季刊『道』174号で、「戦争は絶対にあってはならない」という信念のもと、山里和枝さんは19歳で体験した沖縄戦の実際を語ってくださいました。
この山里さんのインタビュー記事「沖縄の祈り ― 語り伝えるために生かされて」を、「戦争と人権」というテーマのホームルーム活動の資料として取り上げてくださった高校の先生から、生徒さんたちの感想文を送っていただきました。
「今、平和に生きられていることが本当に有り難い」
「戦争を身近に生々しく感じました。やはり戦争は何があってもしてはいけない」
山里さんのお話をしっかりと受け止めて、自分たちがどうするべきかを語れる高校生がいることは、希望であると思いました。
山里さんの願い、命の重さを伝えようとされる学校の先生方の思い。
この二つをつなげる架け橋に『道』がなったこと、とても嬉しく思います。
● 今まで戦争の話とか聞いてきて「むごたらしい」とか「残酷」とか思ったりしてきたけど、そんな言葉で片づくほどのものじゃないと思いました。戦争がどんなに醜いものか分かっていたつもりでいたけど、私の「分かっている」はほんの少しだったのだと思います。いくら授業で先生に聞いても、戦争について講演を開いてもどこか他人事のようで説得力に欠けます。でも、山里さんのような本当に経験している人は、思い出したくもないことを血の涙が出る思いで語ってくれれば、その思いは痛いほど伝わってくるはずです。
● 戦争はどんなものか知っていたつもりでした。怖いなって、ただ思ってるだけでした。けどこの話を読んでどれだけ怖いかよく分かりました。地上戦なので敵は同じ地上にいる。そのせいで、切られたり、撃たれたり、どこに敵がいるか分からない中で逃げ回って、でも逃げる場所なんてないと思えば本当に怖いです。壕に入っても味方に撃たれ、生きているのに捨てられ、人間の心も命もうばってしまうものだと思いました。私は目の前で人が死ぬなんて見たくないです。目の前には敵ばっかりの状況なんていやです。
今、平和に生きられていることが本当に有り難いと思います。昔、そんな地獄の戦争があったから今があるんだと思います。ただの他人事ではなく、苦しい思いをした人の分、私は今を精一杯生きようと思いました。
● 中学校の修学旅行で沖縄に行きました。そこで平和の碑や壕にも入ったりしました。そこの記憶をたどりながらこの資料を読んで、あらためて戦争はすごく残酷なものだと感じました。
いくつか心にとまった言葉の中で一番心に響いたのは、「戦争で即死した人は自分は死んでいるとは思わない。まだ生きていると思っているからあなたがどんなに思っても夢には出て来ないよ」という言葉でした。これを読んだ瞬間、まだ死んだとは気づかずに沖縄のいたるところをさまよっているのか、あるいは沖縄を守ろうとしている魂がさまよっているのかと思うと、胸がイタイです。これを読んで、この内容を忘れずに、日々一日を大切に生きていきたいです。
● 私はこの資料を読んで、正直今まで沖縄戦のことについては何度も習ったし、沖縄にも行ったことがあるので、新たに学ぶことはもうないだろうと思っていました。でもこの資料を読んでいくうちに自分は無知なんだなと思いしらされました。戦争でケガをした人に対する治療法があんな残酷だなんて全く知らなかったし、生きている人を平気で捨てるなんてことも知りませんでした。県民は何も悪くないのにどんどん殺されていくなんて、現代の私たちには想像できません。自分の身を守るために子供を殺す・・・。敵軍に殺されるならまだしも、味方の軍に殺されるなんて、その子の親族の人たちはとても屈辱だったと思います。
ただ、その中でも島田さんは唯一、県民のことを考えたすばらしい人だと思います。今でも「島守之塔」として沖縄のことを見守っているのかなと私は思います。このような残酷なことを後世に伝えるのはとてもよいことであり、また、その残酷さをみんなが理解しているのもとてもいいことだと思います。
今、尖閣諸島や竹島が問題になっていますが、中国の挑発にはのらず、このまま平和な日本がずっと続いてほしいです。
● 実際に戦争を体験した人のお話をみると、現代に生まれたことが幸せなのかそうでないのかと考えさせられました。今はあまりにも平和すぎて、平和ボケしているところもあると思います。戦争系のゲーム(人を撃ち殺したりする)があるのがそのいい例だと思います。目の前で人が死ぬなんていうことは、全く想像できません。だけど、それが普通だった沖縄戦のようなものはくりかえしてはいけないと思います。
● 今までに読んだ沖縄戦の資料には、米軍がどれ程残虐か、一般市民に対してどれ程むごいことをしたのかが結構強調されて書かれていましたが、日本軍も十分にむごい仕打ちを沖縄市民に対して行ったことが分かりました。
唯一の安全所の壕から出れば米軍に見つかり、壕の中にいても食料もなく不衛生、更には方言の通じない本土の友軍が子供に銃を向ける。まさに地獄、生き地獄です。
今まで戦争に対しては過去のこと、他人事ということを前提として聞いたり調べたりしているところがありましたが、この資料で戦争を身近に生々しく感じました。やはり戦争は何があってもしてはいけないです。戦争を風化させずに、後世へ語り継いでいくことが現代の我々の役目だと思います。
● 日本で唯一行われた地上戦。中学校のときの修学旅行や家族旅行で戦争に関連する場所にはたくさん行ってきました。戦争体験者の人の話も聞いてきました。そこでの戦争はもはや戦争というものを逸脱するものだと思いました。戦争ではなく、虐殺。誰かvs誰かという明確な敵対関係はすでに崩壊して、一方的になぶられ、殺されるだけの殺戮。山里さんが友人の死体をきちんと埋葬することもできずに、艦砲射撃であけられた穴に埋めたときの気持ちはすごくいたたまれない気持ちにちがいなかったと思います。
戦争はいけない、本当に怖いと思います。私たちの役割は戦争の悲惨さを語り継ぐことだと思います。かつて日本で悲劇があったということを、決して根絶やしにしてはいけないと思います。
● たくさんの人の尊い命をうばった沖縄戦。山里さんの語りを読んで、何とも言えない気持ちでいっぱいになった。中学のときに沖縄戦のことを学んでいたけれど、山里さんの話ではなかったため、また新しく思ったことなどもありました。
山里さんはじめ、本当に多くの人の心と身体に傷を負わせた沖縄戦。その戦争から生きのびた人の数だけ戦中の体験話があり、戦中に感じた様々な気持ちがあるのだと思うと、もっと勉強しなければと思う。山里さんの話にあったように、自分の子供を自分で殺すという最悪なこともおこなわれ、自らの命を絶つほうが楽だとか、同じ日本人同士が殺し合うだとか、そんな精神状態にならざるを得なかったであろう「戦争」という行為は在るべきではないと思う。そして「生きる」という強い意思をもつべきだと思った。
● 今、日本では親が子供を殺すというニュースを聞きます。その時いつもそんな簡単にできるもんじゃないと思います。沖縄の戦争中に母親が自分の子供、それも赤ちゃんを殺すということは断腸の思いだったと思います。人を殺すのが当たり前だった戦争で多くの人の命が奪われました。その人々がそこまでして守りたかった日本で、今平和に暮らしている私たちは、平和に対してもっと考えるべきであり、今、中国と戦争になるかもしれないという状況の中で二度と戦争を起こさないで欲しいという山里さんの気持ちも込めて、どう取り組むべきか考える必要があると思った。
● 僕は中学校のときからずっと平和学習をしてきて、中学の修学旅行では、実際に壕には入りました。そこは真っ暗でとても怖かったです。そして平和記念公園にも行きました。そこには数え切れないほどの名前が刻まれた石碑がたくさんあったことを今でもはっきりとおぼえています。
中学校のときから忘れられない言葉は「アメリカ兵より日本兵のほうが怖い」という言葉です。この資料にもありましたが、日本兵は罪のない子供までを殺していき、とてもむごいと思いました。どうして、自分の国の人を守らなければならない日本兵が日本の罪のない人を殺すのか、と思うと腹立たしいです。これからの人生で戦争は絶対にあってはならないことだと思います。沖縄だけでなく、日本は広島や長崎に原爆を落とされたりしてたくさんの被害を受けていることをしっかり認識して、もう二度と過ちを起こさないようにしてほしいです。
基地問題は早急に解決しないと、沖縄の人の心の傷は一生消えないと思います。
[『道』174号の感想]
[『道』174号の詳細]