちの未来のために戦い行動する同志・宇城憲治氏と、人として、男として、どう生きるかを、語り合っていただいた。
ロングインタビュー
人生は出会いで変わる
魂を込めた歌と言葉を子供たちへ
テノール歌手 新垣勉
言葉にはならない、言葉を超えた言葉、
すすり泣く、その言葉ではない言葉――。
私はその時、自分が初めて『受け止められた』と感じたのです。
在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人の父と、沖縄に住む日本人の母との間に生まれた新垣さん。その半生は実に過酷だ。出生後まもなく事故で失明し、1歳の時に両親が離婚。父は帰国、母は再婚し、「母」として苦しい生活のなか懸命に育ててくれた祖母も14歳の時に他界し、天涯孤独となってしまう。
自分の境遇を憎み、父、母を恨み、逃げられぬ苦しみの中にいた新垣さんを救ったのは、自分をありのままに受け入れ、背中を押してくれた人々との出会いだった。
自分が自分にしかないものを受け止めたからこそ、今がある。新垣さんの、自分磨きの人生を語っていただいた。
絶望の中を生き抜いて
―― 未来永劫の平和を守るために ――
シベリア抑留体験者 三村節(たかし)
私が抑留の体験を書き残すのは、
日本は取り返しのつかない戦争をした、
そうした自覚から、未来永劫に平和を
守らなければならないという気持ちからです。
我々のような体験をする人がこれから先、誰一人としてあってはならないのです。
終戦後、旧ソ連の捕虜となった三村節氏は、飢えに苦しみながら極寒の地で過酷な重労働を強いられた。3年後、帰国の途につくはずが、スパイ容疑をかけられ、懲役25年の刑を受ける。深い諦めの境地と絶望 ――。
想像を絶する体験から語られたことは、抑留された11年間だけではなく、戦争そのものがいかに人間を変え、運命を翻弄し、理不尽な苦しみを庶民に与え続けるものであるか。まさに戦争というものの真実の姿であった。
連 載
◆茨城ダルク代表 岩井喜代仁 連載『今日一日を生きる』
「与えられた中で人は変われる―― 仙台ダルク開設」
薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。まだまだ課題はあるものの、行政との連携も進み、認知度も高くなった。それは、全国にダルクの数が増えたことも大きく影響しているだろう。
ダルクと出合って25年、自らも薬物依存回復の道を歩みながら、一人でも多くの仲間の回復を求めて各地にダルクを開設してきた岩井喜代仁氏に、各施設の開設と現在に至る道のりを聞くとともに、施設責任者の手記を紹介する。
◆伊藤忠商事理事 木暮浩明 連載『うつくし、日本』
「男女差別の変化と共存」
日本を代表する総合商社の商社マンとして、イギリス、アメリカ、東欧、中近東、
通算17年間の駐在経験のある木暮氏が語る、日本人とは。真の国際人とは。
◆編集部コラム 『心の奥の取材ノート』
「被爆医師 肥田舜太郎先生のこと」
交わした言葉、ちょっとした仕草、振る舞い ――
今もありありと思い出す、取材で出会った人たちの思い出を綴ります。