30 3月

なぎなた範士 澤田花江先生の気迫

私たちが初めて
なぎなた範士の澤田花江先生にお会いした時、
澤田先生はすでに90歳を超えていらっしゃいました。

新宿の稽古場に伺うと、背筋をピンと張った先生が、
大きな声でお弟子さんたちを
それはそれは厳しく指導されていました。

「私を叩いてみなさい。あなたたちに叩かれる稽古などしていない」

「口で教えるならそれこそ本を見て覚えさせたらいい。
やって見せなければわからない」

「言っても直さない人には教えない。
ああ、悪いところがあるから言ってくださった。
どこが悪かったんだろう、と自分で探すことが上達です。
あの先生はいつも言う、と思ったらだめです。
ありがたい。と思って自分で直していくことが稽古だよね」

取材のたびに、小柄な先生の気迫の指導に圧倒されました。

ある時ご縁があり、ある企業で澤田先生が講演をされた時に
同行させていただきました。

用意された椅子に一度も座られることなく、
背筋をピンとはり、3時間ぶっ通しで
なぎなたと稽古、日本についてのお話をされていた
先生のお姿は瞼に焼き付いています。
そして先生は講演後すぐに、その足で稽古場へ向かわれていました。

私たちの生ぬるい生き方と、
先生の命がけの生きざまとの違いを
まざまざと教えられた日でありました。

澤田花江著『あくなき向上心』
https://www.dou-shuppan.com/aku/

25 3月

未来は「今」の中にある

未来は「今」の中にある

多くの人が現状打破を願い 
未来を変えたいと願います。

しかし未来は、「今」が変わらないと
変わることはありません。

未来はまさに「今」という瞬間にあるのです。

そのことに気づくことができれば、
今に集中でき、迷いがなくなり、未来に光がさすのです。

これは、先週発売となった
宇城憲治先生の語録集『稽古照今』の一節です。

本の内容と写真はすべて、
宇城先生が国内外で指導されている際に発せられた
生の言葉であり、記録です。

指導の場で語られる言葉の中に
宇城先生が生きた時代から来る厳しさや
先生ご自身の生き方から来る厳しさがある。

未来をつくる子どもたちへ
あくなき向上を願う人たちへ

宇城憲治語録集〈二〉『稽古照今』
https://www.dou-shuppan.com/books/keiko/

宇城憲治著 稽古照今

23 3月

アウトドアガイド、安藤誠さんの原点

『日常の奇跡』の著者で
北海道アウトドアマスターガイドの安藤誠さんは、
小学生の時、クワガタを捕まえるのがすごく上手だったそうです。

でもあまりに上手で
お友達よりも先に捕まえてしまうので、

友達が一緒にクワガタ捕りに
行きたがらなくなってしまったそうです。

そんななか、久しぶりに
クワガタ捕りに誘われた安藤さん。

今度は自分から先に捕りにいったりせず、
いつも一緒にいっても捕れない子に、
そっとクワガタをいる場所を教えてあげたそうです。

教えられた場所にクワガタを見つけた
そのお友達は大喜び!
帰りに、安藤さんにアイスをおごってくれて、
ものすごく感謝してくれたのだそうです。

安藤さんはそれがものすごく嬉しかった。

それが、のちに安藤さんがガイドになる
原点となったと語っています。

誰かのために自ら何かをしてあげて、
それを心底喜んでもらえたこと。
それを原点にして活動するって本当に素敵なことですね。

安藤さんの活動の原動力は、当時と変わらない。
いつだって誰かの、喜ぶ顔、嬉しい顔を見るために、が
根幹にあるのだなと思います。

安藤誠著『日常の奇跡』
https://www.dou-shuppan.com/books/ando01/

11 3月

なぜ、相手に武器をつけさせ組手をするのか ―― 宇城先生の「稽古」

エレクトロニクス分野の技術者であった宇城憲治先生は、
開発においては常に「これでいいのか、最善なのか」と
自分自身に問い、検証を繰り返してきたと言います。

その在り方は、空手においても同様で、
1人を相手にやる、しかし一人だと「やらせ」と見られる場合がある。
だから2人、3人と掴ませる、
いや、何十人と掴ませて検証する。
そうやって常に自身に課題を課していると言います。

たとえば、メリケンサック(鉄製の武器)をつけての組手。

ふつうの人は、素手の相手とは組手ができても、
相手がメリケンサックをつけたとたんにできなくなる。
身体が自由に動かなくなる。

「メリケンサックつけてやったらどうなるか」
と思ったらできない。

と先生は言います。

そして、

「メリケンサックをつけて組手を稽古しよう」でも、
できるようにはならないと言います。

「できると思う」からできる。
いや思うでもない。
やったらできる。

これにつきるのだと。

以下の動画は、そんな先生のメリケンサックをつけた稽古の様子を
記録したものです。
https://youtu.be/ZFJOFRrSCaw

「できる」身体から生まれた名言集
『稽古照今』 近日発売です。
https://www.dou-shuppan.com/books/keiko/ 

宇城憲治著 稽古照今

09 3月

「器の大きさ」 宇城憲治著『心と身体の神秘』

なぜ人は対立をしてしまうのでしょう。

宇城憲治先生は、『心と身体の神秘』の中で次のように述べています。

『人は、自分が持つ器の大きさでしか能力を発揮できません。すなわち、横着や知識偏重によってつくられた器と謙虚さや未知の世界に対し畏敬の念を持って生きている人の器とでは、人間としての桁が違うという事です。後者の器こそが、生かされている存在として潜在能力への気づきへとつながり、未知に対するスピード、すなわち未来に対しての歩みを加速させ、人間として充実感に満ちた人生につながるのではないかと感じています』

人は、自分が持つ器の大きさでしかものを見れない。

器が小さいと、ものの見方も、相手の言動の受け取り方も小さくなり、
結果、対立構図を招いてしまうのだと。

それはまた、本来ある人間の能力を発揮できなくしてしまう。

人間の器を小さくしてしまっているのが現在の知識偏重のあり方であると宇城先生は言います。

知識ばかりを優先してものを見ていると、どんどん人間としての謙虚さを失い、横着になり、結果、人と対立するようになってしまいます。

一方、自分たちを活かしている地球や宇宙、未知の世界に対して
畏敬の念や感謝の心を持っている人は、生かされている存在として自然と謙虚になり、器も大きくなって人と調和することができるようになります。

その調和できるあり方、謙虚さが自分の潜在力の気づきを促していく、と宇城先生は言います。

本書では、そうした対立のない調和の時空を作り出すエネルギー「気」について詳しく紹介されています。
https://www.dou-shuppan.com/books/u_kokoro/

04 3月

「私が最優先する事実」 宇城憲治著『心と身体の神秘』

『道』で取材をする時、ただ単に頭、知識で取材するのではなく、
自分の全身を通して話を受け取らなければならない・・・
その大切さに気付かせてくれたのが、
『心と身体の神秘』の、以下の宇城憲治先生の言葉でした。

宇城先生が、ルバングのジャングルで30年間生き続けてこられた小野田寛郎さんと対談された時のことを綴ってくださいました。

『私が最優先する事実とは、小野田さんが30年間ジャングルで生き抜かれたという事実です。そこにある話は、全て体験に基づく事実だからこそ、本や教科書で得られる知識とはまったく異なります。戦争に行く前、ご自身がルバングに30年もいることになる事については未知だったにもかかわらず、実際小野田さんが生き抜かれたという事実、その生き抜くことができた根源にある生命力の本質とは何か――。それを自分の全身を通して感じ取ることができれば、貴重な教えとして生きてくるものだと思っています。
たとえ自分自身がジャングルで過ごしたという事実はなくとも、小野田さんの体験を身体を通す聞き方をして初めて、それは擬似といえども自分の体験となるからです』(p10)

技術者であった宇城先生は常に「事実」を最優先してきたと言います。

それは、知識で得る情報量と事実から得る情報量は、桁違いであることを経験から知っておられたからです。

また事実から得る情報は、感性を通して得る情報だと言います。
知識だとそのまま頭につめこまれるだけだけれども、感性を通した情報は自然に行動につながると。

このお話はとても印象に残り、取材に際してずっと大切にしていることです。
https://www.dou-shuppan.com/books/u_kokoro/

03 3月

ネイチャーガイド 安藤誠さんの思い「クマも私たちと同じ、一生懸命生きている」

昨年11月に、写真家で自然プロガイドの安藤誠さんの講演会を東京町田で開催しました。
その時、日本熊森協会顧問でもある安藤さんが、クマのお話をたくさんしてくださいました。

よく報道で、あちこちでクマが出現して、地域住民に脅威を与えているといったニュースが流されていて、クマが住宅地を歩いている姿や、檻に捕まった姿が放映されたりしています。

安藤さんは、報道されたクマの様子を映像で流しながら、以下のように語りかけられました。

「今このクマは、食べ物を求めてこういうところに出てきてしまったけれども、いっきなり追いかけられたりしてどれだけ怖い思いをしているか。子供のクマだとしたら、お母さんや仲間を泣きながら必死に探しているかもしれない。そういう想像を、私たちはしていますか」と。

自伝エッセイ『日常の奇跡』でも安藤さんは、

「クマの研究によると、10歳くらいのクマだと人間の4~5歳くらいの知能を持っている。もし自分が罠にかかって檻に入ってしまったら、死の恐怖におびえているでしょう。そしてもし母クマだったとしたら、子どもと離れてどれだけ不安に思っているだろうか。つまりクマも人となんら変わりないのだということ、私たちと同じように一生懸命生きているのだということ。そのことに対する想像力が欠如している人は、何事も目先のことしか考えられない人ではないか」と語っておられます。

本当にその通りだなと思いました。

クマと同じように、自然界の生き物である私たちが、自分たちの目線だけでものを見るのではなく、想像力を働かせて、人間であろうが動物であろうが、相手の立場に立ってものごとを見ていくあり方、その大切さを教えられました。

幼い頃からクマにみせられ、いつかクマたちが棲む森を守る森林警備隊になりたいと夢見ておられた安藤さん。
安藤さんが語りそして写真で表現してくださる自然、動物の世界は、ものを見る視点の幅を大きく大きく広げてくださいます。

安藤誠著『日常の奇跡 ― 安藤誠の世界 ―』
https://www.dou-shuppan.com/books/ando01/

02 3月

宇城憲治先生語録集『稽古照今』3月中旬発売予定

『多くの人が現状打破を願い未来を変えたいと願います。
しかし未来は、「今」が変わらないと変わることはありません。
未来はまさに「今」という瞬間にあるのです。
そのことに気づくことができれば、
今に集中でき、迷いがなくなり、未来に光がさすのです』

これは今手掛けている、宇城憲治先生の語録集のひとつ、「未来は今の中にある」からの言葉です。

「今」が変わらないと、未来は変わらない。
未来を変えたいと思ったら、
まさに「今」の瞬間のありようが大事なんだと・・・
一瞬一瞬の時間の大切さを教えられます。

『稽古照今』は3月中旬に発売予定です。
https://www.dou-shuppan.com/books/keiko/

 

宇城憲治著 稽古照今

02 3月

『道』207号 連載 佐々木隆「私たちは銀河のなかに生きている」

「強制隔離 別れの桟橋」

 

銀河浴写真家・佐々木隆さんの写真と詩文でつづる連載記事です。

佐々木さんは元公立高校教諭でおられますが、教師としてのお仕事をされている頃から、休みとなれば、あちらこちらを訪ね歩き、しかも被写体は「銀河」ですから、雲の切れ間を待ち、夜通しの撮影で銀河と地球を一体化させた写真を撮られています。
写真を見て、毎号その情熱に感動しています。

今回は、ハンセン病(らい病)患者が、当時の法律で隔離された、国内最初の療養所がある岡山県の長島で撮った写真。
家族や社会との別れの場となった桟橋と銀河の写真は、それだけで涙がこぼれます。

道207号 佐々木隆

 

[ 季刊『道』207号 ]

[季刊『道』定期購読]

 

 

◎ ささき たかし
銀河浴写真家。銀河と地球を一体化させた写真で新聞掲載多数、数々の賞を受賞。元公立高校教諭。

01 3月

『道』207号 連載 岩井喜代仁「今日一日を生きる」

「家族会の立ち上げ 茨城ダルク家族会」

薬物依存者が社会復帰を目指すリハビリ施設として、薬物依存回復の確立した方法論を持つダルク。

入寮者が回復へのレールに乗れるかどうかには、実は「家族のあり方」が大きく影響していると言います。

ダルクをサポートする「家族会」は、入寮者家族が薬物依存症について学び実践する場であるとともに、当事者同士で悩みを共有し、支え合う場でもあります。

ダルクと出合って以来、自らも薬物依存回復の道を歩みながら、一人でも多くの仲間の回復を求めて各地にダルクを開設、家族会をけん引してきた岩井喜代仁氏に、家族会の取り組みについて聞きました。
家族会代表の手記も紹介しています。

道207号 岩井喜代仁

[ 季刊『道』207号 ]

[季刊『道』定期購読]

 

 

◎ いわい きよひろ
薬物依存回復施設 茨城ダルク「今日一日ハウス」代表 女性シェルター代表
自身が薬物依存症となり、苦しみ抜いた末にダルクと出合う。以来、救う側へと生まれ変わり、薬物依存に苦しむ子供たちを預かり、共に生きて回復を目指す。